ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

《レポート》12/27『ディリリとパリの時間旅行』でゆるっと話そう

遅くなりましたが、『ディリリとパリの時間旅行』でゆるっと話そうのレポートです。

 

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暮れもおしせまった12/27(金)の夕方。

直前に新聞に映画の紹介が載ったこともあってか、劇場は満席となりました。めでたい。

ゆるっと話そうのほうには、まだ観ていない方2名も含め、10名がご参加くださいました。

 

ほとんどの方が直前の回を見終わって、2階のゆるっとの会場にいらっしゃるのですが、どなたも「ああ、いい映画だった〜♡」というお顔で、うれしくなります。

 

パリやヨーロッパの文化が好きな方

美術や音楽や文学が好きな方、

ミシェル・オスロ監督の作品が好きな方、

鑑賞対話の場づくりに関心がある方、

音声ガイドを担当された方など、いろいろな方と円座を組んでお話しました。

 

今回の進め方

・まずはお隣の方と2人でペアになり、話す人・聴く人に分かれてお互いに5分ずつ、観た感想を話してもらいました。観ていない方は、どんなイメージを持っているか、どうして観たいと思ったか・興味を持っている点について話してもらいました。
・その後、「2人で話していて印象に残ったこと」を全体にシェアしてもらいました。

・そのシェアを聴いてまた思ったこと、気づいたこと、話題には出ていないけれどふれておきたい箇所や視点について話しました。

 

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わたしが今回のトークで印象に残っているのはこんなこと。
・パリ、フランスの誇りを感じた。一つの文化や時代をつくった「怪物たち」がこれでもかと登場する。あれはフランスの人たちを鼓舞する効果もあるのではないか。
・パリのまちがとにかく美しい。DVDが出たらほしくなった。(出てます!→
・途中怖いことも苦しいことも起こる。実際に現代のフランスや世界が直面している課題(女性差別、人種差別、貧困、暴力など)も多々出てくるが、最後には希望をみせてくれるところがよかった。
・アニメーションだから直視できた。
・フランス語の美しさにうっとりした。
 
観ていない方は、みんなの話を聴いて絶対観たくなった、
観た方は、みんなと話して、もう一回観たくなった、とのこと!
 
いいですねぇ^^
 
わたしはゆるっと話そうをひらくにあたって、2回目を観て、さらにオスロ監督の前作『アズールとアスマール』も観たのですが、こちらも素晴らしい作品でした。国籍、人種、移民、性、身体的特徴による差別や文化の軋轢など、深いテーマを扱いつつ、愛と美と光にあふれていました。おすすめです。
 

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ご参加くださった方、ご関心をお寄せくださった方、ありがとうございました。
 
・・・・・
 
上映会、鑑賞対話の場づくり、ご相談ください。
プログラムの設計、対象者の設定、会場検討、プログラムの内容、目的、ファシリテーション計画など、鑑賞対話ファシリテーターとディスカッションしながら組み立てていきます。
・主催者としてファシリテーションをご依頼くださる場合は、概要をお知らせください。
・ご自身の企画やファシリテーションのご相談は、対面またはZoomでセッションいたします。30分・60分の枠がございます。
 
コンタクトフォームよりお問い合わせください。 https://seikofunanokawa.com/
 
 
 

読み聞かせ・5年生・1月

今年最初の読み聞かせでした。


冬の一番寒い時期を念頭に、家の本棚にあった2冊を選びました。科学写真絵本と民話の組み合わせは、読み聞かせの一つの型です。理由はのちほど。


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あし→てぶくろの順で読みました。

 

「あし」

福音館書店では品切れ(絶版?)のようです。図書館にはあるかと思います。

https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=4042

 

ヨシとも言います。平安や鎌倉時代にはアシと言っていたようですが、いつからかアシ=悪しと音が一緒なので縁起が悪いということで、ヨシになったらしい。わたしが湖や川に縁のある生い立ちだから、その思いを込めて。葦原の四季を追った写真も美しいです。途中に詩のような歌のようなフレーズが入っているのがまたよいです。

 

「てぶくろ」

福音館書店版が有名かと思いますが、わたしはのら書店版が好みです。

のら書店:てぶくろ

 

息子も大好きなお話。三木卓さんの訳文のテンポよくメロディアスな言葉が連なる。お芝居をしている気分で楽しく読めます。こちらが楽しんで読めるのが、聞いている子どもたちにも伝わるのを感じます。絵もすてきなのです。針金のような繊細な線に数を抑えた少しスモーキーな色味。

 

なぜ科学写真絵本と民話の組み合わせなのか?

子どもたちにとって、朝一番のまだぼーっとしている時間はゆっくりと始め、見ているだけでわかる写真絵本がよいです。

少し場に慣れてきたら、情景や物語を自分の中でも描いていく物語が、その後の活動時間につながります。中でも民話は、長い時間をかけてその土地その土地で培われてきた物語なので、安心して読めます。

 

てぶくろを勢いをつけて速めに読むため、あしは少しゆっくりめに読むことを心がけました。

練習のときより少しずつ意識して本番。時計を目の端で見ながらコントロールして15分ぴったりでした。

 

きょうもみんなで読めて楽しかった。

ありがとう。

 

次の当番は3月。

春を待ちわびるがテーマかなぁ。

 

*****

 

読み聞かせの場づくりのご相談承ります。

対象者、場所、選書、順番、読み方など、ご経験やご興味をうかがいながら、つくりたい場について一緒に考えていきましょう。

https://seikofunanokawa.com/

《レポート》2020年・新春の百人一首と競技かるた体験会、ひらきました

「Umiのいえ」での競技かるたの会も5回目となりました。

前回からの間に、わたしはB級弐段に昇級昇段することができました。
ここで教える、百人一首や競技かるたの世界に橋を架ける、ということも、なんらかの形で力になっていたと思います。ありがとうございます。


さて、きょうは年も明けて、あらたな気持ちでひらきました。

はじめて参加の方もいらっしゃり、7名でわいわいと進めました。
「子どもの頃から百人一首が好きで、この会も前々から注目していたけれどなかなか日が合わなくて、きょうやっと来られました」と言っていただけ、うれしかったです!

 

 

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いつものように百人一首の成り立ちや歴史的背景を解説したあとは、和歌の鑑賞です。

前回、秋の歌をじっくりと鑑賞し、それを後半の競技かるたの時間に取るのが大変好評だったので、今回は冬の歌をピックアップしました。

今は旧暦では春なのですが、体感的には一番寒いとき。

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冬の歌は100首の中でたった4首。

 

雄大な富士山とそれを白く染める雪...。

冬の夜空にきらめく星々と、鳥の白い羽、橋に降りる雪の白さ...。

枯れた野山に侘しさをつのらせる吹きすさぶ風...。

月明かりかと思ったら、眼下に広がるあたり一面の雪の白さ...。

 

雪の白さや反射する月や太陽の光、澄み切った空気の冷たさなど、感覚的な印象の強い歌が多いです。

少ないだけに特徴がつかみやすく、親しみやすいという声もありました。

 

後半は、この冬の歌4枚と、秋の歌のおさらい、むすめふさほせの一枚札、音が途中まで同じの友札などを取り混ぜて入れ、10枚 VS 10枚で対戦の体験をしました。

 

