ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する場づくりを通して考えることなど。

チャペック展がよかった話

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松濤美術館にチャペック展を観に行きました。

チャペック兄弟と子どもの世界
~20世紀はじめ、チェコのマルチアーティスト

 

やってるのは知っていたけれど、子どもの本の絵なら庭園美術館に行ったしな(フランス絵本展よかったです)……とスルーしかけてたら、前日に見た友人の激推し投稿に心が動いて思わず行ってきました。

 

この日は荻窪のTitleで今日マチ子さんの展示があり、在廊されているというので、どうにかはしごしようとして、結局体力不足で無理でした…残念。お会いしたかった。

 

チャペック展は、想像以上によかったです。

 

かわいい〜☆だけじゃない。チェコ、スロヴァキアって。そのあたりのことはたぶん3月の「積読本をひらく読書会」で持ち寄られた、『不自由な自由 自由な不自由 チェコとスロヴァキアのグラフィック・デザイン』を読んできたら、きっともっと受け取れただろうなーと思います。でも今からでも読もうと思います。

人の積読本なのにすごく影響を受けてるのはおもしろい。

 

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スケッチがどれもすごく小さいのが興味深いです。5cm*5cmぐらいの枠をとった中に鉛筆で描いてる。これきっと意味があると思う。

 

絵がかけてあるのがわたしの目線の高さで見やすい。たぶん通常の展覧会より低い。キャプションにもたくさんふりがなふってあるから、こどもの鑑賞者を意識してかな?

 

「長い長いお医者さんの話」はすごい懐かしかった!岩波少年文庫の青だったか黄色だったかのざらざらした表紙の手触りを覚えている。特に「郵便屋さんの話」は子どもの頃好きだったので原画が見られて、こんなところで会えるなんて!とたまらない気持ちになりました。

 

いつもの模写メモとってたら「デッサンは禁止ですよ」って注意されたんだけど、張り紙もなかったので、ほんとうにダメだったのかやや疑問…。物販もちゃんと買ったから勘弁してください。

 

線で捉える、グラフィカルに理解する、表現する、共有する、にここのところ関心があるので、わたしは行ってほんとうによかったです。ほんのちょっとだけ、なにかつかめた気がしました。

 

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なんで気になったのかと思ったら、ポスターの色と同じ!

 

 

 

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なんとなくこういうイラストが目に入る帰り道。

 

 

 

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久田工芸製のとびだし坊や。なぜこんなところに?

 

 

 

 

「ちはやふる-結び-」を語る前に考えたこと③

「ちはやふる-結び-」を語る前に考えたこと①

「ちはやふる-結び-」を語る前に考えたこと② 

の続きです。

あーだこーだの会で語る前に3回観ました。それぞれで考えたことのメモです。

 

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★鑑賞2回目

あーだこーだの会をひらくと決めてから、こんな感想が浮かんできました。

 

「結び」は「青春映画の金字塔」か…。「青春映画」に詳しくないけど、そう言いたくなる感じはわかる。その年齢にしかないもののすべてがあって、それが創られたものなのだけど、驚くほどわざとらしさがなくて一つひとつが覚えのあるリアルな感触を持っている。

 

映像の美麗さと演劇的約束と漫画のリズムがリアルな音と共に体感できる。個人戦から団体戦へ、その意味するところが深く。競技部分には特に丁寧なリサーチと監修と指導が入っていると思われ、そこまで描くのかという、思い切った踏み込み方をしていて驚く。娯楽性と本物さが両立している。

 

演じる人たちとスタッフとの前2作を経ての関係があるんだろう。作り手の彼ら自身が今を生きていて、優れる、強い、美しい、賢い、勝つにシビアにさらされ、問われ、逃げずに生きているのかもしれない。「こんなところでは終われない」と腹を括ることもおそらく。どうもこの結びは全く違う…。

 

わたしの状況や状態の変化もあるけれど、なにが違うのか?もう一度、確かめたくて2回目の「ちはやふる-結び-」を観てきました。

 

今回はストーリーがわかっているので、1回目で見落としてるところをだいぶ拾えました。メモを取りながら観てたら無印良品のらくがき帳100枚使い切ってました。

 

でも誰かがあーだこーだの会で発言した時に、「ああ、あのシーンのあれね!」ってわたしが確実に思い当たれるようになるには、あと1回は観たほうが良さそうな気がしました。

調べたいこともまた出てきたり。

 

