横浜で打ち合わせがあり、ついでに招待券があるので美術館に行かない?とのことで、会期終了間際のモネ展に行ってきました。
ポッドキャストで、国立西洋美術館の常設展でモネの絵をいっぱい見たときのことを話していたけれど、忙しさに紛れて忘れていた。思いがけず機会が巡ってきてとてもうれしいです。そういうのが来たら、「これは...!」と迷わず乗っかることにしている。
相方の桂さんが、「モネの絵を片目で見るとおもしろいよー」と教えてくれて、実際に見てみている様子が収録されています。そのときラジオ外で「横浜のモネ展がおもしろかった」という話もしたので、それもちょっと頭に入れながら、展示を見てみました。
とはいえ、ものすごい混雑で、人が多すぎて入れないゾーンもあったりして、途中から見てまた最初に戻るような、ちょっと変則的な見方になりました。
でもこういう見方もおもしろいなと逆に思いました。最初から順番に企画者のストーリーどおりに見ないことで、前提や文脈がわからないから「あれ、なんでこれここにあるんだろう?」とか「もしかしてこういう意図かなぁ」と思いながら、最初に帰って、「あ、やっぱりそうか」「えー、あ、そういう意図かぁ」とかいろいろ考えたのはよかったです。
モネの作品を片目で見てみました。
像を結べない。思考判断が途切れる。余白を別のもので埋めようとする。
そうすることで、より色や存在をとらえやすくなる。立ち上がる光景。彩景。温度。湿度。風や水の気配や匂い。
モネの作品はあえて少なく、「印象派というより現代美術だ」というなんとかさんの(忘れた)言葉を冒頭に持ってきて、モネ的な要素を何点かで確認させた後、モネ後の100年の間に、モネの明らかな影響(オマージュ、本歌取り)を受けたもの(と思われるもの)、本展用に制作された作品など取り混ぜ、モネ的な要素を見出す目を持つための作業を、表現形式や視点、角度を変えて行った時間でした。
少しずつ体内に取り入れて行くような展覧会の構成がおもしろかった。
つまりこれを見終わると、美術館を出た後も、「わたしが見つけるモネ」の目でもって、帰り道から日常から、視界に入るものをモネ的に見ることができるというわけ。
ラジオでも教わったように、「色も淡くもわっとし物憂げで優しげな花や庭の絵」がモネの印象だったのだけれど、彼がやっていたのは、実はどこまでもストイックな研究だったということが、横浜のモネ展では、いまだかつてなくフィーチャーされている感じがしました。
わたしが小さい頃って印象派=油絵、洋画みたいなところがあって、すごく古典なのかと思いきや、当時としてはかなり現代に通じる新しい感覚の先鋭的なムーブメントだったということを最近になってようやく知ったり。時代によって見え方が違うのも、何十年単位で人生を生きるようになってきて、おもしろく思える。
いろんな現代アートが観られたのもすごくよかったです。好きな作家のもちょいちょいあったし、全体的に色の探究がテーマなので、わくわくしないわけがない!
三連休だし、もう混みすぎて何が何だかわからないかもしれないけれど、迷ってる方いたらおすすめです。
巡回するのかな? 巡回先で待っている方もお楽しみにー!