ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

いまの私スタイルをさがす!楽しむ!:秋服スタイリングの会をひらきました

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 「喋って、選んで、試して、見つけて!いまの私スタイルを楽しむ会」と題し、

大人の女性向けの秋服グループスタイリングの会をひらきました。

  

 

・今まで着ていた服がなんだか似合わない
・着心地が変わってきた
・お店に行って服を選ぶのが難しいので通販が多い

こんなお悩み、よく聞きます。そしてもちろんわたしもそう。

 

 

・歳を重ねるにつれて出てくるさまざまな身体の変化
・家庭や職場、社会の中での役割や立ち位置の変化
・人生経験を積むことで見えてきた価値観の変化

が影響しているのではないかと思います。

 

特に今回は30代後半から40代ぐらいの年齢層を対象にしました。


さまざまな変化を受け入れてみて、じゃあ今のわたしに一番ぴったりで、一番美しく見える服やスタイルはなんだろう?きっとあるはず!アパレルブランド戦略のコアターゲットから外れてきた、今の年齢だからこそ楽しめるおしゃれが必ずある!

 

みんなでわいわい楽しくおしゃべりしながら、見つけに行こうよ!とお誘いしました。

 

 

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もともとはわたしが、この春に講師をはじめとしたお仕事を本格的にはじめるにあたって、この人を信頼して任せたいと思ってもらえるようなプロフィール写真がないなぁ、と思い、フォトグラファー清水美由紀さんに撮ってもらおうと決めたのがきっかけ。

 

写真を撮ってもらうのはよいけれど、よく考えたら服がない!

手持ちの比較的ちゃんとした服も、なんだか今のわたしに似合わない。

しかも、あまり着たくない...。

せっかく写真を撮ってもらうのに、好きじゃない服を着て撮るのは嫌。

これをきっかけにワードローブの見直しもしたい。

 

そんな悩みから、スタイリングチェックとお買い物同伴を友人のナカオクミさんにお願いしたのでした。

 

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彼女は、イラストレーターで、プロのスタイリストとしてお仕事されているわけではないのですが、素晴らしいスタイリングスキルをお持ちの方なのです。

彼女の美的センスと、人の輝きを見つけて提案し伴走する才能は天性のものだとかねがね思っており、なんとかお願いしますと頼み込みました。

 

当日は、まずは自宅で彼女の私物を借りて、これが似合うあれがかわいいと見当をつけ、電車に乗ってお買い物に行き、次から次へと試着して気に入った服だけを買えてとても楽しく、写真も無事にとっても素敵に撮ってもらうことができて、大満足でした。

おかげで夏の間は何を着たらいいんだろう?と悩むことは一度もなく、「明日何着て行こう?」とわくわくするような日々を過ごしていました。

 

 

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そんな出来事を話すと、どうやら周りの同じぐらいの年齢の女性たちもお困りごとは同じらしいとわかり、クミさんと周りのお友だちともやってみよう!グループでやるのもきっと楽しいはず!と輪を広げて、今回3人を募り、開きました。

 

 

進め方はこんな感じ。

・事前に1週間のコーディネート服を着用した写真をクミさんへ送る。

・クミさんのほうでスタイル画を書いて、どんなものが似合いそうか

・当日はクミさんの自宅で、お悩みやどんなふうになりたいかをみんなにシェア。

・クミさんの私物からスタイリングしてもらい一人ずつ試着。これを順番にやって3〜4周。イメージをつくる。

・自宅を出て表参道に移動し、さくっとランチ。

・クミさんおすすめや歩いていて気になるショップを周りながら、「あなたにはこれが似合う!」を最低1着セレクト(購入は任意)

・帰りの時間に合わせて、夕方はいられるだけお買い物。

 

クミさんのガイドで場に身を委ね、みんなからのあたたかいフィードバックも受けたり、素敵に変化していくお仲間に刺激を受けながら、新しい自分を発見していくのはきっと楽しい!とはじまる前から絵が浮かんでいましたが、本当にその通りになりました。

 

新しい色、新しい素材、着替えていくうちにどんどんみんなの顔が明るく美しくなって、それを周りで見る人たちもみんな幸せそうで。

思わず、「ああ、〇〇さんってそういう人だったんですね!」と口にしてしまうほど、曇っていて見えていなかったその人の力強い美しさが立ち上がってくる。

どなたにおいても。 

装いの力、すごい。。

 

 

うれしいご感想をいただきました。

 

  • これから、服選びが楽しくなりそうな予感がビシビシしました!道行く人のコーディネートが目に飛び込んできます。
  • アラフォーで服選びに困ってる…という、切実だけどなんとなくごまかしてきた悩みをすくってくださったのも、そもそもよかったです。
  • それぞれの女らしさと大人っぽさとみずみずしさにたくさん会えたことも幸せでした。誰かのそういう場面に立ち会うことって……それだけで、こんなに幸せなんですね?!
  • 昨日の自分の写真はどれも好きで怖くないので、、、なんだこれ?! ってなってます。」
  • 女性らしさを押し出すことには勇気がいるけど……すごくデリケートな配慮も計算もいるけど……間違いなく有効だし、場面によっては必要なこと。
  • 『女性らしさ』とかでくくられると途端に萎えるんだけど、あらためて勇気をもって世に出て行こうと思えました。素敵な服で^^

 

 

そしてクミさんからも

  • プロの看板を掲げていなくともこんな風にお役に立てることがあるなんて!人生に無駄はないのだと皆様から希望を頂戴しました

うれしいお言葉。

 

わたしも看板を掲げていない人に、きっとできるはず!とお願いするのは楽しかった。

 

さらに、クミさんの息子さんが下見の同行してくれたり、夫さんも深夜作業明けにもかかわらず、当日は早くから家を空けたり、お掃除をしてくださったり。

家族の皆さんとも、励ましや歓びを共にすることができて、うれしかったです。

 

 

自分の困りごとを解決しようとする発想や行動が、だれかの幸せへつながるのは素敵です。こんなことがあると、これから悩みや困りごとが起こったときは「キタ!チャンス!」と思ってしまう。楽しい。

 

★ ★ ★

 

「この年齢にふさわしい間違いない服を着る」

「○○というアイテムは○歳になったらこう着るといい」

という言い回しは当たらない、もっと喜びや好奇心からわきあがる表現欲求のような気がします。

 

「スタイリスト」さんなしには成り立たない、その方がどのようなスキルを持っているか、どのような人となりかもすごく大事、そして、参加してくださる一人ひとりの存在もとても大切。皆さんとの関係性と交流と、持ち寄りがすごく場の満足度に影響する。

 

わたしはこういう場づくり、機会や関係や営みづくりが好きなんだなぁとあらためて思いました。

 

すでにあるものをよりよくしたり、忘れていたり諦めていたけれど大切にしたいこと、ちょっと足りないとか、もうちょっと居心地よくしたいとか、なんでか気になる、知りたい、わかりたい、こんなふうになりたいという個人発の歴史を変えなくてもいい、小さいけれど切実な願いを、ぽこぽこ叶えていきたいのかもしれない。


そこには関係や交流やつながりや愛が必要で、そちらの本質からつくっていきたいんだなぁと。

 

 

 

そして「服」という身体に纏うものや装いの力ってものすごい影響を感じて震えました。その人が、世界と人とどうつながっているか、つながろうとしているかの表れ。コミュニケーション。

身だしなみやマナーは、相手に迷惑や失礼のないようにという、怖れや抑圧からの行動としてとらえていたけれども、ほんとうはひらいてゆくかかわり方のためなのかもしれない。わたしは何かと少し和解したように思います。

 

 

 

クミさんとよく話すのは、

たかが衣食住

されど衣食住

衣食住を義務としてやり過ごすか、楽しむかで、変わることは多い

わたしも今年は、今回のような衣、食:お店ではたらきはじめたり、住:お片づけをしたりと、楽しみながら、いろんなことが変わっていっています。おもしろい。

 

 ★ ★ ★

 

 

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クミさんがスタイリングのためにそれぞれの人用に準備してくださったイメージシート。

50を超えるスタイル画をそれぞれに振り分けて、当日までにイメージを固めてこのシートに落とす。お店にも足を運んで、店舗によってターゲットが違うので別店舗を回ったり、似合うスタイルやアイテムが現在の市場に存在するのか、雑誌を買って研究したりと、綿密にチェックもしてくださいました。

 

これがクミさんのお仕事ぶり。尊敬。宝物。

 

クミさん、皆さん、ほんとうにすてきな時間をありがとうございました!

