ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

新人Hソケリッサ!公演「ニューシャーマンズ」

f:id:hitotobi:20160626220408j:plain

 

新人Hソケリッサ!応援【SOKERISSA! Support】の新作公演に行ってきました。

ソケリッサ | ホームレス生活者の肉体表現

川崎駅近くの改装中の廃ビルにて。

ソケリッサは路上生活者/元路上生活経験者で、
ダンスを主とした肉体表現をする人びとの集合体です。
パフォーミング・アーツというよりも、肉体表現という言葉が好きだな。

昨年、谷中のおかってのイベントで、息子が飛び入り参加して一緒に踊ったことから、
親子でお稽古に2回ほど行かせていただき、
特にその2回目が当時のわたしのブレークスルーのきっかけになっています。

たぶん、彼らと共に身体をつかって夢中で表現し、
また、見られることによって何かが循環をはじめ、
自分の中の眠っていた機能が回復しはじめたのだと思います。

そのころから、「わたしは、よりわたしであり、自らを、表現したい」と自覚したように思います。

 

きょうは、「見せる」と「見られる」という言葉を聞きました。
見せる表現と見られる表現があるんじゃないか。ソケリッサの表現は見られる表現だと。
それは彼らの路上生活という出自に関係があるのではないか、というような話。
どちらが優れているとかではないですが。

ダンサーとしての自分をさらけ出す勇気と、
それに対する物珍しさが最初はあったのだけれど、
きょうの感じはちょっと違っていて、
「思ったよりわたしも近いところにいる」とか、
「わたしもわたしの機能を使い尽くして死にたい」という共感でした。
それはちょっと自分でも意外だった。「見る」ほうが好きだと思っていたから。
「見られる」もまぁいいかと思っている感じ。

あとは、「人間って本当に個体差が激しい生き物だなぁ」とかも思う。
いつも思ってるけど、きょうはさらに。

近くで観ていた初老の男性が全身で嗚咽していたのを見て、その人生を思いました。
みんな違う道を通っていると思ったけど、
実は意外と近いところを歩いてるんじゃないのかな。
そして還っていくところは同じで。
今、そこで身を震わせて涙を流しているあなたを知っているよ、
と彼にも心の中で共感を送りました。

おじさんたちが持っているギザギザ、ベタベタしているけど、
痛くない感じとかは、ピュアとか善とは思わないけど、なんかクセになるんだな。
そういう理由かは知らないけど、若い女性が多かったです。そしてなぜかメガネ率高い。