ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

きいてもらえなさ/正しさからではなく

f:id:hitotobi:20160720093009j:image

極めて個人的な、個別具体の話をしているのに、一般化されたり(みんなそうだよ、そういうのよくあるよね)、全然別のものや、わたしの知らないもので比較されたり(そんなのまだマシだよ、わたしなんか、わたしの友だちの話だけどもっと悲惨で)すると、ビックリする。

「わたしの話」を聞く気はないんだなぁと残念にも思う。

そして、この人にはもう「きもち」は言えないなぁと思う。

人の話をきいたら、何か言わなきゃいけないと、思いすぎてるんじゃないだろうか。


きもちの話。

わたしに関わる人には、わたしの側に立っていてほしいし、わたしのきもちをきいてほしいと思う。

正しさからではなく。


耳の痛い話だってきくときはきく。

でもそれは関係性による。

しかも、その人の正しさに同意したわけではない。

なにか別のものを受け取ったからきける。


言葉の取り扱いが上手な人は、相手が黙ってしまうので、響いたと思うかもしれないけど、実は相手の側にはシャッターが降りてるかもしれない。


わたしはわたしでこういうことを書くのは、正しくありたいのではなくて、自己一致が大切だと思っているから。

端的に言うと、されていやなことを自分もしたくない。


「そのように言うことで、振る舞うことで何を得ようとしているのか」に自覚的でありたい。