ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

フィードバックを受け取る力(読書会のつくり方セッションから)

先日「読書会のつくり方講座」をひらきました。

dokushokai3.peatix.com

 

「本が好き!本をきっかけにおもしろい人と出会いたい!」
「読書会に興味があって、自分でもはじめてみたい!」など、読書会を主催したい方向けのつくり方が学べる講座です。

読書会にはいろんな型がありますが、今回は基本の「持ち寄り紹介型」と「感想シェア型」の読書会を体験します。そして、企画の立て方を知り、あなたにとって楽しくわくわくする読書会を描いていきます。

質問やディスカッションの時間を大切にできるよう、少人数での開催です。今の読書会をもっと素敵にしたい、お困りごと解決のヒントがほしい運営中の方も歓迎です!

 

 

そのときのレポートがこちら。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

それを見てくださった方の中で、

「日程が合わないから別の日にまた開催してほしい」

「遠方なのでオンラインでセッションをしてほしい」

とご連絡くださった方がいらっしゃったので、Zoomでお二人とセッションすることにしました。

このような働きかけはとてもうれしいです。その方の関心の向いたタイミングでダイレクトにお役に立てるのは!

 

 
 
既に読書会も場づくりもご経験のあるお二人の、読書会に関するお悩みやご関心をうかがって考えてみて、90分何をしようかなと考え、

・読書会の種類レクチャー

短文を読んで感想をシェアするミニミニ読書会の進行練習

・2人からフィードバック
をやるのがよさそうだなと考え、進めました。
 
まったく読書会をやったことがない、何を考えればいいのか皆目見当がつかない、という方と違って、経験のある方は、
・自分のやり方と違うやり方にふれたい、
・なんとなく自己流でやっていたけれど、これでみんなに満足してもらえているのか、よい出来になっているのか確認したい
という自分の軸を確認したり、

・もう一段上がるための苦手への向き合いを一緒にやってもらうこと
ができるといいかなぁと思いました。
 
 
 
ミニ読書会のところは事前に、

・課題本の中から10分ぐらいで読める文章をピックアップ。

・その本一冊野中で自分にとって特に重要である、人と共有する必要がある、人と話し合う必要のあると思う部分、投げかけが含まれているなどの箇所がよい。

・おおよそ20ページぐらいまで。事前に送っておいてもらい他の参加者は当日までに読んでマーカーなどを引いておく。

をお願いしました。

 

進行は一人分がこんな感じで二人にしてもらいました。

・あいさつ(3分:わたしは何者か、きょうの読書会をひらいた経緯、きょうどんなふうに参加してほしいか等)
・キーノートスピーチ(5分:読んでない箇所のフォローとディスカッションへの土台・前提をつくる)
・一人ずつ第一感想(5分)
・全体ディスカッション(7分)
・ふりかえり(3分)

 

だいたい25分。これに対してわたしともう一人の参加者の方からフィードバックをするというやり方で進めました。
 
選んでくださったテキストがおもしろくて、つい買ってしまいました!
 
本選びはもちろん、二人二様のまったくタイプの違う場のつくり方。それぞれの存在が学びになる時間でした。
 
 

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わたしにとって、やってみてよかったことはいろいろありますが、大きく4つ。
 
① 看板は掲げてないけれども、興味を示すこととわたしのやりたいことが合致すればいくらでもアレンジできる。整っていて値段がついているものだけが商品ではない。そのような注文が今はめっぽう楽しいです。これについては一本記事を書こうと思います。
 
Zoomでのセッションや講座は、物理的距離や時間の制約からかなり自由になれる。
 
自分はどんなタイプの読書会が合っているのか、やりたいのかを見つけてもらえたこと。類型とその特徴を知ることで、どのような型を採用し、読書会をひらくときに何を抑えればいいのかが、それぞれの方の中でしっくりきたようです。
 
 
 
それから、
 
「フィードバックを受け取る力」ことについて考えるきっかけをもらえたことが大きかったです。
実際にやっているところを見てもらい、フィードバックしてもらうのが一番いいし、それができてよかったとご感想もいただいたのですが、フィードバックを受け取るというのは、なかなか難しいことでもあるなと感じています。でもお二人ともそれはそれは真摯に受け取ってくださいました。
 
 

このことで思い出したのが、競技かるたの練習をするときの感想戦です。対戦が終わってから相手とふりかえりをすること。将棋の感想戦の話ですが、こちらに詳しくあります。

感想戦は、対局の直後、まだ余韻が残っている中で始められます。負けた方は悔しさに打ち克って、勝った方は嬉しい気持ちを折りたたんで相手の気持ちを察しながら、実戦では現れなかった指し手や敗因となってしまった手、そこでのより良い手など探っていきます。勝者も敗者も関係なく、一緒に行う共同作業です。

 

わたしは実は本当につい最近まで、感想戦で言われたことを何日も引きずることが多かったのです。よりよくなるようにと思って相手がフィードバックしてくれているのに、傷ついている自分がいました。しかも競技かるたでは、中学生、高校生、大学生の選手がほとんどなので、自分より圧倒的に若い人から指摘されることになります。

 

フィードバックに対して、口では「ありがとうございます」と言っているのですが、「そこまで言わなくたっていいじゃない」「わたしだって一生懸命にやってるのに」「バカにされた」「わかってるのに言わなくていいから!恥かかせないでよ!」と怒りの感情がわいてくるときがありました。

 

不甲斐ない自分への怒りや自己嫌悪の感情を相手に転嫁しているのですが、どうしてもわいてきてしまう感情。でも心から感謝もしている。それにどう折り合いをつけたらよいのかと考えていたのですが、結局のところ、傷ついていること自体は歪められないので、傷つきを自分で認めて、ゆるして、受け入れて、愛して、その上で、勇気をもってそのプライドを捨て、また次も教えを乞うていくしかない。

 

その感情を見ることでしか強くならない。

 

逆に自分がフィードバックするほうに立ってみると、相手がもう一歩も二歩も先に進むために真剣に伝えている。ここに何かあるんじゃないかと思って来てくれているから、今自分にできることをする。

そういうときには、どうしてもギリギリの表現にならざるを得ない。言葉を選んで配慮して使うけれども、揶揄しているように受け取られても仕方がないぐらいギリギリになるときがある。でも当たり障りのないことを言っていては意味がない。なんのために今、「対戦」したのか、一緒にいるのか。

