ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

本『幽霊塔』『乱歩打明け話』読書記録

江戸川乱歩の2冊、読んだ記録。

 

 
 
 
 
 
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『乱歩打明け話』江戸川乱歩河出書房新社


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乱歩による、乱歩および平井太郎の生涯と作品を緻密に自己分析した随筆集。

日経新聞掲載の『私の履歴書』ほか、様々な媒体に書かれた短文を年代順に並べてあり、時間の流れと乱歩の遍歴が通観できる。

文庫版・江戸川乱歩コレクションというタイトルで計6冊出ているうちの1冊。いずれも絶版になっている。こんなにおもしろいのに残念だ。

 

大正から昭和(戦中、戦後)にかけての時代の様子が非常によくわかる。当時の人の職業観や風俗という点でも貴重な記録に思える。

事実を綿密に積み重ねる中で自分の性質や感情を滲ませて、人生観をテンポよく挟んでいく。ダメぶりをチャーミングに演出しているが嫌味がない。乱歩の遍歴自体が物語になりそう。

私は普段はそれほど自伝を好んでは読まないのだけれど、これは面白くてスイスイ読んでしまった。一昨年から乱歩の旧邸を見学したり、関係者から話を聞いたり、作品を読み返したりしているからもあったと思う。

 

しかしそれにしても、人は自分で自分の人生をこんなに客観的に、かつその時代を知らない人にも面白く描けるものなのだと驚く。やはり上手い人なんだろうと思う。難しい言葉を使わず、難しい言い回しをせず、とにかく読者を飽きさせずに最後まで読ませる文章を書く。大衆小説を書く人が身につけてきたスタイルなのだろう。

 

自分のルーツへの強い興味関心、
母親から黒岩涙香の探偵小説を読み聞かせしてもらったこと、
自分の内側に部屋を作ってそこで孤独のうちにたくさんの創作をしていたこと、
今もその延長にあること、
活字から夢幻世界を立ち上げることの面白さ、
活版印刷を自分でもやってみたこと、
雑誌を出したみたこと、
涙香の『幽霊塔』に出会ったときのこと、
女の子への初恋、
男の子への恋(タイトルにもなっている「乱歩打明け話」)、
活弁士になってみたいと一瞬思ったこと、
作家になるまでに二十種近い職業に就き、
池袋に定住するまで40回の引越しを経験したこと、
執筆活動の裏話、
ネーミングの由来や事情、
探偵小説やミステリー界のこと、
作家として売れるということ(出版社との関係、世間から見た自分)、
営んでいた下宿屋「緑館」のエピソード、
放浪癖、
洋服を誂えるようになった経緯、
池袋三丁目の家(一般公開している)の改修・増築と日々の暮らし、
戦争と社会の変化、
出版休止・出版界の空気と当時の心境(「隠栖を決意す」)、
隣組への参加をきっかけに人嫌いが変化したこと、
子・隆太郎の出征と復員、
福島への疎開
立教大学の話……。

 

特におもしろかったところ。

・活字に対する偏愛を描いた「活字と僕とー年少の読者に贈る」(p.67)

ここで思いがけず川端龍子が出てくる。龍子のファンの私としてはうれしい。

「結局いちばん熱愛出来たのは『日本少年』であった。その頃は挿絵の大部分が川端龍子氏の筆であって、その魅力も大きかったが(後略)」

・孤独の時間が必要だったというくだりに大変、共感する。

「私には少年時代から思索癖というようなものがあって、独りぼっちでボンヤリと考えている時間が必要だった。食事や眠りと同じように必要だった(p.149)

・戦時中の心境についての記述にはハッとするものがある。良い悪いのジャッジではなく。ただ、重い。昭和31年12月の記事。

「戦争をしている国の一員として、負けてもらいたくないと考えるの本能のようなもので、負ければ結局自分自身も不幸になるのだから、戦争をはじめた以上は、とやかく文句を云って傍観しているべきではない。舟が沈もうとしているとき、全員がそれを防ぐために働いているのに、一人だけ腕組みをして甲板に突っ立っていたら、おかしなものである。やっぱり分に応じて働くべきだと思った」(p.251「町会と翼壮」)

「国が亡びるかどうかというときに、たとえ戦争そのものには反対でも、これを押しとめる力がない以上は、やはり戦争に協力するのが国民の義務だと、今でも考えているからである」

・戦後、東京に戻ったときのエピソード。またしても一人ひとり違う立場や関心から戦後を見た思い。

「町を歩いて見ると、焼け野原の中に、おびただしい露店をひろげていて、古本屋もあり、アメリカ兵の読み捨てたポケット本なども並んでいた。驚いたことには、アメリカ兵が塹壕の中で読んでいた前線文庫の大部分が探偵小説なのである。長いあいだ西洋の探偵小説に飢えていた私は、それに飛びついて行った。そして、手に入るかぎりのものを集めて、読み耽った。こういう占領政策のもとでは、探偵小説が最も早く復活することは間違いないと思った。私の予想は的中して、翌二十一年の春頃から、探偵雑誌がぞくぞくと生まれて来た。」(p.267「疎開、敗戦、探偵小説の復興」)

 

▼タイムリーな記事

news.yahoo.co.jp

 

上記本文にあるガーディアン紙の評価ってこれのことだろうか。

www.theguardian.com

 

 

▼乱歩関連の投稿

 
 
 
 
 
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展示『歴史に学ぶ 朝倉先生いのちの講義』@朝倉彫塑館

久しぶりに朝倉彫塑館へ行った記録。企画展『歴史に学ぶ 朝倉先生いのちの講義』開催中。

www.taitocity.net

 

季節を変えて訪ねるのも個人美術館の楽しみ。

毎回の企画展でもあたらしい作品に会えるし、前に見た作品も、提示された文脈の中で見るとまた違うものを受け取る。

 

●鑑賞メモ

・今回の企画は「生と死」。いつもは穏やかな空間が、きりりと感じられた。静かな切実さ。

「彫刻界のために金属回収の不合理を力説して各所を回りました。その姿は『戦争に協力しない』という批判も招いたようです。そのためアトリエを工場にしてゲージ(測定用の計器)製作に取り組みました。こうした行動は家族や弟子を守る目的もあったと推察されます。」(展覧会パンフレットより)

今回の個人的ハイライトはやっぱりここかな。生き延びるための、家族や弟子を守るために、矜持を保ちつつの、一つの選択。作品が供出の対象にならないように、古銭を集めてはどうかと提案もしている。文科省宛の直筆の「要綱」で切々と訴えている。

 

・美術史家のラングドン・ウォーナーと親交があったそう。屋上に朝倉の作ったウォーナー博士像がある。3Fの廊下に写真がパネルで展示されている。ウォーナーは太平洋戦争中に日本の古都の芸術的、歴史的建造物を守るため空爆の対象から外すように進言したとされてきたが、事実ではないとする論も出ているようだ。

奈良の空襲=寮美千子 毎日新聞 2019年12月4日
https://mainichi.jp/articles/20191204/ddl/k29/070/382000c

ウォーナーの謎のリスト(2016年, 日本)
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/movie-2636.html


・1926年 第1回聖徳太子奉賛美術展に《微笑》を出品。聖徳太子奉賛美術展とは?聖徳太子展に行ったところなので、気になった。

"第1回聖徳太子奉賛美術展は、大正元(1926)年5月1日~6月10日、財団法人聖徳太子奉賛会主催、東京府後援で、東京府美術館の開館記念展として開催された。絵画(日本画・西洋画)・彫刻・工芸の3部に分けて、現代美術作品を展示した。出品点数は、第1部(日本画)248点、(西洋画)396点、第2部(彫刻)157点、第3部(工芸)255点。" (レファレンス協同データベース)
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000096108 