 

★ ★ ★

 

こちらは、個人的つながりのある方と楽しむクローズドな会なので、公募は今のところしない予定です。

 

でももし興味を持たれた方がいらしたら、この内容を参考にしつつ、ご自分でぜひ企画してみてくださいね!!

 

 

 

 

見えないものをみんなが見えるように

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顔たち、ところどころ」を観てきた。

www.uplink.co.jp

 

JR✕アニエス・ヴァルダ

どちらも好きなアーティスト。

楽しみにしてた映画が観られて、よくて、幸せ!

思い入れのある映画って、やっぱりなにも言えなくなるな。

 

春から2回ほど友人にスタイリングをお願いしたこともあり、ファッションがすごく気になった。色や素材やフォルム。美しい!おしゃれ!やっぱフランスなのねぇ。

ヴァルダのスタイルも素敵だったし。

あんなシニアめざします。

 

 

2013年のJR展ワタリウム美術館で撮ったわたしのINSIDE OUTはこちらでまだ見られるようです。http://www.insideoutproject.net/japan/#/0306190907

 

5年前のわたし。

 

これ当時、実物を見てびっくりした。

当時めちゃくちゃハードな仕事をしていて、病むぐらい大変で、この日も仕事の後で疲れていて、でもこの展覧会はどうしても見たくて。

自分も撮りたい!という気持ちだけで何も考えずに撮って、出てきたA0モノクロのポートレート

 

わたしの顔が、「わたしはここにいる!!」と何かを静かに放っていた。

 

 

 

今再びこれを見ると、何も言わなくても、メッセージの言葉と共に出さなくても、人間はただ存在しているだけで、己のすべてを伝えている。普段は理解されようとあの手この手で必死なのだけど、つながりを感じながら、表現したいときに、したいようでいいのかもなと思う。それでも、伝わるものは伝わる。

 

 

 
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道玄坂の街路樹って百日紅だったのか、とこの時期に花が咲いてはじめて存在に気づく。

 

 

 
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それから六本木に移動して東京ミッドタウンのDESIGN HUBで開催中のゼミ展へ。

designhub.jp

 

 

デザインをまなぶ大学生さんたちの成果披露の場。9校から10の課題。

 

与えられた課題を、どう解釈し、どう見えるように作っていくか。作ったものをどういう軸で評価するか、という過程を、とてもおもしろく見た。詩人でもあり、社会学者でもあり、大工でもあり、絵描きでもあり、編集者でもあり。。すごいなー。

 

映画からの流れは続いていて、ここでもまた、見えないものを見る、みんなに見えるようにする、好きに切り取る、共通言語を見つけるのはわくわく楽しいことだと思った。

 

ああ、いいなぁ!わたしもますますつくるよ!

と、そんなふうに人を踊らせてしまうのはすてきなお仕事だ。

 

慶應SFCの石川初研究室のが特によかった。

調べて、分類して、まとめて、冊子に綴じたものというには、やはり抗えない魅力がある。

 

一緒に行った人が大学生で、「ジェラシー!」と言っていい表情をしていた。わたしはふと大学生の頃に一つやり残したことを思い出して、今どうやったらそれができるか考えた。

 

 

みんなに見えるようにして、

機会をつくり、

関係をつくり、

そっと状況が起きる

 

 


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モネ展がよかった話

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横浜で打ち合わせがあり、ついでに招待券があるので美術館に行かない?とのことで、会期終了間際のモネ展に行ってきました。

 

ポッドキャストで、国立西洋美術館の常設展でモネの絵をいっぱい見たときのことを話していたけれど、忙しさに紛れて忘れていた。思いがけず機会が巡ってきてとてもうれしいです。そういうのが来たら、「これは...!」と迷わず乗っかることにしている。

doremium.seesaa.net

 

相方の桂さんが、「モネの絵を片目で見るとおもしろいよー」と教えてくれて、実際に見てみている様子が収録されています。そのときラジオ外で「横浜のモネ展がおもしろかった」という話もしたので、それもちょっと頭に入れながら、展示を見てみました。

 

とはいえ、ものすごい混雑で、人が多すぎて入れないゾーンもあったりして、途中から見てまた最初に戻るような、ちょっと変則的な見方になりました。

 

でもこういう見方もおもしろいなと逆に思いました。最初から順番に企画者のストーリーどおりに見ないことで、前提や文脈がわからないから「あれ、なんでこれここにあるんだろう?」とか「もしかしてこういう意図かなぁ」と思いながら、最初に帰って、「あ、やっぱりそうか」「えー、あ、そういう意図かぁ」とかいろいろ考えたのはよかったです。

 

 

モネの作品を片目で見てみました。

像を結べない。思考判断が途切れる。余白を別のもので埋めようとする。

そうすることで、より色や存在をとらえやすくなる。立ち上がる光景。彩景。温度。湿度。風や水の気配や匂い。

 

モネの作品はあえて少なく、「印象派というより現代美術だ」というなんとかさんの(忘れた)言葉を冒頭に持ってきて、モネ的な要素を何点かで確認させた後、モネ後の100年の間に、モネの明らかな影響(オマージュ、本歌取り)を受けたもの(と思われるもの)、本展用に制作された作品など取り混ぜ、モネ的な要素を見出す目を持つための作業を、表現形式や視点、角度を変えて行った時間でした。

 

少しずつ体内に取り入れて行くような展覧会の構成がおもしろかった。

つまりこれを見終わると、美術館を出た後も、「わたしが見つけるモネ」の目でもって、帰り道から日常から、視界に入るものをモネ的に見ることができるというわけ。

 

ラジオでも教わったように、「色も淡くもわっとし物憂げで優しげな花や庭の絵」がモネの印象だったのだけれど、彼がやっていたのは、実はどこまでもストイックな研究だったということが、横浜のモネ展では、いまだかつてなくフィーチャーされている感じがしました。

 

わたしが小さい頃って印象派=油絵、洋画みたいなところがあって、すごく古典なのかと思いきや、当時としてはかなり現代に通じる新しい感覚の先鋭的なムーブメントだったということを最近になってようやく知ったり。時代によって見え方が違うのも、何十年単位で人生を生きるようになってきて、おもしろく思える。

 

いろんな現代アートが観られたのもすごくよかったです。好きな作家のもちょいちょいあったし、全体的に色の探究がテーマなので、わくわくしないわけがない!

 

三連休だし、もう混みすぎて何が何だかわからないかもしれないけれど、迷ってる方いたらおすすめです。

 

巡回するのかな? 巡回先で待っている方もお楽しみにー!

