ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

メスキータ展がよかった話

楽しみにしていたメスキータ展に行ってきました。東京ステーションギャラリーにて

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オランダの版画家、素描家、デザイナー、美術工芸家で、エッシャーの師匠だった人。

 

わたしはエッシャーの初期の版画が、子どもの頃からそれはもう大好きでした。
この黄色の画集もいつから持ってるんだろう。もう何回ひらいたかわかりません。

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だからメスキータ展はぜったいに来ないといけなかったのです。

 

メスキータの作品を見てみて、「あーーーやっぱりエッシャーは、先生の影響がでかかったのかーーー!!」という感動に、まずはうち震えていました。無限の愛さえ感じてしまった。

が、それだけでなく、もっと他の懐かしさも出てきました。
ドリトル先生の挿絵(版画じゃないけど)、
司修装幀&版画のミヒャエル・エンデ「サーカス物語」、
長谷川潔、ルドン、ヒエロニムス・ボス、谷中安規...。


あの、ちょっと奇妙で怖い、どきどきするけど、目が離せない、見てはいけないものを見たような感じ。異形のもの、闇を背負ったもの、向こう側の世界、醜さ、幾何学的な構成にぴったりハマりこんだときの一分の隙もない息苦しさ…。

どうにも惹かれてしまう。あれなんだろうなぁと思います。

 

誰にとってもグッとくるのかはわからないけど、わたしだけの経緯から、今回の展覧会は、かなり好き。

「白と黒の緊迫した世界!」とだけイメージしていると、そうではない作品のほうがたぶん多くて、でもそれがまたメスキータの魅力なのだな。版画もよかったのだけれど、ドローイングがまたよくて。

 

人となりについては作品から感じるしかなく、あれこれ想像しながら観ていた。ユダヤ人のメスキータは、1944年にナチスに捉えられ、一家三人とも強制収容所で亡くなるという最期。生き延びていたら、弟子とどんなコラボレーションがあったろうね。

 

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...とここまでは当日の感想。

 

 

一夜明けて、図録を見たり読んだりしていると、またいろいろと感想がわいてきたので、つらつらとメモ。

 

美術史

・芸術家って時間を経て発掘され続ける存在でもあるのだなぁ。歴史はあとからでも生まれるっていうか。そう考えると、美術史学って、考古学でもあるし、文化人類学でもあるのかしら。

 

 

図録のありがたさ

・図録っていつもありがたいなぁと思っているのだけれど、メスキータのような、まだ知名度が高くなく、全貌がわかっていないアーティストのことを、最先端で、まとまって文章を掲載してくれていると、さらにありがたい。

 

・よく知られているアーティストであっても、展覧会の切り口は毎回違うし、研究の成果がその都度更新されていっているのだろうから、やっぱり図録を隅々まで読むと、おもしろいことが書いてある。専門的すぎてわからないところは、適当に飛ばして読めばよい。

 

・展覧会場の構成が、あるテーマをもったかたまりだった場合、図録であとから年代ごとの作風の変遷やその時代背景などを辿り直せるのはありがたい。今回は「メスキータ紹介(メスキータっぽい作品)、人々、自然、ウェンディンゲン、空想」という構成だったのだけれど、制作年はバラバラなので。

 

・メスキータ展に限らず、「タイトルは本人がつけたものではなく、カタログの編集者や展覧会の主催者が、作品を特定するという都合で便宜的につけられらたものもある」というのは、もっと知られていいことだと思う。鑑賞に慣れていない人が、「タイトルと作品の関連がわからない」と言っているのを聞くから。そういう事情もあるから、タイトルってあんまり深刻に受け止めなくていいですよ、と言いたい。

 

 

エッシャーの寄稿

・一晩たって残っているのは、メスキータの、常に探究、実験、実践、の姿勢。そう思って図録を読んでいたら、1946年にエッシャーも尽力してひらいたというアムステルダム市立美術館でのメスキータ展のカタログへの寄稿が掲載されていて、その中でも書かれていた。師への敬愛でもあり、同じアーティストとしての尊敬でもある箇所。図録P.207から引用。

