ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

2022.4.28 ウクライナ・メモ

2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻。

日に日に状況が変わっていき、具体的に生活に影響を及ぼすようになってきて、さまざまな思いや考えがどんどん湧いたり、入り乱れたり、自分を揺るがしてくるようになった。

1ヶ月が経った3月の終わりに、それらを自分の外に出さないとどうにもしんどいと感じるようになり、思いつくままに付箋に書き出してみたことがあった。

さらにその付箋をノートに見開きで貼り付けてみた。そこでようやく、自分にとって今回のことがなんなのかが、ようやく見えてきた。

それをしたからといって、もやもやがなくなったり、悲しみや怒りが軽減されることはないけれども、新しいニュースが入ってきたときの自分の構えのようなものができた。

この付箋を貼り付けたノートは、自分のためだけにそっとしまっておくつもりだった。

しかし今月は映画『ピアノ -ウクライナの尊厳をかけた闘い-』で鑑賞対話の会を開催することになったので、それに向けたファシリテーターとしての心構えも兼ねて、記事として一つ置いておくことにした。(2022.4.28)

ーーーー

・どんな理由であれ人命を奪うことは許されない。

・歴史、芸術文化、国際交流、、長年こつこつと積み重ねてきたものが一瞬で壊滅した。語学を学んで、文化芸術を愛し、歴史を学ぶことは平和の祈りにつながると思っていたが、あっけなかった。終わりではないが、一旦絶望した。

・たまたまポーランド語を学ぶことになり、スラヴ文化圏を知る機会になっている。今回のこととは関係ない経緯からだったが、何がどう発展するか本当にわからないものだ。

・民間レベルでは何も対立していないところにも、戦争を起こすことで歪みが生じる。元からある構造を利用して憎悪を煽る力が働く。

・功名心、支配欲を止めるものはないのか。

・報道も画像も解説も、たくさん見せられても何もできないのでつらさだけが募る。技術が発達した今より、知らないでいた時代のほうがこういうときはよかったのではないかと思えてならない。このところ、国民が何も知らされていなかったし、知る手段もなかった「戦前」のことをよく思い出す。

・国家の戦争に、まったく関係ない遠い個人が「参加」させられていることの異常さ。何かを投稿することが即、参加につながる。

・映像を読めない、読みきれない。個人レベルではもう無理。でも簡単に触れることができてしまう。

・「映像の世紀」のその後は結局なんの世紀になっているのか。

・いいもん、わるもんの話だけじゃない。そんなシンプルな話じゃない。

・言葉の一部だけ切り取られると意図と違って拡散されることの怖さ。

・衝撃的な動画が流れやすい。

・数字が大きい方がインパクトを持ちやすい怖さ。

・日本の立場の揺らぎ。中立的、調整的立場を取れない情けなさ。

近現代史を学ぶ機会が圧倒的にない。歴史的知識がない。今目の前にあるものに関心を寄せるだけでなく、歴史的経緯と地政学的動機、構造的問題として捉える習慣が必要。とはいえ、資源、エネルギー、金融、国際法……膨大すぎて複雑すぎる。全部を毎日ウォッチするのは不可能。

・学んでなくても何も語れないわけではないが、語れることとしては、結局"NO WAR"しかなくなる。

・余力のあるときに少しずつ学ぶと、それはそれで理解が進む。

ソ連以前のロシア、ソ連、冷戦集結後のロシアの歴史を知るほど、それだけの蓄積に対してどう抗えるのか、わからなくなる。ついていけなさ。

・日本が関与してきたことは。北方領土など、安倍ープーチンでやっていたことは。

・日本の国防の話に転嫁されてくる怖さ。

・ロシアの専制のやばさ。SNS封じ。

・逆にあの手この手で国外の情報にアクセスしている人もいるらしい?

・オリンピックは全然平和の祭典になってない。北京冬季五輪の空疎さ。むしろ国対国を煽る仕掛け担っている。パワーゲームの道具。2021年の東京オリンピック以来、批判以外のことで見たり話題にすることを一切やめた。

・「ウクライナ側につく」という宣言にも躊躇がある。国家単位で言いたくない。

・新しい情報ひとつでイメージが転換し、簡単に意見を変える自分、他人。村上春樹の『沈黙』の風見鶏の例えを思い出す。

・「民主主義という言葉が固いので、言い換えた方ががいいのでは」という意見を聞いたときに、「それは絶対違うと思う」ともっと強く言いたかった。なんの場だったか忘れたが。わかりやすくとか、なじみやすくとか、優しそうというのは危険なときがある。

・「わかりやすく」は危険。「断言」「反復」「感染」→100分de名著『群衆心理』

・「何を信じたらいいのか?」という思いが湧いて、次の瞬間、確固として信じられる何かを求める自分、信じようとすることの危うさにどきりとする。

・ロイターでキーフ市内の定点カメラがネットで公開されていた。街は静かで、人が歩いているのが見えた。そういうものにこんな「遠く」からもアクセスできてしまう。

・キーフ、チョルノービリなど、実はロシア語だったのだと今回のことで知った。

・チョルノービリ原発がキーフからそう遠くないところにあったことは、10代の頃に読んだ清水玲子さんの漫画『月の子』で知っていた。あの頃に原発事故を取り入れた画期的な漫画だったと思う。

・日本の社会はどうなるのか。

・世界の中で、日本という国がどう見られているのか。

・こういう状況下になれば、人々が何に困窮するのか、想像がつく。これまでいろんな災害、戦争、人災が世界で起こるのをうっすらとではあるが見てきた。また、学べば学ぶほど、知れば知るほど、これらの回復に長い道のりが必要で、その想像がつくのがつらい。

・日本でのウクライナ避難民受け入れをいち早く申し出たことが意外。ではこれまでの避難民、難民、事情があって国籍のあるところに帰れない人への処遇は?日本の入管改革のきっかけになるのか?

・子の通う中学校では先生は全く話題にしないという。社会の先生でさえも。なんのために学校があるのだろうと思う。

・ひとつの「戦争」から無数の物語が大量に発生していくことの恐ろしさ。

チェチェン、シリア、アフガニスタンミャンマー、香港、新疆ウイグル自治区にはなぜ反応が薄かった?

・何も触れない人に対する軽蔑の気持ちが湧いてしまう。安全を考えて発言するかしないか決めている人もいるだろうし、安全な関係の中では話題にしている人もいるかもしれないが、あまりにも当たり前に今まで通りの日常が続いているように見えると、こんな気持ちが出てくる。そういう自分も嫌だ。差がありすぎるのがつらい。

・幸いなことに、最近得た交友関係で話題にでき、真剣に話せるのでありがたい。助かっている。「作品を観て感想を語り合う場」が自分を助けてくれている。あとは、すごく仲がいい人よりも、そんなによくは知らないし頻繁に連絡は取らない知り合い程度の人の方が突っ込んだ話ができる。何につけてもそうかも。

・専門家やジャーナリストが戦況分析などをしているのを見ると、状況がわかってありがたいと思う一方で、男社会が作った構造の中で起きたことを「嬉々として」(私の解釈です)語っている構図がアホらしく思える時がある。『三ギニー』でヴァージニア・ウルフが似たようなことを言っていた?未読。

・悲惨な映像による心身への影響、トラウマを持ってしまった人も多くいるはず。自分で自分の身を守るしかない。日本のメディアはその点は比較的規制が掛かっているのか?と思っていたが、今回の侵攻にかかわらず、一般市民が撮った暴力シーンなどが地上波で普通に流れていることなど考えると、それも少しずつ変化していきそうで怖い。

・TVをほとんど見ていなかったが、GWで実家に帰ったときにTVの報道を見て、これを一生懸命ずっと見ていたらとてもしんどくなると思った。(かといって慣れていくのも怖い)

・「そもそも今起こっている戦争というのは、国家間の権力闘争であって、一市民が何かできるわけではない」という誰かの投稿を見て、そうだとも思うし、そうではないとも思う。

SNSは人を当事者にする機会を提供したかに見えて、文脈を寸断して、刹那的な消費者や傍観者にする力のほうを強めている。個々のユーザの使い方の問題を超えて、全体として。「いいね」じゃねーんだよ!と思ってしまうこの感じ、ストレスがたまる。

SNS大喜利状態になるので、最近距離を起きたい。しかし情報を得る手段になっている面があり、難しい。よい使い方を模索したい。

・心身の健康を保つための術をできるだけたくさん持つこと。

・どこにいるかで人生が全く変わってしまうという冷酷な事実。

・作品を通じて知るのは一つの手段だが、それも断片にすぎない。いろんな資料に当たれるとよいが膨大。

・自分の職能からできることは何か。学びのシェア、対話の場をつくり、話す、聞く、知る、交流するきっかけをつくる。それが救いになるかどうか、というぐらいしかない。

・意見の違いは見ている世界の違いというだけだか、ギョッとするものを見たときに疲れる。

・他の社会課題への関心を放り出すわけにもいかない。

・前のめりは危険。流されるのは怖い。

・「各国の思惑」の話が一番嫌い。近、現代史が嫌になるのはここ。

本『他者の苦痛へのまなざし』読書記録

『他者の苦痛へのまなざし』を読んだ記録。

ある日このツイートが流れてきた。

まさに私のことだ。どう受け止めたらいいかわからなかったし、落ち着きたかった。

「ここのところの」と投稿者が言っているのは、2月24日に始まったロシアによるウクライナへの軍事侵攻のことを指している。

今は5月22日で、もうすぐ3ヶ月になる。長期化してきたこともあって、前よりも目にする頻度は減った。というか意図的に減らした。

溢れるニュース、画像、映像に対してどういう態度で見るのか、なぜ見るのか、ということを決める必要があると感じていた。

特に、5月はウクライナのユーロ・マイダン革命のドキュメンタリー『ピアノ ーウクライナの尊厳を守る闘い』で鑑賞対話の会をひらく予定なので、私のスタンスをはっきりさせておく必要があった。参加者にというより、自分に対して。今眼の前で起きている戦争というテーマに当たっては慎重に場を作りたい。

 

『他者の苦痛へのまなざし』は、作家で批評家のスーザン・ソンタグの著書で、2001年にオックスフォード大学においてアムネスティが主催した講演「戦争と写真」に端を発して書かれた。(ソンタグは、2004年に死去)

 

本を「読んだ記録」と書いたけれども、ほとんど読めていない。いや、ひと通り読んだのだけれど、何を言っているのかがつかめなかった。読解できない箇所が多くて、部分的につまみ食いしたような読み方になってしまった。

これは翻訳の文章が難しい。しかも読み進めていくと、一方ではこう言っているが、すぐ後にまったく反対のことを記述していたりもするので、混乱するときがある。原文やこの本全体の構造からして分かりにくいのかもしれない。

いずれにしても私には、自分の読解力に自信を失うぐらい難しかった。日本版の刊行は2003年なのだが、古文のようにも思えた。

それでも手に残っているいくつかの感触を自分のためにメモしておく。

 

読書メモ ※引用以外は個人的な解釈や派生した感想です

・冒頭、ヴァージニア・ウルフの『三ギニー』の引用からはじまる。
「あなたと私のあいだでは、真の対話は不可能かもしれません」「なぜならあなたは男性、私は女性だから」