 

もちろん人間だから、「相手を下に見る気持ち」が絶対に混じっていないとも言えない。そうではない、学びや成長や共に高め合うことから言葉を発しているかと自分に問いながら、言うほうも軸を持って常に揺れながらいる。

 

そのことを今回のセッションではっきりと理解することができました。

ありがとうございます。

 


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ご要望に応じて、講座の形でもZoomでのグループセッションでも承ります。ご自身のつくりたい読書会の形、ワークショップの表現を一緒に模索していきましょう。

・お問い合わせはこちらのフォームからどうぞ。

・セッション料金については、ウェブサイトをご覧ください。

hitotobi.strikingly.com

 



 

「ちはやふる」の世界を豊かにする人たちの祭り

ちはやふる祭り」と題し、映画のちはやふるを観て語る会を友人らでひらきました。

 

はじまりは今年の6月にひらいたこの会。

映画「ちはやふる-結び」の感想をあーだこーだ語る会、ひらきました! - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

「結び」がよすぎて、語る会をひらいたぐらいなので、DVD/Blu-rayが10月に出るとなれば、もうこれはまた語る会をせねば!なんなら3本連続で見る祭りにするぞ!となり、語る会をいっしょにひらいたゆきこさんと夏ごろから企画しました。

 


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朝9時から夜9時まで。

「上の句」を観て食べて話し、「下の句」を観て話し、「結び」を観て食べて話し。

メンバー入れ替わりながら。最後は海外とZoomでつないで。

 

スピーカーから音がでなくて、あーでもないこーでもない、どうしよう、音出なかったらどうしよう、と時間に迫られ、冷や汗が出る中、いきなり音が出たときは、「あたしたち、チームになった!」という感じがして、いきなり青春でした(笑)。

 

 

一人ひとりとみんなにとってのちはやふるの分かち合い。

ちはやふる好きで話したい人しか来てないから、なんの遠慮もなくトーク炸裂できる喜び!

 

競技かるた、スポーツ、青春、伏線、演技、俳優、部活、恋愛、言葉、台詞、時間、歴史、文化、歌、家族、人生、進学、勉強、師匠と弟子、先生、仲間、強さ、弱さ、孤独、、、たくさんのテーマが行き交いました。

 

 

長編漫画(11/13に40巻が出るところ)、映画も3本とボリュームあるものなのに、こんなに前提を共有しながら話せるなんて、ほんとうにすごい!

 

 

わたしにとって「ちはやふる」は人生に関係ありすぎる物語なので、大好きな人たちが大切に聴いてくれてうれしかったし、大好きな人たちの大切な話もシェアしてもらえてうれしかったです。

 

普段なかなか競技者じゃない人と競技かるたの話をすることってない。話してもわたしが一方的にしゃべる感じになるし、目の前に何もないから説明も表現も難しい。

でも「ちはやふる」を真ん中にするとわかってもらえることもたくさんあって、「ああ、それをやってたの!」となるのがわたしもうれしいのです。

 

競技をしていると、一枚の札に出会うたびに自分だけのシーンや言葉やエピソードが積もって、百首ぜんぶがかけがえのない歌になってゆくのですが、ちょうどそんなふうにこの作品にもたくさんのものが降り積もっています。

 

何度見返しても発見があるし、いい。

特に「結び」の素晴らしさをあらためて感じています。

これから何十回もの鑑賞に耐えるでしょう。

 

あー楽しかった〜!
そして翌日は友だちの練習会に参加し、かるた5本取りました。幸せです。

 

 

 

いろんな話が出ていて、記録もしていないので、ほんとうにその時間だけに交わした言葉なのですが、その中で競技者として印象に残ったのがこれ。

 

 

武井壮流トレーニング理論 日常生活をすべてスポーツに変える 

miyearnzzlabo.com

 

畳の上でも、畳の上以外でも、強くなるためにはこれだ!

 

つまりスポーツというのは、「自分の体を頭で思ったように動かす」に取り組んでいるということ。自分の頭、自分の体、自分の精神。全部がぴったりしているときにリラックすしながらのびやかに動ける、思ったように札が取れる、ができる。

たまたまそういうふうにぴったりできるのではなく、そういう状態をいかに作って、畳の上で出していけるか。

日常のすべてにおいて、自分に意識を向ける。自分の頭と体の一致。内外一致。

わたしはそれを調えたくて、自分のためにかるたをやっている。
それを真ん中に置くと、人との比較に陥らずに済む。

 

大事なことを教わりました。

 

 

子育ての何かの終わり

2017年11月20日の日記

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さっきラーメン屋で餃子つつきながら息子が、「『アルバイトしたらいいこと』を挙げていくゲームをしよう」などと言ってくるので、「オイコラ、33も歳上でアルバイト経験豊富なあたしに小学生がよう言うたな!」と完全にナメてかかっていた。

 

そうしたら、

「アルバイトの後にお疲れ様ってみんなでビール飲みに行くのが最高」とか、

「アルバイト先やお客さんで友だちができて仲良くなれる」とか、

「ごはん屋さんで働いてたら、常連のお客さんが、同じ職場の人を連れてきてくれて、あー美味しかったって喜んだら、紹介した人もうれしくなって、そういうのを見てるとこっちもやっててよかったなって思える」とか、

「疲れたときにアルバイト先の人ががんばれって励ましてくれるのがうれしい」とか、

どんどんいいネタを繰り出して来てびびった。

 

確かに息子は先月、近所の商店街で半日お店屋さん体験をする授業のため魚屋さんで働いてた。でも、それだけじゃないものが息子の中に蓄積されてきて、今まさに表現されているという感じがした。

 

人とのつながりの中で自分が生かされている、人に喜ばれていることがうれしい、愛し愛されている、という確かな実感があるのだな。

働くことの本質が見えている。すごいなー。

 

わたしはもうネタが尽きてきて、「アルバイトでコツコツがんばってたら、"○○くん、正社員にならないか"って言ってもらえる」など苦し紛れに言ったら、「正社員って何?アルバイトとどう違うの?」と息子に質問されてまともに答えられず。内容もひどすぎる。

けっきょく20ネタずつぐらい出たところで、わたし完敗でした。まじか。

 


なんでそんなにいっぱい出せるの?って聞いたら、「企画者だから当然なんだよ」と言われた…。キカクシャ…!!(◎_◎;)

