友人に、競技かるたとは何か、という話をしていたときに「あー、でもきょうの試合負けちゃったんで悔しいなー。もっと強くなりたい」と漏らしたら、「強くならないといけないの?」と聞かれた。
あらためて素朴に問われると、「えっ、うーーん…」となった。考え続け、一夜明けて出てきたのはこれだった。
勝ちたいし強くなりたい。
それはもっともっと、という気持ちから来ている。
わたしは、もっともっと見たことのない景色を見てみたいと思っている。
それはわたしにとっては、かるたを通してしか見ることのできない景色。
それ自体が、息を飲むほど美しいものだから。
森羅万象の謎に、理に、一瞬指先がかすめたか、かすめないかというところへ行ける。
その景色と、そこに至るまでの道のりの中で、自分の人生と(そのつもりはなくても)関連付けてしまうような瞬間がふいにやってくる。「あの場で起こっていることは、過去のある時点で起こったあれそれものだ」、逆に言うと「今のこれはかるたで言うと"あのときのあの感じ"に似ている」というような。それを追いかけて、さらに思考を深めていくと、「ああ、そういうことだったのか」と、いくら考えてもわからなかった人生の謎がいきなり解けることが起こる。自分で解明できた喜びから生きる力が湧く。その感じは、誰かからありがたい説法や格言を聞かされることとは、比べ物にならないほどのパワフルさがある。
大人だからこそ取れるかるたってこういうところにあるんじゃないかと思っている。もっともっと深いかるた(和歌としても、競技としても)の魅力に迫っていける。それは子どもたちがやっているかるたとは、同じ場にあっても全然別物という気がする。負け惜しみでなく。
それから、カッコいい自分になりたい、相手にとって対戦するに価する自分になりたい、自分の納得いく取りがしたい、などもある。
もちろん実際に取り組んでいるときには、そんなことは考えていない。
もっと言うと、「かるたをしている」のではなく、「"それ"になっている」という状態。「それ」というのが、かるたなのか、場なのか、理なのか、なんなのかわからないけれども。
「勝った負けた」を競うことを通じて、その奥にある「しつらえ」に惹かれている。
それが、ことほぎラジオの第1話で相方のけいさんがくみとってくれたことなのだと思う。
なぜかるたはわたしをこんなにも楽しくさせるのか、魅了するのか、をこれからも考えていくと思う。その原動力になるのが、「勝ちたいし強くなりたい」で、それがある限り、わたしは探し求めていくんだろうな。