ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する場づくりを通して考えることなど。

だれのための場 〜子連れと場についての一考察

前々から書こうと思っていたのだけども、いざ書こうとするとそれだけでふーっと深呼吸せずにいられない緊張を覚えるこのテーマ。

 

場をつくっていると、「そこに子どもを連れて行っていいですか?」という問い合わせが来ることがある。

また日々メディアを通して見聞きするニュースだったり、友人知人との会話の中にも「子連れ出勤」「子連れイベント」というテーマが出てくることもある。

それはしばしば論争の種になっている。

 

 

もともとわたしは、「子どもを連れて来てもいい=優しい場とは限らない」というテーマで、場をつくる(主催)側からの景色を書こうとしていた。そして何度も書いては消し、書いては消し、していた。

この一年ぐらいずっと。

 

難しいのは、「~が~であるときにもよる」っていう条件をたくさん出すことになるからだ。

しかしそれを全部書くとわけがわからなくなる。

 

 

 

書く衝動が生まれたときの、過去の自分のツイートを引用してみる。

 

「子どもを連れて来てもいい=優しい場とは限らない」というテーマで、主催側から見える景色としてブログ書きたいけど、けっこう勇気要るこれ。何のため・誰のための場、参加者の満足度、親と子・大人と小人の境界、自由と尊重と選択、受援力、働きかけ力、東京の子育て環境等の話、たぶん。

 

逆に言うと、子どもを連れて来てはいけない=優しくない場のときもあるし、=優しい場(安心できる場)のときもある。「どちらかが正義」ということではなくて。子の存在も、子にかかわる大人の存在も、どちらも軽視してはいけない、尊重したいということ。

 

さらに「子ども」の想定の話でもある。日本では0歳0ヶ月から18歳まで「子ども」と表現される。これは参加者はできるだけフレンドリーに解釈したいから、主催側がちゃんと提示したり条件をつけたりしないといけないよね、とか。このテーマは本当にここ6年、紆余曲折があります。。

 

夫婦や一緒に子育てしている人とのパートナーシップ、生活や人生のある時期を共にしているファミリーシップの話でもある。あるいはワークライフバランスや働き方の話でもあるし、Lifelong Learningの話でもあるし、専門家・専門職とは何かっていう話でもある。多岐に亘る。

 

ひとつの場をつくったときに「その場にかかわる人」がみんなハッピーでいてほしいっていう気持ちがある。

 

 

シンプルにわたしが一番書きたいことからはじめてみると、「そこはだれが何を目指す場だと意図されているか」ということに尽きる。

場と子どものことについて書きたいので、子どもと大人という軸で切ってみると、

だれのための場というのは、

  • 大人と子どもの両方のための場なのか、
  • 大人のための場なのだけれど、子どもも「いてもいい」場なのか、
  • 子どものための場なのだけれど、大人が「いる必要がある」あるいは「いてもいい」場なのか

何を目指す場なのかというと、例えば

  • お互いの声がよく聞こえる環境で集中して議論や作業に取り組む場なのか、
  • 集まった人同士が交流しゆるやかにつながる場なのか、
  • 様々な年齢の人が思い思いに過ごし、表現や活動を自由に楽しむ場なのか、

など。もっとたくさんあるだろう。

 

それから、先のツイートにも関連するけれど、場を守る人としても、育てている子どもがいる親・保護者としても、願いとしてもっているのは、親が親役割を離れて一人の大人/個人として集中して働いたり学んだりすることと、子が安全と健康が守られた環境の下、子どもらしく伸びやかに過ごせる時間は大切なもので、親と場をつくる人はもちろん、かかわる人全員によって確保されてほしいということだ。

 

「子連れ」という言葉も曖昧で、「子が親とその場にいる」と「その場が託児所を設置している」がごっちゃになっていることがあるが、わたしが慎重になりたいのは、「その場が託児所を設置していなくて、子が親とその場にいる」という状況が良いときもあるし、「誰が何を目指す場?」に照らしたときに、必ずしも良い、優しいとは言えないこともあるのでは、というところ。