ほんと何があったんだろう?てぐらい、上の句、下の句と結びの出来が全く違うんですよ。ただのおまけで撮ったわけじゃない。映画としても、競技かるたとしても、すごくいいのです。

もちろん実際の大会や試合でこんなのないよっていうのもあるけど、大事なのはそこじゃないというか。

 

一緒にあーだこーだの会をひらくゆきこさんによれば、漫画へのリスペクトも半端ないということで、映画だけ観てる人も、漫画から好きな人にもどちらも楽しめるように、本当にちゃんとなってるとこがすごいとのことでした。

 

そういう話も聞くとますます、「青春かるた漫画の実写化映画」の形をとりながら、すごく普遍的なことを伝えているように思えてきます。

 

そんなこんなで余韻に浸っているうちにあーだこーだの会はおかげさまで満席になりました。ご関心をお寄せいただいたのもうれしい。参加してくれる人がいるから場がひらける。「語る場があるから、映画観ようと思えた」と言ってくださる方もいて、すごくうれしい。そんな営みがぽこぽこできたらきっと楽しい。

 

パンフレットは3冊買ってみたけれど、濃度もやはり「結び」が最高に深まってて凄い。これも「ふつうあるもんだからとりあえず作った」て感じじゃなくて、愛があふれてました。わたしも読んでて付箋がべたべたに。やはり競技かるたへのリスペクトが半端なくて涙しちゃう。

いやー、あーだこーだの会ほんま楽しみ。

 

 

 で、結局もう一回ダメ押しで観たくなって前日に

★鑑賞3回目

同じ映画を2回以上映画館に観に行ったことがないわたしとしては、3回も足を運ぶとは異例で自分でもびっくりでした。中学生以来じゃないか。

繰り返すとき、今はまだ自分でもわかっていないことも含め、自分の人生にすごく関係があることが起こっているのだと思います。たぶん後になるとわかる。

 

競技かるた選手なら、あーそういうことかって思うような定位置。劇中でキーになってピックアップされた札(歌)はもちろん、それ以外の札もただ読まれているだけでなく、タイミングや順番も競技と歌の意味がわかると鳥肌もので、そのあたりの手抜きのなさが伝わってきました。

 

3回観て毎回同じところで自動的に涙が出るというのは…話には聞いていたけれど、そーかこういう感じなのか。うん、悪くない!

 

ピント外の人の表情や声に注目したり、札の流れを感じたり、何字決まりで取ったか。セリフも掛詞になってるのかとか。堪能しました!

 

翌日の語る会に向けて、いい調整ができた日でした。

 

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「ちはやふる-結び-」を語る前に考えたこと②

「ちはやふる-結び-」を語る前に考えたこと①の続きです。

あーだこーだの会で語る前に3回観ました。それぞれで考えたことのメモです。

 

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★鑑賞1回目★

ちはやふる」観てきました。息子と二人で気持ちよーく泣いた。
息子は嗚咽レベルで、
「太一ががんばってるぅう〜」
「いいチームになってきてるぅう〜」
「駒野くん、おつかれさまぁあ〜」
「もっとこのチームでかるたしたかったぁあ〜」
…など言っておりました。

映像の美麗さと演劇的お約束と漫画のページをめくっているかのようなリズムが体感できて、いやーよくできてるなぁ。団体戦にしぼって描いたのよかった。細かい背景が描かれないのも、軸がスッと通っていて、よかったな。

競技のシーンは、実際のかるたもああいう音がするのでリアルだった。本物の読手さんだし。かるたーじゃない友だちも言ってたけど、音よかった。うん、あれは映画館で聞きたい。実際の試合で読みの間であんなに待ってもらえたり、あんなわかりやすく表情に出せたら、おもしろいだろうな。

わたしがかるた会や練習会や大会で会う中学生、高校生、大学生は、いろんな環境や状況にいて、揺れやすく、期限つき、中でのかるたなんだなぁ。人生の土台の形成にかるたがきっと役立つであろう、彼ら彼女らのこの時に、わたしは一緒にかるたがやれて、うれしくありがたく光栄なことなのだな、とウルウル(T_T)しました。

「誰かのためにやるかるた」から、「自分のためにやるかるた」に変わっていく。どこかでそうならなきゃ突き抜けられない、自分の人生にならない。そこに健やかさがあってよかったな。その「かるた」の部分にはきっといろんなものが当てはまり、かるたをしていない人も、高校生ではない人も、ハッと胸をつかれるのではないかなぁ。

