ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

対話が連れていってくれる、NOとリクエストを考えるシェア会(夜の部)

NOとリクエストを考えるシェア会〜1/2成人式をめぐる学校とのやりとりを手がかりに〜の夜の部をオンライン会議システムのZoomで開催しました。

 

(その前日に行った昼の部のレポートはこちら)

 

 

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進め方は、

・チェックイン(お名前、お子さんの年齢、きょう楽しみにしていることなど)
・録画(前半)鑑賞
・全体共有
・録画(後半)鑑賞
・質疑応答
・チェックアウト(収穫など)

 

「どちらかに来られるように、昼と夜と2回やりたいね」と話していたときに、
「昼のほうを録画して、夜それをみんなで観て対話したらいいと思う」とライチさん。

「それはいいアイディア!」とすぐにわたし飛びつきました。

話すほうとして、1回話したらけっこう満足してしまって、同じようなエネルギーでは話せないのではないかという懸念がありました。

でもこれなら2回目は対話に集中できるし、前日の経験を踏まえてより丁寧でよりわかりやすい質疑ができる。わたしもわたしの話をじっくり鑑賞できる。

逆に1回目は、その場にいる方々の反応をダイレクトに受けながら、よりライブ感をお互いに楽しむことができる。その熱さを共有しながら、対話や質疑応答ができるし、ランチをいただきながらざっくばらんに話せる。(Zoomの場合は一斉にわいわいしゃべるということが難しい)

 

......なんとこれは!

体験をシェアし、鑑賞するための形式を発明した!!!!

これは画期的です!

 

途中、録画ができていなかった箇所があり、その場で再演するという一幕もありました。スムーズに運ばなかったにもかかわらず、皆さんがあたたかく受け入れて、協力してくださって感謝。

わたしとしては、録画もその場のライブもあったのがおもしろかったです。

 

 

 

 

 

オンラインというしつらえの違いもあったと思いますが、昼の部に来てくださった方とはまた全く異なる動機、感想、収穫を聴かせてくださいました。

 

今回のテーマになっていた小学校、中学校、幼稚園、保育園、PTA。
1/2成人式、組体操、普段の授業、教育方針...。

それぞれにお子さんが通っている、通っていた場所を組織と考えたときの付き合い方
戸惑いや違和感があったり、傷ついたことがあったり。

言いたいことはあるけれど、誰にどう言っていいかわからない。
そもそも言っていいのかもわからない。
それが及ぼす影響を考えると怖れがある。

 

わたしは、「どんな感情がわいても、それは鑑賞する方の自由で、たとえば憤りのようなものがわいてきても、それも大事にしてほしい」というような話をし、自分の経験を語り、語りながらもそのときの感情をありありと表現してみせて、さらにそれを解釈し、希望を語りました。

具体的なやり方も紹介しました。

違和感をおぼえて、断りたいとき、どんなふうにNOを表明するのか、そしてそのあとに、どうリクエストを出すのか。

相手が良い人で、お世話になっていることを感謝していることと、でもそれに参加できない、YESと言えない、ほんとうはこうしてほしいと思うことは別のこと。

 

それぞれに深く、大きなものを受け取ってくださっていたことが、シェアの時間に感じられて、ありがたかったです。

 

同じように行動しようとか、廃止の運動をしようという呼びかけではなくて、意図したのは、NOを言うこととリクエストを出すことが自分を大切に生き、希望をつなぐことになるよ、ということでした。

 

 

自分でも印象に残っているのが、前夜に降ってきたこのフレーズ。

NOを言いリクエストを出すことは、規範や役割に閉じ込められている相手を自由にし、より人間らしさを促すこと。

勇気を持ってNOと言う。そしてさらに信じてリクエストを出す。

リクエストは、「どうせ聞いてもらえないに決まっている」からではなく、
たとえば「わたしたちはお互いに子どもたちの健やかな成長を願っていて、そのために共につくり、協力し合いたい。わたしたち同士も大切にしたい」という望みから、具体的に出す。

だから自分にとってクレームや非難や争いにはならない。(相手の受け取り方はコントロールできないけれども)

 

 

ライチさんが「個別具体の話をすると、普遍が生まれる」とおっしゃっていましたが、まさにその通りのことが起こっていました。

一人ひとりの背景や気持ちが大切にされ、聴いてもらえて、他の人の話が自分にとても関係し、見えないところで大切なものを渡し合っていることが感じられるあたたかい場、これこそがわたしたちが見たい世界なのではないか。

説得や脅しは必要なくて、対話が連れて行ってくれるのではないか。

 

 

これが表現をする側から見える世界なのだなぁ、とも思いました。
わたしというドキュメンタリーを演った。

様々な経験やそのときの感情や自分の変化を味わい観察し、表現として昇華させる。

パフォーマンスとして観せる。

 

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昼の部の冒頭でも話したのですが、わたしがこの会でシェアしてみようと思えたのは、友人が5年ほど前に、ある出来事を通して、お子さんが通う学校とのやりとりをしたときの経験をシェアする場をひらいてくれたことがありました。

わたしは当時、小学校と何か重大な問題が発生していたわけではなかったのですが、言語化しづらい違和感や漠然とした不安を抱えていて、参加しました。

その場で、友人が語ってくれたこと、出来事と感情と解釈を聴いた体験、それに対して感想を話し合ったり、質問をした体験は、とても大きくあたたかく、わたしを支えてきてくれたのでした。

それがあったから、わたしも今、このシェアの場をひらいたほうがいいのではないかと思えた。

 

そう、「あのときあの場があったから、今のわたしがある」という体験。

人間を生かす上で不可欠なものの一つだと考え、場をつくる仕事をしています。

 

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この2回の場を経て、また一層、世界への信頼が高まったように思います。
この試みに参画し、一緒に場をつくってくださって、ありがとうございました。

 

このテーマ「NOとリクエストを考える」は、とても大切なことなので、この先も継続的に発信できるような仕組みがないか、ライチさんと相談しているところです。

またご案内できるときがくれば、と思います。