ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

大英自然史博物館展がよかった話

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「大英自然史博物館展」2017年3月18日〜6月11日 国立科学博物館に行った記録。直後に書いたので興奮気味ですが、そのままで。。

 

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大英自然史博物館展、圧巻!!想像以上。人類がここまでのわずか300~400年ばかりの間にこの世界を探索してきた、その軌跡が描かれていた。その生命体自身の力が宿る標本の数々も素晴らしかった。限りなく美術展に近い博物展という意味で、大人のための展示だったかもしれない。


大英自然史博物館本体のほうに中学生のときに行ったけど、「珍品を駆け足で見た」みたいな記憶しかなくて、その意義深さとか全くわからなかった。しかし今こうしてまた出会えていることに感謝。長く生きてるとわかることが多い。


美術工芸品的な側面もあるのは、科学技術の発展が学者だけの力によるものだけではないことを証明している。というよりも、サイエンスの中にアート的な要素があるからではなく、アートの中にサイエンスがあるから、というのがふさわしい。いずれにせよ科学というのはそれ単体の狭義の「理系」ではないということを実感する。
17世紀、18世紀の、「これが同じこの地上にあるのか!」という人々や時代の興奮が伝わってくる。全てを収集し、把握し、分類し、分析し、解読したい!という人間の熱狂。もちろんその裏には、今の我々から見ると「非エシカル」と捉える行いも多々あるのだけれど。


オーウェン、ウォレス、ダーウィン、スコット、リビングストン、ロスチャイルドなど、別の文脈で知っていた人々がこの展示で語られ、各々の、全体の、全く新しい物語が立ち上がってきたことに驚嘆。企画した人々の物語る力。


山田孝之さんの音声ガイドもよくて、鼓膜が震える。「いい声してはるわ~」としびれた。さすがプロ。クイズ入れるのとかいい。制作はアコースティックガイド・ジャパンさん。ラジオをはじめてから音声ガイドが気になるこの頃。


博物館の8,000万点もの所蔵品の一部。かつては博覧強記の意味合いがあったものが、そうではなく。これからの人類が成すべきことを示唆するために、今、我々の前に披露されている。

 

本家(Natural History Museum)のサイト見てるとまたわくわくしてくる!

www.nhm.ac.uk

 

twitter.com

 

 

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ことほぎラジオ第9話、配信しました

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「人形の中に体はないんだよ」というちょっとドキッとするタイトルですが、怖い話ではないです。文楽の話、映画や小説の話をして、どこかに着地した模様。

前回のLightning Talk大会を経て、さらに渋谷のラジオにも出て明言できるようになったのは、好きや夢中を話すことは、この世のさまざまな事象を祝福(祈りのひとつ)する行為で、それを話す人間も聴く人間も祝福されてるんだ、ということでした。

最初からそういうことが言いたくて、「ことほぎラジオ」by ことほぎ研究室と名付けていたのですが、実際に9カ月やってきたことで、わたし自身が「やっぱりそうなんだ!」と感じられたり、「こんなふうにやってみました!」と記録が残せたかなぁと思います。

3rd quarterが終了し、残るは3回。

けいさんと取り組みたいことはいくつかあって、丁寧につくりたい、挑戦し続けたい、この先お互いがやっていくことにつながる何かを鼻歌う、とかとか、そんなことを考えています。

 

暑い暑い夏の日の、一服の清涼となれたらうれしいです。Please enjoy!

 


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リア王を観た

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先月と同じ時期に熱が出た。原因はだいたいわかっているので、根本治療が必要なんだろうと思う。この暑い時期に熱が出るのは、喪失の濃度が上がるようで本当にキツい。

 

さて、熱が出た日の昼間には友人と「リア王」を観ていた。やはりシェイクスピアはタイミングが合うごとにもっともっと観たいと思う。演出によって、演じ手によって、時期によって感じることが異なる。

今回は、なにやら身につまされる感情ばかりで、他人事じゃなさをひしひしと感じていたが、突きつけられて苦しいというよりも、「在る」ということに救いを覚えた。家族、親族間で、殺めるまではいかなくとも、愛憎入り乱れる感情をもつこと、非友好的な関係になることはあって然る。血縁というものの厄介さに、いつの時代も人間は苦しめられている。だからこうして必要とされて、400年以上も上演されているのだろう。

リア王の登場人物は、誰もが脆弱で浅はかで悪の一面を持つ。末娘のコーディリアさえも。古来から、信、義、忠、情、愛の物語は他にもたくさん語られてきたけれど、有限の人間と絶対的な約束をすること、しかも言葉にして誓うことの危うさや儚さ、甘言に溺れる愚かさが、殊に沁みた。裏切りがあり得るとわかっていても、そうしなければ生きてゆけない人間の哀しさがある。

