ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

Zoomで相談!読書会、鑑賞会、クラス運営、講座、勉強会、コミュニティづくりしませんか?

CMです。

 

Zoomで相談!

鑑賞対話ファシリテーター・舟之川聖子の場づくりコンサルティング

 

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人が集まる機会・関係・活動を主催している方、検討中の方。
ぼんやりアイディアはあるけれど、まとまった形にならない状態から、
実際にやっているけれどうまくいっていない悩みまで、
どんな段階でもお聴きします。

思いを聴き、現状を確認します。

問いかけや提案をしながら、実現へ向けて一緒に考えます。

オフラインの場も、オンラインの場も、どちらも相談できます。

 

オンライン会議システムZoomにて
9:00〜21:00
30分5,500円/60分11,000円(税込)
銀行振込またはPaypal払い
事前問診シートあり

 

●過去のご相談例
・所有スペースを生かした地域の人が集う読書会
・好きなバレエ作品を紹介する鑑賞会
・よき学びを講師として支援するクラスやゼミ運営
・学校教育を考える地域の勉強会
・海外在住の日本人の安心できるコミュニティづくり
・資格を生かした女性のエンパワメントのための体験講座
…等、多数。

 

 

お問い合わせは、以下のコンタクトフォームより。

seikofunanokawa.com

書籍『わたしが障害者じゃなくなる日』

シネマ・チュプキ・タバタで『37セカンズ』という映画の感想シェアの場をひらくのに合わせて読んだ本。劇場で参考書籍として販売されていた。

 

『わたしが障害者じゃなくなる日〜難病で動けなくてもふつうに生きられる世の中のつくりかた』 

 

第一感想としては、

とにかく読めてよかった!とてもいい本!これで読書会したい!

丁寧にルビが振ってあるので、小学校高学年や中学生ぐらいから一緒に読める。

 

単行本は装幀がとてもよくて、読む気がぐいぐい起こる。

表紙のマゼンタはハッピーになる色だし、サイズもちょうどいいし、本紙の色も少し黄味がかっていて、その上にのっているえんじ色のテキストも、黒より意外に目に優しい。イラストやまとめも立ち止まりながら、一緒に歩んでくれる。このイラスト好き。

今、出版のプロジェクトを進行中なので、こういう本の体裁への愛もついつい確認してしまう。読み手に影響するから、デザイン大事よね。

 

2019年6月に発刊になった本。

第3章『人間の価値ってなんだろう?』で、やはり津久井やまゆり園の事件に触れられている。

でもいきなりそこにいくのではなくて、段階を追って丁寧に渡りやすく楽しい橋を架けていってくれる。

そう、なんだか海老原さんの語り口はとても楽しい。一緒にいたら、すごく楽しい人なんだろうなぁと思う。

 

著者の海老原宏美さんは、1977年生まれのわたしと同年代。

生まれつき脊髄性筋萎縮症(SMA)という難病にかかっている。

脊髄性筋萎縮症とは、体の筋肉がだんだん衰えていく病気。

移動は車椅子で、呼吸は人工呼吸器で、生活動作は介助者(アテンダント)のサポートを受けて、一人暮らしをしている。

 

まず冒頭で明示されるのが、障害は社会の側に問題があるということ。

例えば、建物に入るのに「車椅子だから」入れないのではなく、「階段しかないから」入れない。これまでは、「一人ひとりの個人のせいにされてきた」(個人モデル)けれども、これからは、「わたしたちのくらす社会の仕組みが原因になる」(社会モデル)でやっていこうという考え方が世界中で起こっている。

システムを中心にして人間を合わせるのではなく、人間を中心にしてシステムのほうを変えていこうとする流れ。

 

わたしも障害者だった期間がある。

この本の説明で言えば、たとえば、「妊婦さん」「ベビーカーを押しているお母さん」「言葉の通じない外国人」。そうそう、こういう状態や立場だったとき、「生活するときに困ったり、不便だったり、危険を感じたり」したなぁ。「すみません、わたしがこんなんで」と申し訳なく思ってしまったこともあったけれど、それもおかしな話だった。

がんばったり乗り越えたりしなくても、そのままの自分で、そのままのあなたでいい。困ったことがあれば伝えて、一緒になんとかできないか考えてもらう。

 

第1章では、主に海老原さんがどのような人生を歩んできたのかが語られているのだけれど、これがまたおもしろい。

海老原さん自身が好奇心いっぱいに当時を生きていたし、今また新鮮な驚きをもって当時をふりかえっている感じがすごくいい。

人の体験談がおもしろいときって、
・こういう経緯があって
・こういう出来事があって(へーー!やガーーン......)
・そのときこう思って
・こういう発見や学びがあった
・それを元にこんな仮説をもって、次にこうしてみたらこうなった!(ワーイ!)

がセットになって語られているときなんだけど、それがどんどん続いて、つながっていく感じで、どんどん読んでしまう。

小学校から大学まで健常者の中にいて、違いをあまり感じずにくらしてきたので、わたしは自分が重度障害者だということにぜんぜん気づいていませんでした。

のところは、びっくりしてしまった。

かといって、エキセントリックでとてもついていけない、わたしにはとても真似できない、海老原さんが特別だったんでしょ、という感じは全然ない。

海老原さんと一緒にのびのび冒険をして、チャレンジしているうちに、わたしも自分の中で限界を決めちゃってたかも、とか、わたしはわたしでよかった!と思えたり、なんだか心が健やかになる。

わたしが困っていることだって、みんなが助けてくれたら困っていることじゃなくなる。話したら聴いてもらえる。一緒に考えてもらえる。ここはそういう優しい世界でもある。

 

合理的配慮のところは、場づくりする人にとっては必読。

「どうしたらその人と一緒に楽しめるか。その方法を考える」

もちろん場の目的があるわけだけど、工夫することによって、より場がおもしろく楽しく豊かになる可能性も検討したい。想定を超えていくことが、場づくりの醍醐味。

 

そして2章の終わりから、3章にかけての人権、そして人間の価値の話。大事な話。

人権は、あなたの感情や思いには左右されません。

イヤなヤツでも、ゆるせない相手でも、人として生きる権利がある。

尊重される権利があるのです。

 

この章については、まだ言葉にならないけれど、ひとつ思い出したことがある。

 

わたしが小さい頃、「障害者はかわいそうな人」と親がよく言っていた。「生まれてきた子が五体満足でよかった」という言葉もよく聞かれた。

それ以外にも、「かわいそう」という言葉は何かにつけよく聞かれた。貧しかったり、突然難病にかかったり、事故にあったり、いろんな不運に対して使われていた。それは今思えば、社会の側に救済や支援や方策がなくて、その人のせいにされていたから、「かわいそう」という表現をする他なかったのかと思う。一人ひとりが自分らしくいるということから程遠かったのかもしれない。

そしてなんといっても、わたしの親が親になるまでの間に、あの「優生保護法」は現役で機能していたわけだから、かれら個人のせいばかりとも言えない。(疑問はもってほしかったけれど)

 

けれども、そこからアップデートしなくては。

たくさん事例があり研究があり実践がある。

人間を中心に組み立てていったほうが、みんなが幸せになれる。

自分も気づいたし、たくさんの人が気づいているから、もっともっと形にしていきたい。

知るから想定できる。

学び続けるから、具体的に実現できる。

 

この本に限らずだけれど、いろんな障害があっても、いろんな障壁があっても、直接は会えなくても、時間も場所も超えて、本の形だから人とつながれる。

 

読み終えて、その実感もとても温かく残っている。

 


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chupki.jpn.org

 

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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー

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NTLive『リーマン・トリロジー』鑑賞記録

National Theatre Liveの『リーマン・トリロジー』、観てきました!
先日このようにご紹介していた作品です。
 
明るい気分にはならないだろうし、観たらいろいろ考えちゃうかもしれない。
今はシリアスすぎるものはけっこうキツイし、何より舞台が回転するのかーーと思うと尻込みしていました。
 
が、ツイッターで感想を漁っていたら、どれもこれも絶賛の嵐だったので、思いきって行ってきました。
 


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いやはや、すごかったです。

これはぜひ観てほしい。

 

心配していた通り、舞台はじゃんじゃん回っていました。

 
1幕、2幕はわりと平気。

3幕は回り続けてなかなか止まらなかったり、スピードが早かったり、背景に投写されている映像も回るので、なかなかハードでした。音響とも相まって、時々顔を覆ったりしていました。(これは誰もレビューで書いてなかった。みんな強いんだなー......)

