ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

冬至のコラージュの会、ひらきました

自分の今とこれからを見つけるコラージュの会《冬至編》、ひらきました。

 

 

冬至は「一陽来復」とも言われていて、この日を境に隠が陽に転じる日なのだそう。その日撒いたものが万倍になって戻ってくるという「一粒万倍日」の2018年最後のターンでもあり、翌日未明は満月という、何かおめでたい日でした。

 

寒桜も咲いていましたよ。

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コラージュの製作時間は80分ほど。
その前に一年をふりかえるワークをし、製作した後に発表会をするので、ぜんぶで3時間半。

長いようであっという間です。

 

 

集中して感覚と思考を行き来しながら手を動かします。同じ海に別々に潜っているような感じ。近くにいるのはわかっていて、安心して潜っている。

この時間はあまり言葉が出てこない。出そうという気にもならない。


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最後の発表の時間では、自分が意図したものを聴いてもらうと同時に、観賞者が感じ取ったものを表現してもらいます。大きな受容、応援、愛、もしかしたら未来の予言も?

お花がぽこぽこ咲くような、その花を渡し合うような、幸せな時間です。


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一人ひとりぜんぜん違っている。

自分でも思いがけないものが出てきたという方が多いです。「今までとこれから」の節目に立った今、という地点の感覚だけがあって、あとは自由。理想の何かを描いてもよいし、決めてきた好きなもので埋め尽くしてもよいし、直感だけを頼りに橋を渡ってもよいし。


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中身はそのときの季節や気分やメンバーの顔ぶれによって、毎回すこーしずつ修正や調整しています。もう6年はやってるけど、なぜか飽きないのはなぜだろう。

 

たとえば、冒頭のふりかえりのワークはこんな感じに。

・スケジュール帳をめくりながら「こんなことあったなぁ」と思った「予定」を紙片に書き出していく。
・紙片を話したいこと、話したくないことに分ける。話したいことは1つだけでもいくつでも。複数ある場合は順番を決める。

・ペアになって5分話す。聴くほうは相槌だけ。

・聴いていたほうが3分で今聴いた話の感想を話す。

・話す人、聴く人を交代する。

・みんなでちょっとシェア。

 

製作のためによく機能してくれていたならよいのだけど。わたしは一緒にワークをしたペアの方から、「この一年に起こったいろいろのことをぜんぶよいものとして受け取っているって感じがしました」と感想をいただけて、うれしかった。

 

 

ほんとうにわたしたち、この一年よく生きましたねぇ。

 

 

12月も半ばを過ぎると、今いる今年が此岸で、来年は彼岸になる感覚があります。

年が明けて彼岸に渡ってしまうと、此岸で起こっていたことはなぜか忘れてしまう。

一旦の小さな死があるのかもしれない。

この一年に起こってきた事とそれにまつわる感情一つひとつを悼み、自らの生き様を祝いながら、その小さな死に向けて準備をしているというのが、今回のわたしが得た感覚でした。

 

 

集ってくださって、ありがとうございました。作品がそれぞれの光になりますように。

関心を向けてくださった方もありがとうございます。

 

 

ご感想

理屈抜きで選んだ自分が好きだと思ったもの、自分が美しいと思ったもの、自分がこの世にあってほしいと思ったものだけを集めて作ったコラージュ作品なので、いつまでも見ていられます。不思議な感覚。私にとって美しいものは、ただただ美しい。それを確認できました。

 

何も意図せず、頭で一切考えず好きなカタチや色だけ集めていく作業が楽しすぎました!2018年は忙しかったので落ち着きたい…と感じていたけど、出来上がったコラージュを見ると2019年も賑やかになりそうです。

 

・ブログに書いてくださった方も。

sachycamera.com

 

 

 

 

次回は春分

6年ほど年末年始を中心にゆるやかにひらいてきたこの会ですが、一昨年から公募をはじめ、今年は3ヶ月に一度の暦に合わせるのがいい感じになってきました。

 

春分夏至秋分冬至

 

次回は3月の春分の頃にひらく予定です。日程や場所が決まりましたらご案内しますので、知りたい!という方はこちらよりメールアドレスをお知らせください。

 

出張開催いたします

団体やグループからオファーいただければ、暦に関わらず、講師料+交通費にて出張開催もいたします。ぜひ呼んでくださいませ。

 

ひととび お問い合わせフォーム

 

 

 

 

《まとめ記事》また行きたい!と思える場をつくるゼミ

今年、まちの教室KLASSで個人の方向けにひらいていた「また行きたい!と思える場をつくるゼミ」のレポートをまとめました。

(現在、こちらは個人セッションとして提供しています。お問い合わせはこちら

 

 

2018/4/18

お知らせ:KLASSの講座はじまります!(場づくりゼミ、読書会、コラージュ) - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/5/18

KLASS 第1期の3 また行きたい!と思える場をつくるゼミ(第1回)ひらきました - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/6/2

【KLASSの講座】また行きたい!と思える場をつくるゼミ(第2回)、ひらきました - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

 

2018/6/18

【KLASSの講座】また行きたい!と思える場をつくるゼミ(第3回)、ひらきました - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/6/22

人の場に参加して学ぶ!6/23場づくりゼミパート練習会のお誘い - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/7/11

【KLASSの講座】また行きたい!と思える場をつくるゼミ(第4回)、ひらきました - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/7/18

場づくりゼミ第2期、はじまりました! - ひととび〜人と美の表現活動研究室


 

2018/8/10

Zoomでひらいた場づくり講座 - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/8/17

場づくりは関係づくり(また行きたい!と思える場をつくるゼミ) - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/8/28

場づくりだって練習したらいい!:場づくりゼミで進行練習をしました - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/9/16

また行きたいと思える場には何がある?:秋の場づくりゼミ、ひらきます - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

2018/10/21

場をつくる人が何を大切にしているか - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

 

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第九ふむふむ予習会がよかった話

だいたいがよかった話なので、わざわざ「よかった話」にしなくてもいいのだけど、なんべんでも言いたい感じがあって、毎回こうなる。。

 

 


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さて、きのうは「第九ふむふむ予習会がよかった話」をしてきました。

音楽やオペラの場を一緒につくってきたゆかこさんの発案。

ゆかこさんがつけてくれた「ふむふむ」っていうタイトル!ヘッダー画像もすてき!

 

 

年末に第九を聴きに行くにあたり、せっかくだからみんなで予習する会をしたい。

お互いに教えあったり、興味のあるトピックを話し合ってみたりしたい。

知識や情報を仕入れるというよりも、

私ここの、このフレーズが好きなんだよね!
ここの楽器の掛け合いが最高だよねぇ〜

など、愛を語り合う自由な時間になったらいいな!

と思っていたのだけれど、ほんとーにいつもどおり想定以上に場がなってくれて、幸せでした。

 

 

帰ってきてコーフンのままツイート。

 

 

 

 

 

 

 

そして今朝もまた発見してツイート。

 

 

 

 

 

 

いやはや、ほんとうに楽しかった〜

 

第九ってすごくまるっとしたものをして存在している感じがしていた(「あのフレーズ!」「暮れの風物詩!」とか)。

すごく前ではあったけれども、合唱で参加してみたら見えた世界がまずあって、そのときの体験は忘れ難かった。

そこからまたきのうの発展があって、この体験は、これから第九を聴くたびに思い出すと思う。

 

これは何が起きているのか?

