ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

短歌

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短歌が楽しい。

 

友人が主催する歌会(短歌を詠みあう会)に通いはじめて一年。去年のちょうど今ごろに第一回がはじまった。最初は、彼女のペースで「そろそろやるよー」という感じだったのが、途中から月1の定期開催になった。

 

初めて詠むなら絶対に彼女がつくる場で!と思ってたから、すごくうれしかった。こういうのは、「あなたのその得意なことで場をひらいてほしいわー」といくらこちらが熱い視線を送っていても、相手の情熱や時期が合わなければ実現しないので、有り難いのだ。


短歌にまつわるトピックが毎回用意されていて、レクチャーしてもらえる。短歌の短歌たる所以みたいなものを頭に入れたあとは、主題を与えられ、あるいは自由主題で実際に作ってみる。

 

当初こそ難しいとか恥ずかしいとか思っていたのが、最近は自分の実感と深く深くつながっていって、それを表現するための一番近い言葉を海女のように何度も潜って取りに行く作業が、かけがえのない時間と思える。5.7.5.7.7に当てはめる試行錯誤も楽しい。枠があるからこそ、自由になれる。


そうしてわたしの中から産み出したばかりの歌を人に鑑賞してもらい、それぞれの解釈を聞く。この体験がおもしろい。感じること、見えてくる画などを自由に話すだけなのに、「あんたどっかで見てたんか!」と言いたくなるぐらいの深い洞察が場に生まれる。説明的なところは省かれてるし、シチュエーションやモチーフも実際とは違うものをあてていることも多い。でも自分がその歌に込めた大事な思いがちゃんと伝わっている。


そう考えると、和歌を詠みあっていた古の人はすごい。こんなプライベートな奥底の気持ちを誰も笑わず、むしろ美しいものと愛でるのは。生の気持ちにみんなが共感して大事にしていたのは。今とは文化も生活スタイルもモラルも社会のシステムも世界の広さも違っているあの時代の、歌を大切にした人たちの気持ちが、実際に作ってみて、なんとなくわかったような気がする。


どうにもならない気持ちや人間本来の性質への共感の気持ちが人々にあるという点で、なにか救いを感じる。