ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

あなたがいてくれるから見ることができる:大地の芸術祭に行った話

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8月に越後妻有トリエンナーレ・大地の芸術祭に行きました。仕事終わりの夕方から一泊二日。めったに乗らない上越新幹線にどきどきしながら。

 

前々回ぐらいから、行ってみたいなーと言ったのを覚えていてくれた知人?友人?(これまた名前のつかない、しかしとても信頼している方)のツアーに乗っけてもらいました。ご家族が芸術祭の運営関係者で、1回目からずっと訪れているということで、詳しいお話も聞けるし、その方のつながりで集まった魅力的な方々との交流も楽しかった!

 

丁寧で風通しのよい場で、どこに行くにも安心して、のびのびと心地よく過ごせ、居たいように居られました。知らない人の中にいても気疲れしてない自分にびっくりです。

 

昨年のちょうど同じ日に、秋田の上小阿仁村の芸術祭「かみこあにプロジェクト」に行っていたことを思い出しました。(そのときのことを書いた記事がこちら)もともと大地の芸術祭の飛び地としての開催だったので、なんとなくご縁。そして越後妻有の津南町にはマタギが南下して住み着いた集落もあると知り、マタギのルーツである上小阿仁村からの流れを感じるなど、わたしにとって、ちょっと特別な旅路になりました。

 

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短くも濃い体験から感じたこと。

 

その土地や建築物の歴史や文化、物語や文脈を取り込み、人とのかかわりの中から触発されてできた作品たちは、そこにそれらが在ることの意味が、理屈でなく、今この瞬間に身体ごと感じられて、とてもエキサイティングでした。作品が大きいので、細部が見きれなくて身体で感じるしかないんですが。

 

大きな美術館の企画展示などの、中身の入れ替え可能なスペースに置いたのとは全然違っていて、やはり芸術祭はおもしろいなァ!とわくわくしながら回りました。恒久作品の経年変化を聞くのも、継続している芸術祭ならではのおもしろさです。

 

人と自然という大きなテーマに、芸術祭にかかわる人たちが橋を架けてくださり、ツアーの場を通じてアートに橋を架けてくださったことで、大きく豊かなギフトをいただいたように思います。好奇心が満たされ、理解が深まる喜びがありました。

 

風景や作品を前に、皆さんとちょいちょい感想を話せたのがやっぱり楽しかった。美術館と違って、しゃべり声を気にする必要がないというのはいいものです。

「あれも作品じゃないの?」「いや、ただあるだけでしょ。でもそう見える」みたいな会話をしていて、あーそうそう、これだよね!こういうのが楽しいんだよね!とにこにこしてしまう。

 

 

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途中で、ディレクターの北川フラムさんが、今回かなり力を入れてフィーチャーされている磯辺行久さんの作品が展示されている、清津倉庫美術館にてレクチャーしてくださいました。ここの体験が、まだ消化できていないのだけれど、とてもよかった。よかったということだけ記しておきます。

 

 

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一晩泊まった、結東(けっとう)という集落が、かつて明治から昭和の間の43年間、極僻地のために義務教育を免除されていたという不名誉な時代があったと聞き、絶句しました。その間は村の有識者が読み書きそろばんを教えながら、小学校を建てる運動をしていたそうで、そうして建てられた小学校も、今は市町村合併や学校の統廃合で廃校となり、芸術祭を機に宿として生まれ変わっている。近くには、西川美和監督の映画「ゆれる」でつかわれた吊り橋もある。最後の民家がなくなってから、マイクロバスが脱輪しそうな細く険しい山道を20分行くような山深い地です。そこでも人は稲を植え、熊を獲って生きていた。

 

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わたしの生い立ちはどちらかというと日本史の教科書に出てくる出来事の端っこみたいなところにあって、そこから追われたり、そこに入らない土地や人の物語には疎い、自分の無知さを思い知って頭を殴られたような気持ちになりました。狭い。。

 

豪雪地帯の暮らしのこともずいぶん考えた。見たことのない家のつくり。長岡に行ったことはあるけれど、やはり融雪設備が充実しているところと、この山深いところでは全然違っていて。冬寒いところだから夏はさぞ涼しいのだろうと思ったら、「大陸からの湿った風が」山にぶつかってもたらす湿度の高さや雨に日中は少し参ったり。身体を運んでみないとわからないことがある。

 

 

途中で、今お店で一緒に働いているあおいさんに会えたのもうれしかった。知っている人と遠くのまちに行って、知っている人がまたいてっていうのおもしろい。

大地の芸術祭くらい大きくて知名度も上がると、こうやって3年に一度、大規模に人の移動が起こり、あらたな接触が生まれたり、時間差で出てくる事実があったりして、それは少し上のほうから見ると攪拌されて電気が生まれているみたいで、おもしろい感覚です。

 

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いろんなことあったけど、今ふりかえってあえて言葉にすると、「あなたがいてくれるから見ることができる」という体験だったかな。

 

 

また次回も彼女のツアーで行きたいなー。

あと、瀬戸内芸術祭も。船酔いがなければ、ほんと行きたい...。

 

 

 北川フラムさんの記事。

webronza.asahi.com

 

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ガイドブックが刷られた時点ではまだ完成していないので、掲載されているのはラフスケッチという作品も多い。実物と見比べて、「全然ちゃうやん!」とツッコミ入れるのもまた楽しい。