つまり、東京都美術館の前身の東京府美術館の開館記念でひらかれた展覧会で財団法人聖徳太子奉賛会が主催している。この団体は聖徳太子の1300年遠忌をきっかけに設立された。

"明治時代、法隆寺廃仏毀釈(きしゃく)で衰退。伽藍(がらん)や仏像などの文化財としての再評価が進んだものの、往時の隆盛にはほど遠かった。

 大正7年、当時の住職だった佐伯定胤師らの尽力で聖徳太子1300年御忌奉賛会を設立。新1万円札の「顔」に決まった実業家の渋沢栄一が副会長を務めるなど当時の官民を挙げた支援もあり、法要は空前の人出でにぎわった。"(奈良新聞

https://www.nara-np.co.jp/opinion/20190905085857.html

とのこと。そういえば今年、令和3年は1400年遠忌だった。100年前はそのような盛り上がりがあったのか。

東京府)美術館建設を待ち望んでいたのは何よりまず美術家たちで あり、美術団体だった。 1926(大正15)年の開館記念展は「聖徳太子奉賛美術展」で、 その後、白日会、日本美術院二科会、工芸美術会、そして10 月には第7回帝展が開催され、冬期には「日本書道作振展」「東京表装展」などが続いている。翌1927(昭和2)年には、冬から春にかけて本郷絵画研究所、日本水彩画会、林間社、東京写真研究会、太平洋画会、光風会、日本美術院、中央美術展、国画創作協会、春陽会、槐樹社、新興大和絵会、白日会、朝倉塾、商業美術協会、国民美術協会といった中小の団体がそれぞれ展 覧会を開いている6) 。これらは第4回展とか、16回展とか、かなりの回数を重ねていることから、明治末から大正時代にかけて 数多くの美術関係団体が発足し、東京府美術館という専門的展覧会場を求めていた様子が窺える。以後、東京府美術館は 戦前戦後とも一貫して各美術団体が年に1度作品を発表する 場として、毎年同じ周期を繰り返す恒例の展示場として機能 していく。ここでの主体は、主に美術家たち(出品者たち)と彼 らが組織する団体であった。(東京都美術館紀要 No.22 2016年)

https://www.tobikan.jp/media/pdf/h27/archives_bulletin_h27.pdf

「専門的展覧会場を求めていた」。その前には作品を展示して見せる場所として公設美術館がなかった。近代化の証としても重要なプロジェクトだったのだろう。

 

・台風が通過した日だったが、穏やかで、中庭の長めは最高だった。水音がずっとしていた。そう、今回初めて気づいたが中庭は庭というよりほとんど池。池をぐるりも囲むように建物がある。これは基礎に影響しないのだろうか?

水の上に建物があるような、ちょっと人の家とは思えない浮世離れした空間になっている。そういう点で密集している、詰まっている感覚があり、空は開けているが開放的な感じがそれほどしないのはやっぱり水があるせい。揺れ、止まらない、固定されない。緊密さ、集中。それを中心に持ってきたのはどういう意図だったんだろう。


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館内で無料で配布されているガイド。詳しい。


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こちらは受付で販売されている冊子、『我家吾家物譚』。

朝倉彫塑館の土地や建築、まちの様子にまつわる未発表の随筆で、公益財団法人 台東区芸術文化財団から平成25年に刊行されたもの。戦後間もなく、昭和22年から23年にかけて書かれたものではないかとのこと。

住居兼アトリエのこの建物に入ってみるとわかるが、日本家屋と洋風建築を取り入れあうつくりで、次の部屋に入るとパッと変わる、こっちとあっちでだいぶ雰囲気が違う、と感じる。それもそのはず、明治40年から昭和39年に朝倉が没するまでの57年間に9回も増改築が行われているそう。

何といっても家を建てる目的が大変である。多過ぎるのである、自分ながらはっきりしているようないないような復(ママ)雑さである。へんな文句ではあるがこんなことをすさみながら、アトリエであり、住宅であり、別荘であり、彫塑塾であり、友人の倶楽部もよかろう、宿泊所もよかろう、そして外人観光を迎える設備もやろう。(p.90)

制作についての朝倉の志向、人柄についてもうかがえる。

作家はどこまでも真面目に研究をつづけることが美術家にとって最も貴い性格であって二義的だの三義的だのそんなことはどうでもよい。二義的三義的の仕事とされている肖像をこさえていても油ののった時ほど愉快なことはない。制作される人も家族も依頼者側の人も喜んで未知の世界を見たように喜ばれる。人を心から喜ばせるということは貴いことだ。(p.86)

関東大震災のときの様子なども書かれている。今回の展示を観た後におすすめ。

井戸に毒を入れるものがあるなどの噂が立った。真倒とは思ったが井戸の傍に自ら立って飲料水の供給につとめた。墓地の方には毎日五 六百人という避難者、これにも水だ。この時の体験で最も大きなものは人を救っていれば自分のおなかがへらぬことであった。それは、その反対の事実をしばしば目撃したからであろう。

率先して救護にあたったときの心境をうかがえるものであるということと、「井戸に毒を」のところは、関東大震災朝鮮人虐殺事件につながる噂のことだろうと胸が痛くなる。

 

弟子や出入りの職人についての記述が会話形式で書かれているところもおもしろい。

特にp.137〜p.145の「論考2 職人たちのふところ事情」は時代背景がよくわかる。ここから「ここから始まっていたのか」......。

彼らは、個々が事業主として独立していたにもかかわらず、明治維新後の近代産業と資本主義の攻勢によって間接的に資本家に支配されるようになり、賃金労働者へと状態が変化していった。これは大規模な建設事業などに対して行政や大資本が入札による請負業者の選定を行い、個人レベルでの請負が不可能になったことによる。また、このような入札に際してダンピングが横行し、経費削減のしわ寄せが人件費に反映したため、最下にあった下職の職人が犠牲となったのである。(p.137)

朝倉の「ただの依頼主と業者にはない面白みや職人への好意的なまなざし」についてのエピソード(p.65)も、この論考の文脈で解説してもらえると、一周目読んだときとはまた違う味わいがある。世話好きで、周りの人を守りながら、対等性を大切にしつつ、自分の好奇心にも正直で......という人物像が見えてくる。

 

2, 3年前に買った冊子だが、読まずに置いていた。良きタイミングで開けてうれしい。


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●おまけ

『時代をひらいた日本の女たち』(岩崎書店, 2021年)p.82に朝倉文夫の長女、朝倉摂が登場している。〈表現の世界に革命をもたらした舞台美術家、画家〉

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▼2019年10月の写真

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鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

 2020年12月著書(共著)を出版しました。

『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社

展示『夏目家の人々』@漱石山房記念館 鑑賞記録

新宿区早稲田/神楽坂にある漱石山房記念館に二度目の訪問。企画展『夏目家の人々』を観に行った。

soseki-museum.jpsoseki-museum.jp

上記ページに追加すると、
長女・筆子と松岡譲(作家)の間に生まれた四女・末利子。
末利子の夫が半藤一利戦史研究家
長男・純一の長男・房之助(漫画批評家)など、文化芸術分野の著名人が多い。