破滅へのクライマックスだからなんですよね、すごく効果的だった。


3幕は他にも演出で、フラッシュ(たぶん1回?)や銃声(数発)や暗転(15秒)があります。これらは冒頭でも予告されます。

銃を使った自死の演技や、男性同士が激しく怒鳴りあうシーンもあります。

なんともない人にはなんともないんだろうけど、苦手だったり、生命の危機を感じる人には重要な情報だと思うので、お知らせしておきます。

 

 


でも、でも、それを超えて、ほんとうに観てよかった!!!
今という時にこそ、観てよかった作品です。

 

まず、美しかった。

大きな透明のガラスボックスの舞台装置は照明に映えて美しく、生のピアノ演奏(わたしたちが観ているのは録画ですが)の透き通るような音との共鳴は、SFやアンビエントな世界観を醸し出しています。

 

演出がサム・メンデスなだけあって、映像的。

彼が監督した『アメリカン・ビューティ』好きだったなぁ。

観る前は、無機質なフレームに黒づくめのおじさんが3人...をどう美しく感じられるんだろう?と思っていたけれど、舞台を構成する要素がぴったりと一つに結ばれると、目が離せないほど美しいのです。

初めから終わりまで。

だから破滅の物語なのに、ギリギリのところで観ていられるのかもしれない。

 

 

様々な舞台芸術の要素があって、わたしは特に活弁お能とオペラを感じ取った。

・ピアノが役者のように演技したり、心理描写や情景描写をする。

・ピアノが重要なシーンで主題を繰り返す。

・繰り返すセリフがある。

・ト書きを本人が動作しながら言ったり、そのシーンで役に当たっていない人間が言う。

・限られた数の人間だけが舞台の上にいる。

・限られた小道具と作り物の見立て。

というところが。

 

他の舞台芸術のフィルターをかけて観てみるのもまたおもしろいです。

 

 

ウォール街を綱渡りするブローカー。落っこちても大丈夫なように、ネットつけときましたよ(椅子の背についていた^^)

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鑑賞者は、リーマン兄弟、一族とその継承者に最終的に何が起きたかはわかっている。
この物語には基本、栄光と凋落しかないわけですが、そこに至るまでのきっかけ、展開、伏線がミステリーのように交錯して、潜伏しては表出してくる、この繰り返しのダイナミズムに圧倒されました。
 
まるで神話や叙事詩のような、時代劇や大河ドラマのような。
 
 

舞台が回転するのは、輪廻を表しているのだろうと思います。

150年にわたるリーマン一族3世代とその後継者の物語は、時代が変わっても、人間が変わっても、結局のところ、同じところをぐるぐると周り続けているだけだった。

リーマン一族のことだけではない、人類への皮肉なのか。

  

何が彼らをそうさせるのだろうか。
金融業界が男社会だからこうなったのかしら。 
 
野心、野望、興奮、熱狂、最上志向、競争、闘争、攻撃、先制、統率......などのワードが脳裏をチラチラとしていました。
 
男性にだけあるものとは思わないけれど。
女性もいたら、また別のバランスがあったのかなと思って。
 
おもしろくてしょうがない。
やめられない。
やめ方がわからない。
作り上げた仕組みが成り立たない。
勝てなくなったらどうしたらいいのか。
自分でも何をしているのかわからない。
 
そこまで暴走させるものとは。
 
 
最近コミック化で話題になった「戦争は女の顔をしていない」という本のことも思い出しました。
 
また、感染症に席巻される現在の世界のことがいやでも想起されるし、人類が数えきれないほど「やらかしてきたこと」も思い当たらずにはいられなかった。
 
特に、言葉や映像が世界中に溢れ、押し寄せてくるように感じられる苦しさは、今まさに進行している。
 
「どこが分岐だったのだろう」と何度も思うけれど、「リーマン・トリロジー」の中にいると、もはや「どこが」かなんて分からない。
どこかで引き返せたような気が全然しない。
最初からそうなるように決まっていたようにも見えてくる。
 
観ているときは没頭はしているけれど、誰かに共感したり感情移入したりすることもなく、いつまでも胃に重く抱えて夜眠れない、ということもなかった。
でも忘れられない。
 
この感じは、ラーメンズの舞台が好きな方は好きそう。
3時間ちょっとの長尺ですが、2回休憩もあるし、スリリングでまったく飽きません。

登場人物もたくさん出てくるけれど、役者が完璧に演じ分けていて、0歳〜100歳以上の老若男女が、ほんとうにそのように見える。すごい。
舞台には3人しかいないのに、何人、何十人、何百人、何万人、何億人の人間を感じさせるのも、すごかったなぁ。空気のようで顔がない人間たち。そこから切り離されてガラスボックスの中で極限の孤独を舞台上で生きる「3人」。
 
うーん、すごかった!
 
歴史、宗教、金融の知識がなくても、一つひとつ積んでいくので置いてきぼりになりません。それでいて説明的でないのがすごい。
 
という具合に、とにかく、ひたすらベタ褒めしたい。
 
ご都合つく方は、ぜひ。前夜はよく寝て、体調万全のときに行ってください。
 
パンフレットに掲載されている小田島創志さんの「『リーマン・トリロジー』のダイナミクスと言葉」という解説が非常におもしろかったです。
このためだけにパンフレット買ってもいいぐらい!
 
今回の現地の劇場はPiccadilly Theatre(ピカデリー劇場)。

『津田清楓展』@練馬区立美術館 鑑賞記録

津田青楓展に行ってきた。

青楓は"せいふう"と読む。 

 

練馬区立美術館の公式HP

生誕140年記念 背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和 | 展覧会 | 練馬区立美術館

 

美術手帖の記事

bijutsutecho.com

 

 

とてもよかった。
津田青楓、なんという縦横無尽な人なのか。

画風、技法、モチーフ。一点一点が全部違う。

図案、本の装幀、水墨画、フランス刺繍、油彩、水彩、ヌード、スケッチ、書......。

98年も生きた人なので、どんどん変化していくことは、それはあるだろうけれど、こんなにも......!

 

一つひとつが新しく懐かしい。

躍動感。

思いがけなさ。

圧倒された。

 

小かと思えば、大

静かと思えば、動

明かと思えば、暗

淡いかと思えば、濃い

抽象かと思えば、具体

 

特に印象深いのは、2階上がってすぐの小部屋の本のコーナー。

一つひとつが全然違う!(そればっかり言っちゃうけど)

 

次の部屋、油彩の「夏の日」。

描かれた群像さえも、一人ひとりが全く異なる。

同じ場所にいるのに関係を結んでいない。

それでいて、日差しの強さや木陰のひんやりした感じはリアルに伝わってくる。

そして目に飛び込んでくる色!

 

そして、左翼運動家を描いた「犠牲者」。

どんなビジュアルかはわかっていたけれど、生でみるとやはり迫力がある。

まず思っていたよりも大きい。等身大に近い?

そして、拷問の痕が生々しい。

よく見ると局部も剥き出しになっている。

左下の鉄格子のはまった小窓から見える国会議事堂の斜めの「表情」。

(後日、『新聞記者』を観たときにこの絵のことを思い出した)

 

それでも、彼を生かしてきたのは、いつでも仲間や理解者の存在だったのではないか。

展示のテーマでもあるので当然だが、随所に親交の温かみが見て取れる。

愛された人だったのだろうな。

 

アーティスト・表現者にとって、健やかで長生きするというのは、とても重要なことだと繰り返し聞いてきた。

同じように、一つ所に集まって、文学談義など盛んにしていた交友関係も広かった芥川龍之介はなぜ亡くなったのだろうか、やはり身体が傷んだり病んだりすると精神も辛くなるのだろうか...など、先日行った田端文士村記念館での展示を思い出した。

 


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メモをとってはきたけれど、わたしは圧倒されているばかりで収拾がつかないので、一緒に行った友人のnoteを紹介する。

 

note.com

油彩、水彩、書、テキスタイル、本の装幀、着物、
どれか好きなら、きっとグッとくるかと。

うん、間違いない!!