 

 

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雪の重みで曲がる杉。

 

 

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youtu.be

 

 

 

願いを込めるコラージュ、秋分の日にお待ちしてます

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2018夏至のコラージュ

 

秋分のコラージュの会の前に、6月21日の夏至の日につくったコラージュをじっくりと見返してみました。(レポートはこちら。)

 

このときどんな状態で、どんな気持ちでつくったのだったか。

 

たしか、友だちの市民オケを聴きに行ったぐらいのときで、それでハーモニーとか、楽器とかが真ん中にきている。

プーシキン展のチラシは前々回の、節分のコラージュでも使っていたけど、全然切り取り方がちがっていて、この男女を友人同士に見立てて使った。

自分の顔をどこかに入れたかったのだけど、写真をそのまま貼るのではないなにかをと探していて、なんとなくぴったりくる女の人の振り向いた感じのイラストに★のシールをつけて。

全体的に黄色に惹かれていたこの頃。

 

「体が動けなくなっても歌い踊り続けよう。」

「ラジオ」

「それぞれの「気持ちいい」のかたち」

「HAPPINESS!」

「L'incontro(出会い)」

「釜茹上等!盗んでGO!」

「ーーもっと遠くへ。」

など、いつも決意を込めることが多いけれど、一つひとつワードも胸に沁みる。

多くのものが、「わたしは、その通りだ。わたしはそのものになっている」と今思える。

 

ちょうちょを3匹飛ばしたのは(羽がパタパタするように貼ってある)、変化の象徴として、そして画面に軽やかさを出したくて。

大きなざるそばや明太子のお茶漬け、自家製の何かを詰めた瓶や台所には、「食」への関心が見て取れる。お店ではたらくことも決まっていたので、量のボリュームのことを考えていたし、それから影響を受けて、自分でこつこつ作ったり、生活を整える楽しみもたくさんあった。

 

少し暗い右下の画面やモノクロの木の枝は、自分の中の夜の部分。大事にしている。

オリオン座を貼って、さらに先の秋や冬の季節も見据えている。

 

でもこのときからまた状況や状態は変わっていて、またぴったりのコラージュがつくれると思う。

今までお守りでいてくれてありがとう。

 

 

6月21日から一歩一歩あるいてきた道のりや瞬間を思い出して、あたたかい気持ちになるのは、この日、みんなの前で話して聴いてもらえたからだなぁ。

この日の場の光っていた、まさに「光景」、光さす部屋を思い出す。

「亡くなったあとも、思い出すのは笑顔ばかりでした」という感じに似ている。

 

 

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↑ 2015年ごろにZINEのためにつくったもの

 

願ってもよい。

ということをいろんなことが起こると忘れてしまう。

その願いに手を伸ばすことを阻むものを、そっと持ち上げて脇に置いてみたら、その下で本当に小さく優しく震えている願いはなんでしょう。

自分で自分をうれしくする、幸せにできる。ということを、わたし自身も確認したくて、光を他の人たちとも分かち合いたくて、この場をひらいています。

 

 

 

この会、節目を迎えている方にとっては特に、印象的な時間になるようです。

三時間半、じっくり話したり、書いたり、自分と対話しながら、時間をかけてつくっていく集約型のコラージュです。

 

未来が漠然としている方には、最初の一歩の光に。

道が見えている方には、自分自身とのつながりをより強く感じる土に。

 

今回は秋分の日につくります。

二十四節気のひとつ。昼夜の長さがほぼ等しい。お彼岸。天秤座のはじまり。

 

 

タイミング、お気持ち合う方のご参加をお待ちしております。

心を込めてガイドいたします。

 

collage-2nd.peatix.com

 

 

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↑ 2016年の年末のコラージュの会でつくったもの

 

 

聴く、一緒にいる


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「学校で一番好きなのはスクールカウンセラーの先生」と息子。前の先生も大好きだったけど、新しく来た先生とも気が合うようす。「そういえば今年は相談室行ってないなぁ」とぽつりと。「そっかぁ、行ってないんだねぇ」とわたし応答。

 

きのうの夜は、「落語の音読をしなきゃいけないけど、すごく恥ずかしくて読めない。でも学校の授業の本番で読めるには宿題でやっておかなきゃいけない」とものすごく葛藤し、号泣していた。

 

内容としてはわたしにはまったく覚えのない葛藤だけれど、共感はすごくできて、「ふたつの気持ちに引かさかれちゃってるんだね。わたしそれどうもしてあげられないけど、一生懸命聴いてるから、してほしいことあったら言ってね」と伝えると、「おかあはぜんぜんぼくの話をきいてくれない!」と風呂に入って泣きながら寝た。

 

朝はサッと起きて「おはよう」と挨拶し、音読のことには触れず、近所に新しくできたパン屋さんの味が変わらないことと、冒頭のやり取りをして出て行った。

 

 

その後、どんな一日を過ごしていたか、言葉や様子で聴かせてもらえることもあれば、まったくわからないことも。

 

でも生きていれば、この先はわかんないからね。今この瞬間と、ちょっと先と、いつかと、いろんな時間や時を感じながら行こう。

 

聴く、聴いてもらえる、いてくれる。

 

ただそれだけのことが難しかったり、タイミングが合わなかったり、受け取れなかったり。

 

そのときはわからないけれど、夜寝て朝起きたら調っていたり、あとあとになってわかったり。自分を尽くせる日もあればそうでない日もあり。でもわたし概ね、誠実に真摯に生きられていると思う、今。

 

 

そしてあなたもやはり「聴く」や「一緒にいる」を探求する仲間なのね、と息子を見ていてしばしば思う。

 

(写真は息子が撮った佐賀のお菓子。かわいいものが好きな心の優しい少年)

場づくりについて考える読書会:場づくりゼミ夏学期の最終回


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KLASSでの場づくりゼミ夏学期の最終回でした!

