ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

なんでもかんでも楽しい日

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きのう悲しい日のことを書いたけど、きょうは二人とも打って変わってなんでもかんでも楽しい日だった。きょうは湿度が高く蒸し暑くて、わたしはほとんど息がし辛く、耳もなんかおかしかったし、移動も多かったけど、ちょいちょい嬉しいことがあったのだ。

 

息子のほうも迎えに行ったらもう準備万端で、図書館寄っていくよ!と駆けていき、なぞなぞの本をたくさん借りた。今はクイズ係さんなんだそう。

 

魚屋さんのトラックに遭遇し、にいちゃんおすすめのタコ足とたらこを買う。こないだ教えてもらったレシピで作ったたらこスパゲティがお気に召したよう。あしたの晩はたらスパで、その上に炙ったタコを載せてほしいって。

 

美術教室へ行って、息子が工作してる間、わたしも絵を描いたり、先生や他の生徒さんとしゃべりながら待つ。この美術教室ほんと好き。

 

美術教室の後に寄る約束をしているいつものお店で、さっき借りた本でなぞなぞを出し合う。わたしも10日ぶりにちょこっとお酒を飲んで良い気分。

 

帰り道、「6時間授業だとうれしいんだよ。だって隣の子といっぱいしゃべれるから」と息子。自分から話しておいて、即座に猛烈に照れている姿がかわいいなぁとにやにやしながら、うんうんと聴く。こういうとき親から茶化されるのがわたしは大嫌いだったので、息子の話をただ聴いて一緒に喜ぶ。

 

概ねこういう日々。ときどき雨。

 

どうにも悲しくなる日

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息子とは概ね楽しく仲良く日々を暮らしているのだけれど、どうにも二人とも悲しくなってしまう日がたまにあって、そういう日は迎えに行って目が合うと、もう怒りを発しているのでだいたいわかる。

 

きょうもちょうどそんな日で、待ってましたと言わんばかりに、次から次から、あれが嫌だこれが嫌だ、もうやめたい、どうにかしてくれ、などなど詰めよってくる。とはいえわたしに何か提案や解決をしてほしいわけでも、本当にそのことが嫌なわけでも、たぶんない。

 

ああ、寂しくて我慢することがあったり、言いたいことが伝えられずにもどかしかったり、悔しかったり、恥をかいたりしたんだろうかなぁ、と想像しながら、いつ、なにが、だれがと問いかけてみたり、あえてそれには触れずに肩を抱いてみたり背中をさすってみたり、あれこれしてみるけれど、どれも気に入らないようで、怒りはますますエスカレートする。

 

わたしはわたしでたくさん心をつかって疲れていたので、あまり大きく反応はせず、歩幅を合わせてゆっくりと歩くしかできない。こういうときにこどもの気分をパッと変えて笑わせられるお母さんやお父さんはすごい。わたしはそういうのが苦手だ。こどもが表現しているとおりの感情をただ受けとるしかできない。それ以外の気の利いた何かをまったく思いつくことができない。

 

わぁわぁ泣いたり怒ったりする息子に相づちを打ちながら、わたしの一日の終わりにときどきこんな時間があることを、ごく親しい人でさえもほとんど知らないのだよな、とぼんやり思った。いやいや、実はあの彼女も彼もこんな一日の終わりを過ごしている可能性だってあるのかもしれないけれどね...。

 

息子が怒りながらも「きょうごはんなに?」と聞いてくるので、「お、これはきょうはそれほどひどくないぞ」と内心思いながら「カレーだよ」と答える。

 

そうしていると、保育園の帰りとおぼしき自転車に乗った親子とすれ違った。お母さんが後ろに乗せたこどもに笑いながら話しかけていた。すると息子が急に静かな声ではらはらと涙を流しながら、「自分が悲しいときに楽しそうに笑ってる人を見たら、もっと悲しくなって泣いてしまう。そんな自分がいやなんだよ」と言った。

