ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

なぜ?どうして?を問いなおす

10月と11月に1回ずつ、対話型ファシリテーションの勉強会をしました。 

 


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2年前にもこの勉強会は2回ひらいたことがありました。

そのときの様子はこちらのレポートをどうぞ。

わたしのテキストは表紙が薄いのもあって、もうこんなにぼろぼろになっちゃった!

 

 

 

 

今回は、KLASSでひらいた、「また行きたい!と思える場をつくるゼミ」を受講してくれた人に役に立ちそうだな、とピンときたので、スピンオフ勉強会としてやりませんか?と声をかけたところ、 「今自分のやっていることや知りたいことに関係ありそう!」「実は2年前の勉強会に参加したくてできなかったの!」と友人知人11名が集まってくれました。ありがとう!

 

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あらためてみんなで練習してみて、いいメソッドだなと思います。

この2年、よい人間関係をつくり、育んでこられたのは、このメソッドのおかげでもある(もちろんこれだけではないけれども)。


「なぜ」「どうして」を封印する、というのは悪者にするのではなくて、問い直す試み。

その底には「ほんとうに知りたいこと」がある。


いや、その前に、その人に「伝えたいこと」があるのかもしれない。
「仲良くしたい」とか「わたしのことを知ってほしい」とか。

 

「なぜ」「どうして」と聞いても、「今どうしてわたしがそれを聞いたかっていうとね」と意図をあとから説明することもできる。

事実質問って尋問みたいになるとか、誘導的になるとか、いろんな難しさもありますが、「わたしはその人とどのような関係をつくりたいのかな?」を持ちながら、ゆっくり一緒に歩いていくように聴けたらいいなぁと思う。

 

 

「なぜ」「どうして」がよいのは、ひとつの答えや正解を求めない、オープンな問いかけのときですね。たとえば哲学対話。

「なぜ我々は生きるのか?」

「なぜあなたはここにいるのか?」

「どうして勉強しなくてはいけないのか?」

それに応じて出てくるのは、答えというよりも、願いや祈りのようなものかも。
広く深い海のような時間になりそう。

 

 

 

今回おもしろかったことの一つに、相手が感じていることや考えていることを推測しながら会話を進めていたのに、相手に問い合わせてみたら実は違った、という現象がたびたび起こっていたことがあります。

話しているのは相手なのに、「きっとこう感じているだろう、考えているだろう」という、自分の立てた推測を当てにしすぎる、信じすぎる、思い込む、ということが会話の中では起きている。

もちろん、日常会話の中でいちいち聞くわけにいかないのですが、たまにこうやって、「今の誘導的な感じがした?」と率直に聞いても、自分の思い込みがわかっておもしろいかも。

 

相手の感覚や感情を先回りして抑えなくてもいい。

もっとついていっていい。

その中で、自分の中に起こっている感覚や感情を表現してみることや、提案もできる。

自分からまず相手を信頼して。

 

 

たとえば「さっきから話が堂々巡りしている感覚がわたしの中にあって、この状況をどうにかしないといけないのではと焦る気持ちもわいています」とか、

「もう少しそのときの状況をあなたと一緒によく見てみたいんです。それがいつどこで起こったことなのか聞かせてください」とか。

 

質問すること(何を聞き出すか)だけに集中するだけでは、コミュニケーションにはならないのだよなぁ。外界の観察と内面の観察を同時にやっている。そこが、このメソッドが「対話型ファシリテーション」と名付けている理由なのかも、とようやくピンときました。

 

 

 

皆さんの感想

人と話す、聞くって毎日やっていることだけど、手法とかスキルとして意識してやったのが今日が初めてだったので頭がはちきれそうです。確実に新しいシナプスが生まれた気がしています(笑)。今日の勉強会を受けて、また本を読み返して、そして日常の中で実験的に質問の仕方を変えてみて、反応を感じたいと思います。めっちゃ楽しかったですー!!

 

充実の時間になりました。仕事のみならず、プライベートでも早速実行出来そう(^○^)実践してまた後日報告したいです! 

 

難しい…難しいけれど、よりクリーンな問いかけになるのを感じます。

それでどんな関係をつくりたいか、の視点は私あまりなかったかもな…と気づきました。どんな風に解けていくかな。。これから意識していきたいな、と思います。

 

子どもたちに質問するとき、どうしてそう思うか?を聞くのに、なぜ、どうしてを使わないと、話しやすいんだなーと感じてます。おもしろいなー。また、練習したいです(^^)

 

本で読んでるときは、「そーそー!そんな風に言えたらいいのよね〜!」と思ってるけど、実際やってみるとしどろもどろだったり、難しいな〜と思いました。

でも、事実質問だと確かに、考えるのではなく思い出す作業なので、
あまり負担がないんだな〜というのは実感。

人の話を聞くのは好きなので、今までは思うままに聞いてしまってましたが、それだとお相手の気づきのお手伝いには必ずしもならないんだな〜と分かり、今後は今回のことを踏まえて質問するってことをやっていきたいなと思います。

 

すぐさま何かが激変することはなくても、今まで疑問なく使っていた「なんで?」「どうして?」アプローチのワナというか、いかに無意識にやっていたかなどの発見がありました。

今後、人に対して何か聞くときに一瞬、立ち止まって聞くことができるかも、と思いました。

 

2時間とは思えない濃厚さと満足感でした。

きちんと人と触れ合うこと、やっぱり必要ですね❤︎

 

勉強会後のランチで、空中戦になってしまった会話を地上戦にもちこむには、
・もう一つのグループで流行っていた「それは最近ではいつありましたか?」を使ってみる
・話の中で誰かに言われたことについて「何と言われたんですか?」と、事実として言われた言葉を質問する
・話をひとつの事例に絞って、いつですか?だれに?どこで起こった?をひとつひとつ聞いていく。質問を細分化する。
というようなシェアがありました。リベンジしたいーと思いましたが、まずは日常生活で意識するところからですね。

 

 

「学びの場に参加するときは、きょうこの場に来られなかった方の代表と思って参加している」とは友人の言ですが、ぜひご自分の現場や持ち場で、なんらかの形でシェアしたり、表現したり、活用してみていただきたいなぁと、場をひらく側も願っていることも、ここに置いておきます。

 

ご参加ありがとうございました!

まだまだ書ききれないことたくさんあるから、みんなで「その後何か変化があった?」を聴くブラッシュアップの会をやりたいな!

 

 

聴く人といえばこの人かな?

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最後に。

 

この本を出版しているムラのミライさんでも講座がひらかれています。

http://muranomirai.org/

わたしは認定ファシリテーターではなく、今回ひらいた勉強会も非公式のものですが、事前に事務局に連絡して、開催の許可をいただいています。

 

テキストはこちらで購入できます。

http://amzn.asia/d/eDWtLu1

江戸東京たてもの園でスマホで人物写真講座、ひらきます!

「今の私スタイルを楽しむ会」ですっかり人物写真に目覚めちゃったわたし。

もっと技術を学びたいよー!ということで、さっそく場をつくっちゃう!!

 

友人でフォトグラファーのさっちーさんと、11/22(木)江戸東京たてもの園スマホで人物写真の講座ひらくことになりました。

 

たてもの園のレトロな建物を背景にたくさん練習を。

撮ってはフィードバック、
レクチャーもらって質問、
撮ってはフィードバック、、の時間をつくって確かな技術を身につけましょう。

 

手軽に撮れるからこそ、
もっといい写真にしたい!
喜んでもらいたい!

