ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

本『校正のこころ』読書記録

『校正のこころ 増補改訂第二版: 積極的受け身のすすめ』大西寿男/著(創元社, 2021年)

 

去年共著で本を出したのもあるし、今文章をチェックするお仕事もしているし、日々何かしらインターネット上で発信しているので、自分に関係のあることがたくさん書いてあるだろうと思って、読んだ。

 

すごくおもしろい。

逆に言えば、校正の実作業をしたことがない人には、想像しづらいところもあるかな。でもこれを機に興味がわきそうな文体。静かに一つひとつ目を見ながら、言葉を渡してくれる。

 

鑑賞対話ファシリテーターの仕事にも通じるところがある。

言葉との関わり方、言葉を通した人との関わり方。

書かれた言葉、語られた言葉、さまざまな人の言葉と言葉に込められた心にふれて、自分も時代を泳ぎながら、橋を架ける者として立つ。

「37度ぐらいの熱量で集中」やチームワークの話などもうなずくことばかり。

 

「こんな仕事ですよ」という紹介だけではなく、問題提起も多い。

今作業の軸が揺らぎかけていたので、背筋がしゃんと伸びた。

言葉を扱う仕事として大切な校正のこころ。胸にもって仕事に向かう。

〈レポート〉9/11『プリズン・サークル』でゆるっと話そう w/ シネマ・チュプキ・タバタ

2021年9月11日、シネマ・チュプキ・タバタさんと、映画の感想シェアの会〈ゆるっと話そう〉を開催しました。(ゆるっと話そうとは>こちら

 

第23回 ゆるっと話そう: 『プリズン・サークル』

多くの人にとって日常から離れた場所、刑務所と、そこで自らの過去を見つめ、語り合う受刑者たちを映すことを通して、わたしたちにこの社会の有り様を問いかけてくれる作品です。
 
▼オフィシャルサイト
 
▼イベント告知ページ

chupki.jpn.org

 

 

当日の参加者

2020年1月に公開されてから1年半以上経っていますが、何度もアンコール上映があったり、各地で自主上映会がひらかれていたりと、人気が継続している(あるいはますます高まっている)作品です。

参加者の中には2回、3回と観た方も何人かおられました。その度に新たな発見を得て「感想が変わっていく」とのことでした。今回はブレイディみかこさんの近著『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』で紹介されていたことがきっかけでこの映画を観たという方も数人おられました。まだ観ていない方も「ご本人がよければOK」として対話に加わっていただきました。

また、「この映画から一体どういう対話が生まれてくるのか、そこに興味があって」と参加を決めたという動機もうかがいました。対話の可能性についての、その方の強い期待が感じられました。

 

進め方
昨年、同じ作品で〈ゆるっと話そう〉を開催したときには、ブレイクアウトルームを活用して、2〜3人で小さく話してから、メインルームに戻って全員で話すというやり方でしたが、今回は劇中で行われているTC(Therapeutic Community)のように一つの大きなサークル(輪)で話すことにしました。
ブレイクアウトルームの良さは、少人数なので話し始めやすく、早いうちに本題まで到達しやすい、話題を深めやすいところです。一方で個々のルームで話したことは他のルームの人に共有しづらくなります。
今回は、1時間という短い時間の中でも、全員で今起こっていること、感じていることを逐次共有しながら深めていく体験ができたらと思い、一つの輪で行いました。言葉にできる方からシェアしていただき、それについてさらに話したいこと、それ以外に話したいことがある方に話題をつなげてもらうような形で進めました。
 

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出た話題
印象深かったシーンとして「2つの椅子」を挙げ、「立場が変わることで見える世界が変わるので、自問自答したり葛藤するのはよいことではないか」という、ご自分の経験を交えたお話からはじまりました。
入所している彼らの背景に共通するものを見て、
「子どもの頃に(大人になる前に)手を打っておかなければいけないのではという強い危機感を覚えた」
「子どもに接する教育関係の仕事をしていたが、ここまで大変なケースを見たことはなく驚いた」
「このセンターでケアやサポートを受けられるのは救いになっているのはよかった」
という感想が出ました。
 
また、劇中で彼らが語る・語り合う様子から、
「感情を味わわないと、つらさも自分が考えていることもわからなくなるが、つらいことにフタをしないと生きられなかったという部分に共感する」
「安心して感情を出して受け止めてもらえる経験を、こどもたちが学校のカリキュラムの中で得られるとよいし、大人にも必要」
痛めつけられすぎてると、他者の痛みまで感じられないのではないか」
「現在公開中の映画『ドライブ・マイ・カー』から"負の感情を正しく受け止めよう"ということを受け取ったが、『プリズン〜』の感想から似たものを感じる。自分のつらさほど認めるのが難しいけれど、やっぱり自分の"つらい"は"つらい"でいい」
など、感情の扱い方と「彼ら」について想像をめぐらし、自分の内側も探りながら言葉をたぐっている皆さんの姿がありました。
 
何人かの方から、「自分はここまでの体験はしていない」という言葉が出ていたことに言及して、別の方からこんな感想が出ました。
「1回目に観たときは、自分もあの人たちや映画に対して、"自分はこんな経験はしていないし" "刑務所という別世界の話だし” と少し距離を置いているところがあったが、2回目に観たときに、"やっぱりこれは自分にも起こっていることだ"と思った。自分の怒りや悲しみを人格をさらして、勇気を持って掘り起こしている人を見て、自分が押さえ込んでいた認めたくない部分こそ認めないと、周りの人を巻き込んでしまうんだと思った」。
 
この発言をきっかけに、対話の場がさらに深まっていきました。
「あれだけ深く聴いてもらえて、わかってもらえる人たちがうらやましい」
「自分も聴いてもらいたいけれど、友達に話すのは難しい」
「関係者とTCを組むのはとても難しそう。もしかしたらこの場のように、"ほどよい他者" のほうが気兼ねなく本音で話せるかもしれない」
「児童福祉の現場で働いているので、この映画に出てくる人たちが他人事と思えない。自分が酷いことをされていることがわからない、感情を言葉で表せない子たちが多いから。司法関係や福祉の現場の方、とにかくいろんな方に見てもらって、彼らが特殊な存在ではないことを知ってもらいたい」
「自分には関係ないようだけど、傍観者であることも関わっていることには変わりはないのかもしれない」
 
そしてさらにここで、参加者の方から場に一つ大きな質問が投げかけられました。
「犯罪を犯した人が税金を使って"恩恵"を受けられることをどう思いますか」
 
それに対して皆さんからは音声とチャットで次々と答えが寄せられました。
「税金がそのような使い方をされるのは当然だと思う」
「税金の使いみちとして大賛成。プログラムを受ける人個人だけでなく、被害者の方、これから関わる方、すべてのためになるものだと思う」
「自分が通った学校や利用した病院などの公共サービスにもだれかが払った税金が使われていたわけだから、自分が払うときだけそのように言うのは変な気がする」
「一般人も犯罪者も同様に、社会的にサポートしていかなければいけないことだと思う。が、身近な環境下で、他者と関わることができる場がもっと気楽に、誰もが参加できるようになれば良いなぁとも思う」
「何が正しいとか、間違っているとか、法治国家的な意味合いだけでなく、自利と利他的な意味合いができればよいのではないか」

ここまでの対話を経て出てきた皆さんの言葉は、確かな当事者性を帯びていました。この映画を観ること、観た体験について語ることは、なんらかの当事者性を得ることにつながるのかもしれません。
質問してくださった方にとって、皆さんからの反応はどんなものとして内側に響いたでしょうか。
また、このレポートを読んでくださっている方は、ご自分ならこの質問にどう答えるでしょうか。
 
その他、
「傷つきから回復していく人間の姿をここまで撮って、映画として見せた坂上監督の手腕がすごい」
ソーシャルワーク(地域の課題を解決を支援する仕事・働き)や修復的対話(人間同士の対立やトラブルを対話によって予防したり解決する手法)によって、親子や夫婦や教師ー生徒の関係性をよいものにしていきたい」
TCプログラムではないけれど、統合失調症の治療に薬ではなく他者を含めた"オープンダイアローグ"という対話の手法が少しずつ広まっているという本を読んだ。他者との対話の重要性が高まっていけば、誰もが参加できるようになるかもしれない」
との感想もありました。この映画をきっかけに「何ができるか」を学んだり、それぞれのやり方で実践したり、考えを進めておられるようです。
 
最後に、チュプキ代表の平塚さんより、監督や関係者の方の舞台挨拶を催したり、やり取りを重ねてきた経験から、「映画のその後」について少しシェアをしていただきました。
映画の中でも一部触れられていましたが、やはり「中にいるより外に出てからのほうが大変。つながれる人同士はつながっているが、そうでなくこぼれおちている人もいる」とのことでした。「リアルな人との距離感が危うくなっている今、それでも映画を観にきたり、Zoomでも対話をしようと集まってくれる方たちがいて、映画館ができることがあるのだとこの仕事にやりがいを感じている」と場を締めくくってくださいました。
 

 

ファシリテーターとして対話をふりかえって

・この映画を語ることの切実さを皆さんそれぞれお持ちのように感じられました。それは、昨年6月に開いたときよりも強くあったと思います。

・一つの輪(サークル)の中で発言が起こり、前の方の感想を受けてつながっていく中で、揺らぎながら場で受け止めていく時間でした。

ひと言では表しづらい大きな体験を語らずにはいられない、自分についても語りたくなる。こうしたことを大切に受けとめあえるようなコミュニケーションの文化があちこちにつくられることが、今とても必要とされているように私は感じています。