 

瞬間、わたしの目からも涙がこぼれた。「あーそれね、うん、ある。すごいわかる、わかるわー」と泣きながら言った。息子はちょっとびっくりしたような顔をしたが、黙ってわたしの手をつないできた。

 

家に着くと洗濯物を取り込みはじめる。いつもは声をかけないとやってくれないのに、きょうは自分から黙々とやっている。何か今自分にできて、すぐにわたしの助けになることを考えて実行してくれたんだなと思い、あたたかい気持ちになった。ありがとうと声をかけて、わたしは食事の支度をする。

 

息子がこども時代にちゃんとこどもでいられるように、一番近くの大人から愛され守られ大切にされていることを疑いもしないように、そういう日々を営めたらと願う。

 

わたしはわたしで、息子の前であっても泣きもすれば怒りもし、矛盾だらけでときどき一貫していて、葛藤しながら模索し続ける、親であり、一人の人間でいようと思う。わたしがわたしの人生を生き、この世界とあたたかいつながりを持ちながら、息子を育てていく。

 

二人でちょっと悲しくなる日は、大切なことを思い出す日でもある。

 

ことほぎラジオ第10話、配信しました

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12回完結のことほぎラジオ、ついに二桁になりました。おおお......。

 

今回は、けいさん、せいこが夏に出かけたそれぞれの旅のおみやげ話です。

音だけですが、晩夏の山本亭(葛飾区柴又)もなかなか趣があります。

リスナーさんが立会ってくださっていたのも新しい試みでした。その大きな存在により、いつもより集中して、じっくり考えて聴いて話した気がします。


収録・配信したことによってわかることがいつも生まれますが、今回は、旅に出る、身体を運ぶ、関わる、時間を生み出す、時間を共にする、体験する、記憶する、思い出す、物語る、創作する、鑑賞する......などについての考察がさらに深まったように思います。

 

聴いてくださる方には何が聴こえている、見えているんだろう。

聴いていると家事が捗るとか、遠くに行った気になったとか、何かいいこと、新鮮なことがあるといいなぁと願っています。

 

おたよりは、Blogのトップページ右上の、天使たちがお手紙を持っているアイコンをクリックして、フォームからお送りください。チャンスはあと第11回、第12回ですよ!!

 

 


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ALPS BOOK CAMP 2017

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7月最後の週末は、長野・木崎湖のほとりのALPS BOOK CAMPにいました。

alpsbookcamp.jp

 

ここのところ切実に求めていた「大量の淡水」を補給できて、とても満足でした。この日は初日かつ前夜祭ということで、ゆったりとはじまっていて人も多すぎなくて居心地よかったです。お店はまだそんなにたくさんは出てなかったけど、ごはんも飲み物もおいしくて、気持ちいい音楽が聞こえていました。寺尾紗穂さんの生歌が聞けてよかった。

 

木々のあいだにいて、山と水に囲まれている。湖畔。そうそう、この感じなんだよねと思い出す。わたしはやっぱりこうなんだよ、これがいいんだよ、こうしていたいんだよ。

 

ゆっくりと暮れていく湖を、ぽつりぽつりとおしゃべりしながら眺めていた。

松本のゲストハウスに泊まりました。閉まりぎわの銭湯に一人でのびのび入って極楽でした。

 

一緒に行った人は会った回数は3回とかなんだけど、いつも2時間ぐらい濃い会話をしていて、イギリスから帰国のときにはいつも会おうよと声をかけてくれるのですが、今回はいきなり「旅に出る」とかでおもしろかった。普段あまりそういうことはしないので。しかも前々から予定していたというのでもなく突然決まって。そういうのもよかった。

 

翌日は松本のまちを2時間ほど散歩して、カフェでモーニングして、おおこれが松本城か、開智学校か、と言いながらひと巡り。なんとなくここは、文化度の高いまち、というイメージ。

 

都市計画・ランドスケープと法整備の話にはじまり、建築、アート、金融、家族、パートナーシップ、戸籍、茶の湯、能、比較文化論、宗教学、小説、物語、移住、移民、ロンドン、大阪、東京、英語、日本語、公共私などなど、ずーっと話していても尽きず、楽しかった。

またいつ会えるかわからないけど、次回の「雪かき」を楽しみに、じゃあねと別れ。

 

思い立ってパッと行くのはいい。軽やかでいたい。

次回はお店やさんのほうで行ってテント泊するのもいいなぁ!