 

なんの気なしに誘ったんだけど、とても喜んでもらえて、思いがけずいろんな橋を架けられたようで、わたしもうれしい。

 

 

 

予習はぜひこちら、青い日記帳さんの充実のブログ記事で!

「津田青楓展」 | 青い日記帳

 

 

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お土産は図録と迷って、図案集を買った。

青楓にとっては初期の、全画業からすればほんの一時期のことだってわかっているんだけど、これは惹かれる。

眺めていたいし、もっともっとたくさん見たくなる。不思議。

 

後ろにある藤井健三さんという染織研究家の方の解説が、これまた詳しくてありがたい。展覧会で観たものの記憶を立ち上げながら読むと、何倍も体験が深くなったような感覚。

 

出版社は、芸艸堂(うんそうどう)。

https://www.unsodo.net/index.php

日本唯一の手木版和装本出版社......へぇ、こんな出版社があるんだなぁ。

 

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図案がたくさん載っていて、ぬりえがしたくなっちゃう。

わたしも描いてみた。薄めの紙に写して色を塗って。

 

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難しかった!

図案集の中で一番シンプルなものを選んでみたのだけれど。

写してみると、描いた人の鋭い観察眼の色や比率のバランスなどが感じられた。




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この感染症流行の時期にも、ここの自治体が判断して、開くことを決めてくれて、うれしい。

わたしにとって鑑賞は余暇の趣味や気晴らしなどではなく、生のために必需の行為。

 

美術館での作品鑑賞は、基本しゃべらないし、(なんなら会話禁止にすればよいし)、さわらないし(さわっちゃいけないし)、あらためて相当安全な行動だなぁとは思った。フェルメール展やゴッホ展ならともかくね。

それで外出して、精神も健やかでいられるなら、いいのでは、と。

 

いえ、もちろん、いろいろな判断があるのはわかっているけれども。

一律でなくてよい、ということも忘れないでいたい。

 

「誰かと見に行って、近くのカフェで感想を60分脱線せずに話しきる」をすると、いいですよ。

これも一番小さな鑑賞対話の場。

 

 

板橋区立美術館でも展示がはじまる。

深井隆 -物語の庭-|板橋区立美術館

 

行きたかった展示なので、とてもうれしい。
応援の気持ちをたっぷり持って、観にいく。

 

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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー

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書籍『OSAMU'S AtoZ 原田治の仕事』

先週末、公園に行ったら人出が戻っているようでした。

感染症が流行しているけれども、春めいてきたら外に出たくなるのが生き物。

予防はできる限りするけれど、備えているけれども、生き物としてわきあがってくる衝動を切り捨てたくない。

 

とはいえ、まだまだ三寒四温で寒い日もあるので、家で読書や映画などを観てゆっくり過ごしてもいます。

 

最近こんな記事が流れてきて、思い出しました。

www.haconiwa-mag.com

 

そうそう、去年の世田谷文学館の展覧会、行ったなぁ!って。

 

そのときに友人と録ったおしゃべりがありますので、よかったら聴いてみてください。

行ってない方も、行った方も楽しんでもらえるといいなと思って作りました。 

note.com

 

 

わたしがそのときに購入したこちらの本もたいへんよかったです。

 


帯の言葉から引用します。

美術を愛するひとへ

原田治(1946〜2016)が集めた「美しいものたち」

80年代、女子中高生たちが夢中になったOSAMU GOODSの生みの親であるイラストレーター・原田治。物心つくと同時に絵筆を握り、自ずと美術鑑賞が趣味となった著者がずっとずっと続けてきた大切なことーーー

著者が最後に遺したエッセイ集

大人になって、同い年になって、そして超えていく。

小学生や中学生のわたしに、すてきなGOODSを届けてくれた人を、対等な一人の人として、その人生を知っていく。

年を重ねるっていいなぁと思います。

テーマになっている作品や作家も、「うわー、わたしも好きなんです!」と思わず握手したくなる。2ページほどの短いエッセイなのでお茶菓子をつまむように読めます。

装幀もいいです。亜紀書房さん、好き。

やはり美術を愛する人に、おすすめだなぁ。

 


▼公式図録はこちら。宝物が詰まっている。

 

 

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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー

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何度でも出会い直す漫画『CIPHER』

ふと思い立って、漫画『CIPHER』の文庫版、全7巻を買いました。

▼今新刊で出ているのは愛蔵版。

 

4年前に自主開催で『CIPHERを語る会』をひらいたり、

hitotobi.hatenadiary.jp

 

LaLaの原画展に行ったり、

hitotobi.hatenadiary.jp

 

......と、あれこれしていたわりに、肝心のコミックは手元になかったのです。

すみません、すみません......。

 

いやー、ほんとうに買ってよかった。このタイミングで。

 

読み返してみたら、また新たな発見がありました。

好きなシーンもたくさん「再」発見しました。

ジェイク(シヴァ)がはじめてディーナに会って家に招かれ、家族と夕食を共にして、ディーナの歌に泣くエピソードのところで、わたしも泣いてしまいました。

 

『CIPHER』は世界の広さを見せ、異なる価値観に触れさせてくれた漫画でした。

人生を歩む上で大切なことがたくさん描かれていた。

なぜあんなにも惹かれたのか、今になってわかる。

より深く意味を受け取っています。

 

ダイバーシティや多様性という言葉がまったくなかった時代に、この漫画を通して、教わったことは数知れない。

特に今回読んでいて注目したのが、

・尊厳、尊重、選択、権利、責任。

・ゼロに戻る。新しく始める。

・トラウマ体験

・家族の物語

・回復途上で感じる痛み、悼み、嘆き

・依存と自立

・人間の孤独

・語ること、聴くこと、対話

・感情表現

・処罰感情

・贖罪

・同じ事象を別の側から物語ること

 

非常に今日的なテーマ。

 

 

見ないことにされてきたたくさんの感情やプロセス。

間(あいだ)にあるものが、丁寧に描かれています。

 

憧れと共にたっぷりと吸収した大切な養分は、大人になった後も、ずっとわたしを支えてくれているように思います。

 

消えない、枯れない資本として。

 

単に「懐かしい〜」というだけでない、わたしを構成する大切な要素であることを確認します。

 

一方で、それだけ心を配っていた表現の中にも、「今読むとOUTだよね」というものもある。本編もだし、文庫版が発刊された1997年当時に書かれた解説にも。

それ自体が悪いと言うより、たぶん時代が大きく変わったということ。

そう思えることに、隔世の感があります。

ギョッとする自分がいるということが喜ばしい。

当たり前のものとして流していて、心がざわついていることも感じられなかった。

ゆるされなかった時代を思えば、自分が生きている間にこれほどの変化を見ることができてうれしい。(でもまだまだ、変えていきたい)

 

 

「あなたと友達になりたいの!」と風のように登場し、ほんとうに友人として交流していく最初の主人公、アニス。

対等で誠実な関係から恋愛感情へと発展していく健やかさは、あの当時にはなかった全く新しい価値観でした。

本の学校が舞台の、男子・女子を「意識」させる「少女漫画」にない恋愛。

恋人とのキスも「ロマンチックでムーディな雰囲気の中で、女の子が待っている(してもらう)キス」ではなくて、対等な人間同士のキスだった。

そう、人間同士の関係がまずあってこその、恋愛だよね、という揺るぎない土台。

今にして思えば当たり前だけれど、当時そういう作品は他には見られなかったなぁ。

恋愛至上主義に適合し、性別役割をがんばっていた、わたしの10代で実現は叶わなかったけれども、漫画を通して、あの対等で尊敬しあう関係性がこの世界に存在すると知っていたことは、とても大きかったです。

 

このあとTV放映された「ビバリーヒルズ高校白書」は......恋愛ばっかでしたね^^;

 

  

携帯電話もスマートフォンもEメールもSNSもない時代。

コミュニケーションは電話か手紙か掲示板。

カメラはフィルム。

パソコンはMacintosh 128K。初代Mac

 

ハルがUCLAに通いながら、プログラマーの仕事としているというのも、時代を考えるとすごい。

それでも不思議と古さを感じないのです。

 

 