今のわたしは、漱石の世代の曽孫か玄孫(やしゃご)の方と近い世代。実際に著名な方の曾孫と交遊があるので、遠いと思っていた人が近くに感じられる、ちょっと不思議な気持ちになる。

 

●鑑賞メモ

・幼少期から思春期にわたって、家族が安定せず、継続的な愛着を持つ機会がそこなわれていた漱石にとって、自分がつくった家族との幸福な日々と、癒えない痛みや悲しみが伝わってくる展示内容だった。畏友と読んで親しく付き合った正岡子規への手紙の中で、

「小児の時分より"ドメスチツクハツピネス"という言は度外に付し居候へば」

とある。この時代の家族や結婚制度について「当時はよくあること」も多かっただろう。しかしだからといって「傷つかなかったわけじゃない」ということに気づいてハッとした。制度や慣習の違いはあれど、人間が感じる喜びや悲しみは変わらない。だから今も漱石の作品は古びない。

・前回来たときも思ったけど、「木曜会」という発想はおもしろい。以前働いていた職場で、代表に「お話聞かせていただきたい」、「意見交換がしたい」といっていろんな方が面会に来られるんだけど、全部対応していて、1件につき1〜2時間は話しこむから仕事が進まなくて、ほんとうにストレスだったことを思い出す。人脈形成も重要とはいえ、本人もそれなりに疲れて仕事が滞るので、とばっちりも食らうので、ダブルでストレス。門下生の進言で木曜会を開くことになったらしいが、きっとわたしのようなしんどい思いをしたんだろうと想像する。虚子に送った手紙の中にその様子が記されていて、おもしろい。

「木曜会がはじまる。小生来客に食傷して木曜の午後三時から面会日と定め候。妙な連中が落ち合ふ事と存候。ちと景気を見に御出被下座候」

木曜会メンバー https://soseki-museum.jp/soseki-natsume/surround-soseki/

 
漱石と鏡子の出会い方がおもしろい。漱石の兄・直矩の勤務先である郵便局の同僚が鏡子の祖父と囲碁仲間だったことで紹介されたとのこと。「適齢期」の人が周りにいると、ちょっとした集まりや世間話のついでに「紹介する・される」みたいな話題が持ち上がっていたんだろうかと想像する。
 
・県立神奈川近代文学館には遺族から寄贈された漱石の関連資料が740点と充実していて、「漱石特別コレクション」として所蔵、展示されている。以前中島敦展を観に行ったときに、どうしてここにこんなにあるのだろう?何か神奈川や横浜にゆかりがあったのか?と思ったが、保管し研究に使ってもらえるところに持っていてもらいたいと遺族なら思うだろうなぁと想像(あくまで想像)。ネットからも「デジタルコレクション」が見られる。
 
・新宿歴史博物館のボランティアさんが作られたという写真右2つのガイドパンフレットがとてもよい。一番右は早稲田や神楽坂近辺の漱石ゆかりの地についてのガイド、真ん中は友人の正岡子規との交流を描きつつ、新宿区、文京区、台東区にまたがるエリアを一望できる。
東京在住に人でもなかなか知らないようなこと、漱石に興味を持ち始めた人にとってのちょっとした「へえ」がたくさんまぶしてある。たとえば、どうして記念館の中のカフェで空也もなかが食べられるんだろう?と思っていたら、Mapの中の「空也跡」に「漱石お気に入りの和菓子店。『吾輩は猫である』に空也餅が登場。現在の店舗は銀座」と解説がついている。以前は上野にあったのか。銀座の空也もなかの前を通ると、「予約分で終了しました」といつも張り紙をしてあったなと思い出す......そういう種類の「へえ」。
左の図録もパネルで示されていた展示の内容が一冊にまとまっていて、交友関係など「あれなんだっけ?」と思ったときに便利。ブックガイドとしてもいい。

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装幀家・橋口五葉は、漱石には津田青楓、泉鏡花には小村雪岱に乗り換え(?)られた人のようなイメージを勝手に持っていたけれど、「この頃は装幀家という仕事は画家の片手間で本業としてやっている人は少なかった」というようなことを小村雪岱展で知り、なんとなくほっとした。(ただ、橋口五葉の場合もそうだったのかはわからない)
館内でかごしま近代文学館のチラシを見つけた。橋口さん、鹿児島の出身だったのですね。この展示よさそう。

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・かごしま近代文学館といえば、向田邦子の資料がたくさんあったのではなかったっけ? と調べたら、やっぱりそうだった。

・少し前に、NHKラジオの朗読で放送されていた漱石の『永日小品』にイギリス留学中の話なども出てくる。昔読んだ「私の個人主義」なども思い出される。漱石の繊細さが感じられて、一人で言葉の通じない自分には「合わない」中で、周囲の期待と責任に押し潰されつつ過ごしていたのかと想像する。

・今回気になったのは、漱石の神経衰弱とその時期の家族への暴力、怒りの爆発について。まず「神経衰弱」という病。日常ではあまり聞かないけれど、今もあるのか? あるいは別の診断名に置き換わっているのか? 突然怒り出すのは神経衰弱とは関連するのか。関連しない場合は、別の疾患や障害の可能性はないか?

むしろその病や暴力と向き合ってみてもよいのでは。残念ながらこのあたりへの踏み込みはなくて、家族を愛し、家族に愛されたというふうにまとまっている。「怒ったときはちょっと怖い父だったけれど、子どもたちをとても愛していた」。

暴力については漱石亡き後に妻や子がエッセイ等で明らかにしているので、事実ではあったろうと思う。

今回の展示の中でも、

「怒り方が尋常じゃない」(純一)
「子供心にこのまま死んでくれたら」(筆子)

などの言葉も出てくる。一方で、四女の愛子は「そんな人じゃなかった」とも言っている。同居家族でもきょうだいの順番や親との関係性、過ごした年齢、あるいはその他の事情によって受け取るものが違うのだろうなと想像する。

物事は一面ではないので、「家族を愛し、家族に愛され」というのもまた事実だろうと思う。(いただきものをすると子どもたちがおいしいおいしいと食べたというお礼状などをよく書いているとか、子どもの名付けは適当でと言いつつ、16コも候補を挙げた手紙を送ったとか)ただ、創作が身近な者のケア、忍耐、犠牲などの上にあったということは、今まで見過ごされがちだったので、少し気になっている。むしろ創作と神経衰弱の関係を見せていったほうが、漱石が何に悩み、何が漱石を苦しめていたのかがわかり、またその時代背景も明らかになっていくと思うが、どうだろう。

今の時代だからこそ語るべき重要なテーマが含まれているように感じる。ジェンダー、家父長制、近代化、経済、労働、医療や健康など。遺族や子孫もいることだから難しいのかもしれないけれど。

・展示の最後のコーナーは略年譜が作られているが、単なる年表ではなく、「今回の企画」に合わせた内容になっていて、これを毎回学芸員さんが作っているのかと、その情熱に驚く。今回であれば、出来事だけではなく、日記や書簡にある家族に関する記述を引用して掲載されている。すごい。

漱石が49歳で亡くなったことに驚いている。この時代の人は老いるのも(主には病気のために)亡くなるのも早い。時代に関係なく、向田邦子が亡くなったのが51歳のときということにも驚いた。とても歳上の人、という感じで生きてきたのに、いつのまにかもうすぐ追いつく。

 