 

 

 

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「そのことでは」初心者という敬意と関心(「また行きたい!と思わなくていい場」の続き)


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きのう、「また行きたい!と思わなくていい場」という記事を書いて、一晩眠って、もう少し書きたいなと思ったので、続き。

 

また行きたい!と思わなくていい場、また来なくていい場には、

・教える(主催者)ー教わる(参加者)の関係がある場

・上達や熟達することを目指す場

・道のつくものや、ひとつのジャンルや世界を確立しているものを扱う場

があるんじゃないかと書きました。

 

そのあとなんか「ビシィ!!!」といいこと書いた気分になりましたが(笑)、でもまぁ、考えてみたら、やってるほうとしては一回きりの人ばっかりだと、徒労感や無力感が出るよなぁと。参加費を稼ぎとしている場合は、焦燥感も出る。それが活動のモチベーション低下につながったんだよなぁと、自分の場づくりをふりかえって思った。

 

「●●」を普及したいとか、そのことで人とつながりたい気持ちを強くもっているのは、●●が世界と自分をつなげているもので、すごく大事だから。思い入れも愛も深い。

それはそれで素敵なことだし、そこに関心をもってもらえてつながれたらすごくうれしいものです。

 

でも来る人の関心度合いや、参加の動機や目的はそれぞれだということも思い出せるといいなと思っています。そもそも何を大切にして生きているかが違う。ついつい忘れてしまうのですが。

 

そうなったら「場の設定が違うのでは?」と点検してみるといいと思います。

こっちは四六時中「●●」のことを考えて本気の場をつくっているけれども、来る人はそのつもりで来てない可能性があります。

「どういう目的のどういう熱量の人にぴったりの場なのか?」を企画設計して明示する、共有する。

 

場をひらくほうが十分に伝えていない、事前に共有してないということは往々にしてあります。問い合わせて判明するならまだいいけど、行ってみてびっくり、来なければよかったっていうのはどちらにとっても不幸せ。「言わなくてもフツーわかるでしょ」っていうのはこちらの言い分でしかないので。

 

何かを知ったり学んだりすることをもっと広く許容量でかく捉えたいと思っています。

人にも自分にも。

 

来て、見て、一瞬でわかったと思ったら、もうそれ以上そこにいなくてもいい、すぐ帰ったっていい、と本気で言えるぐらいになりたい。

 


一回きりが多いなら体験枠に専念してみる。いやいや、それをやるのはわたしの仕事じゃないと思ったら、ガチ専門でいくと宣言する。目的や意図を明示して両方やる。時期で分ける。信頼できる人の場を紹介するとか。

 

いろんなやり方があります。

 

 

 

 

 

それから、最近

・教える(主催者)ー教わる(参加者)の関係がある場

・上達や熟達することを目指す場

・道のつくものや、ひとつのジャンルや世界を確立しているものを扱う場

で、何度も遭遇しているので、書き留めておこうと思う大事なことがあります。

 

 

参加者への敬意と関心を持つこと。

 

経験がないから、未熟だからと、こちら側が一方的に発言するばかりで何も言わせないのではなくて、その人の持ってきてくれたものや、その人の内面で起こる変化を見て、その人自身に表現してもらうことや、体験を通じて交流を生み出す、つまり「場」にする。

 

そうすると、その人にとってはよい体験を持って帰ってもらえるし、教える人にとっても、たとえその人がその後一度も来なかったとしても、いつもは得られないモチベーションに結びつくように思います。

 

その一つに、その人との間に目に見えない関係が続くという不思議があります。それが何ヶ月後か何年後かわからないけれども、フッと別のつながりで出会い直すということが起こる。よい体験の効果というのは、ほんとうにものすごく長期的でどのように出るかまったくわからない。でもそこを楽しめたら、それがほんとうにその人の「お仕事」になるんだと思う。

 

また別の角度からこのことを扱うと、「そのことでは未経験」「そのことでは初心者」な人でも、他のことでは突出した経験や才能や技術や関心をもっています。

それと出会えたら、つながれたら楽しい。

 

「できない、知らない、下手、関心が低い」で上下関係を自分からつくったり、それのみでしかつながろうとしないってもったいない。

 

 

まぁぜんぶ自分に言っておりますが。。

 

 

「こんな人に来てほしい」と対象を幅を狭めるのは悪いことではありません。むしろそうするのがお互いのためでもある。

「誰でも来てほしい」というフレンドリーな場ももちろんあるけれども、相当パブリックな性質をもっているものです。図書館とか、駅とか、チェーンのコーヒーショップとか。

 

対象を絞ることができない、オープンな場でなければいけないなら、こちらの受容を広く持って交点を探しにいく。そのやり方の一つが、参加者に表現してもらうことかなぁと思います。

 

つまり「意識の低い参加者が悪い」ということはほとんどない。ひらく人、進める人、教える人の責任。

 

場の設定、発信、進行の仕方、それをするための自分の棚卸具合が大きいと思っています。

 

こういう話も場づくりゼミや個人セッションで扱っています。

 

 

 

▼場づくりゼミは9/29(土)から4回シリーズでひらきます。連続参加もよし。単発参加もよしです。

bazukuri3.peatix.com

  

 

▼個人セッション承ります。ゼミに来られない方、個別相談をしたい方。

あなたらしい場が、あなた自身の手でつくれるように、企画・設計・運営のカウンセリングとアドバイスをします。場の立ち上げ〜ふりかえり〜クローズのさまざまなフェーズの中で起こるさまざまなテーマに伴走します。

 ・対面またはZoom/Skypeなどのオンライン通話で行います。

・初回限定20分無料ガイダンスにて、ご相談内容や状況やご経験に応じて、期間、回数、金額のお見積もりをいたします。相談内容の確認と要点整理をし、時間や金額のお見積もりをします。納得した上でセッションにお進みいただけます。

・新しく場を立ち上げる場合は、実施約1ヵ月前までに2〜3回のセッションがおすすめです。

・20分 ¥3,340〜110分¥16,700の間で10分刻みでお選びいただけます。

 

 

すべてのお問い合わせはこちらへどうぞ

 

「また行きたい!」と思わなくてもいい場

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わたしは「また行きたい!と思える場をつくるゼミ」の講師を務めていますが、「また行きたい!と思わなくてもいい」「また来なくてもいい」という場もある、ということも大切にしています。

 

 

それは、

・教える(主催者)ー教わる(参加者)の関係がある場

・上達や熟達することを目指す場

・道のつくものや、ひとつのジャンルや世界を確立しているものを扱う場

です。

 

 

例えば、わたしが急に乗馬をやってみたくなったとする。

 

 

馬の疾走する姿は美しい。馬に乗っている姿はカッコいい。

小さい頃から馬に乗ってみたかった。

死ぬまでに一度は馬に乗ってみたい。

馬とのコミュニケーションはどんなものなのか、どう思い通りにならないのか。

どのぐらい体力がいるのか。

気に入ったら入会して通いたいけれども、今はまだ好きになるかどうかもわからない。

いろいろ道具を揃えるのは高いだろうし、レッスン代も高い。休みの日もつぶれる。

まずは体験で行ってみて教えてもらって、先生はどんな人か、生徒さんは他にどんな人がいるか、交通はスムーズで通いやすいか、会の雰囲気が合うか、金額的にも払えそうか(払ってもやりたいか)も見たい。。

 

というようなことを考えながら体験講座に行くとします。

 

すると、、

 

馬にさわった!馬に乗れた!おおーこれが馬に乗るということかー!!へえー思ってたより気持ちよく、思っていたより大変だった!インストラクターもとても丁寧だったし、天気もよくて、馬ともコミュニケーションがとれたような気がした!楽しかった!!というよい体験をした。

 

しかし、

 

確かめたかったことは、この体験だけでもう十分だったので、それ以来行っていません。

 

となる。

 

 

 