・この場はあえて1時間と設定しているので、一つひとつの発言について深く聴いていくことはできなかったのですが、言葉の奥にある思いや経験のことを想像しながら、一人ひとりの人生を感じていました。安心して言いっぱなしにすることと、深掘りしていくことのバランスが、今回は特に難しかったです。

・途中で場に出された質問に対して、「あなたはどう考えますか?」と質問をお返しできなかったこと、「皆さんからの回答について今どんな感じがしますか?」と真意に迫る問いかけをして、場で共有できなかったことが、私としては非常に悔いの残るところです。安心して質問できる場となっていてよかったという思いもありますが、場に与えた影響も大きい内容だったので、ぜひともうかがいたいところでした。

終わってから何日も経っていますが、そのことについて責めたり恥じたりして断罪したい自分と、あのときはそれが精一杯だったんだと言い訳したい自分とで、「2つの椅子」に交互に座るような体験をしています。「とっさに発言できなかった自分とその理由」を受け入れて、これからの人生や次の場に生かしていく他はないな、と今は思っています。

・TCのように専門家に付き添ってもらいながら深く潜っていくような体験も、課題の大きさによっては必要だと思いますが、「ほどよい他人」との関わりの中で知らないうちに救済されていることもきっとたくさんあると思います。それはもしかしたらわざわざ「与える」「提供する」ようなことではなく、ただ「自分に対して正直でいる」だけでも可能なのかもしれません。また、「正しさからではなく、あなたとわたしの関係において何が良いか」ということも考えます。対話未満の小さな営みにも目を向けていきたいです。

 

感染症流行中ということで、今回もオンラインでの開催となりました。「オンラインだったので安心して参加できた」というお声をいただいたり、普段はお会いするのが難しい方ともお話できるのが貴重ではありますが、またリアルでみなさんと顔を合わせてお話できることも願っています。

映画館があるからこそ作品に出会えますし、このような場を主催してくださるからこそ、映画の体験を現実につなげて考え続けていくことができます。
「ほどよい他者」と出会えるこの場〈ゆるっと話そう〉をこれからもチュプキさんと小さく営んでいけたらと思います。

 

ご参加くださった皆様、チュプキさん、場を共につくってくださり、ありがとうございました!

※2021/9/23〜9/28まで延長上映決定とのことです。詳しくはこちら

 

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▼皆さんからご紹介いただいた参考書籍です。

『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』ブレイディみかこ/著(文藝春秋, 2021年)

『ライファーズ  罪に向きあう』坂上香/著(みすず書房, 2012年)

『あふれでたのはやさしさだった 奈良少年刑務所絵本と詩の教室』寮美千子/著(西日本出版社, 2018年)

『反省させると犯罪者になります』岡本茂樹/著(新潮社, 2013年)

 

▼もう一歩踏み込んで知りたい人のために

『こころの科学』(2016年7月号) 通巻 188号 
特別企画:犯罪の心理

劇中に登場されていた支援員で研究者の毛利真弓さん、研究者の藤岡淳子さんの寄稿があります。

https://www.nippyo.co.jp/shop/magazine/7135.html

 

坂上香監督の過去作もぜひご覧いただきたいです。『プリズン・サークル』もそうですが、とても多くのインスピレーションを受ける映画です。

『Lifers ライファーズ 終身刑を超えて』
https://chupki.jpn.org/archives/5230

トークバック 沈黙を破る女たち』
https://chupki.jpn.org/archives/5235

 

坂上香監督のティーチインの様子

 

坂上監督インタビュー記事

http://cineref.com/report/2020/02/prison-circle.html

 

▼感情の取扱について

『気持ちの本』森田ゆり/作(童話館出版, 2003年)

生きる冒険地図・こころのメンテ・知恵と工夫集(子ども情報ステーション by ぷるすあるは )

▼アニメーションの若見ありささんのウェブサイト

http://arisawakami.com/

 

__________________________________

鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com


初の著書(共著)発売中! 
『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』稲葉麻由美、高橋ライチ、舟之川聖子/著(三恵社, 2020年)

 

 

 

 

映画『父を探して』鑑賞記録

東京都写真美術館で開催中の《世界の秀作アニメーション 2021秋編》のランナップのうち、『父を探して』を観てきた。

原題:O Menino e o Mundo(英題:The Boy and the Worldと同じ意味)

 

newdeer.net

youtu.be

 

*映画の内容に深く触れていますので、未見の方はご注意ください。

 

以前、南米の映画の宣伝イベントでこの映画が紹介され、絶賛されていたのでずっと気になっていた。そのときはもう通常の劇場公開は終了していた時期。たまたま今回のアニメーション特集のラインナップで見つけることができた。

(※今公式ウェブサイトを見たら、トップページにネット配信へのリンクがたくさんあるので、興味ある方はぜひネットで見てみてください)

 

そのときの紹介では、「ブラジル映画って暗い、つらいのイメージだけれど、そうでない作品も多いし、最近はいろいろと出てきたのでぜひいろいろ観てほしい」とのことだった。

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『父を探して』、子ども向けの心が温かくなるアニメーションなのかなと思って見始めたら、いやーこれはまたなかなかタフな物語だった。

内容的にもタフだし、映像表現的にもタフ!

父と母と子の三人暮らし。少年はある日出稼ぎに出て戻らない父を探しに出かけることを決意する。探せど探せど父は見つからない。それどころか、「父の出稼ぎ」の先にあるものは想像以上に広大な世界だった。(もしかしたらそれが父を飲み込んでしまっていたかもしれないことも想像される。)

資本主義社会での労働者からの搾取、機械化、合理化による労働者の足切り、広がり続ける貧富の格差、独裁国家への道......。もはやこれを誰の欲望が動かしているのか、何のために行われているのかわからないレベルまでテクノロジーは進む。人の命は軽んじられているどころか、全く感じられない。一つ、父の笛の音と同じ色や形を持ったものだけが、世界にわずかな希望をもたらしているが、それも度々駆逐されそうになる。

 

少年と世界。少年から見た世界。少年が世界と出会う。

世界における少年の無力さが容赦なく迫ってくる。

自分の知っている場所や風景から一歩出たところ、たとえば電車のホームからすでにもう世界は自分の知らないシステムで回っている。少年はどんなところにも果敢に飛び込み、時には危ない目に遭い、時には人に救われ、不思議なものを見て、壮大な旅をする。平和そうに見えて恐ろしいもの、人の営みに関係なく美しいもの、悲しくつらいもの......多く目にする。そのほとんどに対して、自分は何もできないし、そもそも自分がいてもいなくても世界は変わらず運行されている。そういうことに遭い続けるのが人生だとも言える。

 

映像や音の面では、線描や色の美しさはあるのだが、立ち止まって見ていることができない。とにかく動きが大きく速い、激しく回転したり揺れたりするもするので、画面酔いしやすいとつらい。

音もかなり怖い。列車の到着する音、金属同士がぶつかる音、軍隊の行進。人がしゃべる言葉はところどころにあるが、何語かもわからないし、字幕もない。そのぶん音が印象的になっている。心理的に迫ってくる。

隣の席に人は途中で退席してしまった。わたしもかなり迷ったが、この物語の行方が気になるので、とりあえず耳栓をしてたまに目を伏せながら最後まで見ていた。

 

結果的にはがんばって観ていてよかった。ラストにかけて思いがけない展開を見せていくので。ただ、最後まで悲情ではあり、見終わったあとは正直ぐったりしてしまった。全然ほっこりではなかった。でも描いていることはとてもよくわかる(という感覚)。わかりすぎるだけに、つらいのかもしれない。

わたしにはちょっと「こども向け」とは言い難いけれど、実際の「こども」の心には響くのかもしれない。わたしよりもずっと受け止める力が大きいかもしれない。

大人のほうがここから想起されるリアルな経験がたくさんあるので怖く感じるのかもしれない。こどもにとっても詳しくはわからないけれど直感的に怖いかもしれない。特性や感性の違いもある。ちょっとこのあたりは判断しかねる。

 

メイキングがおもしろかった。
試行錯誤の年月、作画の細かな過程、音作りのアナログさ、スタジオの開放感。「生」な感覚がたくさん吹き込まれていることがわかる。これも同時上映したらとてもよさそう。

youtu.be


劇中では月が2つあることで、今わたしたちがいる世界とは異なる「架空の世界」であることが示されていたので、埋め込まれた秘密をじっくり辿っていくと、もっとたくさんの謎に迫れそうだなと感じていた。でも画面の動きが速くてそれをする暇もない(というか無意識に感じとる方を望まれている)。そのあたりをじっくりとこのメイキングで味わえる。

 

また一つ、新しい表現、新しい世界に会えた。

取り急ぎの記録。

 

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東京都美術館開館90周年記念展《木々との対話》鑑賞記録

2016年の鑑賞メモが出てきたので、ここにも記録。 
 
 
ポンピドゥーセンター展に行ったときに、ついでのつもりで観た「木々との対話〜再生をめぐる5つの風景」が思いがけずよかった。
舟越桂さん以外はすべて撮影OK。
 
 
 
 
 
 
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木ならではの加工、表現があり、柔らかみ、時の流れ、音の伝導などを感じる展示だった。
 