そして

理論や技術を知って「変わった!」

をぜひぜひ実感しにきてくださいね♪

 

大人の遠足気分もきっと楽しい。お申し込みお待ちしてまーす。

 

詳しくはこちら!

portraitbysmartphone.peatix.com

 

 

写真講座なのにこのヘッダー画像はスケッチってなんだかよくわかんないですが^^;借り物の写真だとなんだか自分の場のような気がせず、かといってこういう構図の写真を撮るのも間に合わず、これに...。

 

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このフリー素材をトレースしただけ〜

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付き合うのでも、付き合わされるのでもなく

息子と夜の公園をお散歩。カフェでお茶しながら思い思いに過ごして、おしゃべりしながら帰ってくる。この時間が好きな話は、前にもここで書いた。

 

息子が乳幼児の頃に、遊びや関心に付き合うのが、わたしはほんとうに苦痛だった。苦痛を感じているときは、息子をぜんぜんかわいく思えなかった。そのことにずっと罪悪感や後ろめたさがあった。

 

でも、小学校にあがってからの、このまちでの息子との時間は、ほんとうにかけがえがなく、愛おしい。

 

苦痛だったことにも、苦痛じゃなくなったことにも、いろいろ、ほんとうにいろいろ理由がある。

 

ただ、今もし乳幼児をかかえて、同じことを感じている人がいたら、それ変じゃないよ、とまずは言ってあげたい。

 

 


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オネアミスの翼展がやっぱり大きな幸と福だった話

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伝説の最高傑作SFアニメーション映画、「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の展覧会を観てきた。八王子夢美術館にて。

 

開催概要はそのうち消えてしまうかもしれないので、八王子夢美術館のサイトからこちらに引用させていただきます。

八王子市夢美術館では、SFアニメ映画「王立宇宙軍 オネアミスの翼」を紹介する展覧会を開催します。

 

王立宇宙軍 オネアミスの翼」は1987年にSFアニメ映画として劇場公開され、その独創性とリアルに描かれた作品世界は今日に至るまで映像の分野で高い評価を得ています。当時、24歳だった山賀 博之監督をはじめ、無名だった若きクリエーター達が劇場向けアニメ映画に初挑戦したことも異例でしたが、これまでのアニメ映画とは一線を画すその緻密な設定や映像美は、当時のアニメ業界に驚きをもって受け止められました。

 

本作はスタッフたちと等身大の青春群像劇を描きつつ、その異世界の設定は美術、デザイン、建築、政治、思想、言語、宗教、風俗、食物、宇宙、工学、衣服、武器など多岐にわたり、その詳細な設定がSFでありながら、作品にリアルな実感をもたらしました。加えて、特に注目したいのが完成映像に使われた設定よりも、実際には使われることのなかった制作過程の素材資料が本作の背後に膨大な数として横たわり、この世界を形づくっていたことです。それらのつくり手の多くは、工業デザイン、建築、美術を学ぶ学生やまだ無名のアニメーター達でしたが、山賀監督は作品にリアルな実感を創出するためには多種多様なセンスが必要と考え、彼らの個性が見えてきたところで得意な分野の素材資料を山ほどつくらせます。

 

しかし、監督はそれらの素材資料を作品中の世界を統一する目的でつくらせたわけではなく、むしろ個々の才能が生かされたアイデアやデザインなどを集め、そこから作品をひとつの世界へと徐々に構築していったのです。このような部分から全体をつくる方法は本作特有の手法といえるでしょう。

 

本展では、主にこれらの制作過程の素材資料を国内で初めて紹介します。中でも山賀監督の制作メモは監督として本作をどのように構築していったかが赤裸々にわかる興味深い内容です。数多くの素材資料を通じ、映像の中で現れるリアルさとはまた違った本作独特のSFアニメのつくり方をリアルに感じていただければ幸いです。

 

 

 

わたしがこの映画を観たのは確か小学校6年生。

 

きっかけは、姉だったか、「アニメージュ」だったか、テレビ放映だったか忘れたけれども、すぐに夢中になった。

 

中学1年生の体育で創作ダンスの授業があり、選曲から振り付けまで自分たちで全部やるという課題が出たときに、オネアミスの翼のオープニングテーマがいい!と言い張り、映画のイメージで振り付けを主導した。けっこうオラオラだったな、わたし...。

 

 

この世界のために文字や言葉をオリジナルでつくったと知ったのも衝撃だった。

そんなことができるんだ!そこまでやる人がいるのか!という驚嘆。

 

 

この偉大さを超えるアニメーションは、わたしの人生で絶対にもう二度と現れないと断言できる!

子どもの頃にリアルタイムでこの作品に出会えてほんとうによかった!!

 

そしてこの展示を見ることができてほんとうによかった!!

 

一緒に行った友だちと熱く熱く語って、あの頃に受け取っていたもの、大人になった今だからこそ見えるものの深さや豊かさに感謝した。

 

当時はこの映画の話をできる友だちがいなかったもんね!これからもたくさん出会っていくんだろう、きっと。

 

ほんとうに生きててよかったと思った作品、展示。胸いっぱい。幸せ。

 

 

場内のモニターで流れている監督のインタビュー(今年の5月収録)がとてもよかった。

この映画のテーマを恐れずに、今、言うならば「いい」ということだ。「いい」とは「愛」といってももしかしていいのかもしれない。24歳の自分から見えていた世界の実感は「いい」だった。そしてこの映画について言いたかったのは「あなたの生きている世界も同じようにいい」ということだったと思う。

意訳するとそんな感じのことをおっしゃっていた。

 

 

大人が本気でつくってくれたものに触れられたことも、10代のわたしを確かに育んできたし、救ってくれたこともあったと思う。

 

感謝。

 

 

 

つらつらとツイッターにメモしたことを貼っておきます。

 

 

見て、たくさん語り合ってみて、今だからわかること、今だから受け取れること、わからなくて知りたいことがいっぱいあって幸せだった。時代とか歴史とか人生とか。時間。とにかく時間を感じている。それからつくるということ。技術。胸いっぱいでこのまま布団に倒れ込みたい。 

 

も一回観よ。 

 

だ、だめだ...空母の画見ちゃったからオープニングからもう胸がいっぱいで...T_T ...

 

坂本龍一の4曲入りの「イメージスケッチ」がお小遣いで買ったCDのかなり初期で。PROTOTYPEってどういう意味なんだろうと思ってた。「リイクニのテーマ」が坂本龍一のスコア集に入っていて、家のピアノで弾いてた覚えある。ほんと好きだったんだなーわたし。世界観!今も赤と青のペンケース使ってるし。 

 

坂本龍一にとっては黒歴史らしいけど、わたしにはとにかくありがたい出会いでした。 

 

おととし「さとにきたらええやん」を観に行ったときに、配給会社・ノンデライコって出て、うわってなって、それで思い出したりなー。いやはや。 

 

今見るとここまで宗教にハッキリ踏み込んで表現してたのがすごいと友だちと話した。暴力、性、人と人との理解し得なさについても誤魔化しなし。誰にも共感できないこと。誰とも友だちになれなそうなこと。説明がないこと(ないけれども背景や経緯や歴史を持っていること)。ゆえに没入できた世界。 

 

死への恐怖が描かれないところはまだよくわかっていないのだけど、人類を彼一人に背負わせてみる試みのほうが大きかったんだろうか。死への恐怖にふれると物語がだいぶ違ってしまうわなぁ。。 

 

人工衛星の説明をすごくよく覚えてたし、すごくよく理解できてたって話も友だちと共通してた。「地平線の向こうに果てしなく落下」っていう。あのシーン実は1分にも満たなかったなんて。。すごい。。。 

 

それから夢が叶う瞬間って、当初思っていたルートとは全然違う、まったく想定していない形で現れるっていうことを最近つらつら考えていたから、あのシーンは音楽も含めて美しくて涙出る。ほんとうになんだかいろんなことが含まれている。これを20代前半の人たちがつくるってなぁ...ほんとうに...。 

 

その、劇中に登場する若者たちとまったく同じように、つくる自分たちの青春の日々が綴じこめられているところは、「ちはやふる-結び-」にも感じた美しさ。もう二度とない若い日のきらめき。 

