ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

《お知らせ》3/28 映画『37セカンズ』でゆるっと話そう

3月のチュプキでの開催が決まりました。

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ゆるっと話そうシリーズ第10回

『37セカンズ』

3月28日(土) 19:10〜19:55
シネマ・チュプキ・タバタ(田端)

詳細>>http://chupki.jpn.org/archives/5441

 

 

 

〈ゆるっと話そう〉は、映画を観た人同士が感想を交わし合う、

45分のアフタートークタイムです。


映画を観終わって、 誰かとむしょうに感想を話したくなっちゃったこと、ありませんか?

印象に残ったシーンや登場人物、ストーリー展開から感じたことや考えたこと、思い出したこと。

他の人はどんな感想を持ったのかも、聞いてみたい。

はじめて会う人同士でも気楽に話せるよう、ファシリテーターが進行します。

  

第10回は、『37セカンズ』をピックアップ!

http://chupki.jpn.org/archives/5340


親子、夫婦、家族、友だち、仲間。
障害、性、仕事。
自己承認、自己肯定、自己信頼。
選択、自立。
できること、できないこと。

誰にでも関係のある、普遍的なテーマが描かれた作品です。
見る人の立場や背景によって、光を当てるところがかなり違うでしょう。
この映画よかった!という方も、なんだかモヤモヤしちゃった…という方も、ぜひその違いの豊かさを味わい、分かち合いましょう。

ご参加お待ちしています。

 

日 時:2020年3月28日(土)19:10(17:05の回終映後)〜19:55

 

参加費投げ銭制 ¥500〜

 

予 約:不要。

    映画の鑑賞席は予約がおすすめです。

    http://chupki.jpn.org/archives/5340

 

対 象:映画『37セカンズ』を観た方。

    別の日・別の劇場で観た方もどうぞ。

    観ていなくても内容を知るのがOKな方はぜひどうぞ!

 
お知らせ

・    ゆるっと話そうの時間はシアターの扉を開放します。
・ 状況によりマスクの着用をお願いすることがあります(ない方には提供します)

  

<これまでの開催>

第9回 トークバック 沈黙を破る女たち
第8回 人生をしまう時間(とき)
第7回 ディリリとパリの時間旅行
第6回 おいしい家族
第5回 教誨師
第4回 バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット版
第3回 人生フルーツ
第2回 勝手にふるえてろ
第1回 沈没家族


進 行:舟之川聖子(鑑賞対話ファシリテーター

twitter: https://twitter.com/seikofunanok
blog: http://hitotobi.hatenadiary.jp
hp: https://seikofunanokawa.com/

 

わたしのこの映画の感想はこちら。

hitotobi.hatenadiary.jp

映画『37セカンズ』鑑賞記録

映画『37セカンズ』を観た。

37seconds.jp

 

3月のシネマ・チュプキ・タバタでの感想対話の会、"ゆるっと話そう"で扱う作品。

「これどうでしょう?」とチュプキさんから提案があったとき、わたしは実はピンと来ていなかった。

チュプキさんの推し理由、公式HP、公式twitter、レビューブログ、3月のチュプキの他のラインナップ、これまで"ゆるっと"シリーズで扱ってきた作品、等々を見てみて、最終的に、「37セカンズ」しかないな、というところに落ち着いた。

 

なのに、なんとなく気持ちが「今すぐ観に行きたい!」というほうに向かない。

「はて、これはどうしたことか?」と思っていたのだが、きのう観てみて、理由がわかった。

 

あれだ。

スマホでネットサーフィンをしているときに表示される、漫画の広告。実際の漫画のコマが貼ってあるもので、ざっくり言うとエロ・グロ・気持ち悪い。

パッと視界に入っただけで、気分が悪くなる。はぁ...嫌なもんみちゃった...っていう。

 

「37セカンズ」のあらすじや登場人物の紹介などを読んでいると、いくつかのキーワードから、自分の中で自動的に「あの嫌な感じ」が起動してしまっていたのだ。

 

なんだそういうことだったのか。

ああ、理由がわかってすっきりした。

考えてみたら、チュプキさんから意地悪な映画なんて勧められるわけがない。そもそもチュプキでかからない。

勝手に起動しただけです。

 

 

でも万が一、「この映画はなにやらしんどそうだからいいや」ってなっている人がいるとしたら、それは心配ご無用です。

とても希望あふれるよい映画でしたよ!!!

 

※追記

RatingがPG-12なのは、性行為のシーンが赤裸々、というわけではないです。人によってはそう感じるのかもしれないけど。赤裸々で過激だとR-15、R-18ですしね。

映っている場所や出てくる人物の言動や背景、その理由などが、性行為や性産業にまつわるもの。全編ではないです。知っていたとしても、それを受け止めて自分なりの解釈を加えて理解できる必要があります。低年齢の子どもに積極的に見せる内容ではない、ということですね。


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観終わってまず。

とても息がしやすくなっている自分に気づいた。

 

その理由は二つ。

 

一つは、映画の力。

わたし流に解説すると、『37セカンズ』はこんなお話。

生まれてから23年間、自分らしさを抑えて生きてきた主人公・ユマ。出生時に37秒間呼吸が止まっていたことから脳性麻痺となり、車椅子を使って生活している。

同居する母や「友人」のサヤカも時間を止めた人たちだ。微かな違和感を持ちながらも、他者との境界も曖昧にしたまま、自分の人生を生きられていない。

ふとしたきっかけから、ユマは「外」の世界の人にふれ、自立への欲求を自覚する。

ユマの時間が動き出したことで、ユマに関わる人たちの時間もまた動き出していく。ユマは新たな世界へ足を踏み出す......。

 

ユマが歩む自立の道のりには、ちょっとハラハラするところもある。

けれども、決定的に悪いことや酷(むご)いは起こらないだろう謎の安心感を持ちながら観ていた。実際にも起こらないし、優しさのほうが多い。

ユマのキャラクターが、とにかく正直で健やかでユーモアのあるところがいい。

無鉄砲で世間知らずでピュアなだけの人ではなく、状況は理解していて、感受性豊かで、気持ちを伝える表現をする。自分で責任を引き受けて行動もする。

やっぱり一人の大人として描いている。(あ、そうか、だから安心感があるのか)

 

 

息がしやすくなったのは、ユマの人生がぐぐっと動いていくときの、扉がひらいていくときの、あの大波に乗せられていくときのような愉快な感覚と、自分の情熱を思い起こさせてもらえたから。

わくわく冒険、アドベンチャーだ。

それから、「外」は確かに怖いところでもあるけれど、もしかしたらその怖さって自分の中に作ったものかもしれないよね?ということも。

今、自分は何を大切にしたいんだろう?

 

だから、脳性麻痺、車椅子、障害、性...などは、ユマを構成する上でとてもとても大事な要素だけれど、特異なものとしてフォーカスはしていない。

親子関係や自立や性や働くこと、生きづらさの根源など、だれにでも関係があるテーマが描かれている。

人によって光を当てるところがかなり違いそうで、とにかく誰彼となく感想を聞いてみたくなる。

(ああ、そうか、だからチュプキさんはこの映画を推してくださったのですね!!)

 

 

もう一つは、映画館で観られることの喜び。

COVID-19感染症流行により、日常に制限がかかっている。

先の見通しがきかない。

約束とはもともと不確かさを含んでいるのだけれども、約束を取り付けること自体がゆらいでいる。

予定していたことが中止、休止、延期となり、これからの予定が立てづらくなった。

そもそも人と会って、「向かい合って一定時間話す」ことが最も避けるべき行動として指摘されている現状。わたし自身の日常にも、大きく影響を与えている。

店舗以外の公共スペース、文化施設などが閉館となっている中で、今求めているときに、映画館の灯がともっていることがうれしい。

そこへ身体を運んで映画を観ることができた。この解放感たるや!

もちろん、映画館なりの予防ガイドラインを設けての営業だ。ありがたい。応援している。

 

 

映画館を出てからの帰り道はなんだか、

Hello again, new world!

人生はわたし次第!

という多幸感に包まれていました。

 

 

というわけで、

 

 

ゆるっと話そうの日程決まりました。

感想話しましょう。お待ちしています!

http://chupki.jpn.org/archives/5441

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備忘を兼ねて、もう少し細かい感想メモを置きます。

*この先は、未見の方の鑑賞行動に影響を与える表現が混じっています。

 
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・母と娘:

前日に『ホドロフスキーのサイコマジック』の試写を観ていたので、影響されてる。自分ではない人になる、自分では行けないところに行く。映画自体がそういうものなのかも。この映画の中に、「自分の過去の痛みから、子の(特に性的な)自立に向き合えず、無視する親」というような話が一部出てくるので、つながってるーー!

そういえばこの本、友人からもらって積ん読になっていたけれど、読もうかな。

 

 

・サヤカ:

一緒にいてくれる、才能をわかってくれる、「こんなわたしに」付き合ってくれている、頼りにしてくれている...と、「搾取」や「依存」を間違えてしまっている友だち付き合い。あったあった。するほうもされるほうも。大人になっても、起こり得る。

ユマの自立にあたって、サヤカがどのように変化していくのか、このあとを見てみたい。

 

・ユマの母とサヤカの母:

煮詰めている感情がありそう。特にユマの母から。

 

・母:

もう一人の娘を失ってまで守りたかったのは何か。もしかしたら、出産時からの罪悪感のようなもの?「一人になるのが嫌なだけでしょ」と、自分が子どもから言われたらどうだろう?とちょっとドキドキした。

シェイクスピアが好きなところがいい。この話をできる人が娘以外にもできるようになったらいいねぇ。内職じゃない仕事をする、という可能性だってある。

子どもが自立によって未熟な自分をゆるしてくれて、助けてくれる。子どもってありがたいなと思う。ここは親としての自分で観た。

 

・三人衆:

舞、クマちゃん、トシくん。人生を健やかに営んでいる人たち。とはいえ全く問題を抱えていないわけではないと思う。とにかくこの人たちがいい人たちでほんとうによかったとホッとした。特に舞に出会えてよかった。自分を引き上げてくれる存在。

 

・編集長:

持ち込みの対応に慣れてる感じに痺れる。板谷由夏さん、すてき。作品で評価するシビアさと、逆に言えばチャンスは平等。

 

・由香:

ユマがカタカナで由香が漢字なのはなぜだろう。

 

・トシ:

家に泊めているときや旅行中に何かが起きるのかと思ったが、何も起きなかった。トシの人となりがわかるのが、ラーメンにレモンのエピソードだけで、あとはいるだけ+実行を助けてくれる人。聴く、いてくれる、見ていてくれる。この感じについては謎。もうちょっと掘れそう。「ゆるっと」の当日、話題が出るかな。

 

※思いついたら足していきます。

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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー

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『リーマン・トリロジー』が池袋でアンコール上映中

『リーマン・トリロジー』が池袋でアンコール上映中です。
 
 
NT Liveとは、英国ナショナルシアターの演劇公演の録画が映画館で観られるというもの。
解説およびインタビュー付きで、より作品に入りやすいです。
 
 
・リーマン ・ショックとはなんだったのか?
・どんな物語があったのか?
リーマン・ブラザーズ(リーマン兄弟)とは誰か?
を演劇として表現した作品。
 
 
男性俳優3名が、固定された舞台装置の上で演じ続ける、221分。
途中休憩2回あり。
 
 
金融業界に限らず自分でビジネスを構築した人、
企業組織で働く人、
リーマンショックをふりかえりたい人、
アメリカ資本主義・アメリカ移民の歴史に関心ある人、
「男性」の生きづらさや"Man Box"に関心ある人...などが観たらさぞおもしろいんじゃないかと思います。
 
いや、でもわたしもまだ観てないんですよ。
 
わたしはHSPで、回転物と、閉鎖空間で進行していく心理描写などが最近かなり苦手なので、体調がよければ行きたいです。
 
俳優の一人、サイモン・ラッセル・ビールは、昨シーズンに観たシェイクスピアの「リチャード二世」での怪演が記憶に残っている。
今回もすごい演技を見せてくれると思います。
 
観てないのに(笑)、かなりおすすめです。
NT Liveでも一押しの作品になってました。
 
 
 

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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー

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映画『ホドロフスキーのサイコマジック』鑑賞記録

試写で観せてもらいました、待望の『ホドロフスキーのサイコマジック』!
 