切ったら死んでしまうとも言えるし、灰になるまでは呼吸しているから生きているとも言える。木って不思議な存在。
 
一番目を引いたのは、メインビジュアルでもある土屋仁応さんの動物たち。
表情といい、ポーズといい、完璧に「フィギュア」だ。人がグッとくるポイントを掴んでいて非の打ち所がない。
田窪恭治さんの作品は、木と他の素材を組んで板に飾り、金色に塗っただけで途端にイコン的な、祭壇的な荘厳さを醸し出す感じはおもしろい。廃材が命を得る。
須田悦弘さんの、息も止まる繊細な彫刻(これも彫刻!)には時間も忘れて見惚れる。
國安孝昌さんのオブジェは謎すぎて言葉が出ない。住居のようでもあり、要塞のようでもあり。
舟越桂さんの作品をたぶん初めて生で見たのだけど、どうしても「永遠の仔」の内容と結びついてしまう。ひと続きの身体をもつものはおらず、肘から先がない、手首だけが背中に生えている、異常ななで肩、などなど、この世の人ではない感じがする。月に帰るときのかぐや姫ってこんな表情だったのではないか…。なのに血走った乳房が異様にリアルで見入ってしまう。
 

本『THIS ONE SUMMER』読書記録

『THIS ONE SUMMER』マリコ・タマキ/作、ジリアン・タマキ/画(岩波書店, 2021年)

 

「10代に手渡したい本」の記事とどちらに書こうか迷って、一旦こちらに。

Twitterで話題になっていて読んだ。

グラフィック・ノベルってなんのことだろう?と思っていたが、そうか「漫画」なのか!日本のMANGAとはまた違うものだから、グラフィック・ノベルと呼んでいるのかな。まぁ名前とかはあまりどうでもよい。

紺の濃淡で刷られた画面。一瞬クセのある絵かな?と感じたが、それが魅力でぐいぐいと引き込まれていく。この世界にダイブして一気に読んでしまった。タイトル、中身の通り、夏に合わせて出版されたのもよかった。


パパとママと三人家族の少女ローズ。毎年夏にアウェイゴに避暑にやってくる。湖と売店と先住民の歴史博物館ぐらいしかない、小さな村。1歳半下のウェンディは5歳のときから夏の間だけ遊ぶ友だち。

自分たちが女であるとか、性的な眼差しで見られる存在だとか、妊娠する身体を持っているとか、自分の親の女として男としての面を知るとか、もうずいぶんいろんなことを知っている。ホラー映画、セックス、酒、タバコ、ドラッグ。自分たちを取り巻くものにはたぶん危険もたくさん。怖いけど平気なふりしている。興味もある。悪ぶりたくもある。ギョッとすることもたくさん。嫌悪感もある。ぐちゃぐちゃにある。

子どもじゃないからわかっている。どうしてパパとママの間がすれ違っているのか知っている。ママと自分の関係がうまくいかない。けど、どうしたらいいかわからない。

ああ、思春期よ......!読んでいるあいだじゅうずっと心がひりひりしていていた。

わたし知ってる、この感じ。
このイライラする感じ。悪態をつきたくなる感じ。
自分がどうであれ、もう飲み込まれて連れて行かれている感じ。所在のなさ。無力感。
嫌悪感と好奇心が同時に猛烈に湧いてくる感じ。感覚が刺激される。

 

終始不穏で、いつか何か決定的に怖いことが起こりそうで、ずっとドキドキしながらページをめくっていた。でも起こったのは「怖いこと」ではなかった。ずっと物語を追ってきた人にだけわかる「......!」な出来事が起こる。つらさもあるけど、開放感と明るさもある物語。

 

思えば思春期ってほんとうに危うくて、よく生きのびられたなと思う。死に近接するところがあるんだろうな。そういう人生で一度しか通らない「あのとき」にしか味わわない瞬間を見事に捉えている。すごい。

 

図書館ではヤングアダルトのコーナーに入っていた。やるなぁ、図書館。
親とは話せないことが、この本となら話せるんじゃないかな!

 

▼出版社のサイトで試し読みもできるので、ぜひ見てみてほしい。

tanemaki.iwanami.co.jp

 

ポッドキャストのこんな番組もあった。

open.spotify.com

サーリネンとフィンランドの美しい建築展 鑑賞記録

パナソニック留美術館で開催中の「サーリネンとフィンランドの美しい建築展」を観てきた。

panasonic.co.jp

 

概要は青い日記帳さんのブログが詳しい。

bluediary2.jugem.jp

 

f:id:hitotobi:20210918190309j:plain

 

 

建築がテーマの展示だけれど、パナソニック留美術館の空間を考えると、たぶんテキストの多い展示なんだろうなー......と思って行ったらやっぱりそうだった。
近年珍しいほどテキスト解説パネルが多くて、あまり頭に入ってこなかった。

すぐにこれは無理だと諦めて、興味があるところだけ端折って読んだ。建築のお仕事の人や、研究者にはおもしろいのかもしれない。

もう少し展示方法や鑑賞への架け橋として工夫がほしかった。
せめて7月にライブ配信されていた学芸員さんによるオンラインギャラリートークを会期中だけはアクセス可能にしておくとか、企業運営の美術館なのだから柔軟にやってほしい。(いや、だから難しいのかな)


一つひとつは興味深かった。

室内の設計にまつわるドローイングやスケッチが特によかった。紙にインクと水彩で描いているもの。

 
 
 
 
 
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鑑賞メモ

・サーリネンが1923年に49歳で家族とアメリカへ移住するまでの、フィンランド時代の仕事を紹介する展覧会。

・入ってすぐのカレワラ(本)と挿絵の展示。画家アクセリ・ガレン=カレラの版画による挿絵が印象的。これをもっとたくさん見たい。

・1900年の第5回パリ万博。フィンランド館の設計に、ゲセリウス・リンドグレン・サーリネン建築設計事務所が携わっている。模型とCG映像の展示がある。ディズニーアニメーションに出てくるお城のよう。中欧の人たちにとってのフィンランドのこういった文化はどのように受け止められていたんだろう。近いけど、似ているけれどちょっと違うエキゾチックなものとして? 

・世界のいくつかの国々のパビリオンがパリの街中に点在しているようすが、地図の展示で示されている。実際に街中に建築されている。すごいな、国をあげての一大イベントだったんだな。今でいえばオリンピックみたいなものなのか。でもフランス以外の国のパビリオンはあれだけのものを建設して、半年展示したあとあっさりバラすから、ものすごく贅沢な祭典。

・パリ万博については美術史や人物伝や展覧会でしょっちゅう出てくるが断片的にしかまだ知らない。映画『ディリリとパリの時間旅行』の冒頭で、ニューカレドニアからやってきたディリリが、万博の「植民地村」で見世物に出演するシーンが出てくる。ああいう時代だ。そして、日本館も出展していたが、この植民地村に近いエリアでの出展で、独立国としての扱いを受けていたなかった模様。(ここはもう少し調べたい)

1906年に既に女性の参政権を認める国民議会が発足している。フィンランドはいつも先進的なのか。サーリネンの妻のロヤも、フィンランドで美術学校に通ったあとパリに留学して彫刻を学び、帰国後はテキスタイルデザインや室内装飾の面でサーリネンと仕事をしていたとある。

1906年普通選挙が実施されたのを機に国会議事堂も建設する計画があり、サーリネンも携わっていたが、当時のロシア皇帝が「豪華すぎる」と許可せず。1931年、独立して14年後に別のフィンランド人建築家の手でようやく実現する。

ダイニングルームの再現のコーナーよかった。子供部屋や寝室の写真の展示もあって、サーリネン邸の様子がわずかに伝わってくる。

ヘルシンキ中央駅もサーリネンの設計。旅行に行ったら必ず通るだろう。行ってみたい。



フィンランドの工芸や絵画、建築、ファッションは、どれも全体的に透明感があって、シックでモダンで居心地がいい。目にも優しい。

フィンランドへの興味がまた生まれてきたところなので、今回は図録ではなく、フィンランドをデザインの面で俯瞰できるこちらを購入。

『フィンランド・デザインの原点 くらしによりそう芸術』橋本優子/著(東京美術, 2017年)

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2017年のフィンランド独立100周年記念展示「Universal Nature」。鴻池朋子さんの作品を観たくて行ったのだけど、このときに初めてフィンランドが独立してまだ100年の新しい国だということを知った。

lifte.jp

 

この民族大叙事詩カレワラは、単なる昔話や伝承をまとめたものというだけでなく、「神話」の形で創造的に著すことで、民族(フィン人)のアイデンティティフィンランドロシア帝国からの独立に大きな影響を与えようとしたという背景がある、らしい。

1835年に本として出版(1849年に全般が出版)なので、比較的新しい動き。

 

『カレワラ物語 フィンランドの神々』小泉 保ほか/著 (岩波書店, 2008年)

国産み神話にも胎生と卵生があるらしいことを知った。



とにかく今回はあれだね、ポスタービジュアルがめちゃくちゃきれいだったね。一番の動機としては、この感じを浴びに来たかったんだな、わたしは。

チラシを広げたらそのままポスターとして飾れるよ。すてき。

 

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これをデザインした人誰なんだろう。調べたけどわからなかった。

明治のTHE chocolateのパッケージも思い出して調べたけど、そちらは明治のインハウスデザイナーさんの仕事だった。(名前はわからない)

 

関連記事

hitotobi.hatenadiary.jp

 

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映画『ハッパGoGo 大統領極秘指令』鑑賞記録

映画『ハッパGoGo 大統領極秘指令』(2017年、ウルグアイ

www.8855movie.com

 

 

いやはや、最高!!何も考えずに笑える!!