 

きょうの展覧会すばらしすぎて、思い出すからもう一気に見られなくて、あほかってぐらい休み休み見てる。 

 

なにこれ「王立宇宙軍制作記録集」ってあったの?ヤフオクで15,000円からかーうーわーー 

 

庵野秀明の「破片」、文字と外国語、音、詩...ぜんぶが美しいなぁああ

 

カニックのことはまったくわからないが、説明を読んでいるだけでその設計の奥深さを感じ取れる。詳細に設定された美術、デザイン、建築、言語、宗教、風俗、食物、宇宙、工学、衣服、武器等の各分野に精通した人たちの鑑賞体験を聞けば何度でも理解し味わえる。それに耐える強度を持つ作品。 

 

 

ちょうど目黒の庭園美術館アール・デコ展を開催中。もともと行く予定だったけれど、さらにオネアミスの世界と重ねて見るのもおもしろそうだなぁ。

www.teien-art-museum.ne.jp

華やかなもの、良いものを堂々と

先週は9月から3回ひらいてきた「今の私スタイルを楽しむ会」、今季の最終回を迎えました。

過去のレポートはこちら>   

 

 

わたしは今回もクミさんのサポート&アシストしつつ、自分もスタイリングしてもらったり、午後からのお買い物同伴を楽しむというポジション。

こういう役回りも実はすごく好きで、応援している場にいるのは心地よくて、楽しくて、うれしいです。

 

 

今回は、皆さんのお悩みやここにいる理由を分かち合う時間を冒頭に30分ぐらいとって、丁寧にひらいていきました。それがよかったなぁと思います。

その日の場のメインが、内面にはたらきかけていくもの(今回なら「装う」)を扱っているからこそ、心も体も時間も余裕をもって臨まなければならないんだなと、学びと自省がありました。

 

今回もクミさんが、事前に描いたスタイル画を元に、5〜6回ぐらいのコーディネートを提案していくのですが、人が違い日が違うと、やはり同じことは起こらず、今回は今回ならではの、とてもよい時間になりました。

一人ひとりと場に起こっていく変化を感知していくクミさん。
冴え渡っていて、すごかったです。ご本人はまだ7割ぐらいだとのことでしたが!

皆さんもノッてどんどん楽しんでくださってよかった!

 

 

ファッションに意識を向ける、興味を示す、おしゃれをすることに心のブロックがあってなんとかしたい!という方が多く、その原因は生い立ちの中にあった出来事や、親子関係だったり、ジェンダーギャップだったりする。でもそれ自体にアプローチしなくても、着ている服を変更するだけで、装いの力は内面にどーん!とはたらきかけて、いとも簡単にそのブロックを外してしまう。

それはほんとうに爽快な体験だし、その体験を経て内面の輝きを放つ人を見ているほうもほんとうにうれしくなってしまうのです。

 

 

 

 

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スタイリングが終わって、お買い物に行って、帰ってきてからはチャットスレッドでの感想のやり取りが止まらないのも楽しい(そして今もまだ続いている)。

 

そこでいろいろやり取りした中でわたしが印象的だったのは、まずこれ。

 

 

「中年期のほうが堂々と着られる」

 

この半年、くみさんにファッションの愉しみやたくさんのコーディネイト例を見せてもらってきて、今かなり充実のワードローブになっています。

どう使えばいいかわからなかったあの服もこの服も、このアイテム一つ買えば、無難路線じゃなくて素敵路線で引き立て合えること。10年前から眠ってたあれらを活用できる日がようやく来ていると知ったこと。

 

 

特に時計。20代後半から30代前半の、中身が伴っていなかった自分が、見栄や自信をつけるために買ったような品。

長い間電池も切れて止まっていたので、先日思いきってオーバーホールに出してみました。戻ってきて新しい装いに合わせてみたら、ぴったり!

ようやくそれを身につけるにふさわしい中身を伴ったように、しっくりと感じました。追いついたような気持ち。

そして、時計そのものだけではなく、わたしの止まっていた時間も動き出したように感じました。

 

それに対してクミさんが、「堂々と華やかなもの、良いものを身につけられるのは、それだけの人生を背負ったから」と言ってくださったのがうれしかった。

 

認めて、受け入れて、感謝して、愛することができる。

 

 

 

それから、「年齢や役割相応なんか知らん!」


という話題も出ました。体型にとらわれない、むしろそれを生かし、色や形や素材の力を借りて、自分のわくわくとつながって表現を楽しむファッションが、今まではあまり目には入っていなかった(あるいは入らないようにしていた)ことにも気づきました。目に入るのは、「仕事に使える」「無難」「着まわしが楽」「年齢に相応しい落ち着いた」スタイル。そこには、「わたしってこの程度」にしておきたい心理も見え隠れする。

 

世界は自分が信じているものが、信じているように見えているだけ。

人は自分が信じる世界に生きることができる。

 

もっと世界は遊べる!もっと楽しんでいこう!

そしてそれは自分が楽しく美しく装うことから!

 

 

「範囲を広げてしまったら、自分に選び取る力がないから大変なことになってしまうのでは?」ともわたしは思っていたんだけれど、実はもう自分が何を好きか、どう着ればいい気分になるかも、十分にわかっている。

さっきの時計の話ともつながるけれど、成熟した自分になっていることを、ただ認めるだけ。それが装うことで身体ごと理解できたことがよかったです。

 

 

それから、これはわたしの個人的目覚めですが、人物写真を撮るのが楽しい

毎回、皆さんの試着した姿を今後の参考にしていただくべく、スマホのカメラで撮っているのですが、第2回のあとにSNSのプロフィール写真をわたしの撮ったものに変更してくださった方がおられました。そのときに、「写真を撮ってこんなに喜ばれたのは初めて!」とこれまでにない幸せを感じました。

 

実際に撮っていてもすごく楽しかった。

そこから「技術を伴ってもっと表現できるようになりたい!」と気持ちがわわーっと盛り上がって、さっそく「スマホでプロ並みに撮る写真講座」をプロにお願いすることにしました。11/22にひらきます。

 

 

豊かな場は、豊かな副産物を生み出します。うれしいな。

クミさん、スタイリングの会にご参加くださった皆さん、ありがとうございました!

 

 

次は春かなー? 楽しみにしております^^

 

 

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KLASSの講座についてお知らせ

お知らせです。

 

今年の4月からひらいてきた「まちの教室KLASS」の定期講座を10月末で終了することにしました。

 

 

予定していた講座については以下のようになります。

 

11/4(土)・11/18(土)「また行きたい!と思える場をつくるゼミ」

http://klass.hagiso.jp/class/bazukuri3/

休講します。今後また内容や形態をバージョンアップして開催する予定です。

 

 

12/22(土)「自分の今とこれからを見つけるコラージュの会《冬至編》」

http://klass.hagiso.jp/class/collage3/

日程や内容は変わらず、会場のみ変えて開催します。

決まりましたら、このブログ等でご案内します。

 

 

お申し込み済みの方には各自ご案内しておりますが、ご検討中の方がおられましたら、大変申し訳ありません。

 

 

KLASSの皆さまにはこれまで様々なチャレンジをサポートしていただき、受講してくださった皆さまには素晴らしい時間を共にしていただき、心より感謝申し上げます。

 

 

このお知らせについてお問い合わせはこちらまでお願いいたします。

 



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こどものわたし、おとなのわたし

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きのうふと思い出した。
「よそのうちはああなのに、うちは違うのなんで?」
「〇〇くん・ちゃんもみんな持ってる・やってる、だからわたしにも買って」
とわたしは小さい頃、親によく訴えていた。


 
でも、わたしの息子は、親のわたしにそのようなことをあまり訴えてこない。

ということに気づいた。

 

確か一年生の頃によく言ってた気がするけれど、一時期だけだった。覚えているのは、「うちはなんでかぞく一緒に暮らせないの?」と「Nintendoスイッチ買ってよー」ぐらい。