黒澤明「乱」のシーンが何度もオーバーラップした。高校生のときに映画を観て、これはリア王も何かの折に観ねばと思い続けてようやく叶った形。

配布されたチラシ群の中にあった、佐々木蔵之介主演の「リチャード3世」も気になる。ちょうど先日のラジオの収録のためにスクラップブックを見返していて、惑星ピスタチオのチケットを発見したりもしたので、これもまたタイミングかと。

 

読み聞かせ(3年生・7月)

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久しぶりの小学校での読み聞かせでした。
夏休み直前なので、「夏の冒険」をテーマに2冊選んでみました。

 

「はちうえはぼくにまかせて」(ペンギン社)

「ウエズレーの国」(あすなろ書房

 

夏休みにお出かけがない子がいるかもしれないという前提で、しかし、日常の風景が一変するようなドラマがもしかして起こるかもしれないよね。ちょっとしたひらめきから楽しくなるかもしれないし、それをみんなが喜んでくれたらもっとうれしい。子どもだってお金を稼いだっていいんだよ......などなど、こちらの胸にしまった思惑はあるとして、子どもたちはどんなふうに聞いてくれただろう。読み聞かせは子どもから感想を聞かないのが良いところなのだけど、きょうはちょっと聞きたい気持ちがあったな。あざとすぎたな、という反省があるからですね。

 

「はちうえはぼくにまかせて」は、4年ぐらい前に、遊びで原書から翻訳してみたことがあって、親しみのある絵本です。自分の翻訳とプロの翻訳とを並べてみて、「そうか、絵本の翻訳をする人は、こどものことをよく知っているし、言葉をメロディとしても聞いているのだ」と思いました。この本、かわいいんだけど、それだけじゃなくて、子どもがお父さんにぶつぶつ文句を言われても全然へっちゃらで、したたかなところがいいのです。

 

「ウエズレーの国」は、内容的に高学年がいいんじゃないかなぁと、非常に迷いましたが、息子がどうしてもこれを取り上げてほしいということだったので、思いきって出して見ました。親や同級生から「あいつヤバい」と言われいる子が、実はすごいアイディア、能力、実行力を持っていて、どんどん自分だけの国を作っていって、そのすごさにみんなも振り向くというお話。みんなと同じことがしたくないのは全然おかしなことじゃなくて、誰からも理解されなくても自分の好きなこと、やりたいことで一歩踏み出して、突き進んでとんがっていけばいいんだぜ!というスピリットは好きだし、必要な局面もあると思うのだけど、同時に支配的、強制的でもあるかもと感じている。結局最後はウエズレーの作り出すものにみんなが並んで受け取る感じになっているし...。それは一時のブームかもしれないし、害とは言いきれないのだけど...。どう捉えるかはその人それぞれで、子どもも大人も議論のしがいがある話だと思います。そういう意味で、5〜6年生に向いているのかもしれない。

 

きょうはテーマを設定してみたのもあり2冊とも同じような路線でいってしまったので、主人公を男の子と女の子(あるいは人間と人間でないもの)、外国と日本、昔話と今のお話、短いお話と長いお話、物語と科学絵本など、次回は意識して変えてみようと思います。10日前ぐらいから候補を挙げて、なんとなく組み合わせを決めて、練習して、一旦寝かせて、5日前ぐらいにまた見直して...ってするのがいいんだろうな。

 

読み聞かせボランティアさんは人気なので、1つの学期中にだいたい1回で、2回まわってきたら多いな!という感じ。それゆえに慣れがなくて、ほどよい緊張感をもって臨めているのがよいです。

 

はー、朝からひと仕事終えた気分。近所のカフェでモーニングして栄養補給して、さて、きょうも暑いけれどがんばろう。

 

ことほぎラジオ第8話、配信しました

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第8話は「ことほぎ・ライトニングトーク大会」と銘打って、5分で終わる小さな話を交互に次々に全部で2ダースしています。

 

書き留めていた「いつか話したい話」や、お互いにリクエストした「けいさん/せいこさんの、いつかまとめて聴きたかった話」の蔵出しのような機会になりました。
でもこれでも一部で、まだまだ話したい話は持っていて、いつでも全世界に披露する準備ができているものが多いです。配信してから思いました。どれだけ話したがりなんでしょうか。。


リスナーさんが何を聴いてくださるのか、楽しみです。
はじめての方も、よかったら聴いてみてください。

 

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ことほぎラジオ第7話、配信しました。


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ことほぎラジオ第7話、配信しました。

ブログでの前回のお知らせが第5話で止まっていましたが、その後、

 

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と、次々と配信しておりました。

「あ、これがやりたかったのかも!」とか「もうちょっとでなにか見えそうかも」という予感と衝動でつくりまくった、勢いのある2ヶ月でした。ああ、楽しかった。

 