漱石が住んでいた駒込千駄木の家(通称「猫の家」)には森鷗外も一時期暮らしていた。解体され、今は明治村に移築されている。

www.meijimura.com


旧居跡の解説(文京区HP)

https://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/ato/soseki.html

 

 

東京の都心に住んでいておもしろいのは、文豪と呼ばれた人たちや、文士の集った場所に今も気軽に行けて、当時を偲ぶ仕掛けがたくさんあるということだな。(もちろんここだけが文学世界ではないのは当然として)

 


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次回は森田草平がフィーチャーされる。

soseki-museum.jp


平塚らいてうと心中未遂したけど、その顛末を小説にしたらと漱石に勧められて書いたという、ちょっとびっくりするエピソードの人としてしかわたしは知らないので、また展示で発見があるのを楽しみにしている。

ちなみに、2F上がったところの廊下に漱石の言葉の抜粋がボードに掲示されているスペースがあるのだけれど、その一つに森田草平への手紙の抜粋でこんなのがあった。

余は我が文を以て百代の後に伝えんと欲するの野心家なり

明治39年10月22日)

そうなっていますよ!!!
ということと、こういう心情を吐露できる信頼できる相手としての森田に興味が湧く。

 

鷗外記念館や龍子記念館と並んで、ここも企画展示替えの度に訪れたいミュージアムになっている。

展示『聖林寺十一面観音 三輪山信仰のみほとけ』@東京国立博物館 鑑賞記録

東京国立博物館で開催の『聖林寺十一面観音 三輪山信仰のみほとけ』展に行った記録。
 
▼公式サイト
 
▼当展示に関する学芸員さんのブログ
 
主に画像で記録
 
▼まとめなおそうと思ったらこんなふうになった。手を動かすと頭に入る(体験が定着する)。
 
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廃仏毀釈についてもう少し知りたくて、読み始めたけれど、今のわたしにはまだ歯が立たなかった。いつか戻ってきたいし、気になるテーマとして持ち続けていたい。

廃仏毀釈 ――寺院・仏像破壊の真実』畑中章宏/著(筑摩書房, 2021年)

 

三輪明神 大神神社 http://oomiwa.or.jp/

聖林寺 http://www.shorinji-temple.jp/

正暦寺 https://shoryakuji.jp/

法隆寺 http://www.horyuji.or.jp/

 

 

▼おまけ(わたしの好きなトーハクをあれこれ)

 

 
 
 
 
 
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映画『三島由紀夫vs東大共闘 50年目の真実』鑑賞記録

ネット配信で観た。『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』

gaga.ne.jp

 

昨年2020年は、三島由紀夫の没後50年ということもあって、いろいろなところで三島の名前を目にする機会があった。

芸術新潮 2020年12月号 【特集】没後50年21世紀のための三島由紀夫入門

ETV特集 転生する三島由紀夫(2020年放映)
Eテレ 100分de名著 三島由紀夫『金閣寺』

三島由紀夫没後50周年記念公演 東京バレエ団 モーリス・ベジャール振付《M》
東京都現代美術館 石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか (テキストガイドp.24 ミシマーア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ

 

少しずつかじったことで、以前よりは少し三島由紀夫について知ることができた。

このドキュメンタリー映画も同じ時期に観ようと思っていたのだがタイミングを逸していた。

今回きっかけになったのは、『戦場のメリークリスマス』の4Kリバイバル上映だった。

あらためて鑑賞してみて印象に残ったことの一つに、セリアズもヨノイもどこか死にたがっている人に見えたということがある。理想と現実のギャップを罪の意識をして抱え込み、自分の信じる何かに忠誠を誓いながら死んでいく、そこに理解し難い「美学」があるとわたしは感じた。

この感覚を"理解"している人が少なくとも二人はいるだろう。映画を撮った大島渚。そしてもう一人は三島由紀夫ではないか。

このドキュメンタリーを観たら何かがわかるような気がした。

 

●鑑賞メモ

・メモから感想を立ち上げようと思ったがどうしてもまとまらないので、そのまま画像で投稿しておく。「この人たちの中ではまだ何かが終わっていない」というのはわたしの感想。「個人の運命と国家の運命が一連托生になるという陶酔感」というのは劇中のだれかの言葉だったと思うが、ここもキーとなるフレーズだと感じる。


f:id:hitotobi:20211011133625j:image

 

・そういえば今わたしは没したときの三島と同い年だった。そういう点からも興味を持っているのかもしれない。

・文学者としてではない三島由紀夫、東大全共闘学生運動の話は、わたしにとっては誰からも教わることのない歴史の空白の一つだった。それを訪ねていると、やっと今の時代、今起こっていることが自分なりに理解できるし、小さくでも考え進められる。

・あのただならぬエネルギーは何なんだろうと思う。皆自分の生存をかけて真剣にやり取りしていて。たぶんたくさん勉強もしていて。言葉に重みを持たせているものがある。言っていることの意味もわたしにはあまりわからないけど、でもこの剣幕、デスマッチに見入ってしまった。

・台湾のひまわり運動を題材にした『私たちの青春、台湾』とつながるところがある。一つ違うのは、三島が起こした一連の出来事が、若者のエネルギーが爆発すると「ああなる」というトラウマを社会が自分の内に深く刻み込んだという点。だからその後「学生」と名のつくものから徹底的に自治を取り上げたのではないか。熱狂が破壊や暴力という行為化する怖さも理解できる。

・とりわけ全共闘のリーダのリーダーの木内修のインタビューが印象的だった。語る様子、表情などから、「あの人話しながら今あのときに戻ってる!」と感じた。

・ほぼ男性(見た目で判断しているが)しか出てこない、異様なドキュメンタリー、異質な世界でもあった。

・あれから50年、終わってないことがある?傷が癒えないまま、痛みが続いている社会?ふりかえることで何が明らかになったのだろう?

・あの時代の空気を一瞬垣間見たように思う。違う切り口ではまた違うものが見えるのだろう。実際、『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』と同じ時期に起こっている出来事なわけだし。

 

本『海外ルーツの子ども支援 言葉・文化・制度を超えて共生へ』読書記録

海外ルーツの子ども支援に関心を持っている。

 

以前、当ブログでもこんな本を紹介した。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

『海外ルーツの子ども支援 言葉・文化・制度を超えて共生へ』田中宝紀/著(青弓社, 2021年)

 

 

2019年の段階では、わたしも「外国人」、「外国籍」という言葉を使っていたが、この本を読むと、「海外ルーツ」という言葉で表現されていて、いろんな事情で日本に暮らしている外国籍の人もいれば、日本国籍であっても日本語教育やサポートが必要な子どもたちもおり、状況も様々であることを知る。

学校やサポートスクールなどの所属がある子、ない子、あってもサポートされていない子がいること。日本語習得における誤解(現地にいれば自ずと身に付くはず等)、本当は言語の問題なのに発達障害と間違われることも。

親子関係、家族関係によっては、子だけではなく親にもケアが必要であったり。

わたしが想像していた以上に困難な立場に置かれている人たちが多いことを知る。

日本社会にガッカリもする。

政策や制度を作っていくことが重要。同時に、日常生活でわたしも含むマジョリティ側の誤解や理解不足によって困難が助長されていることも知らなければならない。

想定し、前例を作り、準備する。時には提案したり、介入することもあるだろう。

「やさしいにほんご」での情報を伝えることや、サポート団体とつながることなど、自分の日常でもできることがありそうだ。

引き続き関心を持っていきたい。


著者の田中宝紀さんのツイッター

twitter.com

 