 

身近なもの、知ったつもりになっているもの、有名だけれど知らないもの、難しそうなもの・簡単そうなもの...なんでもとにかく真ん中にもってきて、一枚一枚みんなで丁寧にひらいていて、感想を交換しあいながら、発見を楽しんでいくと、こんなに楽しいのかぁという、やっぱりあの手この手で味わい尽くす鑑賞は楽しい。

しかも、予習して、仮説を立てて、検証しにいって、実際の体験して、そのあとに感触を交換しあうところまでやる鑑賞は、一人でただ聴く、ただ観るときの何百倍もAmazing!!!

 

こういう場は自給自足できるし、自分がはじめるとどんどん周りの友だちもやりはじめてくれるので、ありがたいのですよね。

 

わたしは、価値の普及をしたい方々(今回で言えば、クラシックのコンサートをひらいている劇場や興行主、楽譜を出版している会社や、CDを販売している会社など)とパートナーを組んで、10人〜100人規模の場(機会)をひらくお仕事をいたします。

自分も人を集めてやってみたい、という個人の方のご相談にものっています。

どうぞご相談くださいませ。お問い合わせはこちら。

 

 

 

▼上: ティンパニパート譜、左: 合唱譜、右: 総譜
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総譜も「スコアの読み方ハンドブック」もせっかく借りて、先日古本屋さんで「これがオーケストラだ」という本も買った!

こんなに豊かな時間をいただいて、ありがたくて、なんとか生かしたい気持ちでいっぱいで。本番まであと4日しかないのだけれど、一夜漬けでも素人ながらできるとこまでやってみようと思います。


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第九をまた歌いたいなーとふと思った話をポッドキャストでしたのが去年の今ごろ。

それから友だちの市民オーケストラのコンサートに行ったのが6月。そのときのことはここで話した。

それから、友だちが「だれか一緒に行きませんかー」とつぶやいていたのに、「はいはいはーい!」とのっからせてもらったのが8月。

せっかくなので、予習会をしたいねぇと話してやることになったのが10月。

それから友だちに声をかけて、気持ちを高めつつ、集まったのがきのう。

 

そして、4日後に東京芸術劇場に第九のコンサートを聴きに行くので、そこでこの一連の流れが収束するような、わたしの中では一年がかりでここにきているという感覚がある。

 

実は合唱でステージに立った時に聴いたことしかなく、客席で聴くのははじめてなのだ!楽しみ!どの服を着て行こうかな〜♪

 

 

タータン展がよかった話

三鷹市美術ギャラリーのタータン展を見てきた。神戸ファッション美術館でやっていたときから次は三鷹に巡回だな!とチェックしていたので、予定通り行けてうれしい!



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今、一時的にタータンに詳しくなっている自分がおもしろい。

展覧会の愉しみってまずはここなのかも。

一時的に詳しくなる→人に言いたくなって言う→聴いてもらえる→!展開する!

 

 


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まずは今までわたしは、

・タータン

・チェック

・キルト

をごっちゃに理解していたことが判明。脳の「格子柄のものボックス」の中にがさっと入っていた。

 

タータンとは、

・2色以上の色を使い、それらの糸が直角に交わる格子柄である。

・たて糸とよこ糸に使う糸の色と数が同じで、基本パターンが繰り返される

の2つを満たしたものを言う。織ることによって生まれるチェック柄のことを指している。だから、プリントされたものはタータンではなくてチェックということになる。あるいはタータン風の柄?

 

チェックとは、

・日本の市松模様のような、2色の正方形が交互に配置されたもの

 ・タータンではないもの

なのだそう。

 

だから正確に言うと「タータン・チェック」というものはない、ということになる。「フラダンス」みたいなものかしら?

 

 

キルトは、

タータンをつかったスコットランドの正装で、巻きスカート状のものだけれども、決してスカートとはいってはいけないらしい。かつてはハイランド地方の人たちの日常着であり正装であり戦闘服だった。

 

18世紀はじめにあった、ジャコバイトの反乱で、イングランド国王ジェームズ7世の支持者たちが着たのでイングランドのほうにも知られていったらしい。何回も反乱は起きていて、弾圧されたときに文化の衰退を狙って、バグパイプゲール語と共にタータンが禁止された時期もあったとか。

 

このあたりのスコットランドの歴史や文化もあまり詳しくなかったので、こんなふうに出会えてうれしい。この体験を覚えておけば、他で出てきたときにもピンとくるはず。

実際に、「インヴァネス」という地方の名前が出てきたときには、「おお、シェイクスピアの『マクベス』じゃん!」と思ったし。小さい頃に読んだきりの「アーサー王と円卓の騎士」ももう一回読み直したい(関係ある?ない?)。

 

 

タータンには種類があって、家・氏族ごとに固有のタータンがあるというのはちょうど今年知ったばかりだったのだけれど、他にもあった。

・クラン・タータン
スコットランドの由緒あるクラン(氏族)とその家族が身につけられる

・ディストリクト・タータン
地域に関連したもの(ニューヨーク市のタータン、ジョージア州のタータンなども展示されていた。スコットランド人が移民先のアメリカやカナダでもタータンは盛んになった、ということか)

・ミリタリー・タータン
軍隊用(有名なブラックウォッチはもともと軍関係だったのね)

・ロイヤル・タータン
王室専用(ロイヤル・スチュアートがたぶん世界で一番有名な柄)

・コーポレート・タータン
組織や企業が販促や象徴として(日本でも伊勢丹タータンがある。スコットランド・タータン登記所というところで公式に登録されている柄だそう)

 

 

 

いろいろ観ていて印象に残ったのは、とても単純な制約の中で、個別性を表すという様式美。デザインの生まれ方。

例えば、ブルドッグソースの105周年記念につくったというタータンがわかりやすい。ウスターソースの起源が、イギリスのウスターシャー地方にあるからということで、タータンをつくることにまずなったらしい。そして、どんな色を使うかというときに、

 黒:スパイス
 赤:トマト、りんご、にんじん
 緑:その他野菜

という由来を込めている。色や数字や組み方にも何か意図があるのだと思う。

こんなふうにタータンでは、伝統を尊ぶ・守ることも表せるし、ビジネスや文化的なつながりを促進する効果もある。

 

ロビーでは、織り物工場で生産している様子と、タータン・デザイナーがデザインの過程を説明してくれる動画が3〜4分ずつ流れていて、これがとってもよくまとまっていていい。

デザイナーが最後に言ってくれた、「どんなデザインになっているか注目してほしいです。そして自分でデザインしてみるのもいいでしょう」という言葉にじんわりきて、帰り道はさっそくすれ違う人、電車に乗り合う人のマフラーやらシャツの、タータンやタータン風のチェック柄が気になった。

 

脳って関心があることをじゃんじゃん拾ってくれるからおもしろい。

 

 

 

▼家に帰ると、掛け布団カバーも息子の着ているシャツもタータンだった。 

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▼2018年9月発刊したての「たくさんのふしぎ」シリーズ。わかりやすく網羅的でおすすめ!
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▼イギリスでタータンといえばやはりこの人!次はこれを観に行くかー!!
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▼はぎれがぜんぶ美しくて、何に使うか当てはないけど、ほしくなっちゃう。
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《追記》