 
今ちょうど観終えたところ。
そういう...そういうことだったのかぁ......と満足の溜息が止まらない...。
  
トレイラーだけ観ているとなんのことかわからず、ほんとうに「荒唐無稽なカルトムービー」みたいに見える。
しかし、本編は至って実直な(?)、サイコマジックセラピーの臨床現場を粛々と一貫して示していく。その中で過去のホドロフスキー作品が断片的に言及されていく。
 
サイコマジックについて逐一、解説をしているわけではない。
サイコマジックの現場を、あくまでサイコマジック的映画として描いている。
 
途中で、「これ観すぎるとなんかやばい世界にいっちゃうのかな、わたし...」と一瞬不安になったりもした。
...というぐらいに、セラピーを受ける人々にある人類共通の苦しみと、そこからの解放と治癒のプロセスは、観る者の無意識にじわりじわりとはたらきかけてくる。
 
そうだ、わたしもそれを欲していたんだよ!!というものを、一人ひとりがテーマを分担して背負って、次々に見せてくれているような感覚がある。
 
やはりキーになるのは、親子、家族。
 
知らず知らずの間に深層に入り込んでいる、ホドロフスキー映画のいつものやつだ。
マジックがかかる。
 
......などと書いているこれは、サイコマジックと真逆の、意識的で合理的な言語なんだが。
 
原題は、PSYCHOMAGIC  A HEALING ART


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人によっては受け付け難い表現かもしれないので、万人にはお勧めしない。

ホドロフスキー未体験で、アマゾンプライム会員の方は『リアリティのダンス』や『エンドレス・ポエトリー』で確認してから入られるのがよいかと。
 
 
求めている人は、間違いなくホドロフスキーの慈愛をビシバシ受け取るだろう。
 
 
2020年4月24日(金)より
アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺、新宿シネマカリテ他、全国順次公開
 
 

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漫画『夜明けの図書館』

「大津絵が好き!」という話をnoteで音声配信したら、

note.com

 

友人が「この漫画に大津絵のことが載ってるよ!」と教えてくれた。

 

 『夜明けの図書館』

 

なんと、図書館司書さんを主人公にした、レファレンスに光を当てた漫画という。

これはなんとしたこと...!

わたしにとって図書館は、ひと言では語れない、いや、一晩かかっても語りつくせない対象。

しかも、人と本をつなげる知の泉、貴い専門職である司書さんが主役の漫画とは...!!

 

これは紹介してもらえてほんとうによかった。

そして大津絵よ、つなげてくれてありがとう。ますます好きになっちゃったよ。

 

 

レファレンスとは、

利用者の"知りたい"を調査・お手伝いする仕事で
図書館において重要な業務なのです

たとえば昔読んだ本をもう一度読みたい(タイトルは忘れてしまったけど)

あるテーマについて詳しく知りたい など(人口推移についてのデータを)

珍問・奇問から難問まで
万(よろず)答えを求められるのです

(本文より)

 

端末を使った検索方法なら、小学生でもできる。

それがヒットしなかったときに、問いかけて引き出して、思い当たる引き出しをどれだけたくさん持って、ネットワークを駆使して、知りたいことに近づいていけるかに、専門職の手腕が発揮される。

その専門性を一話ごとに異なる角度から迫りつつ、いち図書館司書の成長を追いつつ、物語として楽しめる。

レファレンス以外にも、図書館のバックヤードがどんな人員配置になっていて、何が行われているのかを丁寧にわかりやすく、物語の途上として違和感なく覗かせてくれている。

絵柄は、派手でなく地味でなく、うまく言えないけれど、野の花を部屋に生けたときのようにスッと馴染んでくる感じ。

 

 

「こんなすごいこと、しょっちゅう起こるわけないじゃん」と思う人もいるかもしれない。

でも、わたしが公立図書館でアルバイトをしていた半年の間でも、いろいろ見聞きしたし、それに、日頃から人の集う現場を営んでいると、信じられないようなドラマが実際に起こっている。

だから同じぐらい、あるいはそれ以上の物語はあるだろうなぁと、わたしなりにリアリティを持って読んだ。

作家さんの取材がとても丁寧なのだろう。

 

紹介してもらった大津絵が出てくるのは、コミック4巻の第15話。

どういう流れで登場するのかと思ったら、縦軸には嘱託職員の立場や扱いへの思いがあり、横軸に大津絵の探索があるお話で、この絡ませ方がなんともよかった。

 

特に印象深いのが、コミック3巻の第11話・病気を抱えた人と図書館の本。

病気を抱え

すがるような思いで

図書館を訪れる人について

深く考えたことがなかった

(中略)

消えていく不明本も

もしかしたら

潜在的なニーズで

利用者のSOSかもしれない

(本文より)

 

わたし自身、類似の経験をしている。

11年前、産後の心身の不調を救ってくれたのが、まさに図書館で、産前に借りたことのある一冊の本だった。

「たしかあのとき借りたあの本に書いてあったはず...」と、藁をもすがる思いで、出産前に借りた本のキーワードを拾って、どうにか検索をかけて、求める場にたどり着くことができた。あのときは決死の思いだった。

あの図書館の、あの棚に、あの本がなければ、今のわたしはいなかったかもしれない。

この経験はたぶん一生忘れられない。

 

図書館は、単に情報の倉庫として存在しているのではない。

この物質としての本が棚に並んでいる、背表紙が視界に入ってくる状態そのものが、まずは人を慰める。

「あなたの抱えている疑問や好奇心や悩みは、この厚みの中にヒントや答えがあります。同じテーマで考えている/いた人間が他にもいるのですよ」...と力強く承認してくれている。

図書館においては、貸し出す・返すという作業の他に発生する、
・探しているものがない、
・もっといろんな切り口・いろんな形式・いろんな時代・いろんな地域の資料が読みたい、
・そもそも何の本が読みたいかわからない、

というモヤモヤこそが宝だ。

 

知りたいとは、生きる意欲そのものだから。

 

生きようとする人。

それに応える本。

つなげる司書。

 

他にも、郷土史を記録する意味、子どもの利用者との向き合い、居場所や交流の場、異文化・多文化共生、学習障害など、今日的なトピックもさりげなく盛り込んで、いっそう図書館の存在意義を伝えてくれている。

 

2020年3月現在、6巻が出ている。

発刊は1〜2年に1冊と、とてもゆっくりだが、こちらもゆっくりとした気持ちで待ちたい本だ。

 

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レファレンスつながりで、おまけ。

わたしが大好きなツイッターアカウント 国立国会図書館レファ協をご紹介したい。

twitter.com

 

レファレンス協同データベースは、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。


目的:

レファレンス協同データベース事業は、公共図書館大学図書館学校図書館専門図書館等におけるレファレンス事例、調べ方マニュアル、特別コレクション及び参加館プロファイルに係るデータを蓄積し、並びにデータをインターネットを通じて提供することにより、図書館等におけるレファレンスサービス及び一般利用者の調査研究活動を支援することを目的とする事業です。(レファ協HPより)

 

ツイートを見てみると、全国のさまざまな図書館に寄せられた、利用者からのさまざまな調査依頼と回答の実例が流れている。

 

いちユーザーとしては、「こんな質問をする人がいるのか、マニアックすぎる!」とうれしくなってしまうし、「確かにこれは知りたい、知れたらおもしろそう」と思うものもある。

それに対する回答に、「こういう回答をしたのか、よくそこまで調べたなぁ」とレファレンススキルに驚嘆したり、「なるほど、こういう観点で調べ方をすればいいのか」と自分が調査するときの参考にもなる。

 

フォローしておくと、ときどき流れてくるツイートに心が和む。おすすめ。

 

 

もいっこおまけ。去年観た映画の感想。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

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《レポート》2/11 トークバックでゆるっと話そう@シネマ・チュプキ・タバタ

建国記念の日で祝日の夜。
シネマ・チュプキ・タバタで「ゆるっと話そう」をひらきました。

お知らせページ>http://chupki.jpn.org/archives/5288

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今回の映画は、『トークバック 沈黙を破る女たち』

舞台はサンフランシスコ。元受刑者とHIV/AID陽性者が、自分たちの人生を芝居にした。暴力にさらされ、"どん底"を生き抜いてきた女たちの現実とファンタジー。舞台で、日常でトークバック(声をあげ、呼応)する女たち。

彼女たちの演劇は芸術か、治療か、それとも革命か?

芝居を通して自分に向き合い、社会に挑戦する8人の女たちに光をあてた、群像ドキュメンタリー。(公式チラシより)

 

この日の上映は満席。

ゆるっと話そうは予約不要で人数制限もないのですが、これはさすがにいつもの2階では入りきらないかも?せっかく来てくださったのに、隣の人と近すぎてぎゅうぎゅうになって不快な思いをさせてしまうのは申し訳ない。

...ということで、スタッフの宮城さんと相談して、同じ商店街のななめ向かいのインド料理屋さんでひらくことに。

お客様にもワンドリンクかかりますが...ということをお伝えしてのご案内となりました。

 

やはりこの映画、語らずにはいられないのですね。

映画の中から、「立ち上がれ!声を上げろ!」と煽られているもんね!^^

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どんな場も必ずなんらかのsensitivityを持っているのですが、この日は特にてんこ盛りだったので、より具体的にグランドルールの共有をしました。

 

・私を主語に話してほしい。
トークバック』という映画の性質が、呼応を求めているから。
でもこの映画で対話するなら、分析的で客観的な関わりよりも「わたし/あなたの中から何が立ち上がっているか?」を交わせるといいなと思っている。

・みんな何かしらのマイノリティであることを胸に置いて。

映画に関連することだけでも、HIV / AIDS陽性者、アルコール依存症者、薬物依存症者、シングルマザー、DV・虐待サバイバー、元受刑者、被害者遺族・加害者遺族...などさまざまある。この中にもいるかもしれない、ということを可能な限り思って発言をお願いしたい。


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みなさん、あたたかく頷いてくださって、ここでかなりホッとしました。

そして、この映画の大きな軸のひとつである、HIV / AIDSについての基礎知識を共有しました。

映画に出てきた、「コーヒーカップを使わせなくなった」「妊娠したい」「HIV=死ではない」だけでも、ちょっとあやふや、知らない、わからないがある人がいるかもしれない。わたしのためにも、みんなのためにも、そこを確認して場を慣らして、また安心してもらってから、ほんとうにみんなでもっと行きたいところを目指そうと思ったのです。

 

参考にした資料(一部)

北海道大学病院HIV診療支援センター HIVの基礎知識

国立病院機構九州医療センター HIV / AIDS Q&A

国立感染症研究所 AIDSとは

国立感染症研究所 HIV / AIDS

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その後ペアで感想を交換。

同じ場所で、同じ映画を観たという経験をしているけれど、はじめましての人同士が安心して自分の感覚を表現するには、できるだけ小さい単位からはじめるのがよいのです。

わたしもペアの方に話を聴いてもらい、話を聴きました。

聴いていたら思わず涙してしまいました。

語りがとても美しかったので。

 