競技かるたは、上の句を聞いてそれに対応する下の句を取る。
最初の1〜6つの音をとらえ、札を取る動きにつなげていきます。

本格的に競技かるたをやるには、まとまって取り組む時間や根気、そもそもやる動機が必要ですが、この体験会ではそのハードルをだいぶ下げて、その場でできる範囲で、しかしできるだけ本式の競技に則って、疑似体験をしてもらっています。

身体ごと和歌を体験する、ということですね。

 

時間が余ったので、源平戦をしてみました。

わーきゃー言いながら取るのも、この体験会ならでは。

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慌ただしい毎日に、千年前の人々と時間とつながるひととき。

取り入れていきましょう。

 

次回は3月22日(月)14:00-16:00です。
大人になったからこそ楽しめる、
・季節を歌で感じる、「鑑賞の味わい」
・身体ごと歌を感じる、「全感覚の覚醒」
・教えると教わるが混じり合い、「持ち寄る場」を大切にしています。

春や離別の歌をご紹介する予定です。

coubic.com

 

 

Information

百人一首と競技かるたの出張開催、承ります。

●概要:千年の時を経て、文学、文化、芸術、スポーツなど様々なジャンルにわたって発展してきた百人一首。競技かるたを通して、その奥深さにふれてみる、未経験者や初心者向けの体験講座です。

●内容百人一首の成立〜競技かるたに発展していくまでの歴史や文化的背景を知り、和歌を鑑賞します。後半は競技かるたの公式ルールにのっとって、実際に取る体験をします。

●プログラム一例:

・お互いをちょっと知る時間
・解説:百人一首の歴史、文化的背景、歌の解説。競技かるたの成立の経緯。競技かるたのルール。
個人戦:公式の競技かるたのルールで、1対1で対戦。レベル分けして、基本のきから段階を追ってゆっくり進めます。
・きょうどうだった?

●講師:舟之川聖子

"競技かるたの聖地"滋賀県大津市の出身。子どもの頃から家庭や学校で百人一首に親しむ。2012年に漫画「ちはやふる」を読み、百人一首を好きだった気持ちを思い出す。友人と「かるたCafe」というコミュニティを立ち上げ、2017年まで活動した後、かるた会に入会。競技かるたに本格的に取り組む。現在はB級弐段。

●講師料
3.5万円〜+交通費別途。
(講座時間:〜2時間, 参加者:4名〜, 事前打ち合わせ:〜1時間。

●実績

杉並区 【男女平等推進センター講座】マンガから学ぶ「女性の働き方と両立支援」 (実施者:こどもコワーキングbabyCo)

http://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2018/10/08/152323

中央区 女性センター「ブーケ21」講座 「ようこそ!百人一首と競技かるたの世界へ」

http://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2018/03/27/175736

はじめての競技かるた@アカシデカフェ
http://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2018/06/18/152850

●お問い合わせフォーム●

 

映画『アナと雪の女王2』鑑賞メモ

映画『アナと雪の女王2』を観てきた。

事前になんの前宣伝も見ず、前知識もなく、後でレビューも読まずの状態なので、ほんとうにただのメモです。

※映画の内容に詳しく触れています。未見で影響されたくない人はご注意ください。

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・少し前に映画『ディリリとパリの時間旅行』の2回目を観て、鑑賞対話の会で語り、アニメーション映画とは、何がリアリティの感覚を呼ぶか、など考えてからこれを観た。ディズニーの映像表現は年々「過激」になっていっていて、ややついていけなさを感じている。あくまで好みの問題だが、スペクタクル、体感を伴う「リアリティ」を追求したもので、映画というよりもアトラクション。チームラボに近い。きれいさに目や身体は驚いているけれども、心はあまり動かない感じ。

・展開が早くてたくさんの要素が詰め込まれていて隙間がないので、常に緊張状態にあって疲労困憊。グリーフさえも素早くあっという間に回収される。詩的な余白がないと物語が組み立てられない。主人公たちは「あ、そういうことだったんだ!」とわかっているようだけれど、観客がわかるようにつないでくれる存在が、いるようでいない。説明している人がいるけれど、必要なのは「説明」ではなく。。うーん、なんだろう。。

・キャラクターに爪が生えていて、なぜかぎょっとした。手の平側から見たときに1mmほど爪が伸びている感じに。

・オラフが途中でアイ(間狂言)のような役回りをするところがあったのが興味深かった。エルサが不思議な声に導かれて、冒険の旅に出ることを決めて、霧の中の森に飛び込んでいくところまでが、能で言えば「前場」。

・霧の中で30年も同じ戦いを繰り広げていた2つの種族。閉じ込められて、600年同じ演目を続けてきた能の中の登場人物たちを彷彿とさせる。そこにワキとして通りかかるエルサと「ツレ」。

GAFAの動きを考えると、多国籍巨大企業が何の意図もなく発信しているとは思えず、これは何の象徴であるのか、ということを考えながら見ることになる。

・物語層と歴史層と象徴層。

・過去に入り込むトラウマリリースセラピーの手法?それでも解決法は武力、圧倒的な力。。トラウマの元を力で破壊して無くする。荒療治も多い。映像と音楽によるアメリカ的サイコマジックとも言えるか。

・一人の圧倒的な魔法の力を持った将軍と、それを支える勇敢な武勇兵たちの構造。

・アナの苦手なところをあえて際立たせる。人の話を聴かない、最後まで聴かずに、かぶせてくる、慌ただしい、落ち着きがない、先回りして突っかかってくる、責める・非難する。

・映画『サーミの血』を観てから観たらまたちょっと受け取るものが違ったかもしれない。

ネイティブアメリカンと入植者の関係、奴隷・移民・難民で構成されアイデンティティが揺れ続けるアメリカ。アメリカの脅威となる「アート・ハラン」「ノーサルドラ」「ダーク・シー」とは。今、アメリカの未来が見えない感じ?なぜ今これが作られ、世界中で見せられているか。

・今の自分を認める、自分には力があることを受け入れる、内なる呼び声に耳を傾ける、ルーツを知る、みんなとは違う自分の生を生きる覚悟を決める。自分にしかわからない特別さ。才能、能力、霊性。自己一致して生きていると、見た目(姿形やファッションや放つ雰囲気)も変化していく。アナとの統合後のエルサにとって、再分離し自立する更なる解放の物語。

・あえてこの時代に「男子VS女子」を持ち出したアナ。なぜ?

・『フィフス・エレメント』『天空の城ラピュタ』『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』へのオマージュが感じられる。

地震津波、台風、洪水、竜巻、山林火災など、自然災害とその甚大な被害を思い起こさせられて辛かった。

・ミュージカル部分が多かった。ディズニーの開発したミュージカル映画というお家芸と最新のCG技術、音響で見せつける。

・出てくる人物皆それぞれにどこか生きづらそう。本作の「キレやすさ」「衝動性」は何なんだろう。記憶を取り戻そうとするときに痛みが発生することのモデル?

・オラフのセリフに込められているメッセージ・意図は何か。賢人というより何か。。
「大人になったら 大人になったらぼくは、ほんとうにすてきな大人になるんだ」
「先端技術は救世主」
「水は記憶を持つ。4人の人間または動物の中を通ってきた」

・回転するもの、明滅するものが多くて酔う。目を閉じて突っぷすシーンが多々あり辛かった。人間がこういう映像体験に歓喜し、のめり込んでいく傾向というのは、何の表れなんだろうか。自分では身体を動かさずに、安全に疑似体験することで何を得ようとしているのか、何を欲しているのか。

・「魔法ではなく、森の恵みを受けて暮らす」とは?