 

 

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明日8/25から!《生還せよ!秋田・上小阿仁村でアートと野生に捕らわれる3日間!》

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超直前のお知らせですが、あした8/25金から、金・土・日で秋田県上小阿仁村でアートプログラムがあります。わたくし、企画・運営で携わっております。

peraichi.com

 

「あら、ちょうど空いてるぢゃないの」
という自由に生きる女たちよ、ぜひ一緒にいきましょうーー!

 

東京から飛行機で行かれる方は、こちらがちょうどいい便です。 さっき見たらまだ空席ありました。

★往路★ 8/25(金)
便  名:ANA403
発着空港:東京/羽田 - 秋田
発着時間:09:50 - 10:55

★復路★ 8/27(日)
便  名:ANA408
発着空港:秋田 - 東京/羽田
発着時間:15:50 - 17:00

 

もちろん自家用車で来てくださってもOKです。

宿泊が旅館がなくなったので、村営の施設のみ、激安です。

 

この夏、特になんも思い出なかったわーって方、ぜひぜひ衝動的にいらしてください。山奥のマタギ発祥の村で開催中のアートイベントに入り、アート鑑賞と対話と交流がいっぱいの濃い時間を過ごしましょう。

 

朝&夕セッション、対話型アート鑑賞、きりたんぽ作り、温泉、アーティスト&村民との交流BBQ、食べられるほおずき狩り、アーティストさんとの共創ワークショップ、えとせとら。晴れたらめっちゃ星きれいよ! 

 

★お問い合わせはこちらから>>

秋田・上小阿仁村でアートと野生に捕らわれる3日間!お問い合わせフォーム

谷川史子原画展に行ってきた

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時間が経った話ばっかりUPしております...。これは5月の話。

 

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谷川史子原画展に行ってきました。

うわーん、よかった!!!!!!!

写真撮影可(一部不可)なのも、ファンにとってはうれしかった。


りぼんとLaLaの併読をはじめたころに谷川さんが現れて、絵もお話もすごく好きだなーと思って、りぼんを卒業してからもコミックを買って読んでいた。

最初のコミック「花いちもんめ」に入っている、おくんちのお話がやたら切なくて印象に残っている。「きみのこと好きなんだ」「各駅停車」「くじら日和」の時代もいいし、大人になってから読んだ「忘れられない」「積極」「くらしのいずみ」「吐息と稲妻」も好き。

谷川漫画のどんなところが好きなんだろう、と考えてみたけど、平安時代の和歌っぽいんだなぁ。気持ちの表し方とかが。他のところでは「そんなこと起こるわけない」「こんな人間いるわけがない」と物事を斜めに見がちなわたしも、このゆるぎない「可愛い」や「トキメキ」や細やかな線描の世界にいると、自分の可愛い部分が喜んで顔を出してくるという感じがしてうれしい。そう、うれしくなる感じなのだな。

恋っていいね〜 いや、恋というのかなんというのか、「仮に恋としておく、名前のつけようのない感情」みたいなもの、かな。

 

それにしても漫画の原画って、ほんとうに溜息が出るくらいきれい。

 

 

★関連記事も貼っておきます。

www.comicsync.com

 

www.comicsync.com

 

www.comicsync.com

 

 

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N.S.ハルシャ展を観た

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4月末、森美術館に「N.S.ハルシャ展」を観に行った。

www.mori.art.museum

 