久しぶりではないですか、こういうの。

近頃、今までの笑いは誰かを傷つけたり損なったりするものの上に成り立っていたんだなと気づいて、おいそれと笑えなくなっていたから。

 

物語の発端は、2013年のホセ・ムヒカ大統領下での大麻マリファナ)合法化。

合法化の最大の目的は、栽培・流通を国の管理下で行うことによって闇市場での価格を爆下げし、密売組織を弱体化させること。先進国としては2018年にカナダのトルドー首相が始めて大麻の合法化に踏み切ったが、その理由もやはり犯罪組織の資金源を断つことだった。

www.banger.jp

 

物語の詳しい背景は上の記事と公式サイトのAboutがわかりやすいので、ぜひお読みいただきたいが、「この映画自体は元大統領まで巻き込む壮大なフィクション。けれど大麻事情に関する部分はノンフィクション」というところだけ抑えていればOK。楽しく観られる。

「どこからがほんとでどこからがつくりもの?」とごちゃまぜになっているあたりがおもしろい。ムヒカが大統領だったのも本当だし、あの家に住んでいるのも本当。ムヒカとオバマの会談映像も本物。たぶんアメリカでの市民の反応や大麻市場もあのような感じなのだろう。

そういうギリギリのところを攻めながら、基本的にはずーーーっと健康的なコメディ。ほんとうにずっと笑っている。国家レベルの機密プロジェクトと言いながら、グズグズしていて、でも謎にやり手で飽きない。

 

ムヒカの映画を観たり、絵本を読んで、「ああ、ムヒカってこういう清貧な賢人なのか、素晴らしいな」と思っていた方には、「めちゃノリいいおっちゃんやん!!懐広い!!」と驚くはず。ムヒカが愛される理由がまた分かった気がする。

日本じゃちょっと考えられない。こんなの企画した段階で、たくさんの権力による圧力や検閲がかかるだろう。天皇や首相や公的機関をネタにして(捏造して)アメリカとの関係を描いて、しかも大麻......まったく想像できない。そもそも「自国を笑う」とか、「官僚的性質を批判する」とかできなそう。

だから余計に「ここまでやってもゆるされるのか〜」という逸脱ぶりが観ていて爽快なんだろう。羨ましささえある。いいな、ウルグアイ

これまで映画には出てこなかったムヒカの家の納屋も観られるので、ムヒカファン必見かも。

 

▼ムヒカ関連のドキュメンタリー

jose-mujica.com

www.banger.jp

 

▼日本人にとっての麻

toyokeizai.net

www.iseasa.com

 

 

▼ジャズとドラッグ、よく耳にするドラッグと歴史の中の位置付け。

www.arban-mag.com

 

▼公式サイトのこぼれ話。医療大麻の話、知りたかった!

www.8855movie.com

 

 

▼読んでみたい本

「危ないものだからとりあえず近寄らない」とだけ認識していて、「それが一体なんなのか」ということはけっこう知らない。そういうことって多いなぁ。

 

 

※当然のことながら、この映画も、この感想も大麻使用を積極的に推奨するものではありません。

 

(追記)

原題:MISION NO OFICIAL

英題:GET THE WEED

邦題:ハッパGoGo 大統領極秘指令

ぶっちぎりで邦題がオモロイ!!!

 

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鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com


『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』
稲葉麻由美、高橋ライチ、舟之川聖子/著(三恵社, 2020年)

1年かかって読む本

ジュンパ・ラヒリの『わたしのいるところ』。

 

ラヒリの母語ではない、イタリア語で書かれた本の第2弾。

今のところこれが日本語に翻訳されているラヒリの最新作だ。

 

一年かかって読んだ。

一気に読んでしまう本ではないと思って、ほんとうに気が向いたときだけ、しかも寝る前に一編だけ。

ゆっくりゆっくり蓄積されていく言葉。
読み終わって、とても満たされている。

他人のような気がしなかった。
主人公がわたしと年齢の近い女性ということもあると思う。

読んでいるあいだじゅうずっと、日本語として美しく感じているこの世界をわたしは原文でも味わうことができるんだ、という喜びに包まれていた。

日本語で読み終えたところで、イタリア語のペーパーバックを注文した。
ニュー・シネマ・パラダイス』の冒頭に出てくるとサルヴァトーレの妹の話し方を思い出しながら読むとすごく良さそう。

読み終えるのはまた一年後だろうか。
そんな読書もいい。

 

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〈お知らせ〉9/11(土) オンラインでゆるっと話そう『プリズン・サークル』w/ シネマ・チュプキ・タバタ

シネマ・チュプキ・タバタさんとコラボでひらく鑑賞対話の場〈ゆるっと話そう〉

オンラインでの開催です。
全国、全世界、インターネットのあるところなら、どこからでもご参加OK。
 

9月はこちらの作品です。
 

『プリズン・サークル』(2019年/日本)

youtu.be

 

▼公式サイト

prison-circle.com

 

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〈ゆるっと話そう〉は、映画を観た人同士が感想を交わし合う、アフタートークタイム。 映画を観て、 誰かと感想を話したくなっちゃったこと、ありませんか?
印象に残ったシーンや登場人物、ストーリー展開から感じたことや考えたこと、思い出したこと。 他の人はどんな感想を持ったのかも、聞いてみたい。
初対面の人同士でも気楽に話せるよう、ファシリテーターが進行します。
———————————————————
 
第23回は『プリズン・サークル』 をピックアップします。
多くの人にとって日常から離れた場所、刑務所と、そこで自らの過去を見つめ、語り合う受刑者たちを映すことを通して、わたしたちにこの社会の有り様を問いかけてくれる作品です。
長引くCOVID-19感染症の流行によって、これまで社会が持っていた矛盾や構造的な脆弱さが、どんどん露わになっています。
自分自身が苦悩を抱えたり、他の人が困窮している様を見聞きしていると、この社会が、どれだけ立場の弱い人たちを切り捨て、権利を損ないながらつくられてきたかを知ります。そして自分もまた、そのような社会の一員であったことを思い出します。
この映画に出てくるのは、他者に害を与え、損なった人たちですが、同時にその生い立ちの中で激しく損なわれ、奪われてきた人たちでもあります。葛藤を繰り返しながらも、自分を生き始めた人たちの姿に、何を見るでしょうか。あるいは観終わったときに、サブタイトルの「ぼくたちがここにいる本当の理由」について、どんな答えが浮かぶでしょうか。
 
昨年の第12回〈ゆるっと話そう〉でこの作品を取り上げたときには、参加された方々から、
「自分の言葉でしゃべれる場でよかった」
「一本の映画から、こうも異なる感想が出るとは驚きだ」
「わたしたちもこうやって多様性を認める訓練をしているのかもしれない」
という感想をいただきました。(レポート
同じ作品を観た人同士が語り合うこの場は、劇中の「サークル(輪)」を彷彿とさせ、ささやかな希望をわたしたちにもたらしてくれます。
話す、聴く、出会う機会が減っている今だから、ちょっと話しにきませんか?
ご参加お待ちしています。
 
———————————————————
日 時:2021年9月11日(土)20 : 00〜21 : 00(開場 19 : 45)
参加費:1,000円(予約時決済/JCB以外のカードがご利用頂けます)
対 象:映画『プリズン・サークル』を観た方。     
    オンライン会議システムZOOMで通話が可能な方。     
    UDトークが必要な方 は申し込み完了後、ご連絡ください。         
    Mail)cinema.chupki@gmail.com
会 場:オンライン会議システムZOOM     
    当日のお部屋IDはお申し込みの方にご連絡します。
参加方法:予約制(定員9名) 予約サイトまたはチュプキ店頭にて。
詳細・申込はこちらから。
*前日時点で2名以上のお申し込みで開催します。
*「ゆるっと話そう」は、どこの劇場でご覧になった方も参加できますが、これから観る方はぜひ当館でご覧ください。日本で唯一のユニバーサルシアターであるシネマ・チュプキ・タバタを応援いただけたらうれしいです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◉『プリズン・サークル』上映期間 <水曜定休>
9月2日(木)~12日(日) 16:50〜19:06
9月13日(月)~21日(火) 18:40〜20:56
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<これまでの開催>
第22回 きまじめ楽隊のぼんやり戦争
第21回 ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記
第20〜1回までの作品
あこがれの空の下 〜教科書のない小学校の一年〜/ウルフウォーカー/ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ/アリ地獄天国/彼の見つめる先に/なぜ君は総理大臣になれないのか/タゴール・ソングス/この世界の(さらにいくつもの)片隅に/プリズン・サークル/インディペンデントリビング/37セカンズ/トークバック 沈黙を破る女たち/人生をしまう時間(とき)/ディリリとパリの時間旅行/おいしい家族/教誨師バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット版/人生フルーツ/勝手にふるえてろ/沈没家族

 
 
<主催・問い合わせ>
シネマ・チュプキ・タバタ
TEL・FAX 03-6240-8480(水曜休)
cinema.chupki@gmail.com
 
 

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鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com


初の著書(共著)発売中! 
『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』稲葉麻由美、高橋ライチ、舟之川聖子/著(三恵社, 2020年)

 

〈レポート〉8/26 ゆるっと話そう『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』w/シネマ・チュプキ・タバタ

