ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

分解された浮世絵世界〜肉筆浮世絵名品展@太田記念展美術館 鑑賞記録

太田記念美術館の肉筆浮世絵名品展に、最終日、滑り込みで行ってきました。 

 

開館40周年記念 太田記念美術館所蔵 肉筆浮世絵名品展 ―歌麿・北斎・応為 | 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art

 

太田記念美術館 (@ukiyoeota) | Twitter


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経緯

今年は太田記念美術館に行こう!と思っていたときに、ちょうど観たい作品がきたから、というのが行った理由。

以前から「太田記念美術館はいい!」という噂は聞いていたけれど、なかなか浮世絵に興味が持てずにいたのです。

そう、ここは浮世絵専門の美術館。

うーん、浮世絵に興味が持てないというか、好きな絵もあるけれど、持ちきれずにいるというか。

 

それが去年少し変わってきました。

発端は東京の水道の歴史について、調べたことをラジオで配信したこと。

これまで約20年暮らしてきた東京の成り立ちや歴史に興味を持つようになりました。

note.com

 

その勢いで20年ぶりに江戸東京博物館に行ってみたら、すごく楽しかった。
息子がちょうど社会で東京の歴史を勉強しているので、一緒に観に行ってみたら余計に楽しかったです。

ラジオの中でも話しましたが、わたしは東京の出身ではないので、「社会の内容が違うんだ!」ということにまずびっくりしたのです。

そのときになんとなく、「次に入ってみる道は浮世絵かも?」とふと思ったのでした。
知っているようで、知らない。
絵画、彫刻、音楽、演劇、芸能......いろいろなものを鑑賞してきた、見聞きしてきた今なら、おもしろく見られるのかもしれない。

 

東京ではいろんな美術館や博物館でしょっちゅう浮世絵の展覧会がひらかれていますが、今回の展覧会に食いついたのは、メインビジュアルが、葛飾応為の「吉原格子先之図」だったため。

commons.wikimedia.org

 

葛飾応為のことは、数年前に人からおすすめされて読んだ杉浦日向子の『百日紅』で興味を持ちました。 

 

そして、2017年のNHKドラマ『眩〜くらら、北斎の娘』を観て夢中になりました。

www.nhk.or.jp

 

応為のことで言えば、女性の芸術家で名を残している人が少ない時代の、「描かれる側だけではなかった女性」のことをもっと知りたいという気持ちがあります。

サラ・ベルナールの世界展も行って感想を書きましたが、そんな感じで引き続き、探求していきます。

 

 

太田記念美術館と展覧会について 

・公式の概要はこちらにあります。

・原宿/明治神宮前にある私設のミュージアムです。アクセス至便!

・14,000点の浮世絵のコレクションがあります。常設展はなく、企画展のみ。毎月展示替えがあって、お宝を順繰りに見せてくださる感じ。1ヵ月なので、観たいな〜と思ったときに行かないと終わってしまいます。

・海外流出を嘆いた実業家の太田清藏さんがコツコツと集めてこられたそう。
やはりこのような篤志家の存在が、文化芸術を支えてきてくれたのだなぁ。
そのあたり、今の時代はどうなっているんだろうか。

・浮世絵といえば分業制の版画のイメージが強かったのですが、絵師がすべてを一人で描く肉筆画もある。浮世絵は版画と肉筆画の両輪で、この両方が多数所蔵されていて、なおかつ保存状態が良好な、この美術館が日本にあることは貴重とのこと。

・ガラスケースから作品がかかっている壁までの距離が近くて、ほんとうに間近で見ることができます。

・1980年1月に開館し、2020年1月に開館40周年を迎えるということで、今期は開館記念の肉筆画のお宝とも言うべき作品が展示されていました。

 


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感想

今回はほんとうにいろんな発見がありました。

●「吉原格子先之図」は意外と小さい

思ったより小さかった。調べてみたら26.3×39.8cm。

小さくて繊細で、見飽きない。一人ひとりに役(Role)が与えられているような。ベラスケスの「ラス・メニーナス」のような謎めいた絵。

二次元の絵画なのに、細やかな動きや音が聞こえてくる。

表現がモダンでクール。陰影、明暗。

「格子之先」の女性たちよりも、格子の手前にいる明かりに寄ってくる男性たちのほうが、身をのけぞらせたり、くねらせているように見える。滑稽でもあり、淫靡でもある。

見ているのは男だけではなくて、女もいる。

足元を明かりで照らしている少女、禿だろうか、一人だけ格子のほうを見ていなくてなんとなく気になる存在。

見れば見るほど、いろんなことに気づいていく。

この一枚を見て、複数人で「これはなんだろう」「ここからこういう印象を受ける」「こういうことを言っている評論家がいる」「この頃の女性の絵師ってこうだったらしい」など、あーだこーだと話したら、すごく楽しそう。

他の来館者の皆さんも気になると見えて、この絵の前ではどうしても立ち止まってしまうので、館員さんから動くように何度もうながされてしまった。

 

・掛け軸、表装、表具の世界

まるで着物の柄や色の組み合わせ方のように多種多様で、絵画と一体の世界観を作り出している。テキスタイル、刺繍、織り、布テープのようなもの、和紙。

とにかく作りが細やか!

もしかしてこれは天井画の柴田是真(ぜしん)の作品を真似た?と思われる表装もあって、真偽を知りたいところ。柴田が活躍したのが、江戸〜明治中期なので、あり得る!

掛け軸って全体を見ないと魅力が半減するのではないか?というぐらいの豪華さ。

西洋画の額装とはまた違う感覚のようにも思える。

表装にはまた表装の技術や決まりや美学があって、もしかしたら流派のようなものもあるのかもしれない。表装、額装についても今後注目していきたい。知りたい。

 

・浮世絵の女性の顔が苦手だった!

目が細くつりあがって、唇が突き出ていて、顔は面長で...。今の(わたしの)美の感覚からすると「わかる」「近い」感じがあまりない。

浮世絵とは庶民的なものだから、まぁ当時の流行りやいい感じってこうだったんだなぁ、みんなこういうのが好きだったんだなぁ、と思いながら見る。漫画やアニメでもその当時の流行りの描き方はあって、時代が変わると感覚が「今」じゃなくなっていくことは多々ある。

だから、浮世絵って日本の漫画の流れの途中に確かに君臨していたものだとわかる。

でもたくさん見ているとクドい。観光地でカリカチュアの似顔絵を見た時の気分に似ている。うん、やっぱりこれが正直な感想!

今の感覚でもcool!と思うのはやはり、歌川広重葛飾北斎葛飾応為小林清親だった。対象に現実味があるのが好きなのかも。あくまで好みの問題。

 

・肉筆画は漫画の原画展

肉筆画をみているときに、漫画の原画展(これとか)に行って、「やっぱり原画ってきれい〜印刷されたのと全然違う〜」となったことを思い出した。

やはり漫画の由来の一つに違いない(持説)。

 

・遊女、遊郭、吉原

もしかすると今回の最大のお土産がこれだったかもしれない。

隣で見ていた女性二人が、「なんかこういうの見ると複雑な気分になるのよね。だって公設の遊郭だったわけでしょ。華やかだけれど囚われていて。禿みたいな小さな子どもも、いずれああいうことをするんだって間近で見させられてる。今の感覚から言えばなんとも言えないわよね」というような話をされていた。

そのときに「そう!!まさにわたしも!!そこをどう考えたらいいか、ずっとわからないんですよ!!」とその方々とハイタッチしたい気持ちになりました。

独自の文化を生み出し、既存の芸能や芸術を発展させた土地、場所であるのはわかっていて、でも一方で、今の時代感覚から考えると、複雑な気持ちにもなる。それを時代が違うからといって飲み込めるほど、今、その複雑さが解消されてはいない。。

後日、台東区立中央図書館に行ってみたら、郷土資料のコーナーでちょうど吉原細見の展示をやっていた。細見(さいけん)とはガイドブックのこと。
どこの妓楼にどんな遊女がいるか、そのランキング、金額、などが書いてある。

吉原についてまとめた棚もあって、方向性で言うと、
・吉原の文化やしきたりの紹介。美麗で豪奢で大人の粋な社交場!
・吉原や遊女への負のイメージは小説や映画の影響受けすぎ!実際は違った!
・吉原の遊女の悲劇どん底物語

など、ほんとうにいろんな切り口の本があった。
うーん、きっとどれもほんとうなんだろうな。

わたしは漫画『花宵道中』の衝撃がすごすぎて、あの世界観からまだ抜けきっていないのかも。圧倒的に美しくも儚く悲しいっていうのが、苦手といえば苦手...。

 

・着物を見る目が変わった

最近、競技かるた用に着物と袴を購入して、はじめて袴の着付けを習ったり、着物について教わったりしている。

そういう今の自分から見ると、
すごい布の量だな!
このだらっと、ゆるやかで、ぐしゃっと着る感じが遊女のたおやかさを表したいのかな?
この柄とこの柄、この色で組み合わせるのかー!

といった感じで、一枚一枚を見た。

もしかしたら当時の人びともファッションスナップ的に浮世絵を見ていたのかもしれない。こういう着方やポーズがおしゃれなんだ、自分じゃ着ない(着られない)けど素敵〜♪などおしゃべりしていたのかもしれない。

着物を観察する目をスライドさせていくと髪飾りや、持ち物や、室内の調度品などにも目がいく。当時の生活や風俗がわかる。

着物に親しんで来なかったので、これまではあまりそのあたりに目がいかなかったのだけれど、自分が体験した途端、視界に入ってきて、あたらしい発見を得られたのはおもしろかった。

 

・地下の視聴覚室で流れている解説映像は必見

浮世絵の成立や歴史、作家の特徴についての30分の解説映像がわかりやすかった。

 

木版と肉筆から生まれた浮世絵の流れ、江戸の大火事「明暦の大火」からの大復興と江戸への資本流入、墨一色刷りから、朱を基調とした複色刷り、大量に版木を使い分業化していった多色刷り、絵師の登場と成功者と代替わり、浮世絵の盛衰、、

特に絵師の名前って、単体でバラバラでしか自分の中に存在していなかったのが、

"まず菱川師宣が初期浮世絵を興して、その後流派が別れて大阪出身の鳥居派と......、鈴木春信が大きな影響力を与え...、喜多川歌麿...、東洲斎写楽が...、と続き、浮世絵の幕末に葛飾北斎歌川広重歌川国芳・歌川国貞が活躍....、国芳門下の月岡芳年は洋画を取り入れ...、河鍋暁斎小林清親...."と追って説明してもらえたことで、わたしの中にも流れをもって組み込まれていった感じ。

この解説映像がかかっているのは、毎日かどうかはわからないので、行く前に確認されると確かです。

 

 

ふりかえり

・「浮世絵」というざっくりとした捉え方だったものが、いくつもの軸や切り口で細分化され、自分の中で体系立てられた展覧会でした。浮世絵を見る楽しみ方が少しわかった!という感じ。これは大きな収穫でした。

・「好き嫌いで見ちゃいけない、それは美的発達的に稚拙」という言説にどこかとらわれていた自分がいたけれど、好き嫌い、得意苦手は、やっぱりある。そこを受け入れることではじめてその先に行けると思う。

・太田美術館の4月〜5月の月岡芳年展が楽しみになった。前期と後期で展示替えとのこと。こんなんも見つけてしまった>https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/18054

2018年練馬区立美術館...これは今あったら絶対に行っている!