ストレートな表現をあれこれ考えずまるごと観たような感じ。皮肉も傷みも描かれていて、怒りや悲しみもあるのだろうけど、表現自体はあんまりねじれていない。深みがないというわけではなく、心持ちが軽いというのか。

宇宙の中で起こっているある一つの出来事を描いていたり("A long time ago in a galaxy, far, far away...")、単に一つの部屋から別の部屋へ移って行くようだったり、別の人間がこの地球上で自分と同じことをしていたり、世代を変えて繰り返していたり...。自分と世界をつないでいるもののこととかも考えたな。

ハルシャさんの宇宙観の中で、自由に安心してじゃぶじゃぶ泳げる。

ボス2人と一緒に観てお茶しながら感想を話せたのもよかった。1人は秋田、1人はベトナムホーチミンを起点に世界を飛び回っているので、話が多岐にわたっておもしろかった。誰と観に行くかで見え方が変わるのはいつもとても楽しい。


美術館を出たあとに、個別性について考えながらまちを眺め歩くと楽しい。

 

 

「ここに演説をしに来て(Come Give Us a Speech)」2008 N.S.Harsha: Charming Journey

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「ネイションズ(国家)(Nations)」2007 / 2017 N.S.Harsha: Charming Journey

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「息子よ、よいことを学びなさい」「よいことってなに、ママ」("Learn good things my son" "What are good things mama")2003 N.S.Harsha: Charming Journey

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「私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る(We Come, We Eat, We Sleep)」(部分) 1999-2001 N.S.Harsha: Charming Journey

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「空を見つめる人びと(Sky Gazers )」2010 / 2017 N.S.Harsha: Charming Journey

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映画「人生フルーツ」を観た

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5月初旬の話。

 

ポスターからの印象の、「丁寧な暮らし」とか「ほっこりほのぼのいい気分」じゃない、ずっしり重くて強い力。今のわたしにとても関係あるのかも…と思った人が集まってきたのか、満席&パイプ椅子&階段までびっしりお客さんでいっぱい。


ことほぎラジオの第2話で桂さんが「自分の信じるものを信じるようにつくればいいじゃん」と言ってたのを思い出した。あるいは、どこかで聞いたか話したか読んだか、「自分自身が信じているもの、そのものに"なる"」こととか。


ふいに香港のことも思い出した。すべてが細分化され高度に分業化されている。自分でやらなくてもやってくれる人がいる。洗濯もしなくていい。ごはんもつくらなくなる。家から台所が消える。選択と集中により、できること、できなくなることが生まれる。そういう風に成り立ってる社会があることを知っている。あのような方向もある。取り入れたい部分もある。一個人でぜんぶすべきということではなくて。もちろん向き不向きとか得手不得手とか、能力とか事情でできないこともあるから、全部自分で抱えるということではなくて。

 

ただ、自分でもつくれる、可能性をもっていることを忘れないようにする。小さいことでも「やらない」判断をする前に、自分でやってみられないかの検討からまずしたいというか。「やってみる」の中にあえて面倒くさいことに取り組んでみる、それがどのように作られているかへの興味関心を失わないというか。プロセスを楽しむとか.......。

 

まとまりませんが。


信頼、信心、信念みたいなことを考えました。
観られてよかったです。

 

モンフィーユ、夏

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立秋を過ぎて、まだまだ暑いけれど涼しさも出てきて、夏がいつの間にか半ばを過ぎたことを肌で知る。

年々、気温も湿度も高くなり、かつて訪れた東南アジアの国々や沖縄の気候を思い出す。きょうは金子光晴の「マレー蘭印紀行」や「どくろ杯」の気分。湿度の高さも、雨の降り方も、人々の装いも、もはや南国の東京。それでもジャカルタと香港に暮らしてきた友だちからすれば、「こんなのはまだまだ」らしいが。

 

友だちが音読する永井宏の「モンフィーユ」を聞きながら歩いていたら、「おはようございます」と声をかけられてびっくりした。近所で雑貨とカフェのお店を営む夏子さんだった。