第7話は少し落ち着いて、タイトルのとおり、「日常をしっかり」を感じ考え続けた中での収録となりました。

 

今回はリスナーさんからのおたよりがみーんな示し合わせたみたいに同じぐらいの量で長文で、おもしろいなぁ。ほんとうに丁寧に聴いてくださってるんだなとひしひしと伝わってきて、ありがたいです。おたよりはしていないけど、同じように感じてくださっている方の存在がこの10倍ぐらいはありそう。

 

楽しんでもらえるとうれしいです。
なんて言ってるあいだに、そろそろ第8話の収録の時期です。
さてさて、今回はどんなふうになるのかなぁ。

 

忘れものを届けない話

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月曜の朝は〈体操服、給食の白衣、上靴、歯ブラシ〉の入った‬「お持ち帰りバッグ」を息子が忘れていきがちである。先週も出て行ったあとバッグが置いてあるのに気づいた。出るついでに届けてあげたこともあったけど、その日は時間がなくて、届けなかった。

 

夕方迎えに行ったら、「きょうお持ち帰りバッグ忘れちゃったんだよねー。あなた(!)が届けてくれるのかと期待しちゃったー」とガハハと笑っていた。わたしも「きょうは時間がないし、ついでもないからしなかったよ」と言って、「そっかー」みたいな感じで話は終わった。忘れたことについては自分なりに解決したらしい。先生に相談などしたんだろう。

 

ここで「ごめんね、届けられなくて」というのも違う。それはわたしが責任をもつことではないから。「そんなもんお前の責任じゃ」というのも違う。息子はそれが自分の責任で行うべきだったとわかっている。

 

自分にも相手にも責任の範囲がある。まずは各々がそれをやる。もちろんそれを超えて行うことだっていっぱいある。でもそれは人の選択で自由である。超えてしてもらったら感謝。でもしなくて非難しない。そういうことかなぁ。全部に当てはまらないと思うけど、この日はそんなことを考えた。

 

忘れて致命的に困ることもたまに起こるし(パスポート忘れて飛行機に乗れないとか)、忘れるのが人間だから、どうやったら忘れないか工夫だなーみたいな話もした。これはわたし自分にも言っている、ということは息子にバレバレであった。

 

 

こどもは不思議

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今朝息子が別人になってた。顔立ちも違う感じ。内のほうの見えないところでなんかぐーっと変化があったんだなぁ。ほうほう。

 

だいたいそういうことの前にはすごく甘えてきたりするんだけど、そのときにどうぞどうぞと「甘やかす」をしてみると、安心してびゅーんと飛んでいけるみたい。後ろ姿が眩しい。

 なにかはわからないけど、おめでとう。

 

ああ、この人は、わたしでもなく夫でもなく、一人の人間なのだなぁということに感謝する。自分で産んだわけだけど、「あら、この男の子はどうしてここにいるんだろう、不思議だなー、不思議だなー」と思いながら、伸びたい方向へ生命力豊かに伸びてきて、8年経った感じ。

 

親子の関係性もちょっとずつ変化する。それぞれの世界の中で生きて、いろんな部屋に入って出て、また同じ部屋に戻ってくる。

 

まだしばらくは同じ部屋に。‬

 

シャセリオー展を観てきたメモ

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国立西洋美術館で開催中のシャセリオー展、とっても良いです!!GWなのにお客さん少なかったからだらだら宣伝します!!5/28まで。国立西洋美術館

 

ポスターの「カバリュス嬢」、かわいいなぁ〜と思ってたんですが、本物はもっとぐっと迫ってきます。同じ部屋の肖像画群も、「肖像画ってこういうものだったのか!」と開眼した感じがあります。ロマン派ってよくわかってなくて、「すごく古い時代のヨーロッパ絵画」ぐらいの雑な捉え方しかしてなかったんですが、新たな潮流を起こした一人で、だいぶ異端児だったみたい。シャセリオーにしか描けない世界があって、シャセリオーの手にかかると人にも動物にも神話にも魔法がかかる。

いろんな対象と「恋愛」して、目でお話して、情熱をとらえる方だったんじゃないかなぁ。物腰柔らかで繊細で激しい。人間の感情をどれも美しいものと見て、美しいものに光を当てて、一番美しく描き出す。

 

新古典主義のアングルに11歳弟子入りして、16歳でサロンデビューするも、別の流れにいったドラクロワに傾倒して、新しい画風を作り出して行った。アングルからも画壇からも叩かれたこともあったようだけれども、若いモローやシャヴァンヌ、ルドンなどが影響を受け、慕い。モデルになった恋愛関係のあった女性たちが生涯絵を大切にしていたとか、彼の人生とてもドラマティック...。実際、絵柄もとっても漫画っぽいというか、きれいとか美しいの感覚が現代の我々に通じるものが多くて、わかりやすいし、すごく共感できる(←ここ重要)。