・2020年はオリンピックもあるし、東京でやるから、浮世絵も盛り上がっているのかも。東京都美術館で7月〜9月までThe UKIYO-E 2020が開催。
https://ukiyoe2020.exhn.jp/

 

フラグが立っていると視界に入ってくるし、立っていないとほんとうに入ってこない。脳の仕組みやご縁っておもしろい。

 


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イベントのお知らせ

そういえは日本書紀ってなんだっけ?〜出雲と大和展@東京国立博物館 鑑賞記録

東京国立博物館の夜間開館で、〈出雲と大和〉展に行ってきた。

izumo-yamato2020.jp

 

twitter.com

 

 

行くことにした経緯

このチラシを見たときに、学生時代の友人が松江出身で、出雲の話をよくしていたのを思い出しました。「昔の出雲大社は巨大だった。神殿は雲をつくように高く建てられ、階段が長く伸びていたんだ」と。

彼女とは一緒に出雲大社に行きました。当時はあまり勉強していかなかったけれど、特別な土地だということは感じました。

一昨年末には伊勢神宮にも行ってみたり、短歌、和歌からの流れで古事記にもふれたり、日本の神話や仏教も勉強テーマとして常にあります。

ということで、こんな関心から行ってまいりました。

  • ここで「出雲と大和」の関係を見ておくと、またつながること、わからないこと、知らないことが出てくるので、探求が深まるだろう。
  • 古代が現代にどのような影響を与えているかの理解にもつながるはずだ。
  • 昨年興味が深まった「正倉院展」の少し前の時代を訪ねられる!

note.com

 

 

おすすめ鑑賞スタイル

●公式サイトで展覧会の概要をざっとおさえる。なぜ今これを?何がテーマ?

https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1971

●公式サイトのブログで見所をおさえる。会期がはじまったからこそ言える学芸員さんや研究員さんの推し品を読む。

https://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/category/108/

●平成館入って右の映像ガイダンス(約12分)を見る。これでだいたい体験の流れが掴める。そして何の実物を見に行くのかを予習できる。これを見ておいたから、実物を見てみて思ったより小さい、本物の美しさがすごい、などがわかる。

●荷物はコインロッカーに預けて軽装で。

●オーディオガイドは借りる。博物館では特に解説パネルのテキスト量が多いので、耳で聴いたほうが楽な人はぜったいオーディオガイドがおすすめ。

●日本語を読んでもスッと理解できないもの、単語や固有名詞の難しいものは、英語の解説を読んだほうがわかることがある。

●メモを取る。小さな!や?を自分だけにわかるようにメモ。会場はペン類不可のため、鉛筆を持っていく。バインダーもあると尚良。

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売店も楽しい。わたしはクリアファイルをコレクションしているので、今回はこちらを。


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●体験を話し合う。行った人と感想を話す。

●体験を発信する。書く、話す場(機会)を予め決めておく。

 

 

感想

・巨大な神殿はあった。1/10スケールの模型があったけれど、1/10でこれか!!が体感できてよかった。やはり作ってみるってすごく意味がある。実物は高さ48m(16階建てのビルに相当)、階段の長さ約109m。

・巨大な神殿は鎌倉時代の造営だった。鎌倉。それまでも大きいのを作っていたのか、この時代だけ何かがあって?こうしたのか。

・日本史のメインの年表だけを辿っていると、なんだか戦ばかりしていたようなイメージがある。こういう支流や底流で動いていたもののことを知って、イメージが覆っていくのが楽しい。

・勾玉を英訳すると、Comma-shaped bead(magatama)になるらしい!ビーズ。そうだよね。beadsはもともと祈りという意味。

・ブログに書いてあった通り、後半の第二展示室には仏像がどっさり。奈良、飛鳥、平安時代のものばかりなので、素朴であったり、大陸からの伝来の影響が感じられて好み。これの前に東洋館や本館で開催中の特別展とのつながりも感じられる。

・伎楽面の展示もあり。前回の正倉院展で見たものとはまた少し違った趣。

 

 

浮かんだ疑問 

◆そういえば日本書紀って何だっけ?
会場についてあれっ?!てなってしまった。

日本書紀が編纂されて1,300年記念の展示。

古事記』とどう違うんだっけ。
対象にしている時代と目的と形式が違うのだったっけ?
これを端的に教えてくれる資料に会いたい!

...と思ったら、サックリ出てきましたよ!
さすが奈良!わかりやすい!聞かれ慣れてる感じがある!

古事記と日本書紀のちがい|なら記紀・万葉

 

 

◆出雲と伊勢の関係ってどうなんだっけ?

出雲と大和の関係はわかったけど、出雲と伊勢の関係って?
基本のきが知りたい。

この本を読めばわかるのかな??

 

◆銅器を使った祭祀って?

銅矛、銅剣、銅戈(どうか)、銅鐸、銅鏡を使った祭祀って実際にはどんな感じだったんだろう?

お墓に埋めたのはよくわかったけれど、儀式的なものの再現したものを見てみたい。

 

◆出雲は、墳丘墓のあとどうなった?

大和では、前方後円墳が作られるようになって、その後は百済からの仏教の伝来によって寺院が建てられて...という流れはわかったけども、出雲では銅器による祭祀(カミマツリ)から、四隅突出型墳丘墓の上でのマツリになって、その後は?

出雲でも前方後円墳や寺院が作られるようになったのか、やはり出雲大社を中心とした祭祀が続いていったのか。

 

 

 

 

考古展示室がすごい

多くの人が特別展を観て、けっこうエネルギー使って帰っちゃうかもしれない、または他の博物館や美術館にハシゴするかもしれないんですが、ぜひ平成館1階の考古展示室に行ってみてほしい!

少なくとも今回だけは!!

東京国立博物館 - 展示 平成館

 1階の考古展示室では、考古遺物で石器時代から近代まで日本の歴史をたどります。縄文時代土偶や、弥生時代の銅鐸、古墳時代の埴輪など教科書でみたあの作品に出会えます。(東京国立博物館HPより)

そう、つまり、さっき上で観て知った展示を、
・そもそもの「基本的な流れ」として見せてくれて、
・間が空いているピースを埋めてくれたり、
・上ではサラッとしか触れられていなかったことを詳しくみせてくれたり、

しているので、より理解が深まります。

 

ここだけで一つの博物館になるぐらいの圧倒的な展示数と充実の内容があります。
写真も撮れるし(一部不可)、解説パネルもまとまっていて入ってきやすいです。
歴史の教科書が立体空間になってるみたいな感じかな。

特別展と常設の考古学、の2つ合わせて行って、わたしの場合は2時間半〜3時間ぐらいでした。(参考にならんか...)



▼はにわが目印

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ふりかえり

特にものすごく古代史が好き!というわけではないけれど、古代を紐解いていくのは楽しい。今回思ったのは、

・今当たり前にあると思っているものが、実は千年、二千年前の人が意図的にやったことの結果だとわかると、見える景色が違って見える。

・古代の遺物から新しい発想がもらえる。

・おもしろいなー、なんでこういうふうにしようと思ったんだろう?きっとこんなことを考えたんじゃないか?と妄想しているだけでわくわくする。

・今の感覚で捉えると「遠い」と感じるような距離でも、同じものが形を変えながら海山超えて伝播していくことのすごさ。人間ってもっともっと「できる」んじゃないか?という希望が湧く。

 

今回もよき学びでした。

宿題になったことは、また必要なタイミングで出会えていくはず。

 

 

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おまけ。

 

わたしが大好きなトーハクをもっとおすすめしたい。そのためにはこれです。

年間パスポートはほんとうにおすすめ。

以前持っていたカードが期限切れになっていたので、今回更新しました。

プレミアムメンバーズカードは、5000円で1年有効。
国立博物館(東京・京都・奈良・九州)の常設展を見放題

・特別展無料観覧券が4枚もらえる

・特典の観覧券がなくなったあとも、団体料金で購入可。だいたい200〜300円引きになる。

東京国立博物館 - 東博について 会員制度、寄附・寄贈 メンバーズプレミアムパス

「特別展に年3回は行く、常設展も気軽に寄りたい」という方におすすめ。

 

 

2020年4月から常設展の入館料は値上げとのこともありますしね。

theory-of-art.blog.jp

 

 

 

夜間開館で鑑賞するのにぴったり。

こちらの記事でも書いたけれど、やはり夜間開館はすごくいいです。わたしは大好き。

16時半からの上野公園 - ひととび〜人と美の表現活動研究室

ワヤン、人形劇、東洋館 - ひととび〜人と美の表現活動研究室

場づくりをはじめてから、時間帯や所要時間とロケーションの関係、それらが体験に与える影響はものすごく大きいと感じています。

展覧会によっては昼間に行くときもあります。

毎週金曜、土曜日は21:00まで開館しています。

他にも特別な夜間開館日などもあるので、公式HPの開館時間で確認してみてください。

 


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イベントのお知らせ

hitotobi.hatenadiary.jp

《レポート》2/8 あのころのいじめとわたしに会いに行く読書会、ひらきました

ご案内していた読書会、ひらきました。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

大人になって、「いじめ」について真摯に対話した経験がない、という人が多い、という感触があります。

わたしもそうです。
「いじめ」事件の報道を見て胸をざわつかせても、そのことについて誰かと話をしたことはあまりなかったと思います。
話題にしても、「ひどいね」「つらい」を超えられない。

かといって、あらたまって語るのも、怖れが大きい。

だからこそ場が必要。
本、小説、物語の存在が必要。

安心、安全に語れる場です。
物語の世界を経由して、あのころのいじめとわたしに会いに行ってみませんか?