「われわれ」とは誰のことか。その「われわれ」と言える前提となっている、共通性について考え、そしてほんとうに「われわれ」と言い得るのかを点検する。

まずこの視点に立つ。立ち戻る。

・犠牲者の凄惨な画像、映像は、よりいっそうの戦意をかきたてるのも事実で、それを意図して示され、その闘争の正当さ(正義)を強固にする役割を果たすこともある。

・その際には、「誰によって誰が殺されるか」が重要になる。つけられたキャプションによって見方が変わるという危うさ。捏造も可能。悪意はなくても正義感から演出をつけることは起こり得る。

・残虐であればあるほど、戦争の抑止につながると信じられていた時代もあったが、実際はそうはならなかった。戦争は起こり続けている。

シモーヌ・ヴェイユは戦争についてのエッセイ『「イーリアス」あるいは暴力の詩篇』(1940年)のなかで、

「暴力はそれに屈するすべての人間を物にしてしまう」

と書いたが、ヴェイユはスペイン共和国を守るための戦いと、ヒトラーのドイツにたいする戦いに参加しようとした。戦争を止めるために戦いに赴くということは、起こる。

・人々に衝撃を与えることでコントロールしやすくなる可能性がある。

・今は以下のことが戦争が起こる前から日常的になっていて、戦争でさらに拡大した。

「現代の生活は、写真というメディアを通して、距離を置いた地点から他の人々の苦痛を眺める機会をふんだんに与え、そうした機会はさまざまな仕方で活用される」(p.12)

絶え間なく膨れ上がる情報が戦争の苦痛を伝えるとき、それにどう反応すべきかはすでに19世紀後半において問題となっていた。(p.17)

・書かれた記録と、映された写真とでは、「言語」も伝わる範囲も違う。そこに差が生まれる。

・どれほど慎重であろうとしても、たった一枚を見るだけでも、潜在的に刷り込まれてしまう。メディアが取り上げるものによって、操作されている。読むリテラシーを高める努力をしても、限界がある。そもそも時代の影響を受けないでいるのは不可能。しかしそれでも努力する意味はある。

内容により深くかかわるためには、或る種研ぎすまされた意識が必要である。そのような意識こそ、メディアが流布する映像に付随する予測のために弱められ、メディアが映像の内容を漉して取り去るために鈍化されるものなのである。(P.105)

まさにここが難しいのだ。より深く関わろうとして意識を研ぎ澄ませていると消耗する。しかしメディアの「流布」に対抗するためには、見極めの力をつけるためには、メディアがどのように挑発しているのかを見なければ意識は作動しない。しかし大変な労力だ。

・写真は現実の証人である。写真はある視点を必ず持っている。その矛盾を行き来する。

・そうであるとも言えるし、そうでないとも言える。持っておきたい問い。

写真は主要な芸術のなかでただ一つ、専門的訓練や長年の経験をもつ者が、訓練も経験もない者にたいして絶対的な優位に立つことのない芸術である。(p.27)

・他者の苦しみを見たいとう欲求が、人間には多かれ少なかれある。だからフィクションで観ようとする。悲劇的な不幸を扱う演劇や映画など。ただ、実際に起こった出来事であっても、写真や映像化するときに、それが見たい欲求を叶えるときがある。あまりにも道徳に反しているが、実は、感情をかきたてられるほどの衝撃の興奮と後ろめたさの両方があるのではないかという指摘。それを単純に「病的」とは断じられない。

・「何を見せることができ、何を見せるべきではないか」はcontroversial。

・「たとえ達成されなくても平和が規範である」という倫理は時代により異なる。また地域によっても同意されているわけではない。

・セバスチャン・サルカドに対するソンタグの批判はいつになく強い。これは作品を鑑賞する立場として慎重に受け止め、検討したい。少なくとも視点の一つとして手に入れられたことはありがたい。冒頭のウルフの言葉とこの箇所は読めてよかった。

「苦しみを描く写真は美しくあってはならないし、キャプションは教訓的であってはならない。このような見方によれば、美しい写真は深刻な被写体から注意をそらし、それを媒体そのものへと向けさせ、それによって記録としての写真のステイタスを損なう」(p.75)

「39カ国で撮影されたサルカドの移住写真は、移住という一つの見出しのもとに、原因も種類も異なるあまたの悲惨をひとまとめにしている。グローバルに捉えた苦しみを大きく立ちはだからせることは、もっと『関心』をもたなければならない、という気持ちを人々のなかにかきたてるかもしれない。それは同時に、苦しみや不幸はあまりに巨大で、あまりに根が深く、あまりに壮大なので、地域的な政治的介入によってそれを変えることは不可能だと、人々に感じさせる。このような大きな規模で捉えられた被写体にたいしては、同情は的を失い、抽象的なものとなる。だがすべての政治は、歴史がすべてそうであるように、具体的なものである。(確実に言えることだが、歴史について本気で考えない人間は、政治を真剣に受け止めることができない。)」(p.77)

オラファー・エリアソンの作品でも感じたことかもしれない。気候危機をテーマにしたときに深刻さよりも、美的な感覚が上回ることに対して、どう考えたらよいのか。

それとも、ソンタグが指摘するのも間に合わないほどに、見慣れてしまって、自分には何もできないと感じることに囲まれてしまっているかもしれない。

・写真は客観化する。人々は慣れる。いくら苛立ってショッキングなものを出しても、人はやがてそれに慣れていくことができる。また慣れることのできないほどショックな写真は人々の健康被害を引き起こす可能性もある。「効果」は時代によっても捉え方が変わっていく。随時検討していく必要がある。

・それでも犯罪を記録すること、それに誰もがアクセスできるようにして、忘れないようにする、思い出せるようにすることは大切だ。例えば博物館、祈念館。

・写真を見て理解の助けにはなることもあるが、「説明」が添えられる前提のこともある。

・これは過去に起こったできごとに関して言っているが、毎瞬新たに生成される画像や映像に対する態度のことを言っているようにも感じられる。「見せる意味」「見たい欲求」「見る意味」の話。

「たとえ陰惨な写真であろうとも、それが語るものにかんして、今すぐなされなければならないことがあるゆえに、そうした写真を見る義務があるのだと人々は思うことができた。他の問題が生じるのは、それまで長い期間にわたって知ることがなかった一連の写真が人々の目に触れ、それに反応することを人々が求められたときである。」(p.89)

「人はきわめて残忍な行為や犯罪を記録した写真を見る義務を感じることができる。そうしたものを見ることの意味について、またそれらが示すものを実際に吸収する能力について、考えてみる必要がある」(p.94)

「同情は不安定な感情で、行為に移し変えられないかぎり、萎えてしまう。問題は、喚起された感情や伝達された情報をどうするか、である。『われわれ』にできることはなにもないーーだがこの『われわれ』とは誰か?ーまた「彼ら」にできることも何もないーー「彼ら」とは誰か?ーーと感じるとき、人はうんざりして冷笑的になり、何も感じなくなる。(p.101)

「同情を感じるかぎりにおいて、われわれは苦しみを引き起こしたものの共犯者ではないと感じる」(P.101)

 

一枚の写真、垂れ流される映像に対する態度として、ソンタグによる主張を最終章と訳者あとがきから要約すると以下のようになるのだろうか。(あくまで私の解釈)

写真や映像は、考え、知り、調査するきっかけである。

この苦しみの責任は誰にあるのか。これは許されるのか、これは避けられなかったのか、疑問を呈する必要はないか。「観察、学習、傾注」。

たとえ距離を置いた地点から苦しみを眺める方法に対する非難があったとしても、他のよい方法はない。

だから一歩引いて考えることは何ら間違っていない。

ただし、それらは歪みを持っているので、踏まえたうえで、現実を認識し、感受性を研いで認識を更新していく必要がある。なぜなら安易な同情は問題を見えにくくし、苦しむ他者をさらに苦しめるからだ。

巨大な悪や不正が苦しみを引き起こすメカニズムの中に自分もいる。そのことを写真は気づかせる。限界はあるが重要なツールだ。

 

***

 

ソンタグのような先人が、第二次世界大戦の記憶と、1945年以降に続いてきた戦争や虐殺を同時代の人として生き、言葉を残しておいてくれたことに感謝する。

それでもやはり彼女が想像もできないほどに、今起こっていることは、一個人の理解の域を超えている。

多くの映像がこの瞬間も生成され、複製され、流布されている。真偽や立場を知ることもできない。一人ひとりが発信する機器をもっている。

大量の傍観者がいる。傍観者がさらに個々人の解釈を加えて流布することで、またさらに多くの傍観者を作りだす。もっとリアルタイムで、もっと具体的な他者の苦しみに疑似的に触れることも、指先一つでどこででもできてしまう。巨大な悪や不正を見破るのはますます難しい。

歴史は「私たち」をつなげるもやいではなくなっている。目の前の一枚の写真でさえ共に見ることは難しい。

関心を向ければ向けるほど、遠のいてはいないか?と思う。

ただ、未来のどこかの地点で、今起こっていることが、誰かにとって「忘れたい、消したい記憶」になりかけたとき、自分が目撃者だったと証言することはできる。そのために今見ている。果たしてそういう言い訳は成立するだろうか。

 

この困惑について、現代のソンタグ的な立場で語る人はいるのだろうか。

 

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見る、知るが手放しで良いこととは言えないのは、こういう問題もあるから。ツイート一連は持っておいたほうがいいお守り。

越智さんが紹介している記事

www.huffingtonpost.jp

www.mhlw.go.jp

encount.press

 

「残虐な写真や映像、表現が、リアリティを持たせ戦争の抑止につながる」に疑問を持って展示方法を変えたり、新しく建設されたりした、印象的な3つのミュージアム

 

広島平和記念資料館

hpmmuseum.jp

 

ひめゆり平和祈念資料館

www.himeyuri.or.jp

 

Jüdisches Museum Berlin 

www.jmberlin.de

 

2001年の講演時にはまだオープンしていなかったNational Museum of African American History and Culture、ワシントンD.C.スミソニアン博物館の19番目の施設として開館した。

このミュージアムでは、ソンタグの指摘した内容は果たしてカバーされているのだろうか。

実際、アメリカ合衆国のどこにも、奴隷制の歴史博物館はーーアフリカにおける奴隷売買そのものに始まり、反奴隷制協同地下組織アンダーグラウンド・レイルロードのような特定の部分に限るのではなく、奴隷制の全貌を伝えるような博物館はーー存在しない。思うにこれは社会の安定にとって、活性化し創造するには危険すぎる記憶なのである。(p.86)

nmaahc.si.edu

 

奴隷制もだが、アメリカは先住民の抑圧と虐殺(殲滅?)の歴史も抱えている。消し去りたい記憶は学校教育の場に影響する。これらの扱いをどうしているのだろうか。

 

日本の話。

www.mbs.jp

 

*追記* 2022.6.25 

写真は誰が撮ったか、なんのために見せているか。

それがコントロールできるものでもある。利用して何かを達成しようとすることがある。

また、今は簡単に捏造写真や合成写真が作れてしまう。

写真や映像が人間に与える影響は大きい。心理的距離を置くことも必要。

そのことと、深刻な困窮状況にある人を無視することはイコールではない。

 

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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年

映画『火の馬』『ざくろの色』鑑賞記録

セルゲイ・パラジャーノフ監督の『火の馬』『ざくろの色』を観た記録。

2020年の没後30年記念上映のときのページが詳しい。

joji.uplink.co.jp

www.pan-dora.co.jp

youtu.be

 