 

ドラクロワ、モロー、ルドンと並べた構成もよかったし、音声ガイドもとてもよくて、山田五郎の解説がとてもわかりやすくて3回ぐらい聞いた。ドラクロワの版画もとてもよかったです。

 

シャセリオーを観て常設のモローとシャヴァンヌを観るとまた味わい深いし、ナビ派を観たあとなので、ゴーガン、セリュジエ、ドニ、ボナールが並べてあるのとかうれしい。

 

 
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常設展の2階の「スケーエン展」もとてもいいです。観るのは2回目なんだけどまた新しい発見があった。19世紀のデンマークでこんな素敵な絵を描いてる人たちがいたんだー。人々の体つき、顔立ちは、それまで見て来たフランスの人たちと全然違って、バイキングの血を感じる。人々の暮らしぶりや海辺の風景なども独自のものがある。人間が風景に溶け込んで描かれているところとか、色や光が心地よかったです。

 

さらに下の階に行くと、モローとシャヴァンヌがいて、ゴーガン、ボナール、ドニがいて。ラジオの番外編でも取り上げたばかりだったので、この流れはすごーい!と興奮しました。

 

常設&企画だけで半日は要したので、ぜひ時間をかけてゆっくり観ていただきたいな!

なんだか元気になる展覧会です。

 

 

一箱古本市、出店しました。

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不忍ブックストリートの一箱古本市が無事に終了しました!あー楽しかった!!

2人が自宅や友人たちの本棚から持ち寄った本のうち、38冊が旅立っていきました。

 

昨年秋に初めて一箱古本市に出たときに、話したのはこんなこと。

"思い入れがあったり、その本について何かひと言添えられる本だけど、もう自分の手元にはなくてもいいな、と思える本を持っていきたい。処分ではなく、次にその本を必要としている人に手渡す気持ちでお店を出したい。"

 

今回もまたそんな気持ちで本を集め、お客さん一人ひとりと言葉を交わし、音読を聴いていただき、手渡ししました。このインスタントには買えない面倒くささがいいし、そういう面倒くささをむしろ歓迎する方々がたくさんいらしてる古本市だなという感じがしました。一回一回のやり取りが小さな出会いの場になったかなと思います。

 

やっぱり「お店をやる」って楽しいなぁと思います。パッとひらいて、もってきたものを陳列して、もってるものを披露して、集まってもらって、交換作業があって。それを「同じ場所」で積み重ねていくこと。古本市でのやり取りはほんの一瞬なんだけど、「この本懐かしい」「この作者はぜんぶ読むことにしてる」「この装丁なんか気になる」などの呟きから広がる、その人とその本とのドラマ(過去か未来か)をちょっぴり聴かせていただける。お客さんが「この本とわたし、今なにか関係してるのかも?」という気配に包まれている瞬間は、ほんとうに美しくて、とても好き。

 

音読をしたのは、持って帰ろうと決めた本を読む楽しみがより広がるように、より愛着がわくといいなというお節介からでしたが、大人になってから一対一で読み聞かせしてもらうことってあまりないから、皆さん喜んでくださったみたいです。「他の誰でもない目の前のあなたに」っていう贈り物をしたかったのです。

 

ラジオをはじめてから音読が楽しくてしょうがなくて、時々録音して友だちと交換して楽しんでます。そういうのもきっかけとしてあったな。これまでやってきたこと、今ちょうど出会っていることが次々につながっていってうれしい。


そしてなんと!なんとなんと!トリとニワトリは「谷根千工房賞」をいただきました!本屋が生業でないこと、一箱に収めていること、音読のアイデアがよいことなどが受賞の決め手だったようです。うれしい。商品は谷根千地域のおせんべい屋さん6店舗分の詰め合わせ、雑誌「谷中・根津・千駄木」、多肉的な植物の挿し穂。もう2人とも、どれも、大好物!(そういえば森まゆみさんの本も一冊出してました!)


立ち寄ってくださった皆さま、運営の皆さま、同じスペースでサポートしてくださった先輩店主の方々、本を譲ってくれたお友だち、ありがとうございました!

そしてなにより相方のニワトリ・まきさんにありがとう!!いつも知的な刺激と深い優しさをもらってます。

 

本を通じての出会い、楽しいな~  また一箱古本市に出てみたい。

売るって楽しいな〜 お店で働く仕事の楽しさを思い出した。

 

きょうは怒濤の祭りから一夜明けて、ちょっと喪失感と、あーまた知らないことを知って世界が刷新された!感と両方あってぼんやりしています。準備して、実践して、堪能して、省察して。楽しい。

 

 

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出店します!:4/30 不忍ブックストリート 一箱古本市

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昨年はじめて出店したので味をしめ、今年はなんと一箱古本市の元祖、不忍ブックストリートの一箱古本市に出店することになりました!