 

そしてもちろん「今すぐかるたしたいーーーー!!!」となりました。前回下の句を観たときとはまた全然違う、「かるたしたい」の感じ。わたしは変化しているんだな。

 

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大津パルコの建物の中にあるシネコンで観たのですが、他の店舗跡はぜんぶ改装でめっちゃ工事してる中、ものっすごいわかりづらい入口からこそこそ入ったところの7階で、映画館だけがいつも通りに営業してて、そこだけが生き残った廃墟の中の楽園みたくなってて、そういう設定のSFみたいでした。なかなかない体験。

 

琵琶湖はこの日も美しかったです。

 

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東京に帰ってきて、思い返せば思い返すほど、「結び」は映画としても、競技かるたとしてもよかったなぁという気持ちがわきあがってきて、もう一回観たいぐらいの感じになってるし、さらにみんなであーだこーだの会したい気持ちになってる......。

 

...とつぶやいたら、「ちはやふる」好きのかるたーではない友人が拾ってくれて、こちらの会をすることになったのでした。

chihayafurumusubiadacoda.peatix.com

 

かるたの聖地・文京スポーツセンター&かるた会館に近いカフェtotoruさん。店主が元競技かるたの選手。

そこで競技かるたと映画を愛するわたしと、吹奏楽と打楽器とちはやふるを愛するゆきこさんとひらくことになりました。

 

でもそれをひらくまでにあと2回観て、まだまだ考えたのであと一本書きます。

 

「ちはやふる-結び-」を語る前に考えたこと①

4月下旬にこんな会を催しました。

chihayafurumusubiadacoda.peatix.com

 

開催レポートを書く前に、そこへ至るまでにいろいろメモしたことをまとめていこうと思います。

 

今回の「結び」は観に行く予定でしたが、やはり競技かるたは自分の大事にしているものなだけに、どういう期待を持って観に行けばいいかなぁということをふわふわと考えていました。

ちょうど民放で2週連続「ちはやふる上の句」「下の句」を放映していたのを実家で録画しておいてくれたので、春休みで帰省したときに息子と二人で観ました。次の日「結び」を一緒に観に行くのでおさらいのつもりで。

 

すると、前回はなんら印象的ではなかったシーンに目が留まりました。

例えば「下の句」のこのシーン。払った札を取りに行った千早に、札を拾った奏が祈りを込めて渡しています。

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前回観たときは確か、「実際にこんなことあるのか?マンガ(創作)だからか?」と思っていましたが、今なら、「いや、ありますよ!」と言える。去年の東京都大会で実際にありました。かるた仲間が払ってわたしのところに飛んできて拾って渡した札は、「わがいおは」でした。そういえば2月の大会でもあったな。ていうか、すごくよくあるわと次々に思い出してきました。

 

 

例えばまたこんなシーンもありました。

太一「お前さ、試合中に流れが悪いとき、どうしてる?」
新 「は?」
太一「狙ってる札が全然出なくて、自分のペースがつかめないまま、気づいたら試合が終わってるみたいなとき。…新はないか…」
新 「......イメージや」
太一「え」
新 「立ち上がって、かるたが一番楽しかったときをイメージするんや」

これを観て、その数日前にあった横浜大会でのことを思い出しました。

一回戦 不戦勝、二回戦 11枚差負け。

決して敵わない相手ではなかったし、ミスも頻発していたのに、全然自分のリズムがつかめず、読手の読みともタイミングが合わず音が遠く、しまいには束負けとは...と情けなくて悔しくて泣いたのでした。

そうか!今度またあれが起きそうになったら、イメージや!

...など。そういうシーンが他にもいくつかありました。

 

そこで、「実はこの映画はすごく競技者として参考になることが描かれているのではないだろうか?」という期待がむくむくとわいてきました。

 

前回の下の句からの間に、わたしは何回か大会に出て、1月には近江神宮での大会で優勝して、かるた会に入り、かるたを通じて出会いもあり、かるたから教わることも増え...という月日を過ごしてきていたのでした。同じ映画なのに、時間を経て観ると全然違って見えるということはよく経験したけれど、その見え方が、同じ競技に自分も取り組んでるということによって、まったく違う味わいになっている、というはじめての感触に驚きました。