映画の鑑賞仲間からお借りしたDVDで観た。「ウクライナ関連の映画を見てみよう」という企画があり、その一環で。

私自身は25年ぐらい前に一度ミニシアターで『ざくろの色』を観た気がしているけれど、内容は全く覚えていなかったので、例によって記憶違いかもしれない。

ざくろの色』の言語はアルメニア語。アルメニア文字、好き。

f:id:hitotobi:20220522225301j:image

 

こちらは生誕90年のときのパンフレット。4, 5年前の古本市で見つけて買ってあった。

f:id:hitotobi:20220522225318j:image

eiga.com

 

苦悩こそが私の生を綾なす

かつて存在したものが世界をよく理解していた。しかし絶滅してしまった

大地へ還してください。私は世を厭う

(『ざくろの色』より)

 

映画監督と言うよりも、映像作家というほうがびったりくるだろうか。

セルゲイ・ロズニツァの『国葬』を観て、旧ソ連というのは、なんと異なる文化を無理矢理に取り込んできたのか、なぎ倒す力の恐ろしさよ……と思ったことを思い出した。

民俗的な要素は『火の馬』がより強い。

アイヌムックリに似た楽器が出てくる。音楽、言語、民族衣装、住宅、宗教的な儀礼など、あらゆるものが土着の伝統文化の独自性を強烈にアピールしてくる。ただ、これは民俗学的に精緻な記録を試みたというよりも、誇張や融合もあって創作されているもののようだ。それが当局から目をつけられた理由でもある。

 

一見エキゾチックでロマンティック、そして非情。悲劇、神話、人間の普遍。

 

ターセム・シン監督『落下の王国』も思い出す。トレイラーはだいぶイメージ作ってるので、観たときの印象と全然違った。

youtu.be

 

 

パラジャーノフ作品は映像も美しいのだけれど、祈りを唱えるチャント(聖歌)やフォルクローレ(民謡)というのかな、心地よいけれど、あれも耳から入ってくる強烈な体制批判なのだろう。『火の馬』のほうは、体感としては常に聖歌と民謡が交互に流れ、歌によっても映画が「織られていく」印象がある。

そういう点では、映画『COLD WAR あの歌、2つの心』も思い出す。旧ソ連下のポーランドで、土着の民族音楽を記録、収集するシーンから始まる。体制は民族合唱舞踏団を組織して、民族音楽や伝統的な舞踏を通して、国を賛美させ、プロパガンダに利用していく顛末が、かれらの人生に大きな影響を与えている。繰り返し出てくる「♪オヨヨ〜」は一回映画観るともう忘れられない。歌の力、声の力を最大限活用していることで、どれだけ人心に作用するかを暗に示している。

coldwar-movie.jp

 

パラジャーノフは、ジョージア(旧グルジア)の生まれでモスクワで学び、ウクライナに暮らした。

作品は国際的には高く評価されていたが、国内では反ソ連的な監督として扱われ、公開自粛、制作の制限、不本意な削除編集という体制の介入、逮捕と収監、映画制作禁止、出国禁止など様々な抑圧に遭ってきた監督。人生、製作、時代の歴史背景を知ってから観るとまた見え方が変わってくる。

とはいえ、頭でっかちに評論から読んで入るより、「なんかエキゾチックだな」という印象だけもって、パッと見てみるのがおすすめ。

実は元気はつらつのときより、ちょっとダウナーな気分のときに観るほうが慰められる気がする。

 

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映画『好男好女』鑑賞記録

侯孝賢監督の映画『好男好女』を観た記録。

www.allcinema.net

 

侯孝賢監督の作品が好きで、2作以外はほとんど観た。この作品は公開当時に観たはずだが、記憶がないのでもう一度、配信で見直した。

 

藍博洲(ラン・ボーチョウ)による『幌馬車の歌』が原作。太平洋戦争末〜白色テロの時代にかけて、鍾浩東(チェン・ハオトン)ら政治的迫害を受けた台湾知識人についてのドキュメント。
http://www.sofukan.co.jp/books/165.html

蒋碧玉(ジャン・ピーユ)と鍾浩東(チェン・ハオトン)夫妻の物語は、劇中劇として登場する映画『好男好女』として描かれ、蒋碧玉を演じている現代の俳優の今の生活と少し前の彼女の様子を入れ替わりで写しながら、物語は進む。

 

「踏み込んでいた」映画だった。

いつもの侯孝賢作品のように、離れたところから見ている感じにならない。こういうしんどさを感じることはなかった。主人公が女性だからだろうか。ストレートな愛の言葉や描いているからなのだろうか。内面を描いているし、吐露している感情も、共感しやすい。

ストーリーはいつものように詳しい事情は説明がないのでわからないまま進むが、彼女の中でどんな感情が動いているのかはわかる。生身の女性がいる感じがある。

それを演じた伊能静はすごかった。

この本『侯孝賢の映画講義』にも、彼女が非常にのめり込んで演技をしていたということが書いてあった。彼女にとって歌手から俳優への転換点だったと。

朱天文の脚本に変化があったのか。あるいは監督と脚本家とのやり取りの中で何かが起きたのか。

撮影スタイルも違うように感じる。距離感が変わった。

クローズアップまではやらないが、しっかりと表情をとらえているのがわかる。

未見だが『ミレニアム・マンボ』もこの路線だとしたら、すごく観てみたい。

 

※以下は内容に深く触れていますので、未見の方はご注意ください。

 

伊能静は、主役の蒋碧玉を演じる俳優・梁静(リャン・ジャン)として登場する。蒋碧玉は劇中で最愛の人を失うが、それを演じる梁静もまた最愛の人、阿威(アウェイ)を亡くしている。そしてその深い悲しみで自分の役である蒋碧玉に強く共感し、同化していく。

ここまでで既に入れ子の構造になっているのだが、さらにそれを見る観客である私も多かれ少なかれ人を失う体験をしているため、映画全体として、三重の入れ子になっている。

そう、しんどさや悲しみに共感するのは、観ているこちらにも失くしたもののことを思い出させるからだ。やっぱりこんなふうに感情に直接訴えかけてくる侯孝賢作品は、今観ても珍しい。

梁静または伊能静を通じて私たちも蒋碧玉の時代にふれられる。自分から切り離された遠い場所の昔の出来事ではなく、同じ人間の物語として見るという一つの手段を得る。ある種、西洋的なドラマの手法かもしれないが、やりすぎないところに新鮮味を感じる。

 

崇高な意志を持ち、敬いあう知識層の夫婦と、チンピラと水商売の婚姻関係にはない行き場のない関係のカップル。信念を抱いたまま国家の犯罪者として倒れた男と、チンピラのいざこざであっけなく死んだ男。愛する男との子を宿した女と、”宿せなかった”女。これらのくっきりとした対比も、物語に奥行きを与えている。

あまりにも違う彼女ら、かれらだけれど、愛する人を亡くすという悲しみで全く異なる時代の異なる状況の女性同士がつながっている。彼女は演じることで共感し、理解し、生きる力を得る。

無言電話に泣きながら語ったことで、梁静は初めてちゃんと悲しんだ、吐露したのではないか。それができないでいた間は、ある種の囚われの中にいたが、喪失をしっかりと味わったことで、自分を囚われから解放した。彼女の人生が動き出す。映画『ドライブ・マイ・カー』を思い出す。家福も喪失の辛さを吐露することによって、ようやく自分を解放する。

最後は冒頭と同じ画が映るが、色が現代のカラーになっており、画面のトーンも明るい。予感に満ちている。

そうだった、侯孝賢の映画は、苦さや哀しみもありながら、最後は「そして人生は続く」で終わるのだった。そこが私を惹きつけて離さない、大きな魅力なのだ。

 

その他鑑賞メモ

・詳細はわからないが、侯孝賢映画によくあるチンピラのヤバい仕事の話が出てくる。義兄が何やら怪しげな商売の話をしているところ。こういうのは、ストーリー自体には直接大きな影響を与えないとわかっているのでOK。

・なぜ日本語を話しているのかとか、生まれた子どもを養子に出すのかというところは歴史の理解が必要だと思う。抗日戦のために女性も子を手放したくだりは、『不即不離 マラヤ共産党員だった父の思い出』でも出てきた。そういうことが戦争時、紛争時には起こる。もしかしたら今も起きている。

・通夜で紙のお金(紙銭)を焼く風習が出てくる。『悲情城市』にも正月か開店祝いか何かで出てきたので、このときに調べた。沖縄にも類似の風習があるのをドキュメンタリー映画で見た。お盆の行事の一環で。

・屏東(へいとう/ピンドン)は台湾の南端。そこから中国大陸の広東省の恵陽へ渡る。屏東は今でも多様な台湾先住民族が暮らす地域だそう。蒋碧玉らの言葉はクレジットによれば台湾語のようだけれど、それにももしかしたら特徴があるのかも。少なくとも広東語とは全く違っているので、意思の疎通ができない。通訳が間に立って、人を変えて何度も同じことを繰り返しやり取りする。通訳が必要なほど違うのに、同じ目標を持って歩めると信じているかれらの姿が胸に痛い。

・チンピラとごはんの組み合わせは、侯孝賢映画には欠かせないアイテム。特に『憂鬱な楽園』が好き。そういえばじゃんけん飲みもたまに出てくるアイテム。

・「知識層の力」「我々が教えれば民衆は目覚める」「新聞を発刊すれば同じ考えの人、わかっていない人にも届く」「わかっていないから刊行物で、宣伝で人の力を結集する」社会運動と言論の関係が解説されるシーン。

・梁静の歌が、劇中映画のシーンに重なるところが胸にせまる。モノクロ、夜道をライトの明かりだけを頼りにこいでいく自転車。

・『超級大国民 スーパーシチズン』の中で、関わりを遅れた家族が遺体を引き取らなかった(引き取れなかった)ため、無縁仏となって、墓標だけがある打ち捨てられた場所が出てくるが、『好男好女』では、「お金がないと遺体を引き取れない、工面しないと」という台詞が出てくる。つまり当時もしかしたら、引き取ろうとしても、お金の工面ができない遺族も混じっていたのだろうか。

・冒頭の小津安二郎の『晩春』のが使われている。このことは『侯孝賢の映画講義』にも書かれていた。(『珈琲時光』の主人公と父の関係は『晩春』に似ているようで似ていない。父がほとんど語らないところは同じだが、娘との関係性は現代に刷新されている)

 

シナリオ採録されているので振り返りやすい。薄いが中身のつまったパンフレット。

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伊能静、高、林強のトリオって『憂鬱な楽園』じゃないか!と思ったら、『好男好女』が先だった。『好男好女』と伊能静については、『侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』でも綴られている。

「今回彼は動き始めた」ー「テーマを定める」p.127〜p.136

 

「幌馬車の歌」は、侯孝賢の『悲情城市』でも処刑される同胞を見送るときに歌われている。この本が詳しいらしい。未読なので備忘として。

 

侯孝賢関連で書いたブログ記事

映画『憂鬱な楽園』『フラワーズ・オブ・シャンハイ』@早稲田松竹 鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2022/01/21/110253

映画『憂鬱な楽園』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/06/03/182253

映画『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/25/111421

映画『黒衣の刺客』(台湾巨匠傑作選) 鑑賞記録https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/06/19/161847

映画『珈琲時光』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/06/13/091023

映画『あの頃、この時』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/06/12/140418

映画『風櫃(フンクイ)の少年』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/06/11/221706