メスキータはあらゆる因襲にとらわれず、長いあいだ使われたきた決まったやり方や、経験や習慣によって用いられてきた素材を使う方法の、価値と長所を自分で探りだした。なぜ凹版は、金属板で作られなければいけないのか?他の素材では、目覚ましい結果が出ないのだろうか?こうしてメスキータは、例外的に、ドライポイントをセルロイドで作ったり、ガラス板で、写真的な版を作ったりした。凹版を凸版として刷ったらどんな効果がでるのか?彼が木版のように刷ったエッチングを見てほしい。

 

・きのうステート(State)が何枚も展示されている意図がほんとうにピンとはきていなかったが、図録P.207から引用したエッシャーの原稿のこの箇所を見て、ようやく理解した。「描く」とはまた違う、「刷る」の表現の奥深さ、世界の見え方、を垣間見たよう。

ところで、批評精神によって常に生き生きしている彼の性格のなかで、きわめて大事な要素のひとつは、変わらぬ自制心であり、その自制心が、もっとも力強い表現が達成される時点で(それ以上線を足そうものならたちまち弱くなってしまう時点で)、制作をやめるという素晴らしい直感をもたらしている。決定的瞬間に、制作から自らを引き離し、作品をそのままにしておけるだけの感受性と強さを十分に持ち合わせた芸術家は、あまりいない。 

 

・きのうは、「生き延びていたら弟子とのコラボも...」と思ったけれど、強制収容所で亡くなったのが75歳。拘束される時点で、病気もあり、すでにかなり体力的にも弱っていたようなことがエッシャーの文章からわかる。そんな状態の人を...という点からも、いろいろと感じざるを得ない。

 

メスキータの作品と同時代性

・きのうはエッシャーがメスキータの系譜を継いでいった感じにばかり注目していたけれど、メスキータの作品としてしっかりと感じると、モチーフ自体への関心が聞こえてくる。文様化、装飾化はしているけれども、ガウディのような、建築物として成立させつつ、揺らぎもあって、詰め過ぎない感じがある。メスキータが1868年-1944年、ガウディが1852年-1926年。同時代性あるだろうなぁと思う。

 

・同時代性でいえば、アール・デコアール・ヌーヴォー、アーツ・アンド・クラフツ運動の影響もある。

 

・そういえばエリック・サティが似合うなぁと思って、脳内再生しながら観ていたのだけれど、サティは1866年-1925年だから、これまた同時代なのだな。

 

 

版画についての関心

・「刷りという作業が肉体に負担をかける」「刷る作業が身体的に辛くなって」、60歳を過ぎてからは版画はやらなくなって、晩年は主にドローイングだったと書いてある。刷る作業のその負担感というものや、体力を使う感じってどういうことなんだろう。詳しい人に聞いてみたい。

 

・同じ関心で...図録にあったの美術史家・佐川美智子さんの『「版画家」としてのメスキータ』の文章中、p17の「リトグラフ」に関する箇所を読んで、これってどういう感じなのか、もう少し知りたくなった。自分でやってみるとわかるのか?

リトグラフという技法は石版石ないし加工された金属版に描いた図柄がそのまま製版できることが銅版や木版との最大の違いであり特質である。製版や刷りという描画以降の作業は熟練を要するため、専門の刷り工房にまかせることが多い。その意味で画家にとってはもっとも実践しやすい版画技法といえるだろう。

 

・小学校の図工の時間で木版をやり、一昨年ぐらいに息子の美術教室でドライポイントをやらせてもらったのや、TVの番組かなにかで山本容子さんが解説してくれていたものなどを見て、なんとなく版画の仕組みみたいなものはわかるのだけれど、いまだにわかっていないのが、「シルクスクリーン」。どこかで一度体験したいと思っている。

 

・版画といえば...で、ここ行ってみたいなーと前から思っていたのを思い出した。

町田市立国際版画美術館

太田記念美術館

すみだ北斎美術館

 

*追記
伊藤若冲の版画、カッコいい!京都国立博物館蔵。

intojapanwaraku.com

 

 

昔から好きだったものが、また広がりを与えてくれて次につながる。

今回も幸せな鑑賞体験でした。

 

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