・「なぜ子守唄にはいつも脅すようなことが入っているの?」確かに。

・「真実をみつけて、国・故郷(くに)に帰るのよ」、現実で生きることを忘れない。

・年末にドラマ「逃げ恥」を見ていて、妄想でそのシーンや役柄に自分を置いて話したり動いたりする、演劇的手法によって自分を客観視したり、衝撃を和らげたり、次の手を見出そうとするのはあり。ミュージカルにはそういう効果がありそう。位相を変えて感情を味わう。

・「過去を形にして見せる」どこまでも具体的なアプローチ。具体的な表現。グリーフも直截的。

・「二人でやっていきましょう」現実的なやり方で再統合する。分離しながら分担して発揮する。意識と無意識。表層と深層。存在を認めたというところが画期的?

・訪ねた先に源の母へつながる、の意味。

・「やあ、ぼくオラフ。ぎゅーってだきしめて」。ディリリの「ほうよう(抱擁)って?」とまったく違う。

・恐れの気持ちを信じちゃだめよ。行きすぎると溺れる。闇の力に引っ張られる。引っ張られすぎないようにする。サイコセラピーの注意点。

・「ダムは平和の贈り物」「相手は武器を持っていないのに」「正しいことをしない限り国は守れない」、、体制批判のようで、、どうなんだろう。

・橋をかける魔法がなくても、飛べる体力と運動神経があるアナ。今回は「アナと雪の女王」の、アナの物語?

・クリストフ「どうしたらいい?」、アナ「ダムに連れて行って」、クリストフ「よしわかった」。。このやりとり!クリストフは自分が手柄をとる野心も、引け目も持たない。結婚するが城には入らない。王ではない。イエには入らない。新しい時代の結婚。今後の後継問題はどうなるか。

・国の礎に巣作っている「悪い物語」を破壊し、囚われている人を解放し、世界を癒す。ディズニーにしか描けない。

・エルサの二拠点生活。エルサは行き来ができる。アナはアレンデール(現実・表層)にのみ暮らせる。エルサは精霊だから従来の「結婚」はない。新しいパートナーシップ、新しいロイヤルファミリーの提案とも見えるし、分家して入植する植民地支配とも見える。

・文明と「非文明」の分断は真に解消されたか?

 

・・・

 

とりあえずこんな感じのことが出た。

他の人のレビューを読めばまた展開しそうな気はする。

 

書籍『戦争とは何だろうか』

今この時にこそ、読むべき一冊。

 

 

 

わたしは「戦争を知らない世代」などでは決してない。

 

たとえば、わたしはベトナム戦争収束の翌年に生まれた。

10代を、冷戦とその後の揺れの中を生きた。 

ソビエトアフガニスタン侵攻、イラン・イラク戦争スーダン内戦パナマ侵攻、エチオピア内戦、ルワンダ内戦、湾岸戦争ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争東ティモール紛争、アメリカのアフガニスタン侵攻、イスラエルのガザ侵攻、シリア内戦......書ききれないほど多くの戦争、紛争、内戦、テロリズム、報復攻撃を目撃してきた。

 

世界で唯一の核爆弾の被爆国の国民として、見聞きし、学んだこともたくさんある。

国家間戦争や植民地侵略の中で行った加害、受けた被害の疵が癒されないまま世代を超えて受け継がれているとも感じる。
曾祖父母、祖父母、親から自分へ伝わったもの、自分が人生を通して向き合ってきたもの、子の世代へ手渡すまいとしてきたこと、残念ながら手渡さざるを得ないもの......。

 

なぜこのような社会・世界の有り様なのかを知りたいとき、人類の歴史を「あるテーマ」で串刺すことで見えてくるものがある。
戦争はその中でも最も大きな核となるものと言ってもよいかもしれない。

 

とりわけ今、知らねばならないことがある。

特に国家間戦争から対テロリスト「戦争」へと移行した20世紀後半から21世紀の戦争について。

戦争のイメージ自体を刷新することが急務だ。

 

今まさに目の前で起こっている、起こされている戦争や軍事行動、政治、経済の動きには、どのような歴史的経緯があるのか、
誰が首謀者で、
何が目的なのか、
どのような手法や技術なのか
その根底にある思想は。

世界は戦争と共にこの先どのように変化していくのか。
わたしたち、わたしとどのような関わりを持っているのか。

目を凝らしてゆかねばならない。

 

不明瞭だった領域に、力強く引かれた補助線のような本だ。

 

一概に戦争といっても、争い合う集団の性格や利害をまとめる枠組みは時とともに変わり、それに伴って戦争の仕方も変わってきました。何度も言うように、現代のわたしたちがふつう「戦争」という言葉で想定するのは、近代国家の枠組みができてからの戦争、いわゆる国家間戦争であり、国民同士の戦争です。その枠組みがヨーロッパででき上がってから二世紀半、それが世界中に広がってから一世紀余、いくつもの戦争を経て世界の構成状況そのものが大きく変わり、技術や産業の発展もあって人びとの生活の仕方も変わってきました。ところが、世界の物理的ないし制度的な条件・状況が変わっても、人の考え方(想像力)はなかなか変わりません。とりわけ人びとの生き死にを巻き込み、愛憎や犠牲などの情動を伴わずにいない戦争についての議論は、条件が大きく変わった現在でも、なおプリミティヴな、あるいは安直な旧時代のモデルに囚われた戦争イメージに引きずられがちです。

だからこの講義では、現在の戦争がどのようなものなのかを理解するために、世界の状況の変化につれて戦争はどう変わってきたのかをたどってみました。(西谷修(2016)、おわりに、『戦争とは何だろうか』ちくま書房、p.184-185)

 

2016年の発刊。

その後の戦争の変化も加えて解説された、2019年の100分de名著も非常にわかりやすい。

お知らせ:1/10(金)『人生をしまう時(とき)』でゆるっと話そう

来月のシネマ・チュプキ・タバタでの「ゆるっと話そう」は、こちらの作品です。
1月10日(金)10:30の回終了後、12:30-13:15の45分間。どうぞお越しください。

 

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[ゆるっと話そう]は、映画を観た人同士が感想を交わし合う、45分のアフタートークタイムです。
映画を観終わって、 誰かとむしょうに感想を話したくなっちゃったこと、ありませんか?
印象に残ったシーンや登場人物、ストーリー展開から感じたことや考えたこと、思い出したこと。
他の人はどんな感想を持ったのかも、聞いてみたい。
はじめて会う人同士でも気楽に話せるよう、ファシリテーターが進行します。

✳︎


第8回は、『人生をしまう時(とき)』をピックアップします。
http://chupki.jpn.org/archives/5099

患者と家族の最後の時間に、看取りを共にする埼玉県新座市の医師・小堀鷗一郎氏とそのチームの日々を撮ったドキュメンタリーです。
「死」という共通の行き先に向かいつつ、地域とのつながり、医療・福祉、病、障害、介護、家族、親子、夫婦……観る人によってそれぞれ大切なテーマが見えてくる映画です。

感想を語ること、他の人の感想に耳を傾けることで、自分の思いや願いに気づくことでしょう。ご参加お待ちしています。

 

✳︎

日 時:2020年1月10日(金)12:30(10:30の回終映後)〜13:15

参加費:投げ銭制  ¥500〜

予 約:不要。
    映画の鑑賞席は予約がおすすめです。
    http://chupki.jpn.org/archives/5099

対 象:映画『人生をしまう時(とき)』を観た方。
    別の日・別の劇場で観た方もどうぞ。
    観ていなくても内容を知るのがOKな方はぜひどうぞ!