 

子育てのうちの何かが終わったという感じがしました。その何かが終わるごとに関係性が変わっていく感じ。

 

これからもこの人といるのが楽しみだなー

「キャリア教育」とかわざわざしなくても、今ある環境で良さそうかも。

 

 

 

 

2018年11月1日の日記

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ここのところモヤモヤすることがあって、きょうはついにこのままじゃ眠れん!あしたの仕事にも差し支える!てとこまできたので、頼みの綱、息子(小4)に聴いてもらった。

 

わたしが瀑布の如く話しまくるのを息子はただじっとまるごと聴いていて、その聴き方にびっくりした。

 

さらにわたしがひと塊を話し終えて息をつくタイミングで、「ああー、うーん、そうか、すれ違ってるんだね」とか「それはもうやりたくないんだね」とか「解読しようとする気持ちも持ち続けてるんだね」とか、めちゃめちゃ共感たっぷりの要約や返しをしてくれた。

 

息子にしてみたらまったく知らない単語やまったく経験したことない出来事や感情や感覚の話なはずなのに、話したわたしはすごく共感して理解して聴いてもらえた感じがして、ありがたかった。開放されたり、認められたり、やっぱりわたしはわたしでいいんだって思えた。

 

ありがとう、まじ助かったよーと言ったら、
「まぁこういうのよくあるし。話聴くの好きだし、聴いて自分なりに返してあげて、相手から話してよかったって言ってもらえるとうれしいんだ」……って!!!

 

わたしの子育てのけっこう大きな部分がまた終わったと思った。あとはわたしは自分が健康で息子に迷惑かけず、がんばってお金を稼ぐくらいしかしてやれることないや。

 

いやーここまでほんとよくやってきた、わたし。
そしてよく自分を信じて生きてきてくれた、息子。

 

ギフトが多すぎて大きすぎて抱えきれないこの頃。

各々が言葉にすることで場が立つ

11/22にひらくスマホ写真講座のガイドのさっちーさんが、ブログに書いてくれました。うれしい、ありがたい。

sachycamera.com

 

 

 講座をひらくにあたっての経緯と願い、撮る教える上での哲学。

もしわたしがさっちーさんのこと知らなくても、これを読むだけでもう「この人に習ってみたい!」「この人に撮ってもらいたい!」と思っちゃうぐらいなので、ぜひ読んでみていただきたいです。

 

 

実は今回、「書いてもらいたいなぁ」とわたしからボールを投げてみたこともあって、書いてくださったんです。

 

さっちーさん、おはようー!もしよかったら、FBに投稿してくれたことを中心にブログ一本書いてもらいたいなぁ。宣伝としていろんな人にシェアできる形にしたいのもあるし、 わたしがもちょっとだけ、これ書いたあとに生まれた肉がついたもの、一歩進んだものを読みたい欲求。
さっちーさんがこの企画の何をおもしろいと思ってくれてるのかを、文章でも読んでみたい。で、うちらは今回何によってつながってるんだろ?ていうのをさらにつかみたい。 もし気が向いたら!
(忙しい人に言ってるのは承知であります〜)

 

 

 

と書いて送ったら、「書きます!書こうと思ってたんです!」とお返事がきたのがまずうれしかった。もともと彼女も記事を書く予定ではあったそうなんですが、共催者(わたし)が求めることで、書く意欲が強くなったのかなぁと思います。

 

それを書くことはわたしにとっても意味があるから!

集客という目の前のことだけではなく、その先の広がりに未知のワクワクがあるから!

...という姿勢でいてくださる方と組むのはとても楽しい。いや、そのような人としか今は仕事で組むのが難しい、とすら思います。

 

 

打ち合わせではいろいろ話していて、わたしたちとしては共有している。でもそれは、「だよねー」「そうそう、わかるー」な分かち合いでもあって、わたしたちの間でしか通用しない可能性が高い。

 

経緯や意図や思いを公の場で表現していくことでしか見えないものがある。時間もエネルギーもつかうことだけれども、そこを超えて書いて共有してくださるのは、ほんとうに有り難くうれしいことなのだ。

 

ああ、相方さんの側から見た風景はそのようだったのか。

相方さんにとって、あのひとつの単語、ひとつの事象、ひとつの道具はそのような意味があるのか、そのようにとらえていたのか、ということが書かれることによってはじめて知ることができる、理解することができる。

 

あとはそれを片方だけが背負わなくてもいいということもある。

 

公に言葉にしたときのお互いの発見があり、お互いのつながりが確認できることによって、場が立つのではないかと思います。

舞台で自由に舞うための土台をつくるイメージ。

 

以前にもこの記事

 

だれかと場をつくるときに、最終的に何が自分たちを支えるかといえば、知識や経験もだけれども、思いの共有や交換が大きい。

 

と書きましたが、今回の講座づくりを経て、より土台をつくっている感覚を明確に持てるようになりました。これからはもっと意図してやっていけます。ありがたい!

 

 

 

うんうん、いい感じ。

 

「才能は磨けないがセンスは磨ける」って魔夜峰央も言ってましたよ!(先日原画展に行った)

 

影技術はもちろん、撮ることの本質を学ぶとってもいい会になりそうです。

お申込みお待ちしてます!

 

portraitbysmartphone.peatix.com

 

 

 

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METオペラ「アイーダ」がよかった話

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前期のアンコールはなんとなく食指が動かず、今はお能の気分だなぁと、オペラからは少し距離を置き気味だったのですが、2018-19シーズンはなぜかまたMETLV(Live Viewing)にひたるぜ!と気合いが入っており、トップバッターの「アイーダ」から行ってきました。

 

▼こういう色の感じだった。
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バーっとツイートしておいて、それを元に書き直そうかと思ったのですが、まだ温度が高すぎて触れないので、そのままを貼ります。

 

オペラをMETLVという形式で見るのがおもしろくて、毎回見るたびに発見があるんだけれど、今回もすごかったなぁ。どうしてわたしは芸術を必要とするのか、の一部が言語化された気がしました。

 

オペラに関しては、お祓いしてもらいに行っている感じもあります。ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今期は他に「サムソンとデリラ」「マーニー」「カルメル会修道女の対話」が気になっています。楽しみだなぁ。

 