図録は書籍として一般に販売されていて、展示されていたものや解説も読めます。こういう展開はいいよね〜 実物観に行けない人にも、もちろん行った人にも。
http://amzn.asia/d/6f0GKK9


銀座和光で、150周年記念 キンロック アンダーソン フェアというのを先月やっていたとツイッターのフォロワーさんが教えてくれました!キンロック・アンダーソン社は、タータン展でもフィーチャーされていましたよ!このサイトに書いてあることも興味深い。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000036.000025779.html

 

 

お気に入りの図録を見せびらかしあう会

友だちが素敵な思いつきをしてくれて、「お気に入りの図録を見せびらかしあう会」に参加してきた。

集まったのは界隈の、つくる・描く・デザイン・設計する人たち。

みんなの行きつけの近所のカフェで、とにかく愛を語りまくって、きゃっきゃしようね、という趣旨。

「見せびらかす」というところがいいよね。「紹介」などと澄ましていられない。見てみて〜、いいやろ〜と言いたい。そういう力が図録にはある。

 

時間の関係もあるけど、単純に重いから「5冊まで」という縛りにして。

この5冊を選ぶのものなかなか楽しかった。図録という物、そのものがもう素敵で、見せびらかしたい気持ちになるか、というところと、なんとなくカブらないようにしたい(カブったらカブったでおもしろいけど)、、などいろいろ悩み、最後はキメで。

 

 

その展覧会との出会い、その作家やアーティストとの出会い、そこでの体験、そしてそれらが人生をどのようにあたためてきたか。

よく知っているようで、図録という方向から見てみると、その人への光の当たり方がまた変わって、しみじみと、まずそれがよかったなぁ。

 

自分の愛も語れて、あまり人に語ったことのない、ジョゼフ・コーネル愛もしょっぱなからもりもり語れてうれしかった。

メンバーの一人が言ってくれてそうだなと思ったのが、箱だとガラスケースに入っていることが多くて、いろんな方向から見えるのだけれど、反射もするし、「遠い」。

図録だとよく見える。

 

その、図録の何がいいかとか、図録らしさって何か、の話もよかったな。

 

画集や写真集と違って、図録は本物を見ていることがほとんどなので(見ていなくても買っちゃうときあるけど)、時間と体験がつまっているのがいい。

 

わたしは、パウル・クレーのイメージがカラフルで形がおもしろい感じの人?「こども向け」の世界でよく見かけていた人、というすごく雑なイメージしか持っていなかったのだけれど、バウハウスのメンバーだったとか、クレーの他の作品も見せてもらって、がぜん、「(カラフルで形が云々ではない)こっち路線」の企画展が見たいなぁと思った。

そのへんから、じゃあその企画展やるならどこの館でやりますかね?など、妄想するのが楽しかった。妄想キュレーション。

 

愛あふれすぎちゃって、2周するだけでやっとだったけど、もうおなかいっぱい。

うちの図録たちに風を通して、いろんな人に愛でてもらって、よかった。

 

 

気になる方は、ぜひぜひご自分の周りでもやってみてくださいね。

楽しいこと間違いなしよ。

 


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▼1992年のジョゼフ・コーネル展は、展覧会も図録もわたしの心のベストテン第一位。
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ドナルド・キーンに教わった日本の古典

日本の古典文学、古典芸能、歴史をドナルド・キーンに教わったという人は多いのではないかしら。

 

かく言うわたしもその一人。

 


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右「能・文楽・歌舞伎」

文楽を観はじめた高3か大学の頃に友人に勧められて読んで、いつか能も観たーい!と思いをつのらせた元になった本。これを読んでいなかったら、あの決定的な体験だった「鵜飼」を「今がその時だ」と確信して観に行かなかっただろうし、その後もこんなに能を好きにならなかったかもしれない。

 

 

左「古典を楽しむ」

先日図書館で借りて良かったので、手元に置こうと思った一冊。ドナルド・キーンの著作はそんなにたくさん読んではいないけれど、解説もしながら、素朴な疑問も、どこにグッときたのかも、ユニークな比較考察も、惜しみなくシェアしてくれていて、ただただ、おもしろい。時間も場所も軽々と超えて、今のわたしとあの世界をつなげてくれる。瑞々しいドナルド・キーンの感性がすてきだ。

 

 

ドナルド・キーンでは他には、先日友人がシェアしてくれた「日本人の戦争〜作家の日記を読む」も気になっていて、Amazonの「あとで買う」に入りっぱなし。

 

尾崎翠の「第七官界彷徨」が漫画化されてるらしいし、手元に戻ってきた「昭和元禄落語心中」もまた一気読みしたい。百人一首の自分用の解説ノートを作っていて、後鳥羽上皇が気になってきたので、「承久の乱 真の『武者の世』を告げる大乱」も読みたい。3月には「ユダヤ5000年の教え」の読書会があるのでぼちぼち読みたい。

 

ジェンダーギャップ指数が更新されてるのを見て、統計学も勉強したいと思ったので、こどもの本のコーナーを漁って、さっそく図書館に予約した。

 

ああ、忙しい。

読みたい本がありすぎるって幸せだ。

年末年始はスーツケースに本を詰め込んで、帰省先で読書に勤しむつもり。

リフレクティング的なグループインタビューの可能性

食のグループインタビューにまたまた参加させていただいた。楽しかった!!

 

前回6月に参加してからというもの、インタビューで出てきた野菜のことを考えたり、外食が減って家でつくるようになったり、飲食店で働いてみたり、食にまつわる場やプロジェクトを企画したいと思うようになったり、たった一回のグループインタビューがきっかけで(もちろんそれまでにもそれからも他の要因はあったものの)生活がすっかり変わってしまった。

だから、「きょう行ったらまた何が起こるんだろう?」というわくわくで、冒頭から楽しみすぎて動悸がしていた。

 

 

家族のごはんをつくる人が、日々、

  • どんな食材(主に野菜や果物)を
  • どこで
  • どのくらいの頻度で購入し
  • 何を大切に選んでいるのか
  • どんな料理に使うのか
  • 調理の工夫は何か
  • 生活や暮らしの中で食とはどんな位置付けなのか
  • 子どもの嗜好が食卓にどのような影響を与えるか

...などなどを、素朴な関心、わかりやすい言葉でインタビューしてくれた。
用意してきた質問にとらわれず、流れやインタビュイーの関心によって質問を変えていくなど、とても上手かった。

 

 

こういうことは誰からもあらたまって聞かれることのない質問だし、友だち同士でもそんなにじっくりはしない。ご近所さん同士なら情報交換的にするけれども、価値観とセットで問われて、何を言っても安心して答えられる場ってなかなかない。

 

答えているうちに、「いろんなことを考えて比較して検討して決めて実行して、がんばってたんだーわたし。こだわりをもってるんだ。この食材が好きなんだ」などが、じわじわわいてくる。

もちろん、学生さんから「がんばってますね」とか言われるわけじゃないし、言われたいわけじゃない。

何を答えても、「へえーそうなんですね」と関心をもって聴いてもらうだけで、自分で自分に思ったり、インタビュイー同士がお互いを労ったりする雰囲気が勝手に生まれる。

 

それがとてもイイ。

 