お店以外で夏子さんと会うとき、わたしはだいたい一人で歩いていて、そして一人のときわたしはだいたいのめり込んで考え事や心の旅をしているので、夏子さんが思い浮かべるわたしは、きっと鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしているんじゃないかと想像する。

 

考え事をしているときの人というのは、すごく機嫌が悪いように見えるので、子どもの頃からなんでも考え込むことの多かったわたしは、あまりフレンドリーな人とは思われてきていなかっただろう。話すとけっこう朗らかだと思うんだけど。

 

友だちのとつとつとした優しい声を通して、アロハ柄の傘、枯らしてしまった植木鉢、17歳の老犬、夏の雨が降るハワイ…などを浮かべていたら、ふいに涙が出た。

ああ、そうか、今わたし、いたわりとねぎらいと、居てくれること、祝福がほしかったんだな。

 

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読書会『いのちを"つくって"もいいですか?』をひらきました

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ひらきました、といっても、2017/1/29の話です。どんだけ前...。時間が経ってもう少し気持ちが進んで書けるかなぁと思っていたのですが、結局何も書けず...。こういうのはすぐ書かないとダメですね。直後にFacebookにUPしたものに加筆して転載します。とりあえずの記録にFacebookTwitterは本当にありがたいツール!

あの時点では想像もできなかったようなことも、現実の世界では日々起こっています。でも不思議と怖れるだけではない自分がいるのは、この場で話ができたおかげなのだと思います。

 

▼告知ページ。どんな意図をもって場をひらいたか。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

読書会『いのちを"つくって"もいいですか?』をひらきました。

終わったら、自分の全機能を使い尽くしたようで、帰ったらもう眠くて眠くて、小一時間ほどぐっすり眠りました。とにかくこの場に心身の調子や集中度を合わせ、環境を整えてこられて、無事にひらくことができて、本当によかったです。

言葉や文章のプロである潤さんと、場をつくり続けてきたわたしとで、大切に慎重に考えはじめ、参加された方々と共につくりあげた2時間の小さな場。来てくださった皆様、ほんとうにありがとうございました。

最初にわたしが聞き手になり、潤さんからこの本の生まれた経緯や、編集の過程で大切にしてきたもの、対話を進める上での共有事項などを話してもらい、その後、集った9人の「このテーマについての話」を一巡しました。時間帯としては前半でしたが、この時間こそがきょうのクライマックスでした。もしかしてわたしたちはきょう、それを聴くためにここに居合わせたのかもしれません。いのちをもって、今ここにいる、一人ひとりの生の存在や言葉を。

死や命などのテーマを扱うとき、慎重で丁寧ではあるけど、恐れずに場にいたい。一人ひとりの声が聞きたい。そういう気持ちを確かに反映する言葉が、自分の内からあがってきてほしい。そう願ってひらきました。それに応えてくださるかのように、誰一人として、「難しいですよね」という言葉で締めなかったことに驚いています。考えきる、濁さない、ごまかさないという、一人ひとりと、場の意思を感じました。

 

「『社会が望んだから、社会が決めたから、科学者が進める』と言う。その社会が『ムード』のようなものであってはいけないのではないか。個人に責任を帰して追い詰めるような選択のあり方はおかしいのではないか」

「ある一線からは鳥肌が立つほど『気持ち悪い』と感じる、その感覚を見過ごしてはいけないのではないか。その一線とはなんなのか。善悪や正誤の判定の意図からではなく、ただ知りたい、わたしたちが本当にほしがっているものは何なのか......」

「望むと望まぬとにかかわらず、既にそこに選択肢があると知ったら、やはり手にとってしまう。それに苦悩、煩悶しながらでも選ぶことの先にもきっと幸福はある。人間としての成長もある。でも、そもそも、その手段は誰が何のために生み出しているのか。誰がここから先はするべきでないと線引きするのか」