 
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小倉遊亀展がよかった話

平塚市美術館で開催中の小倉遊亀展に行ってきました。

 

平塚市美術館は今回がはじめての訪問。でもなぜか所蔵品のアートカードセットを持っています。アートカードを見ながら、どんな美術館なのかなぁ?といろいろ想像していました。

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さて、小倉遊亀について。

http://www.shiga-kinbi.jp/?page_id=115

 

わたしと同郷ということもあってずっと親近感を持っている画家です。

小倉遊亀の作品を数多く所蔵している滋賀県立近代美術館には、小中高校生の頃にたいへんお世話になり、たくさんの画家や作品やアートの潮流や提案を見せてもらいました。常設展には小倉遊亀のコーナーがあり、いつもおなじみの作品に会っていたのを覚えています。

 

きょう展覧会を通してあらためて画業をじっくりと訪ねてみて、わたしが彼女の作品からもらったものがたくさんあって、それは親近感という以上のもので、知らないうちに一緒に時間を過ごしていたことに気づきました。

 

子どもの頃から変わらず好きな何か。

熟していった何か。

 

 

今回展示されていた120点中、滋賀県立近代美術館からは43点が来ていて、中には30年ぶりに再会した作品もあって懐かしかったです。

 

覚えのある色や筆致。
今ならわかる厳しさや美しさ。


もっと知りたい。
わたしももっと描きたい。

もっと描けるようになりたい。 

 

きょうも友だちと一緒に行けて、感想をあーだこーだと話せたのもよかった。

 

 

 

そうだ、もう一つ。

自分も模写してみて、習作が見たいなぁってすごく思ったんでした。

スケッチやデッサン。どんなふうにはじまるのか。どんなふうな道を通っているのか。

 


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▼一番好きで、一番親しんでいる作品かもしれない。「姉妹」
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▼わたしがこういう色が好きなのも、もしかして小倉遊亀の影響なのかも。

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▼それから、エントランスにあったこの作品は、先日藝大美術館で見た「深井隆退官記念展」っぽい感じがあったのでアートカードを確認してみたら、作家の三沢厚彦さんは東京藝大の彫刻科卒。やっぱりー!87年卒だから84年から教鞭をとっていた深井さんに師事してらしたのかな。いろいろつながるなー。おもしろい。
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▼先日の深井隆展。よかった。最近厳選して見ているからか、どの展覧会もよい体験。
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 ああ、きょうもいい日でした。

 

 

たとえばこんな絵

ライフテーマのひとつである、ジェンダー

 

女性である自分についてこの何十年も考えて取り組んできて、今、「男性による男性のための支援があってほしい」という願いがわたしにはあります。

 

それについての自分の見えているもの、自分の実感を偏りいっぱいに書きました。

男性による男性のための支援と場について - ひととび〜人と美の表現活動研究室

「同性」の共感と応援によってしか行けない場所 - ひととび〜人と美の表現活動研究室

関係の中の精神的自立と境界線、または尊重と感情的な安全性 - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

 

読んでくださった方々とやり取りする中で、これを書いたことによって、既に存在している「男性による男性のための支援」が見えてきました。勝手に脳が見つけるようになった、と言ってもいいかもしれない。

 

未熟ながらも書いてほんとうによかったです。書いて人目に触れるようにしたことで気づけた。

 

はっきりと看板を掲げているものから、実は支援の機能を持っていると読み取れるものまでさまざま。

 

 

 

それから、こんな絵も見えるようになってきました。

 

www.asahi.com

 

npotadaima.com

 

 

長い長い過渡期だけれども、こうして言葉にして、そこから対話したり、実際に場をつくったり、試したり軌道修正したり、やっていければいいなぁと思う。

 

あたたかな共感や応援や祝福をもって。

いっしょに。

 

それは同じ世代だけではなく、同じ時代を生きている人たちにも祝福だと思うのです。

 

特に、わたしはそういう絵を子どもらに見せたい。

 

 

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リブトビトークライブの打ち合わせをしたよ

リブトビトークライブまであと9日!(リブトビとは?前回のレポート

 

きょうはちほさんとTORAYA TOKYOで打ち合わせしてきました。

 


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こはちょうど3週間ちょい前に公開コンサルテーションをやったお店ですね。いやはや、あれからなんて濃ゆい時間を過ごしてきたんだわたしたち…と呆然としました…。

 

さて、と気を取り直し、いつものように3時間しゃべりたおして、リブトビ当日のだいたいの山登りのルートが決まりました。

 


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うーん、写真に撮ったけど、よう見えんかったので書きます!

 

・演者と鑑賞者の話(やってみてわかったこと)
・聖子さんの1ヶ月を見ていて鑑賞できるようになった気がした事件
・多様な美を知っておきたいな
・“生きている”ことを優先しようと思って実践中
・"それは発達のせい"と一度おいてみた
・"これでいいんだなって"と言われることの嬉しさ、"意味のわからないこと"のすごさ
・表現
・ゴルゴ事件(後日相討ち事件)
・触れてほしくない話題
・あんたになんかわからない
・わたしのために心を使え!
・ギリギリのとき外からの刑務官
・あたしだってがんばってるのに
・支援
・怒ってよかった
・感情を感じると輪郭がハッキリ
・回復途上
・侵入を防ぐ
モラハラは私?
・恥、罪悪感、軽蔑
・"反省させると犯罪者になります"
・積極的不登校児とくらす
・疎外されたいた・いる辛さ→本当はどのように包摂?
・善良すぎるからこそ
・あなたの罪悪感はあなたの境界の内側に
・passive aggressive
・どっちが悪いか(ではなく)、どっちのせいか(ではなく)
・距離感、ケンカしない?
・かるたの主張と感想戦が聞けない
・なんで相談できなかったんですか?
・無防備さ
・わたしは息子に産んでもらった
・男性のスカート

 

ふぅ…‥ (´∀`;)…こうして並ぶとすごいですネ…

 

 

こんな感じに盛りだくさんでぎゅっと詰まった話をします。

まだ9日あるので、ここに新たに加わったり、変更されたり、上書きされたりすると思います。

 

会場でオンラインでお会いしましょう!
どうぞお楽しみに!