 

 

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当日は、さまざまなきっかけや気持ちでご参加くださった4人と

タイトルどおり、会いに行けました。

あのころにのいじめとわたしに。

みんなで。

 

皆さんが今まさに、ある気持ちを感じて、言葉にして、出してくださっていました。

思い出して苦しいこともあれば、忘れられない喜びもある。

 

もう大人になったから、できることがたくさんある。

方法もいつの間にかたくさん知っている。

大事なことを忘れちゃっても、また思い出せばいいだけ。

不安になったら頼ればいいだけ。

 

ハードルを超える覚悟を持って、真剣に対話して、動かす。

それが楽しいし、生きる希望だと思う。

 

変化を怖れず、分かち合いながら、近くに遠くに、同じ時を生きていこう。

 

 

企画を持ち込み、一緒に場をつくってくださったUmiのいえの斎藤麻紀子さんが感想を綴ってくださっています。皆さんからのご感想の紹介も。

麻紀子さん、ご参加の皆さん、ありがとうございました。

www.facebook.com

 

 


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(※作品の複写は会の終了後に回収し、廃棄しています。)

 

 

 

場づくり的には。

企画検討から、作品選び、作品の鑑賞と解釈、背景のリサーチ、ファシリテーション計画、資料の準備、心身のメンテナンス、当日の進行まで、

鑑賞対話の場を営むファシリテーターの務めが果たせられて、安堵しています。

 

今回は、単行本で40ページほどの短編小説を、会場に着いてから読んでもらうという方法にしました。

事前にタイトルはお知らせして、読んできたい方は読んできてもらってもよいというふうにする。選べるように。

自分で読むときの1.5倍ぐらいはとるようにしています。今回30分はちょうどよかったです。

 

 

選書理由

この小説にした理由はいくつかありますが、例えばこんなことに気をつけて選書しました。

・陰惨ないじめのシーンや心情描写が主になっていないもの。(特に身体的なものや言葉などで、読んでいて苦しくなりすぎると、その先に行きにくい)

・いじめの構造が見えやすいもの。

・こどものいじめ・大人のいじめ、リアルのいじめ・オンラインのいじめ、を扱い今の時代に沿った設定であるもの。

・第三者介入の手段を示しているもの。

・誰でも何かひと言感想が話せる、自分の体験と結びつきやすい。(あのころのいじめとわたしに会いに行ける)

・揺さぶられても、希望がある。

・20分〜30分で読める。

 など。

素晴らしい作品でした。

 

 

作品を通した対話だからこそ

暴力、犯罪、宗教、性やジェンダー、病や障害、介護や看取り、生殖医療…など、生命や存在に関わるようなテーマ、扱いに細心の注意が必要なテーマも、作品や表現を通した対話によって、他者との分かち合いが可能になります。

どんな表現形式の、どの作品を取り上げるのかも、ファシリテーターの専門性になります。

場づくりのご用命をお待ちしています。

 

 

参考図書

誰もがもっているいじめの当事者体験(さまざまな立場があります)を、大人になった今、どのように変革に活かすことができるか。

また、人間や人間の集団の機能や構造として備わっているものだとして、どのようにそれをよいほうへ導いていけるか。

という観点から、参考になる本をご紹介しました。

 

 

進行スケジュールとグランドルールのメモ。
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今回用につくった資料。
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ファシリテーターと鑑賞対話の場をつくりませんか?
・本や映画や展覧会や舞台の力を借りて、考え学ぶ場です。
・目的、作品の選定、プログラムの設計、対象者の設定、会場、ファシリテーション計画、宣伝など、鑑賞対話ファシリテーターとディスカッションしながら組み立てていきましょう。
ファシリテーションのお仕事依頼は、概要をお送りください。
・ご自身の企画やファシリテーションのご相談は、対面またはZoomでセッションいたします。30分・60分の枠いずれか。
 
コンタクトフォームよりお問い合わせください。

映画『ライファーズ ー終身刑を超えて』鑑賞記録

映画『ライファーズ終身刑を超えて』を観た。

chupki.jpn.org

 
2/11に『トークバック 沈黙を破る女たち』でゆるっと話そうという場をひらくにあたり、同じ監督の前作も観ておこうと思ったからだ。
 
「観ておこう」というとエラそうだ。
いや、ずっと観たかった映画だった。
見逃していた、観る機会がなかった、観る勇気がなかったのといろいろあって、ようやく巡ってきた機会、というのが正しい。
 
1月下旬から公開されて話題の『プリズン・サークル』の坂上香監督の劇場長編映画の第1作目が、この『ライファーズ』。
 
アメリカ、カリフォルニア州で、終身刑の受刑者を映したドキュメンタリー作品だ。
刑務所、終身刑、受刑者、犯罪、刑罰など、日常生活の中で身近でない人のほうが多いのではないかと想像する。
でも、だからこそ、観てほしい。
 
 
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感受性の鋭敏さは人それぞれではあるけれども
少なくとも苦手なものの多いわたしでも、なんの不安もなく最後まで観ることができた。
怒鳴り声や叫び声や金切り声、身体的・精神的暴力、手持ちカメラの揺れ、不安を煽るような音楽は、一切なかった。
それぞれの、過去を語るシーンなどはあったけれども、生々しすぎて耐えられないということはない。
 

むしろ、そこにあったのは、

真摯な言葉の重なり、ごく当たり前の痛みと悲しみの感情、温もり、愛、希望。

 

劇場からの帰り道は、あたたかさと、やるせなさが交互にやってきた。

人間性、尊厳の回復、生き直しは可能だという希望。

それと同時に、目眩がするような暴力の連鎖の根深さ。

自分の人生経験に深く食い込み、あちら側とこちら側に分けられない、行き来するような感覚もある。

「じゃあこういう場合はどうなるの?」
「もしわたしが加害者や加害者家族や、被害者や被害者遺族なら?」

という問いも次々に生まれる。

 

映画の中で印象的なのは、皆、真摯で誠実な言葉を重ねていた。
受刑者、更生プログラムを実施する人、家族、被害者、被害者遺族。

本当のことを話す、ジャッジせずに受け止める、

ということがこの映画の中には貫かれている。

 

そのおかげで、今まで理解が困難だった
加害者とは何か、
更生とは何か、
なぜ公判で罪の意識を感じたり、遺族に謝罪の気持ちが生まれる様が見られないのか、

ということの手がかりを見つけたような気がする。

 

まるであの人たちはわたしのもうひとつの姿なのではないかと思った。
それから、わたしは本当のことを話しているだろうか、と自問した。
 
『プリズン・サークル』を観た友人が、同じようなことを言っていた。
この映画が気になっている方は、ぜひ友人の感想を読んでみてほしい。
わたしもトークバックで対話の会をしたら、『プリズン・サークル』も観に行く予定だ。
 
ライファーズ』と『プリズン・サークル』を並べることで、共通と相違を見出し、さらなる対話が広がる。
もちろんそこに『トークバック』も含めたい。 

この三部作の問いかけを、大切に受け止め、わたし自身の言葉で真摯に語りたい、とあらためて思った。 

  

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サブタイトルの「終身刑を超えて

どういう意味なのかな?とずっと思っていた。

英語のタイトルは、LIFERS -Reaching for life beyond the walls

映画を観たあとに覚えたこの手触りとこのタイトルとの関係を、まだうまく言葉にすることはできない。

ただ、どちらのタイトルも、その言葉の襞の奥にあるものを表していて秀逸、ということは確か。 

 

「自分の中に平和を築けないと苦しみが終わらない」

 

 

あとから確認したこと。

終身刑とは、アメリカ合衆国カリフォルニア州における終身刑とは。

終身刑とは、刑事上の有罪判決 に基づく処罰であり、国家に対し人を生涯、つまり死ぬ まで刑務所に収容する権限を与える刑罰を意味する。(終身刑:政策提言特定非営利活動法人 監獄人権センター)

・仮釈放のない終身刑、仮釈放のある終身刑が存在する。
・仮釈放の制度のある終身刑であっても、却下され続ければ、実質「受刑者が獄死するまで収容し続ける」ことになる。

・日本における無期懲役も、終身刑に含まれる。

・リンク先の文書によれば、アメリカにおける終身刑の受刑者の数は他国と桁が違う。アメリカは厳罰化の傾向にあり、終身刑受刑者の人数は年々増加している。

・死刑制度の代替として採用している国や自治体もある。

 

アメリカにおける終身刑は、

州の刑事法は、州憲法に基づき、州ごとに制定されており、地方色が強い。(Wikipedia

ライファーズ』本編では、(おそらく2002年当時の)カリフォルニア州では、受刑者が500万人おり、そのうち10%の50万人が終身刑の受刑者とのことだった。

カリフォルニア州では、死刑制度が存置されていたが、2019年3月に一時停止が決定された。(米国:カリフォルニア州知事 死刑執行を一時停止 : アムネスティ日本 AMNESTY )しかし、連邦レベルでは、16年ぶりに死刑執行が決定されている。(https://www.bbc.com/japanese/49123965

政府、政権の動向により、刻々と変化していく。こちらの論文も参考になる。

 

知識がなくても映画を観ることはできるが、
疑問がわいたら、このあたりのトピックも辿ると、
より理解と学びが深まることと思う。

 

 

 

シネマ・チュプキ・タバタでの上映は2020年2月14日まで。

ぜひ観て、そしてあなたの周りに対話を起こしてほしい。

そうすることであなたの周りにサンクチュアリが生まれる。

chupki.jpn.org

 

 

2月11日(火/祝) 19:05-『トークバック』でゆるっと話そう
 
 

_____________

 

