ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

体のことと、自分の境目を確認すること

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午前中に、近所の古民家で月に一度開催されている体操の会に行ってきた。

 

冒頭に「普段ストレッチとかやってる?習慣にならないのはなんでなんだろうね?」という話になった。うーん、わたしの場合は...
楽しくない、手順が覚えられない(覚えないといけない感じ)、あんま気持ちよくない、
ストレッチっていう言葉がぴーんとする感じで緊張する…とかかな??

もっと根本的な理由があるような気がするけど。

 

わたしは小さいころから水泳と歩くのは好きだけど、運動系の部活に入ったことがないし、普段からあまり運動っぽい運動をしない。

ヨガスタジオやジムに通ってみたこともあるけど、人が集まっている場所なのに、ほとんど誰とも口をきかずに一人でもくもくと体を動かすのが辛くて、やめてしまった。パーソナルトレーナーさんについていてもらったときは、すごく楽しく通っていたが、お金がかかるので、そうしょっちゅうは行けない。

 

でもこれではいかん!とはいつも思っている。場をひらくときに自分の全部を使わないといけないときに、ごく一部(特に上半身とか頭)しか稼働できていない感じがあって、これはなんとかしないと。

 

きょうの体操は、知人のダンサーが主催しているもので、わきあいあいとしゃべりながら、いろいろ小さなワークみたいなことをたくさんしながら、しっかり脱力して、感覚をめいっぱいひらいて、からだをいっぱい(でも無理なく)つかうもので、とても自分に合っている。

 

近所なので、終わって家でごはんをつくって食べて、ゆるゆるしていたら、きょうは窓を開けていると風がそよそよ気持ちいい。蝉の合唱さえも子守唄で、いつの間にか眠ってしまった。

 

きょうやった体操メニューの中で、ペアになって関節をゆるめるのもすごく気持ちがよかった。やってもらうのもだし、うまく相手のからだの声がきけると、やってるほうも気持ちいい。

 

人間って、「自分」はこのいっこの肉体にとどまらない。

空間にも物にも場所にも他の人間にも時間にも自己拡張させることができる。

だから、今ここにいる自分の境目があいまいだったりわからなくなりがち。

だから、他の人間に体にさわってもらったり、話をきいてもらったりして、その境目を確認する作業が大事なんじゃないかと。

 

そしてその境目を確認したあとは、前よりもずっと「目が見える」ようになって、自分の身体ののびやかな可能性が広がっていることが実感できる。

 

あとは、思考を追いつかせないことをするのが大事。

身体と精神の安全が保証されているところで、

思考が追いつかないことに、わぁ~っと夢中になれてる状態がたぶん一番おもしろい。

かるたとかはまさにそういう感じ。

 

思考は一番あとにくる。

だからゆるめるときにまず最初に捨てるのは言葉。