そうそう、解説を読んで驚いたこと。

キャラクターたちは持ち服を着まわしているんですよ。文庫版の5巻の解説、声優の中川亜紀子さんという方の、「限りがあるワードローブ」で指摘されていて、気づきました。

これ、ほんとびっくりした。

他にも、バッグや持ち物もだし、部屋の中のインテリアや小物も、変わらない。

当たり前かもしれないけれど、たぶんその書き込みや設定の緻密さが半端ない。

 

6巻の北海道立函館美術館の学芸員の穂積利明さんという方の「『CIPHER』ー僕らの成長物語」でこう書かれていました。

つまり成田美名子の絵は印刷されたものをはるかに超えて完成度の高いものだったのである。とりわけ、この『CIPHER』については粒揃いだったと思う。そのうまさたるや、テーブルの上にさりげなく置かれた赤い飲み物が、ブラッディマリーやストロベリーマルガリータなどではなく、カンパリソーダであるとはっきりわかるほどである。

ひぃーーー。

でも、ああ、だからこそ、この世界があることが信じられる、わたしたちもその物語の中で息をすることができるのだな。

 

思わず、こちらの画集も買い求めてしまいました...。

 


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今回気づいたものをキーワードで並べていきます。

1985年〜1990年の日本に、どれだけ新しかったか。

そして普遍的であるか。

 

・人権

・人種(アフリカ系、プエルトリコ系、インド系、日系)

・人種差別

・治安、暴力、虐待を受けた女性のためのサポート機関、「父から娘への性暴力」(ニュース番組の画面に)

・家族の物語。養子、血縁。離婚、再婚。

・身体障害

ベトナム戦争

アメリカのお祭り。感謝祭、聖パトリックデー、独立記念日、ハロウィン、クリスマス、自由の女神100年記念

・NY(東海岸)とLA(西海岸)の文化の違い

・サマーキャンプ

・キルト作り、ベビーシッターのアルバイト

・生理(月経)、ナプキン、タンポン

・ブラジャー

・薬物。薬物依存症。Coke(コカインの俗語)、ジェイ・ジョイント(マリファナタバコの俗語)、エイズエイズ検査

・男性の自活、自炊

・離婚仲介業者(ディボース・メディエーター)、精神療法医(サイコセラピスト)

・洋楽。トンプソン・ツインズ、ペットショップボーイズ、マイケル・ジャクソン、マドンナ、マンハッタン・トランスファー、スティング、カルチャークラブ、プリンス、ワム!

・歌、ゴスペル、黒人霊歌(ビッグママが歌う'Round about the mountainはこんな曲だった)

・体温計の表示温度が違う。99.8度(華氏)=37.5度(摂氏)

・グルーピー

・仕事、俳優、モデル、撮影現場、演技、プロフェッショナル

・ドレッドヘア、ラスタマン

ルッキズム

・自宅出産

・TVで「スター誕生」の放映。(2018年もリメイクあったね。『アリー/ スター誕生』)

 ・アートスクール、コロンビア、UCLA、ハーバード、SAT

・1968年/キング牧師ケネディ大統領暗殺、1969年/ウッドストック、月面着陸

ルームシェア

・書く表現

・事故死後の遺族の人生

・身障者のためのボランティア

・スポーツ

カインとアベル、聖書、宗教、信仰、祈り

 

ああ、もう書ききれない...。 

背景だけではなく、忘れられないセリフやシーンもたくさんあるんだよなぁ。

 

そうそう、一卵性の双子の人は、どんなに似ていても、片方といっぺんより仲良くしていたら、すぐに見分けがつくようになる、というのは本当です。「あれ、なんで見分けがつかないって思ってたんだろう?」っていうぐらい似なくなる。ほんと不思議。

この漫画のおかげで、双子の人に失礼なこと言わないようになったのも、学びだったかも。

 

 

CIPHERという作品に、人生の早い時期出会えてほんとうによかった。

わたしと同じように「懐かしい〜」が湧いた人はぜひ、その先に鑑賞を深めてみてほしいです。

受け取るものは当時よりずっと多く深くなっているはず。

 

そして、はじめて出会う人にとっても、これはきっと良い物語だと思います。

おすすめします。 

 

 

この先も何度も読み返す名作です。

 

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開催します:3/23 爽やかな集中感 百人一首と競技かるた体験会

会場のUmiのいえと相談して、

3月23日(月)の百人一首と競技かるたの会は開催することにしました。

 

マスク、手洗い、消毒、水分補給、換気などできる限りの感染予防はお互いにする。

体調に少しでも不安があれば欠席していただき、今回に限りキャンセル料はなしとします。

感染症拡大の状況の変化は追いながら、その都度慎重に判断していきます。

 

Umiのいえは、今も毎日ひらいている場所です。

このような時だからこそ、身体を整えることや日常を大切にしています。

 

わたしも、日常を営み続けることや、生身の人間と会って顔を見て言葉を交わすことが、心身を根本から健やかにすると考えています。

 

今はこのような判断です。

 

また、Umiのいえでの百人一首と競技かるた体験会は一旦終了いたします。

この機会にご参加をお待ちしています。

 

 

2020年3月23日(月)14:00~16:00

coubic.com

 


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《お知らせ》3/28 映画『37セカンズ』でゆるっと話そう

3月のチュプキでの開催が決まりました。

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ゆるっと話そうシリーズ第10回

『37セカンズ』

3月28日(土) 19:10〜19:55
シネマ・チュプキ・タバタ(田端)

詳細>>http://chupki.jpn.org/archives/5441

 

 

 

〈ゆるっと話そう〉は、映画を観た人同士が感想を交わし合う、

45分のアフタートークタイムです。


映画を観終わって、 誰かとむしょうに感想を話したくなっちゃったこと、ありませんか?

印象に残ったシーンや登場人物、ストーリー展開から感じたことや考えたこと、思い出したこと。

他の人はどんな感想を持ったのかも、聞いてみたい。

はじめて会う人同士でも気楽に話せるよう、ファシリテーターが進行します。

  

第10回は、『37セカンズ』をピックアップ!

http://chupki.jpn.org/archives/5340


親子、夫婦、家族、友だち、仲間。
障害、性、仕事。
自己承認、自己肯定、自己信頼。
選択、自立。
できること、できないこと。

誰にでも関係のある、普遍的なテーマが描かれた作品です。
見る人の立場や背景によって、光を当てるところがかなり違うでしょう。
この映画よかった!という方も、なんだかモヤモヤしちゃった…という方も、ぜひその違いの豊かさを味わい、分かち合いましょう。

ご参加お待ちしています。

 

日 時:2020年3月28日(土)19:10(17:05の回終映後)〜19:55

 

参加費投げ銭制 ¥500〜

 

予 約:不要。

    映画の鑑賞席は予約がおすすめです。

    http://chupki.jpn.org/archives/5340

 

対 象:映画『37セカンズ』を観た方。

    別の日・別の劇場で観た方もどうぞ。

    観ていなくても内容を知るのがOKな方はぜひどうぞ!

 
お知らせ

・    ゆるっと話そうの時間はシアターの扉を開放します。
・ 状況によりマスクの着用をお願いすることがあります(ない方には提供します)

  

<これまでの開催>

第9回 トークバック 沈黙を破る女たち
第8回 人生をしまう時間(とき)
第7回 ディリリとパリの時間旅行
第6回 おいしい家族
第5回 教誨師
第4回 バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット版
第3回 人生フルーツ
第2回 勝手にふるえてろ
第1回 沈没家族


進 行:舟之川聖子(鑑賞対話ファシリテーター

twitter: https://twitter.com/seikofunanok
blog: http://hitotobi.hatenadiary.jp
hp: https://seikofunanokawa.com/

 

わたしのこの映画の感想はこちら。

hitotobi.hatenadiary.jp

映画『37セカンズ』鑑賞記録

映画『37セカンズ』を観た。

37seconds.jp

 

3月のシネマ・チュプキ・タバタでの感想対話の会、"ゆるっと話そう"で扱う作品。

「これどうでしょう?」とチュプキさんから提案があったとき、わたしは実はピンと来ていなかった。

チュプキさんの推し理由、公式HP、公式twitter、レビューブログ、3月のチュプキの他のラインナップ、これまで"ゆるっと"シリーズで扱ってきた作品、等々を見てみて、最終的に、「37セカンズ」しかないな、というところに落ち着いた。