映画『ナイルの娘』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/27/161859

映画『悲情城市』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/26/092009

映画『童年往事 時の流れ』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/15/122554

映画『台湾新電影時代』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/09/221252

映画『坊やの人形』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/09/180008

映画『恋恋風塵』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/09/102725

映画『冬冬の夏休み』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/08/193955

映画『HHH:侯孝賢』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/08/190723

映画『風が踊る』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/06/181438

映画『台北暮色』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/15/161752

映画『日常対話』(台湾巨匠傑作選)鑑賞記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/05/210609

本『侯孝賢(ホウ・シャオシェン)と私の台湾ニューシネマ』読書記録
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/19/105346

侯孝賢と私の台湾ニューシネマ』刊行記念のライブトーク:視聴メモ
https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/05/24/084255

 

白色テロ関連の映画

映画『スーパーシチズン 超級大国民』鑑賞記録

https://hitotobi.hatenadiary.jp/entry/2021/06/16/131432


観ていないけど、『返校 言葉が消えた日』(2019年)も白色テロが題材。

realsound.jp

 

検索していて見つけた『幌馬車之歌』展の動画。会期が2015年10月〜2016年4月となっているが、国家人権博物館は2018年5月開館のはず。このギャップはよくわからず。

youtu.be

 

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本『坊ちゃんの時代』1〜3部 読書記録

世田谷文学館谷口ジロー展を観てからようやく読む気になって、少しずつ読んだ。5部作のうち、第3部まで読んだところで一旦記録。

 

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文豪として名を後世に残した明治期の男たちの物語。苦悩の物語と言っていいと私は思う。

原作者の関川夏央によれば、始まりは1986年。旧知の漫画雑誌の編集者に打ち明けたことから。

「明治時代を描いてもいいか、とわたしは低い声で尋ねた。マンガでやってはならないということをすべてやりたいのだ。」

「明治は激動の時代であった。明治人は現代人よりある意味では多忙であった。明治末期に日本では近代の感性が形成され、それはいくつかの激震を経ても現代人のなかに抜きがたく残っている。われわれの悩みの大半をすでに明治人は味わっている。」

「わたしは『坊ちゃん』を素材として選び、それがどのように発想され、構築され、制作されたかを虚構の土台として、国家の目的と個人の目的が急速に乖離しはじめた明治末年と、悩みつつも毅然たる明治人を描こうと試みた。」(第3部『かの蒼空に』より)

1986年当時は、こんな企画は通らないだろうと一か八かで出したら通ったという、そういう背景なのだろうか。

今では翻訳もされ、ヨーロッパやアジアの国々でも読まれているとのこと。このときOKを出した編集者が先見の明があったということか。私も感謝しなくてはならない。

 

みんな今の時代で言えばどこかしら病を抱えていたのだろうなと思う。疾患だったり、症候群だったり。

石川啄木の「浪費癖」、夏目漱石強迫神経症と胃痛と「酒乱」、森田草平の「執着」。

癖というにはあまりにも深刻すぎる病の数々。それは当時の食生活や環境や医療などもあったと思うが、日本的なものを否定し西欧化していくこと、急激な変化に肉体と精神が悲鳴をあげていたことの現れのように感じられる。かといってそこに同情するような眼差しは一切ない。

むしろ、どいつもこいつも……と言いたくなるような輩ばかりでうんざりしてくる。そう感じるように描いている節もある。

中でも第三部の『かの蒼空に』は石川啄木の扱いは凄まじい。一冊丸々かけて、啄木のダメさ加減を描いている。最も晒されたくないところを次々にバラす、執拗にあげつらう。まるで懲罰のように。あるいは、「抒情詩人」と語り継がれることへの違和感なのか。

「新装版」には漫画だけではなく、関川夏央の文章も掲載されていて、啄木と金の話がみっちりと書いてある。

「死んではじめて金銭との悪縁を断ち切ることができた、ともいえる」

国語の時間では当然扱わないような話、かといって、スキャンダラスなネタとして軽く扱うのでもなく。漫画として描かれて、表情がくっついてくるだけに、読後にこちらに張り付いたものも重たい。

なんとなく自分のことのように思えてくるからだ。

「繊細であると同時にどこか無神経で 性格に整理のつききらないところがあった」

「自分にはひとの心をたやすく動かす文芸の才がある という自信をもてあそぶ若年の客気が とりわけ北海道放浪以前の啄木には漲っていた」

「啄木には 至るところに憧れの人 懐かしい人をつくって思い浮かべ 生活上の苦境を忘れようとする癖があった それは彼の自己防衛の手だてでもあった そんなときにも注ぎすぎたコップの水のように歌があふれるのだった」(第3部『かの蒼空に』より)

計画性がなく、向き合わなければならない現実から逃げ回る、浅ましくて厚かましい。

逃避行動から生まれる啄木の歌は、エアポケットに投げ込まれていく。

金田一京助のイネーブラーぶりも、どこまでも凄まじい。啄木のような破滅的な人間の周りにいる人も只者じゃないということなんだろうか。

そこには日露戦争後の社会不安が陰を落としている。当時権力を持っていた政治家や軍事の思惑も合間出てくる。

いやーしんどいですよ、第三部はとりわけ。

 

谷口ジローの描き込みが、展示でもみたけれども物凄い(としかほんとうに言いようがない)。画力もそうだけれど、考証がすごいのだ。当時にタイムトリップしているような感覚を覚える。日差しとか、影とか、匂いとか。お湯の熱さ、質の悪い酒の味とか。活劇の様子とか。リサーチが只事ではない。

その明治の中でもエピソード毎に時間を行き来詩、同時代の人々が交友し、すれ違う様を草葉の陰から見ている気分になるのも面白い。映画のような表現の面白さと、東京に一極集中しはじめたときの「狭さ」がよく現れている。

 

男たちが国家とか文学界とか師弟関係とかで「苦悩」をやっている間に、女達は実は喜んでいたのではないかと思う。

樋口一葉も、平塚らいてう(明子)も、与謝野晶子も、言葉を得た。大きな格差はあったものの、言葉を武器にすれば闘えるということを知っていった。「自己を抑制しない女性」「新時代の女性」として。

もちろん明治維新になって、家父長制と戸籍が生まれ、女性の人権がより男によって掌握されることになっていく時代という背景は含みつつも。

この物語は男がメインなので、エリーゼ(鷗外のドイツ時代の恋人)も明子も一葉も内心の言葉を与えられていないところに、この時代においての男女の関係の遠さと歪みが表割れている。扶養家族、子どもの世話担当、性の対象。

漱石「女も僕からみれば言うことなすことことごとく思わせぶりだ それが女だよ 女性の中の最も女性的なものだね」

啄木に至ってはあからさまなミソジニーだ。この女性への眼差しも読んでいてつらいし、怖い。つらいように描いているのか? 初出の媒体『WEEKLY漫画アクション』が成人男性向けの漫画雑誌だから?

平塚らいてう森田草平の経緯と顛末に至っては、読んでいてなんだか気持ちが悪くなった。これは好みの問題もあると思うけれども。でもそれだけでもない気がする。私は何にムカムカしているのだろう。

 

漱石山房記念館の展示を見て、自分が起こした心中事件を小説にするってどういうこと?と思っていた方には(いるか?)第3部をぜひおすすめしたい。しんどいけどね。ほんまに。

第4部、第5部もそのうち読む。

 

漱石山房記念館(新宿区)
https://soseki-museum.jp/

森鷗外記念館(文京区)
https://moriogai-kinenkan.jp/

樋口一葉記念館(台東区
https://www.taitocity.net/zaidan/ichiyo/

石川啄木記念館(盛岡市
https://www.mfca.jp/takuboku/

石川啄木について(文京区立図書館)
https://www.lib.city.bunkyo.tokyo.jp/burari/index_1074.html

田端文士村(北区)
https://kitabunka.or.jp/tabata/

平塚らいてう記念館(上田市
https://www.culture.nagano.jp/facilities/631/

与謝野晶子記念館(堺市
https://www.sakai-rishonomori.com/yosanoakikokinenkan/

小泉八雲記念館(松江市
https://www.hearn-museum-matsue.jp/

 

2020年の小泉八雲展の鑑賞記録(新宿歴史博物館)

hitotobi.hatenadiary.jp

 

幸徳秋水展、これ行きたかったなあ!

www.kochi-bungaku.com

 

『鷗外の怪談』鑑賞記録

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展示《琉球》展 @東京国立博物館 鑑賞記録

東京国立博物館で開催中の琉球展に行ってきた。友達が招待券をくれて、一緒に観た。

www.tnm.jp

tsumugu.yomiuri.co.jp

 

青い日記帳さんのブログ記事を読んで、祭祀のコーナーは絶対に観ねばと思っていた。

bluediary2.jugem.jp

 

とてもよかった。琉球王国について、ざっくりとしかしらなかったし、今もそんなに詳しくなったわけではないけれど、テキストでも映像でも又聞きでもなく、展示の助けを借りながら、自力で歴史をなぞってみたという経験は残る。

そこに物があるからこそ、「いっぺん真剣に理解してみよう!」と思える。ミュージアムってやはりありがたいのだ。

 

観終わってけっこうがっくりきてしまった。

かつて王国として、近隣の諸外国と活発に交易し、中継地として様々な物や技術を交換したり積極的に採り入れて、新しい製品や作品を生み出す才覚を発揮していた琉球。政治的にも中国の臣下となって、安泰な関係を継続しようとする外交手腕。

言語も宗教も社会の規範も含め、独自の豊かな歴史と文化を築いて400年存在していた国を力で征服して途絶えさせたこと、植民地扱いにして下位に位置付けてきたこと、そしてその流れは今も根本にあること、などにがっくりくる。

展示を見ているだけの感想なので、なんの根拠もないが、当時の本土よりよっぽど国際的な感覚を持っていたのではないかと。この年表を見ると、江戸幕府鎖国をしていたときも、琉球王国は栄えていたわけだし。
歴史年表/沖縄県 https://www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/land/koryu/nenpyo.html

 

南方の珍しい文化や風習に惹かれて、植民地主義的な好奇の眼差しを向けていたことは確か。そういった眼差しが、この展示には一切なかったのがよかった。

「沖縄復帰50年記念特別展」あくまで一旦、「琉球」に主眼を置いているのもよかった。現代の沖縄を取り扱おうとすると、切り口が膨大すぎるし、複雑になりすぎる。そもそも歴史がわかっていない。だからまずはここから、というアプローチはよかった。

また、商業的な紹介の仕方でいくと、どうしてもステレオタイプで、大衆迎合的で、人気取りを目的にした熱の高い見せ方になりがち。学術的な立場から平熱で一つひとつ差し出してくれるのは、やはりミュージアムならではの態度。社会になくてはならない機能。第一会場では歴史を押さえ、少しずつ服飾や祭祀なども紹介していく流れはよかった。最初にテンション上がる展示だと、地味な(すみません)ところに目が行きにくくなるから。

もちろんこの展示ですべてを網羅できているわけではないだろうし、抜け落ちているものも多数あると思うけれども、でも珍しがって喜ぶのとは全く違った姿勢で、琉球と出会えた実感があって、少しほっとしたところがある。

 

ただ、展示のパネル解説やキャプションの言葉が難しすぎて、まったく頭に入ってこなかった。特に第1会場の前半は難しかった。学術的な見地から解説するには、固有名詞や専門用語を使わざるを得ないのかもしれないが……。わかってる人がわかってる人に説明しているだけに感じられた。