競技かるたをやったことがない人にもわかりやすいようにつくられていることにも気づき、制作サイドからの風景にも関心がわきました。

 

 

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ちょうど横浜大会は、「どうしてわたしはかるたをするんだろうか?」ということと向き合っていた頃でもありました。いつも向き合っているんだけど、しっかりと言語化してみました。

 

自分のかるたをする。相手の動きや気配や感情を全身で感じ取りながらも、自分のかるたをする。それを引き続き、「自分の仕事をする」、「自分の人生を生きる」としっかりつなぎながら、しぶとく諦めず、失敗や負けを恐れず、挑戦していこうと思います。

かるたの試合では、今自分が取り組むべきテーマが感情として出てきます。横浜大会のときは、反感や執着を覚える自分とそれから逃れたいとする自分との葛藤が内面に起こりました。それとどうかるたの時間中に向き合えるかで、試合が終わってからの自分の姿勢が変わるように思います。

 

わたしは小学生のときの水泳以来、スポーツに真剣に取り組んだことがなかったのですが、最近、アスリートがインタビューに「自分の走りをするだけ」「日頃やっているように一つ一つやっていくだけ」と答えている意味がようやく近い重みで理解できるようになってきました。

 

かるたには次の一枚を目指せることのありがたさがあります。

そう、次の一枚に何が起こるかは誰にもわからない、かるたのそこが好きなんだよなーと思います。

 

40代になってはじめての「道」に分け入って行くって楽しいです。

読書会「あさきゆめみし・宇治十帖編」ひらきました

4月下旬にして既に初夏の風薫る、金曜日の朝。前回の「シッダールタ」の読書会でもお世話になった、赤門テラスなゆたさんで「あさきゆめみし宇治十帖編」読書会を7人でひらきました。

 

こんな感じでお知らせしました。


asakiyumemishi0420.peatix.com

 

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正編(光源氏の時代)からのつながり、変化、繰り返されるテーマ。恋愛、婚姻と身分制度、宗教観。摂関政治の斜陽と末法思想にさらされる時代の閉塞感。二択のうちのどちらを選ぶのか、あるいは第三の道を自らひらくか。正解のない中で葛藤しそれぞれの道を選ぶ登場人物たち。正編のときには感じなかった、今その場に起こっていることに立ち会って、登場人物たちを見守っているような視点は、誰のものなんだろう。(もしや光源氏?)

 

 

今回の発案者&ファシリのまゆみさんと話して、「あさきゆめみし」はあくまで大和和紀さんの解釈を漫画として表現したものであるが、源氏物語の時代背景、文化風習など一定の事実や研究成果が明らかなものは、はじめに抑えておくと、安心してあーだこーだの本領を発揮できるね、となり、資料を集めて「プリント」を作り、冒頭で共有させてもらいました。

専門家でないので間違っているところもあったけど、詳しい人がいると補完し合える場になるので楽しい。知に知が、経験に経験が重なって、豊かになる。

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感想としては、いつも言っていることだけど、とにかく楽しかった〜!

 

大人になってもう一度出会うあの頃の自分。

酸いも甘いも噛み分けてきた経験が人生の豊かさに変わって、自分を生きながらも、同時に違う視点も楽しめている。みんなの話がとにかくおもしろい。

 

千年前に書かれたものを、脚注の力を借りながらでも原文で読める、少なくとも学生時代に習いはした、というところが実はすごいことなんだと知れたのもよかった。

原文でも読みたいし、いろんな人の訳(解釈)も読んでみたいという声も出ました。

 

平安の世も、女たちはこうしてサロンで、「源氏物語の続き読んだぁ?」「どのキャラが気になる?」なんてお話したんだろうか。

 

今回もなゆたさんがプレートを出してくださっていた。ありがたい!

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第3回 学びのシェア会に参加した!

