今この時にこそ、読むべき一冊。
わたしは「戦争を知らない世代」などでは決してない。
たとえば、わたしはベトナム戦争収束の翌年に生まれた。
10代を、冷戦とその後の揺れの中を生きた。
ソビエトのアフガニスタン侵攻、イラン・イラク戦争、スーダン内戦、パナマ侵攻、エチオピア内戦、ルワンダ内戦、湾岸戦争、ユーゴスラビア紛争、チェチェン紛争、東ティモール紛争、アメリカのアフガニスタン侵攻、イスラエルのガザ侵攻、シリア内戦......書ききれないほど多くの戦争、紛争、内戦、テロリズム、報復攻撃を目撃してきた。
世界で唯一の核爆弾の被爆国の国民として、見聞きし、学んだこともたくさんある。
国家間戦争や植民地侵略の中で行った加害、受けた被害の疵が癒されないまま世代を超えて受け継がれているとも感じる。
曾祖父母、祖父母、親から自分へ伝わったもの、自分が人生を通して向き合ってきたもの、子の世代へ手渡すまいとしてきたこと、残念ながら手渡さざるを得ないもの......。
なぜこのような社会・世界の有り様なのかを知りたいとき、人類の歴史を「あるテーマ」で串刺すことで見えてくるものがある。
戦争はその中でも最も大きな核となるものと言ってもよいかもしれない。
とりわけ今、知らねばならないことがある。
特に国家間戦争から対テロリスト「戦争」へと移行した20世紀後半から21世紀の戦争について。
戦争のイメージ自体を刷新することが急務だ。
今まさに目の前で起こっている、起こされている戦争や軍事行動、政治、経済の動きには、どのような歴史的経緯があるのか、
誰が首謀者で、
何が目的なのか、
どのような手法や技術なのか
その根底にある思想は。
世界は戦争と共にこの先どのように変化していくのか。
わたしたち、わたしとどのような関わりを持っているのか。
目を凝らしてゆかねばならない。
不明瞭だった領域に、力強く引かれた補助線のような本だ。
一概に戦争といっても、争い合う集団の性格や利害をまとめる枠組みは時とともに変わり、それに伴って戦争の仕方も変わってきました。何度も言うように、現代のわたしたちがふつう「戦争」という言葉で想定するのは、近代国家の枠組みができてからの戦争、いわゆる国家間戦争であり、国民同士の戦争です。その枠組みがヨーロッパででき上がってから二世紀半、それが世界中に広がってから一世紀余、いくつもの戦争を経て世界の構成状況そのものが大きく変わり、技術や産業の発展もあって人びとの生活の仕方も変わってきました。ところが、世界の物理的ないし制度的な条件・状況が変わっても、人の考え方(想像力)はなかなか変わりません。とりわけ人びとの生き死にを巻き込み、愛憎や犠牲などの情動を伴わずにいない戦争についての議論は、条件が大きく変わった現在でも、なおプリミティヴな、あるいは安直な旧時代のモデルに囚われた戦争イメージに引きずられがちです。
だからこの講義では、現在の戦争がどのようなものなのかを理解するために、世界の状況の変化につれて戦争はどう変わってきたのかをたどってみました。(西谷修(2016)、おわりに、『戦争とは何だろうか』ちくま書房、p.184-185)
2016年の発刊。
その後の戦争の変化も加えて解説された、2019年の100分de名著も非常にわかりやすい。