結局私は英訳を見てなんとか理解した。これって、キャプションでわからない人は有料のオーディオガイドを買ってねってことだろうか。いや、ミュージアムってそうじゃないよね……。


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鑑賞メモ

・the 50th Anniversary of Okinawa's Reversion to Japan、
 復帰→Reversionの定義:a return of something to its previous owner (Cambridge Dictionary

禅宗寺院が数多く建立される。王が帰依。1492年円覚寺菩提寺になる。沖縄戦で壊滅。

https://oki-park.jp/shurijo/info/6466/6481

・1579年 アブラハム・オルテリウス編の「東インド諸島とその周辺の地図」/『世界の舞台』、日本が丸く、「大和」よりも琉球の存在感が圧倒的に大きい。

・3〜4世紀のローマ帝国の貨幣や、1687年のオスマン帝国の貨幣が遺跡から出土している。/14〜15世紀 高麗の技術を使った瓦/16世紀 タイ製の壺/15-16世紀 ゴミ穴から出てきたヨーロッパ製のガラス片/17世紀頃 インドネシアの短剣など、活発な交易の跡。

・天目とは:https://www.minoyaki.gr.jp/archives/craft/tenmoku
 https://kurodatouen.com/blog-sk/20181110-2

琉球の宮廷音楽。御座楽(うざがく)。三線だけじゃない、琉球の楽器。

http://rca.open.ed.jp/music/courtmusic/index.html

https://hubokinawa.jp/archives/13265

https://www.tokugawa-art-museum.jp/about/treasures/instrument/006/

・着物。「小袖」字は同じで読みが「どぅすでぃ」。単と袷があるが、展示で多かったのは単。一般的に小袖といえば、大袖(袖口の広くあいた表着)の下に着た、袖口が途中まで縫い詰められた着物を言うけれど、琉球の小袖は袖口が全部あいている。気候の関係(暑いから)だろうか。2020年の「きもの-KIMONO」展の図録に何か情報があるかなと思ったが、琉球の着物についての記載が自力で見つけられなかった(あるのかもしれない)。

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・16世紀初め、聞得大君(きこえおおきみ)を頂点とする神女組織ができる。ノロ、ツカサ。奄美宮古八重山で王国の反映と村落の幸福を祈る祭祀を執り行う。/女性が祭祀を司るのは、姉妹が兄弟を守る琉球の「おなり神信仰」に由来する。

https://www.marukiyo.jp/blog/history/ryukyu_history/1685/
http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/site/%E8%81%9E%E5%BE%97%E5%A4%A7%E5%90%9B%E5%BE%A1%E6%AE%BF%E8%B7%A1%E3%80%80
http://www.tomiokahachimangu.or.jp/sH1902/htmShaho/p04.html

覚えておくと、また別のところで出てきそう。聞得大君は英語でKikoe-ogimi

(Supreme Priestress)となっていた。なるほど。大きな玉や勾玉のネックレス「玉ガーラ」は神女の地位を象徴する神具。アイヌにもこういう神具があった。やはり「ビーズ」には力があると考えられていたのだろうか。

ノロの写真に手の入れ墨「ハジチ(針突)」が見える!『ばちらぬん』で出てきて、初めて知った風習。琉球時代からのものだったのか。

https://mainichi.jp/articles/20191102/k00/00m/040/204000c

夜光貝でできた匙、貝でつくった斧、ジュゴンの肩甲骨でできた装身具などを見ていると、魚、貝、海獣が食糧になっていたということがよくわかる。内地の遺跡で見たことがないものが多い。

・本土と琉球(沖縄)では時代の名称も違うらしい。(北海道も違うが)

旧石器時代ーー貝塚文化(土器出現〜)ーーグスク時代(農耕開始〜)ーー>

おおまかに。地域によっても分け方や名称が違うらしい。https://www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/land/koryu/nenpyo.html

・「冊封使(さっぷうし)」英語でenvoy(使節
琉球新報のこの解説、キャプションにほしかった。。https://ryukyushimpo.jp/okinawa-dic/prentry-41495.html

・模造復元、Reproduction 歴史を知る、過去の技術から学ぶ、技術の継承の機会

久米島宮古八重山で布を織らせるための図案集がよかった。手描き。それぞれの土地で特産の布が違った。

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・前にTV(「美の壺」)で見た芭蕉布の紹介番組。
https://kininarutips.com/tsubo-445/

・美術。虎の描き方が独特。カワイイ。

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・中国・福州(Fuzhou)と那覇港の海運ルート。福州って聞いたことあるなと思ったら、中国に一番近い台湾の領地か中国の領土か微妙な「馬祖諸島」の近く。こうして見ると、沖縄と台湾はめちゃくちゃ近い。それはお墓や線香や紙銭なども似てくるはずだ。

・1609年 島津氏の侵攻を受ける。
「中国皇帝の冊封を受けながら」(tributary relationship with China:つまり中国の属国としての関係をつくりながらってことか。なんでこんな難しい日本語を。。)
「島津、徳川の影響下に置かれた」(became a vassel state of:付庸国になった、つまり宗主国から一定の自治権を認められているが、その内政・外交が宗主国の国内法により制限を受ける国家
1868年 明治政府が「琉球処分」(desposed)を行い、沖縄県になった。
特にここの箇所のパネル解説は、あまり正確に表現されていないのではないかと思った。。

・喫茶の文化。本土からの茶道と明の煎茶の文化が混ざる。ちゃんぷるー。

沖縄戦のとき、うたきはどうなったんだろう?>>砲弾が撃ち込まれたそう。。(なぜか焼肉屋さんのHP)https://bit.ly/3G9JzLq

・ハビラ(沖縄では蝶のこと)精霊

・鎌倉芳太郎の研究。大正13年に取り壊しになりかけたときに、死守した。たしかに安礼門の写真は、ボロボロでいまにも崩れ落ちそう。鎌倉の遺した記録のおかげで、1768年の大規模修理の際の平面図など、戦後の再建に役立ったそう。やっぱり記録大事。残そうと尽力する人、ありがたい。

首里城
https://oki-park.jp/shurijo/about/
復旧の状況:https://oki-park.jp/shurijo/fukkou/

 

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mainichi.jp

www.asahi.com

 

去年シネマ・チュプキ・タバタさんで観た琉球、沖縄に関する映画。

hitotobi.hatenadiary.jp

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2022/6/23-8/21 沖縄の美 日本民藝館

https://mingeikan.or.jp/exhibition/special/?lang=ja

 
 
 
 
 
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*追記* 2022.6.30

子に教えてもらった番組。中継貿易や明との関係がわかってすごく良い。

https://www2.nhk.or.jp/school/movie/bangumi.cgi?das_id=D0005120535_00000

 

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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年

本『二十歳のころ〈1〉1937‐1958―立花ゼミ「調べて書く」共同製作』

立花隆著『二十歳のころ』。2巻。〈1〉1937‐1958 〈2〉1960‐2001

www.hanmoto.com

www.hanmoto.com

 

2021年4月の死去の報せを見て、一番影響を受けた著作は何かと考えたら、やはりこれだった。

きっかけは、2007年頃に通っていた文章演習の講座で強くおすすめされたから。2冊とも買って読んだ。

印象に残っているのは、気になる人に話を聴きに行くとか、下手でもとにかく書いてみるとか、世代を超えて接点をもつというところ。インタビューというものを意識した最初の経験かもしれない。

当時、私は今のような仕事を思いついてすらいなかったので、インタビューも自分からものすごく遠い場所にあった。ライターとか作家とかメディアとか、そういう特別な仕事の人がやるもので、自分はそれを読むだけの側だと思っていた。

今の自分なら、個人史を聞き取るおもしろさとか、世代が移り変わっていくことをインタビューを通して実感できるとか、またいろんなインスピレーションが湧きそうだ。もしかしたらムラ社会ではこういうふうに年長者の話を聞きながら自立していったのかもしれない、なども。

 

「若い人」の助けになることなら大人は喜んで協力したいという気持ちがある、ということもこの本で最初に知ったかも。この頃はまだ子どももいなかったから、「若い人」も遠い存在だった。私自身、20歳前後で大人と交流した記憶があまりなくて、ピンときていなかった。

この本を読んだときの私は、もういい大人だったにもかかわらず、むしろまだこちらが「話聞かせてください」と言える立場ぐらいに思ってたかもしれない。ひぃ〜。大人になるのが本当に遅かったな。

その後、何度か学生さんのゼミ発表やレポートのために協力する機会があり、こういうことかとわかったけれど。

もちろんお願いの仕方はとても重要。

たまたま昨日ツイッターを見ていたら、「『インタビューしてレポート提出が大学の推薦入試の条件になっているので、お時間ください』って依頼が来て、いや、うちの大学受けるのでもないのに、なんで協力せなあかんねん。その大学が受け皿用意しろや」という投稿を見かけた。ああーこういうのは……あかんよね。

 

若いうちだよと思うのは、年齢が重なっていって「大人」になっちゃうと、お願いしづらくなる。

それぞれに自分の仕事を持つようになるし、他人のために時間を使うことに対して、シビアにならざるを得ない面も出てくる。

私も以前、「読書会を自分でも主催したいので、いろいろお尋ねしたい」というご連絡を知らない人からもらったときに、「そういうアドバイスはお仕事でやっていますので、有料になりますが」とお返事したら、「いや、経験から学んだことを教えてほしいだけです」と言われて、いやあ……それが仕事なんだけどなと思ったことがあった。これが中学生や高校生なら喜んで話を聞いたり、知っていることをシェアしたと思う。

もちろんそれ以外にも友情から提供することもあるし、何かすごく困っている人がいれば手助けすることもあるし、仕事だから絶対お金もらわないとやらない、というわけではないけれども。

たとえば、同じ話を聴きに行くといっても、和田靜香さんが国会議員に話を聞きに行ったこの取り組みは、対話から学び合う共同制作。これはよかった。

 

『二十歳のころ』に影響を受けている大学の先生は、今もたぶん多いと思う。

そしてなぜここに本のことを書いたかというと、手放しちゃった後悔が深いからなんだよな。ざくざく片付けることは良いことだと思って、当時大量に本や雑誌やパンフレットを手放していたけれど、必要なときになくて「やっちまった」と思うことがしばしばある。

とはいえ、今読んだら読んだで、「家父長制社会」「男社会」「女性蔑視社会」など当時は気づいていなかった実相にぶち当たるかもしれない、それでダメージ食らうかもしれないので、いきなり買い直すのは怖い。

まずは図書館でパラパラめくってみようかな……。

 

www.asahi.com

www2.nhk.or.jp

 

立花隆といえば、この本も影響を受けた。
『宇宙からの帰還』(1983年)

高校時代に友達が貸してくれて読んだ。この頃はまだスーパーヒーロー幻想が幅をきかせてる時代だった。社会的な成功者や偉人の外側だけが見られていて、内面に何が起こっているのかなどを描く物語が少なかった気がする。それも「男社会」の構造だったのかな。

感想は「宇宙飛行士もまた人間だったのだ」というごく当たり前のものだったけれど、いや、それこそが若い日の重要な体験だったと今は思う。

〈新版〉になって何か補稿があるのかな。

 

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映画『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』鑑賞記録

映画『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』を観た記録。早稲田松竹で上映があってラッキーだった。

child-film.com

wasedashochiku.co.jp

 

youtu.be

 