田中さんが代表の団体

twitter.com

 

やさしい日本語での情報発信をしているツイート

twitter.com

 

田中宝紀さんの2019年5月の記事

wezz-y.com

NTライブ『十二夜』鑑賞記録

NTライブの『十二夜』を観てきた。観た後、友人と1時間感想を語った。

2017年公演@Olivier Theatre &制作。

 

*内容に深く触れていますので、未見の方はご注意ください。

 

youtu.be

 

・NTライブの『ハンサード』も手掛けたサイモン・ゴドウィンの演出。NTライブ『夏の夜の夢』に出演していたオリヴァー・クリスがオーシーノ公爵役。(知っている人が出ているとうれしい。少しずつNTライブ経験が溜まってきた証のようで)

・わたしは『十二夜』自体は初めて観るので、他の演出と比べられないけれど、場面展開が多くて、喜劇のドタバタ感がよく出ていた。馬鹿騒ぎもはちゃめちゃで楽しい。

・人がいっぱい出てくるけれど、主役級の人より脇役の人の出番の方が多い、ちょっと不思議なお芝居になっている。『真夏の夜の夢』もそうだけど、たくさんの人に役を与えて舞台に立たせたいときにいい演目なのかも?(想像)

・音楽がいっぱいで楽しい♪  道化役の人が歌が上手くて満足。楽隊のサックスの人が、フルートもクラリネットも演奏していて、びっくり。

・ポスタービジュアルやトレイラーを観てわかるように、執事をフィーチャーした演出。マルヴォーリオをマルヴォーリと名前を変えて、女性が女性を演じている。ゆえにヴァイオラ(シザーリオ)の葛藤は控えめ。この演出、脚本だと、彼女に対する「イタズラ」は度を越していて、かなり悲惨な目に遭っている。女性が女性を好きになるというマイノリティ性を感じるだけに、見ていてつらい。しかも下男?に「恨むより笑い飛ばすべき」などと言われている。差別や偏見、マイノリティへの暴力の加害者が口にしているのを聞いたことがあって、背中がスッと寒くなった。

・マルヴォーリア、去り際に"notorious" "notoriously abused"と口にしていたなぁ。切ない。notoriousと聞くとRBGが浮かぶ("Notorious RBG")。RBGだったらきっと人権重視で裁いてくれてたと思うよ!彼女の痛みが劇中で回収されなかったので、ぜひ続編が観たい。。

・これを観たあと、道ゆく人やテレビなどに出ているいろんな人の顔や身体を観察してみて気づいた。女性、男性の別って、もちろん身体的特徴はあるのだけれど、かなりグラデーションのあるもの。女らしさ、男らしさの「極端」のイメージに当てはまるような人はごく一部で、ほとんどの人がその間、あるいはどちらでもない領域にいる。
広告にそそのかされて無理やりイメージに寄せて自分を改変してきたのかもしれない。あるがままでイイねとなって、分類や評価の眼差しがなくなったら、素敵な世界になりそうだ。唯一の理想を作って憧れさせることで消費が成り立ってきた時代は終わっていくのかもしれない。「らしさ」って幻想では? 観客がそんな気持ちになることをシェイクスピア自身が意図して作ったのだとしたらすごい。

・笑い、喜劇の難しさについて考えた。今まで自分がおもしろいと思っていたものは、マイノリティや立場の弱い人を見下したり、違いを排除する気持ちを顕にすることで成り立っていたと気づいたから、もう笑えない。もう誰も貶めないもので笑いたいと思うようになった。でもそこが難しい。安心して笑えるのは今のところ狂言ぐらいしか思いつかない。

・かといって作品として駄目というわけではない。なかったことにする、隠せばよいというものではない。時代背景や文脈の中で問い直しながら鑑賞することに意義はある。その場合の「楽しみ方」は当時とは変わっていくという前提で観ることになるが。

・階段を使った舞台や、マルヴォーリアのショートヘアが、オペラ(デイヴィッド・マクヴィカー版)《アグリッピーナ》のジョイス・ディドナートを彷彿とさせる。→これ

 

次の上映作品、『ジェーン・エア』も楽しみ。

f:id:hitotobi:20211009195409j:image

 

NT Liveのオリジナルサイト。マルヴォーリア役のタムシン・グレイグへのインタビュー。後日見る。

www.youtube.com

 

 

1996年の映画『十二夜』。オリヴィア役はヘレナ・ボナム・カーター。今観たい!

youtu.be

 

松岡和子さんはどんなふうに訳されたんだろう。戯曲も読んでみたい。

シェイクスピア全集 (6) 十二夜』松岡和子/訳(筑摩書房, 1998年)

〈お知らせ〉10/29(金) オンラインでゆるっと話そう『パンケーキを毒見する』w/ シネマ・チュプキ・タバタ

シネマ・チュプキ・タバタさんとコラボでひらく鑑賞対話の場〈ゆるっと話そう〉

オンラインでの開催です。
全国、全世界、インターネットのあるところなら、どこからでもご参加OK。
 

10月はこちらの作品です。
 

『パンケーキを毒見する』(2019年/日本)

youtu.be

 

▼公式サイト

www.pancake-movie.com

 
 
〈ゆるっと話そう〉は、映画を観た人同士が感想を交わし合う、アフタートークタイム。 映画を観て、 誰かと感想を話したくなっちゃったこと、ありませんか?
印象に残ったシーンや登場人物、ストーリー展開から感じたことや考えたこと、思い出したこと。 他の人はどんな感想を持ったのかも、聞いてみたい。
初対面の人同士でも気楽に話せるよう、ファシリテーターが進行します。

f:id:hitotobi:20211009210004p:plain

第24回は『パンケーキを毒見する』をピックアップします。

現役政治家や元官僚、ジャーナリストへのインタビューにブラックユーモアや風刺アニメを交え、様々な角度から菅政権に切り込みながら、観客に「日本、これでいいの?」と問いかける政治バラエティ。日本映画としては初めて現役の首相(公開当時)を題材にした、タブーに挑む作品でもあります。
菅首相の退陣、新首相の誕生、そして衆議院議員選挙へと向かうこの10月。わたしたちはこれまでを総括した上で何をすべきなのか。今月はこの映画を観るのに絶好のタイミングと言えます。
「語れるほど政治にくわしくない」方にこそ来ていただきたいです。この国の政治は、映画の中にも描かれていたように、謎な部分がたくさんある。だからこそ一市民の「わからない」「どうして?」という素朴で真っ当な呟きを安心して口にできる場が必要なのです。
映画の中の「証言」や「批判」の中にも突っ込みどころがあります。あなた自身の感覚が大切になります。観ていて腹が立った、笑ってしまった、呆れた、混乱した、怖くなった……そんな気持ちだけでもぜひ置きに来てください。
衆院選を前にゆるっと話そう!
ご参加お待ちしています。
※映画の感想を語る場です。特定の政党への勧誘や、政治信条を押し付ける言動はご遠慮ください。議論ではなく、感想の持ち寄りから相互に気づきを得る場、自分とは違う人の感性や考えを尊重する場づくりにご協力をお願いします。
———————————————————
■□ 開催日時 □■
日 時:2021年10月29日(金)20 : 00〜21 : 00(開場 19 : 45)
参加費:1,000円(予約時決済/JCB以外のカードがご利用頂けます)
    25歳以下 500円(劇場窓口のみ受付)
対 象:映画『パンケーキを毒見する』を観た方。
    オンライン会議システムZOOMで通話が可能な方。
    UDトークが必要な方 は申し込み完了後、ご連絡ください。
    Mail)cinema.chupki@gmail.com
会 場:オンライン会議システムZOOM
    当日のお部屋IDは、前日にお申し込みの方にご連絡します。
参加方法:予約制(定員9名)