会 場:シネマ・チュプキ・タバタ 2F(1F映画館受付にお声がけください)

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過去のレポート

 第7回 ディリリとパリの時間旅行
 第6回 おいしい家族
 第5回 教誨師 
 第4回 バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット版
 第3回 人生フルーツ
 第2回 勝手にふるえてろ
 第1回 沈没家族


進行:舟之川聖子(鑑賞対話ファシリテーター
twitter: https://twitter.com/seikofunanok
blog: http://hitotobi.hatenadiary.jp
hp: https://seikofunanokawa.com/ 




この映画は自主上映形式でのひろがりも勧めています。
自主上映会の中に対話の場を設けたい方、
やり方や進め方を知りたい個人の方、
ファシリテーターが必要な団体の方、どうぞご相談ください。

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映画『三十四丁目の奇蹟』とアメリカ社会とサンタクロース

クリスマス気分やユーモアやほっこりを味わえるかなと思って、映画『三十四丁目の奇蹟』を観に行きました。

 

chupki.jpn.org

アメリカのデパートMacy'sにサンタクロース役で雇われた初老の男。実は本物のサンタクロースで、人々の心から「クリスマス精神」が失われたことを嘆いている。自分を雇った女性とその娘にサンタクロースの存在を信じるよう、女性宅の向かいに住む男性とタッグを組んで奮闘していく。デパートのクリスマス商戦の話がなぜか政治的ないざこざも絡んで、裁判沙汰に発展。「彼は本当にサンタクロースなのか?サンタクロースはいるのか?」を法廷で争うことに。。

 

 

以下は、内容に詳しく触れた感想になるので、未見の方はご注意ください。

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はじまってすぐに、「わぁ、映画館でモノクロ映画を観るってゼータクだな!」と思いました。家でレンタルDVDなどで見ていると、画面が暗い・黒いのが気持ちよくて寝てしまうということがよくある。映画館で観ると集中できるからいいよね。

 

...としばらくモノクロの美しさに浸っていたのですが、

「なんというこのWASP男性社会よ...!」

と気づいた途端、時代のギャップの大きさにくらくらきました。

 

映画公開は1947年。第二次世界大戦後まもなく。

キング牧師もまだ世に出ていなくて、フェミニズムもLGBTQもない。

登場する人ほぼ全員白人で、認識できた白人でない人は、黒人の女性のメイドさん

百貨店の経営層は男性のみ。

おそらくその中で「異例の」女性の管理職。

 

アパートメントのお向かいの一人暮らしの男性の家に、少女を預ける。

これも今ならアウトでしょう...。
ついつい、犯罪が起こるんじゃないかと見ていてドキドキしてしまった。そういう話じゃないけど。

 

「クリスマス精神」と言い換えているけれど、もしかするとこの頃、アメリカ社会の中で、キリスト教への帰依心が薄らいだり、何かキリスト教の立場が揺らぐような時期があったのかもしれない、とも読めます。もしかすると移民のちゃんと調べていないので、あくまで仮説ですが。

 

人口過密の大量消費社会の権化のような都会に暮らし、自然豊かな郊外の一戸建てに憧れる。このあたりにも当時の社会の反映を見ます。

 

またこの頃はアメリカで精神分析が流行りだした時期だったのかもしれません。映画中にとんでもない精神分析をする人が出てくるのですが、この人医療者かと思いきや、「精神医学は神聖なものだ。免許もないのに少年の心を傷つけるな。勝手にすん分析する素人は許せない」というようなことをサンタクロースに言われる。サンタクロース自身も「精神に問題がある人」という扱いを劇中でずっとなされ続ける。

精神病院のシーンもある。アメリカの精神医療の歴史を少し知っていれば、読み取れることが多いだろうと思います。

そういえば、精神疾患の患者の脳の一部を切除する、史上最悪の外科手術と言われていたロボトミー手術もこの頃は行われていました。(ロボトミー手術については相当に残虐なので、調べるときはご注意ください。。)

精神分析や精神療法については、いろいろな映画で観る。パッと思い出すだけで、『普通の人々』『マーニー』『アニー・ホール』...。

 

 

サンタクロースも清く正しいわけではなくて、腹を立てて杖で件の精神分析者の頭を殴ったり、「もう誰もクリスマス精神なんて持っていない」と絶望したり、「嘘つきで利己的でずるくて邪悪なやつのほうをなぜ信じるんだ」と怒ったりする、けっこう人間的なキャラクターなのは面白かったです。

 

 

観ながら思い出したのですが、20代の頃に通っていた英語の学校で、「おとぎ話を子どもに語ることについてどう思うか?」というテーマで、ディスカッションする授業がありました。

そのときわたしは、「おとぎ話の中にもバイアスがかかって呪い化するもの(ロマンティックラブなど)があるので、お話にもよる。生きる上で力になるものなら、ファンタジーは重要」というようなことを話したような気がします。

クラスメイトで「現実には起こりえないことを信じさせるのは罪深いんじゃないか。もっと現実の厳しさからのサバイバルを教えたほうがいい」と言っていた人がいたなぁ。この映画に出てくる女性のよう。

 

 

サンタクロースについて一昨年こんなことを書きました。

note.com

今はもう息子はサンタさんを卒業してしまったのですが、でもやっぱりファンタジーは生きる力になるもの。大切なもの。

 

 

「願いを口にすれば叶う」ということをここ2年ほど実感している身としては、もしかするとサンタクロースというのは、願いを聴く(耳を傾ける)目に見えない存在。聴いてくれる存在を意識の中に強く持つことで、叶いやすくなる、ということなのかもしれない。

もちろん毎日でも願い事はしたらよいのだけれど、とっておきの願いを一年に一つ、機会をつくって口にするというのは、それはそれで素敵なことなのかもしれないなぁ。

 

 

この作品を当時の人々と同じ感覚で観ることはできないけれど、今の感覚や社会情勢からのいろいろな発見はあったし、時代を超えて変わらない、人間の願いや思いにも気づけました。

いろいろ書きましたが、やっぱり観てよかったです。

 

 

 

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子どもの宿題にまつわる「私の」モヤモヤを安全に語る

10月に「子どもの宿題にまつわる私のモヤモヤを語ろう」という場に参加した。

参加しておいてよかった。

そうしみじみと感じたこの2ヵ月だった。

 

 

どんな場だったのかは、主催のすわれいこさんが丁寧なレポートを起こしてくださっているので、ぜひお読みいただきたい。

note.com

 

息子が5年生になり、どのような教育を親としてしていくべきか、してあげられるのか、というようなことを考えたくて参加した。

他の家庭の方針や選択を参考にするのは、あらゆる要素が異なるので難しい。つまり、構成員も違う、経済力も違う、地域も違う、世代も違う、本人の受けてきた教育も学んできたことも違う、子どもも違う。


だから、ただとにかく自分で自分の覚悟を決めたいという一心だった。

 

 

いろんなことを話したが、結局自分の中で決まったことがいくつかあった。

・宿題および勉強をみるのはわたしの役割としない

・宿題をするかどうか、どの宿題をするかは息子が決める
・わたしは、どのように学びたいか息子が決めるのをサポートし応援する

・わたしは、担任の先生と連携をとり、学びの状況を把握する。心配があれば相談する。
・衣食住のサポートをする。わたしと生活する時間は、息子が健やかで機嫌よく過ごせるように配慮する、息子の状態をよく観察する、わたしも楽しむ