帰宅してから届いたメールの中に、

「食べ手」の話はいつでもどこでも聞こうと思えば聞けると考えていたという学生が、

今日一日を通して「食べ手も一人ひとりこんなに違うんだ」と分かったと話していました。

という一文があって、そうそう、それってやっぱりテキストだけでもわからないし、こういう他者との関わりや、違いを受容してもらえる設定のかかった安心安全な場の中ではじめて出てくるんだなぁと思った。

 

このグループインタビューは5年目ということで、プログラムはよく練られていて、場づくりという点からもとても興味深かった。今回も没頭しながらいろいろ観察させてもらった。わたしのひらいた場づくりゼミに参加してくださったときの学びも取り入れられているそうで、その循環の中にいられることは大変ありがたかった。

 

年齢が我が子といってもおかしくないほど離れていることや、これから就農しようという若人たちということもあり、やはり「若い人に貢献したい」みたいな思いもくすぐられ、息子が保育園児の頃にお世話になっていたスリールで感じたことを思い出したり、なんだか懐かしいような、妙な興奮状態にいて、連れとわぁわぁ言いながら駅までの道を歩いた。

 

圧倒的に知らないから、意外性がたくさんあって楽しい、ということはある。

生産者-消費者というラベルの付け方もあるし、それを二項ではなくもっとたくさんの軸を持ち込んで斜めにずらしていったら、違う風景が見える。そこはじゃぶじゃぶじゃぶの創造と希望の泉。確かな人間同士のつながりの中を、たべものが往来する。

あらためて「リフレクティング」的な場、リフレクティング・プロセスには非常に大きな可能性があると思った。やりたいことがどわっと湧いて、野望がふつふつと。

 

考えてみれば、「自分の生産するものの良さを知ってもらい、好きになってもらい、食べてもらい、命の糧にしてもらい、それを小規模なチームで商う」という働き方生き方は、わたしもまったく同じところにいるので、同志という立場での共感もあったんだろうな。

 

 

お茶農家さんより開発中という煎茶を淹れていただき、
さらにお土産として、干し柿干し芋、富有柿、ようかんをいただいた。

・ベジファームゴトウの富有柿 http://www.vegefarm-goto.jp/
・深緑茶房のようかん http://www.shinsabo.com/
・角田製茶 https://www.kakudaseicha.com/ 

 

 

 

ブログでの速報レポート: onozemi | ブログ

当日中に上がるの、すばらしい!! 

 

 

 

この時間自体も楽しいのだけれど、終わってから、次第に起こることもまた楽しみにしている。

 

ありがとうございました♪

 

 

 

 

▼お土産どっさり。干し芋と柿は朝ごはんにいただきました。

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▼帰りにさっそくこんな本を図書館で借りてみたり。サラダに関するインタビューがあったので。

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きょうも東京の夜空の下で

友人でドラマ「おっさんずラブ」を偏愛している人がいる。


彼女から先日聞いた話がとてもよかったので、シェアしたい。

 

 

偏愛なので、ドラマを何回も見返す、DVDを買う、サントラを買う、関連書籍を買う、グッズを買う、インタビューが載った雑誌を読みまくる、展示を見に行く、出演していた俳優さんの舞台を見にゆく、しおりを作って撮影地巡りをする、オフ会に行って友だちをつくるなどは、当然している上で、さらに、という話。

  

 

熱烈な「おっさんずラブ」ファンたちの希望で、最近ドラマ本編のシナリオが発売されたという。わたしはたまにハマるドラマはあるけれども、それほど熱心にチェックしているほうでもないし、業界の事情も全く知らないのだけれども、こういうことは稀なのらしい。

 

一日の終わり。

友人はリビングのテーブルに座り、おもむろにそのシナリオを開き、ドラマを流しながら、聞こえてくる音を聞き取り、該当のページの該当の箇所に書き込んでいく作業をしているという。毎晩!サントラに入っている音楽はもちろん、それ以外に聞こえる音はすべて!

・どのシーンでどんな音が鳴っているのか。
・脚本のセリフと実際のドラマの内容のセリフの差異(シーンも)
・役者の表情、シチュエーションからの考察、感想

をボールペンの色を変えて書き込んでいるらしい。

そして最近では、映像に映っているもの、例えば腕時計の時刻とか車のナンバーなども扱いはじめたという。

 

 

彼女は映像の人でも演劇の人でもない。強いて言えば音楽か。

とはいえ、彼女自身はそれをなんのためにやっているか自分でもよくわかっていないのだけど、とにかくやらざるを得ない使命感を持ち、誰から頼まれたわけでもなく、日課として毎日コツコツと作業を続けているらしい。

 

書き込んでいるうちに、俳優によってアドリブの量や頻度が違うことに興味をもったり、ほんの少しの言い回しの違いで観る側への伝わり方が大幅に違うことに感動することもあるらしいが、とはいえ、あくまで副産物としての気づきであって、それが目的でやっているわけでもないところが興味深い。

 

実際の書き込みページをチラッと見せてもらったが、「やばい」しか言葉が出てこなかった。こういう情熱の表れ方...たまらん......!!

 

 

 

一つの作品の好きになり方として、自分で漫画化したり、小説にしたり、短歌にしたりという二次創作の表現として行い、同人誌を作って発表したり、フェスに出してりする人はいると思うが、そういう方向でもない。特に誰に見せるわけでもないらしい。

 

徹底的な観察。

なんというかもう、「彼女自身がおっさんずラブになろうとしている」としか思えない。

 

 

曰く、

せいこさんに、映画を観ながらメモをとるとか、感想を伝え合う楽しさや味わい尽くそうという心意気を教えてもらった。

そうで、それを聞いてなんだかとってもうれしい。

そう、彼女とは今年、「ちはやふる-結び-」を語る会や、「ちはやふる祭り」を一緒にひらいたのだった。楽しかったなぁ。

ちなみに映画を観ながらメモをとるのは、わたしも「スリー・ビルボード」を一緒に観に行った別の友人から教えてもらった楽しみ方だ。

 

 

 

彼女は「ちはやふる」ももちろん偏愛していて、語る会にもおびただしいメモの束を持ってきてくれていたのだけれども、「おっさんずラブ」のように「本編を観ながら毎日シナリオにメモする」という方向への発揮ではなかった。

ハマるものそれぞれに好きになり方、味わい尽くし方があるらしく、なにがどう違うのかは本人にもわからないらしい。おもしろい。

 

彼女がそこまでハマっているんだから気になるなぁと思いながら、リアルタイムでは追いかけていなかった。それがなんと、次のお正月に6時間一挙放映されるとのこと。

これはちょっと見てみて、感想を伝えたいなぁとようやく予約録画設定をしたところ。

 

しかも

もし、せいこさんが観てみて納得感がなかったり嫌悪感があったりしても、その気持ちを伝えてもらえるとうれしい。いろんな感じ方を知りたい。

とか言っちゃって、...うう、なんかもう愛だねぇ〜

ここまで一つの作品を愛せるって本当に幸せなことだし、作品にとっても幸せなことだ。

 

 

表現から受け取り、受け取ったものを自分を通過させて情熱を伴う表現として出して、その表現から派生した何かを受け取って、また表現して...というずっと続く循環が生まれる。

 

あの手この手で味わい尽くして、ずっとずっと楽しめる。一生遊べる。

 

