ひととび〜人と美の表現活動研究室

他者の表現にふれることから、自分の中にある美の感覚にもふれてみる、自分の美を表現してみる。みんなで探究する鑑賞の場づくりを通して考えることなど。

書籍『ぼくはクロード・モネ』

モネの「睡蓮」を鑑賞するとき、どんな機会があるだろうか。

美術のムーブメントとして、関連する画家の他の作品と並べて同時代性を感じることもできる。たとえば印象派展として。

 

ある実業家が寄贈したコレクションの展覧会で、その目利きぶりや好みの共通性やコレクションの意図や願いを他のコレクション作品と並べて感じることができる。たとえばフィラデルフィア美術館展として。


または、同じ作家の作品を頻繁に観るようになったときに、その画家個人の人生におけるその一枚の絵としても捉えることができる。たとえばクロード・モネ展として。

 

いずれの場合も、ある作品とそれを作った画家に最初に興味をもったときに、手にとってみたい一冊がこちらだ。展覧会により親しみをもって関われる。形状は絵本だが、子ども向けに限定されているわけではない。


「ぼく」という一人称でクロード・モネ本人が自分の画業を物語る形をとっている。
生まれてから亡くなるまで、家族や画家仲間などの人間関係が紹介され、時代の変化と共に画風も変化していく流れや、その時期を代表する作品などを、本人が説明していってくれる。

 

ちょうどこちらの本を読んだところで、人はなぜ物語を求めるのか、人間が物語だと認識する要素は何か、何が物語る価値があると認識されるのか、などを考えていた。

 

モネの絵本のように、「一人称を主語に、本人が人生を時系列で語っており、さらに有名な出来事や事物をつなぎながら、因果関係や起承転結を交えながら語っている」と認識したときに、人は耳を傾けるべき物語だと判断するのかもしれない。

 

もちろん史実に基づいて、それらをつなぐために、作家の気持ちや上京については想像を交えているところも多々ある(あります、と本でもことわり書きがある)。しかし、ここでは、事実かどうかよりも、「理解できること」を優先する場合、その正誤は重要でなくなるところがおもしろい。

物語として聞くことで、逆に「語られなかったこと」への想像も膨らむ。

 

挿画は絵本画家の個性を発揮しながらも、モネの作品を再創作してくれているのだが、これもまた物語る作業と似ていておもしろい。再話だ。
再話によって、ディテールは省かれるが、モネが「何をどのように表現したところが秀逸だったのか」ということがにわかに立ち現れてくる。

 

詳細な説明ではなく、簡略化する。物語るために必要な分だけを抽出することで、

関心を向けられる、理解できる、扱えるようになる。

物語のもたらす効果は大きい。

 

巻末も充実している。
「作品ギャラリー」人生の節目になった作品の図版が数点掲載されており、
「作品をたどる」小さな図版で年代を追って変化していく画風・画法がみられる。
「地図」「友人とキーワード」「年譜」など、展覧会の図版ほどの情報量はないが、必要な分量だけがあって、シンプルで読みやすい。

 

 「画家ものがたり絵本」としては、もう一冊フェルメールゴッホも出ているようだ。ぜひ他の作家の話も読んでみたい。