 

どちらもわたしにそうできない・しない理由が明確にあるので、息子の気持ちを受け止めつつ、実感からの言葉で丁寧に説明を繰り返すだけで、そのうち本人がなんらかの解決策を見つけたり、それにわたしができる範囲で協力することで、そういうやりとりもいつしかなくなっていった。
 
「〇〇くん・ちゃんはすごいなー。ぼくはどうせ〇〇だからダメだ」
という友だちとの比較やランキングの言葉も、少なくともわたしといるときにはあまり出ていない。
「〇〇くんはああだけど、自分は不得意だから別にいい」はよく言っているかも。
でも、これから思春期が深まっていくにつれてもっと出てくるのかな。
 


わたし自身が子どもだったときは、ほしいものはどんな些細なものでも、親に普通に話してもダメで、声が枯れるほど泣いて訴えないと手に入らなくて、そうまでしても簡単に退けられたり、嘲られたり、辱められたりして、「欲しがる」と「戦い」はほぼ同義だった。欲しい理由を聴いてももらえないし、ダメな理由もまったく説明されなかった。代わりに全く欲しがっていないものが与えられることもあり、それを喜ばないと怒鳴られた。
 
次第に欲しがることや望むことを我慢して、これが与えられないのは自分に価値がないせいだと引き受ける習慣がついて、でも喉から手が出るほど欲しいから、自分や人を騙したり誤魔化してそれらしきものを手に入れたり、持っている人へ憎しみを募らせ、キレて、そういう自分を嫌悪し、また価値を下げ、、、

そのパターンから抜けるのに何十年もかかった。それでも今もまだ怒りや恥の感情を扱うのは苦手だけれども、見ていくといろいろ発見があるし、道もひらけるのもわかっているから、怖れはない。

 

歳を重ねると怖いものが減るというのは、こういうことなのかもな。


 
息子がこれから通過するのは、そのような環境下で生き延びるために身につけなければならない自己不信、自己否定、自己嫌悪、自己肯定感のありえないほどの低さ、あるいはその反動で起こる自意識の肥大、支配欲求、、などとは違う道のような気がしている。
 
わからないけれど。

わたしとしては希望にあふれたものであってほしいので、息子への、人間全般へのあたたかな愛情と関心をもちながら、わたしも自分を見つめ続ける。行いやふるまいや言動を見直し続ける。

息子の「やりたい」「やりたくない」には寄り添う、息子の問題として大切にする。
 
 
 
わたしの父親も母親も、世代や時代の問題(暴力、抑圧など戦争の疵)にさらされていたことに加え、今で言えば名前のつく特性をもった人だと思う。でも子どもにはそんなことはわからないし、わかったところで親を選べない、環境も変えられない。
 
息子と二人暮らしをはじめた頃はわたしも一人で背負う不安とプレッシャーやその他の事情から、些細なことを極度に禁止したり、抑制する時期があったけれども、だんだん自分の人生を生きるほうへ進むにつれて、「ちゃんと(母)親をやらなければ」という縛りが解けて、息子とも愛と信頼のある関係が育めるようになった。そういう日々を営んで、もう何年も経つ。
 
 
子に対して禁止事項を強いたくなったときに、自分の中の「何から」言っているかを見つめてみる。怖いけど、見つめつづけてきてよかった。自分が禁止されたこと、望みや願いを大切に扱われなかった痛みと無力感で、今も泣いている小さい自分がいるかもしれない。
 
小さなわたしを抱きしめて、もう大丈夫だよ、わたしがいるよ、今まで放っといてごめんね、と助けに行くイメージをもつ。手をつないで、隣に座って、髪をなでてあげる。
 
そして、「大人になったわたしが叶えてあげる」と小さなわたしに約束してあげる。
 


ほんとうに、もうその力が十分にある。
自分自身の実感とつながって、十分に望んで、十分に叶えられる良い循環。
あるものを入手する「選ぶ」だけではなくて、場所を変えることや断ることの「選ぶ」もできる。
 
いっこずつ、小さくでも。
 
あるからねー!という気持ちで、ここに置いておきます。


 
 
 
この話、11/16のちほさんとやるトークライブにも関係ありそうだなぁ。

liveandbeauty2.peatix.com

 

 

 

書くことの記憶・現代文

先日、講座で使うために高校の現代文の教科書をパラパラめくっていて、ふと思い出したことがあった。

 

高校三年生のときの現代国語の先生にはとても感謝している。受験対策で、小論文の指導を受けていた。

 

確か夏休み中の課題だったと思う。

自由なテーマで書いてよいとのことだったので、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の映画「自転車泥棒」をテーマに書いて教官室に持って行った。

 

先生は目を通し、しばらく黙ったのち、「あなたが書きたいのは本当にこれですか?」とだけ聞かれた。わたしが恥ずかしくなってうつむいていたら、「もう一度書いてらっしゃい」と。

 

書いたときに目指していたのはただ規定の文字数を埋めることだった。でも、「自転車泥棒」を選んだのには理由があったはずだ。

 

「わたしは本当に何を書きたいんだろう?」「なぜ自転車泥棒だったのか?」とぐるぐる考えながら、一から書き直した。映画をもう一度観た。

 

書いては消し書いては消し、もう苦しい、嫌だと思いながらもなぜか夢中で書いて、書き直して、一週間後に先生のところへ持って行った。

 

先生が神妙な顔をしながら読んでいる間、わたしはどきどきしながら待っていた。それでも先週のような消えてしまいたいような心許なさではなく、ここに自分が立っているという足の裏の確かな感触を覚えていた。

 

読み終えて顔をあげた先生はにっこりと笑って、「そう、これが書くってことだからね」とおっしゃった。

 

その後の指導の内容はよく覚えていないが、ともかく志望していた大学の二次試験の小論文では強い自信をもって臨むことができた。

 

出題が吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」だったのも素敵な偶然で、愛読書だったその本への深い愛と精一杯の理解を、このような特別な、いわば晴れの舞台で表現できることに喜びすら感じていた。

 

他にも試験科目はあったので、小論文がどの程度の得点を占めたのかはわからないが、無事に合格することができた。

 

その前にもその後にも、連なる多くのエピソードはあるが、「現代文」という言葉からはじまるわたしの物語の一片はこのようである。

 

 

 

 


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マルセル・デュシャン「グリーン・ボックス」

片付け、スタイリング、そしてアイロンがけが必要な服を着てもよいわたし

きょう掃除をしていて、これを書き、それからふと思いたって、今年の5月に大片付けに取り組んでいたときのレポートをこっそり大量にUPした。

片付け祭りレポート① 

片付け祭りレポート②

片付け祭りレポート③

片付け祭りレポート④

片付け祭りレポート⑤

片付け祭りのあとに

 

 

それから、もうちょっと書いとこうと思ったのがこれ ↓ について。

 

 

 

 

 

 

 

片付けをする流れを起こしたものは、いろいろあるのだけれども、

まず4月にKLASSで講座をはじめたこと。

その講師のプロフィールに載せる写真がほしいと思ったこと。(HPをつくったのもこの頃)

友人のみゆきさんに写真撮影をお願いしたこと。

友人のクミさんに写真撮影のためのスタイリングをお願いしたこと。

ポッドキャスト関連の集まりで、みんなの前で「片付けをしたい」と宣言したこと。

…などなど。

 

 

 

 

そのあたりで登場したのが、アイロン台だった。

 

 

 

どこから片付けようかなぁと部屋を眺めていたある時、ふいに部屋の片隅に立てかけられているアイロン台が目についた。

 

立った姿勢でアイロンをかけるタイプのもので、洋裁や和裁をしている人が使うぐらいの本格的なもの。しかも大きくて重い。

 


