ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

読み聞かせ(3年生 3月)

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今年度の読み聞かせの最後の回でした。

「牛方とやまんば」
(東京子ども図書館おはなしのろうそくシリーズ4「ながすねふとはらがんきり」より)

「おさらをあらわなかったおじさん」

2話で持ち時間の15分ちょうどでした。

絵のない日本の昔話でちょっと怖いものと、三色刷りの外国の絵本で愉快なものという、あえてちょっと対比させるような組み合わせにしました。こうしてみようと思ったのには訳がありました。

 

前回の読み聞かせの日、帰宅してから息子に「きょうの読み聞かせどうだった?」と聞いてみると、いつもじっとしていられず、終始茶々を入れてくる、ある男の子の名前を出して、「あいつが黙ってじっと聞いてるなんてはじめて見たよ!授業中だってあんなのないよ!」と興奮気味に言ったのでした。わたしはあの選書でよかったか、あの読み方でよかったか、などが気になっていたので、「それか!」と意外に思ったのですが、同時に「そういえば!」とすぐに思い当たりました。そう、その日のその子は、最初にちょっと何か言ったきりであとはじっと黙って、すごく真剣な表情で聞き入っていたように見えたのでした。

どうしてだろう...と考えてみて、もしかしたらと思ったのは、あの子にとっては「絵が視界に入ること」が気になる原因だったのかもしれない、ということでした。お話の内容や読み方云々よりも、絵が見えるともうそちらに気をとられて、ここに描いてあるのはなんなんだろう、どうしてこうなんだろう、この色は...というほうに関心が移ってしまい、お話の世界に入れない、聞いていられないのかもしれない。だから絵のない物語を耳だけで聞くほうが集中できるし、自分の想像力を目一杯発揮しながらお話の世界に入れて楽しいのかもしれない。そんな推測をしました。

本を勧めてくれた友だちにこの話をしてみると、その人の子どももやはりそうで、同じ昔話でも、絵本だと「これは何?」といちいち質問してきて静かに聞いていられないのだけど、素話は大好きとのこと。また画風によって怖い、苦手などもあるよう。

もしかすると想像力が豊かな子ほど、感受性が豊かな子ほど、絵がじゃましてしまうことがあるのかもしれない。逆に絵があることで物語に入る助けになる子もいるかもしれない。

そんなことがあったので、今回は絵のないお話と、絵のあるお話の両方を用意してみました。一人ひとり違って当たり前だから、一斉に読み聞かせを届ける場合でも、限られた時間ではあるけれど、できるだけいろんな子に配慮したいなと思ったのでした。

授業中にじっとしていられない、つい茶々を入れてしまうという部分で、「困った子」と表現されがちなその子の別の面でコンタクトできたような気がして、わたしはちょっとうれしかったのでした。

...などとあれやこれや考えながら、当日はりきって読み聞かせに行ったら、その子は風邪でお休みとのこと。あらら残念...。その代わりに他の子がたくさんリアクションしてくれてました、アリガトウ。

 

「牛方とやまんば」は、すごく引き込まれて聞いてくれているのが伝わってきました。やはり絵がなくても昔話っていろんな魅力がつまっているんだな。

「おさらをあらわなかったおじさん」のほうは、ほぼ全員が同時にツッコミを入れてきた箇所があり、びっくりして思わず笑ってしまいました。息子に読み聞かせしていたときはそういう反応は一度もなかったから、あれは読み聞かせならではなのかなぁ。

これはわたしが子どもの頃に好きだった本。料理がじょうずで自分の食べたいものを自分でつくる、かわいい椅子のあるすてきな家に、かわいい黒猫と暮らしてるおさらをあらわなかったおじさんのことを、いいなぁと思っていました。でも今読んでみたら、「おさら、洗えない日あるよねぇ。おさらがたまってみじめになっちゃうことあるよねぇ」と深く深く共感しており、大人になっちゃった自分を感じました。

 

来年度も引き続き読み聞かせボランティアをしようと思います。本を通じてのコミュニケーションはやはり楽しいし、読み聞かせで子どもたちからいろんなことを教えてもらえるから。