 

各回申し込み制で単発参加OKですが、最後は「いつものメンバー」になり、放課後にランチ行ったりしていて、お互い気心知れていることもあり、終始にこやかで、ときどき爆笑もしつつで、あー楽しかった!

 

最終回は「場づくり読書会」と題し、わたし的に場づくりに関係がある本を紹介しながら、特にここは取り上げるとおもしろいのではと思うテキストを数ページ読んではディスカッションする、を3回繰り返しました。

 

みんなで読んだのはこちら。

 

「かかわり方のまなび方」(西村佳哲から、
ファシリテーターは何をしているのか?」。
西村さんの表現するファシリテーターは、このゼミで言う「守人(もりびと)」と近いように思う。

 

「場づくりの教科書」(長田英史)から、
「話すぎる人と沈黙の人」。
実際の場での話すぎる人をどう止めるかとか、意見が出なくて黙っているのをどうしたら積極的に発言してもらえるか、などはあるあるな悩みとして出てくるので。

 

「生きていく絵」(荒井裕輝)から、
「<造形教室>という場」、「『治す』ことは目的ではない」。
こういう守人としての在り方、場の設えがある、場と自己表現、などについて扱えたらと。

 

 

ほんとうに字がきたなくて載せるのもあれですが、ちゃんと書くともうちょっときれいに書けます、、たぶん、、。

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それぞれ数ページなのに人によって印象深かった箇所が違ったり、同じ箇所でもそこにもった感想は全く異なったりする。そして他の人の言葉を受けてつながってひろがって深まっていくおもしろさ。

 

そもそも「感想」ってばっくり言っているけれども、問いかけ方によって出てくる答えは違うよねという話もしました。

 

たとえば、
-気づいたことは?
-新しく発見したことは?
-自分の経験と結びつくことは?
-みんなに聞いてみたいことは?
...など。

 

 

その他、勉強会型の読書会の型や、進行の仕方を意図を含めた技術を伝えたり、今実際に進行をしていての心理などを都度共有しながら進めました。「今これをやっているのはなぜかというと」とか「今はこういうふうにやっているけれども、目的が〇〇のときは〇〇というやり方もいい」など。

 


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皆さんが、めいめいの理由をもって、「場づくりゼミに参加して本当によかった!」と言ってくださったのが、わたしにとってはなによりの宝でした。報われますなぁ。そして、先生と生徒ではなく、同じく場づくりをする仲間が増えた感じがうれしい。友だちでもない知り合いでもない、名前のつかない、しかしとても信頼できる関係。そういう関係が増えることって豊かな人生だなぁと思う。

 

わたしにとっては、教える場の信頼できる土台ができたことは大きい。その日のテーマに基づいて伝えたいことはありつつ、来た人がその日その時間に「持ってくるもの」によって、伝えたいことの中から選んで提示していく感じや、それを重ねていくと場の流れができ、構成されていく様子が、とても楽しかった。わたしはそれらの命や魂を育みながら守る役割としていることが喜び。

 

こういう「教える」は自分に無理がなくて、生き生きとしていて疲れないどころか、ますます元気になる感じがします。以前は終わってから寝込んだり放心して、相当無理したり緊張していたのが、今はそのあと次の予定へ向かって一日の活動が続けられる。

 

講師としてますます成長させてもらえた今学期でした。

 

ご参加ほんとうにありがとうございました〜♪

 

 

秋学期のスケジュール出ました!

お申し込みはじまりましたら、このブログトップページに載せます。

①9/29(土)13:30-16:00
②10/13(土)10:00-12:30
③11/4(日)10:00-12:30
④11/18(日)10:00-12:30

 

 

 

★ひきつづき絶賛募集中★

9/5(水)「積読本をひらく読書会」
http://dokushokai-2nd.peatix.com
何回かやって、積読本の探究がほぼ終わったので、しばらくお休みします。気になっていた方、ぜひどうぞー

 

9/23(土)「自分の今とこれからを見つけるコラージュの会《秋分編》」
http://collage-2nd.peatix.com
ふたりで、ひとりで、みんなで。今から過去へ未来へ、そして再び今へ。行ったり来たりしながらの3時間半です。「わたしこれからどうしていこうかなぁ」な節目な方、ぜひ。

 

 

 放課後は団子坂のレインボー・キッチンでランチしました♪

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わたしが大切にしている場

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わたしが大切にしている場は、

一人ひとりが自分らしくいて、

表現し、よい体験をし、

安心安全で健やかな関係を育み合うことから、

よいもの、よい営みが生まれるところ。

また行きたいと思えるところ。

 

 

人と人との間には、それぞれにちょうどよい距離の感覚がある。

配慮や敬意や誠意を保てる距離にいて、一緒によいものをつくれたなら、幸せ。

距離とは「遠く離れている」ということではなく、「あなたとわたしの間の境界がある」ということ。

 