2021年8月26日、シネマ・チュプキ・タバタさんと、映画の感想シェアの会〈ゆるっと話そう〉を開催しました。(ゆるっと話そうについてはこちら

 

第22回 ゆるっと話そう: 『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』

毎日、朝9時から夕方5時まで、この町は川向こうの町と戦争をしている。
でもなぜ戦争をしているのか、川向こうの人たちがどう「コワイ」のか、誰も知らない……。
「きまじめ」な人々を描きながら、歴史や社会を痛烈に皮肉る、新感覚のブラックコメディです。
 
▼オフィシャルサイト

 

 

▼イベント告知ページ

chupki.jpn.org

 

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当日参加された方々

チュプキに足繁く通っているけれども、〈ゆるっと話そう〉は初めてという方々ご参加くださいました。音声ガイド制作に携わった方や、そのガイドで作品を観た視覚障害者の方も来てくださいました。

少人数でゆったりと聴き合う中で、素朴な感想から見える着眼点の鋭さにハッとしたり、映画の魅力をじっくりと味わいました。

今回は上映期間が短い作品を選定したこともあり、記憶が新しいうちに話せたこともよかったようです。

 

8月のチュプキさんの上映ラインナップは、終戦記念日にちなみ、戦争や平和を考える作品が並びました。これまでにない独特の描き方をしている映画ということで、『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』を取り上げたそうです。

「もやっとした気持ちになる映画なので、ぜひいろんな感想を出し合ってみましょう」と代表の平塚さんより挨拶があり、はじまりました。

 

 

こんな感想が出ました

映画の印象

・チュプキさんからの案内メールで知って観た。タイトルやポスタービジュアルから、優しくてお気軽な映画のイメージを持ったが、観てみたら非常に重かった。ギャップがあった。

・クスッと笑いながら、ゾクっとしてくる。遠い世界の話だと思っていたことが、どんどん自分に近づいてきたように感じて、不気味でハマる。

・無表情のままはじまって、淡々としたまま終わってしまうのかな、寝てしまったらどうしよう、と思いながら見ていたが、どんどん引き込まれていった。こんな映画見たことない!刺激的な体験だった。

・「肝が冷える」感じがするのは、自分の経験と重なる部分があるから。

・ささいなことが記憶に残るようなつくりになっている。だからふと思い出して、「あれは何だったんだろう......」と考えはじめる。

・一度見れば十分かなと思っていたけれど、時間が経つごとに気になってモヤモヤしてくる。癖になる感じ。

・いろんなテーマがそっとそっと仕込まれている。

・抑制された演技や台詞の少なさが余白を生み出して、想像力をかきたてる。

 

※以下は内容にふれていますので、まだ観ていなくて「人の解釈を聞くと影響されそう」という方は、 ぜひ観賞後にお読みください。

 

印象深いところ

・受付の人が、「戦闘」で負傷した兵隊の一人を詰問するシーンで、今起こっている自分自身の問題を思い出した。仕事関係で「決まりだから」とやらされていることや、コンビニで店員さんからマニュアル通りの対応をされたことなど。

・兵隊の人たちの出勤の姿から、以前観た、『ディア・ピョンヤン(Dear Pyongyang)』という映画のシーンを思い出した。北朝鮮で、公務員の人たちが背広を来て出勤して、軍服に着替えて軍隊の行進の練習をする。ディア・ピョンヤンには、わたしたちが持っている固定化したイメージとは違う北朝鮮の姿が写っている。この映画のテーマと似て、「知らないから怖れている」部分もあるのかも。

・小中学校でのいじめを思い出すような場面。笑いながらやっているのを見ていると、胸のあたりが詰まってくるような感覚。

・「自分が生まれる前から戦争をしている。なぜかは誰も知らない」とか「撃っているだけでいい」と言われながらも、撃たれるとちゃんとケガをする。平坦なようでちゃんと状況が変わっていくし、じわりじわりと人が排除されていく。その構図が怖い。

・技術者のたよりなさと、兵器のギャップ。いろんなギャップが印象的な映画。

 

どの感想にも「なるほどーそういうことかぁ」「よくぞそれを言葉にしてくださいました」という思いを込めた反応がありました。

 

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対話を通した発見

たとえば、「川の名前」について。

看板に薄く小さく太津川と出てくる場面があるそうです。もしかしたら「津平町(つひらまち)」と「太原町(たわらまち)」の頭文字をとって、太津川としたのでは?「太」と「津」のどちらを先にするかで戦争がはじまったのでは?という意見が出ました。なるほど!

つまらないことがきっかけになって諍いが起こることは、現実世界でもよくあります。市町村合併などでも聞いたことがあります。この町の戦争の理由は「誰も知らない」ので、想像でしかありませんが、あり得る話ですね。

 

「出る杭となって打たれる若者」について。

「出る杭は打たれる、のように、少し目立つといじめに遭う。それはおかしいと誰もが思っているけれど、言えないでいる若者の現状をよく聞く」というシェアから、劇中に登場する、ある若者の言動の変化にスポットが当たりました。

「相手のことをよく知らない、知ろうとしない」「型にはめ込もうとする」ままに進んでいくことに疑問を持つ人、抗う人の象徴としてその役柄を見てみると、物語が持つ力強さが感じられます。

 

そして、この日一番のハイライトとなったのが、キーとなる音楽である、ヨハン・シュトラウス2世作曲の『美しき青きドナウ』をめぐる対話でした。

・無機質な世界で、唯一心のやり取りが感じられて、ホッとしたシーン
・美しくて涙が出た
・作曲家自身、過酷な家族関係の中でもあのような美しい音楽を作ったことと、劇中の状況が重なる
・楽隊の行進曲と、ソロで奏でるワルツとの違い。理想や幸せを描いたギャップが印象に残る

などの、特別なシーンであったことが様々な表現で共有されました。ドナウ川との単なる「川」つながりだけで選ばれたのではない何か、言葉ではない、音楽だからこそ伝わってくるものを感じ取りました。

さらに、

・実はあの架空の世界では、『美しき青きドナウ』という曲は存在せず、「登場人物の交流によって作られた曲」という設定だったのでは

という説も飛び出しました。なるほど!

そうして考えてみると、物語の展開がまた違って見えてきます。美しいだけではない、哀しいだけではない、それ以上の大切なものが......。

『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』の英題は、 "The Blue Danube(美しき青きドナウ)" なのだそうです。 海外の方も慣れ親しんでいるこの曲、このタイトルから、一体どんなイメージを作品に対して持つのでしょうか。

 

他にも、クライマックスのシーンの衝撃のことをふりかえったり、ラストシーンの解釈が二種類あること初めて気づいたり、あの町のその後はどうなったのかなど、いくらでも話せそうでした。

話せば話すほど、「あの場面は」「あの台詞は」と話題に挙げたくなるポイントがたくさんある、尽きない魅力のある映画であることを、皆さんと分かち合うことができました。

 

 

参加してのご感想

・充実していた。話してみたら自分の思い込みだったかもしれないとわかった。また観たくなった。

・楽しかった。人とは違う見方や思いを聞けてよかった。

・人と話したくなる映画だと思ったので、どう観たか、感じたかをシェアすることで深まった。

・自分の体験と結びつけて話してくださった方がいたのもよかった。

 

ご参加の皆様、チュプキさん、ありがとうございました!

 

チュプキさんでの上映は8月31日まで。

chupki.jpn.org

 

古びない映画、何度見てもいつも発見がある映画です。

エンドロールにもストーリーがあるので、ぜひお見逃しなく!

 

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▼インタビュー記事

cinemore.jp

 

news.yahoo.co.jp

 

news.yahoo.co.jp 

news.yahoo.co.jp

 

news.yahoo.co.jp

 

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seikofunanokawa.com


初の著書(共著)発売中! 
『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』稲葉麻由美、高橋ライチ、舟之川聖子/著(三恵社, 2020年)

 

 

 

〈お知らせ〉8/26(木) オンラインでゆるっと話そう『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』w/ シネマ・チュプキ・タバタ

シネマ・チュプキ・タバタさんとコラボでひらく鑑賞対話の場〈ゆるっと話そう〉

今月もオンラインでの開催です。
全国、全世界、インターネットのあるところなら、どこからでもご参加OK。
 

8月はこちらの作品! 