 

詳しくはこちらをご覧ください。

liveandbeauty2.peatix.com

 

 

秋の日はつるべ落とし。


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息子に読み聞かせのコンサルテーション

小4息子より「コンサルティング」のご依頼。

 

[依頼内容]
・今週ぼくは学校で小3に読み聞かせをする
・もう一人とペアでする
・一人一冊、つまり二冊読んで15分になるように
・家にある本でぼくの分を一冊選んでほしい

 

なるほど。ということで考えてみた。

 

 

[選書ポイント]
大人が子どもに読み聞かせする本の選書は頼まれたことあるけど、子どもが子どもに、しかも小4が小3にというと、なかなか読むほうも聞くほうも考えるポイントが違いそう。

そこで

「よかったね、ネッドくん」

「くれよんのくろくん」

「はちうえはぼくにまかせて」をおすすめ。

 

どれも、

・読むほうにとって: 
 好きな本である
 文字数が少なく、本を相手のほうに見せて読むときも目測が容易なレイアウト
 短めなので心理的負担が少ない

・聴くほうにとって:
 色がきれい
 声が聞き取りにくくても、持ち方や座る場所で絵で見にくくても、なにかは楽しめるし、有名な絵本なので、あとで知ってる子が教えたりもできる
 ストーリーが追いやすい
 単純だけど奇想天外で楽しい

 

 

 

熟慮の末、息子は「ネッドくん」に決めた。

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[オプション]
・練習にもお付き合い。持ち方を教え、時間を測る。
・緊張すると読みが早くなるので、ゆっくり大きな声で、を心がけるのをアドバイス
・褒めて励まして終了

 

 

読み聞かせの日、やってみてどうだったかをふりかえった。

 

[ふりかえり]

・もう一人が先に読んでくれたので場の雰囲気がほぐれていてやりやすかった

・大きな声でゆっくり読む、を心がけて落ち着いて読めた

・3年生の子たちが喜んでくれていたのでうれしかった

 

 

よかったね!息子!!

 

秋分から冬至

きょうから二十四節気では立冬

七十二候では山茶始開(つばきはじめてひらく)

そして深夜に新月

 

いろいろひらく、はじまる日。

 

9月の秋分のときにコラージュをつくり、そのあとふと出てきた言葉を冬至までの3ヵ月のテーマにしようと決めた。


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なぜこれになったかはわからないけれども、いいインスピレーションだと感じた。

ひらがなやオノマトペを入れたいなと途中で思って、実際にそうしたことも含め。

 

今見てみても、すごくいい感じがする。

そのように日々生きているとも思う。

 

自分でつくったおみくじみたい。

これらの言葉はいろんな方面から仕入れてきたもので、

さらに一つひとつに表現したい自分の歴史がある。

 

 

「達成すべき目標」でもないからしばられるのでもなく、

でもどうしようかなと迷ったときに、小さな基準をくれるような。

じゃあそれにのっかってみようかなァという楽しい感じ。

 


暦にのっかるのも、自然との一体感を持てるとよりいい感じがしそうだから。

 

冬至にまたやるかもわからない。

「計画」を入れているけれども、

スケジュールすることと、スケジュールしないことを決めるという意味合いもある。

 

 

今月は、インスピレーションのためのスペースづくり大事にしている。

そしてそれを支える身体づくりと。

 

 

次第に冬ごもりの身体になっているのを感じる。

必要なぶんだけ味わって食べ、

呼吸をゆっくりにできるようにしたい。

 

 

 

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なぜ?どうして?を問いなおす

10月と11月に1回ずつ、対話型ファシリテーションの勉強会をしました。 

 


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2年前にもこの勉強会は2回ひらいたことがありました。

そのときの様子はこちらのレポートをどうぞ。

わたしのテキストは表紙が薄いのもあって、もうこんなにぼろぼろになっちゃった!

 

 

 

 

今回は、KLASSでひらいた、「また行きたい!と思える場をつくるゼミ」を受講してくれた人に役に立ちそうだな、とピンときたので、スピンオフ勉強会としてやりませんか?と声をかけたところ、 「今自分のやっていることや知りたいことに関係ありそう!」「実は2年前の勉強会に参加したくてできなかったの!」と友人知人11名が集まってくれました。ありがとう!

 

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あらためてみんなで練習してみて、いいメソッドだなと思います。

この2年、よい人間関係をつくり、育んでこられたのは、このメソッドのおかげでもある(もちろんこれだけではないけれども)。


「なぜ」「どうして」を封印する、というのは悪者にするのではなくて、問い直す試み。

その底には「ほんとうに知りたいこと」がある。


いや、その前に、その人に「伝えたいこと」があるのかもしれない。
「仲良くしたい」とか「わたしのことを知ってほしい」とか。

 

「なぜ」「どうして」と聞いても、「今どうしてわたしがそれを聞いたかっていうとね」と意図をあとから説明することもできる。

事実質問って尋問みたいになるとか、誘導的になるとか、いろんな難しさもありますが、「わたしはその人とどのような関係をつくりたいのかな?」を持ちながら、ゆっくり一緒に歩いていくように聴けたらいいなぁと思う。

 

 

「なぜ」「どうして」がよいのは、ひとつの答えや正解を求めない、オープンな問いかけのときですね。たとえば哲学対話。

「なぜ我々は生きるのか?」

「なぜあなたはここにいるのか?」

「どうして勉強しなくてはいけないのか?」

それに応じて出てくるのは、答えというよりも、願いや祈りのようなものかも。
広く深い海のような時間になりそう。

 

 

 

今回おもしろかったことの一つに、相手が感じていることや考えていることを推測しながら会話を進めていたのに、相手に問い合わせてみたら実は違った、という現象がたびたび起こっていたことがあります。

話しているのは相手なのに、「きっとこう感じているだろう、考えているだろう」という、自分の立てた推測を当てにしすぎる、信じすぎる、思い込む、ということが会話の中では起きている。

もちろん、日常会話の中でいちいち聞くわけにいかないのですが、たまにこうやって、「今の誘導的な感じがした?」と率直に聞いても、自分の思い込みがわかっておもしろいかも。

 

相手の感覚や感情を先回りして抑えなくてもいい。

もっとついていっていい。

その中で、自分の中に起こっている感覚や感情を表現してみることや、提案もできる。

自分からまず相手を信頼して。

 

 

たとえば「さっきから話が堂々巡りしている感覚がわたしの中にあって、この状況をどうにかしないといけないのではと焦る気持ちもわいています」とか、

「もう少しそのときの状況をあなたと一緒によく見てみたいんです。それがいつどこで起こったことなのか聞かせてください」とか。

 

質問すること(何を聞き出すか)だけに集中するだけでは、コミュニケーションにはならないのだよなぁ。外界の観察と内面の観察を同時にやっている。そこが、このメソッドが「対話型ファシリテーション」と名付けている理由なのかも、とようやくピンときました。

 

 

 

皆さんの感想

人と話す、聞くって毎日やっていることだけど、手法とかスキルとして意識してやったのが今日が初めてだったので頭がはちきれそうです。確実に新しいシナプスが生まれた気がしています(笑)。今日の勉強会を受けて、また本を読み返して、そして日常の中で実験的に質問の仕方を変えてみて、反応を感じたいと思います。めっちゃ楽しかったですー!!