「それが当たり前になりすぎることが理屈抜きで怖い。選択の苦悩さえも取り除く力の働き、『できないよりできたほうがいい』という無邪気さ。でもその結果は誰も引き受けられない。未知の領域だから。参照すべき情報が増え、何が本当かを見分ける日々の選択だけでも大変なのに......」

「男女で引き受けている責任の非対称性がある」

などの話も出ました。

 

立ち止まって考え、「このことについて、今の自分としてはここまでは考えた」「あの人たちと、あの時間ではこのことがわかった」という小さいけれども確実な、身体性を伴う手応えを、場をつくることで積み重ねていけたらと願います。わたしなりの祈り方として。

機会さえあれば、このような場の設定さえあれば、考えたり話したり聴いたり、本当は多くの人はしたいのではないでしょうか。

重いのかもしれません。でもこういう重い話ができなければ、なんのために生きてるのか、わたしはわからなくなります。そういう自分を無視することができない。

たとえ時代の足のほうが速いとしても、諦めたくない。

人間が本当に嫌になる。でも人間を信じたい。

叡智というものがあるから。最後の最後まではわからないから。

 

わたしはいつでも希望と願いをもっている、ささやかないのちです。

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▼参加された方のご感想。ありがとうございます!

eriie.hatenablog.com

 

▼今回の読書会の相方・潤さんのBlog。この本にまつわる話、参考本などぎっしり。

note.mu

 

▼潤さん、参加者さんが持って来てくださった参考本たち

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「台北ストーリー」でエドワード・ヤンにまた会えた

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まさか観られる日が来るとは!

エドワード・ヤンホウ・シャオシェンの青春のすべてが凝縮されていて眩い。夢のように過ぎた時代。戒厳令下の台湾総督府前のシーンの奇跡。すべてのカットが、セリフが、詩的で音楽的で美しい。日本が字幕文化でよかった。

急速な成長を遂げる都市。若者たちは多くの可能性に満ちている一方で、前世代の価値観からの離脱症状に苦しんでいる。きらめくネオンサインの下には、置きざりにされた過去が同時並行で生きており、そこから目を背けることはできない。

未来を見つめているはずなのにどこにも行けない虚しさ。確固たるあてもなく連呼されるアメリカという地名。ここにはないどこかへ衝動的に脱出を試みたところで、欲しいものは何一つ手に入らない。何がほしかったんだろう。それでも、どうにも有難いことに、人生は続き、時代は移る......。

 

エドワード・ヤンの映画は、「恐怖分子」から「ヤンヤン夏の思い出」まで全て観た。観た劇場のある関西のまちの記憶とも相まっている。学生時代の友人の顔も浮かぶ。だから今回観たときも、好奇とも理解とも共感とも違う、懐かしい夜の水に身を浸すような感覚があった。

エドワード・ヤンは10年前に亡くなった。かつての盟友ホウ・シャオシェンの監修により、この4Kデジタル修復版が作られて上映され、「牯嶺街少年殺人事件」のリバイバル上映が好評を博し、DVD化もされていて、なんというか今もう、「我が永遠のエドワード・ヤン」みたいな気持ちでいっぱいである。

 

それにしても主人公の君らタバコ吸いすぎや。

 

大英自然史博物館展がよかった話

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「大英自然史博物館展」2017年3月18日〜6月11日 国立科学博物館に行った記録。直後に書いたので興奮気味ですが、そのままで。。

 

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大英自然史博物館展、圧巻!!想像以上。人類がここまでのわずか300~400年ばかりの間にこの世界を探索してきた、その軌跡が描かれていた。その生命体自身の力が宿る標本の数々も素晴らしかった。限りなく美術展に近い博物展という意味で、大人のための展示だったかもしれない。


大英自然史博物館本体のほうに中学生のときに行ったけど、「珍品を駆け足で見た」みたいな記憶しかなくて、その意義深さとか全くわからなかった。しかし今こうしてまた出会えていることに感謝。長く生きてるとわかることが多い。