これはあくまで例えですが、上に書いた

・教える(主催者)ー教わる(参加者)の関係がある場

・上達や熟達することを目指す場(上達や熟達してレベル差がついてしまうもの)

・道のつくものや、ひとつのジャンルや世界を確率しているものを扱う場

では、よくあることだと思うのです。

 

 

そう考えると、講師や主催者側から見て、参加者が継続して通ってくれるということは、何かを感じてもっと知りたい、これは今の自分に必要なことだと思ってくれた、日常に取り入れたい、人生に組み込みたいと思ってくれたということで、それは本当にものすごい機会を提供したということです。

 

なぜなら、人間は身は一つで、時間も限りがあるので、全部の道には分け入ることはできないからです。また、例えば絵画とか料理とかカメラとか、道によっては「橋を架ける人」がたくさんいるものもあるでしょう。そのようなたくさんある中で、この道を、自分を選んでくれたということは、とてもありがたいことです。

 

講座のような場を運営している方は、「体験」という別枠を用意して、メイン枠への導線をつけているかと思います。

 

未経験(見たことやあるけどやったことはない)の人が持ってくる新鮮さ、ふれたときに見せる反応の初々しさは、熟達していく人にはないもので、それが社会にいる人のほとんどの反応だと思うのです。

 

自分にとって大切な存在である「●●」をシェアし、その人が社会の代表として受け取ってくれたとしたら、とても貴重な体験です。

 

ひとつの「道」や「世界」にはじめてアクセスする人に教える(その道に橋をかける)のは、言葉や順序や行動を考え抜くことになるので、講師としてのスキルを上げることにつながります。参加者同士の関係や表現を大切に講座を設計して進行すれば、それにはじめてふれた人が見せる喜びの表情に、「やっていてよかった!」と思える。

 

この人が分け入るきっかけになるとうれしい。わたしの世界の仲間になってくれたらうれしい。

 

でも、たとえ分け入らなくても(入会してくれなくても、継続参加してくれなくても)、ちょっとその世界をのぞいて、その人のもともと持つ別の何かと接続して「それ」をとらえて表現してもらえたり、わたしの知らないところで、後々ふと思い出して、人生の味わいの足しにしてもらえるとしたらうれしいことです。それもまたわたしの愛する「●●」のもつ魅力や豊かさの一部だと思うから。

 

つまりそれは、「なぜわたしはその場をひらくのか」ということにつながります。

 

 

「また行きたい!」と思わなくてもいいし、また来なくてもいいけれど、確かに本質とつながることができて、大きなあたたかさと希望にあふれる場。

 

そんな心持ちで、一回きりの参加の人との時間を大切に、わたしは講座をひらいています。

 

 

 

▼場づくりゼミは9/29(土)から4回シリーズでひらきます。連続参加もよし。単発参加もよしです。

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▼個人セッション承ります。ゼミに来られない方、個別相談をしたい方。

あなたらしい場が、あなた自身の手でつくれるように、企画・設計・運営のカウンセリングとアドバイスをします。場の立ち上げ〜ふりかえり〜クローズのさまざまなフェーズの中で起こるさまざまなテーマに伴走します。

 ・対面またはZoom/Skypeなどのオンライン通話で行います。

・初回限定20分無料ガイダンスにて、ご相談内容や状況やご経験に応じて、期間、回数、金額のお見積もりをいたします。相談内容の確認と要点整理をし、時間や金額のお見積もりをします。納得した上でセッションにお進みいただけます。

・新しく場を立ち上げる場合は、実施約1ヵ月前までに2〜3回のセッションがおすすめです。

・20分 ¥3,340〜110分¥16,700の間で10分刻みでお選びいただけます。

 

 

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自分のファシリテーションを点検する一日

 
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場をつくるというお仕事のために、わたしはいろいろなお稽古をしています。

毎日お稽古すること、3日に一度、週に一度、隔週に一度、四半期に一度、半年に一度、数年に一度...など様々な頻度や深さや重さでいろいろします。

 

「自分のファシリテーション」の大掛かりな点検は、時機が来たときにやっています。自分の人生の節目と関係があるので、とても大切なものです。

 

わたしはあまり「ファシリテーション」という言葉を使わないのですが、場づくりにおいてファシリテーションが重要であることは言うまでもありません。わたしがまだファシリテーションというものを、的確に表現できないので、場で確信があるとき以外は使うことができないだけなのです。

 

わたしにはこの道の師匠がいます。その人は職業が「ファシリテーター」なのですが、その肩書きだからというよりは、ほんとうにその人の場にいると、「ああ、これがファシリテーションだ!この人がファシリテーターだ!」という感覚がもてる。だから師匠の場に自分を点検しに(してもらいに)行くのです。

 

今回は、場で予想もつかなかった発言やふるまいがあった場合に、ファシリテーターはどのようであるとよいか、ファシリテーターのたおやかさとは何か、ということがテーマになっていました。

 

わたしは守人として場をつくっているけれども、それでもわたし個人がどうしても反応してしまう話題やテーマやキーワードや状況があって、感情に支配されてしまうことがあるのが、非常に気になっていて、それを師匠の元で安心して紐解いていきたかったというのが今回の大きな参加動機でした。

 

自分も場にめいっぱい集中して参加しながら、師匠の話すこと、聴くこと、態度、姿勢、動かし方、進め方、待ち方、応答の仕方、描き方...ぜんぶをトレースしていたので、一日終わる頃にはぐったりでしたが、本当に参加してよかった。ほんとうに師匠は惜しみなく、様々な方法で教えてくれていました。

 

競技かるたでもありますが、武道で上級者や師の戦いぶりや技術をトレースすることを見取り稽古といいます。それをしていました。

 

やったことやそこから学んだことをを言語化しようと思えばできるのだけれど、多くが身体の言葉なので、表現が難しい。もう少し寝かす。ただ、Inspiringというキーワードが自分の中に強く残っているので、しばらく場ではこれと共に過ごそうと思います。

 

師匠と同じ場にいるだけで、この人はどれほどのお稽古と実践を積んでこられたんだろう、と今なら一瞬でわかります。このお仕事は大切なもの。人がかかわる場をつくるために、人とよりよい生の時間を育むために、日々の鍛錬をこれからも続けていこうと背筋が伸びました。

 

自分の歩む先に師匠がいること、師匠の歩む同じ道に自分がいることが幸せです。

 

 

わたしの一番の現場である場。

 

人と人との関係をつくる、機会をつくる、営みをつくる。

ひらき、はこび、仕舞う。

 

 

9/29(土)からはじまる「場づくりゼミ」で、師匠から学んだことをシェア、還元してゆきます。ひとつ必ず取り入れようと思っているのは、やってみせて、やってもらう(一緒にやる)です。

単発参加もOKですので、これから場をつくりたい方や今の場をふりかえりたい方はぜひいらしてください。日頃の学びの種を裏表なく、惜しみなくお渡しします。

 

bazukuri3.peatix.com


 

 

 

 

手づくりの給食。美味しくて大好き。キッチンが横にあって、包丁でとんとん切る音や、じゅうじゅう炒める音がするのを聴きながら、いい匂いに包まれながら、場が進む。


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帰宅すると、息子が洗濯物を取り込んで畳んでおいてくれました。と書くとなんてことはないのだけれど、泣いてしまうほどうれしかったのは、これまでの経緯や時間の積み重ね、努力があるからだね。愛を与え続ける。もらい続ける。自分にも、人にも。


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天籟能の会「小鍛冶」を観た話

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安田登さん主宰の天籟能の会に行ってきた。

inanna.blog.jp

 

 

安定の国立能楽堂、安定の脇正面。

 