 

充実の時間になりました。仕事のみならず、プライベートでも早速実行出来そう(^○^)実践してまた後日報告したいです! 

 

難しい…難しいけれど、よりクリーンな問いかけになるのを感じます。

それでどんな関係をつくりたいか、の視点は私あまりなかったかもな…と気づきました。どんな風に解けていくかな。。これから意識していきたいな、と思います。

 

子どもたちに質問するとき、どうしてそう思うか?を聞くのに、なぜ、どうしてを使わないと、話しやすいんだなーと感じてます。おもしろいなー。また、練習したいです(^^)

 

本で読んでるときは、「そーそー!そんな風に言えたらいいのよね〜!」と思ってるけど、実際やってみるとしどろもどろだったり、難しいな〜と思いました。

でも、事実質問だと確かに、考えるのではなく思い出す作業なので、
あまり負担がないんだな〜というのは実感。

人の話を聞くのは好きなので、今までは思うままに聞いてしまってましたが、それだとお相手の気づきのお手伝いには必ずしもならないんだな〜と分かり、今後は今回のことを踏まえて質問するってことをやっていきたいなと思います。

 

すぐさま何かが激変することはなくても、今まで疑問なく使っていた「なんで?」「どうして?」アプローチのワナというか、いかに無意識にやっていたかなどの発見がありました。

今後、人に対して何か聞くときに一瞬、立ち止まって聞くことができるかも、と思いました。

 

2時間とは思えない濃厚さと満足感でした。

きちんと人と触れ合うこと、やっぱり必要ですね❤︎

 

勉強会後のランチで、空中戦になってしまった会話を地上戦にもちこむには、
・もう一つのグループで流行っていた「それは最近ではいつありましたか?」を使ってみる
・話の中で誰かに言われたことについて「何と言われたんですか?」と、事実として言われた言葉を質問する
・話をひとつの事例に絞って、いつですか?だれに?どこで起こった?をひとつひとつ聞いていく。質問を細分化する。
というようなシェアがありました。リベンジしたいーと思いましたが、まずは日常生活で意識するところからですね。

 

 

「学びの場に参加するときは、きょうこの場に来られなかった方の代表と思って参加している」とは友人の言ですが、ぜひご自分の現場や持ち場で、なんらかの形でシェアしたり、表現したり、活用してみていただきたいなぁと、場をひらく側も願っていることも、ここに置いておきます。

 

ご参加ありがとうございました!

まだまだ書ききれないことたくさんあるから、みんなで「その後何か変化があった?」を聴くブラッシュアップの会をやりたいな!

 

 

聴く人といえばこの人かな?

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最後に。

 

この本を出版しているムラのミライさんでも講座がひらかれています。

http://muranomirai.org/

わたしは認定ファシリテーターではなく、今回ひらいた勉強会も非公式のものですが、事前に事務局に連絡して、開催の許可をいただいています。

 

テキストはこちらで購入できます。

http://amzn.asia/d/eDWtLu1

江戸東京たてもの園でスマホで人物写真講座、ひらきます!

「今の私スタイルを楽しむ会」ですっかり人物写真に目覚めちゃったわたし。

もっと技術を学びたいよー!ということで、さっそく場をつくっちゃう!!

 

友人でフォトグラファーのさっちーさんと、11/22(木)江戸東京たてもの園スマホで人物写真の講座ひらくことになりました。

 

たてもの園のレトロな建物を背景にたくさん練習を。

撮ってはフィードバック、
レクチャーもらって質問、
撮ってはフィードバック、、の時間をつくって確かな技術を身につけましょう。

 

手軽に撮れるからこそ、
もっといい写真にしたい!
喜んでもらいたい!

そして

理論や技術を知って「変わった!」

をぜひぜひ実感しにきてくださいね♪

 

大人の遠足気分もきっと楽しい。お申し込みお待ちしてまーす。

 

詳しくはこちら!

portraitbysmartphone.peatix.com

 

 

写真講座なのにこのヘッダー画像はスケッチってなんだかよくわかんないですが^^;借り物の写真だとなんだか自分の場のような気がせず、かといってこういう構図の写真を撮るのも間に合わず、これに...。

 

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このフリー素材をトレースしただけ〜

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付き合うのでも、付き合わされるのでもなく

息子と夜の公園をお散歩。カフェでお茶しながら思い思いに過ごして、おしゃべりしながら帰ってくる。この時間が好きな話は、前にもここで書いた。

 

息子が乳幼児の頃に、遊びや関心に付き合うのが、わたしはほんとうに苦痛だった。苦痛を感じているときは、息子をぜんぜんかわいく思えなかった。そのことにずっと罪悪感や後ろめたさがあった。

 

でも、小学校にあがってからの、このまちでの息子との時間は、ほんとうにかけがえがなく、愛おしい。

 

苦痛だったことにも、苦痛じゃなくなったことにも、いろいろ、ほんとうにいろいろ理由がある。

 

ただ、今もし乳幼児をかかえて、同じことを感じている人がいたら、それ変じゃないよ、とまずは言ってあげたい。

 

 


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オネアミスの翼展がやっぱり大きな幸と福だった話

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伝説の最高傑作SFアニメーション映画、「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の展覧会を観てきた。八王子夢美術館にて。

 

開催概要はそのうち消えてしまうかもしれないので、八王子夢美術館のサイトからこちらに引用させていただきます。

八王子市夢美術館では、SFアニメ映画「王立宇宙軍 オネアミスの翼」を紹介する展覧会を開催します。

 

