ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

その表現のためには〜高畑勲展がよかった話

ちょうどよく時間が空いて、気分ものったので、高畑勲展に行ってきました。

takahata-ten.jp

 

最近思うけど、観たい展覧会や観たい映画などは、会期が長いものでも「行こうかな!」という気分に自然に、「スッとなった」ときに行った方がいい。一番受け取れるから。

「いや、まだまだやってるから、きょうじゃなくてもいっか」とかやってると、いつの間にか終わっていたり、まぁそれに人間いつ死ぬかわからないから、やりたいことがやれる条件と気分が整ったら、迷わず行ってみたらいいよなーと思う。

 

 

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感想。

たいへんによかった。期待以上。評判どおりのボリューム。よくぞ!

展示品だけでも十分情報量は多いんだけど、でもやっぱりオーディオガイドも借りてよかったな。そうか、情報量が多いからこそ、一本通ったストーリーをもって見所や歩き方をガイドしてくれるものがあるといいのか。

 

気づいたら、3時間近くみていました。


しかもなぜかずっと涙ぐみながら。なんの涙か自分でもよくわからない。
めちゃくちゃ高畑勲作品のファン!というわけでもないのだけれど、と思いながら。

 

わたしは作画の過程とか、作品ごとのキャラクター設定メモや、制作現場の熱量みたいなものを見に行きたいのかなと思っていたんです。「メイキング」のような。

でも実際に体感したのは、そういうものではなかったな。

 

●わたしの鑑賞メモより

すること、しないこと
大切にする
キョウユウ
明瞭に説く
理解し合おうとする
信念
期待と感情
人間らしさ
人間として自然な動作、仕草、振る舞い、筋肉の動き、表情
リアリティとは
意図を徹底するためのレイアウトシステム
人にどのような影響があるか
その表現のためには
共につくる
理解されないということに耐えていく

 

 

ちょっとうまく書けないんだけども、「作品世界をスタッフと共有する」のコーナーにある、登場人物の感情の推移を波形や図形であらわした「テンションチャート」や「香盤表」、人間の関係性と個別の感情の図解が凄まじかったです。

わたしは全展示品の中で、これが一番戦慄しました。

 

 

●いくつかの印象的なフレーズ

物語の進行に伴う緊張と弛緩、静と動、感情の起伏などのポイントをスタッフと共有する。

 

高畑は自らも追求してきた密度を上げていくリアリズムが、行きつくところまで行ってしまい、その進化の果てに観客の想像力の余地を奪っているのではないかという危惧を1990年代から抱きはじめます。

 

本物を見せていないにもかかわらず、本物に見えることがある。

 

人間は常にもっと想像力がある。客観化されている絵でも、それを通して感情移入してきた。人物の気持ちの中に逆に入っていけば、感情移入できる。人間はそういう能力を持っている。

 

線の途切れ、肥瘦(ひそう)、塗り残しこそが重要

 

驚いたのは、「かぐや姫の物語」は、「ぼくらのかぐや姫」というタイトルですでに1960年ごろに構想があったということ。そのノートにこうありました。

・こうして作ったものがcomiqueでなく、drôleな感じがして、不思議な虚無感が漂えば成功(わたし注:drôle 英語でいうところのfunny?)
・話しの進むにつれて次第に濃くなるかぐや姫の人間的感情に注目してみた」

・そこでまず私は「竹取物語」の魅力をなしているものは一体何なのかを考えることが必要と思われたので、ひとまず忠実に原典にあたってみることにした。

 

 

 

一旦最後まで見て、また最初のかぐや姫の構想に戻って、ものづくりの真髄のようなものを、この展覧会を通じて、巨匠から垣間見せてもらったような気持ちになりました。

ちっぽけなわたしにさえもある哲学と信念をもってものづくりをしていくんだぞ、と力強く握手してもらえたような。

膨大なメモも、妥協なき作品づくりへの一歩一歩なのかと思うと、メモ魔のわたしとしては、大いに勇気づけられる。

 