ファシリテーターと映画上映会や鑑賞対話の場をつくりませんか?
目的、作品の選定、プログラムの設計、対象者の設定、会場、ファシリテーション計画、宣伝など、鑑賞対話ファシリテーターとディスカッションしながら組み立てていきましょう。
ファシリテーションのお仕事依頼は、概要をお送りください。
・ご自身の企画やファシリテーションのご相談は、対面またはZoomでセッションいたします。30分・60分の枠がございます。
 
コンタクトフォームよりお問い合わせください。

書籍『スケープゴーティング』ほか 〜集団心理を学ぶ

以前調べものの関係で読んだ本が、新型コロナウィルス感染症に対する社会の反応を理解するのに役に立っている。

 

 

 

なんの因果関係もない人が責められたり排除されることなんて、普通に考えたらありえないわけだが、実際には起こる。

 

集団心理、心理に基づく行動を学ぶことで、望まない選択をしなくて済む。

からくりがわかれば不安なもの、怖いものが減る。

自分の生きづらさを理解できる。

人生を他人に奪われない。

 

社会の構成員としての義務と責任は一人ひとりにあるとしても、
「あの人のせい、この人のせい」「この人を罰すればどうにかなる」ほど簡単ではない。

意志というあやふやなものや、強い言葉のスローガン、脅しでは、根本的な解決は難しい。

 

場をつくる、複数や集団の人間とのあいだに機会と関係をつくるわたしの仕事では、理論、体系、構造、機構、制度を学ぶことが欠かせない。

同時に個別具体を見る。丁寧に聴く。

その行ったり来たりを愚直に繰り返していく。

東京文化会館音楽資料室〜専門図書館を活用して自分のテーマを深掘りする

第九の予習会をして聴きに行ったり

noteで「打楽器のいい話」 を配信したりと、

ここ数年、クラシック音楽にふれる機会が多くなってきました。

 

美術に関しては、展覧会に行くたびに歴史を辿り直して、自分なりに少しずつ体系ができてきたけれど、さて音楽に関しては?

  • そういえば音楽の歴史って、あんまりよく知らないかも。
  • 今一番身近になっている西洋音楽史って、どんな変遷なんだろう?
  • 音楽を知ることは、美術を理解するためにもよいのでは?

と考えるに至りました。

 

こういうとき、わたしはやっぱり本から調べます。

上野の東京文化会館に音楽専門の図書館があったことを思い出して、さっそく行ってきました。

www.t-bunka.jp

  

専門図書館の良さは、なんといってもそのジャンルでまとまっている、ということ。

特定の調べ物をするときに探しやすいです。

そしてまだ検索項目がはっきりしないというときにも、棚に並ぶ背表紙を並べるだけで、「そのジャンルの中にどういうトピックが存在するか」がわかることで、次の一歩の助けになります。

 

以前noteで国際子ども図書館の調べ物の部屋の話を配信しましたが、それと同じですね(こちら の26:40から)

 

ざっと棚を眺めてみて、わたしには今、以下のような関心があることに気づきました。

  • 西洋音楽史の概要を流れをもって知り、頻出単語を自分の文脈の中で体系化したい
  • そもそも人間にとって音楽とは何か、音楽の起こりは何か
  • 西洋楽器にどんな変遷があり、それによって音楽や、楽譜や、演奏技術がどのように変化したか知りたい
  • 楽家の偉業ではなく、実際の日々の暮らしはどのようなものだったのか
  • 女性の音楽家はいたのか、どんな活動をしていたのか、なぜ表に出てこなかったのか

 

見つけたのは、こんな本たち。

 

 

閉まる間際に入ったので、棚の本を見るだけで時間切れになってしまいましたが、それだけでも十分ほしかった資料に会えて、ほくほくです。

閉架図書もあり、検索すればもっといっぱい出てきます。

貸出はしていませんが、図書(視聴覚資料以外)のコピーサービスがあります。

じっくり読みたい場合は、書名を控えて最寄りの公共図書館で借りるか、書店で買うかになりますが、それでもこのジャンルの読みたい本にショートカットでアクセスできるのはありがたいです。

 

 

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  • 作曲家や演奏家、曲について調べる
  • 楽譜を見ながら音源や映像を視聴する
  • 東京文化会館の過去の来日公演プログラムを見る

なども叶います。

この図書室は、演奏者やオーケストラや吹奏楽の団体にとっては、パート譜の館外貸出でおなじみの場所だそう。カッコいいなぁ。

 

調べ物のコツがわかると、学ぶことはもっともっと楽しくなります。

調べるために、いろんな場所に行くことにもなりますし、

好きなこと、楽しいことが、どんどん自分の世界を広げてくれます。

自分にしかない探究が、生きる実感と希望を与えてくれます。

 

それは子どもや"学生"の特権などではなく、だれもが持っている可能性の翼です。

そしてライブラリーやミュージアムは、その翼を羽ばたかせてくれるユートピア、知の泉です。

 

 

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会場アレンジ協力者求ム 3/20 春分のコラージュの会

3月にひらく〈春分コラージュの会〉の会場について、アレンジのご協力をしてくださる方を求めています。

下記をお読みの上、こちらのフォームにてご連絡ください。

 

*貸しスペースのみの情報は不要です*

 

◆こんな方を求めています

・コラージュの会のような場、舟之川聖子の場づくりに関心があり、当日フルで参加できる
・会場の当てがあり、利用条件の確認ができる、アレンジ作業が得意またはストレスを感じない
・下見の同行ができる(日程は調整します)
・御礼は参加費から若干割引いたします。近隣や自分の希望するスペースで参加・体験ができる、自分の周りの人を誘うきっかけになる、場づくりに関われる、などをメリットと考えていただければありがたいです。その他ご希望があればお知らせください。
・出張開催とは異なりますので、ご自身が主催者となってコミュニティ等で開催を希望される場合は、別途サービスメニューとしてご依頼ください。

 

◆会場要件

・日程は確定。3月20日(金・祝)13:00-16:30(前後30分設営と撤収に使えると助かります)
・エリアは、東京都内および、都心に近い千葉市さいたま市横浜市等を希望
・大人6人がA3大の用紙を広げて工作ができる広さのテーブルがある(同じ空間なら分散していても可能)
・高層ではない地上階で、窓からの採光がある
・幹線道路や線路に面していない(騒音の問題)
・公共交通機関を使ってのアクセス至便
・公募の有料イベントとして利用可能
・飲食物持ち込み可。またはスペース内で提供されている。
・ゴミを捨てていけると助かります。10Lぐらい出ます。
・特定の宗教・政治的思想・ネットワーキングビジネス組織と関連しない。
・アレンジしてくださる方とその場所に、なんらかの関係や思いがある。
自治体の公共スペースではなく、その場を守っている人がいる場所。

これまでに実施してきた会場を参考に、方向性を見ていただけたら。
KLASS まちの教室
森の食堂(あきゅらいず美養品)※閉業
カフェといろいろ びより
欅の音terrace

 

◆募集の理由

・場所や会場の環境、場所とのつながり(関係)も、場や体験に影響すると考えています。できるだけ自分が「よい」と感じるところでひらきたいです。
・わたしの心当たりで時間貸しスペースを探していくのもよいのですが、どうしても範囲も発想も限られてしまいます。
・もっと自分一人では届かない場所へ、コラージュを持って行ってみたい、アクセスしてみたいという気持ちがあります。
・一番の理由は「飽きる」から。毎回同じことをやっていると慣れや飽きが出るので、長く続けるには新鮮さが必要だとも思っています。

 

◆参考記事

hitotobi.hatenadiary.jp

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

ご連絡、お問い合わせ、お待ちしております。

連絡いただく際は、上記の希望とどのような点で一致するか、明記願います。

やばさの出元を知る〜早稲田大学坪内博士記念演劇博物館を鑑賞する(人形劇、やばい!、コドモノミライ・現代演劇とこどもたち)

暮れもおし迫った12月のある日、

早稲田大学の演劇博物館に行ってきた。

 

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正式な名称は、

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館

http://www.waseda.jp/enpaku/

 

東京に引っ越してきた20年前からずっと行きたいと思っていたところ。

もちろん距離的にはいつでも来られるわけだけれど、館を訪問すること、作品に出会うことなどは、ほんとうにご縁とタイミング。

人生なんでもそうか。

 

とにかく求めているときに出会うのが一番ハッピー!

 

今回アンテナに引っかかったのは、「人形劇、やばい!」展。

https://www.waseda.jp/enpaku/ex/9268/

 

 

わたしは人形劇が好き。

これまで、文楽ワヤンサンリオ映画台湾の布袋戯など、書いたり話したりしてきたけれど、小さい頃から、とにかくなぜだか人形劇に惹かれる。

はじまりはNHKの人形劇だったと思う。

ひょっこりひょうたん島プリンプリン物語人形劇三国志

大学生になってからは文楽を観に行ったし、働きはじめてからはチェコパペットアニメーション映画にも夢中になった。

子どもが生まれてからはプーク人形劇場に連れて行った(これはちょっと怖かった)。

先日のバレエ「コッペリア」も人形振りがあると聞いただけで観に行ってしまった。

 

人形+演劇、人間と人形、人形劇と霊性について。
その秘密について。
いつも知りたいと思っている。

 

ずっと大事にしている本。

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あ、えーと、なんだっけ、、、そうだ、展覧会だ。

 

何から書けばいいのか。

1ヵ月前の話なのだが、まだ胸がいっぱいで、なかなか筆が進まない。

 

まぁでもともかく、当日必死にとったメモを元に、記憶を呼び起こそう。

 

https://www.waseda.jp/enpaku/ex/9268/

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日本における現代人形劇史を一望できる展覧会だった。

一瞬「えっこれだけ?」と思ってしまった、部屋一室、実に小さなスペース。

しかしそこの中身が恐ろしいほどに濃密。震えた......。

人形劇史について、これほど充実した、且つわかりやすい展示は、この先10年、いや20年はゆうに見られないかも。

貴重だった。

 

 

5パートの展示それぞれのふりかえり

 

第1章:人形劇、かっこいい

日本の現代人形劇は1920年代にはじまる。

人形劇というと子ども向けのイメージも強くありそうだが、当時は大人のための最先端の芸術だった。

しかもそれはすでに日本にあった人形浄瑠璃とはまったく別の文脈で、ヨーロッパから持ち込まれたものだった。イギリスからの人形劇団の来日公演が1894年(明治27年)にあったことなども影響した。

