ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

小平市・平櫛田中美術館への巡礼

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わたしの暮らすまちには彫刻家・平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)の旧邸がある。近隣で「田中邸」と呼ばれるその古民家の存在は、わたしがここに住まいを定めた理由の一つだ(それについて書くと長くなるので、また機をあらためたい)。とはいえはじめは田中のことは何も知らず、田中邸を管理したり、アートイベントを開催している地元NPOのメンバーから教わった。

田中は98歳でこの旧邸から小平市に移り住んだ。107歳で亡くなった後、小平の邸宅は美術館となり、孫の弘子さんが館長を務めている。

わたしにとっては聖地巡礼のような心持ちで、11月のある日、初めてこの美術館を訪れた。台風がくれば吹き飛びそうな旧邸に比べて、あまりに立派な建築に気後れしつつ、これが国立能楽堂の設計者の手によるものと聞いて納得もした。


美術館の棟では、ちょうど11/6まで「岡倉天心平櫛田中」という企画展を開催しており、田中にとっての師・岡倉天心の存在のかけがえのなさや、天心に対する愛を、作品群からひしひしと感じることができた。天心に「諸君は売れるものを作ろうとするが、それではだめです。売れないものをお作りなさい」と説かれ、田中は、「思い返すとわたくしは先生のこの言葉のために彫刻を作ってきたようなものだ」との言葉を残している。

天心から田中への書簡にある宛先の「下谷谷中天王寺」や「下谷区谷中茶屋町九」から、確かに彼の地に田中が生きていた気配が感じられ、胸が熱くなった。

田中作品の魅力はひと言では語り尽くせないが、肩から背中にかけての表情、彫像の存在が生み出す独特の緊張感、あふれる躍動感と生命力にわたしは特に惹かれている。大胆さと繊細さの強弱がうねりとなって空気を震わせ、観る者をその人物の物語の世界に包み込む。しかし圧迫はない、むしろ空間には余白が多く、想像力をたくましくさせて作品と対話することができる。

ここ最近、人でないものに生命を吹き込む際の、作り手の心と行いについてつらつらと考えてきたが、田中の作品を見ていると、作り手自身の「天から愛され与えられた才能」に対する無自覚の謙虚さ、敬虔さ、高い精神性と深い友愛の心があり、その現れとしての創作物があると感じる。(もちろんそのような「崇高なもの」だけが芸術なのではない)

国立劇場のロビーに置かれている「鏡獅子」は20年の歳月をかけて、田中87の歳に完成したのだという。そして100歳になってもなお2メートル近くあるクスノキの原木を購入し、鏡獅子に匹敵する大作を彫ろうとしていたことや、向こう30年の製作に使える量の木材の備蓄があったそうだ。小柄で地味な顔立ちの老人の、いったいどこにそのようなバイタリティがあったのか。まさに豪気としか言いようがない。

反面、孫の弘子さんにとっては、雨の日に学校に傘をさして迎えに来てくれる優しい祖父でもあった。田中一家にとって、小平もまた大切な土地であることや、二人の子を成人前に亡くす、作品が売れず食うにも困るなどの不遇の時代をくぐり抜けたこと、最後は緑あふれる庭に包まれた心穏やかな日々であったことなどに、しばし思いを馳せた。


田中の作品はこの小平市平櫛田中彫刻美術館のほか、教鞭をとっていた東京藝術大学の美術館、出身地である岡山県井原市田中美術館に所蔵されている。

また小平市の美術館収蔵作品の一部を音声ガイド付きでネット上で鑑賞できたり、漫画「平櫛田中彫刻記」などで田中の生涯を追うこともできる。

 

 

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▲旧平櫛田中邸。普段は閉鎖されており、月1度程度、イベントの際に開放される。