図録は展示とはまた異なる構成で、資料も解説もコラムも大変充実しているので、もっと知りたい!って方はぜったいお得です。

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その中で、p226 主催者である東京国立近代美術館の主任研究員、鈴木勝雄さんの言葉が、そのまま本展のメッセージだなぁ...。

アニメーションという表現の可能性を、半世紀におよぶキャリアを通して持続的に切り拓いてきた高畑勲。その革新性を深く理解したうえで、高畑が残した豊穣な作品世界に出会う/出会い直す機会を提供し、時代を越えて響く思想のエッセンスを受けとめるためにこの展覧会は企画された。

 

 

わたしの幼少期に関して言えば、大人たちは「戦争の傷の治療中」で(今もまだ絶賛治療中・精算中)、世界は冷戦や内戦という「戦時中」で、子どもたちは厳格な家父長制の下で、今とはまた別のしんどい時代を生きていました。

そこにあって高畑勲たちの目指した、「子どもたちの心を解放するアニメーション」。
知らず知らず救われていたと思います。

 

そういえばわたしの保育園バッグは、「母をたずねて三千里」だった。
会場でばっと思い出して、記憶喪失だったのが、戻ったようなぐらいの衝撃でした。

あと思い出したのは、小学校の頃の遠足の帰りの観光バスの中では、たいてい「じゃりン子チエ」のビデオが流れていた。寝たい子は寝る、寝られない子は「じゃりン子チエ」を見る、みたいな。



 

きのう印象的だったのは、老若男女問わず、誰もが真剣な眼差しで展示品に見入っていたこと。
共に鑑賞していることに、とても温かな気持ちになったのだよね。
わたしたちは皆、濃淡はあれど、なんらかの形で高畑勲作品とつながり、育まれてきた当事者だから。

表現者と同時代を生きたことの幸福がある。

 

思いと意図と表現のつながりを、その場で確認して味わえる構成がよかったです。

企画してくださって、ありがとうございました。

 

悲しい偶然だけれど、京都アニメーションの事件があって、同じアニメーションという世界のクリエイションにふれられて、慰められました。

 

 

お土産。クリアファイルコレクションに。

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ハイジの山小屋の再現コーナーやアルプスの山々のジオラマなどが撮影ポイントなのだけど、わたしはこの日スマホの充電が切れていて、撮れませんでしたー。

 

 

こちらの記事で紹介した「アニメなんでも図鑑」を読んでおくと、より理解が進むかもしれないです。ちょうど今、NHKの朝ドラ「あおぞら」もアニメーターの話だし。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

こんな展覧会もあるよう。静岡と三重。

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ホルスの大冒険は観たい...。ヒルダの描き方はこの展覧会観た人はぜったい気になるよね。。

 

8月末から公開。「キリクと魔女」のミッシェル・オスロ監督。これも観たい〜 
ただ美しいだけじゃなくて、骨太のメッセージがありそう。

child-film.com

 

 

 

 

 

★おまけ★

今シーズンの東京国立近代美術館は大変よいです。
▼MOMATコレクションは、
高畑勲展ともつながる企画の11室・動くか?動かないか?」
6室・"戦争/美術"は終戦記念日に向けて対話したい
9室・古屋誠一は個人的に思い入れがあるし
小コレクションの「解放され行く人間性」もよいです。

▼きょうはそこまで行きつけなかったけど、工芸館も夏休みに向けて子どもと楽しめる企画展をやっています。

https://www.momat.go.jp/cg/


▼また、サマーフェスと題して10月まで金土は21時まで開館。夜の時間の中で観るとまた違う過ごし方になります。おすすめ。2Fのテラス前のジュリアン・オピーの作品は夜見るとまたいいです。ちょうどオペラシティ・ギャラリーでも展示あるし。

https://www.momat.go.jp/am/exhibition/summer_festival2019/