『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』(2020年/日本)

youtu.be

 

▼公式サイト

www.bitters.co.jp

 

f:id:hitotobi:20210823093026p:plain

 
毎日、朝9時から夕方5時まで、この町は川向こうの町と戦争をしている。
でもなぜ戦争をしているのか、川向こうの人たちがどう「コワイ」のか、誰も知らない……。
「きまじめ」な人々を描きながら、歴史や社会を痛烈に皮肉る、新感覚のブラックコメディです。
 
棒読み、無表情、杓子定規な人々が繰り返す、単調な日々。
可笑しみもあるけれど、うっすらと漂っているのは不穏な空気。
平和に見える日常の中に埋め込まれた狂気、同調圧力、思考停止。
それらがやがて引き起こすものとは。
 
観終わったあとはモヤモヤ?痛快?それとも……?
想像力をはたらかせる余地がたくさんある作品なので、見る人によって感じ考えることがきっと違うはず。
〈ゆるっと話そう〉で話してみませんか。
 
ご参加お待ちしています。
 
日 時:2021年8月26日(木)20 : 00〜21 : 00(開場 19 : 45)
参加費:1,000円(予約時決済/JCB以外のカードがご利用頂けます)
対 象:映画『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』を観た方。     
    オンライン会議システムZOOMで通話が可能な方。     
    UDトークが必要な方 は申し込み完了後、ご連絡ください。     
    Mail)cinema.chupki@gmail.com
会 場:オンライン会議システムZOOM     
    当日のお部屋IDはお申し込みの方にご連絡します。
参加方法:予約制(定員9名)      
     予約サイトか、チュプキ店頭でも承ります。

詳細・申込はこちらから。
 
*前日時点で2名以上のお申し込みで開催します。
*「ゆるっと話そう」は、どこの劇場でご覧になった方も参加できますが、これから観る方はぜひ当館でご覧ください。日本で唯一のユニバーサルシアターであるシネマ・チュプキ・タバタを応援いただけたらうれしいです。
*シネマ・チュプキ・タバタの音響設備の効果により、爆撃の音が轟音や振動になって伝わることがあります。そのような音が苦手な方は、音量調節ができる親子室での鑑賞も可能です。(親子室は大人2人程度の小さなスペースです。ご予約はお電話かメールでご連絡ください)
 
◉上映期間 <水曜定休>
8月16日(月)~31日(火) 14:25〜16:10<水曜休> 映画観賞のご予約はこちらhttps://coubic.com/chupki/478446
 
 
<これまでの開催>
第21回 ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記
第20回 あこがれの空の下 〜教科書のない小学校の一年〜
第19〜1回までの作品
ウルフウォーカー/ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ/アリ地獄天国/彼の見つめる先に/なぜ君は総理大臣になれないのか/タゴール・ソングス/この世界の(さらにいくつもの)片隅に/プリズン・サークル/インディペンデントリビング/37セカンズ/トークバック 沈黙を破る女たち/人生をしまう時間(とき)/ディリリとパリの時間旅行/おいしい家族/教誨師バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット版/人生フルーツ/勝手にふるえてろ/沈没家族

 
 
<主催・問い合わせ>
シネマ・チュプキ・タバタ
TEL・FAX 03-6240-8480(水曜休)
cinema.chupki@gmail.com
 

〈レポート〉6/29 ゆるっと話そう『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』w/シネマ・チュプキ・タバタ

2021年6月29日、シネマ・チュプキ・タバタさんと映画の感想シェアの会、〈ゆるっと話そう〉を開催しました。(ゆるっと話そうについてはこちら

 

第21回 ゆるっと話そう: 『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』

北国から沖縄のフリースクールにやってきた15歳の少女・坂本菜の花さんと彼女の日記から、沖縄の素顔に近づくドキュメンタリーです。

▼オフィシャルサイト

chimugurisa.net

 

 

イベント告知ページでは、こんなご案内を出しました。

どの言語にも、翻訳できない言葉、その言語でしか言い表すことのできない言葉がありますが、ウチナーグチの「ちむぐりさ」もその一つでしょう。
「あなたが悲しいと、私も悲しい」。
なんという深い共感の言葉でしょうか。
 
もしかしたら、
「知らないで生きてきたことの申し訳なさ」
「今まで断片的に見聞きしていたことが、一本の線でつながった喜び」
「言えなかった気持ちを、他の人が代弁してくれたときのありがたさ」
そんな感情を表す言葉も、世界のどこかにあるのかもしれません。
 
主人公の菜の花さんが出会う沖縄の風景や人々の姿に、わたしの中の10代の感受性も、激しく共鳴します。不条理なこの世界を生きるために、一人の人間に何ができるのか、考えずにはいられません。
 
とはいえ、どんな大切なことであっても、知るタイミングや学びの機会は、人それぞれ異なると思っています。その上で、わたしが今、機会を提供できる側にいるなら、それを生かしたい。どなたかに貢献したい。そんな気持ちで、当日は進行します。
 
知らないから、知りたい。
わからないから、わかりたい。
伝わらないから、伝えたい。
60分の感想シェアの場は、まずはそんな言葉を出すところから。
 
今がタイミングかもしれないという方、お待ちしています。

 

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 当日は7人の方が参加してくださいました。

今回はグループ分けはせず、全員で輪になって(オンラインでは輪にはなれないですが、できるだけそんな気持ちで)、ひとり一人の言葉に耳を傾けました。

参加の動機

・今日さっきみたばかりのほやほや、ズドーンと心に入ってきた。

・菜の花さんという10代の女の子の成長物語なのかな?と思って観始めたら、それだけじゃない深いテーマがあって、いろんなことを考え、思いが湧いて……。

・知らない人と感想を話す場に来るのははじめて、そもそも人と感想を話すこともあまりない、でも今回はどうしても話したくて。
・沖縄が自分のルーツだから、本土の人に知ってもらうことに切実さがある。
など、背景は様々ながら、何かしらの切実さのようなものを持ってご参加くださいました。

 
いろんな感想が出ました。
映画の場面から
・何度も訪れている美しい海を思って、あそこを埋め立てているのかと思うとつらい。
・自分の管理する牧草地にヘリが落ちた人、あんな被害にあっているのに、乗っていた人の無事を心配する......優しくて強い沖縄の人らしさを感じる
・機体や部品が落ちる可能性があるから、軍用機が上を飛ぶと、小学校の校庭にいた子どもたちが避難する。こんなことが日常で起こっているなんて。
・保育園の保護者のお母さんたちが上野駅前で街頭活動をしていた場面。保育園に子どもを預けているお母さんたちだから暇ではないはず。でも東京まできて行動していた。なのに声が届いていなくて、悔しい。
・歴史の資料ではモノクロの画像や映像が多かったけれど、現地に行ってみると、海も空もすごくきれいなところ。ここで起こった出来事だったんだと思うと胸が苦しい。
・一番ぐっときたのが、戦中のフィルム映像の中で、アメリカ軍に捕まった子どもがガタガタ震えていて、その震えがずっと止まらない様子。なんとも言えない。
 
主人公・菜の花さんについて
・解説ではない形で、伝わってくる。菜の花さんと一緒に体験できた。
・菜の花さんの、ノリ良くいろんな行動で問題の真髄に入っていく感じ、偉い。

映画から感じたこと
・明確な基地賛成派の人は出てこなかった気がして、そういう人の理由を知りたいと思った。
・ニュースに心を痛めているだけで、辺野古のデモにサポートしたり、土地規制法案反対に署名したりしているしかできず、沖縄に関しての罪悪感がある。
原発の問題にも似ているが、近くに住んでいる人にとってはたまったもんじゃない。でも遠くにいると感覚がにぶる。
・個人同士ならいがみ合うことはないのに、政治の問題が絡むと途端に難しくなる。
・民意は示されているのに、情報や認識にギャップがある。メディアの報じ方にもいろいろある。沖縄と本土でもかなり違う。まずは沖縄の新聞ウェブ版からローカル情報を得るのも手かも。
 
知って何ができるか
・菜の花さんが石川でやっているように、戦没者の遺骨入りの土を辺野古の埋め立てに使うことに反対する請願書を自分の地元の議会に出すこともできる(関連記事)。その後議会は意見書を採択している(関連記事)。市民の力は小さくない。
・足を止めて話を聞いて、署名するだけでも大きな力になる。思い続けること。
・沖縄のファンを増やしたい。「沖縄の人」といってもいろいろな人がいる。自分たちと変わらない人たち、変わらない日常がある。沖縄を身近に感じてもらうところから。

沖縄の歴史や現状を知り、共感したり、理解したいという気持ちを出したり、自分にできることを小さくても見つけようとする言葉が、活発に行き交った場となりました。
 

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場をふりかえって

皆さんと感想を語り合うことで、映画の場面は、背景への想像も含めて、より生き生きと立ち現れ、話している方に起こった過去の出来事も、まるで一緒にその場で見ていたかのように分かち合えました。

どうしたらよいのか途方に暮れてしまう大きなテーマにも度々踏み込んでいましたが、言葉を交わしているうちにどんどん気持ちが優しく、明るくなっていく感覚がありました。これは決して課題を矮小化しているわけではないのですが、普段あまりにも口にしない話題なので、この話題で話せること自体がただただうれしいという感じでした。大切に考えたいテーマだからこそ。
そんなふうに思わせてくれる映画でした。

「今沖縄は大雨らしい」と教えてくださった方もおられました。この映画をきっかけに沖縄の天気予報を見るようになったそうです。こんなふうに日常で小さなつながりを感じていくことだって、きっと平和につながる。
私たちに強さがあるとすれば、生活者としての視点で語れることではないでしょうか。
 
イベントが終わってからのスタッフさんとのふりかえりでは、「この映画を何より自分のために観られてよかった」という話が出ました。「私、この映画を観てほんっとよかった、励まされたんだよね」と思わずしみじみとした吐露になる。「あなたも沖縄の問題を知るべき!」という勧め方ではない、こんな在り方だからこそ、伝わるものがありそうです。
 
この映画のよいところは、皆さんもおっしゃっていましたが、
「同世代の人として、菜の花さんはすごいなと思う」
「自分の子が菜の花さんぐらいの歳になったところを想像しながら観た」
「自分の10代の頃を重ねながら観ていた」
など、菜の花さんを軸にいろんな世代や立場の人が関わることができる点です。

ぜひ誰かと一緒に観て、感想を話してみてください。
10代のお子さんと見るのもおすすめです。
 
今回ご参加くださった皆さん、ご関心をお寄せくださった皆さん、シネマ・チュプキ・タバタさん、ありがとうございました。
 
 
 