・否定しない、非難しない、強制しない
・楽しく提案する、共に喜ぶ

・質問には最大限の努力をもって答える、わたしの学びの中から提供する、わたしも学ぶ

・課題の分離を心がける。「それはほんとうは誰の課題か?」

・わたしの不安から行動しない。自分に不安があるときは別で聴いてもらう

・わたしの自己犠牲を前提にしない

・手段はひとつではない、因果関係が不明なことのほうが多いことを常に持つ

 
「え、そんなことを思ってもいいの?」と言われるかもしれないが、この5年間、考えに考えてきた末にこうなった。今年も夏休みの宿題を巡り、こんなことや、こんなことを考えてきた。

 

今のところ息子は自分で気づき、判断し選択し、相談し、喜びを味わい、学びの毎日を生きている。そのような息子の日々の学びや成長を、わたしは心から祝福している。

息子と担任の先生、わたしと担任の先生、わたしと息子との信頼関係も強くなった。息子の担任の先生は、学校の外で活躍する場を持っていて、本質的に健やかな人だ。

 

これらの軸の言語化は、間違いなくあのときにわたしが、わたしの気持ちと考えを言葉にして宣言できたことが大きい。他の人たちの話を聞く、つまり、わたしが選ばなかったものを選んでいる人と対話をしたから。

 

気心の知れた友人であっても、雑談ではできない話だ。
やはりテーマを据え、作法のある対話の場が必要。
矮小化されたり、一般化されたり、アドバイスされたり、愚痴に終わったり、話題を奪われたりしない場の設定。
そこに自ら望んで集っている生身の人とのあいだで起こることが、希望や力をくれる。

 

日本の教育制度は岐路に立っているし、高等教育(入試制度、大学経営)も新卒採用制度も揺れている。「順当に積む」という以外の手段での「達成」が可能になった。何が起こるかわからない時代に、このような個々のちいさな葛藤と決断と歩みの積み重ねがとても大切になってくると思う。

 

また、最近よく思うのは、「子どもの力を信じる」というのは、親が自分自身を信じてないと無理だということだ。親が、自分自身のために、挑戦や学びと共にあること、あり続けること、自分を信じること体験をしているからこそ、子の力を信じることが真に成せる。

 

 

揺れてもいい、間違ってもいい。

わたしもまだ途中の存在として居る。

 

覚悟を決めさせてくれた場に感謝。

 

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《レポート》12/22 冬至のコラージュの会、ひらきました

2019年冬至のコラージュの会、ひらきました。

 

今回のご案内ページはこちら。

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コラージュの会とは?はこちら。

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今回も6人全員が無事に揃い、ゆっくりとはじめていきました。
わたしもインフルエンザにも胃腸炎にも風邪にも見舞われず、予定どおりひらくことができて、ほんとうに感謝です。

 

・前からこの会のことを知っていて、「自分がつくるとどうなるのか」楽しみ
・自分一人ではなかなかやろうと思ってもできないから、みんなでできるのがうれしい
・コラージュのワークショップは出たことがあるけれど、使う素材が絵や美しい写真など、他であまり見ないものだったから
・自分の場づくりの参考にもなりそう

などいろいろな楽しみをもってご参加くださいました。

 

 

最初に2019年で印象に残っていることを書き出して、話して、味わい、労い、感謝しました。じっくり60分。

制作はじっくりと集中。90分

つくったものを紹介したり感想を話す鑑賞の時間。60分

数字だけ見ていると長いようだけれど、集中して取り組んでいると、濃い時間はあっという間にすすんでいきます。

 

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皆さん初めてコラージュを製作される方ばかりでしたが、未知のことを一つひとつ楽しんでくださり、一人ひとり大切な作品に思いを詰めてくださいました。

 

自分の属性、立場、環境、状況、
あらゆる制限をとっぱらったら、
何がしたい?どこに行きたい?何がほしい?

 

言葉より、ビジュアルが語るもののパワフルなこと!!

寒い雨の日でしたが、よい旅でした。

 

みんなで一緒にいながら、めいめいで潜っていって、火にあたりながら釣果を見せ合う海女小屋。

目標でもタスクでもなく、根拠のない前向きな夢ではなく。
ほかのだれでもない、だれにもなり得ない、「じぶんらしさ」に根ざし、花咲く心からの望み。

 

つくりたての作品に感想をもらうことによって、自分が発見することもあるし、
他の人の作品を見ていて、感想を言ったり、質問して出てきた言葉にハッとすることもある。

つくるだけではなくて、こうして鑑賞の時間をもつことで、持ち帰った作品が自分にとって特別な体験の証になります。

 

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 ▲わたしの作品は最後の横長のもの。音楽、詩、歌う、パフォーマンスというキーワードが出ました。何を意味しているんだろう。楽しみです。

 

 

これからの3ヵ月、半年、1年。どうぞ眺めていてください。

わたし変わってきたな、と思ったころにまたつくりなおしてみると、また新しい自分、新しい方向、道が見えてきますよ。

 

次回は春分の日 2020年3月20日(金・祝)に開催します。
会場は東京都内。決まり次第お知らせします。

 

最後に。 

欅の音terraceとご縁を結んでくださり、たくさんサポートくださった、tsugubooksさんありがとうございました。

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コラージュの出張ファシリテーションは3名〜承ります。
謝金はお問い合わせください。
場づくりのご相談も常時承っております。

 

 

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今年も「第九」、今年は今年の。

今年も第九を聴きに行きました。すべり込みでチケットをとって行ってきました。

 

去年、第九のこんな予習会をして、聴きに行って、振り返るという体験をしました。

第九ふむふむ予習会がよかった話

第九を聴きに行ったクリスマスの夜

それが当たり前の世界の住人と擦れ合うこと(第九その後)

 

 

今年一年で生で音楽を聴く機会が爆発的に増えたわけではないけれど、チャンスがあれば優先してでかけました。仲良くなったクラシック曲も増えました。そういえばお能もよく観たし、競技かるたも上達したし。

音を聴くことについては意識的に採り入れていたと思います。

そんなわたしとして、今年の第九で何を感じるのかなと楽しみでした。
オーケストラも違うし、指揮者も違うし、ホールも違う。
いろいろ違う中での一期一会。

 

それから、やっぱり第九といえば一年の締めくくり、労い、祝福。 

 

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感想。

 

前から3列目。指揮者と弦楽器しか視界に入らないという、これまたなかなか経験できない迫力ある角度で聴いていました。ステージを仰ぎ見る感じ。

音の粒が一つひとつ細かくて、澄みきっているのに湿度はあって、曲調は激しいところも繊細で。日本画みたい。第九ってこんな曲でもあったのかぁ。と思いながら聴いていました。去年のマッシモ・ザネッティが個性的すぎたのか…。

チョン・ミョンフンは、思っていたよりすごーく小柄ですごーく振りが小さくて、よよよ、よくあれで入れるなすごいな、と素人は思ってしまった。

 

コンサートを聴きに行ったというより、音楽をしに行ったという感じがしました。
総譜をなぞりながら聴いていたのと、『蜜蜂と遠雷』の影響もあってやたらと詩的になっているんだな。

生の音にふれると、「ああ、ヴァイオリンのピッツィカートってこんな雨だれみたいだっけ!」とか、「あそこのホルンの歌うようなパッセージ!」とか、自分もまるで「聴く楽器」になったような感覚になります。

わたしの聴く楽器としての精度も、この一年でだいぶ上がってきたかもしれない。以前はこんなにいろんな種類の、いろんな深み、色は聴けなかったから。鍛えれば、聴けるようになる、というのはほんとうだった。

 

 

 

今のわたしとして、演者と聴き手たちと、みんなで一緒に音楽をしたんだと思います。幸せな時間でした。

 

人間に音楽があってよかった。

 

聴きながら強く思っていたのは、人間はこうやってずっと音楽をしていたらいいよ!ということ。
そうしたら諍いは起こらない。
こんなに美しいものの前で、そんなことする必要もない。
芸術の場では国境も国籍も関係ない。

 

師走の金曜日夜の渋谷はものすごい人人人...で、人に酔ってしまい、たどり着けないかと思うくらいだったので、来年は違うホール、サントリーホール東京芸術劇場にします。

ラウル・デュフィ展の鑑賞記録〜海、花、テキスタイル!