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自分の気持ちを一旦言葉にできて、少し落ち着けた方から、

話を聴いていて・話をして思ったこと、

話し足りなかったこと、

みなさんに聴いてもらいたい宣言

などを手を挙げて(任意で)、話してもらいました。

映画冒頭に灯った、「沈黙」という言葉の意味について。

今ある自分の仲間との関係について。

子どもとの関係について教育について。

演劇という手法について。

対話について。

自分自身のとの向き合い方について...など、映画に登場した人物や、自分の人生を行き来した、様々な感想が聞かれました。

今まさにわいている感情、

映画の何から自分の何が喚起されたか、

映画との出会いが自分の人生にとってどのような体験だったか、

ここからのわたしはどのように生きたいか。

 

一人ひとりが個別のものを受け取って、それを自分の言葉で語って、みんなで大事にできたことが、とてもよかったです。

 

わたしもぼろぼろ泣いてしまったので、びっくりした方もいるかもしれないですね。

わたしは最近、こういう場で涙が出てもぜんぜん気にならなくなりました。

それはファシリテーターが場の中でもっとも正直であることが大切だと思っているから。

場のモデルでありたい、みんなに正直に自分らしくいてもらいたいから。

だから、「こうなってもいいんですよ、大丈夫ですよ、安心ですよ、それが自然だもの」ということを自分全部を使って表現しています。

 

急遽、参加してくださった坂上監督からは(そう!来てくださったんですよ!!!)、HIV/AIDSに関する基礎的な知識の補足や映画に出てきた彼女たちのその後などをシェアしていただきました。

それぞれの人生を歩んでいることが知れて、ほんとうにうれしかった。

おめでとう!幸あれ!という気持ち。

 

それと同時に、映画に写っているあの人たちは、どんどん変化していっているんだ、ということも思いました。

ドキュメンタリーは、まだ生きている人を、撮影者のある態度やある意図でもって編集して、残してしまう行為。

それを観る鑑賞者の中では止まったままになっていたり、鑑賞者の中のイメージや解釈で勝手に想像を膨らまして展開していく。

でもその人自身の人生は目まぐるしく変化していく。

ドキュメンタリーを見るときの作法というかわきまえが必要になるということを、あらためて思いました。

 

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どんな場だったのか。受け手、届け手、作り手それぞれの風景。

 

受け手(参加してくださった方)の感想記事

note.com

 

届け手(チュプキのスタッフさん)のレポート。

www.facebook.com

 

作り手(坂上香監督)のコメント。

 

 

この日この時間、場に集った人の人生が、ふっと交錯した時間。

こういう非日常が、日常の中に据える。

非日常から日常をふりかえる。

入るときは少し緊張もあるけれど、出てきて日常に戻るときには、自分の内からほかほかと温もりを感じるような、根拠なく心強いような、世界とのつながりを感じられるような.......。

そういう鑑賞対話の場をこれからもつくっていけたらと思います。

 

ありがとうございました。

 

 

 

こちらもぜひおすすめしたい、”トークバック”製作ノート。

撮影までの経緯、撮影中のこぼれ話、もはや他人とは思えない彼女たちのその後や監督の思いをたっぷりと聴かせてもらえます。

この濃密さ!このボリューム!

まるでもう一本追加で映画を観たかのような読後感です。

wan.or.jp

 

 

当日ご紹介した書籍。 この映画から派生することの、ごく一部。

   

 

関連書籍がありすぎて、載せきれないですね。まだまだあります。

こうしてみると、わたし自身、関心から関心をつなげ、いろんな旅をしてきたんだな、と思います。

坂上香さんの「アミティ」の本が絶版なのはとても残念ですね。図書館でも読めるけれど、再版してほしいなぁ。

 

 

おまけ。 

映画についてのわたしの感想。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

 

”人は自分の中に作り上げた「牢獄」からいかに自由になれるか”

 

 

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映画『トークバック 沈黙を破る女たち』鑑賞記録

*未見の方の鑑賞行動や感じ方に影響を与える内容です。

 

映画『トークバック 沈黙を破る女たち』を観た。

www.talkbackoutloud.com

 

ドラッグ、依存症、レイプ、HIV / AIDS、孤立、虐待、貧困、前科、偏見・差別、DV...

人生は必ずやりなおせる!!

どんなに苦しいときでも、新しい未来が待っている

演劇で、声を取り戻していく"ワケあり"な女たちの物語

 

女たちのアマチュア劇団 ---それは芸術か、セラピーか、革命か?

アタシたちをなめんじゃない!

(映画公式チラシより)

 

 

2日後に、映画『トークバック』でゆるっと話そうという対話の場を控えていて、その準備のための鑑賞だった。

いささか直前すぎる準備だが、2014年の公開当時に一度観ているので、確認程度の作業になるだろうと思っていた。

 

ところが、メモをとりながら観ていて何度も、「あれ、こんなシーンあったっけ?」「こんなこと言ってたっけ?」となり、当時とは全く異なる感情に襲われている自分を発見した。

 

ああ、そうか、前回観た時、2014年当時。

わたし自身の人生がとにかく大変な状況だった。

何か一つシーンやセリフを観ても、そのことから想起される自分の問題に引っ張られながら観ていた。

だから映画の記憶がまだらになっていたのだ。

 

もちろん今回もいくつも引っ張られる部分はあった。

ほとんど、女性の人生に起こることぜんぶがてんこ盛りだ。

 

けれども、あの人たちの語りと踊りの全身の表現に、心地よくシンクロした。

痛みも喜びも後悔も希望も、ひたすら共に味わい、

観終わった直後は、おおお、わたしもますますtalk back, speak upするぜ!という気持ちになった。

映画の公開が2014年。

ハーヴェイ・ワインスタインの性暴力が告発されたのが2017年。

そしてさらに2020年の今。

それは暴力だ、それはゆるされない、わたしは黙らない、わたしのせいではなかった、もう偽らない…とほうぼうで声が上がって、それはもう止まらない流れ。

 

その時間を生きてきての今。

この映画について語ることは、社会の中でも自分の中でも、ないことにされてきたものを見つけること。

あのころのわたし、わたしたちに会いに行くことだと思った。

 

 

自分が罹患者か、経験者か、当事者かどうかに関わらず、ガンガン響いてくる言葉。

 過去もわたしの一部、なかったことにするつもりはないわ

自分の声を取り戻すわ

彼女たちは私たちの延長戦だから

私がいきついたのは自分をゆるすこと、それは私の選択

泣いて気持ちを分かち合うことで成長できた

女として誇りを持って生きてほしいの

You keep me strong

......

 

沈黙しない。

表現として出すことで、普遍性を持つ。

あなたが辛い思いをしたのはわかる。

でもね、いつまでも犠牲者でいないで!

立ち上がれ!

カッコよくてセクシーな、ほんものの自分を起動させろ!

Stand up, Sisters!!! 

 

挑戦する彼女たちから、勇気をもらう、励まされる。

Sisterhoodをわたしも感じた。

 

ダイナミズムは対話だけでも起こる。

でも演劇は、詩は、パフォーマンスは、思考判断を超えて、もっとダイレクトに届く。

感覚的で、感情的で、 自由で開放的。

 


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劇団の名前にも意味がある。

メデア・プロジェクト:囚われた女たちのシアター
The Medea Project: Theater for Incarcerated Women

王女メディアから取られている。

 

メディアは、エウリピデス作のギリシャ悲劇で、夫イアソンの不貞と裏切りに怒り、イアソンの婿入り先の娘を殺害し、さらに自分の息子2人も手にかけてしまう。

 

劇団の主宰者、ローデッサは言う。

「愛に溺れて自分を見失うこと、あるよね。でもわたしたちはメデアを責めない。女にとっての最終手段だから」

そう、非常時、戦時下で、女性が生き延びるために、やらざるを得なかったこと。

わかる。わたしたちだから、わかる。

このシーンは、とても印象深い。

杉山春さんの「満州女塾」が頭をよぎる。

 

このポストカードは、 先日行った松濤美術館の「サラ・ベルナール展」で買ったもの。サラ・ベルナール主演の舞台「王女メディア」のポスターの図柄で、彼女がその才能を発掘したアルフォンス・ミュシャが製作したものだ。

 

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トークバック」を見ることとこのときはつながっていなかったが、ローデッサの言葉を聞いた途端、思い出した。ああ、そういうことだったのか。

サラ・ベルナールはこの役をどんな思いで演じたのだろう。

 

また、昨年観た「私は、マリア・カラス」の中で、彼女が唯一出演した映画は、パゾリー二が監督した「王女メディア」だと知った。この頃の彼女は、オペラ界をほぼ追放された形で、新たなフィールドを求めての映画だった。


女性が自分のままに生きることが難しかった時代。

二人の女性の人生も、わたしの中でこの名に重なり、特別な意味をもって映画を受け取ることができた。

 

 

自分の担当患者とメデアプロジェクトをつなげた医師の存在も、今回とても印象に残った。

HIVで死んだ人がいなかった」という発見、喪う悔しさ、無力感、医療の範囲を拡張する勇気。

 

 

懲罰的世界観の中では、誰が悪いかという話になる。

どっちが悪いか、どっちのせいか。

おれのせいだっていうのか。わたしのせいだっていうの。

誰が悪者かを決めるのと、

責任を問うことや引き受けることは違う。

 

修復的世界観の中で対話したい。

間違っても、失敗しても、やり直せる。

人生はいつだってやりなおせる。

 


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感想を自分の味わいながら、対話の場の前に、HIV / AIDSについての基礎知識を、対話の場の前提としてもっておいたほうがよいな、と気づいて、事前に調べておくことにした。

わたしも基本的なことは知っているつもりでいたけれど、1990年代ぐらいで止まっている気がした。

HIVとAIDSはどう違うのか?
"病=死"ではないとは、どういうことか?
HIV陽性者は妊娠できるのか?

わたしは、1987年代に出版された秋里和国の漫画「TOMOI」がきっかけで「エイズ」を知った。その頃はまだ治療法など解明されていないことが多く、エイズ=死の病と言われていた。

あのショックは十代のわたしにはとても大きかった。

 

さすがに今はそこまでではないにせよ、

これを機にみんなでアップデートすると、きっといいんじゃないか。

そして、前提があると、対話がもっと質のよいものになる。

映画『教誨師』でゆるっと話そうのときに、日本の死刑制度の基礎知識について共有したみたいに。

 

そう考えて、図書館で何冊か本を借りてきて、インターネットでも医療機関などを検索して、情報を集めた。

当日は、冒頭に5分ほど共有の機会を設けてからはじめることを、チュプキのスタッフさんにも伝えた。

 

当日の場もすばらしかった。
またレポートに書きたい。

(後日、書きました。こちら

 

いやはや。

仕事で一つの場をひらくごとに、わたし自身、たくさんの学びをいただいている。

感謝しかない。

 

そしてまさかあの頃は、6年後にこんなふうにこの映画に出会い直すと思っていなかった。

 

人生は、わからない。

だから生き続ける価値がある。

 


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追記:2/11 レポート

hitotobi.hatenadiary.jp

 

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2020年・秋、東京ステーションギャラリーの大津絵展が楽しみ!

2020年の秋、東京ステーションギャラリーで大津絵の企画展があるそうです。

もうひとつの江戸絵画 大津絵(仮称)
会期:2020年9月19日(土)-11月8日(日)

www.ejrcf.or.jp

 

 

うぉ!これはうれしい!!