【仕様】
収納時の厚さ 約12cm
収納時の長さ 約120cm
幅 袖部分  約58cm
  胴部分  約43cm
使用時の高さ 76~88cm スタンド式4段
重量 約7kg

 

 

背の低いわたしが使うにしては、あほみたいにでかい。

 

あれ?この家になんでこんなアイロン台があるんだろう?と思った。

 

 

その瞬間に、このアイロン台を購入した経緯やそれを使っていたシーンが目の前にウワッと広がった。

書けないがほんとうにそこにはいろんなことがあった。

 

 

でもそれらはぜんぶ、今のわたしにはもう要らないものだった。

 

手放してよい。

 

 

そして、わたしはもう「子育てで大変な働くお母さん」と自分にラベルを貼る必要がなくなっていたことも知った。子どもがいます、男の子です、というと、「大変ですね」「そうなんです」というやり取りが何千回と繰り返されてきた。

 

でも実際は子は大きくなり、自分の意思をはっきり持ち、判断して行動して生きている。思春期に入り、大変なこともあるけれど、それはなんというか、乳幼児だった頃や、わたしが送り迎えしないとどこにも行けなかった頃の大変さとは全然違う。

 

息子と二人で暮らしていると、自分を「お母さん」と意識することもほぼない。単に「親」というだけ。相対する存在がないので、母親役割バイアスからも自由になっている。自分でつくった仕事をして、まだ確立されていないので、そのときどきで軸があっちいったりこっちいったりはしているけれど、働いていて楽しい。

 

 

だから、アイロンをかけるゆとりが十分にある。

わたしの好きなアイロンがけを楽しむ時間がある。

 

アイロン台は友人がとても喜んで引き取ってくれたので、わたしは今暮らしているこの家にぴったりの、コンパクトで機動力のあるアイロン台を買い直すことができる。

 

そして、わたしはなんと、アイロンがけが必要な服を着てもよい!!

忙しいからアイロンをかけなくて済む服だけを着る必要がない。

 

 

アイロン台をめぐるこの一連の発見は、まるで人魚の下半身からほろほろ、ほろほろと鱗が剥がれ落ちて、自由に陸を歩ける二本の足が姿を現したかのような、わたしにとっては大きな事件だった。

 

 

 

半年も温めてきて、きょうようやく言葉にできたことがうれしい。

 

美しい秋の日の贈り物。

 

 

 

 

▼2代目のTHE ACADEMIC

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片付け・掃除を応援アラームで楽しく


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10月に入ってからカレンダーにセットしておいたアラームが、「カーテンを洗おうよ!気持ちがいいよ!」とお知らせをくれていた。

 

いろいろすっきりしてきて、重い予定も事情によりなくなって、雨が上がって天気がよいし、土曜日だし(土曜日って好き)、きょう決行した。

とりあえず一部屋分。

 

カーテンを洗い、カーテンレールの上につもった埃をとって、いつの間にか汚くなっていた窓ガラスも拭いて。

 

今日日、コンビニには洗剤がひととおり揃っている。

ごめん地球、あんまりエコじゃないけど、強力にサッとやってくれてストレスがないのがわたし今一番大事なの、と合成な洗剤で、シンク周りもお風呂のカビも取り、サーキュレーターの羽とカバーも洗って。

 

あーすっきり!

 

「年末の寒い時期に大掃除なんかまっぴらだ!」というのは昔から思っていたのだけれど、今年になって大片付けに取り組んだおかげで、いろんなことが年中に平準化できるようになってきた。

 

・洗濯槽の掃除。こちらを見ながら。3ヶ月に1回。

 

・カーテンを洗う。春と秋にやるといいかな。秋は空気が乾燥してきて、窓を開けていてもまだ寒くなくて、蚊がいなくなっている10月の今ぐらいがぴったり。

 

・大片付け。いちおう来年のまたGWにする予定でアラーム設定。

こちらは5/5の新月に始めて、5/19の満月に完了している予定。それ以外の片付けは日常で気になった1箇所や、必要な1テーマを決めてちょこちょこする。

 

他にも、園芸とか、衣替えとか、息子の教材整理とか、年中に割り振って、タイミングを決めて、平準化しているものってあるな。

 

ぜんぶこれもアラーム設定しておくと、忘れないし、過去の自分から励まされる。

 

 

 

もともとは、

計 画 性

の三文字を見ただけでオエッっとなるわたし。

 

でもいろんなもののおかげで、最近ちょっと楽しくなってきた。

 

この記事の冒頭に書いた

「カーテンを洗おうよ!気持ちがいいよ!」

というメッセージは、アラームのタイトルにしているもの。

 

 

参考にしたのは、友人ライチさんのこの記事。

 

 

ameblo.jp

 

 

これだよこれー!!こういうことだよって思った。

 

「せねば」「すべき」では自分は動かない。

家事や生活習慣は自分の「通り」をよくすること。それを脅してやらせるのはいやだ。

自分と仲良くしながら、楽しんで取り組んでいきたい。

 

家事に関して言えば、TVで言っていたこと、友だちが教えてくれたこと、が祖母や母や姉や妹が教えてくれたことがいろいろ入っている。

そのときはできなくても、頭の中にある「これいつか必要なときに使えたらなー」の箱に入れてあって、こういうときにパッと出てきて助けてくれる。

 

 

 

人がやっていることで「いいな!」と思うものは、どんどんやってみる。

逆に自分に関係ないものはこのタイミングで手放すと、自分流が生まれてさらに捗る。

 

 

いろんな人たちが、あふれる愛でシェアしてくれた、あるいは漏れ出て結果的にシェアしてしまったことの集合体で自分ができていると思うと楽しい。

 

わたしからもそういうものが溢れ出たり、漏れ出たりしているのかと思うと、それもまた楽しい。

 

一生懸命掃除して、おなかペコペコで食べるコンビニ弁当が美味い。セブンイレブンのサバの身がほぐしてのってるやつ。熱いお茶を淹れて。幸せ。

 


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しごとについて考えるランチ会、ひらいてもらった

 きのう、「せいこさんと風土はfoodからのランチを食べながらしごとについて考えるランチ会」をひらいてもらいました。

 

天才思いつき屋のライチさん、参加してくださった友人の皆さん、たくさんご協力・おもてなししてくださった風土はfoodからの皆さん、ありがとう^^

 

最初ただのランチ会だったのですが、途中で送別会になりました。

ハイ、3ヵ月いたこのお店を離れました。

 

来てくださった方には事前にお伝えしようかどうしようか迷って結局、当日会場でお話しすることに決めました。

来たら突然「送別会」になっててびっくりさせて申し訳なかったです。

 

 

このお店の立ち上げから今まで、約10人のメンバーと、週3日ランチタイム5時間を3ヶ月はたらく中で感受したこと、学んだこと、「場・関係性」というフィルターを通して見えたものを、わたしの言葉と身体で表現する。

皆さんにはそのパフォーマンスを鑑賞し、その後、めいめいが受け取ったもの、しごとについて考えたことをシェアする、というライブイベントとなりました。

もちろん、ごはんをいただきながら。

 

皆さんと感想をやり取りしたり質問に答えていて、わたしの中からわーっと湧いてきたのは、

-やってみたからわかった
-身体ごと行って引っ掴んでくる
-職能を自覚する
-自分を通して理解する、表現する、シェアする
-作品にする・みんなの力で完成してもらう
-自分という物語を生きる

ほかにもたくさんたくさん...。もう少し時間が経ったらわかることもたくさんあるような気がします。

 

 

わたしとしごと、わたしのしごとの話を表現としてできたのがとてもよかったです。

 

聴いていた方の中には、涙が溢れる、どっと疲れる、ぐさぐさ刺されたような感覚...などがあったようです。...すごい体験をなさっていたんですね。

わたしも「舞い」を終えて、なにか言いようのない不思議な感覚がありました。

 