パナソニック留美術館で開催のラウル・デュフィ展に行ってきました。

https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/19/191005/

 

関連記事

bijutsutecho.com

 

bluediary2.jugem.jp

 

最終日の16時に到着。開館時刻は18時まで、というなかなかの駆け込みっぷり。

決して忘れていたわけではないのですが、あれよあれよという間に月日が過ぎ去り、ここになってしまいました。

しかも、前日は競技かるたの全国大会で19時半ごろまで試合をし、B級に昇級するという快挙を成し遂げ、友人と祝杯をあげ、当日の日中は、TOEICのListening&Readingのテストを受けたあとで、もうなんだかふらふらになりながら、でもご褒美ということで、向かいました。

 

 

しかしやはり無理して行ってよかったです!

たぶん誰もがこの感想を口にすると思うけれども、絵画の色の鮮やかさとテキスタイルのモダンさが印象的で、もうこれぞ眼福!!

 

印刷物ではとても表現しきれない色とテイスト。

図録も販売していましたが、どうしても目減り感が半端なく、触手動かずでした。

 

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デュフィは、フランス北部、港湾都市ル・アーヴルの出身。
少し海を行けばすぐイギリスというところ。
クロード・モネル・アーヴルの出身。

港町の香りがします。マルケと仲が良かったのも、海というつながりがあったのかもしれないなぁと思ったりします。マルケの海の絵もとてもよいです。

 

最初の展示コーナーは絵画からはじまります。

パリの国立美術学校エコール・デ・ボザールへ入学し、モンマルトルに暮らして、ジョルジュ・ブラック、モネ、ゴーギャンゴッホピサロなどに影響を受けていく。アンデパンダン展に出品した頃、26歳で描いた油彩が最初の展示作品だったのですが、これがまずとてもよかったです。

『グラン・ブルヴァールのカーニヴァル』というタイトル。

パリの大通りにたくさんの人々が出てきて、思い思いにおしゃべりをしたり場を楽しんでいる様子が描かれています。冬の西日を受けて、赤く染まる建物や、並木や人々の顔や服。もうすぐ日が落ちればもっと寒くなるけれども、賑わいにあふれている。この一瞬の光景を素早いタッチで生き生きと描いています。

ちょうど今、12月、わたしが住んでいる東京でもこんな時間帯、こんなふうにまちが見えるときがあるなぁと思いながら、作品を見ていました。

「大谷コレクション」から6点が展示されていました。この大谷コレクションってなんだろう?と調べたら、ホテル・ニューオータニの創業者と関係のあるコレクションなんでしょうか?西宮市や鎌倉市にも大谷記念美術館というのがあったのですが、それらのつながりがわかるものが見つけられず。今後また出会うかな?

 

 

『サン=タドレスの大きな浴女』は、他の作品の中に背景に置いてある絵画として登場していて、その遊び心にもにやりとさせられました。

 

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小さい頃は、デュフィのふにゃふにゃして、真面目に描いていないように見える絵が苦手だったんです。びっちり描き込んでる画家がうまい・偉いと思っていた。

今見るとめちゃくちゃ良いですね!

 

実物に近づいてよく見ると、子どものころには「ふにゃふや」に見えていた線は、同じ色で取られたただの輪郭ではなく、微妙に色合いを変えながら、光や色の流れや対象の存在を表す造形の一つであり、一枚一枚がとても凝ったつくりになっているのがわかりました。

 

それに、このバイオリンの絵なんか、バイオリンのフォルムや存在感、奏でる音、全部が好きで好きでしょうがない!という偏愛が伝わってきます。

わたしも、それを感じるような大人になったんだなぁ。

 

1942年の作品『オーケストラ』はステージのもっとも後方、ティンパニ奏者よりもさらに後ろからの目線で劇場を捉えていて、おもしろい構図です。この頃のティンパニはもうペダル式になっているのだろうか?と、打楽器奏者の友だちから聞いた話なども持ち込んで興味深く鑑賞しました。こちらのサイトを見ると20世紀初頭まではネジ式となっているから、ちょうど移行していったときなのかも。

 

 

展示点数としてはテキスタイルのほうが多くて、新しいデュフィの世界観に触れられたのがとてもよかったです。デュフィの美意識がより感じられました。

南洋っぽい花や草、虫のモチーフがたくさんありました。当時のフランス植民地のアフリカや東南アジアの影響もあるんでしょうか。バリ島を彷彿とさせるなぁと思いながら観ました。

ビアンキー二=フェリエ社のテキスタイル・サンプル帳』は、これ自体がもうアート!これごと欲しい!!!他のページもぜんぶ見たい!ずっと眺めていたい!という気持ちになります。

 

今回の展覧会を機に、デュフィについてちゃんと知れたのがよかった。

 

デュフィはマルケと友だちで、マティスからの影響も受けていたということもここで初めて知りました。マルケもマティスもわたしの大好きな画家!

それから服飾デザイナーのポール・ポワレとの運命的出会いが大きかったということも知りました。そうだったんだ〜の連続。

今年は三菱一号館美術館マリアノ・フォルチュニィ展にも行けて、今回ポール・ポワレに会えたので、2009年の庭園美術館の「ポワレとフォルチュニィ展」ではじまった旅が、一つひとつ丁寧に出会いながら今ここまできたような感じで、個人的にうれしかったです。

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コルセットから解放されて、自由で開放的で自然と調和しながらも都会的なデュフィのテキスタイルを、女性たちはどんなにか愛したことだろう、と想像が膨らみました。

現代のデザイナーが、デュフィのテキスタイルを復興させてデザインしたドレスも素敵でした。どれもとても華奢だったから、美しく着られる人は限られていそうだけれど...。

 

また別の観点では、この頃の絹織物や布プリント、製紙や印刷の技術の歴史なども気になりました。そちらでも歴史を串刺してみると、また橋が架かりそうでした。

そうそう、パナソニック留美術館のショップに並んでる本は選書がとてもユニークで好きです。どなたが選書なさっているんだろう。

「おお、これは!」という本に必ず出会えます。

行かれたときはぜひ。

 

 

 

何も予習せずに気楽に観たけれど、こうしてふりかえってみると、思ったより受け取ったものがあったことがわかります。

こういう鑑賞もいいですね。

 

  

たくさんのお花のテキスタイルに触発されて、お花がほしくなりました。昇級のお祝いもあるしと思い、帰り道にガーベラを買いました。

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ガーベラは特別に思い入れのあるお花。

ちょうど5年前の今頃に行ったリー・ミンウェイ展にも感謝して。

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たくさんがんばり、たくさんギフトをもらう。よい週末でした。

 

 

 

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カルティエ、時の結晶展、美にふれること

カルティエ展、行ってきました!