それを観に行った歌舞伎役者の5代目尾上菊五郎が、人形劇を真似た「鈴音真似繰」を公演。人間の存在を超えた人形を、人間がさらに演じるという、今では歌舞伎の型の一つとなっている「人形振り」を初めて披露した。

エンターテインメントとしてだけではなく、政治的な主張が人形劇に託されて、前衛芸術家の村山知義が戯曲を執筆するなどした。「やっぱり奴隷だ」「子を産む淫売婦」など、資本家を攻撃する内容で、左翼的な思想を持つ識者から評価される。

今見るとギョッとするような差別的な表現だが、当時は最先端の芸術だった。

人形劇に政治的な主張が込められる、ということはチェコ人形アニメで知っていたが、どこか他人事だった。この展示で一気に自分(の国)事になった。

 

第2章:人形劇、動員される

1930年代には、戦時体制へ突入すると、文化活動の統制、弾圧の激化で芸術としての人形劇の盛り上がりは一気に収束する。人形劇団が職業として成立する土壌が築かれていなかったという面もあった。

1940年代に大政翼賛会が組織されると、芸術の政治利用の一環として、人形劇も「動員」された。大衆の娯楽でありつつ、挙国一致、国威発揚のための宣伝ツールとなった。

特に「指つかい人形」は誰にでも簡単にはじめられるものとして、脚本、作り方、使い方の本が発刊されていた。

父・大和賛平をはじめとする一家を描く漫画「翼賛一家」は、人形劇の他、紙芝居、小説、舞台、ラジオドラマ、楽曲、落語などのメディアと結びついて広がった。

誰にでも描ける、シンプルな図形の組み合わせと親しみやすさが鍵となった。

 

 

第3章:人形劇、かわいく過激

かわいらしい見た目で強烈なメッセージを発することを可能にする人形劇の側面を発揮して、1950年代からNHKのテレビ人形劇は、"過激な"人形劇番組『チロリン村とくるみの木』『ひょっこりひょうたん島』を制作、放映する。

テーマは、プロレタリアとブルジョワ(異なる種族や立場)の対立と共生、政治、戦争、環境問題など実にシビア。

「人間が口にすると問題になるようなことでも、人形であればゆるされるケースというのは案外多い」(寺山修司×人形劇団ひとみ座「狂人教育」)

この流れは、『ねぽりんぱほりん』にも脈々と受け継がれている。NHKお家芸

 

 

第4章:人形劇、グロくて深い

このコーナーが最もグロい。「人間ではなし得ない人形固有の表現」を、普段人形劇を生業としていない作家の表現形式のチャレンジとして用いられることがある。

人形劇団プークによって1972年に初演された別役実の「青い馬」と、ひとみ座によって1962年に初演された寺山修司の「狂人教育」とが展示されていたが、人形の造形からして、人形劇の一番グロい部分をギリギリまで攻めきっていて、物凄い。

今なら人権問題に触れる言葉も表現も多い。当時だからこそできたことではあるが、その表現をもって何を見せようとしていたのかは、関心がある。

人形劇には、何か惹かれてしまう、見てしまう人間の性が隠されている。

そもそも、人間がやったら差し障りがあることを、人形にやらせるという発想がもうエグいというか、危うさがある。そこにまた魅力が宿る。宿ってしまう。

 

 

第5章:人形劇、ひろがる

人の形をしているものを動かすという人形劇から、「ものに命を吹き込む」という捉え方、また創り手や形式、創作方法、上演場所など、現在では多様になっている。

長野県飯田市では毎年市民がつくる人形劇の祭典「いいだ人形劇フェスタ」がひらかれている。飯田市には川本喜八郎人形美術館もある。こちらが先なのか、人形劇フェスタがあるから美術館が置かれたのかは、不明。

 

最後にあやつり人形の操作体験ができるコーナーがあり、鏡を見ながら、座る、歩くなどいくつかの動きを試せた。これ、楽しかった。

 

小さなスペースなのに、連れて行かれた世界の深みがすごくて、ずっとぞくぞく、わくわくしていた。

そう、わたしはこういうのが見たかったのだ!

どうして自分が人形劇に惹かれるのか、わかっちゃった!!

 

人形劇、やっぱ、やばい。

 

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人形劇の情報発信アカウント

菊地浩平 (@kikuchiko) | Twitter

(公財)現代人形劇センター (@puppet_center) | Twitter

UNIMA-Japan 日本ウニマ (@UnimaJapan) | Twitter


人形劇の図書館

http://akapantsu.g.dgdg.jp/ningyoutosho/ninngyoutosyo.htm

滋賀県大津市にあるらしい。知らなかった...!

 

 人形劇の世界、、すごい、、、まだまだズブズブ行ってみたい。

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そしてね、まだ書きたいことが終わらないんですが、、

 

この会期中に、ほぼ同時開催していた展覧会が、これまたすごかったんです。

コドモノミライ 現代演劇とこどもたち

https://www.waseda.jp/enpaku/ex/9247/

 

こちらを先に見ていたら時間がなくなったので、出直して翌日に人形劇のほうを観に行ったぐらいでした。

 

しかし、こちらの展示は、まだ全然咀嚼できていない。

人口減少やグローバル化、社会格差による貧困など、日本のこどもや青少年をとりまく生活環境はめまぐるしく変化し、彼らが、明るい未来を描きにくい社会になっています。こうした状況のなかで、演劇という表現に何が可能なのでしょうか。演劇を通じてこどもたちが希望を持ち、未来へと向かう一助となることはできるのでしょうか。

この大きな投げかけに答えられるだけの受け止めが、まだできていない。

でも、自分と演劇との関係についても、こちらで少し話したけれど、もっともっと対話の場をつくりながら可能性を掘っていけそう。

 

そう、演劇にはまだまだ可能性がある!

 

図録も読み応えがある。展示に行かれなかった方にも、おすすめしたい。

 

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演劇館3Fの常設展

世界の演劇史を順を追って一気に学べる一室があり、これまた、「そうそう、こういうのが知りたかった!」と、夢中でメモをとった。

古代ギリシャ・ローマ劇場
コメディア・デラルテ
シェイクスピア
フランス古典演劇
近代自然主義演劇
ブレヒト不条理演劇
現代演劇
アメリカ現代演劇
ミュージカル

 
もうこの流れと中身のキーワードを押さえていれば、かなりよい土台になる。
これらを元手に読み解けることが増えそう。

この解説がすごくよかったので、冊子になっててほしかったけれど、残念ながらなく。

英語の解説シートはあったので、それに一生懸命メモをとってきた。

 

 

そしてですね、

なんで早稲田大学"坪内博士記念"演劇博物館っていうんだろう?

って思っていたら、なんと、坪内逍遥博士、だったんですね!

小説神髄』の人、としてしか知らず。

もちろんそれも読んだことなどなく。

その半生を傾倒した『シェークスピヤ全集(全40巻)』のことや、歌舞伎やシェイクスピア研究、児童劇の研究や実践に取り組まれていた演劇の人だったことなど、何も知らず!!

 

いやー、知らないというのは実に楽しいことだ!

 

この建築の意匠も、坪内逍遥の発案で、16世紀イギリスの劇場「フォーチュン座」を模したものらしい。でも、どうしてシェイクスピアのグローブ座ではなく、フォーチュン座にしたんだろう?

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なんといってもぜんぶ無料のがすごい。早稲田大学さん、ありがとうございます!!

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早稲田歴史館にも行ってみた。

「人形劇、やばい!」の会場は早稲田大学歴史館の中にあったので、そちらの展示ものぞいてみた。

周りの東京のいくつかの大学出身の人が持っている、母校の大学に対する強いエンゲージメントが、わたしには経験がなくて、ずっとピンとこなかった。

けれどもこういう展示を見ると、納得というか、その出元がわかったような気がした。

 

歴史館のカフェで「早稲田っぽいもの」として、「珈琲研究会ブレンド」をオススメしてもらった。

学内にそういう会がほんとにあるらしい。丁寧に淹れてくださって、美味しかった。

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大学はこの日から冬休みだそうで、のんびりした雰囲気が漂っていた。

スタッフの人が銅像のこと「大隈さん」て呼ぶのもかわいらしかった。

 

會津八一記念博物館には時間切れで行けなかった。また次回!

https://www.waseda.jp/culture/aizu-museum/

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おまけ。バス停の前の不思議な建物。

ガウディのカサ・バトリョみたい。…と思ったら、こんな方の設計だった。

bijutsutecho.com

日本画の大ボス〜横山大観記念館を鑑賞する

横山大観記念館に行ってきた。

 美術館に足を運んでいると、なにかと登場してくる日本画の重鎮、大ボス的存在だが、どのような経歴を持ち、どのような画業の変遷があったのか、あまりよく知らない。

2018年に生誕150周年記念の大回顧展があったのだが、見逃してしまった。

今あったらぜったい行ってるのに!!!

 

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公式HP:横山大観記念館(国指定 史跡及び名勝 横山大観旧宅及び庭園)

http://taikan.tokyo/index.html


台東文化探訪 "台東区ゆかりの巨匠たち 横浜大観"
https://taito-culture.jp/topics/famous_persons/taikan/japanese/page_01.html

 

台東区池之端不忍池を臨むひらけた場所。

建物の前はよく通りかかってはいたのだけれど、開館日時が一般的な博物館に比べて限定的なのでなかなか合わず、そのうちに改修工事に入ったりして、アプローチできなかった。

 

ようやくツワブキの花の咲く頃に訪ねることができた。

 

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この記念館の特徴

自治体ではなく、横山隆氏(大観の孫)をはじめとした大観画伯の遺族により設立された財団により運営されている。

「私の死後この地を個人財産としてでなく、公的な財産として日本美術界のために役立ててほしい」という大観の強い意志に基づいて、大切に受け継がれてきた建物と作品たち。

予算の関係で、大規模の改修を次々にはできないが、元の館の姿をこれほど残しながらも、大観について来館者にできるだけわかりやすく、伝わるような展示にするために、試行錯誤してこられたとの話をガイドさんに聞いた。

平成29年にようやく史蹟認定。大観ほどのビッグネームでも、この国で文化財保全はなかなか難しい問題がある。

 

・大観がこだわって設計した建物、手を入れた庭、日々の作業が行われた部屋。そこにガラスケースなしで展示された選りすぐりの作品。大観の美意識と画業、そして暮らしぶりを、空間からまるごと体感できる空間になっている。

こちらの記事にも描いたが、個人美術館ならではの味わいがたっぷりとある。

 

・私設であること、展示形式等の理由で、開館日時が非常に限られている。

ホームページからカレンダーを確認して、「ここにこの日に行くぞ!」と決めて予定を組んで臨むような場所。そしてその価値があるところ!