目の前で人が死にものぐるいで何かを表現しているときには、やはり息をつめて見入ってしまうもの。それにしごとの話って生きることの話だから。尊厳と歴史の話はやはりそれなりに重さがある。

 

自分に関係あることを深いレベルで受け取る。

そういうことがもしきのう起こったのだとしたら、とてもよかったです。

わたしも深いレベルで受け取って、そのいただいたものをまた次の表現活動に生かして、循環させていきます。

 

心をひらいて真摯に受け取ってくださったことに、感謝を。


こういうことが起こり得る、深さと奥行きのある表現のある場をこれからはもっと自覚的につくっていきます。

こうしてシェアされるのもありがたい、舞台を用意していただくのもありがたいです。

いろいろありましたが、わたしは、Relational Art, Performing Artsの領域にいるArtistとして、今は生きております。うん、しっくり。

 

 

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それから、これはいろんな物や人との関係に言えることだけれども、

「○年前ならもっとおもしろかった(好きだった、夢中になれた、心地よかった、似合っていた、がんばれた、自分と関係があった)だろうけど、今はもうおもしろくない(好きじゃない、夢中になれない、心地よくない、似合ってない、がんばれない、自分と関係がない」

そのような今の自分であること、自分の変化を認めてもいいよ、ということも、内からわいてきました。

 

自分が「変わってしまった」や「その場で自分だけが違う」ことを認めるのはかなり勇気が要る。怖いから。

 

慣れ親しんだ生温かい、まだ血が通っているその関係・つながりの管を切るのは怖いから、棄てる罪悪感や痛みがあるから、救われた部分もあるからこそそれがない自分を思うと恐怖だから、まだみんなと一緒にいたいから、その次どうしたらいいかわからないから、「ふつう」とは違うから、自分が見知らぬ自分になった気がするから、自分を信じられないから......。

 

でもだいじょうぶ。

 

もう十分によくやってきた。移る準備はできている。わたしには今のわたしにぴったりの服と場所と関係と仕事が待っている。わたしのいたい世界は、見たい世界はもうそこにある。そこで思いっきり自分を表現して、幸せになっていい。

 

別れを告げるのは辛い。寂しい。苦しい。


でも、離れたほうがより大きな愛でつながれる。

 

世界は美しく優しい。祝福に満ちている。

 

 

またね、と笑顔で手を振る。またいつかどこかのグリッドで会えるかもしれないし、短い命だからもう会えないかもしれないけれど。ともかくも、一緒に過ごしてくれてありがとう、とこれまで仕舞えないできた数多の関係にも、心からの感謝を。

 

Life goes on! 

場づくり公開コンサルテーションをやってみた

気づけばもう10日も経ってしまったけれども、まだ10日しか経っていないのか、という気もする本件。

 

 

一緒にリブトビ(liveco&人と美)をやっているちほさんが、場づくりの相談をわたしに依頼してくださった!

それだけでもうれしいのに、なんとその様子をライブ配信してみたらどうかというアイディア。

リブトビトークライブをやったあとだったから、すぐにいいじゃんいいじゃん!となりました。

(あれ、ライブの前に話したんだったかな?もはや前後関係を覚えていない)

 

 

ちほさんがつくりたい「発達障害に関する勉強会」のご相談を、せいこがコンサルタントとして聴き、建付けを一緒に考える様子をライブ配信する、というもの。

 

ちほさんがFacebookで前夜に公開投稿でこんなふうにお知らせ。  

発達障害について学んできたことがとてもたくさんになり、そして本当に大事なことだと衝撃を受け続けてきたので、少なくとも興味のある方に共有したいけれど、伝えたいことが膨大になってしまい、どうしよう〜とクヨクヨしていたのですが、

そうだ、せいこさんが場づくりお悩み相談の個人セッションをなさってるじゃないか!
と思い立ち、明日10月12日(金)の11時20分〜12時頃にセッションしていただくことになりました。

先日以来、引き続き聖子さんとは色々な発信実験中なので、私のタイムライン上で打ち合わせを「ライブ配信」してみようかなと思っています。興味のある方は、オンタイムでも、事後でも、よかったらのぞいてみてください。内容作りから興味を持ってコメントくださったりしたら超うれしい。

勉強会やシェア会の作り方について、聖子さんの場づくりコンサルティングについて、ライブ配信について、発達障害を考える場づくりについて、二人の会話について、などに興味のある方にオススメです(?)。

ちなみに以下が、私が聖子さんに送りつけた事前質問票です。例によって色々過剰なので、オエップとなったらごめんなさい。好物の方だけご覧ください。

 

そして続く《事前質問票》

これが(これも)とにかく素晴らしい。わたしもお手本にさせていただきます。

プロフェッショナルに相談するときって、だいたい時間あたりいくらというフィーがかかります。こうやってまとまっていると、お互いに時間を有効に使える。

ちほさんはご自身がコンサルタントだったり、場づくりの経験があったり、ご自身への洞察も鋭く深いからここまでまとめられるというのもあるけれど、取り組めば筋肉がついてくる類のものでもあると思います!(と信じたい!笑)

 

《事前質問票》

■聖子さんにお願いしたいこと

・自分のひらきたい場が、読書会がいいのか、シェア会がいいのか、そのどれでもない場なのか、などどういう場がいいのか混乱してきたので、一緒に整理し、考え、場の設計をしてほしい

 

■私の望み

・すっごいイイ勉強をさせてもらっているので、これを興味のある人にいい感じにシェアして、盛り上がったり、静かに噛み締めたりしたい

・具体的には、神奈川県立コミュニティカレッジが主催する「発達障害児地域支援コーディネーター養成講座<基礎編>および<実践編>」の中で特にインパクトが強かったものと、そこから関連して私がぜひ紹介したいと思った書籍、あともし入れば原宿カウンセリングセンターで信田さよ子さんに習った暴力についての学びなどをシェアしたい

 

■迷いポイント

1)ある程度の情報量を、参加者それぞれなりのいまの理解度や感性でもって自由に、でもある程度の責任とともに受け止めて欲しい→聖子さんがやってらした読書会形式のように、最初にそれぞれ自由に読んでもらう時間があるといいのかな(講座主催者からは、資料を使った勉強会はOKいただきずみ)

 

2)みんなの自由な解釈や体験談を、安全な場でシェアし、承認し合い、じゃぶじゃぶしたい→1の後にシェアタイムの流れかな

 

3)読書会なのか、シェア会なのか(同じように感想を分け合うのか、私の感想を中心に分け合うのか

 

4)一人でやるということに気持ちが前向きにならないので、だれかパートナーに立ってほしい→公募?まずは一人で頑張る?聖子さん請けてくれないかな笑(特に2のハンドリングが心配

 

■今の所シェアしたいテキスト

①医学的観点からみた発達障害

②LD(読み書き障害)

③生来的気質と後天的反応(発達障害/愛着障害/虐待の区別)

④子どもにとっての権利とは(川崎市フリースクールの事例から)

⑤「小・中・高に通わず大学へ行った話」

⑥グレーゾーンとコーピング

⑦暴力(信田さよこ先生の講座をまとめたい)

 

テキストは未定だけれど大事そう

・境界線 ・ゴルゴ ・NVC

 

■つまり伝えたい概要は

一人一人が特殊なのでは & 特殊性に折り合うためのコーピング

 

■あと迷ってるのは

・何時間×何回やろう

・時間帯や曜日はいつがいいかな

・対象は当事者?支援者?

・場を分ける?

・リアル?オンライン?

・(上記によって)テキストのシェアの仕方

・ちょうどいいテキストの分量

・自分の解釈をどの立場でどのくらい入れるか

・費用?

・ファシリが注意すべきこと?