◆ご予約◆
・予約サイトから:https://coubic.com/chupki/787009
・チュプキ店頭でも承ります。
*前日時点で2名以上のお申し込みで開催します。
*「ゆるっと話そう」は、どこの劇場でご覧になった方も参加できますが、これから観る方はぜひ当館でご覧ください。日本で唯一のユニバーサルシアターであるシネマ・チュプキ・タバタを応援いただけたらうれしいです。

◉『パンケーキを毒見する』上映期間
<水曜定休>
10月1日(金)~15日(金) 19:10〜20:54
10月16日(土)~31日(日) 10:30~12:14
映画鑑賞のご予約:https://coubic.com/chupki/824564

<これまでの開催>
※ブログで各回のレポートを読むことができます。
https://bit.ly/3Bn2b72
第23回 プリズン・サークル
第22回 きまじめ楽隊のぼんやり戦争
・・・以下第21〜1回までの作品。
ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記/あこがれの空の下 〜教科書のない小学校の一年〜/ウルフウォーカー/ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ/アリ地獄天国/彼の見つめる先に/なぜ君は総理大臣になれないのか/タゴール・ソングス/この世界の(さらにいくつもの)片隅に/プリズン・サークル/インディペンデントリビング/37セカンズ/トークバック 沈黙を破る女たち/人生をしまう時間(とき)/ディリリとパリの時間旅行/おいしい家族/教誨師バグダッド・カフェ ニューディレクターズカット版/人生フルーツ/勝手にふるえてろ/沈没家族

<進行>
 
<主催・問い合わせ>
シネマ・チュプキ・タバタ
TEL・FAX 03-6240-8480(水曜休)
cinema.chupki@gmail.com
 

__________________________________

鑑賞対話イベントをひらいて、作品、施設、コミュニティのファンや仲間をふやしませんか?ファシリテーターのお仕事依頼,場づくり相談を承っております。

seikofunanokawa.com


初の著書(共著)発売中! 
『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』稲葉麻由美、高橋ライチ、舟之川聖子/著(三恵社, 2020年)

 

展示「生誕110年・没後30年 森類―ペンを執った鴎外の末子」@鴎外記念館 鑑賞記録

去年の冬に初めて訪れてから、企画展ごとに必ず来ようと決めている鴎外記念館。

来るたびに鷗外と作品とまちと時代について知っていくのがおもしろい。

 

今回は、鷗外の5番目の子どもで、3人目の「男子」である森類(もり・るい)さんの特集。1911年生、1991年に80歳で没。

鷗外が60歳で亡くなったとき、類は11歳。

 

コレクション展「生誕110年・没後30年 森類―ペンを執った鴎外の末子」 - 文京区立森鴎外記念館

 

 
 
 
 
 
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鑑賞メモ

・鷗外45歳のとき、1907年(明治40年)短歌界の対立する結社、明星派とアララギ派を接近させようと観潮楼に招き、歌会を催す。双方の歌壇代表者が集って、夕食や酒を楽しみながら、無署名で歌を読みあったそう。(粋な計らいというのか。調停者のような役割を自らしていたところがおもしろい。展示品を見ている限りでは、鷗外が誰かと激しく争ったというようなエピソードがあまり出てこない。もっと詳しい本などを読めば出てくるのだろうか。)

・こういう催しを1907年から1910年まで、毎月第一土曜日の夕方から夜中までひらいたらしい。同好の士と交わる時間は、人生においてギフトなのだろうな。

・遺族から6,400件の遺品が寄贈されている。個人の名を冠したミュージアムがあるとちゃんと保存も研究もしてもらえてよいのだな。あるいは、県や市の文学館のようなところでも受け入れてもらえたら、貴重な資料が散逸せずに済む。

・類は鷗外にボンチコ(坊ちゃん)と呼ばれ、可愛がられていたそう。(ボンチコ......可愛い。)

・鷗外は死の2ヶ月前に、ドイツ留学中の長男・於菟(おと)に、「類は少し勉強し出したが、一年後に中学の競争試験を受けることが出来るや否や問題である」と手紙に書いていて、その実物が展示されている。(お手紙の展示ってやっぱりおもしろい。どんな道具で何に書いているか、どんな筆跡かがわかるので。)

・鷗外が亡くなったとき、知人宅に預けられていて看取れなかった類。於菟が留学中のため、11歳の類が喪主となった。(名前だけだと思うけれど、妻も、姉も二人いるのに、女性が喪主になれなかった時代なのか。。)

・類は観潮楼跡に千朶(せんだ)書店をひらいた。1951年(昭和26年)図書館が建つために立ち退きになるまで10年。神田に自転車で仕入れに行き、空いた時間に小説や随筆の執筆をしていた。「晝は書店のおやぢ、夜は午前二時に起きて文章を書きます」店のネーミングは斉藤茂吉。(偉大な鷗外の重さを感じつつ、鷗外の残した交友関係に救われているところがあったのだろうかと想像)

・類の筆跡、インクのよくのる万年筆で一字ずつ丁寧に書かれている。大きくもなく小さくもなく、原稿用紙のマスに収まるほどよいスペース。読んでいて気持ちがいい字。オープンで誠実そう。誤字の直し方に几帳面さも感じる。

・家族の間の確執があったらしい。於菟だけ前妻の子で、男子でもあったので祖母が可愛がった。後妻の志げと気が合わず。於菟と類とも気が合わず。家族について書いた類の本で茉莉と反目?など。そんないろいろがあったのか。

・1946年(昭和21年)「新円切替に伴う預金封鎖が起こり、経済的困窮に見舞われた」とある。「新円切替に伴う預金封鎖」とは?日本銀行のサイトに説明があった。https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/money/c23.htm/

もっとあれこれ見ていると、けっこう無理やりな実施だった面もある? 人によっては現金資産が紙切れになってしまった人もいる? そして今新円切替で同じことが起こるんじゃないかと予想している人がいる? 斜め読みなので違っているかもしれないけれど、また別のところで行き当たるかもしれないので、一旦メモしておく。

・類は自分の子に鷗外の作品に由来する名前をつけたり、鷗外や志げの書いた作品を書き写したりもしていて、その原稿が展示されている。

 

 
 
 
 
 
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谷根千のイロハ』森まゆみ亜紀書房, 2020年)

森さんがガイドしてくれる谷中・根津・千駄木のまちの歴史。時代や場所とのつながりを感じながら、森鷗外の人生や鷗外記念館の物語を味わうのも楽しい。

 

 

以下は読みたい本。(読みたい本がどんどん溜まっていく......。)

『鴎外の子供たち:あとに残されたものの記録』森類筑摩書房, 1995年)
森家の人びと:鴎外の末子の眼から』森類三一書房, 1998年)
絶版になっている?図書館で借りるか。

 

『類』朝井まかて集英社, 2020年)


『闘ふ鷗外(鴎外)、最後の絶叫』西村正(作品社, 2021年)

 

今年3月に開催されたウェビナー。2021年12月31日まで公開。

日独交流160年「先人たちが遺したもの 特別討論シリーズ第一回 文豪・森鷗外が見たドイツ」

youtu.be

 