 

なのに、なんとなく気持ちが「今すぐ観に行きたい!」というほうに向かない。

「はて、これはどうしたことか?」と思っていたのだが、きのう観てみて、理由がわかった。

 

あれだ。

スマホでネットサーフィンをしているときに表示される、漫画の広告。実際の漫画のコマが貼ってあるもので、ざっくり言うとエロ・グロ・気持ち悪い。

パッと視界に入っただけで、気分が悪くなる。はぁ...嫌なもんみちゃった...っていう。

 

「37セカンズ」のあらすじや登場人物の紹介などを読んでいると、いくつかのキーワードから、自分の中で自動的に「あの嫌な感じ」が起動してしまっていたのだ。

 

なんだそういうことだったのか。

ああ、理由がわかってすっきりした。

考えてみたら、チュプキさんから意地悪な映画なんて勧められるわけがない。そもそもチュプキでかからない。

勝手に起動しただけです。

 

 

でも万が一、「この映画はなにやらしんどそうだからいいや」ってなっている人がいるとしたら、それは心配ご無用です。

とても希望あふれるよい映画でしたよ!!!

 

※追記

RatingがPG-12なのは、性行為のシーンが赤裸々、というわけではないです。人によってはそう感じるのかもしれないけど。赤裸々で過激だとR-15、R-18ですしね。

映っている場所や出てくる人物の言動や背景、その理由などが、性行為や性産業にまつわるもの。全編ではないです。知っていたとしても、それを受け止めて自分なりの解釈を加えて理解できる必要があります。低年齢の子どもに積極的に見せる内容ではない、ということですね。


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観終わってまず。

とても息がしやすくなっている自分に気づいた。

 

その理由は二つ。

 

一つは、映画の力。

わたし流に解説すると、『37セカンズ』はこんなお話。

生まれてから23年間、自分らしさを抑えて生きてきた主人公・ユマ。出生時に37秒間呼吸が止まっていたことから脳性麻痺となり、車椅子を使って生活している。

同居する母や「友人」のサヤカも時間を止めた人たちだ。微かな違和感を持ちながらも、他者との境界も曖昧にしたまま、自分の人生を生きられていない。

ふとしたきっかけから、ユマは「外」の世界の人にふれ、自立への欲求を自覚する。

ユマの時間が動き出したことで、ユマに関わる人たちの時間もまた動き出していく。ユマは新たな世界へ足を踏み出す......。

 

ユマが歩む自立の道のりには、ちょっとハラハラするところもある。

けれども、決定的に悪いことや酷(むご)いは起こらないだろう謎の安心感を持ちながら観ていた。実際にも起こらないし、優しさのほうが多い。

ユマのキャラクターが、とにかく正直で健やかでユーモアのあるところがいい。

無鉄砲で世間知らずでピュアなだけの人ではなく、状況は理解していて、感受性豊かで、気持ちを伝える表現をする。自分で責任を引き受けて行動もする。

やっぱり一人の大人として描いている。(あ、そうか、だから安心感があるのか)

 

 

息がしやすくなったのは、ユマの人生がぐぐっと動いていくときの、扉がひらいていくときの、あの大波に乗せられていくときのような愉快な感覚と、自分の情熱を思い起こさせてもらえたから。

わくわく冒険、アドベンチャーだ。

それから、「外」は確かに怖いところでもあるけれど、もしかしたらその怖さって自分の中に作ったものかもしれないよね?ということも。

今、自分は何を大切にしたいんだろう?

 

だから、脳性麻痺、車椅子、障害、性...などは、ユマを構成する上でとてもとても大事な要素だけれど、特異なものとしてフォーカスはしていない。

親子関係や自立や性や働くこと、生きづらさの根源など、だれにでも関係があるテーマが描かれている。

人によって光を当てるところがかなり違いそうで、とにかく誰彼となく感想を聞いてみたくなる。

(ああ、そうか、だからチュプキさんはこの映画を推してくださったのですね!!)

 

 

もう一つは、映画館で観られることの喜び。

COVID-19感染症流行により、日常に制限がかかっている。

先の見通しがきかない。

約束とはもともと不確かさを含んでいるのだけれども、約束を取り付けること自体がゆらいでいる。

予定していたことが中止、休止、延期となり、これからの予定が立てづらくなった。

そもそも人と会って、「向かい合って一定時間話す」ことが最も避けるべき行動として指摘されている現状。わたし自身の日常にも、大きく影響を与えている。

店舗以外の公共スペース、文化施設などが閉館となっている中で、今求めているときに、映画館の灯がともっていることがうれしい。

そこへ身体を運んで映画を観ることができた。この解放感たるや!

もちろん、映画館なりの予防ガイドラインを設けての営業だ。ありがたい。応援している。

 

 

映画館を出てからの帰り道はなんだか、

Hello again, new world!

人生はわたし次第!

という多幸感に包まれていました。

 

 

というわけで、

 

 

ゆるっと話そうの日程決まりました。

感想話しましょう。お待ちしています!

http://chupki.jpn.org/archives/5441

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備忘を兼ねて、もう少し細かい感想メモを置きます。

*この先は、未見の方の鑑賞行動に影響を与える表現が混じっています。

 
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・母と娘:

前日に『ホドロフスキーのサイコマジック』の試写を観ていたので、影響されてる。自分ではない人になる、自分では行けないところに行く。映画自体がそういうものなのかも。この映画の中に、「自分の過去の痛みから、子の(特に性的な)自立に向き合えず、無視する親」というような話が一部出てくるので、つながってるーー!

そういえばこの本、友人からもらって積ん読になっていたけれど、読もうかな。

 

 

・サヤカ:

一緒にいてくれる、才能をわかってくれる、「こんなわたしに」付き合ってくれている、頼りにしてくれている...と、「搾取」や「依存」を間違えてしまっている友だち付き合い。あったあった。するほうもされるほうも。大人になっても、起こり得る。

ユマの自立にあたって、サヤカがどのように変化していくのか、このあとを見てみたい。

 

・ユマの母とサヤカの母:

煮詰めている感情がありそう。特にユマの母から。

 

・母:

もう一人の娘を失ってまで守りたかったのは何か。もしかしたら、出産時からの罪悪感のようなもの?「一人になるのが嫌なだけでしょ」と、自分が子どもから言われたらどうだろう?とちょっとドキドキした。

シェイクスピアが好きなところがいい。この話をできる人が娘以外にもできるようになったらいいねぇ。内職じゃない仕事をする、という可能性だってある。

子どもが自立によって未熟な自分をゆるしてくれて、助けてくれる。子どもってありがたいなと思う。ここは親としての自分で観た。

 

・三人衆:

舞、クマちゃん、トシくん。人生を健やかに営んでいる人たち。とはいえ全く問題を抱えていないわけではないと思う。とにかくこの人たちがいい人たちでほんとうによかったとホッとした。特に舞に出会えてよかった。自分を引き上げてくれる存在。

 

・編集長:

持ち込みの対応に慣れてる感じに痺れる。板谷由夏さん、すてき。作品で評価するシビアさと、逆に言えばチャンスは平等。

 

・由香:

ユマがカタカナで由香が漢字なのはなぜだろう。

 

・トシ:

家に泊めているときや旅行中に何かが起きるのかと思ったが、何も起きなかった。トシの人となりがわかるのが、ラーメンにレモンのエピソードだけで、あとはいるだけ+実行を助けてくれる人。聴く、いてくれる、見ていてくれる。この感じについては謎。もうちょっと掘れそう。「ゆるっと」の当日、話題が出るかな。

 

※思いついたら足していきます。

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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー

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『リーマン・トリロジー』が池袋でアンコール上映中

『リーマン・トリロジー』が池袋でアンコール上映中です。
 
 
NT Liveとは、英国ナショナルシアターの演劇公演の録画が映画館で観られるというもの。
解説およびインタビュー付きで、より作品に入りやすいです。
 
 
・リーマン ・ショックとはなんだったのか?
・どんな物語があったのか?
リーマン・ブラザーズ(リーマン兄弟)とは誰か?
を演劇として表現した作品。
 
 
男性俳優3名が、固定された舞台装置の上で演じ続ける、221分。
途中休憩2回あり。
 
 
金融業界に限らず自分でビジネスを構築した人、
企業組織で働く人、
リーマンショックをふりかえりたい人、
アメリカ資本主義・アメリカ移民の歴史に関心ある人、
「男性」の生きづらさや"Man Box"に関心ある人...などが観たらさぞおもしろいんじゃないかと思います。
 
いや、でもわたしもまだ観てないんですよ。
 
わたしはHSPで、回転物と、閉鎖空間で進行していく心理描写などが最近かなり苦手なので、体調がよければ行きたいです。
 
俳優の一人、サイモン・ラッセル・ビールは、昨シーズンに観たシェイクスピアの「リチャード二世」での怪演が記憶に残っている。
今回もすごい演技を見せてくれると思います。
 
観てないのに(笑)、かなりおすすめです。
NT Liveでも一押しの作品になってました。
 
 
 

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鑑賞対話ファシリテーター、場づくりコンサルタント、感想パフォーマー

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映画『ホドロフスキーのサイコマジック』鑑賞記録

試写で観せてもらいました、待望の『ホドロフスキーのサイコマジック』!
 
