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ヒトトビ〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する場づくりを通して考えることなど。

FAKE


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遅ればせながら、映画「FAKE」を観てきた。

 

いやもう、めちゃめちゃおもしろかった!まったくなんの予備知識も追加せずに、自分が記憶している「事件」の断片だけをもって出かけたのだけど、非常に楽しめた。いや、知識の多寡はどうでもよくて、自分として観ることが大切なんだと思った。多ければ多いなりに楽しめるだろう。

 

ハラハラ、えっ?、ドキドキ、プププ、ガーンが山盛りで、これぞ映画!という感じだった。つまりエンタメ。でもドキュメンタリーだから、実在する人を撮っているから、森さんこれえげつないよ~と、よく撮ったな~!とが両方押し寄せてくる。森さんの撮りたい世界は一貫していることが、正義感みたいな要素が取り除かれたこの作品でより分かりやすくなったと思う。

 

コレハ何ダ?
今、何ガ起コッテイル?

 

目を開いて、自分全開で見ているのに、そこで展開されている限られた材料を元手に、あらゆる可能性をもとにただ「解釈」するしかない。しかもかなり撮り手の主観に添う形で。まるで推理小説だ。新しい情報がどんどん入ってくるのにますますわからなくなる。

 

しかし、どれだけ材料を集めたところで、ほんとうにわかることなどできない。だいたい自分は何かについてほんとうに知っていると言えるのか?

 

ドキュメンタリーは真実なんか映せない。フレーミングした瞬間、そのような世界の切り取りかたをした、というだけでしかない。被写体と撮る側との関係性もある。ましてどれだけの編集がかかっていることか。嘘ではないかもしれないが、たったひとつの真実ではない。たったひとつの真実なんかない。だから創り手も疑う。小説の技法で言うところの「信頼できない語り手」だ。

 

森さんはインタビューで、二極化する社会について語っている。正しいか正しくないか、善か悪か、強いか弱いか。どちらかに集約していこうとする時代の空気。。集合意識としてのそれをテレビは代弁している。みんなが観たいものをみせているだけよ、という無邪気さが怖い。そして自分も知らず知らず加担していることも。

 

とにかく人と語りたくなる映画だ。これは一晩中語れる。

 

DVDを待つのもありだけど、映画館でほかの観客の存在を感じながら観るのも映画の一部という感じがする。笑えるシーンとか、えっ?となるシーンでは空気が変わったのが感じられる。空気というか気配というか。

 

あとこの映画はけっこう音も大事なように思う。家だとたぶんこのボリュームにはしづらいだろうという理由からも、映画館で観ることをオススメしたい。

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