 

場は人。

場は関係。

 

 

それぞれに自立した精神をもって、他者を必要としながら、この世界を生きていこう。

 

 

迷ったら、愛のあるほうへ行こう。

 

 

場づくりだって練習したらいい!:場づくりゼミで進行練習をしました

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まちの教室KLASSで開講中の今期の5回シリーズの場づくりゼミ(「また行きたい!と思える場をつくるゼミ」)で、4回目の「進行練習」を開催しました。

練習役が模擬的な場を合計20分で進行し、参加者役の人たちにはその場に参加してもらいます。終わってからフィードバックしたり、質問してもらいました。

 
これまでのゼミで場を企画・設計し、ゼミ以外でも気づきを繰り返し、着実に場を練り上げてきたゼミ生たち。20分の短い間にもその人らしい、あたたかい場が生まれました。


実際に進行してみて、こんな感想が出ました。

-手順のそこが難しいのか!
-図解や写真があるほうが理解しやすい人がいるんだ!
-これは自分にとっては当たり前だけど、通じないんだ!
-脈絡のない質問が出る(それが初心者なのかも!)
-自分の言いたいことを絞る必要がありそう
 
などなど、実際にやってみたからこその発見が次々に出てきました。
「練習」の目的は、上手に進行できるかを評価することではなく、
-ひらく動機は説明できているか
-安心安全な場を進行できているか
-時間の管理はできているか
-手順がわかりやすいか
-姿勢、態度、振る舞い、進行の仕方などを試してみてどうか
を確認し、学びを得ることです。
 
実際に場をひらく前に予行し、フィードバックを受けることで、参加する人の反応や進み具合が確認できるのと、自分の場の良さや改善ポイントがわかり、より自信をもってこの先の活動を進めることができます。
 
進行練習、お試し講座、プロトタイピング...、言い方はいろいろありますが、とにかく本番の前にやってみることを強くおすすめします!

 


 
ゼミで本質にふれる体験ができると、日常に帰ってから、あらためて気づくこと、わかったこと、わからなくなったこと、知りたいことが自然と生まれます。これらこそが学びになるので、講師までメールで送っていただくことで、学びを定着しています。(提出は任意です)

 
 
よき時間を共につくってくださり、ありがとうございました!
 
 
・・・
次回は9/1(土)10:00-12:30 「場づくり読書会」
http://bazukuri-2nd.peatix.com
 
今期の最終回は、場づくり関連の本から短いテキストを抜粋してその場で読み、ディスカッションします。テキストはテイストを変えて三種類ご用意します。

人の書いたものに対して感想をやり取りすることで、異なる視点から捉えられ、自分の場づくりへの関心領域や、関心テーマ、軸などが見えてきます。
 
また、自由な感想や意見を安心、安全な中で口にしつつ、一人ひとりの学びを深めるにはどうしたらよいか、「勉強会型の読書会」の設計や進行を観察する機会としても活用できます。

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またひとつ石を踏んだ記録

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きょう20分Skypeでセッションしてもらって話したこと、その後考えたこと。

ひとつ石を踏んだので記録しておく。

 

***

 

自分が〈愛Love〉と〈つながりConnection〉という内なる根源的なニーズにしたがって生きているんだと自覚したら、起こっていることや自分の行動、ふるまい、言動についても、よく理解できるようになってきた。そこから世界とつながっていく。選択するときの迷い方も少し変わったと思う。(そのときどきでニーズもさまざまに変わることも知っているから受け入れられる)

 

「そんなストレートに口にすることもできない」という言葉ほど、喉から手が出るほど欲しいものだったりする。

 

そしてわたしと隣り合っている人が〈達成Achievement〉〈有効性Effectiveness〉〈意味Meaning〉の基本ニーズにしたがって生きていると、補完できたり、時に折り合えない。

そして「なんでわかってくれないの!」と思ったときに、ニーズの違いを思い出すと、ふと肩の力が抜けて、ああ、ほんとうに人間は不思議で深遠な存在だなぁと思う。

 

同じもの・こと・場を共有しながら、関係が深まってきて見えるものは、他者との違いを知り、境界(boundary)を引き合い、受け入れられる部分、受け入れられない部分。関わるということは、それらをマッピングしていく作業。それに相互性(mutuality)がある。関係ということ自体が、マッピング作業ではないかと言っていたのは村上春樹だったと思う。

 

そして「そういう話」が聴き合える適度な距離感はどこか、一緒に探り合えること。諦めてもいいが、やりきるまでは諦めないでいたい、ずっと同じでなくてもいい、とお互いに感じていること。そういう話ができるあいだ、一緒にいられるのかもな。

 

わたしにとっての親密な関係というのは、かつてはお互いにぜんぶを理解して溶け合うような、いわゆるニコイチになることだった。でも今はちょっと違うんだな。存在自体への「おおきな愛」があるのは変わらないけれど。

 

もともとの信念に親きょうだいとの関係はすごく影響している。お盆休みにあらためてそこを見に行ってきたことも、よかった。

 

仮説を立てて行くと学ぶものがあるし、起こることに納得がある。何十年もわからなかったことが、たった20分丁寧に聴いてもらうだけでばたばたっと収束していくのも、ほんとうにいつもおもしろい。