上記ウェビナーでベルリンにも森鷗外記念館があることを知った。ベルリンでの住まいが記念室になっている。100年後にこうなっているとは、鷗外も想像もしていなかっただろう。

www.museumsportal-berlin.de

『しんどい時の自分の守り方』読書記録

『しんどい時の自分の守り方』増田史(ナツメ社, 2021年)


f:id:hitotobi:20211008215448j:image

 

今まさにしんどい最中の10代に、きれいごとのない寄り添いと、具体的な方法をいくつも教えてくれる良書。『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』ではできなかったことが実現されている。セットで手渡したい。

筆者は精神科医だが、自身が心の調子を崩したことも書いている。いろんな気持ちや考えを読み手と共有しながら書き進めてくれる。様々な性質、状況、ケースに合うように配慮してくれているのもわかる。

節ごとに挟まれている漫画もいい。こういう漫画が肌に合わないと、本ごと受け付けなくなってしまうことがあるが、このイラストレーターさんは内容への理解も深いのか、テキストの意図を深く汲んでいて、とてもいい。テキストが読めづらい人もこの漫画だけは飛び飛びに読んでいけば、少し楽になるんじゃないか。

ブックデザインもとてもいい。この青の色が心の襞に心地よく染み込んでくる。

わたしもときどき読み返したい。

本『誰もボクを見ていない』読書記録

『誰もボクを見ていない』山寺香(ポプラ社, 2017年)


f:id:hitotobi:20211008215021j:image

 

なぜ17歳の少年は祖父母を殺害したのか。
2014年に埼玉県川口市で起きた事件を追った毎日新聞記者によるルポルタージュ

忘れられない事件。この本もずっと気になっていて、ようやく読めた。『プリズン・サークル』で2回目の対話の場を開いたおかげだと思う。

 

一気に読んだ。
事件の報道から知ったことより、もっと複雑で深刻な背景があった。

少年のことを気にかけている大人もいた。けれど様々な理由で少年には届かなかった。狭間へすべり落ちていってしまった。事件がなければどう状況を変えられたのかわからなかった、というほどに当人が追い詰められていたにもかかわらず。

養育者が課題を抱えているとき、親子関係が健全でないとき、他人がどう介入できるのか。答えは一つではないけれど、既に「あの時どうすればよかったのか」と迷い、「助けられなかった」と悔いる経験を幾つもしている身として、やはり第三者介入、バイスタンダーとしての具体的行動を学ばねばと思う。

まずは10月中に一つ予定を入れた。
「まずはここまで考えた」を少しずつ積み重ねる。具体的に起きたときに身体が動く準備をし続ける。シェアする。鑑賞対話を通して知る機会をつくる。

また、最終章での支援者による解決策の提起として、「データベース化」があったが、そういった公的支援の動きも注視していきたい。


元少年が出所する日、社会はどのような姿になって目の前に現れるのか、考えている。

 

それから、「償いとは」「反省とは」と、ピンときていない様子に、『プリズン・サークル』の人たちの語りが重なる。あのような語り直しの場にこの人もいる必要がある。 

早稲田大学 国際文学館(村上春樹ライブラリー) 訪問記録

10月1日にオープンしたばかりの早稲田大学 国際文学館(村上春樹ライブラリー)に行ってきた。

www.waseda.jp

 

 
 
 
 
 
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読書会で村上春樹作品を取り上げたときに、かなり嫌悪している人も多いことを知り(それはそれでよくわかる)、それ以来取り扱うときに慎重にしている。読書はもともと個人的な体験なのだけれど、より個人的なものなのかもしれない。

共有せずにじっと抱えている人が多いとすれば、
個人的な読書の集積が「これ」だとすれば、
ほんとうにすごいことだと思う。

 


f:id:hitotobi:20211008213104j:image

 

 
 
 
 
 
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世界のブックデザイン展(印刷博物館)が好きな方にはたまらない場所だと思う。

 

 
 
 
 
 
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〈レポート〉2021年秋分のコラージュの会

2021年の秋分のコラージュ、開催しました。

https://shubuncollage2021.peatix.com/

 

蒸し暑い日でした。

秋分の日。お彼岸の中日です。2日前は「中秋の名月」で美しい満月が見られました。パワフルな雰囲気がむんむんしていました。

 

冒頭のチェックインでは、いつものようにお一人ずつ「きょう楽しみにしていること」をご発声いただいて始めました。

「Peatixで見つけて、前から気になっていて」と初めて参加してくださった方、前回参加してとても発見が多かったから・楽しかったからと参加してくださった方、以前リアル会場で開催したときの参加者さんでオンラインは初めてという方。

最後の方からは、

リアル会場では自分では買わない雑誌を手に取ったり、隣の人の切れっ端を分けてもらったり、その場で起こることが楽しかった。
雑誌も準備できなそうだしどうしようと迷っていたけれども、家の中にある紙類で作ってみようと思ったら、こういうものを集めていたんだなという発見もあり、部屋の整理にもつながり、始まるまでにおもしろい体験ができた。

というコメントもいただきました。

なるほど、確かにオンラインの開催だとご自分で素材(雑誌やチラシなど)を集めていただかなくてはいけないので、二の足を踏んでしまうかもしれないですね。

最近雑誌も嗜好品になってきましたし。それでもやはり雑誌はインスピレーションで溢れているので、わたしは好きですが。もちろんチラシでも十分です。


そんないろんな偶然のタイミングでこの日この場に皆さんと集まれてうれしかったです。

 

今回のワーク「今、気になっていること」の棚卸しと聴き合いは、「箇条書きで10個出す」というやり方にしてみました。

90秒という制限時間の中で、なるべくたくさん出そうと取り組むことで、脳に刺激を与えます。「気になっていること」は、悩みやタスクもあれば、興味関心、楽しみにしていること、やりたいことなども何でも「気になっていること」として括っています。

書き出したメモを元に、2人1組で聴き合います。5分話して、3分でフィードバックを交互に行います。話す側はひたすら話し、聴く側は相槌OK・質問やコメントNGでひたすら聴きます。

「書き出しただけでけっこう整理された」
「5分もひたすら話せてスッキリした」
「5分も話せるか心配だったけれど意外と話せた」
「相手の話が自分と真逆で楽しかった」
「今の自分を客観的に見られた」
「話したことで書いたことに対する解釈が変わってびっくり」

など、ほんとうにちょっとしたワークなのですが、スッキリ感があるのでおすすめです。家庭で、職場で、仲間内でやってみてください。

 

制作の時間はいつものように30分素材集め、30分でレイアウト、足りなければ10分延長の流れで進めました。

制作の時間中は話をしないんですが、画面はONにしてあるので、皆さんの存在を感じながら集中して取り組めます。

 

そして鑑賞の時間。自分の作品について「気にいっているところ」「工夫したところ」「自分でもよくわからないところ」などを紹介してもらい、その後他の参加者さんから感想や質問をどんどん出してもらいます。

自分の素朴な発見が他の人の鑑賞の助けになるので、どんな小さなことでもOKです。

この日もZoomのビュー設定を変更して各自大きめに写してもらったり、発表者の方にはモニター越しにアップにしてもらったりしながら工夫して鑑賞をしました。

 

自分の今の状態、関心、願い、希望などが、自分で言葉にしたり、言葉にしてもらうことでどんどんくっきりしてきます。自分の本質とのつながりを感じれられる作品になります。