 

 

せっかくなので、場所のご紹介もしたいよね。ということで、明るくて広くて美しくてサービスが素晴らしくて、おいしいカフェで行いました。

 

Facebookで配信をはじめると、見てくださっている方がどんどん増えていくのが見える。ドキドキしつつ、こんなふうなことをしました。(こちらはあとでYoutubeにアップしたもの。60分くらい)

 

www.youtube.com

 

ライブ中も、その後も、たくさんコメントをいただいていて、ありがたい限りです。

Facebookのほうでの視聴が今現在1,200回を超えています。すごいね。。

 

 

でも実は、わたしにとって今回の試みはとても怖いことでもありました。

リブトビで自分の個人的な話をするより、自分の「職務遂行能力」をさらけ出すほうがずっと怖いわ...と。

それははじまる直前に急に気づいたのですが。遅いけど(笑)。

これを公開することによって、自分が評価される、無能さやろくでもなさを包み隠さず露呈する、嫌われる、バカにされる、相手にされない...そんな怖れも湧いてきました。

 

ちほさんの投稿には、前日から友人、知人、ファンからの関心と熱〜いコメントが集中し、ちほさんの人望やら、やろうとしていることへの「人々の期待」みたいなものが溢れていて、一瞬それに押しつぶされそうになりました。

 

うん、怖いは怖い。

でも一人じゃない。

なによりわたしを信頼して声をかけてくれているちほさんがいる。

こんなに丁寧に準備してくれている。

楽しみにしてくれている。

 

そのちほさんがひらいている。

わたしも一緒に行きたい。

わたしもちほさんと一緒に楽しみたい。

一緒につくりたい。

 

 

わたしはべつにうまくやろうとしなくてよくて。

それはまったく期待されていなくて。

ただ、この人の熱さを、素晴らしさを世界にシェアしようと。

 

ちほさんは一人でもできる人だ。力のある人だ。

でもそのちほさんでさえも人の助けが要る。

そう言ってひらいている。

ちほさんがやりたいことをやれるように、わたしにできることをするのみ!

 

そう思ったらなんだか楽しくなってきました。

 

「やれるやれる!」「だいじょうぶ!」とか、結局それしか言っていなかったような気がしますが、ノリで無責任に言っているわけではなくて、わたしがそれを言うときにはすごく「見えている」からだと自分でもわかっているので、まぁいいか!!

 

わたしのお仕事は、理路整然と整理をつけることではなく、わたし自身が感受して、感情表現いっぱいしながら聴いていることだと、あらためて思った次第です。

 

 

 

最近ひとつ思い至ったことがあります。

例えば、絵を描く人は、絵の描き方を教えることはできるけど、「なぜ絵を描けるのか、なぜ『そのような』絵を描けるのか」をほんとうに説明することも教えることもできないと思う。

血筋とかDNAとか生まれ育った環境が...と言うことは可能だけれども、ほんとうにそうかはわからないし、少なくとも教えることはできない。

 

わたしもたぶんそうで、どうやったら場がつくれるかはいくらでも教えられる。

場がどう成り立っているか、何がそろえば場になるか、項目出し、順番、つまづきやすいポイント、行き詰まったとき何が起こっているかの解釈・打開策...。

 

でも講座に来てもらったり、セッションを受けてもらったりして、受け取ってもらっているのは、「なぜわたしは場をつくることができるか」だと思う。

わたしの存在や表し方にお金をいただいている。

(含まれているのが知識や情報であっても)

究極の個別性、唯一性。

かるたの講座で書いた、だれから橋を架けてもらうか、という話にも共通している。

 

そして、誰のお仕事もそのようであると思います。

というか、なんかもうすべてのお仕事はそのようであってほしい。

 

 

そういうあれこれを辿っていくと、公開コンサルテーションは、すごくいい取り組みだったなぁとあらためて思います。

 

実際に受けてくれたちほさんは個別案件について進むし、

世の中に必要な場は生まれるし、

ちほさんをわたしの友人知人(あるいはわたしを通じて知る人)に紹介できるし、

ちほさんはわたしを友人知人(あるいはちほさんを通じて知る人)に紹介できるし、

見ていた人が誰であっても、一人ひとり何かを受け取ってくれているし。

 

わお!いいことづくめじゃん!!

 

 

 

これはアートだ!と言ってくれた友人もいました。

 

そうそう、そうなの。

わたし、こういうのをやりたかったんだわ。

この記事で書いてた、見知らぬ人にお花をあげるようなこと。

リー・ミンウェイとその関係展を思い出す - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

 

ライブはやっぱり楽しいな。

 

 

この2人の間合いとか、呼吸とか、やり取りの感じがすごいよかった。わたし的にはかるたっぽかった。

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ちほとせいこの話しぶりが気に入ってくださったら、次回のリブトビトークライブもぜひご覧くださいませ。

横浜のkosha33で観覧もできます。お賽銭も受け付けております^^

次は、このコンサルテーションの経験を生かし、山登りのルートを決めようかと話し中。お土産もあります。楽しみ楽しみ。

 

liveandbeauty2.peatix.com

どうして場をひらけないか

「場をひらくための知識や情報は持っているけれども、一度も自分が個人として主催して場をひらいたことはない。しかしとても興味がありひらいてみたい気持ちはある」

との自己紹介を携えて講座やセッションにいらっしゃる方が、一定数おられる。

 

聞けば、場づくりや、ファシリテーション、ワークショップ・デザイン、コミュニティ・デザインなどの界隈で活動している方や団体、そこがひらいているワークショップや講座やイベントのことなど、わたしよりもよっぽどよくご存知だし、個人的なつながりもある様子。ひたすら「すごいですねぇ〜」と感服してしまう。

 

わたしの場にたどり着いてくださる方というのは、言語化できないまでも、「場」という概念について自分なりの感覚をもってらっしゃる方なので、当然といえば当然なのか...。

 

 

 

そうかぁ、それほどまでに切実に求めていらっしゃるのだな、と思う。

場を、人とのつながりを。

 

あるいは、自分が持っている「大切な何か」と「他の人」との間に、橋を架けたい!という欲求がおありなのだな、とも。

 

 

うん、素敵!

素敵なことです!!

 

 

だからこそ、どうしてご自分では場をひらけないのか、が気になる。

時間内の設計はできる、でも企画ができない。

・場をひらく内的動機、衝動。

・誰と出会いたいか。

・何によってその人(たち)とつながりたいか。

が進まない。曖昧には言えるけれども、イメージ(絵やシーン)やその人自身とのつながりが見えてこない。

「自分に切実さが足りない」とさえおっしゃる。

 

 

それを聞いていると、心理的なブロックがあると感じる。

切実さはある、でもそれを表現するのが怖い。

 

 

そういう方々に対して、もっとイメージをクリアにする問いをどんどん転がせればよかったなと、毎回講座やセッションが終わってから、自分の未熟さを思う。

 

 

恥、劣等感、無力感、疎外感、罪悪感、猜疑心、嫉妬心などからくる怖れや、自己不信や自己嫌悪があるのかなと想像する。

わたしが自分をひらいて、場をひらくときには、そのあたりがテーマになったので。

あくまで想像。

 

心理的ブロックを外すこと自体は、自分の手でしかできないだろうなとも思う。

とても勇気の要ることだ。

深みや重みのある事情があるのかもしれない。

そんな感じを受ける。

 

 

 

でもだからといって、わたしが、自分で勝手につくった妄想に引きずられてはいけない。共感しすぎてはいけない。怖れへの拒絶反応が自分に起きていないか点検する。

 

・丁寧にチューニングして、同好の士が集まる場を設えて、安心安全で健やかな場をつくることが、まずわたしが第一にやること。

・それから、事実を聴くこと。
温かな関心をもって、イメージを明快なものにするサポートをすること。

・感情が出てきたら丁寧に聴くこと。

・自分を守るためにも、安心安全で健やかな場のつくり方をお伝えする。

 

 