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大津絵って何?という向きには、web和楽のこの記事で予習するのもいいですが......、

intojapanwaraku.com

 
 
わたしと友人とでこんな話をしたので、ぜひ聴いてもらいたい!
ひととびラジオ5. 大津絵を愛でる
 
 
 
おすすめ書籍
 
 

昨年、パリで展覧会があり、その凱旋として、
大津市歴史博物館での展覧会がありました。
わたしは大津市歴史博物館に観に行ったのですが、すっごくすっごくよかったです。
自分のルーツを辿るプライベートな旅だったからか、書く衝動が起きず、写真のみ残しています。
 
ほんとうに、とてもよかった。
東京ステーションギャラリーでの展覧会も楽しみです。
 
鑑賞者としても、ですが、
鑑賞対話の場づくりのお仕事したいなぁ...。
 
 

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好きすぎて自分でも描いてみた。楽しい。

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映画『獄友』鑑賞記録

映画『獄友』を観た。「ごくとも」と読む。


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http://www.gokutomo-movie.com/

 

やってないのに、殺人犯。

人生のほとんどを

獄中で過ごした男たち。

彼らは言う

「不運だったけど、不幸ではない」。

 

『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』『袴田巌 夢の間の世の中』に次ぐシリーズ第3弾!

冤罪青春グラフィティ『獄友(ごくとも)』


(映画公式HPより)

 

 

この映画を見ようと思ったきっかけ

2016年に金聖雄監督の前作『袴田巌 夢の間の世の中』を見ていた、ということが大きい。

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それ以来、2018年に再審が取り消されたこと、2019年にローマ教皇来日時のミサに参加されたことなど、袴田さんのことは気になって、チラチラと追っていた。

映画でじっくりと観たかった、
袴田さん以外の冤罪事件についても知りたかった、
今現在、袴田さんはどのように過ごしておられるのか、支援者の方から聞いてみたかった、

というのが足を運んだ理由だった。

 

 

そもそも子どもの頃から、

冤罪や死刑はわたしのライフテーマであった。発端はここに書いた。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

わたしがこのテーマに関心を持っているのは、罪を犯した人に対する処遇をみれば、その国の政治や権力が、人間というものをどのように考えているか、端的に知れるからだ。

 

わたしの中で個人的にひっそりと抱えていたこのこと。

最近になるまでほとんど誰にも話したことがなかった。

しかし見渡してみれば、実にさまざまな人がこの問題に取り組んでいて、世に伝え、考える場を持とうと各自のフィールドで取り組み、声をあげている。

そのことに勇気をもらい、わたしの立ち位置からもまた伝え、共に悩み考える場をつくっていきたいと思っている。

 

 

昨年、映画『教誨師』でゆるっと話そうのために調べたら

第一審が裁判員裁判の被告人で確定死刑囚となった人が30人以上いた。

裁判員制度は2009年に開始、10年経って、様々な問題点が出てきている。

にもかかわらず、

裁判員制度の導入からこの10年間、死刑制度の存続の是非について、大きな議論にはなっていません。また、裁判員が死刑判断に加わることについても、何も変わらないまま、今後も裁判員に選ばれた市民が重い判断と向き合うことになります。

WEB特集 激変!刑事司法~裁判員制度10年~死刑判断に参加した裁判員 | NHKニュース より)

 

拠って立つ刑法の不平等・不公平さ、
杜撰な捜査、理不尽な逮捕、
強引な取り調べという手続き、
懲罰と反省としての収容という根本思想...。

これらいずれに対しても疑問が大きい中で、自分が裁判員として参加することに違和感が拭えない。

まして、冤罪で無期懲役、冤罪で死刑。

可能性ではなく、ほんとうに起こる。起こってきた。

裁判員制度だから冤罪がなくなるとは思えない。

なぜなら、裁判にのる以前の取り調べの段階で、すでに冤罪は起きる。

裁判員になって、取り返しのつかないことに加担するかもしれない。


5年に一度の内閣府の調査では、大多数が存置を望む、厳罰化を望むという調査結果が出た。

しかしこれも十分に議論した上での回答とは思えない。

調査の仕方にも問題がある。

にも関わらず、それを理由に存置されるというのは、あまりにも脆弱だ。

 

 

さまざまな経緯、考え、思いを持ちながら、映画を観た。

 

袴田巌 夢の間の世の中』で観たシーンもいくつか入っていた。

まだ出所したばかりの袴田さんは、獄友の桜井さんからの将棋の誘いに、「知らない人だ、帰ってくれ」と突っぱねていた。

視線も定まらず、何かに怯えているようでもあった。

次第に金監督とも応答が成立するようになり、何時間も将棋を指したり、誕生日には桜井さんと真剣の将棋を指すまでになっていた。

直前まで同じく獄友の石川さんと笑いながら指していた桜井さんが、黙って真剣に指しているところは、とても印象深い。

最初は姉の秀子さんと二人だったが、終盤には一人で外出をする姿も映る。

秀子さんの家は相変わらず片付いていて、清潔で、明るくて、風通しがよく、あたたかで、穏やかだ。まるで秀子さんそのもののようだ。

 

まだ無罪になっていない人がいる。

殺人犯というレッテルを貼られたままでは、まだほんとうに自分のところに自分の人生を取り戻せたと言えない。

その苦しみをまざまざと感じた。

映画には映っていなかったけれど、「ほんとうはやったんじゃないか」という心無いこともたくさん言われ続けていたのではないかと思う。

抗い続け、戦い続けること、やっていないと言い続けることが、どれほどのエネルギーなのか......まったく想像を絶する。

 

獄友5人の獄中生活は、31年7ヵ月、48年、29年、29年、17年6ヵ月。

全員が冤罪。

うち二人は再審が開始されていない。

もっとも社会生活を充実して営むはずだった年齢の頃を、刑務所で暮らしてきた。

これはいったい...。

いったいどういう国に自分は生まれ落ち、暮らしてきているのだろうか...。

すべてにおいて、これらの経験は想像を絶する。

それをもたらしたのはシステム。

システムを支えている一人ひとりは、その多くが善き人だ。

その善き個の力は、システムに組み込まれた途端、打ち消される、自ら引っ込める。

 

 

こんなに壮絶な体験をしてしまったら、世界への信頼を一切無くし、心身共に疲れ果て、生きる意欲もなくしたり、長年のギャップを埋められずに苦しんで、恨みで目の前が真っ暗になって、自暴自棄になって...ということがあってもおかしくないはず。

しかし、映画で切り取られた彼らは明るく、仲間を思いながら、日々を噛みしめるように、力強く生きている。

そういう面を、もしかしたら金監督だから見せているのかなとも思う。

獄友の友。

 

金監督が、撮っているのは、人間。

一人ひとりの生と、その人と周りの人との関係。

語り。表現。

「(こんな)行動をしよう!」や「(これ)に反対しよう!」などの明確なものを掲げた運動のための映画ではなく、やはり、「冤罪青春グラフィティ」。

観た人の中に立ち上がってくるものがあること、それが大切と言ってくれている。

 

もう気の毒だし、胸が痛くなるし、もしも自分や身近な人がこんな状況になってしまったらと思うと、苦しい。

けれども、映画が進むうちに、「彼らは生きているのだ」と実感する。

今、獄友たちが生きて、語り、笑い、集い、憤り、悲しみ、、表現していることに対して、深い敬意や親愛の情が湧いてくる。

だからこそ、人間が他の人間の尊厳を損ない、奪ってはならないのだと、思いを強くする。

とりわけ、社会的に不利な立場に置かれやすい、排斥されやすい人たちが、しわ寄せを被り、生命の危機に晒されやすい。

それをどのように防ぎ、守っていくのか。まだまだ成熟へは遠い。

 

たくさんの愛のある映画ではあるが、無念さも大きい。

どうかどうか、袴田さんと石川さんが、生きているうちに、再審無罪を勝ち取れますように。

わたしも祈っている。

 

 

袴田さんを救う会・門間(もんま)さんのお話

救う会は、1980年最高裁で死刑判決が出てからすぐに発足した

・現在、巌さんは83歳、秀子さんは87歳。一日も早い再審無罪をと願って活動している

・1,000万筆集めたら変わるかもと言われ、途方もない数字だが集めよう!と決めた。一人の署名でもとてもうれしい、とても大事。

・釈放されたからそれいいじゃないかと言う人もいるが、「仮釈放」であり、無罪と言われたわけではない。まだ「死刑囚」であり、収監も停止されているだけ。

ローマ教皇の訪日時は直接は会えなかったが、ミサに参加したことは大きな力になっている。恩赦も請求している。

・ヨーロッパで署名活動もした。スペインやイタリア。拙い英語だが、"Innocent Prisoner"と言って、パネルを示したらすぐに理解してくれて、たくさんの人が署名してくれた。

・浜松では人気者。声をかけて手を振ってくれる人も。警察も、巌さんが道に迷ったときに家まで送り届けてくれたり。

・死刑判決文を書いた裁判長も、人生を壊された一人。彼についての映画もある。『BOX〜袴田事件 命とは〜』

・巌さんに、「何を考えながら歩いているの?」と聞いたら、「困る人が一人もいないように」と答えた。

無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会ホームページ

無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会ブログ

 

 

そういえば、『教誨師』...。

拘置所で文字を学んだ石川さん。

拘置所カトリックの洗礼を受けた袴田さん。

先に挙げた映画『教誨師』のモデルに、心当たりが足されていく。

林真須美死刑囚...冤罪の疑いがあると言われている。

そして、先日死刑を求刑された植松聖被告...。

 

終わった話でも、架空の話でもなく、現在進行形。
やはり、話り、共に考える場づくりが急務だ。

場の担い手が出てくることも...。

 

 

 

いつもお世話になっているシネマ・チュプキ・タバタ

で観た。

もう過ぎてしまっているが、2月前半のラインナップがなにしろすごかった。

そんな骨太なラインナップでありつつ(?)、「お店」なところがやっぱり好きだ。

この日も、上映を開始するときはトイレから出てくるお客さんを待っていただけでなく、予約を入れていたけれども来館していないお客さんへ、スタッフの方が電話をかけていた。

「なんで来ないんですか?(怒)ってことじゃなくて、道に迷ってないか心配で、電話してるんです」

とのこと。

人間に人間として接するって、こういうことだよなぁ...。

 

懲罰的世界観から、修復的世界観へ。

わたしも行ったり来たりしながら、移行する。


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書籍『妊娠小説』『紅一点論』

わたしがフェミニズムにはじめて出会ったのがこの2冊だった。

斎藤美奈子

『妊娠小説』(1997)

『紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』 (2001)

 

どちらも高校生か大学生のときに、友人から勧められたものだ。

読んで仰天した。

言われてみれば。

自分が、考えたこともなかった、不思議にも思わなかった、当然のように受け取っていたことに驚いたし、そんな都合のよい世界の具現が、良きものや時に高尚なものとして流布し継承されてきたことに驚いた。

 

そしてその次に、ものすごく気持ち悪くなった。

わたしは、わたしたちはどうしてこういうものを見させられてきたんだろう。

飲み込まされてきたんだろう。

そして、なぜ誰もそれに唱えないんだろう、という怒りも湧いてきた。

 

それがわたしのフェミニズムとの出会いだった。

それと、「起こっていることの構造を見る」ということの初めての経験でもあった。

 

今はようやくそういう背景や視点も含めて鑑賞できるようになってきた。

きっかけをありがとう。友人にも著者にも。

 

 

思えば、友人は若くして博識な人だった。

とても同じ高校生とは思えないような。

流れ込んでくる知があまりにも壮大で深淵だったので、わたしは一人では何も発見できない、何も思考できない人間なんじゃないかと、一時期はほんとうに悩んでいた。

 

十代の頃、特に本を通じていろんな世界を見せてくれた。

今は離れていて、どうしているか知らないけれども。

思い出すほどに、ほんとうに感謝しかない。

「ミイラ "永遠の命"を求めて展」鑑賞記録

息子と国立科学博物館の企画展「ミイラ "永遠の命"を求めて展」に行った。

www.tbs.co.jp

 

金曜日の夜間開館を利用して行って、最初はおもしろく観ていたのだけれども、だんだん怖くなってきて、駆け足で流し見て、最後の写真撮影のブースだけにっこり笑って出てきた。

あちらこちらからの声が反響して

そういえば前にも、古代アンデス文明展に夜間開館で行って、怖い怖いと言いながら見たんだっけ。

怖がりなくせに観に行くし、わざわざ夜に行くし。

なんだか学習しないうちらである。

 

小さい頃はミイラのことを、雑誌「ムー」に出てくるみたいな、世界の神秘やロマン、わくわくするものと捉えていて、特に怖いなども思っていなかった。

 

今になって怖くなってきたのは、

過酷な環境の中で、死んでても殺してでも、生命と対峙し、生きのびようとする人間という種族の根源的で強大なエネルギーを、物体からびしばしと感じてしまうからかもしれかい。

野蛮とか未開とか非人間とか、そういうことではなくて。

自然界や、共同体の内や外に恐ろしいものがあって、その正体がわかっていないとき、こうなる。

しかもそれは、人間はかつてこうしていました、と遠いものとして見られない。

未知のウイルスと対峙している我々としては。

 



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 今回は、「ドイツ・ミイラ・プロジェクト」の研究結果を土台にしているということで、ドイツの博物館などからの出品が多い。

 

 

しかし、

どうしてドイツでミイラの研究が盛んなのだろう?