友人たちと隔月でひらいている「学びのシェア会」。

第1回のことはこちらに書きました。

 

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毎回この会が楽しみで、最後に「きょうの収穫」を話すときもだいたい「楽しい!楽しいしかでてきません」なんて言ってるわたし。

 

何が楽しいんだろうなぁと考えてみると、やっぱり好きな人や尊敬してる人に向かって話せるのがうれしい、ということがまずあると思う。「わたしこんなことを考えたんです!こんな学びを得たんです!」という話を一生懸命できて、その人たちがまた丁寧に聴いて、ご自身の学びや経験と結びつけたりしてフィードバックしてくれるのがうれしい。

その話も、どれだけ親しくても友人同士で話しているときと、「学びのシェア会」として設えられた場で話すときはやはり違う。演者と聴衆のほどよい緊張のある関係が生まれる時間が心地良い。

話すための準備の期間も、話している最中も、話終わってからも、自分が取り込んできた様々なことを一つのテーマで語ること、聴いてもらうということはこんなに充実した学びになるんだということに、いつもわくわくする。

そしておもしろいのは、学んだこと=わかったこと、でもなく、結果これがわからないということもでてくる。ゆえにまた次への探究心が湧く。まとめたつもりで、まとめればまとめるほど、終わらない好奇心。楽しい。

 

これは一生遊んで暮らせる!

 

・・・

わたしは、「自分の声を録って聴いてみたら案外いいやん♡の話」を発表しました。

自分の声を聞くのが辛い、恥ずかしいと思っていたわたしがポッドキャストをやっています。何をして自分の声に慣れたのか?慣れたら自分への愛情を深める大きな一歩だったかも?ポッドキャストをやっていない方でも、自己肯定感てなんなのかよくわかんないけど、低いなどで悩んでいるなら、声を録って聴くといいかもしれない?!という仮説を語ります。

自分で言うのもあれですが、なんだかおもしろそうでしょ?

 

だいたいこんな話をしました。----

わたしは、友だちと一緒にお芝居の台本を作ってカセットテープに録音したり、演劇クラブに入って全校生徒の前で演じたり、国語の時間の音読で当てられると嬉々として読んでいたり、働きだしてからは講師をしていたり、コールセンターで働いたりしたこともあったりして、人前で話したり、声を聞かれるのはわりと好きなほうです。上手かどうかは別として。

ただ、インタビューやポッドキャストでは、どちらかというと素に近い自分がまるごと出てしまう感覚があって、最初は声を聞くのが辛かったのです。役を演じるとか、仕事だからという名目でやるのだったらOKだけど、台本なしで自分のことを話すのは、「あー、あたしってばかみたい!穴があったら入りたい!」という気分になる...。

でも、ポッドキャストを1回の配信分あたり何十回と聴いたり、相方さんと話の内容を徹底的に分析したり、配信するべきか、どう編集するか、何を話すかどう話すか、毎回毎回議論を重ねたことで、だんだんとメタに捉えられるようになりました。

そして配信してみると、聴いてくださった方が、「声がいいね」「話し方がいいね」と言っていただけたりもしてうれしかったです。話し方はわからないけど、声ってなかなかごまかせないものだから、その部分でいいねといわれるのは自信になりました。

わたしにとっては、一緒に何かをつくる経験や、自分を表現する場の中で、次第に自分がぴったりしていったということが何より大きかったのだなぁと今思います。

今や自分の声を聴くと、妙な落ち着きを感じるまでになって、自給自足してます。

 

かといって、ポッドキャストって誰でもやりたくなるものでもないし、自分の声を録音して聴くことなら、例えば自分の好きな本を朗読して録音してみる、それを絶対に笑わないで、むしろ愛おしく受け止めてくれる人に聴いてもらうところからでも、ちょっとやってみるのもおもしろいかもしれません。

...と、ざっくり書くとそんなような話をしました(確か...)----

 

 

話し終わってから、「今の話をどう聞いた?」で、参加者さんから「自分の声が辛いのは、話している内容や状態が自分自身とぴったりきていない、ズレを感じているから起こるんではないか」という発言が出たり、例えば相手との関係によって声のトーンが変わったり、うまく場が進むことを目的にしていると内容にも違和感が出たりすることもあるよね(「自分じゃないような感じがする」というやつ)という話題も出ました。メモしきれなくて忘れてしまったけど、うん、やっぱりこの時間がすごくおもしろいし、学びを深めていただいた!という喜びがある!!

 

 

満面の笑みの発起人のライチさん。かわいい♡

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ライチさんのブログ記事。

ameblo.jp

 

この型でひらく場合の注意事項も書いてあります。

おもしろそう〜って思ったら、ぜひお友だちを集めてやってみていただきたいな!