これから自分は何を大切にしたいのか、どんな心の状態でいたいのか、チューニングされていく感覚が出てきます。

ワークで話したことと通じるものがコラージュでも出てきたという方がいたり、意味を考えずにただ自分が「きれい」と感じるものだけを選んでいったら、いい感じになってうれしい、などの感想も聞かれました。

 

最後はふりかえり

・コラージュやっぱり楽しい!
・1時間で区切られると、「カッコいいものを作ろう」という考えはふっ飛んで、「とにかく終わらせなきゃ!」が優先になるが、それがいい。

・ほどほどに考えつつ、余計なことが頭をよぎらないのでいい。

・鑑賞の時間に人の作品に無責任にコメントするのが楽しい。作った人に気を遣って「いいことを言ってあげないといけない」という感じもなく、ただ

・紙を埋められるのかな?と心配だったけれど、意外とはみ出したりするぐらいのびのびと作れた。

・他の人の作品を見て、「こういう素材を使うのもありなんだ」と発見があった。いろいろ集めてまた作ってみたい。
・つい頭で意味を考えがちだけれど、視覚的な刺激やおもしろさに目覚めた。快適さを大事にしていきたいと思った。

 

 

一人ずつの作品。なぜか皆さん、「いつもはやらないことをやってみたくなった」とのこと。今はそんな星のめぐりなんでしょうか。


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自分の中にあるだけでは気づかないものが可視化されていくのが、コラージュのおもしろいところです。ちょっと先の自分から受け取ったメッセージが貼り込まれていることもあり、少し時間が経ってから気づくこともあります。

本人だけが気づく「コラージュの通りになっている」感覚もきっと出てくるはず。

ここから先をどうぞお楽しみに。

 

ご参加ありがとうございました! またご一緒するのを楽しみにしています。

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次回は12月22日(水)冬至の日に開催します。

その後は、
冬至
:2021年12月22日(水)
春分:2022年3月21日(月・祝)
夏至:2022年6月21日(火)
を予定しています。
Peatixでお知らせしますのでご興味ある方はフォローしてください。
https://hitotobi.peatix.com/

 

コミュニティへの出張開催も承ります。

雑誌やチラシや写真を切って、台紙に貼り付けていく、だれでも気軽に楽しめるコラージュです。オンラインも可。お問い合わせはこちらへ。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

 

展示《再演―指示とその手順》@東京藝術大学美術館 鑑賞記録

東京藝術大学で開催されていた《再演―指示とその手順》を観に行った。
2021/8/31-9/26 https://taira.geidai.ac.jp/archives/projects/6

この方のツイートを見てふらっと行ってみました。

東京藝大美術館「再演─指示とその手順」展めっちゃくちゃ面白かったです!!!
美術品であるモノを展示することはモノの劣化と向き合わざるを得ないわけだけど、〈指示書〉が展示の〈再現〉を可能にする。では作品の同一性とはどこにあるのか?非常に刺激的な展示でした。無料で9/26まで。おすすめ。 pic.twitter.com/MGo75T6Dvj

— 黒あんず (@blackanzoec) 2021年9月11日

 

おもしろかった。

 


ツイートでも書かれていた、「ネズミの壺」の話にやっぱりギョッとなった。

 

展覧会の紹介と感想をこんなふうに的確に書けたらいいのに......!と思うツイートだった。黒あんずさん、面識はないですが、ご紹介ありがとうございました。

 

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再演するための機器なども型式が古くなっていくとき、どう代替するかや、そもそも代替を作者が許可するか。
作者がどこまで同一性にこだわるかによって展示が変わる。
作者に確認が取れなくなったらどうするか?(「死亡したら同一性は放棄する」というアーティストもいた)

わたしの領域で言えば、ワークショップも手順書を作るときなどもある。これも一つの指示書/インストラクション。そこにコピーライトは発生するのか、どうなると発生するのか、発生させることは可能なのか?

講師養成講座みたいなものも、ある種再演、再現みたいなところもあるのか?

前々から謎に感じている、「寺にあるときは拝む対象なのに、ミュージアムに来たら美術工芸品になる件」と今回のテーマとは関係がありそう。

サグラダ・ファミリアはガウディ「作」とは言えないという話を思い出したり......。

いろいろインスピレーションが湧く展示だった。
これから美術館やギャラリーの展示に行ったら、「これも指示書に含まれているのかな?」と思うことが増えそうだ。その視点での発見も多そう。

 

ニコニコ美術館で解説動画が配信されていたらしいが、気づいたら公開期間が終了していた。おもしろいけれど、難解でもあったので、お話として聞きたかったな、残念。

 

 
 
 
 
 
 
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展示『谷中と、リボンと、ある男』展 鑑賞記録

台東区谷中にかつて存在したのこぎり屋根工場。日本ではじめて洋式リボンの製造を開始した旧千代田リボン製織の工場だ。その解体現場から発見された、フランスと日本のリボンの見本帖などの展示が、2016年9月に文京区千駄木の古書ほうろう(現在は池之端に移転)開かれた。

nokoyane.com

 

そのときのメモが出てきたので記録しておく。

_________________________

リボンの見本帖の美しさに胸がいっぱいになりました。意匠図はまるで楽譜のようで、色とりどりの艶やかで繊細な音楽が聞こえてくるようでした。

リボンの魅力って、小さな面積の中に細かな柄や表情が丁寧に織り込まれているところにあって、それはけっこう切手にも通じる美だなぁと思いました。当時(明治以降)の人々も、リボンを身に付けてときめいていたのだろうな。

関東大震災東京大空襲でも被害を免れ、会社がなくなったあとも残った木造の工場のきっちりとしまった戸棚の中の、さらに帖面の中で、外気にふれずに保存されていたそうです。

絹製なのにこんなに状態がよいのは奇跡的で、出してしまったあとは、しかるべき保存をしないと、退色し劣化して粉々になってしまうとか。遺してゆくためにもっともっと見せたいのに、見れば見るほど失われていくというジレンマよ...…。今後どんなふうに次代に受け継がれていくのか気になります。

きょうは織物についての専門家によるトークイベントもあったのだけど、平織、綾織、ドビー織、ジャカード織という単語しか拾えなくて、あーなんか無印良品のシーツの商品名で見たことあるな…ぐらいの知識のわたしにはさっぱりついていけなかった…残念。

でも、ずっとこのあたりに住んでいて、「懐かしい」としきりに口にされていた方に、工場が稼働していた当時の様子をうかがうことができたのはよかったな。中の様子はうかがい知ることはできなかったけど、「あの中でこんな綺麗なものが作られていたのねぇ」と感慨深げにおっしゃってました。

古書ほうろうさんには初めてうかがったのだけど、実にわたし好みの書店でした。

保存会・谷中のこ屋根会の方が在店されているときは、見本帖をめくって見せてもらえます。(今はひらいた固定のページしか見られない)

ちなみに現在の日本におけるリボンの産地は福井県だそうです。メガネ、かるた、リボン…...福井県のイメージ変わったなぁ。

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久しぶりに「月刊のこぎり屋根」のウェブサイトを見に行ったら、「その後」についての投稿を見つけました。東京家政大学博物館(東京都板橋区)に収蔵されたそうです。よかった!

 

nokoyane.com

 

nokoyane.com

 

東京家政大学博物館、行ってみたいけれど、感染症対策のため現在は学内利用だけのようですね。また公開されるのを楽しみにしています。

www.tokyo-kasei.ac.jp