ということが今は知りたい。

 

natgeo.nikkeibp.co.jp

 

www.isan-no-sekai.jp

 

 

この本を読んだら、もっと詳しいことがわかるのかも?

 

常設展、落ち着く…。
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七人の侍〈午前十時の映画祭〉 鑑賞記録

七人の侍(4Kデジタルリマスター版)を観てきた。 

asa10.eiga.com

 

午前十時の映画祭とは、

映画界を代表する映画人たちが選定した、時を経ても褪せない魅力を持つ名作を、映画業界のネットワークを生かして、全国の東宝系を中心とする映画館で、毎日十時から上映する企画。

2010年にはじまり、フィルムからデジタル上映になるなど、形を変えながら続いてきた。
10年目を迎える2020年にFINALとなる。http://asa10.eiga.com/2019/jissi.html

(...ということだと思いますが...違ってたらごめんなさい)

 

やっているのは、ずーーーっと知っていたのだけれど、一度も行けたことがなかった。


サウンド・オブ・ミュージックテルマ&ルイーズウエスト・サイド物語、アラビアのロレンス、七人の侍......。

思えばこれらのデジタルで蘇った映画たちを映画館のスクリーンで観られるなんて、ほんとうに贅沢なことだったのですよね。。

 

この上映に感想シェアの場(チュプキでやっている"ゆるっと話そう"のような場)をセットできたら、また違っていたかもしれないなぁと思います。

きっと、その時代にリアルタイムで観ていた人と、今はじめて観た若い人たちとの交流があり、さまざまな視点と感性が交差する、よい場になったろうなぁと思います。

自分が、映画文化の継承にまだまだ貢献できていないことを悔しく思います。

 


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まぁでも!

きっとこれから先もある!

最後の最後になってしまいましたが、感謝の気持ちを込め、どうにか『七人の侍』を観ることができたから、よかった。
  

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いやー、よかったです!ほんと、このタイミングで観てよかった!

 

4Kデジタルリマスターを映画館で。

画も音もきれいになって、台詞も聞き取れるようになって(一部よくわからないとこもあるけど)、この映画の本来の魅力をどーんと受け取れました。

この名作を映画館の大スクリーンで観る、この僥倖よ。

 

モノクロがとにかく美しいのです。

家のPCやTVモニターでは、ここまで実感できない。

それにね、やっぱり没頭して鑑賞することが歓迎され、貴ばれている場所で体験するってやっぱりいいものだと思います。そのための専用の館で。

襟を正すというのか、こちらもきちんと準備をして、非日常に入っていく体験というのは、やはり専用の館で、お金を払って得られることかなと思います。

これは「日常にアートを」っていう話とはまた別のことです。

 

 

尺について

きょうは207分のオリジナル版です。3時間27分。

昔、高校生のときに観たのは、短縮版でした。それでも160分あったな。

音が割れていたり、台詞がよく聞こえなかったり、画面が暗かったりして、途中で寝てしまいましたね。

207分は、まぁ長いといえば長いのだけれど、映画の作り込みが凄まじいから、引き込まれて見入ってしまいました。

未見の方には、これはぜひオリジナルの長いほうを観ていただきたい。

それと日頃から、能、オペラ、バレエ、コンサート等の舞台鑑賞、美術館や博物館などでの鑑賞、競技かるた等で鍛えているので、3〜4時間ぐらいはわりと平気で、集中力が持続します。

前の晩もよく寝て、体調を整えて臨みましたよ!

 

 

1954年製作の映画。

黒澤明14本目の作品。

戦後まだ10年経っていない中で、これを打ち立てねばという気概に溢れている。

俳優さんたちがキラッキラしている。特に木村功。なぜか三船美佳に似ている。

若いエネルギーってやはり素晴らしいな!と思う一方で、数多くの伝説を残す黒澤明の現場、さぞかし過酷だったろうなぁと想像しながらも観ていました。

あれもこれも作ったのか?
これは演技じゃなくて素でやってるかも?
いやまさか?でもあり得る...とか、脳内でいろいろ考えてしまいます。

 

 

ハブとなるもの

以前、聖書を読む会という学びの場に参加していたときに、この世界を知ろうとするときに

・ハブになっているものにアクセスすること
・その原典を「読む」こと

の2点が大事と教わりました。

 

今回の「七人の侍」はまさにそれだったかなと思います。 

歴史を変えた映画、さまざまな映画に影響を与えた革命的映画を堪能できてよかったです。

ようやく積み残しの荷物を取りに来られたような気がします。

 

 

〈午前十時の映画祭〉

このあと残っているプログラムは、

七人の侍」と「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ3本です。

ぜひお運びくださいませ。

午前十時の映画祭10 デジタルで甦る永遠の名作

過去の映画祭のラインナップは、トップページ右下のプルダウンメニューから。


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残っている印象、感想あれこれ

  • メタル感のある画面。まさに銀幕。
  • わたしが生まれたとき、当然まだ黒澤明は現役で映画を撮っていて、『乱』の人として認識していた。その後、『夢』『八月の狂騒曲』『まあだだよ』から亡くなるまで、同時代の人だった。それがもう古典の人になっているんだなぁ!時代の移り変わりが早い。
  • あり得ないことを起こす、身分・立場の境界線を持ったまま協働する。
  • 強風、砂埃、大雨、泥、空腹、板の間、むしろ、寒さ......常時快適さがゼロの環境!
  • 漫画『銀牙 -流れ星 銀-』を思い出す。みんな犬みたい。いや、どちらかというと、銀牙のほうが七人の影響を受けたのか。
  • どうして百姓の「金にも出世にもならん」話を受けたのか、というのが実はまだ謎。まずは実際に食えることが死活問題だったから?百姓を哀れに思って?単におもしろそうだから?お互いの人柄に惚れて、ただ一緒にプロジェクト回してみたい!と思ったから?はみ出してる人たちが、人との関わりあいを通して、生存意欲を確認した?このへんの豪気・豪胆さみたいなものがよくわからなかった。
  • 一人ひとりのキャラが立って、役割分担がされていく過程がなんとも絶妙。
  • 「可哀想で純真なだけじゃない百姓」というリアリズム!ここを描いたのがすごい。落ち武者狩りしちゃう。。
  • この映画における百姓って何を示そうとしているのか?今の社会背景からも近づけられそうな感じもある。
  • 戦いの最中に発生する勝四郎の性の目覚め、久蔵への思慕なども、効いている。若さがあふれてるんだ、勝四郎...。
  • 女の人が、戦争時にどういう立場になってしまうのか、もリアル。
  • 三船の何をしでかすかわからない、アイスブレイカーな役割や、単純さと、一人だけみんなと違うことの劣等感や人生における複雑さを抱えた、なんとも言えないキャラクターを三船が相当入り込んでいて、すごい。
  • 実際に野武士との戦いがはじまってからの、息もつかせぬ感じ。ずーっと何かが少しずつ展開していく。緊張と弛緩と、視点の置き方。すごい。そしてかなりエグい。野武士もエグいが、百姓もエグい、グロい。正義と悪とか、そういうことではない。
  • 野武士あと何騎、種子島(火縄銃)あと何挺と、頭の中でこっちもカウントしていく感じ、イイ巻き込み方。
  • 野武士の人たちがいったいなんなんだかよくわからない。野武士の顔や見た目も映るのだけれど、そこに寄らないので、人間一人ひとりの印象としてはない。だからなのか、野武士が襲われても、亡くなっても、こちらに痛みが走らない。逆に過剰な憎しみが芽生えるようにも描かれない。七人に魅力を感じながらも、戦の物語をこんなに引いた場所から観られるってちょっと不思議な感覚ではある。
  • 今だったらちょっと考えられない、できないような無理が、人にも動物にも環境にもかかっていたんだろう。名作だけど、なんというかあらためて凄まじいものが出来ちゃったんだなとちょっと呆然とする。命がけの映画。あとは莫大なお金と...。


というわけで、いろいろ知りたくて観た

復習にトークショーもよかった。 

こちらは2016年の4Kデジタルリマスター版上映記念のトークショー

製作、撮影、時代背景が語られております。鑑賞後にぜひ。3本とも必見です!


 

 

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映画『プリズン・サークル』 鑑賞記録

*個人の主観的な感想ですが、鑑賞行動に影響を与える可能性があります。観る・観ない・感じ方を左右されたくない方は、読まずに、またはいつでも途中で退出してくださいませ*

 

映画『プリズン・サークル』を観てきた。

prison-circle.com

 

サブタイトルは、「ぼくたちがここにいる本当の理由」。

あらためて眺めると、語りを聴かせてくれた一人ひとりの顔が浮かぶ。

受刑者たちの顔にはモザイクがかけられているのだけれど、ずっと観ているうちに、次第に判別がついていく。

一人ひとりであり、ぼく「たち」でもある。

 

 

この映画を観る前に

いじめがテーマの読書会をひらいて、
坂上香さんが監督した前作2本、
「Lifers ライファーズ 終身刑を超えて」を観て、
・「ライファーズ」の感想を友人とZoomで語り、
・「トークバック 沈黙を破る女たち」を観て(こちらは二度目)、
・シネマ・チュプキ・タバタで「トークバックでゆるっと話そう」という対話の場をひらいて、

・冤罪被害者5人の"青春"ドキュメンタリー「獄友」を観て、
・虐待予防を考えるシンポジウムの文字起こしの仕事をして、

......ということが、ここ最近の流れとしてあった。

並べてみると、濃いな、今月...。

おつかれさん、わたし。

 

ほとんどどれもレポートが書けていなかったけれど、今観ておくべきだと思い、『プリズン・サークル』の鑑賞を優先した。

 

また、この映画はできるだけたくさん受け取りたいと思い、自分の関心を明確にしておくことを心がけて、こんな記事も書いておいた。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

この映画を観た後に

当日はいつものようにメモをとりながら観て、終わってから友人を感想を語った。

 

(あ、でもその前に観終わってすぐ、思わずハグしてしまった。)


友人は子どものお迎えが、わたしは息子の帰宅があるので、時間の制限がある中で濃く語った。

こういうとき、わたしたちってほんとうにいい時間の使い方ができて幸せだなと思う。
制限でもあるけれど、ありがたい枠やルールにもなる。

 