「オタク」は人類が文明を持ち始めた頃からたぶんいたし、今さらこうやってわざわざ書かなくても、ハマるとか偏愛するとかってこういうものだと思うんだけれど、一つの作品に対していろんな味わい方があって、それは一人ひとり違っている。

わたしがこうやってブログを書いている今この間にも、彼女があの日課をコツコツとやっているのかと思うと、妙に心があたたまるんだ〜という話、でした。

 

表現物や自然物の存在を愛でて、祝って、寿いで、世界を豊かにしているのは、彼女やわたしも含めた、こういうちょっとおもしろい人たちの存在なんだろうと思う。

 

オタク万歳☆

 

 

(12/16 追記)

地上波での一挙放映を待たずしてもAmazon PrimeAmebaTVなどの動画サイトでも配信中のようです。

 

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観世能楽堂でお能を観た話

観世能楽堂の「観世会・荒磯能12月公演」に行ってきました。

天籟能の会を一緒に観に行った友だちがチケットを安く譲ってくれまして。


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GINZA SIXに2017年4月にオープンした新しい能楽堂。行こう行こうと思いながら、きっかけを見つけられなかったので、譲ってくれた友だちに感謝です。

 

今回の荒磯能は若手能楽師による公演なので、定例能に比べるとチケットもかなりお手頃。そして平日の13:00-16:30(解説は12:30〜)というところが絶妙で、銀座で早めのランチした後に、観能して、帰りはラッシュに巻き込まれる前に帰宅できる、というのはすごくいいです。能の支持層に年配の方が多いからなんだろうなぁ。でもこれはケアの必要な年齢の子どもを育てている人(わたし)にとってもうれしい設定。

 

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来てまずおもしろいなーと思ったのは、もともと能舞台は屋外にあって、それをお堂の中に入れてしまったわけだけれど、それをさらに地下(しかも地下3階)に埋めたというところ。

 

ここの能楽堂が特徴的なのは、それぞれの席のバランス。脇正面が極端に少ない。そしてこの脇正面が舞台にめちゃくちゃ近い(感じがする)。

 

お能の席は、金額の差はつけてあるけれど、どこから見るかは人によって好みがそれぞれなのです。S席だからいい体験ができるというわけでもないところがまたおもしろい。この感じは、クラシック音楽のコンサート以上のものがあるのでは。

 


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わたしはいろいろ座ってみた結果、かなりの確率で脇正面で良い体験をしていますが、それは国立能楽堂で特にそうであって、宝生能楽堂だと中正面とか、わりと能楽堂によっても違うかもしれず。

しかし今回観世能楽堂で座ってみて思わず、「ここは脇正面一択でしょ!」となりました。

 

一列目だったので、とにかく近い!迫力!

呼吸が聴こえてくる。

 

これがもし、人でありながら人ならぬものを観たい場合は、あまりにも生々しく人間すぎるから、そういう方にはもう少し遠い席がいいのかもしれない。

 

一列目は定例能( ↓ の写真)ではS席。10,000円。たぶん定例能なら年間指定席の枠でで既に予約されていて、ふつうに買おうとしたら取れない席ですね。今回はそういう点でも体験できてラッキーでした。


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席種の話をさらにすると、他の公演 ↓ での席は、SS、S、A、B、C席、学生席まであるので、もしかすると曲による見どころの違いなどから、この席の場所とランクの割り振りがあるのかもしれません。あくまで仮説ですが。

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荒磯能は若手能楽師による能ということで、確かにフレッシュな感じ。重鎮にはない揺らぎやエネルギーの勢い、色みたいなものがあって、よかったです。

 

能楽堂自体の若さ、わたし自身がこの能楽堂の場にまだ馴染みがない、舞台が近くで人間の存在の迫力をより感じる、若手の舞台というような上に書いたことに加え、女性の能楽師を初めて生で観た、狂言の途中で鋤の先が取れるハプニングなどなどもあったのか、没頭して心が持っていかれる能というよりは、観察する能という感じでいました。

 

同じ列で謡本を広げて指で辿ったり、赤ペンで書き込みをしたり、謡や仕舞のお稽古をしてらっしゃるのか、熱心な方々がいらっしゃいました。(追記:謡本のことを床本て書いてたのですが、床本は文楽義太夫が使うもののことでした。失礼しました!)

 

舞台のほうの感想。

 

仕舞

女性の能楽師さんだ〜ということでビックリしていてよく覚えていないけれど、女声も美しいなぁという感じが残っています。

 

能「胡蝶」

胡蝶の精になった後シテが、すごーく狭いところを面をつけていてほとんど見えないはずなのにスッと通り抜けるところ。舞台から落っこちちゃうんじゃないかとドキドキしたけれど、さらりとこなして素晴らしかったです。

 

狂言「水掛聟(みずかけむこ)」

狂言てホッとするなぁとあらためて。胡蝶が緊迫していたわけではないけど、やっぱりオープンな中から意味を読み取ろうとしちゃうので、エネルギーは使う。狂言は、セリフも一言一句取れて、わかりやすくて、舅と婿の争いと素っ頓狂な嫁の振る舞いに大いに笑えて楽しい。それぞれの良さがある。

 

能「春日龍神

後シテの龍神が激しく舞って、ジャンプして座位で着地するシーンが2回ほどあり、まるで陳式太極拳の演武をみているよう!囃子方の演奏もかなりパンキッシュだったりして、かなりノリノリ!

その直前の間狂言の長ゼリフが終わったあとに拍手したくなりました。文楽や歌舞伎やオペラやバレエなら絶対拍手喝采なんだけど、能ではそれはだめなのよね。もしどんなふうに見てもいい能の企画があったらいいだろうなぁ。フレディ・マーキュリー応援上映みたいに。

 

 

全体としては、あらためて能の装束が美しい!

立体的な形、布地の張り感、質感、色のおもしろさ。色の合わせ方、柄の合わせ方。和のものではあるのだけも、現代の着物ともまた違う発展をしている装束。能の装束の展覧会が松濤美術館でやっていたかも。でも単体で見たいというよりも人間が着ていて全体としてどんな造形になるのか見たいから、願いとしてはファッション・ショーなのかも。そう考えると、能舞台はランウェイみたいにも見えてきます。


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シテとワキと地謡囃子方。そして客席。

もしかして自分が今生きている瞬間、誰かと交流している時間のときにも、目に見えない存在がこのようにじっと聴いて見ているのかもしれない、という気がしてきます。パラレルワールド

 

若手の方々の中には年齢が若い方もおられて、「風姿花伝」の冒頭の「年来稽古条々」を思い出し、あの方々は、世阿弥が説いたところの「二十四、五」や「三十四、五」の時期にいらっしゃるのかなと想像したりしてました。家に帰って読み返してみたらけっこう厳しい時期なのだなぁ。

 

最初に20分ほど解説が入った中で、印象的だったのが、「せぬひまがおもしろき」、つまり、なにも動きがない、セリフがない、鳴り物が聞こえない時間こそ、登場人物は心を動かしているし、観客も自由な想像ができておもしろい、味わい深いのだ、という世阿弥の言葉を紹介してくださったこと。

それから、「花」は舞台で演じるものだけが持っているものではなく、観ている人が美しい、カッコいいと感じる心もまた花なのだ、しかもその花は千差万別、十人十色、という話も心に残りました。

それを確かに感じて、言祝ぎあうにはやっぱり、感想を交わし合う場があるといいよねーと、聴きながらいつものようにじりじりとしていたわたしでした。

 

noteでも散々書いた(話した)けれど、やっぱりこんな美しいものを見た喜びをすぐに語り合える場、館や普及したい方々とつくりたいなぁ!