 

そして「未来のわたしがどういう決断を下しても、今のわたしは全面的にわたしを支持します」というフレーズも浮かぶ。

自信Self-Confidence、自分への信頼ってこういうことなのかな。

 

 

ひとつの石を踏んだだけで、なにも達観していない。

これまで通り、探求が続いていくわけだけど、ともかくひとつ石を踏んだということで、安堵している。

 

安堵をめいっぱい味わう。

 

場づくり連載はじまります!@寺子屋學

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寺子屋學というサイトで、場づくりについての連載記事を書かせていただくことになりました。

 

terakoyagaku.net

 

お寺さんの場づくりのヒントを、5回シリーズで綴っていきます。とはいえ、わたし自身はお寺にも仏教にも決して精通しているわけではないので、勉強しながらです。楽しい。よく知っているようで、あまり知らない世界。

 

人の手で守られ、人の歴史を世代を超えて見つめてきたまちの中の聖域が、今生きている人をよりよく生かす営みの場として在る。

そういう景色をわたしもたくさん見たいです。

 

今後の記事ラインナップは、


#1 なぜわたしは場をつくるのか
#2 交流とつながりは場の設計が肝心
#3 また行きたい!と思える場をつくるには
#4 分かち合うための表現を鍛えよう
#5 安心、安全な場のために知っておきたいリスクの話

 

 

お坊さんはもちろん、お坊さんではない方にも、おもしろく読んでいただけるといいなぁ。

 

がんばります!

 

 

 

場づくりは関係づくり(また行きたい!と思える場をつくるゼミ)


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8/11、まちの教室KLASSでのまた行きたい!と思える場をつくるゼミ夏学期の第3回でした。

この日のテーマは、「運営と事前事後の抑えどころ」。

 

継続して参加の方とはじめて参加の方がおられたので、それぞれに取り組んでいる場について、どんなテーマで、誰と何を分かち合いたくて、何を大切にするか、何を知りたいか、などいくつかの項目を立てて話していただきました。

この時間は自己紹介でもあり、進捗共有でもあり、この日のゼミの場の方向を決めるための大切な時間として、1時間しっかりと確保して、こんなお話が出ました。

 

・自分の中に2つの大切な軸があり、これまで別々に場をつくってきたが、今、両方がある場をつくってみたいと思って進めている。
・人の場でよい体験をしたのをきっかけに、その場をトレースしながら自分でいくつか場を開催してきた。よい場の体験がどこに根ざしていたのか、土台についても理解したい。
・具体的なことはこれからだが、さまざまな地域での拠点づくりのビジョンがある。講師や他のゼミ生の話などを聞いて、コンセプトを固めたい。

 

 
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場づくりは関係づくりです。健やかな場の中でよい関係がうまれ、集う人にとってよい機会、よい営みになります。
参加者も主催者も「また行きたい!」と思えるには、「何ができるか」よりも、どんな人との出会いや交流やつながりがあるかが大切になります。

 

では、そのような健やかな場、安心で安全な場をどのように作ればよいのか?精神論ではなく、「準備7割」の中身の実務とその意図について、皆さんで考えました。

持ち帰ったことはそれぞれ。次回の開催日までにレポートを書いていただき、学びを定着しています。

 


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----ゼミ生の感想----

・お申込みの時点から場づくりは始まっていて、参加者の方が気持ちよく、安心して当日会場まで来ることが出来るような気遣いが出来ると、もうその時点でその場は成功しているんだろうなとこれからこのことを参考に、丁寧に作って行こうと思います。

・ブログ記事:「フレームがわかると頭が整理される。『また行きたい!と思える場をつくるゼミ』に参加して。」
https://sachycamera.com/batukurizemi-2/

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ありがとうございました!

 

 

次回は8/25(土)10:00-12:30 「パート練習会」
単発参加歓迎。ご参加お待ちしております!


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bazukuri-2nd.peatix.com

 

 

春学期のレポートです。

hitotobi.hatenadiary.jp

「読んだ」と「読んでいない」のあいだにあるもの(積読本をひらく読書会)

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なんだかとっても楽しそうな写真を撮ってもらっています、積読本をひらく読書会。今回もとっても楽しかったです。

 

手元にあるけれど読めていない本を持ち寄って、積読になっている理由を紹介し合う「持ち寄り紹介型」の読書会。

 

今回は、

・すてきな喫茶店での集まりのあとに手にした本
・亡き母の仕事場にあった本
・友人から勧められた興味あるテーマの本
・仕事について考えたくて買った本
・本のリレー式交換の棚から持ってきた本

などなど…8冊が集まりました。

 

本の印象や手元に来た経緯から、読むとは、本とは、人生とはを考える味わい深い時間になりました。

 

特に、どういう状態が「読んだ」と言えるのかが人によって違うという話が個人的には興味深かったです。わたしが持って行った積読本には付箋がたくさん貼ってあって、それは明らかにわたしが貼ったもののはずだったが全く記憶にない。わたし自身が「読んだ」と思っていない。読んだけど読んでない。

 

じゃあどうなると「読んだ」と言えるのかというと、最終的に文章に書けると読んだことになるかも...。つまりこの世に存在するほとんどの本をわたしは「読んで」いないことになる...?!でも「読んでいない、けれども、何が書いてあるかはすごく知っていて人に説明することができる」という本もあるのです。これは一体なんなんだろう?

