ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

「みみずくは黄昏に飛びたつ」を読んで

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借りた本。

ずーーっと手元にあったのに、読んでは寝かせて考え、読んでは寝かせて…とやっていて、どうがんばってもすこーーしずつしか読めなくて、完読するのに2年近くかかってしまった。貸してくれた人が気の長い人でほんとうによかった。

脇目もふらず一気に通読してしまう本もあれば、こんなふうにちびちび時間をかけて読む本もあって、ほんとうに本って不思議だ。

 

 

わたし自身は、小学生の頃から村上春樹の作品は全て読んできて、「お世話になった作品」もたくさんあるのだけれど、読書会で村上春樹を持ち出すと紛糾するので慎重になっている。苦手な人の話をたっぷり聴き、わたしがお世話になったと言える理由を丁寧に聴いてもらった経験が去年あって、そのときのことをここに書いた。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

これを書いたことで、自分の中でひとつ軸ができたので、苦手という人の反応があっても特に気にならなくなってきた。場で出すときはより柔軟に、丁寧に扱えるようになった。去年あったよい体験のうちの一つだ。

 

このインタビューをまとめた本では、苦手な人が苦手に思っているであろう部分のところを、川上未映子さんが(村上春樹川上未映子さんって、片方にさん付けなのどうなんだろう...)丁寧に言語化して本人に質問してくれている。(ようにわたしには感じられる)

 

川上さんが、まるで読者を代弁するかのように、一つの問いをぐりぐりと、良い意味で諦めず、言い方を変えながら、知りたい、見たいと突っ込んでいってくれる様子が頼もしい。(だから表紙カバーも「訊く」なのだな。たずねて答えを求める、問う)

 

 

本を返す前に、栞をいくつか挟んだ箇所を見返してみると、「ああ、そこは確かに今読んでも興味深いね」というところばかりだった。

 

引用してここに載せようかと思ったけれど、インタビューには流れがあるから、うまく切り取れなかった。

 

一箇所だけ、とても大事だなと思うところを置いておく。

 

(p.90-91「アンダーグラウンド」についての話の流れで)

 

ただ、客観的なオブザーバーとして実行犯の人たちを見ていると、彼らもやはり罠に嵌まった人たちだなという気がするんです。罠に嵌まるのは自己責任だといわれればそれまでなんだけど、でも、そうじゃない。罠というものは、嵌まるときはすぽっと嵌っちゃうんですよね。それは僕自身についても言えることだし、僕のまわりの人たちを見ていてもわかる。人生は危険な罠に満ちていると思います。ぞっとするようやことが人生にはたくさんある。でもそのように説明して世の中を説得しようとしても、そんなことほとんど不可能です。「罠というものは、嵌まるときはすぽっと嵌っちゃうんですよね」とすらっと言っても、多くの人はたぶんうまく実感できないでしょう。その構文をいったん物語という次元に移行させなければ、ものごとの本質は伝えきれないんだな、と僕はあの本を書いていて実感しました。

(中略)

実際『アンダーグラウンド』を書いているときに、現実に生きている人の怒りとか憎しみとか、困惑とか迷いとか、それから失望とか、後悔とか、そういうものを目の前にして、それも命をかけてそう感じている人たちを見て、強く胸を打たれるものがありました。それはその後の小説に反映されているはずだし、またされていてほしいと思います。

 

 

 

わたしはインタビューをするのも、されるのも、好き。
こんなふうにわたしもインタビューをしてもらったことがあるくらい。

note.mu

 

 

だから、「みみずくは黄昏に飛びたつ」のように、みっちりと丁寧に行われたインタビューが、たっぷりと惜しみなく公開されているのはとてもうれしい。ありがたい。

自分が読んできた物語の作者からはこんなふうに見えているんだ、小説家同士だからわかることを話し合っているんだ、「側(がわ)からの風景を見る」ことには、新鮮な驚きと喜びがある。

 

読めてよかった一冊。