初めてお能を見たときにたまたま取った席が脇正面で、そのときの体験があまりにも素晴らしかったので、以来、よほどのことがなければ脇正面を選ぶことが多い。正面、中正面もそれぞれに良さがあって、値段と体験の深さが比例しないのも能のおもしろいところ。

特に今回の能は橋の上でのやり取りが効いてたので、脇正面にしてとてもよかった。

 

仕舞「遊行柳」

狂言「磁石」

能「小鍛冶」(白頭)

 

どれも初めての曲ばかり。

 

仕舞の梅若万三郎さんの威力がすごかった。

人間はあそこまで容れ物になれるのか!と思った。しかも容れ物になりながらも自分の意識は冴え冴えとしていて、身体能力を最大級に発揮している...それが目の前で起こっているということは何か信じられないような思いでいた。

 

狂言はおもしろかったのだけれど、うっかりところどころで寝てしまった。あんなに大きな声で話しているのに心地よくて。でも寝ているのに、間が途切れていないというか、夢の中でも観ているような不思議な感じだった。普段これは能を観ているときに起こるんだけど、狂言でもあるのかーと寝ながら思っていた。

 

そして能「小鍛冶」。

 

神様にお願いして、神様と人間が共同でひとふりの刀に相槌を入れる。

 

こういうことって自分にもあるよなぁと思ったのは、何か大切な「本番」があるときに、「神様、どうか力を貸してください!」と祈る。こちらの祈りは一方的で、神様の声は「いいよ」も「だめだよ」も聞こえない。

 

舞台の上でも、神様は聞いてんだか聞いてないんだかわからない、一見スルーしてるように見える。でも神様だから言葉は通じないか、神様の考えは計り知れないのかな、という感じもする。神様は前シテでは老人の姿をしている。後シテで白い髪を振り乱して(赤い髪で演るときもあるらしい)、金色の面をつけてこの世のものならぬ、しかし人形(ひとがた)に近い姿で現れて、鍛冶をする。

 

神様と人間とが相槌を打っている。

 

神様はこちらの願いはちゃあんと聞いてて「これは自分が力を貸したほうがいいことだ!」と思ったら来てくれる。刀鍛治の相槌だったり、本番の「それ」が仕上がったら、「よかったネ」という感じでアッサリ帰っていく。

 

去り際に、神様が振り向いてなんだかうれしそうにニッコリしてたように見えたのが印象的だった。「また呼んでなー」と手を振って帰っていく感じ。神様も人間に力を貸して、一緒に何かをつくるのは実は楽しかったりうれしかったりするのではないだろうか。

 

ものをつくるとき(goodsに限らず)、神様と自分との相槌の作業をしている。それが目に見えるようになったのが、きょうの「小鍛冶」のような景色なのだとすると、ますます自分がつくるもの、つくることに畏敬と感謝と愛を込めたいって思う。真剣につくることは神事と言っちゃってもいいかもしれない。そんなことを考えた。

 

 

 

前シテは老人だったり童子だったりするらしいが、一緒に行った友だちが「なんで大人の男の姿じゃないのか不思議だったけど、ヘタな大人より、老人やこどものほうがサッと手を貸してくれるからかも」と言っていて、なんだか納得した。

この友だちとは、産後に、とある会で一緒になり、1ヶ月ほど一緒に過ごしたが、そのあとは全く会っていなかった。わたしは当時お能をやっていたという話を彼女としたのをすごく覚えていて、能を観に行くたびになんとなく彼女のことを思い出していた。それが9年経った今年になって、急に彼女がわたしをFacebookで見つけて連絡をくれ、読書会に来てくれたりして、またちょこちょことやり取りするようになった。

 

この再会や出会いなおしをしている中でのお能というのも何か、感慨深いものがある。時間や空間のずれ、時間差、ある程度の時間が経たないとわからないこととか、人と人との間に起こることは不思議だなぁと思う。

 

 

今回の会の建付けもとてもよかった。ディープに楽しみたい人は公演までの7回のワークショップに出ることもできる。当日だけ来ても始まる前に解説があり、仕舞、狂言、能におはなしの時間があってじゅうぶん楽しい。

 

最後に「おはなし」と題して、安田登氏、内田樹氏、川崎昌平氏(刀匠)、いとうせいこう氏の4人が座談会形式で解説というか感想というかを話す。

「ゲストにわたしの好きな人ばっかり呼びました!」という感じがよかった。仲間内の実験の楽しさに、フレンドリーに招いてもらった感じがある。

 

きょうの公演の外周で4人があーだこーだと話すのをわたしたちは鑑賞して、帰り道に友だちと公演とその外周のおはなしも含めた会全体をあーだこーだとおしゃべりする構造がおもしろかった。14:00-17:30の時間設定もほどよい。

 

座談会で印象的だった話。

コンテンツがどんなにおもしろくても、それが自分に相対されていない場合、つまり相槌、コミュニケーションのある関係がなければ、それは自分にはぜんぜん関係ないものとして耳蓋がれるという、いとうさんの話が胸にぎしぎしきた。逆に相槌のある関係ならその上に何か乗っても展開するのだ。

 

川崎さんは、作業場では五感をフルでつかうので、しゃべってる余裕がないんだとおっしゃっていた。なにかお知らせが必要なときは、師匠の槌を打つ音を合図になると。つまりその場で取り組んでいるときの作業そのものが、全部言語ということなんだろうな。

 

実際の鍛冶は3人でするものらしい。師匠と新人と師匠補佐でトンテンカン。(新人が間違えるとトンチンカン)でも「小鍛冶」では神様だから一人で何人分もできるのでしょうね、とのこと。

 


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「おはなし」で登壇された4名

 

 

 

 

 

 

 


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次回も行きたいなぁと思ったら、第7回は2020年1月25日(土)ですって。

来年じゃなくて、再来年。

新作能だからか。

楽しみです。鬼が笑いそうだわ。

 

 


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「おはなし」の覚書を書いてくださっている方が!ありがとうございます!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また行きたいと思える場には何がある?:秋の場づくりゼミ、ひらきます

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29日から秋の場づくりゼミ開講します。単発参加OKです。連続でももちろん!


イベント、講座、サークル、部署、拠点...。いろんな場がありますが、「また行きたい!」と人が思うのは何があるからだと思いますか?

 

この講座では、4回のテーマに分けて、自分の動機から生まれる、集う人一人ひとりの体験のデザイン、関係性の面から場(機会や営み)づくりを考えます。

これから立ち上げる人ももちろん、既に場をひらいていてふりかえりたい人にもおすすめです。

 

 

最近気づいたことは、もしかするとわたしの講座で光を当ててる部分は、場所の運営システム構築実務、建造物の空間プロデュースではないかもしれず、そういう「場づくり」を知りたい方には物足りないまたは全然ニーズに沿わない、ということです。

(もしかすると名前の付け方が違うのかもしれないと思ってすらいる)

 

この講座では、体験や関係性のデザインについて、「それが自分にとってどうか」「相手にとってどうか」という感情や感覚や身体性を伴う言語を駆使し、コミュニケーションを大切にしながら、人間の性質に沿って、深く大切に扱います。

 

とはいえ、土地や場所や空間は非常に大きい要素ですので丁寧に扱います。ゼミをなぜこの場所で開催するかについても説明します。

 

今すぐ社会的インパクトを出す巨大でで圧倒的な力ではなく、将来的な変化を見据えての小さな一歩や、一歩一歩をどう積み重ねて結びつけるか、というデザインもします。

 

ワークショップデザイン、ファシリテーション、コミュニティデザインの勉強をあれこれしてみたけれど、なんかちょっと違うなぁと思っている方に、違う視点がプラスされるかもしれません。