王立宇宙軍 オネアミスの翼」は1987年にSFアニメ映画として劇場公開され、その独創性とリアルに描かれた作品世界は今日に至るまで映像の分野で高い評価を得ています。当時、24歳だった山賀 博之監督をはじめ、無名だった若きクリエーター達が劇場向けアニメ映画に初挑戦したことも異例でしたが、これまでのアニメ映画とは一線を画すその緻密な設定や映像美は、当時のアニメ業界に驚きをもって受け止められました。

 

本作はスタッフたちと等身大の青春群像劇を描きつつ、その異世界の設定は美術、デザイン、建築、政治、思想、言語、宗教、風俗、食物、宇宙、工学、衣服、武器など多岐にわたり、その詳細な設定がSFでありながら、作品にリアルな実感をもたらしました。加えて、特に注目したいのが完成映像に使われた設定よりも、実際には使われることのなかった制作過程の素材資料が本作の背後に膨大な数として横たわり、この世界を形づくっていたことです。それらのつくり手の多くは、工業デザイン、建築、美術を学ぶ学生やまだ無名のアニメーター達でしたが、山賀監督は作品にリアルな実感を創出するためには多種多様なセンスが必要と考え、彼らの個性が見えてきたところで得意な分野の素材資料を山ほどつくらせます。

 

しかし、監督はそれらの素材資料を作品中の世界を統一する目的でつくらせたわけではなく、むしろ個々の才能が生かされたアイデアやデザインなどを集め、そこから作品をひとつの世界へと徐々に構築していったのです。このような部分から全体をつくる方法は本作特有の手法といえるでしょう。

 

本展では、主にこれらの制作過程の素材資料を国内で初めて紹介します。中でも山賀監督の制作メモは監督として本作をどのように構築していったかが赤裸々にわかる興味深い内容です。数多くの素材資料を通じ、映像の中で現れるリアルさとはまた違った本作独特のSFアニメのつくり方をリアルに感じていただければ幸いです。

 

 

 

わたしがこの映画を観たのは確か小学校6年生。

 

きっかけは、姉だったか、「アニメージュ」だったか、テレビ放映だったか忘れたけれども、すぐに夢中になった。

 

中学1年生の体育で創作ダンスの授業があり、選曲から振り付けまで自分たちで全部やるという課題が出たときに、オネアミスの翼のオープニングテーマがいい!と言い張り、映画のイメージで振り付けを主導した。けっこうオラオラだったな、わたし...。

 

 

この世界のために文字や言葉をオリジナルでつくったと知ったのも衝撃だった。

そんなことができるんだ!そこまでやる人がいるのか!という驚嘆。

 

 

この偉大さを超えるアニメーションは、わたしの人生で絶対にもう二度と現れないと断言できる!

子どもの頃にリアルタイムでこの作品に出会えてほんとうによかった!!

 

そしてこの展示を見ることができてほんとうによかった!!

 

一緒に行った友だちと熱く熱く語って、あの頃に受け取っていたもの、大人になった今だからこそ見えるものの深さや豊かさに感謝した。

 

当時はこの映画の話をできる友だちがいなかったもんね!これからもたくさん出会っていくんだろう、きっと。

 

ほんとうに生きててよかったと思った作品、展示。胸いっぱい。幸せ。

 

 

場内のモニターで流れている監督のインタビュー(今年の5月収録)がとてもよかった。

この映画のテーマを恐れずに、今、言うならば「いい」ということだ。「いい」とは「愛」といってももしかしていいのかもしれない。24歳の自分から見えていた世界の実感は「いい」だった。そしてこの映画について言いたかったのは「あなたの生きている世界も同じようにいい」ということだったと思う。

意訳するとそんな感じのことをおっしゃっていた。

 

 

大人が本気でつくってくれたものに触れられたことも、10代のわたしを確かに育んできたし、救ってくれたこともあったと思う。

 

感謝。

 

 

 

つらつらとツイッターにメモしたことを貼っておきます。

 

 

見て、たくさん語り合ってみて、今だからわかること、今だから受け取れること、わからなくて知りたいことがいっぱいあって幸せだった。時代とか歴史とか人生とか。時間。とにかく時間を感じている。それからつくるということ。技術。胸いっぱいでこのまま布団に倒れ込みたい。 

 

も一回観よ。 

 

だ、だめだ...空母の画見ちゃったからオープニングからもう胸がいっぱいで...T_T ...

 

坂本龍一の4曲入りの「イメージスケッチ」がお小遣いで買ったCDのかなり初期で。PROTOTYPEってどういう意味なんだろうと思ってた。「リイクニのテーマ」が坂本龍一のスコア集に入っていて、家のピアノで弾いてた覚えある。ほんと好きだったんだなーわたし。世界観!今も赤と青のペンケース使ってるし。 

 

坂本龍一にとっては黒歴史らしいけど、わたしにはとにかくありがたい出会いでした。 

 

おととし「さとにきたらええやん」を観に行ったときに、配給会社・ノンデライコって出て、うわってなって、それで思い出したりなー。いやはや。 

 

今見るとここまで宗教にハッキリ踏み込んで表現してたのがすごいと友だちと話した。暴力、性、人と人との理解し得なさについても誤魔化しなし。誰にも共感できないこと。誰とも友だちになれなそうなこと。説明がないこと(ないけれども背景や経緯や歴史を持っていること)。ゆえに没入できた世界。 

 

死への恐怖が描かれないところはまだよくわかっていないのだけど、人類を彼一人に背負わせてみる試みのほうが大きかったんだろうか。死への恐怖にふれると物語がだいぶ違ってしまうわなぁ。。 

 

人工衛星の説明をすごくよく覚えてたし、すごくよく理解できてたって話も友だちと共通してた。「地平線の向こうに果てしなく落下」っていう。あのシーン実は1分にも満たなかったなんて。。すごい。。。 

 

それから夢が叶う瞬間って、当初思っていたルートとは全然違う、まったく想定していない形で現れるっていうことを最近つらつら考えていたから、あのシーンは音楽も含めて美しくて涙出る。ほんとうになんだかいろんなことが含まれている。これを20代前半の人たちがつくるってなぁ...ほんとうに...。 

 

その、劇中に登場する若者たちとまったく同じように、つくる自分たちの青春の日々が綴じこめられているところは、「ちはやふる-結び-」にも感じた美しさ。もう二度とない若い日のきらめき。 