 

・開館日には1日3回、ボランティアガイドさんが、館内について丁寧にレクチャーしてくれる。それ以外にも疑問があったときには、答えてもらえる。このガイドさんにまた愛があって、「大観さん」と気軽に呼んでらっしゃるのがいい。やっぱり個人美術館はいい。

 


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印象に残ったことあれこれ。

・数寄屋造の木造2階建て。隣は高層マンション。毎日この景色がみられるのは羨ましい。

 

・館に入るとすぐに飾ってあるポートレイト。42歳、178cm。カッコいい。。

・大観邸に使われている材木はすべて面取りされている。柱、梁、天井、障子、襖、下足入れ、照明器具、とにかく徹底して面取り!!!

 

・庭の植栽は地味だけれど落ち着く。日本に自生している植物だけを、自生しているように植えてある。ツワブキが大好きだっということで、玄関先にいっぱい咲いていた。大島桜や竹林なども移植。盆栽の黒松も鉢からとって直植えしているところがおもしろい。銀閣寺の手水鉢を見て真似て作らせたとかも(記憶が確かなら)。奥にいわれのある灯篭。

自分の好きなものたくさん詰め込んだ庭を作業の合間に見ながら、インスピレーションを得ていた大観を想像する。

 

・この庭が二面から見えるような客間が豪勢。階段を4、5段上がって高くなっている。非日常の演出か。能楽堂のようにも思える。8畳の部屋を京間でとっているので広め。他の生活空間は江戸間にして、限られたスペースにメリハリをつけている。

 

船形天井。囲炉裏。

日本的なものをすべて詰め込んで客人を迎える部屋。

夏目漱石幸田露伴タゴール(インドの詩人)、フランス大使もここでもてなしたという。

 

・庭を眺めるのは硝子障子。下の硝子部分が、座るとちょうど庭全体を見渡せるような位置にくる。廊下兼縁側の硝子戸も、格子が立っても座っても目線を邪魔しない位置にデザインされている。こだわりがすごい。

 

・「習作」について。名前と印がないものは大観が自分作の完成品として認めなかったという。一枚の完成のために数十点描くということもあったらしい。

いきなり本番を描く人だったので、練習でもなく下絵でもないそれらは、いつも書生さんに命じてお風呂の焚き付けにしていたらしい。ひえー。

運良く残っていたものを記念館では「習作」と名付けて展示してある。どこがどうだめなのか、完成品ではないのか、素人には全く判別がつかない。大観研究をされている方ならわかるのだろうけれど。

 

・いきなり美術界にはいかず、建築家を目指したり、東京大学と東京英語学校の掛け持ち受験して顰蹙をかい、東京英語学校に行ったのちに、ふと思い立って東京美術学校を受験して合格し、一期生となる。絵の勉強をしたのは直前の2、3ヵ月という。とても頭がよくて、新しいことが好きで、好奇心旺盛、豪気な人、という印象。

だから岡倉天心を師として、日本美術院創設にもついていったのかも。

 

・中国の明の時代の墨匠「程君房」作、「鯨柱墨」という名前の墨が展示してあった。名器というのはいろんな世界にある。(ヴァイオリンのストラディバリウスみたいな)こういう古いものは「古墨」と呼び、墨の数え方は「丁」と知る。

 

・戦時体制へ協力していて、昭和12年の「国民精神総動員絵葉書」が展示されていた。他にも軍事郵便絵葉書のデザインをしていた。皇室からの依頼で制作したものもあり、銀杯や御礼の品々も展示されていた。

文化、芸術、芸能に携わる人たちが、この時期をどう過ごしていたのか、いろいろなところで見るけれども(たとえば去年行った小早川秋聲展旧東京音楽学校奏楽堂など)、いつも複雑な思いがする。

 

・元書生さんの部屋が売店になっている。「大観のことば」をパラっと開けると、

国粋主義とか、民族主義とかいう考え方より、もっと深いところにある"日本人であるのだ"という個性を腹の底から認める、とでも言いましょうか。(『混迷の日本画壇に寄す』より)

という一文が目に入って、なんとなく買ってしまった。人柄が見える言葉の数々。

岡倉天心菱田春草がだーい好きだったことは、とりあえずすごく伝わってくる。

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・人生の多くの時間を湯島や池之端近辺で過ごしている。もともとは水戸の出身。

・1908年に池之端に自宅を建てる。1945年3月10日の東京大空襲で自宅が消失。その頃熱海や山中湖に疎開していたらしい。戦時中は作品を東京国立博物館に預けたりもしていた。1958年86歳のときに再建。90歳で亡くなる。

池之端で暮らしている期間に、日本美術院の再興などを行った。東京美術学校日本美術院、画家や文士などの芸術家が集まり、交流していた地。目の前はすぐ不忍池。かつての一大遊興地。同時はどのような風景だったのか。ここから歩いて3分ほどの下町風俗資料館に展示があったような気がする。

 

・上野公園の中に黒田記念室がある。ここは無料で鑑賞できるので、ぜひおすすめしたい。当時、黒田清輝率いる東京美術学校と、そこから離脱した岡倉天心横山大観らの熱いドラマがあったのだなぁ、それぞれの思いを感じてみる。

もしもそこに女性の日本画家がいて、対等に活動していたら、また違うことが起こったのだろうか、なども想像する。

 

・2Fの作業場は作品保護のために暗くなっている。ここに展示されていた「生々流転」の「習作」は鳥肌もの。こんな間近に座って見られるのはすごい。

 

・少ない展示品の中にも、日本画の行く末を背負いながら、自分の画の探求を目指した大観の姿が見えてくる。非常に伝統的だったり、モダンだったり、高尚だったり、遊びだったり、ポップだったり。時期により、目的により、いろんな魅力がある画。

 

日本画を訪ねて、山種美術館大倉集古館や島根の足立美術館などにも行ってみたい。大観さんのおかげもあって、さらに日本画にも親しみが深まった。

 

当時の芸術運動を担った人々の気配を感じるような時間だった。

 

 

 

今回もお世話になった、こちらの本。やっぱりわかりやすい!


 たくさんとったメモ。

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次は横山大観の師匠でラスボス、岡倉天心について調べる。
この方のことも、実はよく知らないのだ。





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あーだこーだと味わう、"百人一首が笑っている。" 

読みもののご紹介。

www.1101.com

 

百人一首を知らない人も、知っている人も「へえーーー」となる読み物です。

何回も何回も解釈して、味わって、それでも盤石な存在としていてくれるのが、古典のありがたさ。

だれでもこうやって、あーだこーだと味わえるものです。

むしろそのために、存在していてくれているのだと思います。

 

ちはやふる」の作者の末次由紀さんも、ほんとうにたくさん勉強して、物語を描いてらっしゃるんだなぁと、あらためて驚嘆、尊敬します。

知識はもちろんですが、大きくて深い愛を感じる。

 

この読み物に対して感想を話す、"読書会"をしたくなります。

 

 

3月23日(月)午後、横浜で、

「爽やかな集中感 百人一首と競技かるた体験会」という集いをひらきますが、前半は百人一首にまつわる、このような話をします。

人について人間関係について和歌について、みんなで鑑賞します。

 

Umiのいえでの開催はしばらくありません。この機会にご参加お待ちしています。

coubic.com

 

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映画『何を怖れる』と本とその後 

書籍『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』にまつわる過去の記録。

 

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2015年1月31日_______

友だちと映画「何を怖れる?」を観てきた。

ウーマン・リブ世代の女たちのあの時と今を追うドキュメンタリー。
鑑賞後は、ランチしながら感想を話しあう。

生き様が濃すぎて、一人ひとりをもっと掘り下げて知りたくなったり。
女であること/男であることの自由さと不自由さとは。
フェミニズムって女である自分を認め、受け入れ、愛することなのかな。


映画に登場した彼女たちほどではないにせよ、わたしも激動を生きてきて、これからどうなるのかと大海を彷徨う小舟のように、浮き沈みを繰り返していて...そんなときに観られてよかったな。なぜ今リブを振り返るのか。

本を読んでさらに考えたい。

 

 ◎インタビューをまとめた本。これを読んで読書会をやる予定!
 「何を怖れる――フェミニズムを生きた女たち /松井 久子 」
 http://www.amazon.co.jp/dp/4000241710

 ◎渋谷シネパレスでの上映は2/6(金)まで
 http://feminism-documentary.com/

 

 

 

2015年3月9日_______

読書会「何を怖れる−−フェミニズムを生きた女たち」をひらいた。

今から約40年前に日本でおきた「リブ」活動。
現在よりもっと「女・母・妻はこうあるべき」が強かったその時代に、1人の人間としての「生きる」を追い求めた女性たちがいました。

一人ひとりの魅力的な女性たちの在りよう、それぞれの生きざまを通じて、現代に変わったこと・変わらないことを考えさせられる作品です。

この読書会は先日、主催の3名で映画を鑑賞し、そのあとのランチでも飽き足らず、本を読んでぜひ語り合いたいと、開催を決めました。

本を読んだ or 映画を観た方、一緒に語りませんか?