まずびっくりするのは、アメリカ映画だけど、中で人々が話している言語はほぼスペイン語なこと。スペイン語を勉強してる人が観たらよさそう。特に南米のスペイン語スペイン語圏の現代史を学んでいる人。スペイン語はスペインでだけ話されているわけではないんだな。

もちろんスペイン語だけではなく、ここでは167か国語が話されているそう。

その異なる文化圏を順繰りに移動する、そのスピードが早すぎて切り替えられない。それぞれの文化の生活にどぼんどぼん浸かる。けっこう酔った。多様性って、そうだ、こういうことだ。

国立民族学博物館に長時間滞在して、いろんな文化の品々に触れて、楽しくて興奮しっぱなしで、だんだん頭が痛くなってくる、あの感じだ。脳が情報処理しきれなくなって、クーリングのファンがずっと回ってる感じ。怖さもある。異文化に自分が侵食されているように感じるって怖さがある。美意識、風習、慣習。違いすぎると拒絶感が生まれる気持ちもわかる。わかることがまず大事だと思った。

 

ジェントリフィケーションが進行していくのがリアルに感じられたり、移民が日本に増えてきたらこうなるのか、みたいなことを今までよりも現実味を持って考えた。

2015年の製作で、ここから7年経っているわけだけど、今は現地はどうなんだろう。

Googleストリートビューで訪ねてみたけれど、あのショッピングセンターがどこにあるのかはよくわからないかった。

 

最新作『ボストン市庁舎』でも市民の生活には踏み込んでいるけれど、これはもっと地べたに降りている。まちに根ざしている。市民同士のやり取り、生きること、働くこと、そしてルーツに食い込んでいる。食い込んでいるけれど、写し方はワイズマンらしく淡々としている。

 

大きな縦糸としては3本。立ち退きを迫られている商店主たち、中南米からの移民の人たち、まちを特色づけている一つであるLGBTQの人たち、街角のバンド。そこに細かなまちの風景や生活の現場が入ってきて、彩り豊かにしている。

 

東京で言うと、池袋西口か、御徒町か、新大久保か。映画館を出たあとに高田馬場の駅まで歩いていて、映画の中の世界とそう大して変わらんなと思った。このへんの感じはどこで見るか、どこに住んでいる人が見るかによって全然感覚が違いそう。

東京の中にもこの映画で映っているような、私の知らない異文化が生きているエリアだったりコミュニティだったりがあるんだろうな。

ニューヨークに行ったことのない私が、ジャクソンハイツにとても親近感を覚えるというのも不思議な感覚。

きょうもあのまちで人々の生活がある。

 

ーー鑑賞メモ  ※未見の方はご注意ください ーー

・モスクでの礼拝、祈り言葉「イスラム教を信じないものを卑しめ」「悪を避けるために神がいる」

・「1990年7月1日 フリオ・リベラが殺された日。だけど捜査されなかった」「たまたまゲイだった」「この町でゲイ・パレードが成功したのはラテンアメリカの人々のおかげ」
>>Julio Rivera Corner|NYC LGBT Historic Sites Project https://www.nyclgbtsites.org/site/julio-rivera-corner/

・「私たちが成し遂げた成果に誇りを持ちましょう」アメリカらしい。

・前編にわたって音楽が途中途中で挿入される。街角のバンドが多い。音楽は超える、つなぐというメッセージか。

・市民権を得たい移民のための相談センター。「養子縁組してもどうにもならないのよ」シビアな現実。

ユダヤコミュニティセンターに間借りして開いている中高年ゲイのサークル。「心から落ち着ける自分の場所がほしい」「ホモフォビアと長年戦ってきた」「信徒じゃなくても会合に使わせてくれた」「ここには何かがあるからくる。利便性がいいからじゃなく。みんなが来たくなるような場所にするのがいい」コミュニティの本質!

・「なぜアメリカ国民になりたいか聞かれたら?」と語学学校の先生らしき人。「民主主義があるから」と答えてほしそう。でも「言論の自由があるから」「宗教の自由があるから」と答える生徒たち。「それは基本的人権だから」と先生。それ以前と言いたげ。でも基本的人権が抑圧されている国から来た人はそれがないんだよーと言いたくなる。「でもまぁいいわ、言いたいことを言って」何か審査のための準備なのかな。

・商店の立ち退きが一つ、このドキュメンタリーの縦軸になっている。「大企業が入ってきたら、小さな店は追い払われた」「団結して権利を主張しよう」美容室、映画館、酒屋、レストラン、、

・BID(Business Improvement District)経済発展地区は誰のため。「商店経営に先にゆきがないと思わせて」「投票しないと賛成扱いにしている」ひどい。でも日本の選挙もそういうふうになってないか?

ルーズベルト通りのスーパー。ぴかぴかの野菜が並ぶ。水槽に入った魚。生簀?美味しいのか、これ。。肉屋。生々しい肉。でもどれも食料。

ニューヨーク市議の事務所で問い合わせ(というかたぶんクレーム)を受ける女性の事務員2人が交互に映る。話題はどちらもホームレス関連っぽい。なりっぱなしの電話。

・けっこう長いこと話していても、よほどのことがなければ割り込まない。スピーチ文化。

・教育法について。固定電話を使ったテレカン。Zoomを使ってる今見ると懐かしい。でも音はこっちのほうがいいのかも。「公立校の生徒が私立校、宗教校へ。頭脳流出している。子どもが地域の学校に通えるように高校まで一貫して」興味深い話

・でっかいコインランドリー。店内でコンサート。観ている人が真剣なのか無関心なのか、表情から読みづらい

・歩いてきた人がゴミ拾いのボランティア(教会系)の人たちに突然話しかける。「父のために祈ってくれない?あと数日で亡くなりそうなの」「いいわよ」と輪になって彼女を囲み、祈りの言葉を唱える。終わると「Thanks, bye」と去っていく人、またゴミ拾いに戻るボランティアたち。このシーン、スゲーー!!

・まちかどのTV、サッカー中継。「コロンビア、コロンビア!!」スポーツがルーツを同じくする人たちをつなげる。

・50軒の商店が立ち退きを迫られている。ニューヨーク全体の問題。ブルックリン、ブロンクスロングアイランドどこでも。家賃が高くなって住めなくなる。そこに入ってくるのがGAP!!でかでかと70%OFFの看板。自分もこういうものを購入している。

・「俺たちの代表する政治家がいない」ほんとこれだよ

・インド系の美容の店。糸を操ってフェイス脱毛する。マッサージもしてくれる。気持ちよさそう。映像観ているだけでもリラックスする。

・スーパーのビン、プラスチックの回収BOX。ドイツのPfand。これ日本にもあればいいのに。

・花屋。色とりどりの派手な花。生花なのに人工感あふれる。立ち並ぶ商店の感じがアメ横っぽい。

・冒頭にも出てくる中南米からの移民のコミュニティの証言。「子どもをつれて国境を超えた経験を話してくれませんか?」「2週間砂漠で迷子に」「手配師に財産をまきあげられた」「麻薬を運ばされて」「子どもを誘拐されて」この話、ほんとうにどこでもあるな。。どこででも起こることなのだろうな。。けっこう長い話をしていた人だったけれど、みんな静かに聞いている。ワイズマンの映画を見ていると、とにかく「ピアサポート」の場が多い印象。同じ立場の人同士が分かち合う場と具体的に相談する窓口と両方がいつもある感じ。

・夜、ホームレスの人たちにパンの配給。

・タトゥーの店、実際の施術をじっくり見せる。もういいよー!というぐらいじっくり撮る。「400〜500ドルで2日で完成」けっこうカジュアルにできるんだな。。

・市議会から表彰を受ける地元の名士的な人。イタリア系の名前。余興でお色気たっぷりの芸人が呼ばれて出てきて踊る。こういうのいかにもオッサン的な文化で嫌だけど、あるところにはあるんだな。今の時代もやってるのかな。。みんな楽しそうだけどね。

・アジア系の飲茶的なものの屋台。アラブ系の小学校?クルアーンの暗唱?先生は英語で話しかける。

・80代、90代ぐらいの女性たちのおしゃべり。「自殺する勇気があれば」「長生きの秘訣は?」「ひとりでは何もできなくなる」「お金払って話にきてもらえばいいじゃない。お金でなんでも買える」。。噛み合わない会話。

・LGBTQパレード。No mas descriminación!

ハラールの鶏の解体場。祈りを唱えて切る、捌く様子をじっと撮っていく。センセーショナルではなく、他のものを撮るように、淡々と。うわーうわーと思いながら、つい見てしまった。。なかなかこういうの見る機会ない。。だんだん知っている形状になっていき、出荷。

・移民同士の労働環境についてのピアサポート?ひとりのエピソードに対して、それはおかしいから言ったほうがいいとメンバー。「互いに助け合い、一緒に成長していければ」

・インド系の店。ボックス席。食べているのはファストフード。

ベリーダンスの教室。

・BIDの話。都心の住宅不足→→富裕層がジャクソンハイツのような中心から少し外れたところにやってくる。マンハッタンまで「7号線で30分」だから便利→→不動産投資家も増える。→→固定資産税が上がる。→→家賃に上乗せするしかない。→→家賃が高すぎて、賃貸契約を更新しない、廃業する店子が出てくる→→店主はローンが払えず破産する。。そういう仕組みか。。「金を持った人々がよそから映ってきてまちを破壊する」

・「以前は何を売ろうが、商売が下手だろうが、店主ひとりで売り上げが出ていた」「小さな店、露天商がジャクソンハイツを作っていた」失われていく地域の独自性、のっぺりとしたまちになっていく危機感。「住民や家主は次に何が起こるかわかっていない」「何が起きているか知り、学び、反対する」「陳情すべき、政治家の責任だ」「説明会に出て1人2分、意見を言ってほしい」これ、遠い話じゃない。なんのせいなのか、だれがわるいのか。こういう運動があることはやはり大事では。

・民主的な手続きを踏もうとするところも重要。

・教会。カトリックの説教「利己主義は私たちを間違った場所で極端に走らせる」

・スタバで無縁墓地について話す高齢女性たち。編み物をしながら。話題がネガティブなのかポジティブなのか、噂話なのか愚痴なのかなんなのか、トーンが不明。

・再びプライドパレード。退役軍人の会、婦人グループ、ニューヨーク市議会、LGBTQの人たち。

・犬用ウエア、トリミング、ヘアカット。ほんとうにいろんなお店がある!