美術工芸品的な側面もあるのは、科学技術の発展が学者だけの力によるものだけではないことを証明している。というよりも、サイエンスの中にアート的な要素があるからではなく、アートの中にサイエンスがあるから、というのがふさわしい。いずれにせよ科学というのはそれ単体の狭義の「理系」ではないということを実感する。
17世紀、18世紀の、「これが同じこの地上にあるのか!」という人々や時代の興奮が伝わってくる。全てを収集し、把握し、分類し、分析し、解読したい!という人間の熱狂。もちろんその裏には、今の我々から見ると「非エシカル」と捉える行いも多々あるのだけれど。


オーウェン、ウォレス、ダーウィン、スコット、リビングストン、ロスチャイルドなど、別の文脈で知っていた人々がこの展示で語られ、各々の、全体の、全く新しい物語が立ち上がってきたことに驚嘆。企画した人々の物語る力。


山田孝之さんの音声ガイドもよくて、鼓膜が震える。「いい声してはるわ~」としびれた。さすがプロ。クイズ入れるのとかいい。制作はアコースティックガイド・ジャパンさん。ラジオをはじめてから音声ガイドが気になるこの頃。


博物館の8,000万点もの所蔵品の一部。かつては博覧強記の意味合いがあったものが、そうではなく。これからの人類が成すべきことを示唆するために、今、我々の前に披露されている。

 

本家(Natural History Museum)のサイト見てるとまたわくわくしてくる!

www.nhm.ac.uk

 

twitter.com

 

 

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ことほぎラジオ第9話、配信しました

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「人形の中に体はないんだよ」というちょっとドキッとするタイトルですが、怖い話ではないです。文楽の話、映画や小説の話をして、どこかに着地した模様。

前回のLightning Talk大会を経て、さらに渋谷のラジオにも出て明言できるようになったのは、好きや夢中を話すことは、この世のさまざまな事象を祝福(祈りのひとつ)する行為で、それを話す人間も聴く人間も祝福されてるんだ、ということでした。

最初からそういうことが言いたくて、「ことほぎラジオ」by ことほぎ研究室と名付けていたのですが、実際に9カ月やってきたことで、わたし自身が「やっぱりそうなんだ!」と感じられたり、「こんなふうにやってみました!」と記録が残せたかなぁと思います。

3rd quarterが終了し、残るは3回。

けいさんと取り組みたいことはいくつかあって、丁寧につくりたい、挑戦し続けたい、この先お互いがやっていくことにつながる何かを鼻歌う、とかとか、そんなことを考えています。

 

暑い暑い夏の日の、一服の清涼となれたらうれしいです。Please enjoy!

 


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リア王を観た

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先月と同じ時期に熱が出た。原因はだいたいわかっているので、根本治療が必要なんだろうと思う。この暑い時期に熱が出るのは、喪失の濃度が上がるようで本当にキツい。

 

さて、熱が出た日の昼間には友人と「リア王」を観ていた。やはりシェイクスピアはタイミングが合うごとにもっともっと観たいと思う。演出によって、演じ手によって、時期によって感じることが異なる。

今回は、なにやら身につまされる感情ばかりで、他人事じゃなさをひしひしと感じていたが、突きつけられて苦しいというよりも、「在る」ということに救いを覚えた。家族、親族間で、殺めるまではいかなくとも、愛憎入り乱れる感情をもつこと、非友好的な関係になることはあって然る。血縁というものの厄介さに、いつの時代も人間は苦しめられている。だからこうして必要とされて、400年以上も上演されているのだろう。

リア王の登場人物は、誰もが脆弱で浅はかで悪の一面を持つ。末娘のコーディリアさえも。古来から、信、義、忠、情、愛の物語は他にもたくさん語られてきたけれど、有限の人間と絶対的な約束をすること、しかも言葉にして誓うことの危うさや儚さ、甘言に溺れる愚かさが、殊に沁みた。裏切りがあり得るとわかっていても、そうしなければ生きてゆけない人間の哀しさがある。