この日のために調べた資料の中からいくつか紹介してまとめました。鑑賞前後のご参考になれば。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

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鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com


初の著書(共著)発売中! 
『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』稲葉麻由美、高橋ライチ、舟之川聖子/著(三恵社, 2020年)

映画『もったいないキッチン』鑑賞記録

映画『もったいないキッチン』を観た。

劇場公開1周年記念特別企画として、オンライン上映&監督や出演者とのトーク付き。

https://mk2021.peatix.com/

 

▼公式サイト

www.mottainai-kitchen.net

 

youtu.be

 

この映画のことは、昨年『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ』を観に行ったときにトレイラーがかかっていて、知った。

ナレーションがドイツ語で、オーストリアの人が日本に来て、食品にまつわる「もったいない」を訪ねる旅をする......へえ、おもしろそうと思っていたけれど、結局そのときは見なかった。今回の企画で出会えたのは、ラッキーだった。

 

一昨年、区の講座で、生ゴミ再処理工場と東京湾の最終埋め立て処分場に行くバスツアーに参加して以来、フードロスの問題に関心を持っている。

とはいえ、家庭内のフードロスでさえコントロールできないことのほうが多いのに、どうやったら地球規模のフードロスを減らすことが考えられるんだろう?と思いつつ、日々生きている。

 

「フードロス問題をどうやって解決するか」を徹底追及していくのかな?余った食材でこんな美味しいものができるよ、楽しく解決できるよ、と紹介する映画なのかな?とイメージしていたけれど、それだけでは全然なかった。

ロスになる前の話。

そもそもの、わたしたちの頭の中の「食」を見てみることからはじめませんか?
当たり前にあること、していることに目を向けてみませんか?と問いかけている。

それをガイドのダーヴィドさんとニキさんたちが、自分たちの関心にしたがって、「食にまつわること」をずっと考えて実践している人を訪ねながら、調べたり、試したり、考えたりしている。その旅にわたしたちも便乗できる。

 

 

食といっても、範囲が広い。
食材。
食べるという行為。食卓。
料理。調理。
美味しいという感覚。
命をつくる。自分を大切にする。
自然とのかかわりあい、循環。
安全、安心な食。
昔から伝わる食の知恵。
作り手。

 

ゆえに、訪ねた先は日本全国津々浦々、切り口も多岐に渡る。

コンビニ、賞味期限、精進料理、プラスチック、マイクロプラスチック、ペットボトルリサイクル、地熱発電所、農業と資本主義、コンポスト、鰹節、福島の帰還困難地域、野草食、昆虫食、共に食べる、気候変動、地産地消......。

 

習慣、願い。
生きること、暮らし方、働き方。
動物や植物との関係、命との向き合い方。
エネルギー問題。

いろんなことにつながっていくのか......とまず思う。

 

自分にできることはなんだろう。

失敗しながら学んでいくものだとして。

少しずつ自分の頭の中の「食」と自分が願う「生」の理想や、幸せな人生とを近づけていく努力。これはやっぱり必要なのかもと思う。

自然と自分自身のつながりが薄まっていると、たぶんわたしが生まれたぐらいの世代(いやもっと前から?)からずっと言われてきた。言われすぎて慣れてしまっているところがあるくらい。今、世界全体が「死」を考えているときに、あらためて考えてみる必要があるかも。

もてなす、もてなされる体験も、今しづらくなっているけれど、食を通じて何かしら分かちあえることがあるんじゃないか。今までにはない共有の仕方で、気づいていけることもあるんじゃないか。そういう希望を持った。


「前から知っていたり、こういう感じのがいいなと思っていたことが、実際に行動して実践している人を見られると、希望を感じる。やっぱりそれでよかったんだ!と思える。自分もふとした思いつきをやってみようと刺激になる。」

ダーヴィドさんが終盤に話していたこと、ほんとうにそうだなと思った。

自分は同じことができないとしても、実践している人がいると、その人の信念に触れると、自分にもなにか小さく始められるのではないかと思える。

 


「こういうふうに決まっているから」と言っていた大企業の役員の人も、「あなたの権限で言い出しっぺになってみてほしい」とすごく思った。怖れが強いんだなと感じた。

「何か責任が取れないことがあったら怖い」「だから変えられない」。

でもそれも変えていけるんじゃないかと思う。"ちゃんと"してなくても、怒られない、追い詰められない社会に。

別の工夫で、安心や安全を守っていく知恵。
出し合って納得を大事に決めていけたらいいのにな。



当日は、監督他、出演者総揃いでのアフタートークのやり取りも温かかった。

映画を製作した2年前から感染症が流行しての今の変化、これから目指していくことなどお話も聞けて、目の前の現実はそれぞれに違うけれど、大きな時代の流れや大きな切実さは共にしている感覚を得られた。

 

そうそう、ドイツ語の勉強にもなった。

ディクテーションの題材にしたいぐらい、聞き取りやすくわかりやすいドイツ語だった。今のところイベント上映か上映会形式でしか見られないのが残念。

 

ベルナール・ビュフェ、駒形克己、ジュリアーノ・ヴァンジ、丸木スマ @クレマチスの丘

今年のGW、クレマチスの丘で、芸術を補給してきた。

移動は自粛が求められているときだったが、精神的にかなり逼迫していたので、今しかないと思い、行くことに決めた。移動して身体を運ぶこと、いつか訪れた場所と再びつながることなどを必要としていた。

現在は、休館中のIZU PHOTO MUSEUMを除いて、2館で4つの企画展を観ることができる。

 

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歩いた順に。 

 

ベルナール・ビュフェ美術館

ベルナール・ビュフェの作品は、今年2月にBunkamura ザ・ミュージアムで回顧展を観たばかり。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

このときに、次はぜったいクレマチスの丘に観に行こうと決めていた。

やはり専用の館で観るのは、受け取るものが違うはずだから。点数も圧倒的であろうし。

 

具象画家 ベルナール・ビュフェ ―ビュフェが描いたものー

会期: 2021年4月10日(土)~2022年3月6日(日)

https://www.clematis-no-oka.co.jp/buffet-museum/exhibitions/1674/

 

Bunkamuraで見たり、図録で見た作品もあれば、初めて見る作品も。潤沢に100点以上。圧巻。

当日のわたしのメモに、「よき集中と精力的な統一、自由、スペース」「平和主義者は孤独である」とある。

1947年戦後まもなくのころの、画材を買うお金がなく、カーテンをつぎはぎにしてキャンバスにした、つぎはぎの痕が見える作品もあった。執念。その過程も作品の一部となり、効果を生み出している。今後この頃の作品を見る時に注目したい。

今回の展示のコンセプトは、「具象」。抽象と具象は対立するものではないという提示。

絵画作品はすべて"抽象"です。

具象絵画は誰にでも理解できるものでなければならない。
同時に、そこに人々が何かを見出すことができなければならないのです。
すべての芸術が"抽象"であるというのは、この意味においてです。(ベルナール・ビュフェ


しかし多作な人だ。あふれる陰のエネルギー。 たまに猛烈に浴びたくなる。


ベルナール・ビュフェ美術館 館報 4号

懇切丁寧なガイドが無料でいただける。

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『ビュフェとアナベルベルナール・ビュフェ美術館/編(フォイル, 2007年) 

こちらの本、ミュージアムショップで買った。二人の関係が作品に与える影響。アナベル自身の生い立ちやアーティスト性。近頃、作家のパートナーを「ミューズ」として副次的に、消費的に見たくない心境なので。よい内容。

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ベルナール・ビュフェ 1945-1999』(ベルナール・ビュフェ美術館, 2014)

こちらはBunkamuraで購入した画集。 リンク先では高額になっているが、ベルナール・ビュフェ美術館ではまだ定価で買える。他にも置いているミュージアムショップはありそう。

 

丸木スマ展 @ベルナール・ビュフェ美術館

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わしゃ、今が花よ 70歳で開花した絵心 丸木スマ展 | ベルナール・ビュフェ美術館 | Bernard Buffet Museum

70歳をすぎて初めて絵筆をとる。人生の最後に画家として生き、衝撃の死を迎える。

先日の東京都美術館の「Walls & Bridges」展の東勝吉さんの作品でも思ったけれど、どんなきっかけで、何が発現するかは、人生の終わりの終わりまでわからないのか。

少しずつ感じる老いについて自分自身も向き合っているところだが、この先もいくらでもひらけている可能性を思うと、生きることが楽しみになってくる。

なにより、スマさんの描くことが楽しくてたまらない、目の前にある「これ」を愛おしみ慈しむ心にふれると、見ているだけでただただ幸せな気持ちになる。様々な経験をして生きてきた人間が、描く世界。彼女からは世界がこのように見えていた。

そして九年間の画業の中でも、工夫があり、展開があり、紆余曲折がある。形や色への尽きない興味。

わたしも今すぐ描きたい!歌いたい!というエネルギーが湧いてくる。

 

クレマチスの丘のFacebook投稿より
https://www.facebook.com/clematis.no.oka/posts/4178780148825477

 

 

▼ ヴァンジ彫刻庭園美術館

庭園と、ヴァンジの彫刻と、そのときどきの企画展が楽しめる美術館。どういうご縁でここに個人美術館をつくったのか、いろいろ見てみたけれど、よくわからなかった。

www.clematis-no-oka.co.jp

 