 

きょうの展覧会すばらしすぎて、思い出すからもう一気に見られなくて、あほかってぐらい休み休み見てる。 

 

なにこれ「王立宇宙軍制作記録集」ってあったの?ヤフオクで15,000円からかーうーわーー 

 

庵野秀明の「破片」、文字と外国語、音、詩...ぜんぶが美しいなぁああ

 

カニックのことはまったくわからないが、説明を読んでいるだけでその設計の奥深さを感じ取れる。詳細に設定された美術、デザイン、建築、言語、宗教、風俗、食物、宇宙、工学、衣服、武器等の各分野に精通した人たちの鑑賞体験を聞けば何度でも理解し味わえる。それに耐える強度を持つ作品。 

 

 

ちょうど目黒の庭園美術館アール・デコ展を開催中。もともと行く予定だったけれど、さらにオネアミスの世界と重ねて見るのもおもしろそうだなぁ。

www.teien-art-museum.ne.jp

華やかなもの、良いものを堂々と

先週は9月から3回ひらいてきた「今の私スタイルを楽しむ会」、今季の最終回を迎えました。

過去のレポートはこちら>   

 

 

わたしは今回もクミさんのサポート&アシストしつつ、自分もスタイリングしてもらったり、午後からのお買い物同伴を楽しむというポジション。

こういう役回りも実はすごく好きで、応援している場にいるのは心地よくて、楽しくて、うれしいです。

 

 

今回は、皆さんのお悩みやここにいる理由を分かち合う時間を冒頭に30分ぐらいとって、丁寧にひらいていきました。それがよかったなぁと思います。

その日の場のメインが、内面にはたらきかけていくもの(今回なら「装う」)を扱っているからこそ、心も体も時間も余裕をもって臨まなければならないんだなと、学びと自省がありました。

 

今回もクミさんが、事前に描いたスタイル画を元に、5〜6回ぐらいのコーディネートを提案していくのですが、人が違い日が違うと、やはり同じことは起こらず、今回は今回ならではの、とてもよい時間になりました。

一人ひとりと場に起こっていく変化を感知していくクミさん。
冴え渡っていて、すごかったです。ご本人はまだ7割ぐらいだとのことでしたが!

皆さんもノッてどんどん楽しんでくださってよかった!

 

 

ファッションに意識を向ける、興味を示す、おしゃれをすることに心のブロックがあってなんとかしたい!という方が多く、その原因は生い立ちの中にあった出来事や、親子関係だったり、ジェンダーギャップだったりする。でもそれ自体にアプローチしなくても、着ている服を変更するだけで、装いの力は内面にどーん!とはたらきかけて、いとも簡単にそのブロックを外してしまう。

それはほんとうに爽快な体験だし、その体験を経て内面の輝きを放つ人を見ているほうもほんとうにうれしくなってしまうのです。

 

 

 

 

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スタイリングが終わって、お買い物に行って、帰ってきてからはチャットスレッドでの感想のやり取りが止まらないのも楽しい(そして今もまだ続いている)。

 

そこでいろいろやり取りした中でわたしが印象的だったのは、まずこれ。

 

 

「中年期のほうが堂々と着られる」

 

この半年、くみさんにファッションの愉しみやたくさんのコーディネイト例を見せてもらってきて、今かなり充実のワードローブになっています。

どう使えばいいかわからなかったあの服もこの服も、このアイテム一つ買えば、無難路線じゃなくて素敵路線で引き立て合えること。10年前から眠ってたあれらを活用できる日がようやく来ていると知ったこと。

 

 

特に時計。20代後半から30代前半の、中身が伴っていなかった自分が、見栄や自信をつけるために買ったような品。

長い間電池も切れて止まっていたので、先日思いきってオーバーホールに出してみました。戻ってきて新しい装いに合わせてみたら、ぴったり!

ようやくそれを身につけるにふさわしい中身を伴ったように、しっくりと感じました。追いついたような気持ち。

そして、時計そのものだけではなく、わたしの止まっていた時間も動き出したように感じました。

 

それに対してクミさんが、「堂々と華やかなもの、良いものを身につけられるのは、それだけの人生を背負ったから」と言ってくださったのがうれしかった。

 

認めて、受け入れて、感謝して、愛することができる。

 

 

 

それから、「年齢や役割相応なんか知らん!」


という話題も出ました。体型にとらわれない、むしろそれを生かし、色や形や素材の力を借りて、自分のわくわくとつながって表現を楽しむファッションが、今まではあまり目には入っていなかった(あるいは入らないようにしていた)ことにも気づきました。目に入るのは、「仕事に使える」「無難」「着まわしが楽」「年齢に相応しい落ち着いた」スタイル。そこには、「わたしってこの程度」にしておきたい心理も見え隠れする。

 

世界は自分が信じているものが、信じているように見えているだけ。

人は自分が信じる世界に生きることができる。

 

もっと世界は遊べる!もっと楽しんでいこう!

そしてそれは自分が楽しく美しく装うことから!

 

 

「範囲を広げてしまったら、自分に選び取る力がないから大変なことになってしまうのでは?」ともわたしは思っていたんだけれど、実はもう自分が何を好きか、どう着ればいい気分になるかも、十分にわかっている。

さっきの時計の話ともつながるけれど、成熟した自分になっていることを、ただ認めるだけ。それが装うことで身体ごと理解できたことがよかったです。

 

 

それから、これはわたしの個人的目覚めですが、人物写真を撮るのが楽しい

毎回、皆さんの試着した姿を今後の参考にしていただくべく、スマホのカメラで撮っているのですが、第2回のあとにSNSのプロフィール写真をわたしの撮ったものに変更してくださった方がおられました。そのときに、「写真を撮ってこんなに喜ばれたのは初めて!」とこれまでにない幸せを感じました。

 

実際に撮っていてもすごく楽しかった。

そこから「技術を伴ってもっと表現できるようになりたい!」と気持ちがわわーっと盛り上がって、さっそく「スマホでプロ並みに撮る写真講座」をプロにお願いすることにしました。11/22にひらきます。

 

 

豊かな場は、豊かな副産物を生み出します。うれしいな。

クミさん、スタイリングの会にご参加くださった皆さん、ありがとうございました!

 

 

次は春かなー? 楽しみにしております^^

 

 

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