 

ゼミ生のご感想

参加してよかった。実践練習ができるのがよかった。今まではとにかく実地でやりながら工夫してという感じだったから、場づくりを勉強できるんだ!とか、先人の知恵を借りればいいんだ!とわかった。

 

参加してよかった。実践練習ができるのがよかった。今まではとにかく実地でやりながら工夫してという感じだったから、場づくりを勉強できるんだ!とか、先人の知恵を借りればいいんだ!とわかった。

 

場をつくりたい・場をつくっている人が同じ立場で対等に話しながら進めていけたのがよかった。講師もこのゼミという場をつくっている人としての対等性がある。困っていることが話せる、人の困っていることに「わたしもそれあるー」と思える。本当につくりたい人が集っている。

 

講師もこの「場づくりゼミ」という場をつくっている。つまり、場づくりの場にライブでいられるのが貴重。第一回で、場づくりの裏側も見せますからと言っていたが、ほんとうに惜しみなく見せてくれて、笑ってしまうことも度々。人間らしさがあった。

 

 

 

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場づくりの連載をしています。お坊さん向けのサイトですが、お坊さんでない方にも読んでいただけるような内容です。6回シリーズのうち、2回までリリースしたところです。

 

terakoyagaku.net

 

 

個人セッション承ります。

あなたらしい場が、あなた自身の手でつくれるように企画・設計・運営のカウンセリングとアドバイスします。場の立ち上げ〜ふりかえり〜クローズのさまざまなフェーズの中で起こるさまざまなテーマに伴走します。

 

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・対面またはZoom/Skypeなどのオンライン通話で行います。

・初回限定20分無料ガイダンスにて、ご相談内容や状況やご経験に応じて、期間、回数、金額のお見積もりをいたします。相談内容の確認と要点整理をし、時間や金額のお見積もりをします。納得した上でセッションにお進みいただけます。

・新しく場を立ち上げる場合は、実施約1ヵ月前までに2〜3回のセッションがおすすめです。

・20分 ¥3,340〜110分¥16,700の間で10分刻みでお選びいただけます。

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ワヤン、人形劇、東洋館

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トーハク(東京国立博物館)の夜間開館が好きです。

時間が静かにゆっくり流れるので、思索に耽りたいとき、会話せずに一人で静かに過ごしたいときは、最近よくここに来ています。

 

今、東洋館では「海の道 ジャランジャラン」という企画の一環で、インドネシアの影絵芝居ワヤン・クリの人形を展示中です。


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ワヤンは一人で複数体動かして、セリフしゃべって、楽団を指揮するのだそう。人形劇もいろいろだなぁ。影絵でそこまで見えないものなのに、こんなに繊細な彫りとか彩色で、その美しさにうっとりしてずっと見ちゃいました。

体は水牛の皮、軸は水牛の角を使っているそう。

 

この独特のフォルムがたまらない。

影絵だし、遠目にもなるから、登場人物の違いがわかりやすいようになっているのだろうな。

 


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木製のワヤンもありました。こちらは立体なのでもっと人間に近い感じでどきどきします。

 

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インドネシアに住んでいた友だちが、現地で観た時の様子を聞かせてくれて、音や絵だけではなくて、その日の湿度、会場の熱をわたしまで感じてうっとりしました。ガムランの音も合間って、観ているとトランス状態に入りそう...。

 


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わたしは小さい頃から人形劇が好きで、小学校4年生のときに人形劇クラブに入ってました。
人形を自分たちで作るところからやるのが、今思えばよかった。
文楽も好きだし、人形(ひとがた)の妖しさにとても惹かれ続けています。

 

世界の文化を知るのも好き。学生時代、大阪に住んでいた頃は、万博公園の中の国立民族学博物館(みんぱく)によく行きました。東洋館が好きなのは、みんぱくに似ているからだろうなぁ。

 


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次回の東京藝大美術館の企画は、柴田是真が目玉のよう。
柴田の円い天井画がすごく好きだから、修復が終わった本物を見られるのはとてもうれしい。

東京都美術館ではムンク東京国立博物館ではデュシャン

野外映画や梅酒まつりもある。

 

木々は色づき、散歩が心地よい季節。

 

上野公園の秋の深まりが楽しみです。

 

キッチンと愛

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急に読みたくなって、吉本ばななの「キッチン」を図書館で借りて読んだ。

前回がいつだったか忘れたけれど、たぶん10年は余裕で前。もっともっと前かもしれない。

 

はじめて読んだのは、小学生のときだったかな。4つ上の姉が買ってきて。

 

読んでいるあいだじゅうずっと、美しい音楽がひたひたと沁み入るような感覚でいた。

哀しみとぬくもりと。

 

 

今だ、今しかないのだ。

という時をとらえて、間に合うこともできる。

 

間に合わないこともあるけれど、いつもなるべくじゅうぶんにやっておけたらいいよね。

 

というようなことが、ふわっと浮いてきた。

 

 

誰かにとってある種の物語が急に必要とされるときのために、この人は小説を書いているんだろうなぁ。

 

 
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わたしはあなたを愛しています。

 

と伝えることは、とても勇気のいることだ。

ぜんぶ投げ出して、無防備になるのは恥ずかしいし怖い。

 

あれこれ理由をつけて、ごまかしたり、自分以外を主語にしたり、別のことにしておいたほうが傷つかずに済む。面倒くさくもならない。

 

でも、上辺の本音だと思っていた言いたいことをたくさんたくさん並べていったら、最後の最後に下のほうにきれいな箱が残る。その箱を開けるのはとても怖い。でもその中に入っているものは、わたしに開けてもらうのを待っている。

 

そして、あなたとほんとうにつながるためには、その箱を開けなければならない。

 

弱々しく震えている。

小さく温かく鼓動するもの。

その名前を自分で呼ぶ。

よく知っているもの、自分が一番よくわかっているものの名前を。

 

 

愛というのは、相手が自分を愛してくれるかどうかによらず、ただ自分の中にあって、それにふれて確かめるだけで、十分に満たされるし、強くなれるものなんだなということを、最近ようやく知ったところでの、「キッチン」の再読。いい時間だった。

 

何もしないことが調和や平和を生むのではなく、愛を認めて受け入れ伝えることから、なのかなぁ。

 

あなたがどうであれ、という感覚がわたしにとっては特にあたらしい。あなたがわたしに対してどのような感情を持っていても、わたしはあなたを愛している、と言えるのは、それ自体がその人からの贈り物なのかもしれない。

 

受け取られなかったら悲しいし、受け取られたらもちろんうれしいけれども。それは相手が決めることなので、どっちの場合もしょうがない。

 

これは恋愛や性愛に限らず、人間同士の関係でいつも起こることだ。

 

それをこの物語では、すごく美味しい食べ物という言葉で伝えるのもまたすごくいい。

 

何周も回って、いつでも何度でも。

これが読書の愉しみ。

 

 

あなたがいてくれるから見ることができる:大地の芸術祭に行った話

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8月に越後妻有トリエンナーレ・大地の芸術祭に行きました。仕事終わりの夕方から一泊二日。めったに乗らない上越新幹線にどきどきしながら。

 

前々回ぐらいから、行ってみたいなーと言ったのを覚えていてくれた知人?友人?(これまた名前のつかない、しかしとても信頼している方)のツアーに乗っけてもらいました。ご家族が芸術祭の運営関係者で、1回目からずっと訪れているということで、詳しいお話も聞けるし、その方のつながりで集まった魅力的な方々との交流も楽しかった!