また、
あとで感想を語る前提で、友だちを誘って映画や舞台や展覧会を観に行く。
感想を語るときは、時間を決め、脱線せずにその感想を一生懸命話す。

という文化が、わたしの周りでは定着していることもうれしい。幸せ。


友人の感想を読んだり(1回目2回目)、一緒に感想を話したことも刺激になって、次々と言葉がわいてきた。

メモをとってとりあえず貯めておいたが、 こんな状態のまま、全然まとまらない。

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とにかく今はリリースを優先しようと思うので、感想はいつものようにだらだらと書く。

個人的な主観なので、これから映画を観る方で、ご自身の新鮮な感覚が影響されそうと感じる方は、読む読まないはご判断くださいませ。

 

感想いろいろ

  • ライファーズ」を観ているときも、わたしは決して他人事という構えだったわけではない。でも、国や言語が違う、ということの大きさを、「プリズン・サークル」を観て実感した。社会のリアルな実感の程度が全く違う。没頭して観た。それだけでもう、日本の刑務所が舞台となっていることの意味を感じた。

  • ナレーションはない。説明の字幕は最初のほうだけ。彼らとわたしたちとのあいだに関係ができてくると、だんだんと少なくなっていく。

  • わたしがはじめて対話、ワークショップ、ファシリテーションというものに出会ったのは2010年12月だった。その場のことをありありと思い出した。そのときのことはここで話した。
    わたしはそれまで「わたしはわたしについてのほんとうのことを話したことがなかったんだ!」と実感し、また「こんな話し方があるんだ」という衝撃を受けた。そのとき話した内容も覚えているが、誰にも話せないことを話した。心のやわらかい、傷つきの部分に触れて、またそこを優しく聴いてもらえたことで、涙があふれたことも思い出す。

  • だから、プリズン・サークルで行われているTC(Therapeutic Community)という場とアプローチに似たことは、その後も多く経験し、また自分自身も主催・進行しており、見知った光景だった。意味や意図や効果についても理解して観ている。
    そういうわたしとしてこの映画を観ていて、とても不思議な感じになったのは、音声だけ聴いてて、罪を犯した背景を知らなければ、まるで「いつもの場」のようだったからだ。ほんとうに境目がない、と思った。安全な場所から「わたしだってあっち側だったのかも」と言っているわけではなくて。この感覚は奇妙だった。受刑者の中からファシリテーターを務める人もいる。
    「いいことをしゃべろうとかじゃなくて、本音を話してほしい」まるで、まるでほんとうに「いつもの場」。
    エレクトリカルパレードを流しながら動く自動配膳機や、私語厳禁の食事時間や刑務作業の風景を知らなければ、刑務所か刑務所じゃないか、まったくわからない。つまり特殊な人たちではない。わかっていたけれども、あらためて衝撃と共に実感した。

  • わたしも感想を交わした友人も、ファシリテーターコンサルタント、セラピストやカウンセラーという仕事をしている。つまり、人の話を聴く仕事だ。
    そういうわたしたちは、人の話を聴くにあたっては、さまざまな自分自身がカウンセリングやセラピーを受け、回復し、今も常に回復し続けながら、自分を調律、調整、ケアをしながら、仕事をしている。
    そういうわたしたちから見て、この刑務所内で行われいているTCは、非常にタフな取り組みだと感じた。週に12時間、半年から2年かけて参加するプログラム。

  • 刑務所以外であれば、日常の中に逃げ込める先がたくさんある。家事をしたり仕事をしたり、自由に移動もできるし、気晴らしをしたり、あるいは別のものに依存することもできる。でも、刑務所の日常は、取り決めがあって制限されている。自分の気分で食べたいものを選ぶこともできないし、服はみんなと一緒だし、ヘアスタイルは丸刈りにしなくてはいけない、いつ何をするかが徹底して決められている。

  • そんな中で、プログラムを受講して、徹底的に自分と向き合うことが求められる。服役という同じ状況の同じ性別の人たちが、同じプログラムを受けているという特殊な環境。だからこそ回復が早いとも言えるのかも、という話をした。それから、TCを受けることは回復であると同時に、過酷な懲罰なのかもしれないとも思える。

  • 彼らは普段は番号で呼ばれるのだという。TCのときだけは名前で呼ばれる。刑務所ないで激しく罵られたりもする。TCのときは目を見て話を聴いてもらえる。「ライファーズ」の感想を話したときに、友人が「懲罰ってなんだろう?」「懲罰と回復って両立しないのではないか?」という問いを出してくれたことを思い出した。懲罰というのは、名前や服や会話を奪われること?罵倒して同じような怖い思いやさらなる恥辱を味わせること...?人間性を奪うことと、人間性の回復とが同時にある場所。ここはまだ混乱している。
  • 「人間を番号で呼ぶのをやめてほしい」と思った。たとえば、そういう要望って、誰にどう言えばいいんだろうか。あるいは、どうしてそうすることになっているか、誰か説明してくれるのかな。

  • 以前、男性による男性のための支援関係があってほしいということを何本か書いたけれど、プリズン・サークルで描かれていたのはまさにそれだったかなぁと思う。「怖かったし、嫌だったよね、悲しかったよね」という労わりあいや、「どうしたの?」「大丈夫だよ」「一歩一歩やろう」「一緒に考えよう」という共感や親愛の表現。「相談してね」「よく話してくれたね」という受容。

  • 競わされて、強くなれ、弱さは命取りだと脅されてきて、「一緒に戦える奴なら存在していてもいい」となってしまった結果がこうだとしたら、そうではない関係、Brotherhoodが、なにかここにはあるような気がしたよね、とも話した。

  • TCを経験した人たちは、「生まれ直す」という経験をしているようにみえた。
    聴いてもらえなかった、見てもらえなかった、大事にされなかった人たちが、自分の表現、言葉の力を奪われて、損なわれて、信じられなくなって、使えなくなっていった過程に目を向けて、一つひとつ、時間をかけて言葉を取り戻している。感情の名前を教えてもらいながら、誰とどんなつながりを持ちたかったのか、どんな切なる願いがあったのか、自分が歩んできた道のりを自分の言葉で語る試みをして、言葉を取り戻していっている。

  • 最初はぼんやりとしていて、何を考えているのかわからなかった人が、どんどん輪郭を際立たせて、生命力に満ち溢れていく様は、胸に迫るものがある。感情や言葉や人間性を取り戻すと、悩むし苦しくなる。映画「ハウルの動く城」のラストで、「ウッ、なんだ、身体が重い」「ハウル、そうなの、心って重いの!」というセリフを思い出す。
  • どんな人間にも日常と非日常が必要なのではないか、ということをここ数年いろいろな人といろいろな取り組みをしてきて、考えている。わたしも日常の中に鑑賞や競技かるたや旅行などの非日常の時間を組み込んでいる。そこでは日常にいては見えなかったことが映し絵になっている。そこで省みて発見し、得たものをもって再び日常に戻る。行ったり来たりすることで、どんな過酷な環境でも、人間は正気を保ちながら、生きていける。
    刑務所の受刑者たちにとっては普段の生活や刑務作業が日常で、名前を取り戻し、会話をしながら、過去を辿りこれからの人生を考えるTCが非日常になる。TCとTC以外の時間を行き来している。

  • 「犯罪傾向の進んでいない男子」を対象に行われているプログラムとのことだが、「Lifers ライファーズ 終身刑を超えて」を見ると、累犯受刑者たちの再犯率低下の有効性も証明されている。こちらも作品として記録として存在することが大きな希望だ。

  • 男の人が子どもを出産をすることは今のところないわけだけれど、でも男の人だって、自分で自分を「産む」ことができる、と常々思っている。プリズン・サークルで起こっていたのは、適切な表現なのかわからないけれど、鉗子をつかって引き出すというよりも、言葉が産み出されるのを、その人がその人を産むのを、男の人たちが助産していたようにも見えた。そこにあったのは「応援」「約束」。
    産み出す力は一人ひとりにある。分娩の過程も人それぞれ。

  • どうしてそのイメージがあるかというと、最後に出所していく一人の元受刑者の顔を見たときに、ほんとうに美しかったから。わたしが息子を出産したときのことを思い出した。そういえば生まれたばかりの人間ってあんなふうに、曇りのない眼で世界を見ていたっけな。

  • 人の話を聴く、自分が話す。そのことによって回復していく。
    え、聴くとか話すとか、そんなことなの?それだけなの?という感じだと思う。もちろん適切な環境や聴く作法、話す作法はあるし、 十分にトレーニングされた人が場を運営しているわけだけれど、それだってものすごく特殊なものではない。「だって誰だってこういうときは緊張しちゃうよね?」とか、「こっちのほうが話しやすいよね」とか、そういうhumanityに基づいて設えられている。ほんとうにすごく簡単なことなのだ。でもそれが難しいのは、なぜなんだろう。
  • ここは刑務所だ。そのことに何度も混乱するし、胸が痛くなる。聴いてもらえなかった、見てもらえなかった、言葉の力を信じられなくなった、自分や他人を損なうことでしか自分の存在が実感できない......その痛みをケアし、人間性の回復を目指す場が、刑務所の中だということに、言いようのない無念さを感じる。
    映画の中でも、「もっと早くやるべきだった、TCとかそういうことじゃなくて」と話していた受刑者がいた。思わず「それはあなたのせいではなく...」と言いたくなった。
    ほんとうにその場が、刑務所より前に、できるだけたくさんほしい。

  • 彼らが持っているファイルの厚みに目が留まった。犯罪の起こる仕組みや、人間関係の築き方、話し方聴き方、いろんなことを学んでいる。毎回配布された資料が綴じられているのか、あるいは資料の束が綴じられた状態で渡されるのかはわからないけれど、テキスト(教科書としての)だけではなくて、自分で記入したものもおそらくたくさん綴じられていて、その経験と学びの蓄積を感じた。

  • 虐待防止のシンポジウムの中で、「虐待という現象として表出しているだけ」という言葉があったけれど、まさにこの映画を見ていて感じた。どう表出するかは、ほんとうにぎりぎりのところの分かれ目というだけなのだと思う。それが、詐欺、窃盗、殺人、虐待、DVに向かう場合もあれば、病気、自死自傷に向かう場合もある。たまたま自分以外への犯罪に振れたときに、刑務所にいくことになるけれど、振れたほうによって病院になったりする。いずれにせよ、人間の苦しみの表れ方のひとつ、にすぎない。

  • どこで回復の場に出会えるか、ということだけで。犯罪に振れて刑務所に入るとき、この島根あさひ社会復帰促進センターに入ることも、TCを受ける確率もものすごく低い。(日本の受刑者4万人強のうちの、40人/クール)
  • 虐待にせよ、窃盗にせよ、表出した現象だとしたら、言葉をもっと的確なものに再定義していったほうがいいのではないかと思った。その言葉が含んでいるイメージを超えて、一つひとつ、背景や構造も含めて、再定義していく。単にカテゴリとイメージとして、「加害=悪、罰せられるべきこと、被害=可哀想なこと」のような、単純なものではなくて。

  • この映画を観ることで、救われる人がいるのではないかという気もした。
    間接的にTCのプログラムを受けることができる。
    実際わたしは、この映画を観ることで、癒えていく自分の傷があった。彼らと一緒に自分と向き合うような136分間だった。
    だから、いろんな人に観てほしいと思うのは、こういう理由もある。
    誰でも、何かしら、被害の体験、加害の体験をもっている。向き合って反省して...ということではなくて、ただ、それを抱えていることを赦してもらえる。そういう温かな時間でもあった。

  • 坂上監督の作品は暴力的なシーンはない。もちろん、人の語りの中には、過酷な環境で生き抜いたことが含まれているけれども、それは観る人を損ねようとか、社会の辛い現実を直視させようとか、そういう意図はない。わたしもその場にいて、じっと語りに耳を澄ませている、というような時間だ。その人が今目の前にいて、真摯に自分の実感とつながった言葉だけを話しているとき、内容が何であれ、思わず聞き入ってしまう。
    被写体といつもそのような信頼関係をつくっている人なのだろう。