 

場の目的や、集う人同士の関係性によっては、子どもを連れてきてもいいよと言われる場合もある。その場で行われることに対して、子どもがいることで中断される可能性について、全員が了解・許容しているなら、やむを得ず連れていかなければならないときなど特に助かることだろう。

わたしにも多々身に覚えがある。

 

 

***


抽象的になってしまったので具体的なエピソードを一つ。以前こんなことに遭遇した。

 

大人向けのエクササイズの講座で、参加予定の人から「3歳の子どもを実家に預けて参加する予定だったが、急に預けられなくなった。どうしても参加したいので連れて行ってもいいか」と問い合わせがあった。

主催者はOKを出した。

会場には高価な精密機器が置いてあった。エクササイズは大人向けの内容で、子どもが真似をして楽しめるような、身体を動かす遊びのようなものではない。連れてこられた子どもは手持ち無沙汰なので、その辺を歩き回ったり、高価な精密機器に手をかけたり、親が構ってくれないとぐずったりしていた。

会場の貸主はその機器を大切にしていたし、子どもも苦手なのか、機嫌を悪くし、講座にはぴりぴりとした空気が漂っていた...。

 

誰が悪いという問題でもないこの経験は、わたしの中にずっと残っており、「子連れ」という言葉を聞くとき、何年も前のことなのにいまだにサッと心をよぎる。

 

 

どうしたらよかったのか。

 

今の自分がもし主催者だったとしたら、まずは運営メンバーと相談する。そしておそらくこのように返事をするだろう。

「この講座は大人だけを対象としており、3歳のお子さんを連れていらっしゃっても見守りができる余剰スタッフがおりません。子どもがのびのびと安心安全に過ごせるスペースもありません。さらにせっかくいらっしゃっても、お子さんのケアのためにエクササイズに集中して取り組めないととてももったいないと思います。とても申し訳ないし残念ですが、今回は参加をお断りさせてください」。

 

これが唯一の正解ではない。けれどもその場に集う、関わる全員にとっての安心、安全、満足とは何かと考えたときに、時には「断る」ことも出てくる、ということが言いたかった。大人が集中して何かに取り組む場は、子どもにとっては居心地のよくない場にしばしばなる。

 

話は少しずれていくが、子どもにとってほんとうに楽しい場、居心地のいい場か、という問いは、わたし自身、子どもが4〜5歳ぐらいになるまで直視できないでいた。

「本来大人向けの場で、見守りのスタッフもいないが、自分で見守っているなら連れてきてもいい」という場や、「大人も子どもも対象の場」に何度も連れて行っていたが、子どもが興味が持てず、飽き、わたしに構ってもらえないのでぐずり、中座したり途中退出したりして、やり場のない怒りを抱えながら帰途につく、ということがよくあった。

 

乳幼児を気軽に預けられる人がいない、施設がないという問題はあると思う。

 

子どもの月齢・年齢、発達段階や性格や特性にもよって、「うちの子は動き回らないので一人で静かに過ごせるので大丈夫」ということもあるだろう。もしかしたら状況によっては、運営メンバーの中に「予定にはなかったけど、他を調整してみようよ。わたし見守りするよ」という声があがるかもしれない。

 

ケースバイケースとしか言いようがない。

 

その場にかかわる全員で知恵を絞り、事前に設計し、当日起こることに対応し、場としての誠実な態度を、最後は場を守る人が引き受けるんだろう。

 

今年になって場づくりのエッセンスを教える、伝えるようになって、だれのためのなんのための場なのかをよくよく準備し、起こりうる可能性を検討し、参加者と共有することの大切さをより感じている。

 

 

この原稿も何ヶ月もあたためていたが、ようやく心構えができたのでリリースしてみる。

 

 

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