 

丁寧で風通しのよい場で、どこに行くにも安心して、のびのびと心地よく過ごせ、居たいように居られました。知らない人の中にいても気疲れしてない自分にびっくりです。

 

昨年のちょうど同じ日に、秋田の上小阿仁村の芸術祭「かみこあにプロジェクト」に行っていたことを思い出しました。(そのときのことを書いた記事がこちら)もともと大地の芸術祭の飛び地としての開催だったので、なんとなくご縁。そして越後妻有の津南町にはマタギが南下して住み着いた集落もあると知り、マタギのルーツである上小阿仁村からの流れを感じるなど、わたしにとって、ちょっと特別な旅路になりました。

 

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短くも濃い体験から感じたこと。

 

その土地や建築物の歴史や文化、物語や文脈を取り込み、人とのかかわりの中から触発されてできた作品たちは、そこにそれらが在ることの意味が、理屈でなく、今この瞬間に身体ごと感じられて、とてもエキサイティングでした。作品が大きいので、細部が見きれなくて身体で感じるしかないんですが。

 

大きな美術館の企画展示などの、中身の入れ替え可能なスペースに置いたのとは全然違っていて、やはり芸術祭はおもしろいなァ!とわくわくしながら回りました。恒久作品の経年変化を聞くのも、継続している芸術祭ならではのおもしろさです。

 

人と自然という大きなテーマに、芸術祭にかかわる人たちが橋を架けてくださり、ツアーの場を通じてアートに橋を架けてくださったことで、大きく豊かなギフトをいただいたように思います。好奇心が満たされ、理解が深まる喜びがありました。

 

風景や作品を前に、皆さんとちょいちょい感想を話せたのがやっぱり楽しかった。美術館と違って、しゃべり声を気にする必要がないというのはいいものです。

「あれも作品じゃないの?」「いや、ただあるだけでしょ。でもそう見える」みたいな会話をしていて、あーそうそう、これだよね!こういうのが楽しいんだよね!とにこにこしてしまう。

 

 

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途中で、ディレクターの北川フラムさんが、今回かなり力を入れてフィーチャーされている磯辺行久さんの作品が展示されている、清津倉庫美術館にてレクチャーしてくださいました。ここの体験が、まだ消化できていないのだけれど、とてもよかった。よかったということだけ記しておきます。

 

 

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一晩泊まった、結東(けっとう)という集落が、かつて明治から昭和の間の43年間、極僻地のために義務教育を免除されていたという不名誉な時代があったと聞き、絶句しました。その間は村の有識者が読み書きそろばんを教えながら、小学校を建てる運動をしていたそうで、そうして建てられた小学校も、今は市町村合併や学校の統廃合で廃校となり、芸術祭を機に宿として生まれ変わっている。近くには、西川美和監督の映画「ゆれる」でつかわれた吊り橋もある。最後の民家がなくなってから、マイクロバスが脱輪しそうな細く険しい山道を20分行くような山深い地です。そこでも人は稲を植え、熊を獲って生きていた。

 

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わたしの生い立ちはどちらかというと日本史の教科書に出てくる出来事の端っこみたいなところにあって、そこから追われたり、そこに入らない土地や人の物語には疎い、自分の無知さを思い知って頭を殴られたような気持ちになりました。狭い。。

 

豪雪地帯の暮らしのこともずいぶん考えた。見たことのない家のつくり。長岡に行ったことはあるけれど、やはり融雪設備が充実しているところと、この山深いところでは全然違っていて。冬寒いところだから夏はさぞ涼しいのだろうと思ったら、「大陸からの湿った風が」山にぶつかってもたらす湿度の高さや雨に日中は少し参ったり。身体を運んでみないとわからないことがある。

 

 

途中で、今お店で一緒に働いているあおいさんに会えたのもうれしかった。知っている人と遠くのまちに行って、知っている人がまたいてっていうのおもしろい。

大地の芸術祭くらい大きくて知名度も上がると、こうやって3年に一度、大規模に人の移動が起こり、あらたな接触が生まれたり、時間差で出てくる事実があったりして、それは少し上のほうから見ると攪拌されて電気が生まれているみたいで、おもしろい感覚です。

 

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いろんなことあったけど、今ふりかえってあえて言葉にすると、「あなたがいてくれるから見ることができる」という体験だったかな。

 

 

また次回も彼女のツアーで行きたいなー。

あと、瀬戸内芸術祭も。船酔いがなければ、ほんと行きたい...。

 

 

 北川フラムさんの記事。

webronza.asahi.com

 

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ガイドブックが刷られた時点ではまだ完成していないので、掲載されているのはラフスケッチという作品も多い。実物と見比べて、「全然ちゃうやん!」とツッコミ入れるのもまた楽しい。

 

 

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雪の重みで曲がる杉。

 

 

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願いを込めるコラージュ、秋分の日にお待ちしてます

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2018夏至のコラージュ

 

秋分のコラージュの会の前に、6月21日の夏至の日につくったコラージュをじっくりと見返してみました。(レポートはこちら。)

 

このときどんな状態で、どんな気持ちでつくったのだったか。

 

たしか、友だちの市民オケを聴きに行ったぐらいのときで、それでハーモニーとか、楽器とかが真ん中にきている。

プーシキン展のチラシは前々回の、節分のコラージュでも使っていたけど、全然切り取り方がちがっていて、この男女を友人同士に見立てて使った。

自分の顔をどこかに入れたかったのだけど、写真をそのまま貼るのではないなにかをと探していて、なんとなくぴったりくる女の人の振り向いた感じのイラストに★のシールをつけて。

全体的に黄色に惹かれていたこの頃。

 

「体が動けなくなっても歌い踊り続けよう。」

「ラジオ」

「それぞれの「気持ちいい」のかたち」

「HAPPINESS!」

「L'incontro(出会い)」

「釜茹上等!盗んでGO!」

「ーーもっと遠くへ。」

など、いつも決意を込めることが多いけれど、一つひとつワードも胸に沁みる。

多くのものが、「わたしは、その通りだ。わたしはそのものになっている」と今思える。

 

ちょうちょを3匹飛ばしたのは(羽がパタパタするように貼ってある)、変化の象徴として、そして画面に軽やかさを出したくて。

大きなざるそばや明太子のお茶漬け、自家製の何かを詰めた瓶や台所には、「食」への関心が見て取れる。お店ではたらくことも決まっていたので、量のボリュームのことを考えていたし、それから影響を受けて、自分でこつこつ作ったり、生活を整える楽しみもたくさんあった。

 

少し暗い右下の画面やモノクロの木の枝は、自分の中の夜の部分。大事にしている。

オリオン座を貼って、さらに先の秋や冬の季節も見据えている。

 

でもこのときからまた状況や状態は変わっていて、またぴったりのコラージュがつくれると思う。

今までお守りでいてくれてありがとう。

 

 

6月21日から一歩一歩あるいてきた道のりや瞬間を思い出して、あたたかい気持ちになるのは、この日、みんなの前で話して聴いてもらえたからだなぁ。

この日の場の光っていた、まさに「光景」、光さす部屋を思い出す。

「亡くなったあとも、思い出すのは笑顔ばかりでした」という感じに似ている。

 

 

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↑ 2015年ごろにZINEのためにつくったもの

 

願ってもよい。

ということをいろんなことが起こると忘れてしまう。

その願いに手を伸ばすことを阻むものを、そっと持ち上げて脇に置いてみたら、その下で本当に小さく優しく震えている願いはなんでしょう。

自分で自分をうれしくする、幸せにできる。ということを、わたし自身も確認したくて、光を他の人たちとも分かち合いたくて、この場をひらいています。

 

 

 

この会、節目を迎えている方にとっては特に、印象的な時間になるようです。

三時間半、じっくり話したり、書いたり、自分と対話しながら、時間をかけてつくっていく集約型のコラージュです。

 