プーシキン美術館展がよかった話

今年は時間の使い方をいろいろ試していて、展覧会や映画など、わりと厳選して観るようになっています。

 

そんな中でルドン展、ミロコマチコ展、そして先日行ったプーシキン美術館展はどれもわたしとしては大当たりでした。しかも全部ご招待で入れたところがうれしい。


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pushkin2018.jp

 

特設ウェブサイトはカッコいいんだけど、ちょっと入りにくい感じがして、少しさわってみたのだけど、どんな展覧会なのかわからないまま閉じてしまいました。風景画もあまり興味のあるカテゴリーではないし...と思い、招待券をもらっていなければスルーしているところでした。でもポスター大のチラシはとてもインパクトがあったので、2月にひらいたコラージュの会で、これを台紙にしていました。部屋に貼っていつも眺めていたモネの絵。これだけでも観に(会いに)行く意味が自分にとってはあるなと思ってはいました。

 

今年の初夏は片付けに取り組んでいたのですが、片付けをがんばった日のご褒美として、目標にしているところまでできたらプーシキン美術館展に行こうと決めて、予定通り達成したので、16時前でしたがすべりこんできました。

 

 

5月上旬の新緑まぶしい季節に当ててきたんでしょう?と言いたくなるような、外の世界(上野公園) から美術館の風景画の世界へ、そしてまた外へ出て…絵の世界が続いている!

 

世界は美しいなぁ......

 

というのがまず感想でした。


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同じく東京都美術館で開催されたボストン美術館展のときも思ったけど、実業家の皆さんの「愛する祖国に芸術を」のエネルギーがすごい。どうしてロシアの美術館でこんなにフランスの絵画を?という疑問にもちろん展覧会は答えてくれていました。

 

また、この展覧会でのわたしにとっての最大の収穫は、「風景画をどう楽しめばいいかがわかった」ということでした。17世紀から19世紀へ、聖書や神話の中の理想としての自然や、単なる背景としての風景が時代を追って、人々の現実の営みに沿った主題に変化していく展示の流れや解説はとてもわかりやすかったです。

 

17世紀の「近代風景画の源流」の部屋は、とにかくみんな廃墟萌え!城の跡が舞台になっていたり、遠景になってたりと廃墟が欠かせない感じで。崇高や畏怖のモチーフとしての廃墟の扱い方は、昔も今も変わらないような気がします。

 

印象派の時代に発明され普及したスクリューキャップ付きのチューブの絵の具のことがオーディオガイドで出てきましたが、画家たちがまさにその風景を前に、直接キャンバスに絵の具をのせている興奮も伝わってくるということがあります。スケッチだけしてアトリエへ持ち帰って記憶の中のイメージを膨らませて描き込んでいた時代は、それはそれで美しいのですが、屋外で描けるようになってからの絵画はどうも興奮、情熱、生のエネルギーが断然 違うという気がしました。

 

19世紀半ばからガス灯が発明され、19世紀半ばには配電網が敷かれ、鉄道網も発達し、移動して余暇を過ごすという文化が生まれていく勢いも、展示を追っていくとつぶさに感じられます。

 

いつものように作品シートに模写メモをとりました。こうしておくとその絵に自分が観たものが思い出せる。メモは自分にだけわかればいいので、巧い必要はまったくないのがいいところ。最近はバインダーと8Bの鉛筆を持参するようにしています。

 

ボナールやドニ。去年の今頃に「オルセーのナビ派展がよかった話」というポッドキャストの番組を配信したので、ナビ派の人たちに会えるとうれしくなってしまう。
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このあたりの時代もよかった。
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今回一番好きだったのはこの絵かもしれない。冷蔵庫に貼っています。
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50才で宝くじが当たって絵に専念したという、アルマン・ギヨマンの作品もよかったし、友人マティスと訪れた港町を描いたフォービズムのアンドレ・ドランも服にして着てしまいたいぐらい好き。

 

ツイートを引用させていただいたこの絵は、モニターで見るとなんのことだかって感じなのですが、本物を見ると迫力です。

 

模写メモしていて思いましたが、風景画だけをこんなにまとめてじっくり観ることもあまりないし、全体で見てもこんなに好きな絵ばかりが並んでいる展覧会はもしかしたら大人になってはじめてかもしれません。そのうっとりした感じが、3週間ぐらい経ってもまだ消えないのは、今の季節が絵の中に描かれたように美しいからかな。

 

森を散歩するようで、とても気持ちよくて、絵を見るのっていいなとか、自然って美しいなとか、とにかくすごくいい気分になる展覧会です。

2018年7月8日(日)まで。

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音声ガイド。BGMもよかった。
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