薄暗く広い空間で、人もまばらな中、じっくりと作品と自分と対話できる。

この感覚を身体に染み込ませるように時間を使った。

見ていると苦しくなってくる作品も多いが、その中で、胸を張って颯爽と歩いていく女の人の像や、穏やかに微笑む聖像のような作品もあり、この世界には両方があることを思い出す。

 

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ずっしりの図録はこちらで購入可能。

http://www.noharabooks.jp/item.php?id=453

 

▼小さなデザイン 駒形 克己展 @ヴァンジ彫刻庭園美術館

ニューヨークで修行し、帰国してしばらくして自分のオフィスを構え、プロモーションの世界で売れっ子になった駒形さんが、お子さんの誕生をきっかけに、活動スタイルを変えて行ったところがおもしろかった。人の原点から、世界との橋渡しになる本や紙。言語や文化を踏まえながら、それでいて直感的に理解できるもの。

メモしていた駒形さんの言葉:

"ニューヨークでは、問題解決をはかることができないデザイナーは通用しませんでした"

"日本では誰もが日本語を話し、日本を理解する。具体的な情報より抽象化された表現の中から想像力が引き出されることが好まれた"

 

別室で上映されていたWOWOWのドキュメンタリー「ノンフィクションW 触れる 感じる 壊れる絵本ー造本作家・駒形克己の挑戦」、1時間近い番組だが、思わずのめり込んで見てしまった。何十年もかけてこの道を歩んできたプロの作り手の姿勢、インスピレーションをどう得るか、など。

「シンプルな素材で豊かなコミュニケーションの可能性を探るもの」

クレマチスの丘のFacebook投稿より

https://www.facebook.com/clematis.no.oka/posts/4199889670047858

 

 

咲き乱れるクレマチスに包まれて、深呼吸。よい一日でした。

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 以前、クレマチスの丘を訪れたときに観たブルーノ・ムナーリ展の図録が再販されていたので、購入した。これもおすすめ。

www.noharabooks.jp

 

こちらもぜひ再販してほしい。「増山たづ子写真集 すべて写真になる日まで」

www.noharabooks.jp

展示「平塚らいてう没後50年特別展 らいてうの軌跡展」@田端文士村記念館

北区田端の田端文士村記念館で、平塚らいてうの展示を見てきた。

平塚らいてう没後50年特別展 ~らいてうの軌跡~ : 北区文化振興財団

 

以前観た芥川龍之介の展示がとてもよかったので、田端に行くときは必ず立ち寄るようにしている。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

田端は、明治中期より若い芸術家たちが集うようになり、やがて"芸術家村"を形成しました。「創作」と「日常」という二つの環境を共有した芸術家たちの間には、絵画・彫刻など、表現方法の枠を声、豊かな交流が育まれていきます。(記念館HPより)

ということで、田端ゆかりの芸術家たちの人生、作品、暮らしぶり、交友関係などについて、毎回テーマを決めて展示をしてくれている。ちなみに入館料は無料(!)。

 

今回の「平塚らいてう没後50年特別展 らいてうの軌跡」の展示は、常設展示スペースの半分を使って行われている。

「元始女性は実に太陽であった」という、今も語り継がれる名文を残した 平塚らいてうは、今年で没後50年の節目を迎えました。 本展では、らいてうが田端で過ごした時代を中心に、その社会的な活動から家庭的な一面までを様々な資料でご紹介します。

チラシ(PDF)

https://kitabunka.or.jp/wp/wp-content/uploads/%E6%94%B9%E8%A8%82%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7%E5%B9%B3%E5%A1%9A%E3%82%89%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%86%E6%B2%A1%E5%BE%8C50%E5%B9%B4%E7%89%B9%E5%88%A5%E5%B1%95_compressed.pdf 

 

わたしが平塚らいてうに関心を持ったのは、フェミニズムの側面と、実は自分の小さい頃に、平塚らいてうの子孫の方と交流を持っていた時期がある、という二つの文脈がある。けれども、どちらも今回の展示をみるまで詳しく分かっていたわけではないし、常にらいてうのことを調べて回っていたわけでもない。

この展示に、偶然出会えたことに感謝したい。

 

 

 

▼鑑賞メモ

平塚らいてうについて
国立国会図書館平塚らいてう | 近代日本人の肖像
日本女子大学

女性・平和運動のパイオニア 平塚らいてう | 時代を切り拓く卒業生 | 日本女子大学

夏目漱石の弟子・森田草平と心中未遂事件を起こす。森田は『煤煙』でその経緯を小説にした。そこに夏目漱石森鷗外も解説(?)文章を寄せている。それだけ聞くと、よくそんなこと世に出すなぁとか、そこに乗っかるなぁと思うだけで、理解はしづらい。もう少し詳しく知りたい。

漱石山房記念館でも、このことは、森田草平の心中事件の後始末をしてやった面倒見のいい人という感じで紹介されていたような気がする。思い違いかもしれないので、また次回行ったときに見てみる。

・台湾の映画『悲情城市』の中で、次のような話が出てくる。

「日本人は桜の花をめでる。花開き、最も美しい時に、枝を離れて土に落ちるからだ。人生とは、そうあるべきだと言うのだ」

「明治時代に、女性が多岐に身を投げた。厭世自殺でも失望でもなく、輝かしい青春を目前にして、これを失ったら、すべてが無意味だと。桜の花になぞらえて、生命が光り輝いている。その時に、風に乗り枝を離れた。彼女の遺言は、当時の若者の共感を呼んだ。明治維新のころで、時代は情熱と気概に満ちていた」
(パンフレットのシナリオ採録より)

映画を観たときにはここのくだりがよくわからなかったが、展示に出てきた

愛し合う男女が死へ突き進むダヌンツィオの小説『死の勝利』に強い影響を受け

というくだりに時代背景としてつながるものを感じた。

・『青鞜』の社員でバーでカクテルを飲む、吉原を見学するなど、「男性しか行かない(行けない?)場所」で女性が遊興したと叩かれる。これは、ヴァージニア・ウルフの『ある協会』に出てくるメンバーのさまざまな"活動"にも似て、やはり女性の制限を取り払おうとする動きだったのだろう。

・奥村博史との結婚や事実婚へ向けての話し合いが垣間見える手紙(共同生活への質問状)の展示もある。これに対する奥村の返信もよい。

「今の制度がどうあろうと、それはもともと人間が作ったものですからどうでも好いのです。もし結婚が嫌ならこのままでいましょう。」

・娘の曙生(あけみ)さん

父・奥村博史は、「お母さんはお母さんでなければできないことをしたほうがいいんだよ」と言っていたと。

母に対して世の夫のように「主婦」を要求しなかったことが母への最大の強力ではなかっただろうか。

・そもそも、自分は女性のための活動をしていたのに、いざ自分が出産するとなると恐怖があるという告白。

・子育てとライフワークの両立の悩み、夫婦別姓としたことによる「私生児を生んだとの非難の声」などから、「個人的立場では解決できない女性、母、子どもの社会的問題を痛感」

・いわゆる母性保護論争。与謝野晶子が、「経済的自立をしない女性が国家に保護を求めることの依頼主義」と論じていたのに対し、「特殊な労働能力を持つ者以外は、現時点では経済的自立は不可能」「国家が育児を支援しない限り、女性が経済的に独立を果たすことはできない」と対抗している。これって「母性保護」というタイトルだから感情的なやりとりに見えてしまうけれど、展示を見ている限り、らいてうの主張もかなり真っ当で、「女性を取り巻く環境の改善」や「女性の政治的参画が必要」と唱えて、運動を起こしていく経緯を見ても、現代もなお解決されていないイシューでもあり、興味深い。

与謝野晶子 自立訴えた子だくさんの母 ヒロインは強し(木内昇)|NIKKEI STYLE

魂を形成する権利を男に委ねるな 疑うことは私たちの自由 生誕130周年の山川菊栄(2)(47NEWS) - Yahoo!ニュース

羽仁もと子と母性保護論争 ―与謝野晶子平塚らいてうとの接点― 林 美帆(PDF)https://www.jstage.jst.go.jp/article/jiyu/3/1/3_1/_pdf/-char/en

大正8年の治安警察法第五条の改正。女性が政治集会に参加することや政党に加入することを禁止する内容。これに反発。『青鞜』第3巻第1号にて、男女平等を揶揄する人たちや、女性の権利について、社員がそれぞれの考えを示した。

・『青鞜』1915年9月号では、女性が抱える性の悩みなども取り上げていて、画期的。

 

らいてうが、夫婦別姓事実婚のスタイルをとっていたことも、女性の政治運動の自由を求める運動をしていたことは全く知らなかった。

今回の展示で、平塚らいてうにぐっと近づけた。ぜひいろんな方に見ていただきたいと思う。わたし個人としては、今期のメイン展示よりもおもしろかった。

 

文京区小石川に「らいてうの家」という記念館もあるようだ。ここにもタイミングを見て足を運んでみたい。もっと彼女について知りたくなった。

平塚らいてうの会 -トップページ-

 

▼関連書籍

『新編 激動の中を行くー与謝野晶子女性論集』与謝野晶子/著、もろさわようこ/編(新泉社, 2021年) 

 

平塚らいてうに関する本も探したい。

 

※追記(2021.8.16)

「本を探したい」と書いたのがよかったのか、たまたまツイッターのタイムラインに流れてきたこんなツイート。

こんなことが書いてあるんですね!『平塚らいてう評論集』読みたい!