 

今回もまた、今の自分が必要としていた声を聴けて満足です。ありがとうございました。


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noteをはじめました

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noteをはじめました。

 

先日、「せいこの歩いている道」と題し、これからわたしがやっていきたいことについてインタビューをしてもらい、それを[要約編] [全文編] [音声編]に分けてUPしました。

 

要約編でも約8000字あるし、音源も全部で100分あってめちゃめちゃ長い。書き起こし全文に至ってはもうマニアの世界ですが、noteだから許されるかな、と。チラ見していただけるとうれしいです。

 

まずはこのインタビューの記録を載せたくてはじめたnoteですが、仕事に関する知見や意見など、何かしらまとまった形のものを書いていこうと思っています、今のところ。

 

どうぞよろしくお願いします。

 

note.mu

自分の声を録って聴いてみる

片付けをしていたら、以前学びのシェア会で発表したことがある、「自分の声を録って聴いてみたら案外いいやんの話」のメモが出てきた。

 

この話けっこうよかったんだよなぁ...という、そのときの気分がぶわぶわと呼び起こされ、せっかくなのでブログに書いて残しておきたくなり、メモをじっと見てみた。

 


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要約すると......、

自分の声を録ったものって、「え?これがわたし?」というぐらい違和感があったり、恥ずかしくて聴いていられなかったりした。わたしの場合はポッドキャストが大きなきっかけになって、相方さんと楽しくおしゃべりしている声を録って、人が聴いてくれて、声がいいとか役に立ったとか楽しかったとかいろいろ言われて、肯定され、受容されているうちに、自分でも自分を受け入れられるようになっていって、セルフイメージとのズレが調整されていって、新しい表現にも挑戦するようになって、楽しくなって、すごいよかった!なんと今や自分の声を聴くと落ち着くまでに。自給自足。みんなもやってみればいいのに!(笑)

......という話をしたのでした。

 

細かいところの話も書きたいんだけど、今はここまでかなー。

いつかまた別の形で書くかもしれないし、話すかもしれないし、なにも起こらないかもしれないし、わからない。

 

とりあえず、覚えておきたかったので、ここに置きます。

 

 

12/10(月)個人セッションdayのお知らせ

12/10(月)個人セッションdayします。

1枠60分。1人1枠。何のテーマに使ってくださってもOKです。

 

たとえば、

  • これから場をひらいていきたいが不安。どうやって人を集めたらいいのかなど、何から手をつければいいか知りたい
  • 今、場をひらいていて、これでいいのか、こんなときどうしたらいいのか、もっとよくするには、などヒントがほしい。
  • 場(関係)の仕舞い方を一緒に探ってほしい。
  • 企画をここまで考えたので聴いてフィードバックほしい。
  • プログラムの中身を相談したい。
  • 読書会のつくり方講座、上映感想会のつくり方講座、鑑賞対話会のつくり方講座、講座やシェア会のつくり方(橋の架け方)講座、トークライブのつくり方...をしてほしい(個人向けでもやります。実際にその場をやりながら解説をします、裏を見せながら表もやる、みたいな感じです)
  • 百人一首講座 http://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2018/08/11/172741
  • 募集文の添削、フィードバック
  • ポートフォリオを見てもらって、その作り方について質問してくださってもいいです。たとえば「上映会と対話セットの会をひらきたいがこのときどうしたのか」「PTA講座に呼んでみたシェア会を聴き逃したのでもう一回聴きたい」など。http://hitotobi.strikingly.com/#portfolio

 

 

場所はZoomまたは都内の指定カフェで対面のどちらか。
60分¥10,800税込。交通費、カフェ代はご自分の分だけ実費でご負担ください。

①10:00-11:00
②12:00-13:00
③14:00-15:00
④16:00-17:00
の4枠です。

 

お問い合わせ・お申し込みはこちらから>>
https://ssl.form-mailer.jp/fms/97f33a63303170

 

このセッションはいつでもやっているのですが、枠をつくってお知らせしたほうがコンタクトしやすい方もいらっしゃるかなーと思い、こんなふうにしてみました。

 

そうだ、これは今年やろうと思ってできてなかったことのひとつでしたー!やったー^^(まだお申し込みきてないけどw)

 

来年に向けて整理したい、希望を持ちたい、という気持ちが高まる年末。

時間内に解決することもしないこともあると思いますが、取り切られた時間と空間をご用意して、あなたの宣言に立ち会います。

 

考えるのも行動するのもあなたなんだけど、そのように未知に踏み出し、安全地帯を出て取り組んでいるあなたを知っている人がいるというのは、大きな力になると思います。

 

前にセッション受けてくださった方が言ってくださっていたこと。

 

・やっぱりこんなダメなわたしのところには誰も来ないんじゃないかと思ってしまう。結果が出るのが怖い。やりたいけどやらない自分のままでいたい。でも一度セッションで話すと宣言になり、立ち会ってくれる人がいて、なんとか怖れを超えていける。

・わたしが悪いとかダメじゃなくて、やり方や内容や仕組みに目を向けられるのがよかったと。なぜわたしが場をひらきたいのかに徹底的に寄り添ってもらえるから、人と比べなくなる。それでやってみたら、比べてもしょうがないんだってようやく思えた。

・やってみたい気持ちだけがふわふわとあって、やり方がわからなかった。自分のやりたいことや持っている条件や制限の中でできるようになるやり方があった。「それにやり方があるんだ!」というのが目から鱗

 

 

お待ちしております。

 

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hitotobi.strikingly.com

インゲヤード・ローマン展がよかった話

下半期もいろいろつくってきたので、またモノがもりもりと増えました。年末でもありますし、掃除・片付けをゆるゆるとやっているのですが、ここでモチベーションをさらにぐぐっと高めるには、やはり美しいものを見て、作り手の美学にふれるのが一番良かろうと、会期終了間際に滑り込んできました。

 

 

インゲヤード・ローマン展

東京国立近代美術館工芸館で12/9までです。(あした!)


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工芸館ってとこがいいよなぁ〜 

建物にうっとりです。

 

 

インゲヤード・ローマンは、ガラス食器や陶磁器のデザイナーで、一点ものの作家ものを目指す人ではなく、量産品をデザインする人。スウェーデンの人。

 

黒一色のファッションに、シルバーグレーの長い髪を後ろで一つに束ね、いでたちもまたシンプル。でも、話すときの口調や仕草は穏やかで朗らかで、目がきらきらとしてエネルギッシュ。ほうぼうに置かれた映像展示にじっと見入ってしまいました。そして、自宅もアトリエもその作品そのままに、びっくりするほどシンプル…!