 

例外的に、読書会で取り扱った本、その本の感想をみんなで交わした本はすごく「読んだ」という実感があり、「読んだ」と言えます。このあたりに、わたしが読書会が好きな理由がありそうです。知って言葉にしたくないような、秘密にしておきたいような気分。

 

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本屋さんや古本市などで本を手にとったときにすでに感じていた何かは、時間が経っても薄れない。手にとる度に違う自分として出会いなおすのかもという話も出ました。

 

積読本は「消化」してもいいし、しなくてもいい。気になっている、読みたい、でも読めない、そんな一冊一冊に対する気持ちをみんなで丁寧にひらいて、美しい風景をたくさんみせてもらいました。

 

 

お土産はいつものように「積読本をひらく読書会のレシピ」。これをつかって読書会をひらいていただいてもいいし、見て楽しむだけでもいいし。

積読本を紹介し合う読書会は他にもやっている方はいるし(わたしだけの発明ではない)、わたしが設計したプログラムも人が違えば全く違うものにもなるので、どんどん真似してやってほしいです!

 

 

ご参加くださった皆さま、ご関心をお寄せくださった皆さま、ありがとうございました。

 

 

次回は9/5(水) 10:00-12:00です。※都合により日程が変更になりました。

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楽しい百人一首の個人授業をはじめました

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先日、

「夏休みの宿題で、百人一首の暗記が出た。休み明けにテストがあり、さらに校内大会もあるが、本人はまったくおもしろさが分からず苦痛の様子。親の自分も百人一首に親しんでこなかったので、導き方もわからず困っている」

と友人がFacebookでつぶやいていたのを見かけました。

 

 

百人一首と聞いては黙ってはいられないわたし。「暗記のコツや百人一首のおもしろさ、教えられるよー!」と手を挙げて、中学1年生にZoomで個人授業をさせてもらうことになりました。

 

彼女の知識や興味に沿って、百人一首の成り立ち、時代背景、和歌集、歌人同士の人間関係、女性の人生、歌の鑑賞、速く取るための「決まり字」などの話をし、参考資料や参考図書を紹介しました。

 

授業が終わってから、

正直暗記することに楽しみは期待してなかったけど、人物関係や背景を物語としてとらえるのはよさそう。暗記をつめこもうと思えばできるけど、1週間もすればきっと忘れてしまう。じっくり知りたい。決まり字を知って校内大会の対策もしたい。

とのご感想をいただきました。興味をもってもらえたのが何よりうれしい!ありがたい!

 

宿題には、気になる一首を選んで、その理由を書き、その歌から想起されるイメージを絵に描くというものもあり、彼女が一番気に入ったと選んだ歌が大弐三位

 

有馬山 猪名の笹原 風吹けば
     いでそよ人を 忘れやはする

 

なんとなくもったいないので選んだ理由はここには書かないですが、すてきでした!わたしにとっても、「有馬山」の歌・札にまた特別なエピソードが付け加えられたのは喜びです。

 

後日、宿題が無事に完成したと聞いてホッとしました。

 

かるたCafe(百人一首を楽しむ大人の部活)の定例会をやっていた頃から、

・子どもが学校で習ってきて一生懸命覚えた百人一首をできるところがないか?

・子どもが学校で大会があるので、どうやったら暗記ができるか、強くなるか、教えてもらえないだろうか(親きょうだいでは相手にならない)

というお問い合わせをよくいただいてました。

 

かるたCafeは、大人がかるたを通じて交流する場ということで、上記のようなニーズにはお応えできていなかったのですが、今年に入り、はじめての競技かるたや、今回のオンライン授業のような形でようやくお応えできるようになったかな、と思い、うれしいです。オンラインは、場所や時間帯のハードルが下がるのがよいのです。

 

10月には杉並区の区民講座も担当させていただく予定です。(こちらは大人向けで9/1に申し込み開始)

 

 

お子さんだけではなく、大人の方で百人一首に興味がある方へも授業いたします。
ちょうどきょうも親子向けの授業が入りました。

時間は90分が目安。

 

 

★授業料等、ご興味ある方は、こちらまでお気軽にお問い合わせください。

 
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講師について
"競技かるたの聖地"大津市の出身で、子どもの頃から家庭や学校で百人一首に親しんできました。中学校での源平戦の大会を最後に20年以上遠ざかっていましたが、6年前に漫画「ちはやふる」を読んで百人一首を好きだった気持ちを思い出し、友人と「かるたCafe」というコミュニティを立ち上げ約6年活動しました。

競技かるたは2016年から本格的に始め、現在D級。
→2019年1月にC級初段に昇段しました。

千年の時を経て、通信、文学、スポーツ、文化、芸術など様々なジャンルにわたって発展してきた百人一首に魅了されています。

Zoomでひらいた場づくり講座

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KLASSで開講中の「場づくりゼミ」は、人が集まる場をつくりたい人や、運営している場をふりかえりたい人が、自分らしい場づくりをレクチャー、ワーク、参加者同士の対話を通じて考え、学び合うゼミ形式の講座です。

 

第2期の第2回となりました。

 

この日は台風が接近していたため、安全を考え、急遽オンライン会議システムのZoomを通じて講座を行いました。リアルの場の良さは失われる一方で、オンラインにしかない良さや、オンラインならではの場づくりを見ていただくよい機会にもなりました。