 

観に行く前の経緯や予習について二本書きました。

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観に行った感想をこちらで話しました。ぜひ聞いてみてください。

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そういえば、2015年の今ごろに行った杉本博司展、よかったなぁと思い出しました。
今回のカルティエ展の施工は、杉本さんの建築設計事務所新素材研究所が担当していたので。

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自分で書いたものを読み返してみたら、「ああ、この展覧会よかったなぁ」とじわじわ思い出しました。

そうかぁ、カルティエ展で杉本博司に再会していたんですね。

 

 

美にふれると自分が整う。

 

なんのために美術館に行くのかとか鑑賞するのかって言ったら、ビジネスに役立つとか教養が深まるとか、なんか全然そういうことじゃない。

 

自分の事業について人に説明しなきゃいけない!と思うがあまり、「効果」を一生懸命話していたけれども、話せば話すほど遠くなっていく感じがあった。

 

シンプルにこれだよなぁ。

思い出せてよかったです。

 

わたしが一番みんなを連れて行きたいのは、「ここ」なのではないか。

 

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お知らせ:12/27(金)『ディリリとパリの時間旅行』でゆるっと話そう

ゆるっと話そうシリーズ第7回『ディリリとパリの時間旅行』
12月27日(金)17:10- @シネマ・チュプキ・タバタ

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[ゆるっと話そう]は、映画を観た人同士が感想を交わし合う、45分のアフタートークタイムです。
映画を観終わって、 誰かとむしょうに感想を話したくなっちゃったこと、ありませんか?
印象に残ったシーンや登場人物、ストーリー展開から感じたことや考えたこと、思い出したこと。
他の人はどんな感想を持ったのかも、聞いてみたい。
はじめて会う人同士でも気楽に話せるよう、ファシリテーターが進行します。

✴︎


第7回は、『ディリリとパリの時間旅行』をピックアップします。
http://chupki.jpn.org/archives/4982

ニューカレドニアからやってきたディリリがパリで見聞きするもの、出会う人たち。
ベル・エポック時代にタイムトリップして、美しい映像や音楽に酔いながら、スリリングな出来事がめまぐるしく展開します。
そして言葉に耳を澄ませていると、ただ美しいだけではない、繊細で骨太な映画のメッセージも聞こえてきます。

あなたはこの映画に何を見ましたか?この映画から何を持って帰ってきましたか?
ゆるっと話そうで、ぜひ見せ合いっこしましょう。

_________________

日 時:2019年12月27日(金)17:10(15:20の回終映後)〜17:55

参加費:投げ銭

予 約:不要。
    映画の鑑賞席は予約がおすすめです。
    https://coubic.com/chupki/682844

対 象:映画『ディリリとパリの時間旅行』を観た方。
    別の日・別の劇場で観た方もどうぞ。
    観ていなくても内容を知るのがOKな方はぜひどうぞ!

会 場:シネマ・チュプキ・タバタ 2F(1F映画館受付にお声がけください)

_________________

過去のレポート
 第6回 おいしい家族
 第5回 教誨師 
 第4回 バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット版
 第3回 人生フルーツ
 第2回 勝手にふるえてろ
 第1回 沈没家族


進行:舟之川聖子(鑑賞対話ファシリテーター
https://seikofunanokawa.com/

9月に観たときの感想を書きました。内容にふれていますので未見の方はご注意!
http://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2019/09/26/170243

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なぜ参加者同士が知り合えていないのか?

参加者一人ひとりにいろんな背景があって、いろんな経験をしていて、いろんな考えをもっているのだから、お互いのことがもっとわかるといいのに。

という悩みを、コンサルティグでも、場の中でもよく耳にします。

 

現状なぜできていないか?

それは、

主催者が、そうなるように意図して場をしつらえていないからです。

 

講座にせよ、ワークショップにせよ、イベントにせよ、
その場でマイクを握っている時間が一番長いのは、主催者や講師ではありませんか?
それでは参加者がお互いについて知りようがないのも当然です。

参加者が他の参加者のことを知るためには、一人ひとりに発言の機会があり、それを聴く、対話と交流の時間帯を設けることが必要です。

 

「質疑応答」は、質問に対して主催者が講師が答えるという個別のやり取りを参加者が観覧する形になります。これだけでは「交流」には足りません。

「懇親会」は、会話は生まれますが、テーマがないため、共通の話題を探す必要がでてきたり、コミュニケーションを図ること自体に気をとられがちで、自分の考えや本当の思いを安心して話し、動機やニーズまで降りる「対話」には不向きです。アピール上手、盛り上げ上手な人には有利ですが、声が小さい、考えを丁寧に落ち着いて話したい・聴きたい人には不利です。

 

ファシリテーターの役割の一部

・時間帯を区切る

・誰のための、何を体験する時間なのかを意図して内容を準備する

・その場の参加者の反応を大切に進行する

・参加者同士が話すときは、テーマを設定して対話を促す(ファシリテート)

 

その時間が重要だと思うのであれば、
他のアクティビティを削ってでも、全体の時間を見直してでも、
時間内に確保する必要があります。 

 

あなたは、

参加者が自分の話をする時間帯を計画していますか?

 

▼有料記事(¥100)で続編を書きました。

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▼場づくりのヒントがあります(こちらは無料)

terakoyagaku.net

 

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古楽の世界の入口:ヘンデル『リナルド』

先日、ヘンデルのオペラ『リナルド』を鑑賞してきました。

普段からオペラやバレエを一緒に楽しんでいる友だちが、「去年観てすごくよかったので」と案内をくれたのがきっかけです。チケットは北区民の友だちが取ってくれました。感謝、感謝。

ヘンデル作曲 オペラ《リナルド》 : 北区文化振興財団

 

実はここのところ、出版プロジェクトの原稿書きや、ホームページのリニューアルなどをしていて、気持ち的にいっぱいいっぱい...。

わたしはオペラはライブビューイングでは散々観てきたけれども、生で観たのは一度しかなく、それもたしか10年近く前。生で「オペラが観られる〜!」ということで、「行きます!」と即決してしまった。

が、わたしがヘンデルで知っているのは、せいぜい「水上の音楽」ぐらい。超有名曲。

しかも今回は「セミ・ステージ形式」という聞きなれない上演形式。

いろいろ??となっている間に、友人たちが予習サイトを繰り出してくれました。

「リナルド」~あらすじと問題点: ヘンデルと(戦慄の右脳改革)音楽箱

「リナルド」~聴きどころ♪: ヘンデルと(戦慄の右脳改革)音楽箱

Handel,George Frideric/Rinaldo/訳者より - オペラ対訳プロジェクト - アットウィキ

 

さらにコメントも。

楽団はみんな古楽器で、あまり見たことのない楽器も出てきます。
規模も小さくて、オーケストラボックスではなく、舞台に並んでました。
よくみるフルオーケストラに比べて音量も小さいので、声が本当によく立つんです。
もともとのオペラって、こういうふうに演ってたんだなぁ……という感じ。 

 

ふむふむ。
 

セミステージ形式というのは、
・通常のフルセットで上演するオペラに対しては、セットや衣装をかなり簡略化した舞台
・歌唱をメインに上演する演奏会に対しては、少しセットや衣装を設え演技も入れた舞台

ということらしい、と理解。

 

ぎりぎり「わたしを泣かせてください」も予習し、あ、これ知ってるわ!と思った...
ところまでを抑えていざ鑑賞!!