黒澤明「乱」のシーンが何度もオーバーラップした。高校生のときに映画を観て、これはリア王も何かの折に観ねばと思い続けてようやく叶った形。

配布されたチラシ群の中にあった、佐々木蔵之介主演の「リチャードIII世」も気になる。ちょうど先日のラジオの収録のためにスクラップブックを見返していて、惑星ピスタチオのチケットを発見したりもしたので、これもまたタイミングかと。

 

読み聞かせ(3年生・7月)

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久しぶりの小学校での読み聞かせでした。
夏休み直前なので、「夏の冒険」をテーマに2冊選んでみました。

 

「はちうえはぼくにまかせて」(ペンギン社)

「ウエズレーの国」(あすなろ書房

 

夏休みにお出かけがない子がいるかもしれないという前提で、しかし、日常の風景が一変するようなドラマがもしかして起こるかもしれないよね。ちょっとしたひらめきから楽しくなるかもしれないし、それをみんなが喜んでくれたらもっとうれしい。子どもだってお金を稼いだっていいんだよ......などなど、こちらの胸にしまった思惑はあるとして、子どもたちはどんなふうに聞いてくれただろう。読み聞かせは子どもから感想を聞かないのが良いところなのだけど、きょうはちょっと聞きたい気持ちがあったな。あざとすぎたな、という反省があるからですね。

 

「はちうえはぼくにまかせて」は、4年ぐらい前に、遊びで原書から翻訳してみたことがあって、親しみのある絵本です。自分の翻訳とプロの翻訳とを並べてみて、「そうか、絵本の翻訳をする人は、こどものことをよく知っているし、言葉をメロディとしても聞いているのだ」と思いました。この本、かわいいんだけど、それだけじゃなくて、子どもがお父さんにぶつぶつ文句を言われても全然へっちゃらで、したたかなところがいいのです。

 

「ウエズレーの国」は、内容的に高学年がいいんじゃないかなぁと、非常に迷いましたが、息子がどうしてもこれを取り上げてほしいということだったので、思いきって出して見ました。親や同級生から「あいつヤバい」と言われいる子が、実はすごいアイディア、能力、実行力を持っていて、どんどん自分だけの国を作っていって、そのすごさにみんなも振り向くというお話。みんなと同じことがしたくないのは全然おかしなことじゃなくて、誰からも理解されなくても自分の好きなこと、やりたいことで一歩踏み出して、突き進んでとんがっていけばいいんだぜ!というスピリットは好きだし、必要な局面もあると思うのだけど、同時に支配的、強制的でもあるかもと感じている。結局最後はウエズレーの作り出すものにみんなが並んで受け取る感じになっているし...。それは一時のブームかもしれないし、害とは言いきれないのだけど...。どう捉えるかはその人それぞれで、子どもも大人も議論のしがいがある話だと思います。そういう意味で、5〜6年生に向いているのかもしれない。

 

きょうはテーマを設定してみたのもあり2冊とも同じような路線でいってしまったので、主人公を男の子と女の子(あるいは人間と人間でないもの)、外国と日本、昔話と今のお話、短いお話と長いお話、物語と科学絵本など、次回は意識して変えてみようと思います。10日前ぐらいから候補を挙げて、なんとなく組み合わせを決めて、練習して、一旦寝かせて、5日前ぐらいにまた見直して...ってするのがいいんだろうな。

 

読み聞かせボランティアさんは人気なので、1つの学期中にだいたい1回で、2回まわってきたら多いな!という感じ。それゆえに慣れがなくて、ほどよい緊張感をもって臨めているのがよいです。

 

はー、朝からひと仕事終えた気分。近所のカフェでモーニングして栄養補給して、さて、きょうも暑いけれどがんばろう。