ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

観世能楽堂でお能を観た話

観世能楽堂の「観世会・荒磯能12月公演」に行ってきました。

天籟能の会を一緒に観に行った友だちがチケットを安く譲ってくれまして。


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GINZA SIXに2017年4月にオープンした新しい能楽堂。行こう行こうと思いながら、きっかけがなくて来られていなかったので、友だちに感謝です。

 

今回の荒磯能は若手能楽師による公演なので、定例能に比べるとチケットもかなりお手頃。そして平日の13:00-16:30(解説は12:30〜)というところが絶妙で、銀座で早めのランチした後に、勧能して、帰りはラッシュに巻き込まれる前に帰宅できる、というのはすごくいいです。能の支持層に年配の方が多いからなんだろうなぁ。でもこれはケアの必要な年齢の子どもを育てている人(わたし)にとってもうれしい設定。

 

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来てまずおもしろいなーと思ったのは、もともと能舞台は屋外にあって、それをお堂の中に入れてしまったわけだけれど、それをさらに地下(しかも地下3階)に埋めたというところ。

 

ここの能楽堂が特徴的なのは、それぞれの席のバランス。脇正面が極端に少ない。そしてこの脇正面が舞台にめちゃくちゃ近い(感じがする)。

 

お能の席は、金額の差はつけてあるけれど、どこから見るかは人によって好みがそれぞれなのです。S席だからいい体験ができるというわけでもないところがまたおもしろい。この感じは、クラシック音楽のコンサート以上のものがあるのでは。

 


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わたしはいろいろ座ってみた結果、かなりの確率で脇正面で良い体験をしていますが、それは国立能楽堂で特にそうであって、宝生能楽堂だと中正面とか、わりと能楽堂によっても違うかもしれず。

しかし今回観世能楽堂で座ってみて思わず、「ここは脇正面一択でしょ!」となりました。

 

一列目だったので、とにかく近い!迫力!

呼吸が聴こえてくる。

 

これがもし、人でありながら人ならぬものを観たい場合は、あまりにも生々しく人間すぎるから、そういう方にはもう少し遠い席がいいのかもしれない。

 

一列目は定例能( ↓ の写真)ではS席。10,000円。たぶん定例能なら年間指定席の枠でで既に予約されていて、ふつうに買おうとしたら取れない席ですね。今回はそういう点でも体験できてラッキーでした。


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席種の話をさらにすると、他の公演 ↓ での席は、SS、S、A、B、C席、学生席まであるので、もしかすると曲による見どころの違いなどから、この席の場所とランクの割り振りがあるのかもしれません。あくまで仮説ですが。

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荒磯能は若手能楽師による能ということで、確かにフレッシュな感じ。重鎮にはない揺らぎやエネルギーの勢い、色みたいなものがあって、よかったです。

 

能楽堂自体の若さ、わたし自身がこの能楽堂の場にまだ馴染みがない、舞台が近くで人間の存在の迫力をより感じる、若手の舞台というような上に書いたことに加え、女性の能楽師を初めて生で観た、狂言の途中で鋤の先が取れるハプニングなどなどもあったのか、没頭して心が持っていかれる能というよりは、観察する能という感じでいました。

 

同じ列で謡本を広げて指で辿ったり、赤ペンで書き込みをしたり、謡や仕舞のお稽古をしてらっしゃるのか、熱心な方々がいらっしゃいました。(追記:謡本のことを床本て書いてたのですが、床本は文楽義太夫が使うもののことでした。失礼しました!)

 

舞台のほうの感想。

 

仕舞

女性の能楽師さんだ〜ということでビックリしていてよく覚えていないけれど、女声も美しいなぁという感じが残っています。

 

能「胡蝶」

胡蝶の精になった後シテが、すごーく狭いところを面をつけていてほとんど見えないはずなのにスッと通り抜けるところ。舞台から落っこちちゃうんじゃないかとドキドキしたけれど、さらりとこなして素晴らしかったです。

 

狂言「水掛聟(みずかけむこ)」

狂言てホッとするなぁとあらためて。胡蝶が緊迫していたわけではないけど、やっぱりオープンな中から意味を読み取ろうとしちゃうので、エネルギーは使う。狂言は、セリフも一言一句取れて、わかりやすくて、舅と婿の争いと素っ頓狂な嫁の振る舞いに大いに笑えて楽しい。それぞれの良さがある。

 

能「春日龍神

後シテの龍神が激しく舞って、ジャンプして座位で着地するシーンが2回ほどあり、まるで陳式太極拳の演武をみているよう!囃子方の演奏もかなりパンキッシュだったりして、かなりノリノリ!

その直前の間狂言の長ゼリフが終わったあとに拍手したくなりました。文楽や歌舞伎やオペラやバレエなら絶対拍手喝采なんだけど、能ではそれはだめなのよね。もしどんなふうに見てもいい能の企画があったらいいだろうなぁ。フレディ・マーキュリー応援上映みたいに。

 

 

全体としては、あらためて能の装束が美しい!

立体的な形、布地の張り感、質感、色のおもしろさ。色の合わせ方、柄の合わせ方。和のものではあるのだけも、現代の着物ともまた違う発展をしている装束。能の装束の展覧会が松濤美術館でやっていたかも。でも単体で見たいというよりも人間が着ていて全体としてどんな造形になるのか見たいから、願いとしてはファッション・ショーなのかも。そう考えると、能舞台はランウェイみたいにも見えてきます。


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シテとワキと地謡囃子方。そして客席。

もしかして自分が今生きている瞬間、誰かと交流している時間のときにも、目に見えない存在がこのようにじっと聴いて見ているのかもしれない、という気がしてきます。パラレルワールド

 

若手の方々の中には年齢が若い方もおられて、「風姿花伝」の冒頭の「年来稽古条々」を思い出し、あの方々は、世阿弥が説いたところの「二十四、五」や「三十四、五」の時期にいらっしゃるのかなと想像したりしてました。家に帰って読み返してみたらけっこう厳しい時期なのだなぁ。

 

最初に20分ほど解説が入った中で、印象的だったのが、「せぬひまがおもしろき」、つまり、なにも動きがない、セリフがない、鳴り物が聞こえない時間こそ、登場人物は心を動かしているし、観客も自由な想像ができておもしろい、味わい深いのだ、という世阿弥の言葉を紹介してくださったこと。

それから、「花」は舞台で演じるものだけが持っているものではなく、観ている人が美しい、カッコいいと感じる心もまた花なのだ、しかもその花は千差万別、十人十色、という話も心に残りました。

それを確かに感じて、言祝ぎあうにはやっぱり、感想を交わし合う場があるといいよねーと、聴きながらいつものようにじりじりとしていたわたしでした。

 

noteでも散々書いた(話した)けれど、やっぱりこんな美しいものを見た喜びをすぐに語り合える場、館や普及したい方々とつくりたいなぁ!

 

今回もまた、今の自分が必要としていた声を聴けて満足です。ありがとうございました。


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