 

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感想としては、

まず、これまで観てきたオペラと全然違う体験でとてもおもしろかった!!

これまで観てきたのは、METやロイヤルオペラ。フルセットで、フルオーケストラ。
あらすじはシンプルでも感情の機微やそれを演じ歌い上げる歌手も超弩級

それに比べて、今回のリナルドはまずオーケストラが少人数。20人程度。
しかもピットに入っていなくて(ほんとだった!)、ステージの上に設けられた少し高くしてあるステージにいる。

楽器が一つひとつ珍しい。古楽器といえば、チェンバロハープシコード)とリュートしか知らなかったので、こんなにいろいろあるんだ!ということに驚いた。

音がなんというか、繊細で綺麗。

 

専任の指揮者はおらず、ヴァイオリン(たぶんヴァイオリンの祖先のヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ)の方が指揮も務めておられる。不思議!

歌は、「わたしの番」「あなたの番」というふうにかけあいで進んでいく。

同じ歌詞を10回ぐらい繰り返す。

オペラも発展していくと、登場人物たちが、それぞれの内面で起こっている感情の動きを別々の歌詞で歌いながらも同じ旋律でハモる、という複雑な表現になっていくけれども、最初はただ気持ちを歌うというシンプルな衝動で始まっているのかもしれない。


ヘンデルのオペラとは
https://handel.at.webry.info/200812/article_10.html

 

そうか、これが「オペラ・セリア」! 

初期のオペラってこんなふうにサロンで、オーケストラというよりも「楽団」で、演者ともかけあいしながら、おしゃべりの延長のような和やかさだったんだろうなぁ、と、宮廷の雰囲気を感じながら、ヘンデルの気持ちのよい音楽に心地よくなりながら、一楽章はうつらうつらしたりもして、リラックスして聴いていました。

寝不足ではないのに寝てしまうというのは、つまりそれほどに直前まで緊張していたということなので、いいことなのだ、と先日呼吸法を教えてくれた友だちが言っていたので、罪悪感もなし。

セミステージ形式だからこそできる舞台装置や美術、演出のおもしろさも知りました。 

ダンサーの存在も非常に重要だった。

 

話の流れで、「わたしを泣かせてください」は、"Lascia ch'io pianga" つまり「わたしを泣かせたままにして放っておいてください」ということかと納得。「わたしにひどいことをして傷つけて泣かせてください」かと、大いなる誤解をしていた。。日本語だとわからないな。

 

あらすじは、、予習サイトにもあったように、えーなんでなんで?という感じで、特に設定自体には大きな意味も、展開に深みもなく、笑える感じでよかったです。

そもそも、ヒーローがカウンターテナーっていうところが衝撃!

音色や音域の問題だけではなく、演技、演出やもともとの作品のせい?なのか??ぜんぜん凛々しく見えなくて、なんか、、棒立ち??どうして女性たちが彼にうっとりしていくのか、上司が大役を任せるのかぜんぜんわからないぞーと思いながら観ていた。

当時は、どういう意味があったんだろう、あれはあんなふうに解釈されたんじゃないか、など、歴史や宗教や他の芸術なども出しながら、あとで感想を話したのも楽しかったな。

  

 

客層は、東京文化会館とかオーチャードホールなどに頻繁に足を運ぶようなクラシックマニアな方々と違って、お手頃だから来てみた!とか、毎年恒例の市民の音楽祭だから!という気軽な雰囲気がありました。ただ、気軽さもあるので、1幕はちょっと携帯を鳴らしちゃったり、荷物をガサガサしたり、しゃべったりとざわついていたり、上演がはじまって30分ぐらいの中途半端なところでも案内してもらえたり、といういう面もあった。

わたしは1階席、友だちは2階席だったので、その印象の違いなども終わってからシェアしてみると、けっこう違う体験をしていたということがわかっておもしろかったです。

通常だれかと音楽や演劇を観に行く時って、並びで席をとるものだけれど、こうやってバラバラに座ってみると、同じ舞台でも空間の感じ方、見え方、聞こえ方、周りの客層、などが違う。

 

 

バロックって約束がたくさんある制限のある楽曲だからなのか(?)演歌っぽいとか、フォークロアな感じもする。そうして捉えてみると、高尚で遠いものではなくなる。

ヘンデルの『メサイア』『ヨシュア』のコンサートも生でいつか聴いてみたくなりました。

 

 

ちょっと辛かったのは、ミラーの多用。

わたしは感覚過敏な性質があって、眩しいものや回転するものが苦手。
ミラー(鏡)は、割れた鏡の破片(写生の時に使う画板ぐらいの大きさ)を剣や盾、鏡などいろいろな見立てに使うのだけれど、それがライトに当たって反射する度に眩しくて目が痛くなって辛かった。

途中で出てくる船も、たぶんミラーと同じような反射する素材でできているのか、舞台の右から左へゆっくりと進んで行く間に、ずっと不規則に反射し、その光が目に刺さるのが辛く、目をハンカチで覆うようなことが何度かありました。

ミラーボールに至っては、ミラーだし回転だし、ああもう.......という。
ちなみにわたしは高いところも怖いので、今年からは1階席限定で観ることに決めてます。

特性と付き合いながら生きるのは、豊かな面もあり、めんどうくさい面もあります。

 

 

 

終わってみて、ツイッターで感想などを拾っていたら、「リナルド」を3幕すべて、しかもオペラで観られるって、しかも古楽器で観られるのは貴重な機会だったらしいです。たとえばこんなことを書いていらっしゃる方も ↓

オペラファン必見!北とぴあ国際音楽祭のヘンデル「オペラ《リナルド》」全曲https://bit.ly/34xgjKI

 


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もらったパンフレットには、普段のクラシックのコンサートは見かけないチラシがたくさん入っている。日本ヘンデル協会、チェンバロリサイタル、古楽器四重奏とか。

以前ラジオでも話した旧東京音楽学校奏楽堂のコンサートのお知らせなども発見。

 

名前がわからなかった楽器たち、ここに載っていました。古楽器は装飾が美しい。楽器自体が宝物。

www.uenogakuen.ac.jp

 

 

今の時代から見ると、古楽は未完全にも見えるし、エッセンシャルな部分にも見える。

発展、展開、成熟していくこともおもしろいけれど、起源、起こり、ルーツを訪ねていくのもまたとてもおもしろい。そちらのほうが未来っぽいこともある。

 

この世界には、小さな世界がたくさんたくさんある。
それぞれの世界には住人がいて、愛でて整備して膨らまして豊かに耕している。

今回は、そんな古楽の世界の入口に立った気持ち。

 

一つひとつの世界はすぐ隣にあるんだけど、橋が架かってないと渡れない。

 橋を架けてくれてありがとうございます。

 

*追記*

書いてみて気づいたけど、カウンターテナーがヒーローってまさに今の時代じゃね? わたしもMAN BOX(男らしさのカテゴリ分けとバイアスの強化)の影響受けてる!

メジャーなオペラにない新しさが、今の時代に必要とされてる。フォークロアやトライバルのムーブメントもきている今、古楽オペラ要注目です!

 

 

 

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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー。関係性、対話、表現。温故知新。鑑賞の力を生きる力に。作り手・届け手と受け手とのあいだに橋を架け、一人ひとりの豊かな鑑賞体験を促進する場をデザインします。

 

募集中のイベントなど。

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