先日、ヘンデルのオペラ『リナルド』を鑑賞してきました。
普段からオペラやバレエを一緒に楽しんでいる友だちが、「去年観てすごくよかったので」と案内をくれたのがきっかけです。チケットは北区民の友だちが取ってくれました。感謝、感謝。
ヘンデル作曲 オペラ《リナルド》 : 北区文化振興財団
実はここのところ、出版プロジェクトの原稿書きや、ホームページのリニューアルなどをしていて、気持ち的にいっぱいいっぱい...。
わたしはオペラはライブビューイングでは散々観てきたけれども、生で観たのは一度しかなく、それもたしか10年近く前。生で「オペラが観られる〜!」ということで、「行きます!」と即決してしまった。
が、わたしがヘンデルで知っているのは、せいぜい「水上の音楽」ぐらい。超有名曲。
しかも今回は「セミ・ステージ形式」という聞きなれない上演形式。
いろいろ??となっている間に、友人たちが予習サイトを繰り出してくれました。
「リナルド」~あらすじと問題点: ヘンデルと(戦慄の右脳改革)音楽箱
「リナルド」~聴きどころ♪: ヘンデルと(戦慄の右脳改革)音楽箱
Handel,George Frideric/Rinaldo/訳者より - オペラ対訳プロジェクト - アットウィキ
さらにコメントも。
楽団はみんな古楽器で、あまり見たことのない楽器も出てきます。
規模も小さくて、オーケストラボックスではなく、舞台に並んでました。
よくみるフルオーケストラに比べて音量も小さいので、声が本当によく立つんです。
もともとのオペラって、こういうふうに演ってたんだなぁ……という感じ。
ふむふむ。
セミステージ形式というのは、
・通常のフルセットで上演するオペラに対しては、セットや衣装をかなり簡略化した舞台
・歌唱をメインに上演する演奏会に対しては、少しセットや衣装を設え演技も入れた舞台
ということらしい、と理解。
ぎりぎり「わたしを泣かせてください」も予習し、あ、これ知ってるわ!と思った...
ところまでを抑えていざ鑑賞!!
感想としては、
まず、これまで観てきたオペラと全然違う体験でとてもおもしろかった!!
これまで観てきたのは、METやロイヤルオペラ。フルセットで、フルオーケストラ。
あらすじはシンプルでも感情の機微やそれを演じ歌い上げる歌手も超弩級。
それに比べて、今回のリナルドはまずオーケストラが少人数。20人程度。
しかもピットに入っていなくて(ほんとだった!)、ステージの上に設けられた少し高くしてあるステージにいる。
楽器が一つひとつ珍しい。古楽器といえば、チェンバロ(ハープシコード)とリュートしか知らなかったので、こんなにいろいろあるんだ!ということに驚いた。
音がなんというか、繊細で綺麗。
専任の指揮者はおらず、ヴァイオリン(たぶんヴァイオリンの祖先のヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ)の方が指揮も務めておられる。不思議!
歌は、「わたしの番」「あなたの番」というふうにかけあいで進んでいく。
同じ歌詞を10回ぐらい繰り返す。
オペラも発展していくと、登場人物たちが、それぞれの内面で起こっている感情の動きを別々の歌詞で歌いながらも同じ旋律でハモる、という複雑な表現になっていくけれども、最初はただ気持ちを歌うというシンプルな衝動で始まっているのかもしれない。
ヘンデルのオペラとは
https://handel.at.webry.info/200812/article_10.html
そうか、これが「オペラ・セリア」!
初期のオペラってこんなふうにサロンで、オーケストラというよりも「楽団」で、演者ともかけあいしながら、おしゃべりの延長のような和やかさだったんだろうなぁ、と、宮廷の雰囲気を感じながら、ヘンデルの気持ちのよい音楽に心地よくなりながら、一楽章はうつらうつらしたりもして、リラックスして聴いていました。
寝不足ではないのに寝てしまうというのは、つまりそれほどに直前まで緊張していたということなので、いいことなのだ、と先日呼吸法を教えてくれた友だちが言っていたので、罪悪感もなし。
セミステージ形式だからこそできる舞台装置や美術、演出のおもしろさも知りました。
ダンサーの存在も非常に重要だった。
話の流れで、「わたしを泣かせてください」は、"Lascia ch'io pianga" つまり「わたしを泣かせたままにして放っておいてください」ということかと納得。「わたしにひどいことをして傷つけて泣かせてください」かと、大いなる誤解をしていた。。日本語だとわからないな。
あらすじは、、予習サイトにもあったように、えーなんでなんで?という感じで、特に設定自体には大きな意味も、展開に深みもなく、笑える感じでよかったです。
そもそも、ヒーローがカウンターテナーっていうところが衝撃!