・「多様性センター」アフリカ系アメリカ人、女性、トランスジェンダー、マイノリティに関する対話。「自分のグループや自分の友達がほしい」

ユダヤ教の会堂。誰かが説教しているが、参加している信徒がごく少数。

・移民サポートの会。身分証普及活動。「ID申請をしよう。IDは機会を与える」手続き、住宅、図書館、「逮捕されることを恐れず警察に助けを求められる」それがたぶん一番怖いこと。想像がつかないけれど。「この国のすばらしさは多様性。私たちは奪うのではなく進歩するためにいる。自分の仕事と国を誇りに思おう」多文化共生とずっとずっと格闘してきた国の歴史を垣間見る。

・タクシー運転手の講習会。多言語。フランス語、アラビア語チベット語。。それぞれの出身言語をたとえに出しながら、ジョークを交えながら、ノリよく説明していく講師。

・移民サポート。不当解雇についての相談をみんなで取り扱う。とにかく場をつくって語り、解決策をみんなで考える。そういう文化なのか。「お金を盗もうとする人は相手は誰でもいい。同じ国の人でもいい。人は1ドルでも必要となったらなんでもするんです」これだよなぁ。。。

 

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この本、積読になっている。

 

翻訳の山納洋さんのトークイベントでお話を聞いた。

山納洋さんと、〝頼まれてもいないことをする、という方法〟の現在地点 」

note.com

 

この映画も思い出す。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

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国際博物館の日 朝倉彫塑館 訪問記録

5月18日は国際博物館の日。

www.j-muse.or.jp

毎期だいたい訪れている朝倉彫塑館が入館料無料になっていたので、行ってきた。

平日午後にしては来館者が多い。さすが博物館の日。

 

ミニ展示は「朝倉文夫の意外な仕事2」。

展示品は2種類あって、一つは大東京祭りの記念バッヂ。

大東京祭りとは、江戸城が築城された1457年から500年後の1957年の都民の日に始まったお祭り。1987年からは「ふるさとまつり東京」と名前が変わりつつ、毎年開催されている。知らんかった。

tokyodouga.jp

東京ドームで、日本各地のうまいもんが一堂に会したり、祭りのパフォーマンスがあるというイベントでしょうか、見た感じ。https://www.tokyo-dome.co.jp/furusato/

1957年当時はあんまり娯楽がないからすごく盛り上がったんだろうなぁ。朝倉文夫がその最初の3年のバッヂをデザインしたそうです。何かの花や白鳥のモチーフ。服につけて入場証の代わりにしたとか。

展示されていたのは、個人のコレクションで、大東京祭りのバッヂといえばカッパのモチーフでその界隈では有名なのだそう。へぇ。

 

意外な仕事の2つ目は文鎮。そういえば父の書斎にもあったわ。仕事に使う資料の紙が積んであることが多いので、窓を開けたときに飛ばないようにしてた。朝倉文夫の文鎮はかなり大きくて重量もありそうなんで、父が使ったら重宝しそう。

 

今まで何回も来ているけれど、展示されている作品は毎回ちょっとずつ違う。こういうのも作ってたのかとか、展示場所が変わると違って見えるなとか、いろいろ発見がある。

たとえば、きょうは「墓守」が笑っていることに初めて気づきました。あまり口元を見ていなかったんですが、きょうは日が当たる時間帯だったので、ニカッと笑った表情がいきなり目に飛び込んできた。

父母の胸像のところで、「父は3時間でできたけど、母は1ヶ月かかった」と書いてある。確かに表面の処理や微妙な表情の付け方とか、父と母で全然違う。行ったときにぜひ注目してほしい。

 

キャプションのプレートも新しくなっていて読みやすい。音声ガイドの番号が書いてあったけど、どこで聞けるんだろう。ウェブサイトを見てもわからなかった。

 

庭は青もみじや青梅などが美しくて、居間、茶室、寝室と、場所を変えてずっと座っていた。光、水の動き、鯉の泳ぎが池に映る景色に吸い込まれてはまた現れる様など、現実を忘れる。もしかして極楽浄土には池があるかもしれないなー。

寝室が水辺にあるというのもよく考えたらすごいことだな。落ち着いて眠れそう。うらやましい。住みたい。

 

隣の敷地が工事中で音がしていたのが残念だった。マンションが建つのかな。景観が損なわれませんように。


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朝倉文夫の子、朝倉摂の展示「生誕100年 朝倉摂展」が今、神奈川で開催中。

その後、6月26日~8月14日、練馬区立美術館に巡回とのこと。観に行く!

www.fashion-press.net

 

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【資料置き場】女性の貧困

「女性の貧困」に関する資料を置く投稿。随時更新予定。

★資料置き場とは……
自分が調べ中のテーマに関する資料の一部をブログのページでつくっておくと、自分も整理しやすいし、他の人にもシェアできていいということに気づいて、何本か試してみています。
ブックマークやEvernoteをただ作っておくよりは、共有知にしたり、インスピレーションとして使ってもらうこともできるかも。

————————

 

www.asahi.com

 

web.sekaishisosha.jp

本『自分で始めた人たち』読書記録

『自分で始めた人たち 社会を変える新しい民主主義』宇野重規/著 を読んだ記録。

 

本書の刊行記念イベントで『時給はいつも最低賃金〜』の和田靜香さんがゲスト登壇されていて知った。

イベント自体はうっかり申し込み忘れたので聞けなかったが、和田さんのツイートによるととてもよい場だったらしく、せめて本は読もうと思って。

 

タイトルから想像するに、「自分で始めた人たち」だからきっと何かを興した人たち、それも市井の人たちであろう。そして、「社会を変える新しい民主主義」というサブタイトルからは、市民がそれぞれに思う切実さの中から立ち上がっていく民主主義の姿が感じられた。

「民主主義、改めて今考えたい!」と意気込んでページをめくってみたら、全然別の感想が湧いてきた。

 

わりと私がここ10年ちょっとぐらい慣れ親しんでいた社会(的)起業、社会運動、市民活動などの話だったから。

あ、そうか。これは民主主義だったのか。

そういう驚き。

またあっという間に付箋だらけに。

いろいろ考えることはあるけれど、断片的な思いつきに終わって、なかなかガツっと言い得ていない。悔しいけれど、とりあえず「読書記録」ということで、気軽に書いていこうと思う。


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この本は、東京大学主催の「チャレンジ‼︎ オープンガバナンス(COG)」という企画の審査委員をしてきた著者の宇野さんによる、受賞者や審査委員の人たちへのインタビューがベースになっている。

park.itc.u-tokyo.ac.jp

 

「オープンガバナンス」という言葉も今回初めて知った。「市民と行政が協働で地域の課題解決に取り組むこと」らしい。

読者が「オープンガバナンスを通じた社会変革に加わること、そして日本に真の意味での民主的な政治参加の文化が定着することが、この本の目指すゴール」だそう。それってつまりどういうこと?というのが、本文で示されていく。

第1章は、沖縄出身の高校生と元キャスターで研究機関や国際機関の役員、そして宇野さんの3人が話す。

アメリカで経験したフードドネーションを沖縄でできないかと思ってやってみた!という高校生の話に、しょっぱなから「なんでできたの?」「どうやって人を巻き込んだの?」と食い下がって聞く大人たちの姿がいい。完全に教えてもらう姿勢。受け止め、素直に驚き、問いかけて発展させていく宇野さんの立ち位置、聴き方もいい。

あ、なんかいいなこの感じ、と思って、この先を読み進めるのが楽しみになって、最後まで付箋を貼りながらじっくり読んだ。

 

2章、市民が政府のデータや情報にアクセスし、自ら社会的課題の解決に取り組む「オープンガバナンス」は日本でもできるのか。

3章、潜在保育士と保育園とのマッチングアプリのアイディア。「Code for Kusatsu」とデジタル世代の若者との協働。

4章、土地に根ざすこと、歴史を掘り起こすこと、地域を求心力にしつつ、他地域と連携すること。

5章、里親同士を繋ぐネットワークと行政との協働。社会的擁護の子どもたちの気持ち。(この齋藤さんだけ一対一の対談になっている)

6章、統計を見る力は民主主義の基盤になる。統計を見ることと、一人の人間として相手を見ることとは、両立する。

 

そうだ。今までうまく言葉にできなかったけれど、民主主義って「日常に根差し」たものなのだ。

「人々が自分たちの社会のことを、自分たちの力で解決していく」
「社会を変えようとすること」
「政府や企業などの組織におけるポジションとは別の、何かその方の人格に根差す『人間力』のようなものが重要な働きをしている」

そうそう、そうそう。

もしかしたら、本書に登場する人たちに聞いても「民主主義をやっている」とか、「政治参加の文化を醸成している」とは自分からは言わないかもしれない。自分の切実さがきっかけになって、みんなのためにやっていたらこうなったっていうだろうな。でもこれぞ民主的なプロセスだし、リーダーシップの発揮だ。

政治がこの動きを歓迎して、もっと市民自ら動きやすく、もっと民主主義を市民のものにする手助けをしていかなくてはいけないと思う。理想や制度の話じゃない。
もうやってる人がいる、それが重要な社会の一部になっているという事実を受け入れ、信じていこうよ、というメッセージが見えてくる。

この本を読んで、「私にもできそう」と思う人は多分少ないと思う。事を起こすってすごいエネルギーがいることだから。まして、こういう場で発表するような人のエネルギーで大きい。

でも、「この人、この活動知ってる、見たことがある」とか、そこまでいかなくても「言ってることわかる、いいね」というだけでもけっこう違う。「民主主義とは、こういう活動が生まれてくるという可能性のことかも」と思うだけで、けっこう何かが違っていく気がする。

民主主義は、ただの理想でもないし、国の体制の違いのような大きな塊でもない。具体的で、身近にあるものとして、ここに並んでいる。くどいけれど、やっぱりそうなのだ。私自身、再認識した。

 

政治の話があまりにも政党間のパワーゲームに集中しすぎて(それはそれで理由はあると思うけれど)、政治が遠いものになってしまいがちだった、ここまでの何十年か。

だからこそ、政治参加がこういう活動や運動から経験できて、選挙の意味につながったり、政治の話をすることが当たり前になっていくいいな。そういう経験ができる人が増えると、きっとちょっとずつ社会は変わっていきそう。よくなっていきそう。

 

この本、他の見方もあって、ちょっと「お仕事図鑑」の趣きもある。

いろんな仕事や職業があって、その中でどんな動き方をして、どんな景色が見えているのか。喜びと難しさは何か。これからのキャリアを考えている人、迷っている人も読むといいと思う。

それから、場づくりを学びたい人にもいい。関係づくり、機会づくり、集いづくり。実際に何かやろうとして人の力が必要になるとき、どう仲間を集めるのか、どうコミュニケーションを図るのかなど。

7回連続講義を受けたような、充実した学びの時間だった。

 

社会学者の富永京子さんへのインタビュー記事。小さく声に出す、自分を客観的に見る、なども、繋がる話かも。

chanto.jp.net

 

こちらも冨永京子さんの著書を使ったコラム。「民主主義の話」と言ってもいいかもしれない。学校のワークでやってみたい。

www.kanjukutimes.com

 

この本も思い出した。村木厚子さんの著書『公務員という仕事』。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

宇野さんのインタビュー。こちらはガッツリした民主主義の話。「民主主義は生き残れるか」

www.toibito.com

www.toibito.com

 

タイトルが似てるこの本もよかった。元気出てくる。そういえば『自分で始めた人たち』のほうも女性が多いのです。たまたまらしいのだけど、何かを表していそう。

『自分で「始めた」女たち 「好き」を仕事にするための最良のアドバイス&インスピレーション』

 

 

おまけ。

第1章で他の若者へのアドバイスとして出てきた「高校生の立場を利用した方がいいよ」とは、本当にそう思う。

高校生に限らず、小学生でも中学生でも、とにかく若い人の力になりたい大人はたくさんいる。ガンガン利用してもらいたい。

そういうことを私も共著『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』の特に「シチズンシップのトリセツ」で書いたつもり。手に取っていただけたらうれしい。

 

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【書籍紹介】ジェンダー表現に迷ったらこの3冊

ジェンダー表現に迷ったらとにかくこの3冊です!