 
今ちょうど観終えたところ。
そういう...そういうことだったのかぁ......と満足の溜息が止まらない...。
  
トレイラーだけ観ているとなんのことかわからず、ほんとうに「荒唐無稽なカルトムービー」みたいに見える。
しかし、本編は至って実直な(?)、サイコマジックセラピーの臨床現場を粛々と一貫して示していく。その中で過去のホドロフスキー作品が断片的に言及されていく。
 
サイコマジックについて逐一、解説をしているわけではない。
サイコマジックの現場を、あくまでサイコマジック的映画として描いている。
 
途中で、「これ観すぎるとなんかやばい世界にいっちゃうのかな、わたし...」と一瞬不安になったりもした。
...というぐらいに、セラピーを受ける人々にある人類共通の苦しみと、そこからの解放と治癒のプロセスは、観る者の無意識にじわりじわりとはたらきかけてくる。
 
そうだ、わたしもそれを欲していたんだよ!!というものを、一人ひとりがテーマを分担して背負って、次々に見せてくれているような感覚がある。
 
やはりキーになるのは、親子、家族。
 
知らず知らずの間に深層に入り込んでいる、ホドロフスキー映画のいつものやつだ。
マジックがかかる。
 
......などと書いているこれは、サイコマジックと真逆の、意識的で合理的な言語なんだが。
 
原題は、PSYCHOMAGIC  A HEALING ART


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人によっては受け付け難い表現かもしれないので、万人にはお勧めしない。

ホドロフスキー未体験で、アマゾンプライム会員の方は『リアリティのダンス』や『エンドレス・ポエトリー』で確認してから入られるのがよいかと。
 
 
求めている人は、間違いなくホドロフスキーの慈愛をビシバシ受け取るだろう。
 
 
2020年4月24日(金)より
アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺、新宿シネマカリテ他、全国順次公開
 
 

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漫画『夜明けの図書館』

「大津絵が好き!」という話をnoteで音声配信したら、

note.com

 

友人が「この漫画に大津絵のことが載ってるよ!」と教えてくれた。

 

 『夜明けの図書館』

 

なんと、図書館司書さんを主人公にした、レファレンスに光を当てた漫画という。

これはなんとしたこと...!

わたしにとって図書館は、ひと言では語れない、いや、一晩かかっても語りつくせない対象。

しかも、人と本をつなげる知の泉、貴い専門職である司書さんが主役の漫画とは...!!

 

これは紹介してもらえてほんとうによかった。

そして大津絵よ、つなげてくれてありがとう。ますます好きになっちゃったよ。

 

 

レファレンスとは、

利用者の"知りたい"を調査・お手伝いする仕事で
図書館において重要な業務なのです

たとえば昔読んだ本をもう一度読みたい(タイトルは忘れてしまったけど)

あるテーマについて詳しく知りたい など(人口推移についてのデータを)

珍問・奇問から難問まで
万(よろず)答えを求められるのです

(本文より)

 

端末を使った検索方法なら、小学生でもできる。

それがヒットしなかったときに、問いかけて引き出して、思い当たる引き出しをどれだけたくさん持って、ネットワークを駆使して、知りたいことに近づいていけるかに、専門職の手腕が発揮される。

その専門性を一話ごとに異なる角度から迫りつつ、いち図書館司書の成長を追いつつ、物語として楽しめる。

レファレンス以外にも、図書館のバックヤードがどんな人員配置になっていて、何が行われているのかを丁寧にわかりやすく、物語の途上として違和感なく覗かせてくれている。

絵柄は、派手でなく地味でなく、うまく言えないけれど、野の花を部屋に生けたときのようにスッと馴染んでくる感じ。

 

 

「こんなすごいこと、しょっちゅう起こるわけないじゃん」と思う人もいるかもしれない。

でも、わたしが公立図書館でアルバイトをしていた半年の間でも、いろいろ見聞きしたし、それに、日頃から人の集う現場を営んでいると、信じられないようなドラマが実際に起こっている。

だから同じぐらい、あるいはそれ以上の物語はあるだろうなぁと、わたしなりにリアリティを持って読んだ。

作家さんの取材がとても丁寧なのだろう。

 

紹介してもらった大津絵が出てくるのは、コミック4巻の第15話。

どういう流れで登場するのかと思ったら、縦軸には嘱託職員の立場や扱いへの思いがあり、横軸に大津絵の探索があるお話で、この絡ませ方がなんともよかった。

 

特に印象深いのが、コミック3巻の第11話・病気を抱えた人と図書館の本。

病気を抱え

すがるような思いで

図書館を訪れる人について

深く考えたことがなかった

(中略)

消えていく不明本も

もしかしたら

潜在的なニーズで

利用者のSOSかもしれない

(本文より)

 

わたし自身、類似の経験をしている。

11年前、産後の心身の不調を救ってくれたのが、まさに図書館で、産前に借りたことのある一冊の本だった。

「たしかあのとき借りたあの本に書いてあったはず...」と、藁をもすがる思いで、出産前に借りた本のキーワードを拾って、どうにか検索をかけて、求める場にたどり着くことができた。あのときは決死の思いだった。

あの図書館の、あの棚に、あの本がなければ、今のわたしはいなかったかもしれない。

この経験はたぶん一生忘れられない。

 

図書館は、単に情報の倉庫として存在しているのではない。

この物質としての本が棚に並んでいる、背表紙が視界に入ってくる状態そのものが、まずは人を慰める。

「あなたの抱えている疑問や好奇心や悩みは、この厚みの中にヒントや答えがあります。同じテーマで考えている/いた人間が他にもいるのですよ」...と力強く承認してくれている。

図書館においては、貸し出す・返すという作業の他に発生する、
・探しているものがない、
・もっといろんな切り口・いろんな形式・いろんな時代・いろんな地域の資料が読みたい、
・そもそも何の本が読みたいかわからない、

というモヤモヤこそが宝だ。

 

知りたいとは、生きる意欲そのものだから。

 

生きようとする人。

それに応える本。

つなげる司書。

 

他にも、郷土史を記録する意味、子どもの利用者との向き合い、居場所や交流の場、異文化・多文化共生、学習障害など、今日的なトピックもさりげなく盛り込んで、いっそう図書館の存在意義を伝えてくれている。

 

2020年3月現在、6巻が出ている。

発刊は1〜2年に1冊と、とてもゆっくりだが、こちらもゆっくりとした気持ちで待ちたい本だ。

 

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レファレンスつながりで、おまけ。

わたしが大好きなツイッターアカウント 国立国会図書館レファ協をご紹介したい。

twitter.com

 

レファレンス協同データベースは、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。


目的:

レファレンス協同データベース事業は、公共図書館大学図書館学校図書館専門図書館等におけるレファレンス事例、調べ方マニュアル、特別コレクション及び参加館プロファイルに係るデータを蓄積し、並びにデータをインターネットを通じて提供することにより、図書館等におけるレファレンスサービス及び一般利用者の調査研究活動を支援することを目的とする事業です。(レファ協HPより)

 