  • 一つ自分の中でクリアになったのは、「誰かを罰したいのではなくて、その行動をしないでほしい」ということだ。すごくシンプルに。窃盗、詐欺、強盗殺人、傷害致死...という行動をしないでほしいと思っている。
    でも「なぜその行動として表れるのか」の背景や出元を人間を中心に聴いていかないと、止めることができない。
    そう思ったのは、加害のときに乖離が起きている受刑者の語りがあったから。
    だから、やっぱり予防というのは聴くことや、安心安全な場(環境や機会や関係)を社会にたくさんつくることしかない。それも、できるだけ年齢の低い時期から。

 

ふりかえり

感想を書きはじめたら、ずいぶんとたくさんになってしまった。 

これでもほんのさわり。肝心なことが書けていないんじゃないかという気がする。

そのぐらい、受け取ったものがたくさんで、ほんとうに幸福な鑑賞体験だった。
このタイミングで、この映画に出会えたことがうれしい。

 

 

わたしも暴力の連鎖を終わらせたいと願っている一人だ。
誰もが、生きているうちに、なんとか間に合ってほしい。

 

この映画を見た人たちは、きっとそれぞれのフィールドで、それぞれの切実さで、それぞれの専門性で、やっていくだろう。

観た人とのあいだに不思議な連帯を感じる。

実際に観て話した人は数人なんだけれど。

きっとみんなそうだ、という不思議な手応えがある。

  

 

わたしの職分からは、やはりこれを言いたい。

いまこそ、いろんな「サークル」で対話や議論をしよう。

わたしたちがないことにしてきたもの、

ずっとあったけれど、ほんとうはなんなのかよく見てこなかったもの、

怖くて、なかなか一人ではみることができなかったものの姿を見よう。

定義し直そう、新しい表現を与えよう。

 

人間のことを大事にした、安心安全で健やかなサークル(場)なら、怖くないし、そのことで傷ついたりしない。

むしろ育みあって、希望を分かち合って、生まれてきて、生きてきてよかったなと思える。

 

そういう仕事をこれからもやっていく。

 


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◆過去作品

『Lifers ライファーズ 終身刑を超えて』

 

トークバック 沈黙を破る女たち』

www.talkbackoutloud.com

 

『プリズン・サークル ぼくたちがここにいる本当の理由』

prison-circle.com

 

◆制作団体・out of frame

http://outofframe.org/index.html

 

坂上香さんの著書 

 

 

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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー
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今すぐプラドで実物を観たくなる、映画『プラド美術館 驚異のコレクション』鑑賞記録

*個人の感想ですが、鑑賞行動に影響を与えると思います。公開前ということもあるので、左右されたくない方は、読まずに、またはいつでも途中で退出してくださいませ*

 

試写状をいただいて観てきました、『プラド美術館 驚異のコレクション』

2020年4月10日公開の映画です。

www.prado-museum.com

 

bijutsutecho.com

 

 

観るにあたっては、まずこれが基礎知識ですね。

プラド美術館(Museo Nacional del Prado)とは

  • 公式HP(英語版)https://www.museodelprado.es/en
  • スペイン・マドリッドにある国立美術館
  • 2019年11月19日。開館200周年を迎えた。つまり開館は1819年。神聖ローマ帝国滅亡後、フランスに対する独立戦争が興り、ナポレオンのスペイン領制圧を経て、独立戦争が集結し、スペイン王が再興した頃。ゴヤはオープンのときまだ存命だった。
  • 所蔵作品は、15世紀から19世紀にかけての代々のスペイン王家のコレクションが中心。
  • 所蔵品は油彩画、素描、版画、彫刻など、2万点超。展示されているのは、このうちの1,000〜1,500程度。また3,000点が他の美術館(企画展等)や研究のために貸与されていて、残りは収蔵、修復の状態。
  • 所蔵作品自体の時代は、12世紀のロマネスク様式の壁画から、19世紀のフランシスコ・デ・ゴヤまで。特に16世紀、17世紀の西洋美術を代表する重要な作品を所蔵する。
  • エル・グレコティツィアーノ、ムリーリョ、ズルバラン、リベラ、ソローラ、ヒエロニムス・ボス、ゴヤ、ベラスケスなどの芸術家による重要な作品を所蔵。特にゴヤとベラスケスの作品群は世界一の規模。

 

実はわたしは、13年ぐらい前にスペインを旅行したことがあるのですが、マドリッドプラド美術館に行ったのかどうか、記憶がないのです。

マドリッドにいてプラドに行かない...ってそんなことあり得るのか、って感じですが...。行ったけど忘れたのかな。うーん。

ソフィア王妃芸術センターでピカソの『ゲルニカ』を観たのはありありと記憶があるのに。こちらは20世紀現代アートを所蔵展示している国立美術館です。

こちらも大変見応えあります。プラド美術館からは徒歩10分。https://www.museoreinasofia.es/en

 

 

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さて、映画の話。

 

 

どんな映画か。

うーん、これはもうほんとうに語り尽くせない要素がたくさんあります。

ほんとうに膨大な量のことが次元や時間や地理を超えて、ぎゅっと詰まっていて。

 

まずは印象としては。

 

とにかく非常に気合いの入った、プラド美術館のプロモーション映画。


スペイン(もしかしたら、マドリッドを中心としたスペイン、かもしれないけれど)の誇るプラド美術館を、この200周年と機に世界に再び発信するんじゃーい!!という気概を感じます。

 

プラド美術館が持っているのは、いわゆる古典と言われる時代の作品。

国の宝ではあるけれど、ただ所蔵して展示替えしていくだけでは、ただの昔の古いもの、観光資源としての消費の産物。

そうではなく、今の時代を生きるたちとして、ここまでの文脈・鉱脈を辿りながら、どのように新たに解釈して価値づけし、次代に遺していくか、その挑戦の一環としての映画製作なんだ......ということをわたしは受け取りました。

プラド美術館はなんのために興り、なんのために存在しているのか、そしてこれからどんな価値を提供していくのか。

 

どんなコレクションを持っているかのビジュアルの確認なら、ウェブサイトを見に行けばよいわけですが、(これはこれですごい贅沢なページ...>Collection - Museo Nacional del Prado

人間って「有名だから関心を持つ」わけではなくて、必ずそこに橋を架けてくれる存在がある。

 

この映画で言えば、

スペインにルーツを持つ人、プラド美術館に携わる人にとってなんなのか、という語りや物語の体験を得ることで(編集や脚色も含め)はじめて、どんな価値があるのか、どのように見たらいいのか、「わたし」にとっての価値は何か、を考えられるようになる。

とにかく、プラドは誇りなんだ、プラドはすごいんだよ、と思っている人たちの姿をみるだけで、何をか感じざるを得ない。

 

惜しむらくは、「これからの構想」をもう少し観たかったな。

映画でインタビュイーとしても出てくる建築家のノーマン・フォスター卿がプラド美術館200周年記念事業「諸国王の間」のリノベーションを担当しているそう。

それがどういう計画で、何を目指しているのか、というところまでもう少し観たかった。

まぁ、この映画を作っている段階で出せることがこの範囲だったのかもしれないけれど。

ちなみにノーマン・フォスター卿の「卿」という称号。LOAD。もともとの爵位なのか一代の称号なのか。

映画『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』を観たときも、へえ、イギリスってそういう一代だけの称号とかがあるんですね、と思ったんでした。

メモがわりにこの記事を貼っておきます。また調べる。

 

 

 

 

美術ドキュメンタリーというジャンル

映画の印象としては、昨年観たこちらを思い出しました。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

プラド美術館」もつくりがけっこう似ている。

圧倒的な情報量の多さと、かなり振り切ったストーリーの編集、脚色がある。
ナレーション、作品、インタビュー、関連風景がメインで、俳優を使った演技や再現シーンなどはないけれど、音楽も含めて、かなりドラマティックな仕立て。

 

単なるドキュメンタリーを超えて、実際にあるものを材にとりながら作られた、こういう一つの創作ジャンルという感じ。

なんと呼べばいいのかまだ名付けられないけど、今回は「美術ドキュメンタリー」と呼ばれていたので、わたしもそのように呼んでみることにします。

こういうジャンルを映画として展開する流れが、ここ3年ほどきているなぁという印象です。

「これこれこういう人、こういう物としてのイメージがあるけれど、実は今の時代としてあらためて見てみると」という切り口や編集で語り直されている、出会い直しに橋をかけてくれています。

画家、彫刻家、歌手、映画監督、、など、いろんなパターンもありますね。


知っていた人には新鮮な視点を。

知らなかった人には出会いのきっかけを。


映画がますます幅を広げ、進化していってるなぁという感じがします。

 

 

 

だれにとっておもしろいか。

これは完全にわたし個人の見解です。

とにかく情報量が多い。盛り盛りです。
固有名詞もたくさん出てくるので。
歴史的、文化的背景の基礎知識も要求されます。

なんらかの自分のバックグラウンドと引っかからないと、辛いかな、という感じもします。

...ああ、あの絵どっかで見たことある、名画って言われてるやつだよね。

...よく覚えてないけど世界史で暗記した中にある。

...スペイン、イタリア旅行で観光したなぁ(これから行ってみたいなぁ)。

など、

何しらヨーロッパの歴史の流れや、その土地に身体を運んでみた経験、あるいは根本的な関心などがあったほうが楽しめます。

ざっくりとでも。

それがないと、どうしても情報と映像の洪水、という感じになるかもしれないです。

 

基本は既にあって、そこに流れをつくって、新しく魅せている。

ある文化圏、ある関心層の人にとっては既知のことは、一から説明しない。

NHKスペシャルなら、日本の人にとっての文脈を添えてもらえますけどね。

もちろんその文化にいなくても、関心が薄くても、「これによって新たに知る」ということもあるかと思います。

それが映像の力だと思う。

 

美術、芸術、スペインの歴史のことをもっと知りたかった!
という人にとっては、わくわく楽しい美術館ツアーです。

乗り物で連れて行かれるアミューズメントパークのアトラクションみたいです。

いろんな知識欲が刺激されて、
あとでこれ絶対調べよう!
そういうことだったのか!
そういう面もあったのか!