 

テーマは「設計と進行の抑えどころ」。

 

「また行きたい!と思える」のは、参加者であり主催者でもあります。第一回では、主催者の「何者であるわたしが、なぜ、だれと、何をわかちあいたくて、何をする場をひらくのか」を考えましたが、今度は「参加者にとってどのような場であるとよいか」という視点からとらえていきました。

 

そして具体的に区切られた時間(イベント、講座、ワークショップ、集まりなど)にどのぐらいの時間をかけたどんな順番でどんなことをするか、設計シートに書くワークをして、お互いにフィードバックしました。

 

この設計シートは、思いを具体的な形にする上での場の屋台骨のようなもので、一度描いて実践して建て方を体感すると、どのような場をつくる際にも生かすことができます。今、何をする時間なのか、何のためにするのか、なぜこの順番で、このぐらいの時間をかけるのか、一人ひとりにとってどんな体験になるとよいか、を丁寧に設計すると、そのためにどんな準備が必要になるかがが見えてきます。

 

またこの過程を経ると、自分のやりたいことや伝えたいことと、集う人が期待することや満たしたい思いを視点を切り替えながら近づけていくことができます。

 

 


= ゼミ生の感想 =

私の頭の中で、ぼんやりしたイメージから具体的なところへ、なかなかいけなかったところが、せいこさんや皆さんとお話したり、ご意見をいただいたりする中でだんだんとくっきりしてきた感じです。会のデザインも具体的に書けたのでとてもイメージ出来ました。もう少し書き足していきたいと思います。

 

ビデオ通話での開講となった今回は、とても新鮮なことだらけでした。画面越しでのうなずきなどの反応をお互いに大きくとりながら参加者の話を聞いていたため、より安心して内容にツッコミをいれやすかったです。他の人の作成している資料などリアルタイムでのぞけないもどかしさがありましたが、今回も濃い場づくりのためのアイディアがとまりませんでした。

 

ゼミ生の中島佐知子さんが、すてきなレポートを書いてくださいました。

sachycamera.com

 

ありがとうございました!

 

 


次回は8/11(土)10:00-12:30
テーマは「運営と事前事後の抑えどころ」です。

 

場づくりは関係づくり。安心・安全・健やかな場でよい関係が生まれ、集う人にとってよい機会、よい営みになります。どうすればそんな場になるのか。具体的な実務や技術を通して皆さんで考えていきます。シェアやディスカッションの時間を多めに取ることで、学びの機会が増えます。

 

場づくりゼミは全回参加の人もいるし、合う日程だけ・気になるテーマだけの人もはじめての人もいるので、「できあがっている場」ではありません。逆に毎回違うメンバーでも一貫性を持つ場になるよう、講師のわたしが連続講座として支えています。ですので、今回だけの単発参加は大歓迎です。

 

わたしが場づくりを学んでいて、こういう機会があったらよかったなぁと思うものを形にしたのがこの講座です。それに加えて、関心をもってくださった方の知りたいことやお悩みを場で扱います。これ自体がわたしの場づくり。どこを見てもらっても何かしら持って帰れるよう、意味を込めてつくっています。

 

あなたの場づくりの通過点になれたらうれしいです。

 

bazukuri-2nd.peatix.com

 

 

日程が合わない方!
対面やオンラインで個人セッションも提供しています。どうぞご利用ください。

 

★場づくり個人セッション -人が集まる場をつくりたい方、人を集めてやりたいことがある方に-

あなたらしい場があなた自身の手でつくれるように、企画・設計・運営をカウンセリング&アドバイスします。 立ち上げ〜ふりかえり〜クローズ、場で起こるさまざまなフェーズ、テーマに伴走します。対面またはZoom/Skypeオンライン通話にて。
相談内容や状況や経験に合わせてスケジュールをお見積もり。
初回15分Zoom無料ガイダンス有。
20分 ¥3,340〜110分 ¥16,700(税別)の間で10分刻みで承ります。

 

 

下記のお問い合わせフォームより、お気軽にお問い合わせください。

hitotobi.strikingly.com

Adios & Muchas Gracias! -ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオスを観た話

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ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス

観てきた。

 

自分の人生と関係ありすぎる作品は、良し悪しの評価がまったくできない。作品そのものについての言葉も出ない。周辺についてしか語れない。

 

帰宅してすぐ、2000年9月に行ったBVSCのコンサートパンフを引っ張り出した。わたしが大学を卒業して東京に来て、職場で出会った友人と彼女のお母さんと3人でコンサートに行った。お母さんは、わたしにすごくよくしてくれて、もらった手紙や本は今も大切にとってある。

 

18年前。就職活動の期間にみんな一斉に会社に入るという慣例が理解できず、自分にとって最適の職に就くタイミングがあるはずだともがき。ようやく決めたと思った道にも挫折していたあの頃のわたしを、事情は深く知らねど、あたたかく見守ってくれた人だった。

 

一度おうちでごはんをご馳走になったことがあり、そのときに、家庭料理とはこんなにも美味しくあたたかく慈愛に満ちたものなんだ!ということに衝撃を受けた。

 

今はもういないそのお母さんのことを思うとき、そしてこの音楽を聞くとき、あの日の明るく笑顔あふれる食卓を思い出す。

 

ちくわぶを生まれて初めて食べたのがこの日。ごはんはぜんぶ美味しかったけど、ちくわぶだけはどうにもだめだった…。

 

その時期に心をいっぱいにして、身体の隅々まで刻んだ音楽があるのは幸せだ。

あの音を、声を聞けば、いつでもあの時間、あの場所へ帰れる。

 

亡くなった人たちにも会える。

 

 

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8/8(水)冷凍庫のありがたさが身にしみる!「レモングラニータ」ひらきます!