ツイートを見てみると、全国のさまざまな図書館に寄せられた、利用者からのさまざまな調査依頼と回答の実例が流れている。

 

いちユーザーとしては、「こんな質問をする人がいるのか、マニアックすぎる!」とうれしくなってしまうし、「確かにこれは知りたい、知れたらおもしろそう」と思うものもある。

それに対する回答に、「こういう回答をしたのか、よくそこまで調べたなぁ」とレファレンススキルに驚嘆したり、「なるほど、こういう観点で調べ方をすればいいのか」と自分が調査するときの参考にもなる。

 

フォローしておくと、ときどき流れてくるツイートに心が和む。おすすめ。

 

 

もいっこおまけ。去年観た映画の感想。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

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《レポート》2/11 トークバックでゆるっと話そう@シネマ・チュプキ・タバタ

建国記念の日で祝日の夜。
シネマ・チュプキ・タバタで「ゆるっと話そう」をひらきました。

お知らせページ>http://chupki.jpn.org/archives/5288

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今回の映画は、『トークバック 沈黙を破る女たち』

舞台はサンフランシスコ。元受刑者とHIV/AID陽性者が、自分たちの人生を芝居にした。暴力にさらされ、"どん底"を生き抜いてきた女たちの現実とファンタジー。舞台で、日常でトークバック(声をあげ、呼応)する女たち。

彼女たちの演劇は芸術か、治療か、それとも革命か?

芝居を通して自分に向き合い、社会に挑戦する8人の女たちに光をあてた、群像ドキュメンタリー。(公式チラシより)

 

この日の上映は満席。

ゆるっと話そうは予約不要で人数制限もないのですが、これはさすがにいつもの2階では入りきらないかも?せっかく来てくださったのに、隣の人と近すぎてぎゅうぎゅうになって不快な思いをさせてしまうのは申し訳ない。

...ということで、スタッフの宮城さんと相談して、同じ商店街のななめ向かいのインド料理屋さんでひらくことに。

お客様にもワンドリンクかかりますが...ということをお伝えしてのご案内となりました。

 

やはりこの映画、語らずにはいられないのですね。

映画の中から、「立ち上がれ!声を上げろ!」と煽られているもんね!^^

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どんな場も必ずなんらかのsensitivityを持っているのですが、この日は特にてんこ盛りだったので、より具体的にグランドルールの共有をしました。

 

・私を主語に話してほしい。
トークバック』という映画の性質が、呼応を求めているから。
でもこの映画で対話するなら、分析的で客観的な関わりよりも「わたし/あなたの中から何が立ち上がっているか?」を交わせるといいなと思っている。

・みんな何かしらのマイノリティであることを胸に置いて。

映画に関連することだけでも、HIV / AIDS陽性者、アルコール依存症者、薬物依存症者、シングルマザー、DV・虐待サバイバー、元受刑者、被害者遺族・加害者遺族...などさまざまある。この中にもいるかもしれない、ということを可能な限り思って発言をお願いしたい。


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みなさん、あたたかく頷いてくださって、ここでかなりホッとしました。

そして、この映画の大きな軸のひとつである、HIV / AIDSについての基礎知識を共有しました。

映画に出てきた、「コーヒーカップを使わせなくなった」「妊娠したい」「HIV=死ではない」だけでも、ちょっとあやふや、知らない、わからないがある人がいるかもしれない。わたしのためにも、みんなのためにも、そこを確認して場を慣らして、また安心してもらってから、ほんとうにみんなでもっと行きたいところを目指そうと思ったのです。

 

参考にした資料(一部)

北海道大学病院HIV診療支援センター HIVの基礎知識

国立病院機構九州医療センター HIV / AIDS Q&A

国立感染症研究所 AIDSとは

国立感染症研究所 HIV / AIDS

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その後ペアで感想を交換。

同じ場所で、同じ映画を観たという経験をしているけれど、はじめましての人同士が安心して自分の感覚を表現するには、できるだけ小さい単位からはじめるのがよいのです。

わたしもペアの方に話を聴いてもらい、話を聴きました。

聴いていたら思わず涙してしまいました。

語りがとても美しかったので。

 

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自分の気持ちを一旦言葉にできて、少し落ち着けた方から、

話を聴いていて・話をして思ったこと、

話し足りなかったこと、

みなさんに聴いてもらいたい宣言

などを手を挙げて(任意で)、話してもらいました。

映画冒頭に灯った、「沈黙」という言葉の意味について。

今ある自分の仲間との関係について。

子どもとの関係について教育について。

演劇という手法について。

対話について。

自分自身のとの向き合い方について...など、映画に登場した人物や、自分の人生を行き来した、様々な感想が聞かれました。

今まさにわいている感情、

映画の何から自分の何が喚起されたか、

映画との出会いが自分の人生にとってどのような体験だったか、

ここからのわたしはどのように生きたいか。

 

一人ひとりが個別のものを受け取って、それを自分の言葉で語って、みんなで大事にできたことが、とてもよかったです。

 

わたしもぼろぼろ泣いてしまったので、びっくりした方もいるかもしれないですね。

わたしは最近、こういう場で涙が出てもぜんぜん気にならなくなりました。

それはファシリテーターが場の中でもっとも正直であることが大切だと思っているから。

場のモデルでありたい、みんなに正直に自分らしくいてもらいたいから。

だから、「こうなってもいいんですよ、大丈夫ですよ、安心ですよ、それが自然だもの」ということを自分全部を使って表現しています。

 

急遽、参加してくださった坂上監督からは(そう!来てくださったんですよ!!!)、HIV/AIDSに関する基礎的な知識の補足や映画に出てきた彼女たちのその後などをシェアしていただきました。

それぞれの人生を歩んでいることが知れて、ほんとうにうれしかった。

おめでとう!幸あれ!という気持ち。

 

それと同時に、映画に写っているあの人たちは、どんどん変化していっているんだ、ということも思いました。

ドキュメンタリーは、まだ生きている人を、撮影者のある態度やある意図でもって編集して、残してしまう行為。

それを観る鑑賞者の中では止まったままになっていたり、鑑賞者の中のイメージや解釈で勝手に想像を膨らまして展開していく。

でもその人自身の人生は目まぐるしく変化していく。

ドキュメンタリーを見るときの作法というかわきまえが必要になるということを、あらためて思いました。

 

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どんな場だったのか。受け手、届け手、作り手それぞれの風景。

 

受け手(参加してくださった方)の感想記事

note.com

 

届け手(チュプキのスタッフさん)のレポート。

www.facebook.com

 

作り手(坂上香監督)のコメント。

 

 

この日この時間、場に集った人の人生が、ふっと交錯した時間。

こういう非日常が、日常の中に据える。

非日常から日常をふりかえる。

入るときは少し緊張もあるけれど、出てきて日常に戻るときには、自分の内からほかほかと温もりを感じるような、根拠なく心強いような、世界とのつながりを感じられるような.......。

そういう鑑賞対話の場をこれからもつくっていけたらと思います。

 

ありがとうございました。

 

 

 

こちらもぜひおすすめしたい、”トークバック”製作ノート。

撮影までの経緯、撮影中のこぼれ話、もはや他人とは思えない彼女たちのその後や監督の思いをたっぷりと聴かせてもらえます。

この濃密さ!このボリューム!

まるでもう一本追加で映画を観たかのような読後感です。

wan.or.jp

 

 

当日ご紹介した書籍。 この映画から派生することの、ごく一部。

   

 

関連書籍がありすぎて、載せきれないですね。まだまだあります。

こうしてみると、わたし自身、関心から関心をつなげ、いろんな旅をしてきたんだな、と思います。

坂上香さんの「アミティ」の本が絶版なのはとても残念ですね。図書館でも読めるけれど、再版してほしいなぁ。

 

 

おまけ。 

映画についてのわたしの感想。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

 

”人は自分の中に作り上げた「牢獄」からいかに自由になれるか”

 

 

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映画『トークバック 沈黙を破る女たち』鑑賞記録

*未見の方の鑑賞行動や感じ方に影響を与える内容です。

 

映画『トークバック 沈黙を破る女たち』を観た。

www.talkbackoutloud.com

 

ドラッグ、依存症、レイプ、HIV / AIDS、孤立、虐待、貧困、前科、偏見・差別、DV...

