ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

言葉であり歌だからこそ(競技かるた体験会)

今週はUmiのいえでの競技かるた体験会がありました。

ひらいた経緯などはここに書きました。

 

参加してくださった3名はどなたも競技かるたははじめて。

 

いつものように百人一首の成り立ちやつくりやユニークさ、歌人のこと、競技かるたになるまでの1,000年の歴史をつまみながら解説しました。

そしてまずは並べてみて、一字決まりから取りながら、やりながらルールや取り方、どうなると勝ちになるのか、を少しずつ知っていってもらいました。

 

決まり字のこともピンとくるまでには時間がかかります。一度に覚えられるのは最初は4枚程度。どの決まり字の札がどの位置にあるか、決まり字を言いながら、指差し確認を何周も回してから、ランダムに読み上げて取ってもらいました。

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覚えて→狙って→手を出す→取れた!!!の繰り返し。

かるたを取るというとどうしてもいろはかるたのような、「書いてある字と音をつなげる」というイメージがあるため、上の句と下の句のつながりで取る感覚をなんとなくでも身体に入れてもらえるとよいです。ちょっと不思議な感じがするのがおもしろいはず。

 

-「ちはやふる」の漫画や映画で知っているから、「ちは」なら取れた!

-払い手をやってみれた!

-脳の違うところをつかった!つかれた!

などなど、2時間たっぷりお楽しみいただきました。

わたしも楽しかった!!

 

 

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競技かるたの体験講座は今年に入って数回やらせてもらっているのですが、毎回違うことを発見しています。今回はこんなことを。

(講座そのものがこうだったというより、講座をやってみて想起されたこと、という感じです)

 

 

 

未知との出会いには、楽しさだけでなく不快の感覚もあると思います。それとしばらく付き合ってみたところにふいに訪れる、「!?」の感覚を面白がれるといいなと思いながらわたしはガイドをしています。

 

競技かるたって、今までやったことのある何とも結びつかない未知のものかもしれない。

 

いつも書いていますが、わたしは教育普及的な理由、つまり、競技かるたのおもしろさをもっと多くの人に知って、競技かるたを始めてほしいと思って講座をやっているのではないです。もちろんきっかけになったらうれしいけど。

 

それより、未知を安全に体験することで発生するもの、その人の中で起こることや、一緒に体験した人との間で起こることが大事で。

わたしが取り扱いやすいから競技かるたを使っているのと、競技かるたが持っている特別な性質と文脈・歴史によって、体験が多様で重層的になるという点がよいからです。

 

だから、「競技かるたをやってみたいから講座をやってほしい!」と呼んでいただけるのはありがたいのです。

 

うーん、うまく説明できてる気がしないな。。

 

 

 

 


競技かるたの実戦を教えていて興味深いのは、ある種の「反感」「反発」が生まれるところです。

「小さい頃に家族と(あるいは学校で)やっていたやり方と違う」

「取り札を見て上の句(決まり字)がわからないとどうにもならない」

「出札と同じ陣を全部払ってもお手つきにならないなんて」

 

ずるい、美しくない、信じてたものが崩れる......。

  

こういう感覚、わたしにはすごくありましたねぇ。

 

他のスポーツではあんまり起こらないと思うのです。

ラケットにボールが当たって、コートのラインの中にボールが入るようになる。
そうしないとラリーにならない。
ラリーにならないとテニスの試合が成り立たない。
だから、前提・基礎の練習をする。

 

ところが、競技かるたの試合を成り立たせるにあたってのルールの把握や決まり字の暗記、隣の札ごと一気に払う、、というところで、「えええ?!」となってしまう。

それはやはり「言葉・歌である」ということに尽きるんだはないだろうかと思います。

 

札を見て、字を読む、言葉から感じ取る、歌を聴く。

それ以外のやり方で接することがないので、頭や心の中で混乱が起きる。


ひと通り混乱しきると、だんだんと受け容れられて、おもしろくなってくるポイントも見つかることもあります。

でも、それだけ札に書かれた歌や言葉というのは、大切な思いを込めたものなんだなぁとあらためて思います。ただの厚紙じゃないのよね。

 

そういえば、最初は激しく払う様子が暴力的にも見えて辛かったこともあったなぁ...。

 


でも競技をするようになってからも、わたしにとってはかるたはずっと歌にかわりはないし、歌でなかったらこんなに夢中にならなかったと思います。

無粋のように見える先にある深遠な競技かるたの世界のことも、どうにかお伝えできるように、もっともっと精進したいなと思いました。


競技かるたがカードゲームの延長ではなくスポーツで、競技者がアスリートだというのは、このぴりりとした空気を生で感じてみないとぴんとこないかもしれないです。

Youtubeに動画もたくさんあがってるし、映画もあるけれど、スローモーションも入ってるからどこかフィクションぽかったり、修正して見てしまうかもな...。


とはいえ、生で見る機会も教わる機会もなかなかないので、こういう講座をやったときに来てもらえるとうれしいのです。

 

べつに競技かるたをはじめなくても、好きにならなくてもよくて。必死に音と札と身体を結びつけようとしてひらかれる回路に気づいてみる。

へぇ、こんな世界があるのか、こんなことに取り組んでる人がいるのかとかなんでもいいので発見があってそれを口にして、みんなで分かち合ったり、おもしろがったりできればいいなぁと思っています。

 

特にUmiのいえでやるときは、かるたを通じて変化していく身体とこころのことを話せるといいなぁと思う。

 

 


次回Umiのいえでは2/20水の午後です。ご予約受付中。

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