不忍の特徴は、書店、カフェ、ギャラリー、教会、ホテル、老人ホーム、文化財指定古民家などなど、地域のさまざまな建物の軒先をお借りして開かれるもので、言ってみればまちじゅうが会場になるという楽しいもの。(軒先をお借りできるので、雨天でも決行できるんですねぇ)

毎年秋にひらかれる芸工展にも通じますが、「まちじゅう」と「思ってもみなかった出会い」があるところが好きです。

 

 

わたしたちのお店の名前は、

トリとニワトリ

です。

 

2017年春:店主一覧 | 不忍ブックストリートにも載っております。

会場は、ギャラリーKINGYOさん 文京区千駄木2-49-10

同じ場所で出店する方々とは、はじめまして。どんなコラボレーションが生まれるんだろう。わくわく。

 

こんなコンセプトでやります。

大切にしている物語・暮らし・アートの本を、家の本棚から持ち寄ってお店開き。色とりどりの世界観が混じり合う本を介して、たくさんの方と小さな出会いの場をつくります。

 

 

 

まわりの店主さんたちは各地の古本市で腕をふるってきた猛者(?)ばかり。
どきどきしていますが、わたしたちなりの小さな場を楽しんでつくりたいと思います。

 

遊びにきてね!

 

 

 

前回出店した古本市の様子 ↓

 

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イベント・コミュニティ立ち上げの企画メモ①

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 わたしが教わったり発見して、役に立ってることの一部、雑多なメモ。

タイトルに①って書いたけど、この先あるか不明。あれば思いつきで。

 

 

◉ホームページまたはブログ

・あるのとないのでは大違い!

・Who we areの開示(一人でやっていても"We"の構えで)

・なぜはじめるか、なぜわたしたちか。

・会いたい人へ熱く声をかける。

・そのテーマと関係ある部分のプロフィールを明記。

・申し込みをホームページ以外のサイトで行なっていても設置する。

・人はそれを行なっているのが「何者か」「何のためか」「自分とどのぐらい関係があるか」を知りたい。

 


◉スピリットとボディを感じる名前

・ボディとは、場や集いの名前。
例)会、室、サロン、学校、部活、クラブ、サークル、祭、フェスティバル、セミナー、講座、屋、店、舎、会議、ラボ、etc...

・存在感、種類、規模、雰囲気を読み取れるか。

・名前は主宰者(団体)も、イベントやコミュニティもどちらも重要。

・読み仮名をふらないとわからないものは避ける。難読漢字、外国語。

・なによりも自分自身が愛着がもてるか。

・名前は初心にかえる一番の力を出すもの。

 


◉第◯回

・単発でなければ、継続していく意志を表明

・単発のつもりだったのに、2回目を企画することになったら、第2回。

 はじめをプレ(0回目)として第1回としてもいい。

・回数が重なるごとに、明記されている意味を感じてくる。主宰者も参加者も。

 

 

◉誰と何を

・「何を」から思いついても、「誰と」のほうが重要。

・対象者を絞り込む。一度やっても毎回見直す。

・誰とつながりを持ちたいか。

・他の項目との一貫性が見える。

・その場でなければ実現できない必然性が伝わる。

・1,000人に1人しか響かないものにこそ意味、価値があるので恐れず出してみる。

・そのアクティビティは本当に目指すものに近づいているか。

 

 

◉記録&アーカイブ

・毎回の活動記録を取り、写真とレポート文をブログ形式で投稿する。

・告知とはその単発の回だけが起こすものではない。

・開催日から3日以内(記憶の鮮明なうち)に一発目を書く。熱や勢いが大事。

・熟して出てくる考えや発見は、「わかってから」書こうとすると難しい。

・レポートを書く前提で場にいると、感度も上がる。

 

 

◉場の安全

・参加にあたって迷うこと、不安に思うこと、トラブルが想定、配慮されているか。

・主宰者が守れる範囲/参加者が判断するしかない範囲を明確にし宣言する。

 

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いろいろ軸が混ざってるけど、、、まぁいいや!

 

 

 

香港

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ことほぎラジオの第5話でもした話ですが、テキストでも残しておきます。ラジオってこれのこと→第5話 香港発>非日常経由>ポエム行き その1: ことほぎラジオ

 

・・・・・・・

 

息子と二人、友人を訪ねて行った香港。

息子は初めての、わたしは6年ぶりの海外。濃い4日間でした。

 

やっぱりこうしてときどき圧倒的に違う場所へ身体を運び、五感の全部をひらいてセンサーの感度を磨き続けることは大事だなーと思う。

 

それには日本の外に出るのは一番手っ取り早い。行ったことのない国やまちで、自分の見るもの聴くものによって、先入観をどんどん覆されていったり、ずっと苦しんでいた部分が取っ払われて自分の稼働域が広がったり、その土地に、自分にしかわからない特別の思いをもてる旅は幸せだ。