 

繊細なフォルムと精緻なライン。デザイナーと職人がきりきりと技を磨いで作り出したガラスや陶器が、窓から入ってくる夕方の光に包まれて、そしてそれを真剣な眼差しで見つめる鑑賞者の人びとがいて、その光景はもう、たとえようもないほど美しかったです。いいものを見た。

 


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窓の向こうに立派な銀杏の木。

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印象深い言葉をいくつか。

 

素材本来の美しさを生かす、普段の生活で使える、長期にわたって生産される、多目的に使える

 

わたしにはよくあることなのですが、嫌いなものから何か別のものが生まれてくるのです。問題の根本は技法や素材ではなく、挑戦しないわたしにある、とわかるようになりました。醜いものから美しいものを生み出そうとする挑戦です。

 

ガラスや陶芸だけでなく、どんな仕事も自分自身を起点に置きます。私自身のニーズがデザインのはじまりです。

 

光が水を一面に照らす光景は、どんな天気でも、どんな時間帯でも美しいものです。

 

多くの方から「何かお願いします」という依頼の連絡を受けます。でもコラボレーションをするには特別な理由が必要です。

 

 

 

「インゲヤード・ローマン」展、簡潔な器ににじむ感性

casabrutus.com

 

 


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外に出ると世界が美しく見えて、玄関脇の傘立てに目が留まった。
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工芸館に行くと、美術館のコレクション展のチケットももらえるので、久しぶりにのぞいてきました。愛が漏れ出ているキャプションと、どの部屋にも椅子がたくさん置いてある、この「まぁ座ってぼーっとゆっくり見ていけば?」と言いたげな設営が好きです。

相変わらず豪華な常設展で、切り取り方も新鮮で、また新しいことを教えてもらいました。

 

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北の丸公園は銀杏がきれいでした。


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オンラインシェア会がとってもパワフルだった話

11月半ば、息子が通う小学校のPTAで「子どもの話を聴くコツ講座」をひらきました。

そしてひらいたことが大変よかったので、居ても立ってもいられなくなり、「PTAに『子どもの話を聴くコツ講座』を呼んでみたよ!Zoomシェア会」をひらきました。お知らせ記事はこちら

 

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当日は8人もの方がZoom会議室に集ってくださいました。ありがたかった!

幼稚園や小学校のPTAでこの講座を呼びたい人たちと、これから講座の講師をやりたいリスニング・ママプロジェクトのリスナーさんたち。

その後も、Youtubeに期間限定でアップしたものを見てくださった方が40人ぐらいいらしたみたいです。ありがとうございました!!

 

 

この経験はわたしにとってなんだったかというと、

表現、自由、楽しみ、ユーモア、直感、協力、貢献、相互性、創造性、意味、共有あたりがキーワードになってきそうです。

もっともっと他にもあると思うけれど、とにかく楽しくてうれしくてよかった!!

いいことしかなかったです、これまた。という感触だけが残っている。

 

それから、

  • この講座を呼ぶことを前提にPTAの担当をしてみる
  • 自分の経験を人に伝えるシェア会をして、喜びを共有したり、自分の整理の機会にしたり、価値を伝えたり、広めたりしてみる
  • 「うちの講座を開催してみませんか?」という説明会的な場をひらいてみる

......とか、みんなどんどん場をつくったらいいのにー!と思いました。

自分が「いいな」と思ったものを、ちょっと「押しつけがましい」ぐらいの感じで踏み込んで手渡していく。

それをして何になるかは、実はよくわからない。やる前には「いいことがある」ぐらいにしかわからない。でも、やってみたら「おおー、こんなことに!」という景色が広がっている。

このシェア会は、なんだかそんな熱と、それを支える技術や思考フレームや手法をお伝えできていたならうれしい。

 

 

いただいたご感想

オンラインなのにそれぞれが持つ「この講座を届けたい」「実現させたい」という情熱が伝わってきて、何度も胸が熱くなりました。

せいこさんのお仕事である「場作り」にはとても細やかな配慮や信頼、つながり、安心安全があるのを体感できて、さらに実現させるためにはこんなにも事前にできる準備があるのか。という驚きと感動がありました。

 

せいこさんのやってよかった、こんなにもこれがあれが...もう本当に♡という気持ちが画面からも伝わってきて、なぜかうるっとなったりしました。きっと学校のみなさまとのやりとりでもせいこさんはこうやってせいこさんだったんだろうなぁ、とただただよい日、よいこと、よい経験でした、というお話を聴かせてもらっただけではないものを受け取った気がします(言語化むずかしいですが)。

たった1時間とは思えない濃い&よい時間でしたありがとう!

  

 

イベント企画で気をつけること、よく知らない者同士で円滑にコミュニケーションをとるヒント、企画書や場のつくりかたなどもちりばめられていてリスママの講座を呼ばない人にも一見の価値あり。(と動画をすすめてくださった)

 

すごく励まされました。講座系を企画するときに、「みんながやりたいもののほうがいいのかも」とどこかで思ってしまっていて。でもやっぱり「私が」がベースなんだよなぁ。私は、私で、いいと思うものを広めていこう。情報も方法も持っているから、そこは堂々として、でもできないことはできないと言えばいいんだなと思いました。来年度に向けて、私がいろいろ経験して、これは!と思ったものを熱を込めて企画すればいいんだ!

 

せいこさんが自分を飾ることなく丸ごとご自分をさらけ出したこと、に感動を覚えました。PTAに消極的だったせいこさんが、委員さんや世話人さんとのやりとりが楽しかったという感想を持ったり、保護者の中に同じ体験をした人がいて心強く感じたり、、と心の動きがとても聴いていて嬉しかったです。

 

こどもの話を聴くコツ講座の中身の力だけではなく、せいこさんがPTA活動として講座を呼んだからこその意義も受け取りました。

 

 

他にもたくさんたくさん、ご感想をいただきました。それから投げ銭も。

ありがとうございました!

ご参加くださった方も、応援してくださった方も、PTAの皆さまも!!

 

・・・

 

シェア会で話したことを、ここに書いてまとめることもしたらきっといいんだろうけれど、やっぱり話すという表現でしかできないから話したんだろうなぁとも思うし、実際今それを書いて残そうという気力がないので、ご感想と、あとはシェア会をひらくにあたってつくったストーリーボードを自分の記録も兼ねて貼っておきます。

 

(12/15追記)

落ち着いたら書けるようになってきましたので追記します。ご参考までに。

「リスママをPTAに呼ぶとなぜいいのか」

-そもそもPTAは、「子どもの学校での学びや生活の環境を整えるために活動する」という目的があり、保護者や先生のかかわりにより、子どもにとって有益になることにどんぴしゃりだから。

-自発的に外部の講座にお金払って出てみようと思わない人も、PTA講座なら行ってみようかな、学校だし、無料だし、信頼があるし、、ときてくれる。

-「なぜ聴くとよいのか」漠然とそう思っていたけれども、発達段階、年齢、きょうだいの有無、特性などを考慮しながら解説してもらえて理解できる。

-講師の事例が適切で、笑えて、メタファーがわかりやすい。共感的でオープンマインド。

-思いやりや心がけではなく、知識と技術とすぐに使えるという実感が得られる。(へえー!とか、だからだったのか!と実感することが大事)

-設営にほとんど手がかからない。PCやプロジェクターが要らない。テーブルと椅子が人数分、ホワイトボード、マイクとスピーカー&アンプ、資料2点+アンケート配布のみ。託児スペースもレジャーシートと図書コーナーの本、ぬいぐるみと紙と色鉛筆あれば十分。

