安田登さん主宰の天籟能の会に行ってきた。
安定の国立能楽堂、安定の脇正面。
初めてお能を見たときにたまたま取った席が脇正面で、そのときの体験があまりにも素晴らしかったので、以来、よほどのことがなければ脇正面を選ぶことが多い。正面、中正面もそれぞれに良さがあって、値段と体験の深さが比例しないのも能のおもしろいところ。
特に今回の能は橋の上でのやり取りが効いてたので、脇正面にしてとてもよかった。
仕舞「遊行柳」
狂言「磁石」
能「小鍛冶」(白頭)
どれも初めての曲ばかり。
仕舞の梅若万三郎さんの威力がすごかった。
人間はあそこまで容れ物になれるのか!と思った。しかも容れ物になりながらも自分の意識は冴え冴えとしていて、身体能力を最大級に発揮している...それが目の前で起こっているということは何か信じられないような思いでいた。
狂言はおもしろかったのだけれど、うっかりところどころで寝てしまった。あんなに大きな声で話しているのに心地よくて。でも寝ているのに、間が途切れていないというか、夢の中でも観ているような不思議な感じだった。普段これは能を観ているときに起こるんだけど、狂言でもあるのかーと寝ながら思っていた。
そして能「小鍛冶」。
神様にお願いして、神様と人間が共同でひとふりの刀に相槌を入れる。
こういうことって自分にもあるよなぁと思ったのは、何か大切な「本番」があるときに、「神様、どうか力を貸してください!」と祈る。こちらの祈りは一方的で、神様の声は「いいよ」も「だめだよ」も聞こえない。
舞台の上でも、神様は聞いてんだか聞いてないんだかわからない、一見スルーしてるように見える。でも神様だから言葉は通じないか、神様の考えは計り知れないのかな、という感じもする。神様は前シテでは老人の姿をしている。後シテで白い髪を振り乱して(赤い髪で演るときもあるらしい)、金色の面をつけてこの世のものならぬ、しかし人形(ひとがた)に近い姿で現れて、鍛冶をする。
神様と人間とが相槌を打っている。
神様はこちらの願いはちゃあんと聞いてて「これは自分が力を貸したほうがいいことだ!」と思ったら来てくれる。刀鍛治の相槌だったり、本番の「それ」が仕上がったら、「よかったネ」という感じでアッサリ帰っていく。
去り際に、神様が振り向いてなんだかうれしそうにニッコリしてたように見えたのが印象的だった。「また呼んでなー」と手を振って帰っていく感じ。神様も人間に力を貸して、一緒に何かをつくるのは実は楽しかったりうれしかったりするのではないだろうか。
ものをつくるとき(goodsに限らず)、神様と自分との相槌の作業をしている。それが目に見えるようになったのが、きょうの「小鍛冶」のような景色なのだとすると、ますます自分がつくるもの、つくることに畏敬と感謝と愛を込めたいって思う。真剣につくることは神事と言っちゃってもいいかもしれない。そんなことを考えた。
前シテは老人だったり童子だったりするらしいが、一緒に行った友だちが「なんで大人の男の姿じゃないのか不思議だったけど、ヘタな大人より、老人やこどものほうがサッと手を貸してくれるからかも」と言っていて、なんだか納得した。
この友だちとは、産後に、とある会で一緒になり、1ヶ月ほど一緒に過ごしたが、そのあとは全く会っていなかった。わたしは当時お能をやっていたという話を彼女としたのをすごく覚えていて、能を観に行くたびになんとなく彼女のことを思い出していた。それが9年経った今年になって、急に彼女がわたしをFacebookで見つけて連絡をくれ、読書会に来てくれたりして、またちょこちょことやり取りするようになった。
この再会や出会いなおしをしている中でのお能というのも何か、感慨深いものがある。時間や空間のずれ、時間差、ある程度の時間が経たないとわからないこととか、人と人との間に起こることは不思議だなぁと思う。
今回の会の建付けもとてもよかった。ディープに楽しみたい人は公演までの7回のワークショップに出ることもできる。当日だけ来ても始まる前に解説があり、仕舞、狂言、能におはなしの時間があってじゅうぶん楽しい。
最後に「おはなし」と題して、安田登氏、内田樹氏、川崎昌平氏(刀匠)、いとうせいこう氏の4人が座談会形式で解説というか感想というかを話す。
「ゲストにわたしの好きな人ばっかり呼びました!」という感じがよかった。仲間内の実験の楽しさに、フレンドリーに招いてもらった感じがある。
きょうの公演の外周で4人があーだこーだと話すのをわたしたちは鑑賞して、帰り道に友だちと公演とその外周のおはなしも含めた会全体をあーだこーだとおしゃべりする構造がおもしろかった。14:00-17:30の時間設定もほどよい。
座談会で印象的だった話。
コンテンツがどんなにおもしろくても、それが自分に相対されていない場合、つまり相槌、コミュニケーションのある関係がなければ、それは自分にはぜんぜん関係ないものとして耳蓋がれるという、いとうさんの話が胸にぎしぎしきた。逆に相槌のある関係ならその上に何か乗っても展開するのだ。
川崎さんは、作業場では五感をフルでつかうので、しゃべってる余裕がないんだとおっしゃっていた。なにかお知らせが必要なときは、師匠の槌を打つ音を合図になると。つまりその場で取り組んでいるときの作業そのものが、全部言語ということなんだろうな。
実際の鍛冶は3人でするものらしい。師匠と新人と師匠補佐でトンテンカン。(新人が間違えるとトンチンカン)でも「小鍛冶」では神様だから一人で何人分もできるのでしょうね、とのこと。
「おはなし」で登壇された4名
本日はまず天籟能の会。『小鍛冶』に関して、内田樹さん、刀匠川崎晶平さん、安田登さんと舞台で鼎談。なぜ稲荷が相槌を打つのか→火を扱うこと→青銅から鉄への記憶を残す神事→言語以前の相槌……などと興味を話すとさすが皆さんの受けが深くて超面白かった!