人生は必ずやりなおせる!!

どんなに苦しいときでも、新しい未来が待っている

演劇で、声を取り戻していく"ワケあり"な女たちの物語

 

女たちのアマチュア劇団 ---それは芸術か、セラピーか、革命か?

アタシたちをなめんじゃない!

(映画公式チラシより)

 

 

2日後に、映画『トークバック』でゆるっと話そうという対話の場を控えていて、その準備のための鑑賞だった。

いささか直前すぎる準備だが、2014年の公開当時に一度観ているので、確認程度の作業になるだろうと思っていた。

 

ところが、メモをとりながら観ていて何度も、「あれ、こんなシーンあったっけ?」「こんなこと言ってたっけ?」となり、当時とは全く異なる感情に襲われている自分を発見した。

 

ああ、そうか、前回観た時、2014年当時。

わたし自身の人生がとにかく大変な状況だった。

何か一つシーンやセリフを観ても、そのことから想起される自分の問題に引っ張られながら観ていた。

だから映画の記憶がまだらになっていたのだ。

 

もちろん今回もいくつも引っ張られる部分はあった。

ほとんど、女性の人生に起こることぜんぶがてんこ盛りだ。

 

けれども、あの人たちの語りと踊りの全身の表現に、心地よくシンクロした。

痛みも喜びも後悔も希望も、ひたすら共に味わい、

観終わった直後は、おおお、わたしもますますtalk back, speak upするぜ!という気持ちになった。

映画の公開が2014年。

ハーヴェイ・ワインスタインの性暴力が告発されたのが2017年。

そしてさらに2020年の今。

それは暴力だ、それはゆるされない、わたしは黙らない、わたしのせいではなかった、もう偽らない…とほうぼうで声が上がって、それはもう止まらない流れ。

 

その時間を生きてきての今。

この映画について語ることは、社会の中でも自分の中でも、ないことにされてきたものを見つけること。

あのころのわたし、わたしたちに会いに行くことだと思った。

 

 

自分が罹患者か、経験者か、当事者かどうかに関わらず、ガンガン響いてくる言葉。

 過去もわたしの一部、なかったことにするつもりはないわ

自分の声を取り戻すわ

彼女たちは私たちの延長戦だから

私がいきついたのは自分をゆるすこと、それは私の選択

泣いて気持ちを分かち合うことで成長できた

女として誇りを持って生きてほしいの

You keep me strong

......

 

沈黙しない。

表現として出すことで、普遍性を持つ。

あなたが辛い思いをしたのはわかる。

でもね、いつまでも犠牲者でいないで!

立ち上がれ!

カッコよくてセクシーな、ほんものの自分を起動させろ!

Stand up, Sisters!!! 

 

挑戦する彼女たちから、勇気をもらう、励まされる。

Sisterhoodをわたしも感じた。

 

ダイナミズムは対話だけでも起こる。

でも演劇は、詩は、パフォーマンスは、思考判断を超えて、もっとダイレクトに届く。

感覚的で、感情的で、 自由で開放的。

 


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劇団の名前にも意味がある。

メデア・プロジェクト:囚われた女たちのシアター
The Medea Project: Theater for Incarcerated Women

王女メディアから取られている。

 

メディアは、エウリピデス作のギリシャ悲劇で、夫イアソンの不貞と裏切りに怒り、イアソンの婿入り先の娘を殺害し、さらに自分の息子2人も手にかけてしまう。

 

劇団の主宰者、ローデッサは言う。

「愛に溺れて自分を見失うこと、あるよね。でもわたしたちはメデアを責めない。女にとっての最終手段だから」

そう、非常時、戦時下で、女性が生き延びるために、やらざるを得なかったこと。

わかる。わたしたちだから、わかる。

このシーンは、とても印象深い。

杉山春さんの「満州女塾」が頭をよぎる。

 

このポストカードは、 先日行った松濤美術館の「サラ・ベルナール展」で買ったもの。サラ・ベルナール主演の舞台「王女メディア」のポスターの図柄で、彼女がその才能を発掘したアルフォンス・ミュシャが製作したものだ。

 

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トークバック」を見ることとこのときはつながっていなかったが、ローデッサの言葉を聞いた途端、思い出した。ああ、そういうことだったのか。

サラ・ベルナールはこの役をどんな思いで演じたのだろう。

 

また、昨年観た「私は、マリア・カラス」の中で、彼女が唯一出演した映画は、パゾリー二が監督した「王女メディア」だと知った。この頃の彼女は、オペラ界をほぼ追放された形で、新たなフィールドを求めての映画だった。


女性が自分のままに生きることが難しかった時代。

二人の女性の人生も、わたしの中でこの名に重なり、特別な意味をもって映画を受け取ることができた。

 

 

自分の担当患者とメデアプロジェクトをつなげた医師の存在も、今回とても印象に残った。

HIVで死んだ人がいなかった」という発見、喪う悔しさ、無力感、医療の範囲を拡張する勇気。

 

 

懲罰的世界観の中では、誰が悪いかという話になる。

どっちが悪いか、どっちのせいか。

おれのせいだっていうのか。わたしのせいだっていうの。

誰が悪者かを決めるのと、

責任を問うことや引き受けることは違う。

 

修復的世界観の中で対話したい。

間違っても、失敗しても、やり直せる。

人生はいつだってやりなおせる。

 


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感想を自分の味わいながら、対話の場の前に、HIV / AIDSについての基礎知識を、対話の場の前提としてもっておいたほうがよいな、と気づいて、事前に調べておくことにした。

わたしも基本的なことは知っているつもりでいたけれど、1990年代ぐらいで止まっている気がした。

HIVとAIDSはどう違うのか?
"病=死"ではないとは、どういうことか?
HIV陽性者は妊娠できるのか?

わたしは、1987年代に出版された秋里和国の漫画「TOMOI」がきっかけで「エイズ」を知った。その頃はまだ治療法など解明されていないことが多く、エイズ=死の病と言われていた。

あのショックは十代のわたしにはとても大きかった。

 

さすがに今はそこまでではないにせよ、

これを機にみんなでアップデートすると、きっといいんじゃないか。

そして、前提があると、対話がもっと質のよいものになる。

映画『教誨師』でゆるっと話そうのときに、日本の死刑制度の基礎知識について共有したみたいに。

 

そう考えて、図書館で何冊か本を借りてきて、インターネットでも医療機関などを検索して、情報を集めた。

当日は、冒頭に5分ほど共有の機会を設けてからはじめることを、チュプキのスタッフさんにも伝えた。

 

当日の場もすばらしかった。
またレポートに書きたい。

(後日、書きました。こちら

 

いやはや。

仕事で一つの場をひらくごとに、わたし自身、たくさんの学びをいただいている。

感謝しかない。

 

そしてまさかあの頃は、6年後にこんなふうにこの映画に出会い直すと思っていなかった。

 

人生は、わからない。

だから生き続ける価値がある。

 


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追記:2/11 レポート

hitotobi.hatenadiary.jp

 

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2020年・秋、東京ステーションギャラリーの大津絵展が楽しみ!

2020年の秋、東京ステーションギャラリーで大津絵の企画展があるそうです。

もうひとつの江戸絵画 大津絵(仮称)
会期:2020年9月19日(土)-11月8日(日)

www.ejrcf.or.jp

 

 

うぉ!これはうれしい!!

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大津絵って何?という向きには、web和楽のこの記事で予習するのもいいですが......、

intojapanwaraku.com

 
 
わたしと友人とでこんな話をしたので、ぜひ聴いてもらいたい!
ひととびラジオ5. 大津絵を愛でる
 
 
 
おすすめ書籍
 
 

昨年、パリで展覧会があり、その凱旋として、
大津市歴史博物館での展覧会がありました。
わたしは大津市歴史博物館に観に行ったのですが、すっごくすっごくよかったです。
自分のルーツを辿るプライベートな旅だったからか、書く衝動が起きず、写真のみ残しています。
 
ほんとうに、とてもよかった。
東京ステーションギャラリーでの展覧会も楽しみです。
 
鑑賞者としても、ですが、
鑑賞対話の場づくりのお仕事したいなぁ...。
 
 

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好きすぎて自分でも描いてみた。楽しい。

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