 

未知の環境の中に、楽しみや刺激と共に必ず存在する、不自由、不便、不衛生、不快等、不のつくもの・ことを身体で体験し、対峙する中で起こる葛藤、負の感情を味わいきることでしか、多様性をほんとうに理解することなどできない、というのが持論。

 

日本にいて、いかに自分が普段スポイルされているかを思う。気をつけているつもりでも、過剰適応している。本当はできるはずなのにやらなくて済むことによって無くしている力、眠らせている感覚が確かにある。

あるいは、自分が日頃、他者に対する要求や期待が大きすぎたり、他者からの要求や期待に限度やわきまえを超えて対応している可能性について検討したいと思った。

 

わたしのために他者や社会が存在しているわけではない。

わたしもまた、他者や社会のために存在しているわけではない。

 

みんながそれぞれに自分のやりたいことをやり、限定的な範囲の責任を取り、gainするためにアピールしても成り立つ社会があるのかもしれないと思った。

 

わたしはもっともっと繊細でもありたいし、したたかでタフでもありたい。

 

現地で暮らす友だちの生活実感を聞かせてもらいながら、いつも行く好きな場所を案内してもらえたのはよかった。そのエピソードごと味わった。聴かせてもらったたくさんのエピソードが胸に残っている。

 

去年の夏に親子合宿で知り合った友人たちとも再会し、みんなでまちや砂場や浜辺でたくさんの時間を過ごせたのはほんとうに楽しかった。

旅先で待っていてくれる人のいる幸福よ!!

 

香港に行くと元気になるってほんとうだった。

 


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ことほぎラジオ(Podcast) 第5話その1、配信しました

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4/11満月、ことほぎラジオ第5話、配信しました。

聴いてくださっている方、ありがとうございます。

おたよりをいただかなくても、アクセス解析というものがあるので、たくさんの方が聴いてくださっているのだなぁということがわかり、またそれもただの数字の束ではなく、その中にいろんな場所にいて、いろんなタイミングで聴いている、一人ひとりがいるんだなぁと思いながら、収録に臨んでいます。

 

今回のお届けは、5話のその1です。

その1ということは...つまり、その2もあるという...。

その2は半月、その3は新月にお届けします。

つまり、A面・B面みたいな構成を今回はやめてみてます。

 

何回かやってみて、「どうも型があるのかも?」と思って、じゃあ、と見えてきた型にのっとってやろうと思ったら、あっさりうまくいかなかった。

そもそも「番組をつくる」といっても完全に素人なわけで、構成された枠の中で予定調和的なものとアドリブ的なもののつなぎ目を見せないように芸として高めたプロの真似をしても、そりゃうまくいくわけない。そこを目指すのも違う。わたしたちのしたいことってなんだろうね、ということなどをたくさんやり取りして、リテイクして、編集会議をして、残ったのが今月の収録です。

収録も編集も、今までで一番のびのび楽しかった感じがあります。

 

香港と詩の話をしていますが、香港のあそこ行ってここ行って...ということは一切話していなくて、香港で何を考えたか、というようなことです。

詩の話は、相方のけいさんの、けいさんという人間の根幹みたいなところだなと思っていたので、とても聞きたかった話。その1よりもその2のほうがより深くその話をしてますので、どうぞ次週の配信もお楽しみになさってください。

 

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はじめから終わりが決まっていて、毎月1〜2回の「リリース」のために、チームのメンバーとアイディアと技術を出し合い、微調整を重ねながら、受け手からのレスポンスを見ながら、次を検討していくプロジェクト。わたしにはそのようなボランタリーな活動経験が今まで2回ほどあります。今回のラジオはそれらと似ているところもあるけど、まったく違うのは、自分の中からわいてくる純粋な表現をしているという点。

社会的な要請も特にない。課題解決のためにラジオをやっているわけではない。

課金もしていないので、これをやったからといってどこからも1円も入ってきません。

でもとにかくこの表現活動は楽しくて、「この一年何をしてた?」と聞かれたら、「ラジオ」としか言いようのない濃い時間を過ごしているなと、まだ4月ですけれど、思います。

 

わたしが考える/思う/感じる「楽しさ」ってこういうことなのですね。
やってることは一見楽しいことなんだけど、ノリで適当にやっているわけではない。そこには自分の全部をつかって(経験、知見、感性、言語とか)、真剣に目の前の相手と深いところでやり取りするものがある。

それは一連の踊りのようなもので、目の前にいる相手だけではなくて、その人を通した先にあるだれか・なにかだったり、たまたま居合わせた人にも受け取られる可能性があるもの。

 