音色や音域の問題だけではなく、演技、演出やもともとの作品のせい?なのか??ぜんぜん凛々しく見えなくて、なんか、、棒立ち??どうして女性たちが彼にうっとりしていくのか、上司が大役を任せるのかぜんぜんわからないぞーと思いながら観ていた。
当時は、どういう意味があったんだろう、あれはあんなふうに解釈されたんじゃないか、など、歴史や宗教や他の芸術なども出しながら、あとで感想を話したのも楽しかったな。
客層は、東京文化会館とかオーチャードホールなどに頻繁に足を運ぶようなクラシックマニアな方々と違って、お手頃だから来てみた!とか、毎年恒例の市民の音楽祭だから!という気軽な雰囲気がありました。ただ、気軽さもあるので、1幕はちょっと携帯を鳴らしちゃったり、荷物をガサガサしたり、しゃべったりとざわついていたり、上演がはじまって30分ぐらいの中途半端なところでも案内してもらえたり、といういう面もあった。
わたしは1階席、友だちは2階席だったので、その印象の違いなども終わってからシェアしてみると、けっこう違う体験をしていたということがわかっておもしろかったです。
通常だれかと音楽や演劇を観に行く時って、並びで席をとるものだけれど、こうやってバラバラに座ってみると、同じ舞台でも空間の感じ方、見え方、聞こえ方、周りの客層、などが違う。
バロックって約束がたくさんある制限のある楽曲だからなのか(?)演歌っぽいとか、フォークロアな感じもする。そうして捉えてみると、高尚で遠いものではなくなる。
ヘンデルの『メサイア』『ヨシュア』のコンサートも生でいつか聴いてみたくなりました。
ちょっと辛かったのは、ミラーの多用。
わたしは感覚過敏な性質があって、眩しいものや回転するものが苦手。
ミラー(鏡)は、割れた鏡の破片(写生の時に使う画板ぐらいの大きさ)を剣や盾、鏡などいろいろな見立てに使うのだけれど、それがライトに当たって反射する度に眩しくて目が痛くなって辛かった。
途中で出てくる船も、たぶんミラーと同じような反射する素材でできているのか、舞台の右から左へゆっくりと進んで行く間に、ずっと不規則に反射し、その光が目に刺さるのが辛く、目をハンカチで覆うようなことが何度かありました。
ミラーボールに至っては、ミラーだし回転だし、ああもう.......という。
ちなみにわたしは高いところも怖いので、今年からは1階席限定で観ることに決めてます。
特性と付き合いながら生きるのは、豊かな面もあり、めんどうくさい面もあります。
終わってみて、ツイッターで感想などを拾っていたら、「リナルド」を3幕すべて、しかもオペラで観られるって、しかも古楽器で観られるのは貴重な機会だったらしいです。たとえばこんなことを書いていらっしゃる方も ↓
オペラファン必見!北とぴあ国際音楽祭のヘンデル「オペラ《リナルド》」全曲https://bit.ly/34xgjKI
もらったパンフレットには、普段のクラシックのコンサートは見かけないチラシがたくさん入っている。日本ヘンデル協会、チェンバロリサイタル、古楽器四重奏とか。
以前ラジオでも話した旧東京音楽学校奏楽堂のコンサートのお知らせなども発見。
名前がわからなかった楽器たち、ここに載っていました。古楽器は装飾が美しい。楽器自体が宝物。
www.uenogakuen.ac.jp
今の時代から見ると、古楽は未完全にも見えるし、エッセンシャルな部分にも見える。
発展、展開、成熟していくこともおもしろいけれど、起源、起こり、ルーツを訪ねていくのもまたとてもおもしろい。そちらのほうが未来っぽいこともある。
この世界には、小さな世界がたくさんたくさんある。
それぞれの世界には住人がいて、愛でて整備して膨らまして豊かに耕している。
今回は、そんな古楽の世界の入口に立った気持ち。
一つひとつの世界はすぐ隣にあるんだけど、橋が架かってないと渡れない。
橋を架けてくれてありがとうございます。
*追記*
書いてみて気づいたけど、カウンターテナーがヒーローってまさに今の時代じゃね? わたしもMAN BOX(男らしさのカテゴリ分けとバイアスの強化)の影響受けてる!
メジャーなオペラにない新しさが、今の時代に必要とされてる。フォークロアやトライバルのムーブメントもきている今、古楽オペラ要注目です!
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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー。関係性、対話、表現。温故知新。鑑賞の力を生きる力に。作り手・届け手と受け手とのあいだに橋を架け、一人ひとりの豊かな鑑賞体験を促進する場をデザインします。
募集中のイベントなど。
hitotobi.hatenadiary.jp