 
フェミニズムって、誰もが正直に生きることの探求なんだなぁ。

先人たちの明るさ、逞しさ、そしてかわいさに惚れ惚れする。

みんなと話すことで、「女たち」一人ひとりが魅力的になったし、この分野、このテーマを長いことかけて知ってゆきたい、という気持ちになった。感謝

「この本について話したくてたまらん!」という興奮度が、いつも主宰しているブッククラブとは違っていて、それも面白かった。

 

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2016年9月23日_______

映画『不思議なクニの憲法』の上映会に行ってきた。

ドキュメンタリー映画「不思議なクニの憲法」の上映会に行ってきた。

監督は、『何を怖れる』の監督・松井久子さん。

あの映画を見ていなかったら、いきなりは観に来なかったかもしれない。


映画の上映後は、松井監督と上野千鶴子さんのお二人がいらしてのトークと交流会。

松井さんの前作『何を怖れる』を観て友人とカフェで感想を話して、それだけでは飽き足らずに読書会もして、コクヨフューチャーセンターでの上映会も当日ちょびっとお手伝いさせていただいて...ということがあってのきのうだったので、お二人に揃ってお会いできることがうれしかった。

相変わらずサービス精神旺盛な上野さんと、エネルギッシュな松井さん。

そして近隣をはじめ、遠くはドイツ、札幌、佐賀、金沢からもいらした方々の熱に触れてたりもした。

それがわかったのは、一人ずつ自己紹介をする時間があったので。

それが可能なくらいのこじんまりとした座組み。

同じ体験をした人同士が、語り合う場はやはりよい。

諦めなくていいと思えることがまずありがたい。

いろいろ見えてくると絶望することが多いから。

憲法ってわたしにとって生まれたときから当たり前にあるものだから、奪われてはじめて気づくようなことも多いんだろうと思う。

でも今時点で容易に想像できることもたくさんある。少なくともわたしの個人的な日々の営みは、憲法で保障されているから叶っていることばかりだと、映画に出てくる憲法の文章を読み(聞き)直していて感じた。

前文とか特に。ほんとうに凛々しくて好き。

投票に行くことは行動として一番目立つことではあるし、ターニングポイントでもあるのだけど、投票日以外の日々を主権者としてどう生きていくかがまず大切だという話が出た

 

「あなたの生きる環境に民主主義はあるのか?」

憲法の成り立ちとその周辺、そして今の課題についての基礎知識がサクッと入手できる映画だ。

いろんな立場の人にインタビューしているので、観た人はどこかしらにとっかかりが見出せる。

松井さんが、「投票しにいかない人にこそ観て欲しい」とおっしゃっている理由がわかる。

劇場上映が終わったあとも、有志による上映会形式で広まるタイプの映画。

お近くで機会があればぜひ行かれては、と思う。

自分で催したい方もかなり安価で借りられるようにしているとのこと。

5-6人から自宅のリビングのテレビでやるという方もいるらしい。

ああ、そうそう、何事も「こうでなければいけない」ということはないんだな、と思う。大きなホールを貸し切るとか、そういうことでなく。

「普段こういう話がしにくい、けどちゃんと考えたいし話したい」という人にとって、催されている場に出かけたり、自分から催すと仲間を見つけられる。地元でも。

これは別に憲法に限らないけれども。コンフォートゾーンを出ても怖くない、むしろかなり楽しい世界がある。

尊重しながら、真摯に感想や意見を口にできるほうが、かなりコンフォートでヘルシーだ。

観て、語り、悩みあう。その上で、一人ひとりが決める。

▼公式HP「不思議なクニの憲法
http://fushigina.jp/

 

松井さんが「何を怖れる」の読書会のことを覚えててくださって、「あなたたちだったのね!」と。

参加者さんのブログのほうも読んでくださって、あの文章に感激したとおっしゃっていた。

 

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書籍『ものぐさトミー』

わたしが小さい頃に大好きだった絵本。

息子も大笑い。

 

やるなら徹底的にものぐさするトミーがいい。

改心せんかったっていいやん、て今なら思うね。


電動歯ブラシは1966年にはまだなかったけど、2016年には当たり前だ。

 

次の読み聞かせはこれも候補に。

 

時代が彼女を必要とした〜サラ・ベルナールの世界展@松濤美術館 鑑賞記録

サラ・ベルナールの世界展に行ってきた。

松濤美術館

https://shoto-museum.jp/exhibitions/186sara/

 

展覧会に寄せるわたしの期待

松濤美術館の『サラ・ベルナールの世界展』は1月末まで! - ひととび〜人と美の表現活動研究室

 

 

全体的な感想。

フランスの舞台芸術の象徴としての存在が大きい。(日本で言うと誰にあたるんだろう?)

今回の展示で感じたのは、時代が彼女の登場を切望していたということ。

自分たちのクリエイティビティを開花させて、実現させてくれる。

スター性を引き受け、集め、増幅する枯れない泉。

そういう熱狂をひしひしと感じた。

 

しかし残念ながら、期待していたような、彼女自身のクリエイティビティにはそれほどふれることができなかった。

 

サラ・ベルナールにまつわるものはいっぱい集まっている。
証拠写真もたくさんある。

実在したことはわかった。

それまではなんだか、描かれたモチーフとして、虚像しか見えていなかったから、ほんとうにいた人なのかな?ぐらいに遠かった。

今は、実在したことはわかったけれど、わたしの中でまだ像を結ばない。

 

わたしはもっと言葉を聞きたかったのかもしれない。

彼女自身の言葉

彼女についての言葉、証言

女性たちにとっての、サラ・ベルナールの存在。

 

プライベートについてのゴシップ的な眼差しを向けているわけではなくて、アーティストとしての彼女の残した作品、表現、美意識についてもっと知りたい。

彼女の仕事についても。経営者として、プロデューサーとして。

もしかしたら、今のわたしたちから見たら、演技や舞台を見ても、当時の人と同じようには感動できないのかもしれないけれど、それでも。

 

あるいは、そういう記録がないのかもしれないし。

いや、でも生きているときから評伝も出されていたから、調べればすぐにわかることのような気もする。

 

今回の鑑賞でフラグが立ったから、またきっとひょんなところで出会えるはず。

 


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その他の感想をパラパラと。

・入ったところで流れている映像解説が、なんだかいつものようにスッと馴染めなかった。声や話し方もあるけれど、「私生児」「女流」などの言葉が気になった。今まで何気なく耳に入れてしまっていたけれど、芸術の鑑賞の側で見直していく必要のある表現がたくさんある。

・初めて知った事実多数。

 -母が高級娼婦、父は不明(この人では、という人はいる)
 -パリ・コミューンの騒動で出生届が消失し、生年や本名が不明。1840年または1844年〜1923年。
 -母方の叔母のパートナーの助言で、16歳でコンセルヴァトール(国立音楽演劇学校)に入学、22歳?でコメディ・フランセーズ国立劇場)でデビュー。以後60年にわたる芸能活動。
 -44歳?で自分の劇団「サラ・ベルナール劇団」を経営し、55歳?でパリ市立劇場を借り上げて「サラ・ベルナール劇場」とする
 -俳優だけでなく、絵画、彫刻、小説、脚本の製作も行った。
 -ハムレットなどでは男役を演じた。
 -子ども(男)が一人いた。20歳で出産。

 -「自分の贅沢な生活と息子が賭博で作ってくる借金の返済のためにいつもお金を必要としていた」
 -恋人がわかっているだけで16人、夫が1人いた。(全員の写真やポートレートが展示されている)最後の恋人は37歳年下。

 -61歳のときにリオ・デジャネイロで公演中の事故で右膝を痛め、次第に悪化、壊疽を起こして71歳のときに切断。その後も様々な病魔に襲われるが、1年半のアメリカへの巡業など、78歳まで舞台に立ち続ける。

・いろんな才能を発掘したが、ミュシャとラリックは大きい。ミュシャはジスモンダの雑誌特集の挿絵が素晴らしかったのでポスターを依頼。以降6年契約で依頼。ラリックは、プライベートや舞台でラリックの作品を身に着ける。二人が唯一コラボした百合の冠などもある。

・「ジャンヌ・ダルク」のポスターで、くるくるのくせ毛が嫌でストレートボブにビジュアルを変えさせたという逸話。もしかしてコンプレックスだったのかな。

・俳優(芸能人)が商品広告のアイコンになる、ということを大々的に始めた人と言える?「あのサラ・ベルナールも使っているこの商品!」
・写真で見ていると、骨太でがっしりして丈夫そう。顔立ちも体つきも女性的にも見えるし男性的にも見える。恋人に男性も女性もいたらしい。たぶんジェンダーを超える存在だったのでは。
・「装飾過剰で絵画的な興趣に富んだ」部屋の内装。というあたりは、映画『ディリリとパリの時間旅行』にも出てくる通り。実際の写真もそんな感じ。

・恋人と言われていた、画家のルイーズ・アベマが描いた、別荘でのサラの絵にひきつけられた。1921年、死の2年前。背を少し丸めて、どこか遠くを見る、寂しげな眼差し。青い瞳。どんな気持ちで描いた、描かれたのだろう。

 

 

お土産

中学生のときに、友だちがミュシャが好きで、一緒に展覧会に行った気がする。ジスモンダのポスターのことはよく覚えている。

あの頃読んでいた清水玲子さんの漫画に、アール・ヌーヴォーアール・デコからインスピレーションを受けたと思われるファッションが描かれていたから。

似ている!と思った。

 

ハムレット」「トスカ」「メディア」がカッコよかったので、ポストカードをお土産に。

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サラとの次の出会いが楽しみ。

 

おまけ。

ルネ・ラリックの作品は、このあとバトンタッチのようにはじまる展覧会でじっくり味わえる。東京都庭園美術館にて。

www.teien-art-museum.ne.jp

書籍『思春期をめぐる冒険 -心理療法と村上春樹の世界』

人生の謎がするすると解けていった衝撃の一冊。

 

因果関係で成り立つこの世界と、同時並行で進んでいる目に見えないもうひとつの世界との係わりを、村上春樹の作品を引き合いにしながら丁寧に言語化している。

村上春樹の解説本ではなく、あくまで思春期を読みとくための村上作品。

 

これが万人の正解ではないけれど、少なくともこの解釈はわたしにとってとてもしっくりきた。

紹介してくれた友人らに感謝したい。

 

▼わたしが読んだのはこちら。

 

 

▼2016年の増補版「定評あるロングセラーに、近年の村上作品を取り上げた論考を新たに加えた増補版」とのこと。こちらも読みたい。 

 

友人がひらいていた読書会。

 告知 https://ameblo.jp/lychee-tangerine/entry-12239559493.html

 感想 https://ameblo.jp/lychee-tangerine/entry-12260770229.html

この読書会出たのか出てないのか記憶が曖昧だけれど、彼女とこの本の話をしたのはくっきりと覚えている。

 

