ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する場づくりを通して考えることなど。

村上春樹の作品について

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先日参加した持ち寄り型の読書会であったこと。

 

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」が場に示されたことから、「村上春樹」の話題になった。

持って来られた方は、「彼の作品は何冊か読んだことがある。正直苦手なのだが、古本屋で見つけて、有名な作品だし手頃な値段でもあったので、もう一度トライしてみるか、と軽い気持ちで購入した。しかし目次をひらいただけでもう嫌になってしまって、積ん読になっている」とおっしゃっていた。

 

場にいたのは4人で、そのうち苦手もしくは嫌いという方が3人。

わたしは好き......好きというか、彼の作品に一定の思い入れを持つ、場で唯一の人間だった。

 

「もしかして気を悪くされるかもしれないが...」とわたしに丁寧に断った上で、「できればまずは苦手な理由を説明させてほしい。そして好きで読んでいる人の話もぜひ聞きたいと思っている」と言ってくださったので、ちょっとホッとしながらその場にいた。

 

わたしがその作品を書いたわけではなくても、やはりめちゃめちゃに貶されるのは胸がぎしぎしする。自分がひらいたり参加した読書会で彼の作品を取り上げたときに、物語としての感想を語る前に、嫌悪の感情でいっぱいになってしまう方がかなりいたので、それ以来、わたしも持ち出すことも語ることも慎重にしてきた。そのぐらいいつも両極端な反応が生まれる彼の作品て、一体なんなんだろうなぁ、といつも不思議ではある。

 

村上春樹」が苦手や嫌いの理由は生理的な問題でありそうだった。言葉の使い方や言い回し、多用されるメタファー、生々しい暴力や性の表現。主人公だけが特別な存在で、現実離れした、主人公のために都合よく登場人物が存在しているかのような身勝手な世界観と閉塞感...などなど。そういう感じも一つひとつ、うんうん、あーそうかぁと共感しながら聞いていた。「わたしとは違う見方」という立場と「なんのために今それを話すか」をお互いに明らかにしていると、感情も必要以上に波立たない。場のおかげだ。

 

 

そのとき話したことの内容は正確には覚えていないので、今の自分として再話するとこんな感じになる。

 

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わたしにとって「同時代を生きている」という実感が強くある作家は、村上春樹よしもとばななの2人。4つ歳上の姉が「風の歌を聴け」や羊シリーズを買ってきて、わたしも一緒に読むようになった。それが小学生のとき。よしもとばななが「キッチン」でデビューして、これまた姉と読んだのもその頃。

 

それ以来、出る本出る本すべて読んできて、時にその暴力と性の表現に嫌悪感をおぼえた時期もあったのだが、それでも作品を途切れずに読み、時期に偏りはあるものの、読むことを必要としてきた。

それは今にして思えば、自分の生きている現実世界との折り合いがつきにくくなったとき、起こっている出来事の理不尽さを強く感じたとき、歪みや揺れを感じるときに、もうひとつの世界の可能性...暗い地下鉄やホテルなど、時間や空間や次元を超えたところにある何かを物語の形で読むことによって捉え方が変わったり、理解できることがあったりして、結果、正気を保ちながら今日も生きられる、、ということが実感としてあったからだと思う。あるいは、暴力は暴力的な顔をしていないということを物語から理解することができた。実際に「海辺のカフカ」は個人的にもっとも救われたという実感のある物語だ。

 

村上春樹の作品はとても人気があるし、わたしの周りでもよく読むという人も多い。でも他の人がどういうふうにそれを特別に思っているのかは、知らない。ハルキストの集いにも行ったことがない。行けるほど詳しくない。

書かれた物語には、読む人一人ひとりに個人的な物語が付随してくる。だからわたしのこの「思い入れ」もわたし個人のもので、「村上春樹が好きな人」の代表はしていない。

 

「閉塞感をおぼえる」は、同じことを指しているのかはわからないけれども、あえてわたしの側から見るとすると、「孤独の確認」とも表現できる。ときどき人間は孤独の確認が必要なのではないかと思う。「夜の時間」に入ること。夜の時間には暴力と性もある。それらを真っ向から描いているのが、前述した同時代を生きている2人の作家で、村上春樹に関しては、もしかすると男性的な立場からが強いのかもしれない。

 

悪い物語を見分けるための良い物語の話、長い物語を書き続けるために鍛える話、徹底的な時間管理や人間関係の調整について、インタビューで語ってきたことも、わたしに強い影響を与えてきたと思う。

 

作家も変化しているが、書くテーマはそうそう変わらないのかもしれない。なんのために小説を書かざるをえなくしているのか、というようなことは。

 

 

いずれにせよ、嫌悪するほどならば、いくらその作家や作品が有名だろうが売れていようが、読まなくてもいいのでは、とわたしは思う。

 

「もう大人なんだから、〜ぐらい読みこなせたほうがいいのでは」という言い訳めいたとっかかりも、おもしろいところに連れて行ってくれる可能性はあるけれども、やはり人生は短い。

 

実際、物語ならいくらでもある。

たくさんの書き手や語り部がいる。

「自分の人生でどの物語を必要とするか」だけではないかなぁ。

 

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村上作品に対する自分の思い入れについて、その日はじめて会った人にこんなに丁寧にフラットに聴いてもらえたこともなかったので、とてもありがたかった。しかもその作品も人も苦手や嫌いという人たちに。

場としての設定があるからこその体験なんだろう。

 

 

▼今家に残っている村上春樹作品。共通項はよくわからない。特におすすめというわけではない。あと「雑文集」もある。
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村上春樹作品の分析本には興味がなかったが、これはとてもおもしろかった。
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