" Take your pleasure seriously! " とチャールズ・イームズが言ってましたが、そういう感じです。


とりわけ、この場をつくるにあたって、有形無形にかかわらず「つくってきた」人と、妥協なく、しかしフラットな関係を保ちつつ、信頼を深めながらつくれるというのは、ほんとうに幸せなことだなぁと思います。

さらに一生懸命にやってできあがったものが、深刻で悲壮で息の詰まるようなものじゃなくて、名前のとおり「ことほぎ」のほうへ向かっているのはうれしいし、さらにリスナーさんがそれ以上のものを受け取ってくださっているのは、ほんとうにありがたいことだと思います。

 

全12回だから残りはあと7回。さてさて、どんなことが起こるんだろう。

ますます楽しみです。

 

 

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オペラ「椿姫」のライブビューイングを観てあーだこーだと感想を話す会、ひらきました(守人編)

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最近、人とじっくり話をする機会が多いので、それで満足してしまっているのか、単に今は話すほうが表現の手段として自分にフィットしているからなのか。しばらくまとまって書くことから遠ざかっていました。今これを書くのにも相当苦労をしています。

 

それでも記録を残したいので、すごくだらだらと長文になりますが、がんばって書きます。でも今回は主催してどうだったかという話なので、作品の内容についてはふれていません。この調子だと作品編まで書けないような気がします...(弱)。

 

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4/9(日)『オペラ「椿姫」を観てあーだこーだと感想を話す会』をひらき、久しぶりに守人をしました。

守人は、場を設計・準備し、呼びかけ、集まったみなさんをきれいな景色の見える場所に連れて行き、帰ってくるまでの一連のツアーを守る役割の人です。場をひらいてはいるけれど、ファシリテーターというのとも何か違うなと思い、ラジオで相方さんが呼んでくれた名前でちょっと名乗ってみています。

 

今回は、METライブビューイングを利用して、NYのメトロポリタン・オペラの公演映像を映画館で観ました。

METライブビューイングの特長は、

・生で観るのに比べて値段が安い(1作品3,600円)
・映画を観るような気軽さ
・複数のカメラで撮影されていて、引きも寄りもあるので、METの劇場の雰囲気から歌手の表情やよく見える、観どころがわかる
・映画館の大スクリーンと音響でPCやTVのモニターと比べ物にならない迫力
・日本語字幕付きで何を歌っているかもわかる
・幕間にバックステージや歌手のインタビュー付き(これはけっこう"無粋"なほうにも振れられるので微妙)

といったところ。

 

こうしてわたしのような初心者が気軽に普段着で映画館に観に来ることができて、ライブビューイングならではの体験を通じて「オペラっていいものだな」と思えて、またときどき観に来たい、なんなら生もぜひ観てみたいと思えるようになったら、オペラ界にとっても新たなファンの獲得になるし、観客にとっても人生の愉しみが増えて、お互いハッピーである。これは画期的で合理的なシステムだなぁと思います。

最近はオペラだけではなく、歌舞伎やバレエなどもライブビューイングや映画上映に力を入れているようだし、いろいろと時代に合わせて変わっているのだなぁと思います。もちろん生に比べれば迫力は全然違うので別物だとは思うけれど、なにが本物かをうるさく言うよりも、わたしは伝統のある芸術が、したたかに生き残ろうとすることを応援したい。(能は正直あまり向いていないと思うけど...)

 

わたしはオペラの知識は全くありません。一度だけ、2011年9月にボローニャ歌劇場の来日公演「カルメン」を誘われて観に行ったことがあります。このときは、舞台がスペインではなくキューバで、第2次世界大戦後のカストロ政権下という設定になっていました。あらすじは変わらないけれど、登場人物の設定や舞台装置やファッションが現代そのもので、その斬新すぎる演出に初心者としてはかなり引いてしまいました。でもどうもこの芸術は気になる、他の舞台芸術にはない何かを感じる、できればもっとオペラっぽいもので再挑戦したいと思い続けてきたのでした。

とはいえ、ほとんど未経験なので、何を基準に選べばいいのか。どの演目、どの演者、どの劇場、どの席で観ると一番いいのか、どこに注目すればいいのかなどが全然わからない状態でした。たぶん入門本を読めば書いてあるだろうし、頼めば誰か一緒に行ってくれたかもしれないけれど、なにかそういうものではない、自分の望む出会い方をしたかったのです。つまり、オペラと親しくつながっている人を中心にした、人々との交流の中から出会いたい、という気持ちがありました。

 

そんなことも忘れていたのですが、ちょうど1年前にわたしの読書会に来てくださって知り合ったえとうゆかこさんが、ふとしたきっかけから一緒に場をひらいてくれることになりました。ゆかこさんはクラシック音楽やオペラが好きでよく劇場に足を運ばれているとのことで、今回ナビゲーションをお願いしました。歌手としてジャズやラテンを中心に歌う方でもあります。

 