自分の思春期が癒えたり、子の思春期への怯えがなくなった。
他者との対話から気づくことができる。場(関係と機会)の力。


 

偏執と静謐と〜ハマスホイとデンマーク絵画展@東京都美術館 鑑賞記録

ハマスホイとデンマーク絵画展に行ってきた。

artexhibition.jp

twitter.com

 

きょうの東京は都心でも雪予報が出ていて、降るか降らないかとどきどきしていたが、結局わたしが表を歩いていた時間は降らなかった。

一日中冷たい雨。美術館は人もまばら。
ハマスホイ展に実に似合う。
美術館収入的には痛いところだけれど。

 

 

わたしはヴィルヘルム・ハマスホイのことはあまりよく知らない。
国立西洋美術館の所蔵で、常設展でみかけたことがあるくらいだ。
こちらの「ピアノを弾くイーダのいる室内」。


ただ、スケーエン派の展覧会が2017年に国立西洋美術館であったので、デンマークの絵画の流れについては、そのときにはじめて注目した。

とてもいい展覧会だった。

好きすぎて2回観に行った。
目を閉じると色や光が蘇る。 

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わたしは以前 SKAGEN というデンマークのメーカーの時計を使っていたので、そういう方向からの親しみもある。

SKAGENを"スケーエン"と読める日本人はいないと踏んだのか、メーカーは"スカーゲン"と称している。

似たものとして、ドイツのタオルメーカーのFEILERは、ドイツ語読みをすると"ファイラー"なのだが、見たまま“フェイラー”と読ませている。
メーカー自身がいいなら別にいいのだけれど、ちょっともぞもぞするのはわたしだけだろうか。

 

2008年にもハマスホイ展があったらしい。
見逃したどころか全く知らなかった。
そういえばこの頃は、わたしの人生の中で最も展覧会に行かなかった数年だった。

 

 

今回のハマスホイ展は、かなり早くからチラシがまかれていたので、「背を向けた若い女性のいる室内」や「室内」のビジュアルはなんども目にした。

チラシの謳い文句のように、"静謐さ、繊細な光、洗練されたモダンな感性"などももちろん感じてはいたが、わたしにとっては不気味な印象が強かった。

斜め後ろや後ろから見た、黒い服を着た女性。
ただ立っているだけではなく、何かをしている。
部屋に置かれている物も、何か意味ありげ。
光よりも、影。影というよりも暗がり。

フェルメールよりも、ムンクホドラーのような世紀末感。

19世紀末〜20世紀はじめ。西欧中が芸術のムーブメントに沸いていた頃、「辺境」のデンマークでどんな活動が行われていたのか、興味深い。

 

展覧会で実際にわたしは何を見るんだろう、何を感じるんだろう、と楽しみにしていた。

 

当日は現金の持ち合わせが300円しかなく、オーディオガイドを借りることができなかったので、久しぶりに何も聞かずに、静かに作品と対話した。

 

そういえば、鑑賞しているのは落ち着いて静かな人たちが多かった。
一人で観にきて、メモをとったり、オーディオガイドを聞いたり、一つの絵の前でじっと立ち止まっている人がいつもより多かったように思う。

展示作品によって観にくる人の感じも変わる。


美術館の人にはきっともっとよく見えているんだろう。

 

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展覧会は4つのパートに分かれている。

 1. 日常礼賛 デンマーク絵画の黄金期

デンマーク絵画の流れを知り、

 2. スケーイン派と北欧の光

都市から田舎への眼差しを知り、

 3. 19世紀末のデンマーク絵画〜国際化と室内画の隆盛

「室内画」という当時のジャンルを知り、

 4. ヴィルヘルム・ハマスホイ〜首都の静寂の中で

最後にどーんとハマスホイ、という構成。

 

 

パート1と2。

デンマークの地図をはじめてまじまじと見た。

半島と島の国だった。

コペンハーゲンは島にある。
スケーエン(スケーイン)は半島の最北端。 

自分で地図を書いてみると、少しだけ馴染みができたような気がする。

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hygge(ヒュゲ)という言葉が出てきた。
デンマーク語で「くつろいだ、居心地のいい」という意味だそうだ。

ツイッターでフォローしているデンマーク在住の方がいて、最近その方が出版されたZineの中にも"ヒュッゲ"という言葉が出てきた。
じっくり最後まで読んでから意味を調べようと思ったら、思わぬところで先に知った。

そうか、あの人が暮らしている土地、国の絵画を観にきているんだな。

デンマークという国ではなく、hyggeという言葉でようやく一致した。

 

 

斜め後ろから女の人描くことの流行りみたいなものがあったのか。
ところどころ、日本画っぽい構図を感じるところがあった。

この時代の大人の女性の服は、コルセットかはわからないけれど、腰のところが絞られたドレスになっている。
一方で子どもの服は、腰より低めの位置でマークしたリボンなどが、腹部を締め付けないデザインになっている。

これは先日の文化学園服飾博物館「ひだ展」で教わった通り。

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スケーインのコーナーは、「そう!この色!この空や海や野原の青だよねー!」と懐かしく見た。

ずっと見ていたい。
描いた人もきっとそう思っていたから、伝わってくるんだろう。

海辺の漁師にプリミティブな生命力を感じる、というのは、和田三造の「南風」青木繁の「漁夫晩帰」なども思い出す。

 

 

そしてパート3の室内画のコーナーから、さらにおもしろくなってくる。

19世紀末、あたたかく幸福な家庭生活の象徴として、室内でくつろぐ子どもや親子を描いた室内画が登場する。
それが20世紀近くになるとだんだん無人になり、居室を美的空間として捉える動きが出てきたのだという。

この変遷に、「世紀末」というキーワードが関係するのかしないのか、メインストリームでは盛り上がっていた世紀末というテーマが、この国にも影響を及ぼしていたのかどうなのか、興味深い。
つまり、外界に対する怖れが、室内や家族とのつながり、という内向を生んだのか?という仮説。

このパートには、前衛的で写真を思わせる作品や、吉田博の版画を思わせる風景画なども展示されていて、おもしろい。

一枚一枚が、「あまり観たことがなくておもしろい」作品になっている。

デンマークという土地の人たちの、顔立ち、髪型、ファッション、家具、インテリアなどが、見慣れているフランスを中心とした絵画と違う。

物が少なく、壁もさっぱりとして、空間がひろびろとしている。
花は特別なものではなく、庭に咲いていたものをつんできて活けてある、というような、全体的に生活の手触りが感じられる。
調度品は良いものだけれど華美ではない。
生活を考えて使いやすさと、それでいて美しさもある。

 

スケーイン派の、風景の一部としての人間を描いていた感じに似て、この室内画を描いていた人たちは、人間がいる場合も、室内の一部としての人間を描いているように思える。

ホルスーウの「読書する女性のいる室内」は、画面の多くを占めている読書する女性の醸し出す存在感よりも、椅子の背もたれやバタフライテーブルのほうにまず目がいく。

これは、人物との関係ではなく、空間、環境、雰囲気、空間に満ちているものを見ているということなのだろうか。

 

 

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そんなことを考えながら、扉や窓のデザインが施された展示会場を抜けると、ハマスホイのコーナーに突入する。

 

ハマスホイは、独特の描き方をしているように見える。
横から、下から、反射するような角度で見てみると、小さな四角形の筆の跡が見える。淡い色彩がキラキラとして見える。
まるで無数の薄い雲母の貼り合わせか、織物か、はたまた彫刻のようだ。

その手前まで見てきたデンマークの画家たちとは、何かがとても違う。

 

何もない部屋。
妻イーダがいる部屋。

 

現実世界で「何もない部屋」を見るときでパッと思い出したのは、部屋探しをしているときの内見だ。

開けたときの、静かな感じ。

誰のものでもない空間。

もしここに住むとしたらと想像しながら、間取り、ドアの開閉の具合、日当たりを確認する。

そういう作業をする前の、あるいはひと通りした後の、しんとしたあの感じに似ている。

 

室内空間の静謐さに寄せる、特別の思い。

次第に、日本の家、和室や茶室、あるいは能楽堂などにも通じるところがありそうに思えてきた。

壁にかけられた鏡や絵、机やテーブルの上の花瓶なども、和のものに見えてくる。

 

床の間、茶室、玄関、縁側。

 

ドアを何重にも開け放った室内を描いた絵は、まるで襖を開放して続きの一間にする和室のようにも見える。

連続したものを不自然に分断したり、室内に傾斜をつけたり、暗がりをつくる。

見切れている空間、時空の歪み。

あちらでもなくこちらでもない曖昧な間合いを発生させていて、おもしろい。

 

この世に存在するものを描写しながらも、どこか非現実的なのは、深い内面世界のことに触れている、詩だからなのかもしれない。

来る前は不気味にしか思えなかったハマスホイの絵だったが、実物を見てみて、少し時間をおいてみると、展開があった。

遠い北の国でも、このような詩情を持っている人がいて、今の自分と共感でつながっているとしたら、ちょっとうれしい感じがするぐらい。

偏執的な感じも、もちろん残りつつ。

 

風景画が何点かあったが、それも日本画のように見えてくる。

記憶の中の風景。

 

横山大観が、こんなことを言っていたのを思い出した。

朝夕というようなものも、私は気持を呼び返して画いている。自然を観て、それを直ぐにものにするという事はむつかしい。頭に一杯蔵(しま)って置いて、何年か経って、自然の悪い所は皆消えて、いい印象ばかりが頭に残る。その頭に残ったものを絵にすれば、前に観た自然とは違うが、画家の個性はハッキリと出る。(大観芸談より)

 

年表の中には、残念ながら日本との関連は見られなかった。

しかし、バレエ・リュスのディアギレフがハマスホイの絵画を2点入手していたことのは発見した。

ここでもまたディアギレフ!!
であり、

同時代だったんだね!?
でもある。

 

デンマーク絵画の世界。

また新しい魅力を教えてもらった。



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私はかねてより、古い部屋には、たとえそこに誰もいなかったとしても、独特の美しさがあると思っています。あるいは、まさに誰もいないときこそ、それは美しいのかもしれません。1907年 ヴィルヘルム・ハマスホイ