8/8(水)千駄木のまちの教室KLASSで「ことほぎクッキングレポート」をひらきます。

 

ことほぎクッキングレポートは、ことほぎ研究室がポッドキャスト「ことほぎラジオ」を通じて研究発表してきた中で見えてきた、自分たちの「気になること」へ分け入る方法を講座の形にしてシェアしてみる試みです。

 

千駄木の「まちの教室KLASS」でひらきます。

KLASSは、hagi studioという建築設計事務所が運営しています。hagi studioさんは谷中や千駄木近辺で、カフェ、お惣菜屋さん、ハンバーガー屋さん、宿屋、ギャラリーの運営をしていて、食や暮らしやまちとのつながりを大切に活動されている人たちです。そんな背景のあるKLASSのスペースで、クッキングの講座がひらけるのは、毎回とてもうれしいです。

 

さて、今回のレポートは、「レモングラニータ」。イタリアのシチリア島発祥の氷菓子、シャーベットです。季節のフルーツをたっぷり入れた、濃厚な味わいが特徴です。

 

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当日は

・まずは試食から!(クッキング教室なのでもちろん食べられます!)

・だいたいのフルーツで「なんとかグラニータ」にできるので、好きなフルーツを持ち寄ってもらって作ります。

・歴史、地理、糖度、凍る仕組み、ジップロックなど、研究室相方のけいさんの楽しい調べ学習の発表をしてもらったり、みんなでそれについて質問したりおしゃべりしたりします。

の流れを考えています。

 

ラニータって普段あまり馴染みがないかもしれないですが、いっぺん作り方を覚えるとものっすごく重宝します。夏はもちろん、一年中楽しい気分になります。

 

冷凍庫で保存できるのがよくて、わたしは2週間入れっぱなしてるけどいつも美味しいです。特に今ぐらいの暑い日に汗だくで帰ってきて、冷凍庫を開けて冷たいレモングラニータが入ってるととっても幸せです。

 

うちは今レモンとパイナップルと桃が入ってます。
イカ幸水梨が旬ですねぇ。
フルーツ以外にもアーモンドミルク、ハーブ、コーヒーでもできるんだって!

 

おまけに、7月にひらいた「ゆっくりパン」や、9月にひらく「コーヒーゼリー」の試食あります。

 

レモングラニータが気になる方、KLASSの空間が気になる方、お申し込みお待ちしておりまーす!

 

 

詳しいこと・お申し込みはこちら ↓ 

kotohogicooking.peatix.com

 

 

週刊ことほぎラジオで「ことほぎクッキングレポート」について話した回です。

doremium.seesaa.net

 

doremium.seesaa.net

みんながやっていたから

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昨夜、旧優生保護法についてのEテレの番組を見た。

 

まず思ったのは、この法律が「生き生きと」していた時代に育てられてきた人たちによって、自分が育てられたのだということ。

 

その時代に正しいとされてきたこと、常識を浴び続けて。

 

「人権意識を持つ」や「どんなあなたでも価値のある存在」という言葉は、その時代を生きていた人たちに今、届いているんだろうか。届いているとしたらどのように。

 

後々、知識や経験を通して獲得されたものもたくさんあるだろうけれど、育ちの中に人権が欠落した見聞と体験のほうが多ければ、人権を根源的にわかるのはとても難しいのではないだろうか。認知と変容に努力が要るのではないだろうか。そんなふうに思わざるを得ないようなニュースを日々、目にする。(いやもちろんそれとて編集されたものであるが……)

 

なんて罪深いことをしたのかと思うけれど、番組の中でも出てきたように、したほうの人間は悪気はなく真剣に、「みんながやっていたから」、「そのときはそれが正しい、よいことだと思っていた」のだ。

 

これははじめて聞く言葉ではない。いつもこうだ。命にかかわることほど思考が停止するし、善や正義のようなものと結びつきやすい。そして集団の力を得て暴力になる。

 

わたしの祖父母、曾祖父母世代からの戦争がまだ終わらない。こどもたちは戦争で大爆発を起こした暴力の後始末をずっとずっとさせられているように思えてならない。

 

火種はいつも人と人、そして場にある。日常の、自分のこの身体の、信じられないくらい近くに、ほかでもない自分の事としてある。要素がそろえば力の勾配が起こり、より弱い立場の人間(生き物もか…)が犠牲になる。

 

わたしは学び続け、自分の頭で考え、対話して意思決定することのほかに、テクノロジーを暴力の抑止に使いたいと思っている。暴力が存在することを認めながらも、行為化することを防げたら。

 

番組の内容は辛いものだったけれど、ここに書けなかったことも含め、「ああ、そこだったのか、それゆえにか…」と自分の中でつながることが多々あり、知れてよかったと思う。

 

番組サイト:クローズアップ現代
“私は不妊手術を強いられた” ~追跡・旧優生保護法

https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4122/