未来が漠然としている方には、最初の一歩の光に。

道が見えている方には、自分自身とのつながりをより強く感じる土に。

 

今回は秋分の日につくります。

二十四節気のひとつ。昼夜の長さがほぼ等しい。お彼岸。天秤座のはじまり。

 

 

タイミング、お気持ち合う方のご参加をお待ちしております。

心を込めてガイドいたします。

 

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↑ 2016年の年末のコラージュの会でつくったもの

 

 

聴く、一緒にいる


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「学校で一番好きなのはスクールカウンセラーの先生」と息子。前の先生も大好きだったけど、新しく来た先生とも気が合うようす。「そういえば今年は相談室行ってないなぁ」とぽつりと。「そっかぁ、行ってないんだねぇ」とわたし応答。

 

きのうの夜は、「落語の音読をしなきゃいけないけど、すごく恥ずかしくて読めない。でも学校の授業の本番で読めるには宿題でやっておかなきゃいけない」とものすごく葛藤し、号泣していた。

 

内容としてはわたしにはまったく覚えのない葛藤だけれど、共感はすごくできて、「ふたつの気持ちに引かさかれちゃってるんだね。わたしそれどうもしてあげられないけど、一生懸命聴いてるから、してほしいことあったら言ってね」と伝えると、「おかあはぜんぜんぼくの話をきいてくれない!」と風呂に入って泣きながら寝た。

 

朝はサッと起きて「おはよう」と挨拶し、音読のことには触れず、近所に新しくできたパン屋さんの味が変わらないことと、冒頭のやり取りをして出て行った。

 

 

その後、どんな一日を過ごしていたか、言葉や様子で聴かせてもらえることもあれば、まったくわからないことも。

 

でも生きていれば、この先はわかんないからね。今この瞬間と、ちょっと先と、いつかと、いろんな時間や時を感じながら行こう。

 

聴く、聴いてもらえる、いてくれる。

 

ただそれだけのことが難しかったり、タイミングが合わなかったり、受け取れなかったり。

 

そのときはわからないけれど、夜寝て朝起きたら調っていたり、あとあとになってわかったり。自分を尽くせる日もあればそうでない日もあり。でもわたし概ね、誠実に真摯に生きられていると思う、今。

 

 

そしてあなたもやはり「聴く」や「一緒にいる」を探求する仲間なのね、と息子を見ていてしばしば思う。

 

(写真は息子が撮った佐賀のお菓子。かわいいものが好きな心の優しい少年)

場づくりについて考える読書会:場づくりゼミ夏学期の最終回


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KLASSでの場づくりゼミ夏学期の最終回でした!

 

各回申し込み制で単発参加OKですが、最後は「いつものメンバー」になり、放課後にランチ行ったりしていて、お互い気心知れていることもあり、終始にこやかで、ときどき爆笑もしつつで、あー楽しかった!

 

最終回は「場づくり読書会」と題し、わたし的に場づくりに関係がある本を紹介しながら、特にここは取り上げるとおもしろいのではと思うテキストを数ページ読んではディスカッションする、を3回繰り返しました。

 

みんなで読んだのはこちら。

 

「かかわり方のまなび方」(西村佳哲から、
ファシリテーターは何をしているのか?」。
西村さんの表現するファシリテーターは、このゼミで言う「守人(もりびと)」と近いように思う。

 

「場づくりの教科書」(長田英史)から、
「話すぎる人と沈黙の人」。
実際の場での話すぎる人をどう止めるかとか、意見が出なくて黙っているのをどうしたら積極的に発言してもらえるか、などはあるあるな悩みとして出てくるので。

 

「生きていく絵」(荒井裕輝)から、
「<造形教室>という場」、「『治す』ことは目的ではない」。
こういう守人としての在り方、場の設えがある、場と自己表現、などについて扱えたらと。

 

 

ほんとうに字がきたなくて載せるのもあれですが、ちゃんと書くともうちょっときれいに書けます、、たぶん、、。

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それぞれ数ページなのに人によって印象深かった箇所が違ったり、同じ箇所でもそこにもった感想は全く異なったりする。そして他の人の言葉を受けてつながってひろがって深まっていくおもしろさ。

 

そもそも「感想」ってばっくり言っているけれども、問いかけ方によって出てくる答えは違うよねという話もしました。

 

たとえば、
-気づいたことは?
-新しく発見したことは?
-自分の経験と結びつくことは?
-みんなに聞いてみたいことは?
...など。

 

 

その他、勉強会型の読書会の型や、進行の仕方を意図を含めた技術を伝えたり、今実際に進行をしていての心理などを都度共有しながら進めました。「今これをやっているのはなぜかというと」とか「今はこういうふうにやっているけれども、目的が〇〇のときは〇〇というやり方もいい」など。

 


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皆さんが、めいめいの理由をもって、「場づくりゼミに参加して本当によかった!」と言ってくださったのが、わたしにとってはなによりの宝でした。報われますなぁ。そして、先生と生徒ではなく、同じく場づくりをする仲間が増えた感じがうれしい。友だちでもない知り合いでもない、名前のつかない、しかしとても信頼できる関係。そういう関係が増えることって豊かな人生だなぁと思う。

 

わたしにとっては、教える場の信頼できる土台ができたことは大きい。その日のテーマに基づいて伝えたいことはありつつ、来た人がその日その時間に「持ってくるもの」によって、伝えたいことの中から選んで提示していく感じや、それを重ねていくと場の流れができ、構成されていく様子が、とても楽しかった。わたしはそれらの命や魂を育みながら守る役割としていることが喜び。

 

こういう「教える」は自分に無理がなくて、生き生きとしていて疲れないどころか、ますます元気になる感じがします。以前は終わってから寝込んだり放心して、相当無理したり緊張していたのが、今はそのあと次の予定へ向かって一日の活動が続けられる。

 

講師としてますます成長させてもらえた今学期でした。

 

ご参加ほんとうにありがとうございました〜♪

 

 

秋学期のスケジュール出ました!

お申し込みはじまりましたら、このブログトップページに載せます。

①9/29(土)13:30-16:00
②10/13(土)10:00-12:30
③11/4(日)10:00-12:30
④11/18(日)10:00-12:30

 

 

 

★ひきつづき絶賛募集中★

9/5(水)「積読本をひらく読書会」
http://dokushokai-2nd.peatix.com
何回かやって、積読本の探究がほぼ終わったので、しばらくお休みします。気になっていた方、ぜひどうぞー

 

9/23(土)「自分の今とこれからを見つけるコラージュの会《秋分編》」
http://collage-2nd.peatix.com
ふたりで、ひとりで、みんなで。今から過去へ未来へ、そして再び今へ。行ったり来たりしながらの3時間半です。「わたしこれからどうしていこうかなぁ」な節目な方、ぜひ。

 

 

 放課後は団子坂のレインボー・キッチンでランチしました♪

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わたしが大切にしている場

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わたしが大切にしている場は、

一人ひとりが自分らしくいて、

表現し、よい体験をし、

安心安全で健やかな関係を育み合うことから、

よいもの、よい営みが生まれるところ。

また行きたいと思えるところ。

 

 

人と人との間には、それぞれにちょうどよい距離の感覚がある。

配慮や敬意や誠意を保てる距離にいて、一緒によいものをつくれたなら、幸せ。

距離とは「遠く離れている」ということではなく、「あなたとわたしの間の境界がある」ということ。

 

 

場は人。

場は関係。

 

 

それぞれに自立した精神をもって、他者を必要としながら、この世界を生きていこう。

 

 

迷ったら、愛のあるほうへ行こう。