怖れの出所を聴くのではなく、怖れを排除するのでもなく、「怖れがあるんだな」と感じながらも、ほんとうに見たい景色を共に描いていくこと。

 

ああ、自分の持ち分、持ち場を忘れてはいけないなぁ!反省。。

 

 

幸いなことに、有難いことに、「同好の士」がその方の背中を押してくださっている。

他の参加者が問いかけてくださる言葉が、ご本人にとってとても大きい。

そういう場をつくれたときにも、「お仕事をした」と感じる。

 

わたし自身の問う力を鍛えると共に、お互いの問いかけがもっと出てくるような、設えや進行や姿勢を磨く。

 

場をつくるときのアプローチが、もしかしたら違う・合わないのかもしれないけれど、少なくともこちらがさまざまに込めて書いた募集文を見て、申し込んで来てくださったということは、ヒントがあると思ってくださったわけだから、精一杯やろう。

 

 

変化を起こすのは、その人の力と信じて、いる。

 

 

必要としている方にお届けできるように。

 

精進します。

 

 

 

 

 

▼「場をつくる」をテーマにして話したもの。

doremium.seesaa.net

 

わたしのはじまりはこんな感じでした。

わたしの場合は、いきなり一人ではやれなくて、プラットフォームに乗って、そこに集った仲間と一緒にやったので、怖さはだいぶ軽減されたけれども、それでもやっぱり怖かったな。

 

 

 

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主催者の目を持つ(読書会のつくり方講座)

10/21 読書会のつくり方講座をひらきました。

 

dokushokai3.peatix.com

 

 

「本が好き!本をきっかけにおもしろい人と出会いたい!」
「読書会に興味があって、自分でもはじめてみたい!」など、

読書会を主催したい方が、つくり方が学べる場です。

 

わたし自身が5年前に「読書会をやってみたい!」と思い立ったときに、一番助けてくれたのが「型」を学べる講座だったので、型を2つ体験できるようにしました。

そしてさらに企画を立て、当日の場の設計をして、とりあえずここまではイメージできた!という状態をつくることがきょうのゴールでした。

 

来てくださったのは、こんな読書会を考えておられる方々。

-「ジェイン・オースティンの読書会」のような雰囲気で、同時代が集って本を通じてお互いの人生を引き出し合うような読書会をしてみたい。

-ケアをする人たちやケアをする家族と一緒に、ケアについて考える本を真ん中にした場をひらきたい。

-みんなで読みたい本が一冊ある。これを通じて人生の奥深さや気づき、奥底に眠っているニーズの話を交換する読書会をひらきたい。

 

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「持ち寄り型」は、テーマを「秋の夜長にこの一冊」にして一人一冊持ってきた本を紹介。

「課題本話し合い型」は、黒井千次の「どうすれば虹の根もとに行けるか」という6ページの短い随筆をその場で読んで感想を話す。

それぞれ約30〜40分のミニ読書会を体験してもらいました。

 

体験した感想や、進行についての質問などを出し合ったあとは、「読書会のいいところ」を挙げてもらったり、他の型の紹介、進行のコツなどの解説を行いました。

  

「わたしがここでやっていることには全部意味や意図がありますので、知りたいことがあったらどんどん聞いてください」と事前にお伝えしてあったので、どんどん質問が出てとてもありがたかったです。

 

ひと通りインプットしたところで、最後に各自が「自分の読書会」をワークシートをつかって企画、設計し、発表しました。

きょういらしたときには「ふわっとしていて...」なんておっしゃっていましたが、「ここをわたしは一番おもしろいと思ってるんだよね!」という場の核のところをグッとつかんでいる感じがあり、話を聞いていてわくわくしました。

 

たまたま全員が1冊の本を読み合う読書会を考えていましたが、一人ひとり少しずつ違っていて、

-勉強会型の読書会で、事前に15分キーノートスピートを入れる

-本を読んできていないけれど、その作品のことを別の形で知っている人はギャラリーとして参加できる

-難解な内容なので、事前に「みんなに質問してみたいこと」「わからなかったところ」を送ってもらい、そこから対話をはじめていく

 

などの、アイディアあふれる読書会の企画が生まれていました。

 

 

開催へのやる気がぐんとわきました、

楽しみになりました、

もっと考えを進めたい、

などの感想が出ました。

 

きょう3時間取り組んだのは、主催者の目を持つこと。

ぜひ自分とやりたいことが近そうな読書会に出かけていって、その読書会を「場」としてとらえ、構造を見て、進行の流れを見て、ひらく人のふるまいや言動、そこで集っている人の様子などを観察するとよいです。

 

そしてそこで自分の快や不快を感じてみる。

快なことは、自分の場でも取り入れてみる。

不快なことは、自分だったらどうするかを考えてみる。

 

そんなことも取り入れながら、ぜひ自分がやりたい読書会を、自分が会いたい人に会える読書会をのびのびとつくっていっていただきたいです。

 

わたしは今回やってみて、特定の場のつくり方講座は、マニアックな質問や話題も出たりして、場づくりゼミとはまた違う楽しさがあるなぁとあらためて思いました。

 

 

日常の続きをちょっと出て表現してみる、その楽しさを分かち合う。

芸工展にも参加できてよかったです。

自己満足かもしれないけれども、ここにまたオレンジ色の手ぬぐいを下げられたことは、やはりうれしい。

 

 

ご参加の皆さま、ありがとうございました!

 

 

次回はオンラインでの講座になります。

ご興味ある方はこちらへお問い合わせください。

 

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「持ち寄り型読書会」の練習で出た本たち



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場をつくる人が何を大切にしているか

 
 

10/13(土)KLASSでの「また行きたい!と思える場をつくるゼミ」の第2回でした。
 
来てくださったのは、
いろんな場に参加してきて、ちょっと主催の側にも回ってみたいと思って学び中の方。
 
そして、以前頼まれて教えていた場が自分の目指すものと違った。自分としてつくりたい場を模索中の方。
 
いきなり起業ノウハウではない、技術やツールの使い方だけでもない、場をつくるにあたっての自分の心づくりや、人との関係づくりを丁寧に考えていける場を探していたとのことで、とてもありがたいです。
 
-自分が思う「行きたい場、行きたくない場」を挙げ、その理由を考える
-どんな人がどんな体験をしてどんな変化を遂げて帰るのかの体験のデザインをしたり
-どこで募集するか、どうすれば人が集まるか
 
など、参加された方の進捗具合や関心に沿って、いくつかのツールを使って進めていきました。
 
 
場をつくる人が何を大切にしているのか知ることができてよかった、
具体的にどんな場にしたいのかをもらったシートを使って考えていきたい、
という感想をいただきました。
 
自分の内なる動機や熱を大切に、少しずつつくっていきましょう。
皆さまの場づくりを応援しています!
 
ご参加ありがとうございました。

 

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次回11/4(日)の場づくりゼミのテーマをもっとはっきりさせました。

「安心、安全な場のために知っておきたいリスクの話」をします。

人が集ったときに良いこともたくさん起こるけれども、嫌(と感じる)なこともたくさん起こります。それが人と何かをするということです。

  
特に抜けがちなのは、《ひらくあなた自身の安心・安全・健やかさは守られているか?》ということ。それらは設計や運営のやり方によって事前に防いだり、より健やかなほうに舵を切ることができます。

  
-これから場をつくる人には、知識として。
-場を運営中の人には、その課題のポイントを。
-仕舞いかけの人には、仕舞い方のコツを。

 

他ではあまり聞かない話かもしれません。
11/4(日)午前。単発参加大歓迎です。お申し込みお待ちしています。

 
★場づくりゼミの今後の予定
11/4(日)安心安全な場のために知っておきたいリスクの話
11/18(日)進行練習
単発参加大歓迎です。
 
★KLASSの他の講座
12/22(土)自分の今とこれからを見つけるコラージュの会《冬至編》