など、Amazing!な体験が続くので、いっときも目が離せません。

 

なんというか、「速い」のですね。
視覚的、感覚的、思考的にとても速い。

どんどん話題やテーマが展開、転換していく。

処理の速度が要求されている感じがする。

これについていけるとすごく楽しい。

だけれど、「間(ま)」がなさすぎるのと、絵の中の物語と、当時の時代背景と、現在との時間軸が行ったり来たりするので、集中していないと振り落とされてしまう。

振り落とされるというのは、処理が停止して、映画と自分との間が断線してしまう状態です。

 

観るときはぜひとも前日によく寝て。

そして、鑑賞中は集中できる環境をつくるとよいと思います。

振り落とされちゃったと思われる方々が、わたしの周りでよくお休みになっていましたので...。

 

映画『クリムト エゴン・シーレと黄金時代』のときは吹き替え版でしたね。

字幕版でこの情報量だから余計にキツいんだろうなぁと思っていましたら、やっぱり吹き替え版もつくるんですね。よかった。

今井翼、プラド美術館の魅力映すドキュメンタリーで吹替を担当(コメントあり) - 映画ナタリー

 

 

 

余談ですが、

『みんなのアムステルダム国立美術館へ』は、カッコよさとか、ドラマティックとか、情報の処理などとは無縁で、のんびりとしていて、可笑しくて、こういうのもよかったです。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

感想いろいろ

参考になるのかわからないので、自分のメモ書きとして。

  • 「それってそういう絵だったのか!」「この人そういう人だったのか!」
    基本的に鑑賞者はどんな作品でも展示物でも自由に観て、自分なりの印象や感覚を持ったらよいのですが、古典絵画の読み解きに関しては、一定の学説に基づいた正解があるので、それを踏まえていないと十分に味わえない部分があります。それを映画の中ではたくさんの作品を挙げながらずーっと見せてくれます。王朝、戦争、同盟、宮廷内での私的な出来事など。
    あとは画家と宮廷との関係、画家の人生ももちろん。
  • 旅行でトレドのエル・グレコ美術館に行ったときに、たくさんの作品を観て、自分の中に一定のエル・グレコの解釈があったのですが、この映画でそこに新たな光が当たったというか、色彩が加わった感触があります。
  • スペインおよびヨーロッパの歴史を美術・芸術の面からおさらいしているけれど、あらためて膨大で細かいなぁと驚嘆です。当地の歴史の教科書ってほんと一体どうなっているのかしら...。とりあえずこういうものも調べながらプレスシートを読んでいる。もっともっと歴史をわかりたい。
  • もちろんその中でも、いろんな解析技術の発展や、修復の過程で発見される新しい事実があって、そこからまた解釈が広がって、ということがずっと行われている。その、美術館の裏側で起こっている壮大な営みを感じられます。
  • 冒頭で館長、副館長、修復担当者、建築家、俳優、舞踏家など、そのあとも映画全編を通して登場してくるインタビュイーが、自分の「推し作品」を挙げていくところが好きです。「気分や時間帯によって選ぶ絵が違う」...そう、やっぱりそうですよね!
  • それぞれの絵には経緯や記号や意図があるけれど、収集は「特別な戦略はなく、心の赴くままに」していったというところが、いい。
  • 修復担当の人の語りが詩的でよかった。「絵が語る声を聞いて」とか。偏愛に導かれて仕事をする裏方の人の話っていい。修復の部屋が天井が高くて、柔らかい光の明るい部屋なのが印象的。
  • その時代の人にとって絵画とはどういうものだったのか、を追っていける軸もあってよかった。「官能的な絵」の話題のところとか。
  • どうしてスペインにヒエロニムス・ボス(フランドル)やティツィアーノヴェネツィア)のコレクションがあるの?という疑問が、歴史の流れと共に説かれて、とてもわかりやすかった。
  • 現代もほぼ同じ製法で作られている芸術や工芸の工房が映るところも印象深かった。タペストリーの工場、金細工の工房。今も世界のどこかで、このような職人が技法や伝統を受け継いでいっているんだ、という驚きと喜びと感謝が湧く。
  • 女性の画家、静物画、裸体画、セクシャリティアイロニー...当時は理解や受容がされなかっただろうものが、今見ると最先端!

 

誰の言葉だったか忘れたけれど、慌ててメモに走り書きした。

人間は自分たちが想像するよりはるかに大きなそんんざいです。

美は魂が喜ぶこと。

美は私たちの心を動かし、窮地から救ってくれるのです。

芸術は日々の生活のほこりを魂から流してくれます。

ほんとうに、そう思う。

「暇で恵まれた人が余剰や余暇の範囲で楽しめばよい」というものではない。

なくてはならない、人間の普遍的な営み。

それを思い出させてくれる館の存在。

 

伝統と革新。

 

勇気づけられる映画でもありました。

 

 

 

おまけ。

ナビゲーターがジェレミー・アイアンズ

個人的に「おお...」と思ったのは、ジェレミー・アイアンズがナビゲーションしてくれるところ。

世界的に有名な俳優で、有名な作品いろいろありますが、

わたしにとってはもう、デヴィッド・クローネンバーグ監督『戦慄の絆』の人!

これしかないって感じです。

1988年の映画で、ジェレミー・アイアンズが一躍有名になったきっかけの作品です。

たしか中学生か高校生のときに観たんです。

今観ても絶対おもしろいと思うなぁ。

そういえば、ジェレミー・アイアンズはイギリス、ワイト島の出身。
先日観たMETオペラ『蝶々夫人』の演出を手がけたアンソニー・ミンゲラもワイト島の出身だったなぁ。ここでもつながってくる。

 

 

そうだ、そしてわたしは、プラド美術館に行ってなかった疑惑があるので、

生きているうちに行きたい!

短時間での回り方を親切に書いてくれてる人がいたりする。
まぁそうだよね。膨大なコレクションだから、時間がかかるだろうねぇ、と想像する。

 

行く前にまた予習して、映画「プラド美術館」で出てきたやつだ!と言いたいですね!

 

公開は、2020年4月10日です。お楽しみに。

http://www.prado-museum.com/ 

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『夢のユニバーサルシアター』とシネマ・チュプキ・タバタとわたし

映画のあとに観た人同士が対話する「ゆるっと話そう」という場をひらかせていただいている、シネマ・チュプキ・タバタ。

その代表をつとめる平塚千穂子さんのご著書、『夢のユニバーサルシアター』を先月ようやく読み終えました。

 

 

 

少し読んでは胸がいっぱいになり、「うーん、今日はここまで!」と本を閉じ。

またしばらくして別の日に開き、少し読んでは反芻し。

......と、なかなか読み進めるのに時間がかかりましたが、ようやく最後まで行き着きました。

 

とても読みやすい本なんですよ。

その気になればたぶん1時間ぐらいで読んでしまえる。

でも、どうしてもそうしたくない感じがわたしにはあったんです。

 


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2019年6月に、映画『沈没家族』の配給元・ノンデライコさんに紹介していただいて、はじめてチュプキを訪ね、「鑑賞対話の場をひらかせていただきたいんです」とお願いしました。

平塚さんは二つ返事でOKしてくださいました。

「わたしたちも、チュプキの前のスペースで、映画を観たあとに感想を話してたんですよ〜。でも今はなかなかそこまで手が回らなくて。ぜひやりましょう!」と。

 

そこでひらいたのが、「沈没家族でゆるっと話そう」。
「ゆるっと話そう」というタイトルも、平塚さんがつけてくださいました。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

 

それから毎月ひらかせていただき、2月の上旬にひらいた『トークバック』で9回目となりました。
スタッフの宮城さんとも一緒に場をつくることができて、ほんとうに毎回毎回喜びがあります。

 

その喜びには、いろんなものが詰まっているのだけれど、大きいものとしてあるのが、やはりこれ。

  • 観客同士で対話することの価値を共有している
  • 鑑賞対話ファシリテーターの専門性を理解してくださっている

この2つがあるから、ここで場をひらくお仕事が成立できています。

 

この価値の共有ができているのはなぜなんだろう。

平塚さんの、チュプキの、何に由来しているんだろう?

と常々思っていたのですが、本を読んだらなんとぜんぶ書いてありました。

「うちでも昔やっていた」と平塚さんがおっしゃっていたことの詳細がありました。

 

たくさんの人が、それぞれの人生を歩んでいるこの世界で、同じ時に同じ映画を、同じ場所で観ているというのは、偶然で片付けてしまうことはできない貴重な出会いだと思います。映画を観たら「さようなら」ではもったいないと、入場料にはドリンク代も含め、ゆっくりお茶を飲みながら作品の感想を語ってもらえる時間を毎回設けることにしました。ただ、いきなり知らない人の前で「感想を」と言っても話しづらいと思ったので、「どういう経緯でここに来てくれたのですか?」「どのシーンのどの言葉が印象的でしたか?」などと私たちから話しかけていって、皆さんの会話を促していきました。(p67 『夢のユニバーサルシアター』)

 

 

館の人で、やってる人が、いた!!!

いや、知ってはいたんですが、そういうことだったのかぁ......と文脈ごと、ほんとうに理解しました。

 

そして、本の他のページからも、

  • みんなに映画のよい体験をしてもらいたい。
  • やったことがないけれど、まだこの世にないけれど、でもきっとこれをやったらみんなにとっていいことがある。
  • こういうのがあったらいいなって思うなら、それはきっと必要なこと。
  • ずっとやってみたかったことを、やってみよう。
  • チャレンジしてみよう。つくってみよう。だめだったらまた考えよう。
  • 小さく確かな手応え、手触りを信じよう。

こんなこともたっぷりと受け取りました。

(実際にこの通りに書いてあったわけではなくて、わたしの受け取ったものとして)

 

ああそうか、だからわたしは、あんなにもするりと受け入れていただけたのだな、

チャレンジを応援していただけたのだな、

場を任せてもらえたのだな、

とあらためて深く感謝の気持ちがあふれました。

 

観客同士が対話する場があることは、価値である。

その劇場の特色になり、集客に貢献し、よき循環を生み出す。

そのことを劇場の人、館の人が知っていて、認めてくれている。

どう説明すればわかってもらえるんだろう、どうしたら信頼していただけるだろうと、自分の仕事の展開についていつも頭を悩ませてきました。

でも、あれこれ説明しなくても、
「ああ、あれのことね、あれをしたいのね、それはいいわね、あなたなら大丈夫ね
と、言ってくださる館の人が存在した!

現にここにいる!

ということは...他にもきっと平塚さんのような方がいるはずだ!!

 

ということなんだな!

映画館に限らず、館の人。

作り手の人、届け手の人、きっといる。


平塚さんの前向きなエネルギーが伝染します。ふくふく。

 


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この本は、映画館を作ってみたい人、聴覚障害視覚障害をもった人、
あるいはその支援をしている人の役に立つのはもちろんのこと、

すてきなアイディアを持っているけれど、本当に実現できるんだろうか?
と半信半疑だったり、まだ今少し勇気が出ない人の背中を強く押してくれます。

何をしたか、
何が起こったか、
そのときどんな気持ちだったか、
そのときどきで何を大切にしてきたか、
一貫して何を大切にしてきたか、

が詳細に綴られています。

 

平塚さんがラジオ番組で話されているのを聞いたり、イベントのトークを聞いたり、 お会いした時に断片的にうかがっていたお話が、こうして一冊の本として、一つの物語として綴られている、まとまっていることが、わたしにはとてもありがたいです。

 

ライブで聞く話には、それはそれで、すごく受け取るものがある。

でも、文字や文章や本という表現形式だからこそ受け取れるものもある。
自分の好きな場所で、好きなペースで、何度でも味わえるのは、やはりいいよね。

わたしが今仲間と書いている本も、誰かにとっての、そんな存在になるといいなぁ。

 

それから、わたしも、チャンスをあげられる立場になったときには、チャレンジする人をどんどん応援したいなぁ。

 

 

チュプキ設立時のクラウドファンディングにはタイミングが合わなくて関われなかったのですが、今見てもあたたかい思いが詰まっていて、このページは素敵です。

この頃、平塚さんや、支配人の和田さんがどんな道の途上で、どんなことを考えていたのか、本を読むと、そのドラマを時間差で体験させてもらえます。

motion-gallery.net


シネマ・チュプキ・タバタは、映画をめぐる新しい文化の発信地。

「お店」のような気軽さ、人とのほどよい距離感と、居心地の良さがあります。

 

「こんにちは、きょうなんか美味しい映画ある?」
「きょうはねー、あったかい気分になりたいなら、この映画がおすすめですよー」
そんな会話を交わすまちの定食屋さんみたいな、おみせみたいな映画館。

 

本を読まれた方は、ぜひほんもののチュプキを訪れてほしいです。

 

シネマ・チュプキ・タバタ

http://chupki.jpn.org/

 

バリアフリー映画鑑賞推進団体City Lights(チュプキの運営母体)

http://www.citylights01.org/

 

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鑑賞対話ファシリテーター・舟之川聖子

https://seikofunanokawa.com/