場をつくるというお仕事のために、わたしはいろいろなお稽古をしています。
毎日お稽古すること、3日に一度、週に一度、隔週に一度、四半期に一度、半年に一度、数年に一度...など様々な頻度や深さや重さでいろいろします。
「自分のファシリテーション」の大掛かりな点検は、時機が来たときにやっています。自分の人生の節目と関係があるので、とても大切なものです。
わたしはあまり「ファシリテーション」という言葉を使わないのですが、場づくりにおいてファシリテーションが重要であることは言うまでもありません。わたしがまだファシリテーションというものを、的確に表現できないので、場で確信があるとき以外は使うことができないだけなのです。
わたしにはこの道の師匠がいます。その人は職業が「ファシリテーター」なのですが、その肩書きだからというよりは、ほんとうにその人の場にいると、「ああ、これがファシリテーションだ!この人がファシリテーターだ!」という感覚がもてる。だから師匠の場に自分を点検しに(してもらいに)行くのです。
今回は、場で予想もつかなかった発言やふるまいがあった場合に、ファシリテーターはどのようであるとよいか、ファシリテーターのたおやかさとは何か、ということがテーマになっていました。
わたしは守人として場をつくっているけれども、それでもわたし個人がどうしても反応してしまう話題やテーマやキーワードや状況があって、感情に支配されてしまうことがあるのが、非常に気になっていて、それを師匠の元で安心して紐解いていきたかったというのが今回の大きな参加動機でした。
自分も場にめいっぱい集中して参加しながら、師匠の話すこと、聴くこと、態度、姿勢、動かし方、進め方、待ち方、応答の仕方、描き方...ぜんぶをトレースしていたので、一日終わる頃にはぐったりでしたが、本当に参加してよかった。ほんとうに師匠は惜しみなく、様々な方法で教えてくれていました。
競技かるたでもありますが、武道で上級者や師の戦いぶりや技術をトレースすることを見取り稽古といいます。それをしていました。
やったことやそこから学んだことをを言語化しようと思えばできるのだけれど、多くが身体の言葉なので、表現が難しい。もう少し寝かす。ただ、Inspiringというキーワードが自分の中に強く残っているので、しばらく場ではこれと共に過ごそうと思います。
師匠と同じ場にいるだけで、この人はどれほどのお稽古と実践を積んでこられたんだろう、と今なら一瞬でわかります。このお仕事は大切なもの。人がかかわる場をつくるために、人とよりよい生の時間を育むために、日々の鍛錬をこれからも続けていこうと背筋が伸びました。
自分の歩む先に師匠がいること、師匠の歩む同じ道に自分がいることが幸せです。
わたしの一番の現場である場。
人と人との関係をつくる、機会をつくる、営みをつくる。
ひらき、はこび、仕舞う。
9/29(土)からはじまる「場づくりゼミ」で、師匠から学んだことをシェア、還元してゆきます。ひとつ必ず取り入れようと思っているのは、やってみせて、やってもらう(一緒にやる)です。
単発参加もOKですので、これから場をつくりたい方や今の場をふりかえりたい方はぜひいらしてください。日頃の学びの種を裏表なく、惜しみなくお渡しします。
手づくりの給食。美味しくて大好き。キッチンが横にあって、包丁でとんとん切る音や、じゅうじゅう炒める音がするのを聴きながら、いい匂いに包まれながら、場が進む。
帰宅すると、息子が洗濯物を取り込んで畳んでおいてくれました。と書くとなんてことはないのだけれど、泣いてしまうほどうれしかったのは、これまでの経緯や時間の積み重ね、努力があるからだね。愛を与え続ける。もらい続ける。自分にも、人にも。