今回はごく親しい友人のみを誘うクローズドな会でしたが、そういうときもわたしは場を設計をし、告知文を書くことにしています。式を執り行うときに、あらためて招待状を送るように、大切なものを交換する場では、親しい人だからこそお互いに真剣さと心地よい緊張感をもってあらためて出会いたいと思うからです。

 

ゆかこさんと打ち合わせで特に力を入れてすり合わせたのは、

①どんな人にきてほしいか
②今回の閾値の設定

でした。

 

「オペラ未経験者や初心者を歓迎します。未知の世界の扉を開いてみたい、古典芸術を味わいたい、またはみんなで話せるならチャレンジしたい、と思ってくれる方」としました。

そして、普段から芸術に触れたときに、理解できるかどうかではなく、自分が何を感じるかを大切にする人。対象と自分との関係や、自分にとっての意味などを心に持ってしまう人。一人で浸ってあえて言語化しないという鑑賞の仕方もありだけれども、ここは話すことを通じて体験を深めていきたい場なので、「その言葉にしづらい感じをなんとか言葉にしてみたい」、「他の人の感じ方を聞いてみたい」という方が向いている。

という話をしました。

 

事前の予習をお願いしました。ここでの閾値は、参加条件という意味ではなく、心が動くという反応を引き起こすためにかける最小限の力(負荷)という意味で使っています。初見でも何かを感じとることはできる。でもせっかく初めてオペラを観るならこれを抑えておいてほしい。その有無で得られる体験が変わるかもしれないので、大切なこととして組み込みました。

具体的には、あらすじなどの作品の紹介や、演出のポイントなどをゆかこさんのブログ経由で伝えてもらい、歌や音楽の聞きどころについて事前に5分ほどの動画を数本観てもらいました。

aktennotiz.jugem.jp

 

演劇と思ってみればそれは目で見るものだけど、演出によって見た目は全然違うし、なによりオペラは音楽の芸術だから、聞き覚えのあるフレーズが出てくると、その世界への入り込みがとてもスムーズになるのだ、とのゆかこさんの説明は、観終わってとても実感しました。

実際に予習があったおかげで、動画の演出や歌い方や演技との比較もできたし、ついでに自動再生された他のオペラを観たり聞いたりして、期待が高まるという効果もありました。

 

今回の「椿姫」は2時間45分という尺もとてもよかったと思います。最初から最後まで集中が途切れず観られた。他の作品は4時間近くだったし、素人的には知らない演目が多かった。有名な「ロメオとジュリエット」でも比較的短いとはいえ、3時間30分。でも今回こうして一度体験したので、今後はきっと大丈夫でしょう。

 

終了後に近くのイタリアンレストランに場所を移して、1時間半あーだこーだと感想を話す予定が、2時間ちょっと話し込んでしまいました。そのぐらい楽しくて、椿姫とオペラからほとんど離れなかったのに、話が尽きなかったのはよかったです。感性鋭く、言葉にすることに意欲的な友人たちと、豊かで深い経験をされてきたゆかこさんのおかげです。

 

わたしにとっては、月1開催のかるたを除くと、守人をするのは1ヶ月以上ぶりで、新鮮な経験でした。また来月あたりからぼちぼち活動を再開していきたいと思いますが、今回は内輪の会でも公募の場でも活かせることがたくさんあったと思います。とりわけ、誰と組むか、何を抑えるかということについての自分の直感は、かなりいい感じに尖って来たように思います。

 

古典を楽しむ場については、まだまだ自分にやりたい欲がありそうです。

今回のオペラの場をつくっていて思い出したのは、本を読んだり美術作品を見ているときに、古典の演目を知らないと理解できない表現や説明に出会うことが多くて、でもそのまま放置してきた後悔でした。今回の「椿姫」のようにその芸術独自の世界に入り込んで、自分に取り込んでいくことができれば、ぐっと見える世界が広がるように思いました。

同じようなことが数年前に能やシェイクスピア作品で起こって、古典の古典たるゆえんを自分なりに理解したという経験があるので、このように進んでゆけばいいのだな、という確信があります。

それは「教養としてそれぐらい知っておかないと恥ずかしい」というようなことではなく、純粋に自分の興味関心から来るものです。大人になったらいつか自然に知るようになるのかなと思ってきたけど、どうやら自分で掴みにいかない限り知ることはできないということと、自分の望む出会い方は自分で機会をつくりださなければ滅多には訪れないということも理解しました。

 

またその出会いを自分一人で行うのではなく、誰かと旅する場をつくるという手段をとるのがわたしはより楽しいと思っています。わたしに知識がないことでも守人はできるし、ナビゲーターが別にいれば、場をひらくことができる。

 

今後の探求が楽しみです。

(やっぱりだらだらまとまりませんでした...。書くのって話すのより大変だ...!)

 

 

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