-90分でできる。PTAの希望により調整してもらえる。
●レクチャー(30分)
 -子育てのゴールはどこ?
-子どもの成長段階と関わりの変化
 -どうして聴くといいの?
●ワーク(20分)
 「ただ聴く」を体験してみましょう!
●レクチャー(30分)
 -言葉ではなく気持ちを聴く
 -生きていく力、自己肯定感と自己効力感
 -15年後の親子関係は?
●質疑応答(10分)

 

 

 

パフォーマーや場の守人としてのわたしは、「何をどの順番でやった」とか「何をしゃべった」とかの記録やレポートが苦手で、感触しか伝えられない。。

が、表現、パフォーマンスする側の人って、こうなるのもしょうがないかなぁとも思います。当日その場に立ち上がり、起こり、一人ひとりが持ち帰ったものがすべてなので。あとは書くとしたら自分の感触しかないのだな。。

 

わかりやすさについては、わたしの芸を気に入ってシェアしてくださる方によって、説明されていくのを待ちます。

 

こういうわたしの芸や機能をどう売っていけばいいのか、ブレインと共に再考中です。

 

まずは今の時点で自分が貢献できること、お金という形で戻ってくるとうれしいものについてはこの下にまとめてみました。

 


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これをやってみて、さらにこれをどう活かせるかなぁと考えたときに、

自分の経験を誰かにシェアしたい人、

講座やイベントを提供している団体に所属している人のための

①シェア会のつくり方講座

②シェア会のつくり方個人セッション

③講座の呼び方/講座の呼んでもらい方個人セッション・コンサルティング

④しゃべる(講演とかポッドキャストへの出演)

が具体的にお力になれるなぁと思いました。

 

①の講座は、90分〜120分の間で設計します。対象者やご要望をうかがいながら講師謝金として設定。

 

②③のセッションは、通常の個人セッション料金を基準に60分10,800円(税込)〜

 

は、何をしゃべるかなどはご相談。

 

▼ご依頼・お問い合わせはこちらへどうぞ!

ひととびお問い合わせフォーム

大きなテーマほどみんなで手分けして(オンライン読書会)

おととい、オンライン読書会『虐待・親にもケアを』に参加した。これは、もうほんとうに、ひらいてくださってありがとう!な場。

https://www.facebook.com/events/505606646625683/

 

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読書会の型としては、輪読形式。

章や節で参加者が分担して読んできて、レジュメをつくり、数分で要約を共有し、その後ディスカッションをするというもの。

自分の担当以外も読んできてもいいし、読んでこなくてもいい。また、今回は時間がなくて読めなくても、関心があれば聞いているだけでもOK、など参加しやすい形。

 

勉強会型の読書会で分厚い課題本があるときに、一冊まるごと読了でなくてもよく、自分の担当パートの精読に集中できるというのは、とてもありがたい。

そして、自分の担当パートに集中していたからこそ、他の人が頭と心をつかって読んでくれ、解説してくれていた部分が、体系を構築しながら自分の中に入ってくる。読書会のあとに未読のパートを読むと、一度通っておいて、かきわけて、けもの道じゃなくしておいてくれているので、するすると読める。

 

この感覚は、効率がよいという以上に、受け取るものが大きく深いことが素晴らしい。

 

 

 

 

***

 

型について脱線。

 

「輪読」については、以前、読書会って何?どんなことをするの?でも書いたが、簡単に言うと「勉強会型の読書会」と言えると思う。

・輪読についてはこの説明がわかりやすい。>> 輪読のススメ - Qiita

・輪読にあたってどんな力が必要なのかの説明も興味深い。>>

輪読のコツ【大学教員によるやり方の解説】 - 京極真の研究室

確かに、読書→解釈→発表→議論をするので、ただ読むだけではない力が求められるし、テーマへの強い関心や参加の動機も要る。

・最近輪読形式の「アクティブ・ブック・ダイアローグ」という型が開発され、マニュアルがシェアされている。

未来型読書法 アクティブ・ブック・ダイアローグ®(ABD)公式サイト

(わたし自身は「本が裁断される」というプロセスがどうしても受け容れ難いので、本家本元の場には行ったことがないのだが、、)

 

 

***

 

 

多くの人がそうであるように、わたしもまた虐待の被害や事件についてニュースをみたり、ウェブで記事を読んだりすると、苦しくて身体的にも辛くなるほどの影響を受けて、何ができたんだろう、わたしに何ができるんだろう、ということをその度に考えている。

 

この本は、MY TREEプログラムの実施に携わっている友人から紹介されたもの。数ヶ月前に入手したものの、手がつけられて(読めて)いなかった。この本があることも、読むことも希望ではあるけれども、テーマが重いので、どうしても一人では怖れ、怯えがある。

かき乱されたあとにどう日常へ立ち直っていけるか、ということを想像すると、どうしても及び腰になるところがあった。

 

 

でも誰かと一緒なら手をつないで見にいけるんじゃないかと思った。

 

実際見に行ったことがある。

「夜と霧」の読書会「いのちを"つくって"もいいですか?」の読書会 をひらいたことを思い出す。

ブログは書いていなかったけれども、ちょうど一年前にひらいた「月刊総合診療:特集・今そこにある、ファミリー・バイオレンス」の読書会もした。

 

それら体験はとてもよかったこともわかっている。

 

そして今回もやっぱり参加してよかった。

 

交わした言葉や内容について今はうまく綴れない。

もう少し時間をおいてから書けたら。

 

 

 

 

あまりにも大きなテーマに身がすくむ。一体どうしたらいいんだろうと無力感にも苛まれる。

でも、わたしはここまでは考えた、このことを知った、今は違う景色を見ている、つないだ手は増えた、とは言える。

 

自分がどこに立ってそれをどのように見ているのか、自分の日々の暮らしの中で何がそれとつながっているポイントなのかが明らかになる。

自分にとっても希望だし、それを口にすることが、場に居合わせているメンバーの希望にもなるなら、また取り組んでいける。 

 

そして日常に戻って新しいフィルターで見てみると、ほんとうに些細な日常の会話や、公共の「場」や「場所」にどれだけそのつながっているものが散らばっていることよ!と思うのです。無力なんかじゃない。

 

 

そんなことを考えられた場。ありがたい。

 

そして同じように考え、言葉にしている仲間がいることのありがたさ。

ameblo.jp

 

 

レジュメというか、なんというか、書き散らしたメモになってしまったもの...

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ファミリー・バイオレンスの読書会のこともここに記録しておく。


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この流れでいえば、「虐待によって健康被害・死者が出ることは公衆衛生の観点から非常に大きな課題だし、社会経済にもたらす損失は非常に大きい」ということと「医療の現場で虐待のサインをみつける機会があり、見つけたらどのように対応するかに取り組んでいる現場、問題視している現場がある」という文脈を持って今回の読書会に臨めたことは、わたしにとって非常によかった。

 

専門家が横断的に活動しており、他職種の連携があること、市民の小さな浅い〜大きな深いかかわりをすること、その中にいくつも効果をあげている例を知り希望を持つことが、同時に起こっていくとよいなぁと思っている。

 

この先、同じメンバーで、あるいは時には入れ替わりながら、読み進めて行くのが楽しみだ。

 

 

 

ファミリー・バイオレンスの読書会のときのメモが出てきたので貼っておく。いっしょにひらいた相方さんが書いてくれたもので、これを見ているとなんだかあたたかい。センシティブなテーマをより丁寧にひらいていこうとした痕跡が、わたしをそのような気持ちにさせる。
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