— いとうせいこう (@seikoito) September 17, 2018
川崎さんによると刀一本を仕上げるためには鞘の蒔絵、漆塗り、金銀細工など日本の伝統技術のほとんどが参加するそうです。ですから刀を一本打ってもらうことは日本の伝統技術を守ることに繋がります。僕の芸事は居合も能楽も「旦那芸」ですけど、日本文化を守る一臂の力にはなれそうです。
— 内田樹 (@levinassien) September 17, 2018
花火が稲荷信仰で、玉と鍵が狐の呪具という話と、コミュニケーションの本質が「適切な相槌」というのが今日の「おおお」でした。ご教示に感謝です。
— 内田樹 (@levinassien) September 17, 2018
いらっしゃった方から「雷を呼んじゃいましたね」というLINEが。さっき、すごい雷鳴がありました。確かに、小鍛冶の稲荷が稲光を呼び、雷を呼んだ。わお!
— 安田登 (@eutonie) September 17, 2018
ご来場いただきました皆様
— 晶平 川崎仁史 (@kokajiakihira) September 17, 2018
ありがとうございました。
天籟能の会、一日楽しかったです。
仕舞、狂言「磁石」能「小鍛冶」はもちろん良かったです!
アフタートークで、安田登さんの仕切り、内田樹さん、いとうせいこうさんのお話は私自身も勉強になりました。
本当にありがとうございました‼️ pic.twitter.com/Zo2JPPXyMJ
次回も行きたいなぁと思ったら、第7回は2020年1月25日(土)ですって。
来年じゃなくて、再来年。
新作能だからか。
楽しみです。鬼が笑いそうだわ。
「おはなし」の覚書を書いてくださっている方が!ありがとうございます!!
#天籟能 アフタートーク覚書
— じん汰 (@jinta_stella) September 17, 2018
・鎚を振り下ろして、火花が散る様子が花火や雷に似ている。
・花火なら、玉屋鍵屋で稲荷に繋がる?
・刀には幼名を付ける。子どもは神と人の間の存在。刀も同じ。人が作り出したものだけど、人を越えた力を持つ、神と人の間にある存在。
#天籟能 アフタートーク覚書②
— じん汰 (@jinta_stella) September 17, 2018
・一条帝がどんな夢を見たか、分からない。→草薙剣が実在する時代にわざわざ新しく神剣(小狐丸)を作らせるのだから、よっぽど悪いものが見えちゃった?
・刀の霊力は、そこにあるだけで悪いものを鎮める力。本来は抜いて振り回しちゃ駄目。
#天籟能 アフタートーク覚書③
— じん汰 (@jinta_stella) September 17, 2018
・稲荷神と三条宗近は会話ができていない。宗近が何を聞いても稲荷神は答えないのに、神剣が出来上がる。
・実際の刀鍛冶の師匠と弟子も、鍛刀の際は会話しない。相手の様子を見て、己と対話=神との対話?
・言語を越えて対話するから、神剣が出来上がる。
#天籟能 アフタートーク覚書④
— じん汰 (@jinta_stella) September 17, 2018
・言葉ではコミュニケーションを取らないが、相槌のリズムでコミュニケーション。→言語を超越したもの=神剣が出来上がる。
・コミュニケーションに大事なのは、内容ではなく相手。意味が分からなくても自分に向けられてる事が分かれば理解しようとする。
#天籟能 アフタートーク覚書⑤
— じん汰 (@jinta_stella) September 17, 2018
・雷の霊力。椎茸がたくさん生える。実りをもたらす。
・神社の紙幣や御幣の形も雷を模しているのでは?
・三種の神器は玉・鏡・剣だが、天戸神話で出てくるのは玉・鏡・雷。金属剣がない時代に成立したことも考えれるが、役割は雷≠剣?
#天籟能 アフタートーク覚書⑥
— じん汰 (@jinta_stella) September 17, 2018
・江戸時代の刀はファッションセンスを示す為の大事なアイテムだが、極めて実用的な武器。
・地金の色で産地が、刀の形で作られた時代が分かる。
・鉄は重いので、長距離輸送に適さない為、見分けやすい。
・刀を誰がどう使うかで、形が変わってくる。