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『お客様が集まる!士業のための文章術』小田順子著(2013, 株式会社翔泳社)

付録「士業として使わないほうがよい言葉の言い換え集」の「4.差別語・不快語」が、「じゃあどう言い換えればいいんだろう?」「この言葉なんか違和感がある。他に言い方があるのでは?」と思ったときにすぐ引ける、言い換え例一覧になっています。

1.性別、2.身分・職業・職種、3.心身の状態・病気、4.子ども・学校、5.人種・民族・地域、6.俗語・隠語・不快語に分類されていて、調べ物はだいたいどれかの項目で見つかります。載っていない言葉は、自分なりの用例を書き足していってもいいと思います。

「なぜいけないのか?」という根本理解も大切ですが、それがどうしてもわからないというときは、とりあえず「型」から入るのもありだと思います。一覧を眺めているだけで、どういう軸で言い換えられているのかに気づくかもしれません。「これは不適切か、そうでないか」をチェックするという行為そのものが重要ですし、その日々の積み重ねから見につくこと、学ぶことは多いと思います。

このリストが2013年にすでに作られていたことに驚きます。ようやく時代が追いついたという感じでしょうか。(こちらの記事でもお勧めしました)

 

『記者ハンドブック 第14版: 新聞用字用語集』(一般社団法人共同通信社, 2022年)

用事用語集の項の「ジェンダー平等への配慮」(p.478〜p.480)用語数としては『士業のための文章術』と比べると少ないが、用語と言い換え例と共に、なぜその用語を使ってはいけないのか、言い換える必要があるのかの説明が端的にまとまっています。

「用語だけでなく、文脈でも注意が必要」という但し書きや、そもそも1956年の発行から、綿々と版を重ねてきたハンドブックに明記されたことが重要です。今はジェンダーの課題は避けて通れないということです。時代は変わっています。

新聞記事の大原則に基づいていますが、「社会前半の文章表記にも役立つように」との意図で編まれ、出版されているハンドブックです。書き手としても、校正や校閲の作業をするときにも、参考になります。

www.hanmoto.com

 

『失敗しないためのジェンダー表現ガイドブック』新聞労連ジェンダー表現ガイドブック編集チーム著(小学館, 2022年)

新聞記者やフリーランスのジャーナリストなど、メディア業界の中から立ち上がってきた動きでできた本。

用語の言い換え案の提示もありますが、上に挙げた2冊のような端的なものではありません。表面的なこと、テクニック的なことに留まらない、図象・表象における問題点(そもそも表象という観点)、ジェンダーの視点が必要な理由、無意識のうちに差別や偏見に加担してしまう構造を解き明かしてくれる本です。

読み進めていると、自分でも無意識に使っていたり、むしろ積極的に使っていた言葉や表現があり、胃が痛くもなってきます。その表現を使った理由が自分ではよくわかっているからです。でもあらためて、ここから始めていかなくては、とも思います。

※追記: 被害経験のある方は、表現例を見ることよってフラッシュバックが起きる可能性があります。ご自身の状況や体調を確認して読んでください。

 

以上、3冊ご紹介しました。

ジェンダー表現に自覚的になることは、文章を書くライター、人前で話す士業、広告制作の仕事をしている人だけでなく、日常のあらゆるコミュニケーションで言葉を使う人、つまり社会で生きるすべての人に関わることです。

SNSなどで誰もが発信者になる時代です。さらに、学校の学級通信やPTA便り、役所や企業の広報、宣伝など、普段から私たちは「ニュース」に触れています。それらは家庭や職場、地域などでの日常的な会話を通じてできあがった表現や慣習も反映されます。(『失敗しないためのジェンダー表現ガイドブック』より)

仕事や活動の中で自信を持って伝えられるように、よい人間関係が築けるように、誰もが知っておきたいことです。

また、不適切な表現を見聞きしたときに、「それはおかしい」と主張し、改善を申し入れるのに使える言葉や根拠が、これらの本にはたくさん載っています。

自分の身を守る術としても、ぜひこの3冊を頼りにしてみてください。

 

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展示『世紀をこえる煉瓦の棟』@国際子ども図書館 鑑賞記録

『世紀をこえる煉瓦の棟』鑑賞記録。

www.kodomo.go.jp

 

訪れる度に建物を堪能してはいるけれど、こうして一つひとつ解説してもらいながら(展示、パンフレットに)見るのもよい。

展示会の小冊子はPDFで上記ページからダウンロード可能できます。

f:id:hitotobi:20220516193328j:image

 

全体の計画は今よりももっと大きかったそう。

1899(明治32)年の当初の計画案では、地下1階、地上3階建、中庭を囲む口の字形。1906年明治39年)の開館時と1929年(昭和4年)の増築工事とでようやく1期工事が完了。ここで予算不足のため施工も終了。

もし出来上がっていたらどんな姿だったんだろう。日本銀行みたいな感じ?

 

古い建築は復元と耐震を両立しなければならない。その工夫も展示されていた。

外から耐震装置をつけると美観を損なうので、土台に免震装置を入れている。レトロな建物からは想像がつかない。

 

1Fの「世界を知る部屋」のシャンデリアが下がっている天井中央部は、漆喰で装飾する鏝絵(こてえ)が施されていて、現代の左官職人が技術を発揮している。

最近、大分の鏝絵のことを調べている人から詳しい話を聞いたばかりで、こんな本も買ったところだった。タイムリー!

livingculture.lixil.com

 

今回は帝国図書館を訪問したり、調べ物のために通ったり、作品に登場させたりしていた文学者の紹介もあった。

芥川龍之介宮沢賢治夏目漱石田山花袋菊池寛和辻哲郎樋口一葉、吉谷信子、宮本百合子など。

江戸川乱歩は、『吸血鬼』の中で、誘拐された子どもの身代金の受け渡し場所に帝国図書館の裏手を指定したり。幸田露伴淡島寒月は顔見知りになったり。

100年以上前は、ここは女性は閲覧室が分かれていたり、そもそも利用にお金が要ったそう。学生や知識階級の利用が主で、庶民が来るところではなかったのだろうねぇ。まして子どもなんていなかったろう。

 

帝国図書館の歴史はぜひこちらで! 隣接している町、谷中・根津・千駄木のこともちょいちょい出てきます。

『夢見る帝国図書館中島京子著(文藝春秋

 

 
 
 
 
 
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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年

映画『主戦場』鑑賞記録

2022年4月、映画『主戦場』を観た記録。

www.shusenjo.jp

 

2019年4月公開時は観る気が起きなかった。

観たら多大なエネルギーを消費しそうだし、ダメージが大きくて、観たあとにリカバリー期間が必要そうな気がしたのだ。歴史修正主義者(……主義?)による、聞くに堪えない言葉によって、しんどい体験になるのを怖れた。「巻き込まれたくない」と思った。

 

あれから3年。(もう3年!?)

デザキ監督が出演者のうちの数人から訴えられた裁判が決着したタイミングで、私も準備ができて、ようやく見ることができた。

結果、非常に興味深く、思っていたのとかなり違う体験ができた。見ることができて本当によかった。

こういう落ち着いた態度でいられたのは、いくつか理由がある。

まずは、私の日常生活が安定していること、体調が良いこと(これは大事)。

そして、「慰安婦」問題について、自分なりに調べ、考えてきたこと。

さらに、デザキ監督のインタビューを読んだり、トークを配信で聴いたりして、どういう作り手で、どういうスタンスで、制度や訴訟の詳細を聞けたこと。

これらによって、自分なりに軸を持ち、安定した気持ちで鑑賞できた。この映画は、「慰安婦」問題に関する議論の全体像が、一旦、初めて示されたものだと、私は思う。

 

※以下は内容に深く触れていますので、未見の方はご注意ください。

 

鑑賞メモ

・実際に見ていくと、論客の発言に驚くことは多々あった。しかし同時に、その発言から素朴な疑問が生まれることもあった。「おかしいと思うとしたらなぜ」「自分がどう思うのか」を考える機会が何度も訪れた。これはありがたい機会だった。

・タイトルからして、予告の見せ方からして、映画の作りからして、右派VS左派のバトルのような仕掛けになっているが、観ていくと実はそうではない。対論のようで、そうではない。それぞれの論客がどこに注目しているのかを語らせている。

・この映画の制作にあたり、デザキ監督がどういうポジションをとって作っているのかは非常に気になるところだったが、それも事前の配信トークや本編中のナレーションで少しわかった。まずは少なくとも「国家のために国民が存在する」とは考えていないし、歴史修正主義には賛同してないし、自分のアイデンティティ(日系、アメリカ国籍)との関連があるから、この問題を取り上げたのだろうと推測した。

・画期的だと思ったのは、歴史修正主義や右派と呼ばれる人たちが、自分の言葉で語るのをコンパクトに編集されているという点。また韓国も訪問してインタビューをとっている。これらをまとまって見る機会はなかなかない。

・そもそも「右派」「左派」とはくくれない。それぞれは一枚岩なのではない。一人ひとりの主張や論拠は違うし、立ち位置も違うことが見ていると次第にわかってくる。「右派」であっても慎重な言葉選びをする人もいるし、新たな切り口を提供している人もいる。「左派」でも論拠があやふやなのでは?と思うこともあった。立ち位置も変わっていくということが、終盤で描かれる。ここはスリリングだった。

・強い言葉をセンセーショナルに使うことや「大きい方の」数字を使うことの危険性がある。無関心な層を振り向かせるために、社会にインパクトを与えるために、言葉は使われる。

・「奴隷」「強制」「暴力」などの言葉の定義に絶対のものではない。人類の経験が重なるにつれ、歴史が重なるにつれ、時代によって変容していく。都度定義しなおしていく必要がある。

・「同意していれば暴力に当たらないのか(いや、そうではない)」という問題提起は先日読んだ『当事者は嘘をつく』でも挙がってきたもの。

・資料の読み方。書かれたり作られた背景や同時代性を考慮に入れなければ解釈を誤る危険性がある。これは覚えておきたいことの一つ。だが、「証言」「記録」とは何か。記録がなければなかったと言えるのか。記録があったからそれを唯一の論拠としていいのか。歴史を見つめること、検証することの難しさを感じる。

・おかしな感覚に陥る。「この人の話を信じられるか、信じられないか」と見極めをしようとしている。映像の中から「信じるに値する証拠」を自力で見つけなければならないような感覚。表情、目の動き、口調、メイクやファッション、撮影背景、限られた情報の中から。いや、そんなものは、いくらでも操作できる。この映画でその人たちが語っていることも編集の入った断片に過ぎないのが前提。それ以外の場での言動もありえるという想像も必要。

・「この人の言うことは信じられる」とか、そういう主観的であやふやなことで決めていいのかみたいなもやもやも起こる。裁判員制度なども似た感じかもしれない。映画自体が裁判みたいだったということかもしれない。

・どちらを信じるのかというような争いに巻き込まれたくないと感じる一方、もうとっくに巻き込まれていたのだとも知る。間接的に、遠くから。

・論者が変わり、さまざまな論点がテーブルに並べられていくのを見ることで、自分の中にも議論が生まれてくる。問いが生まれることによって、自分がどこまで理解していて、どこからが理解できていないのか、知らないのかがつかめる。

・正直こんなに複雑だと私も思っていなかった。挑発的な作りではあるが、疑問としてはかなり素朴。
なぜ「慰安婦」問題はここまで「問題」になっているのか?
そこにはどうやら過去の恥以上の何かがあるのではないか?

これら疑問にしたがってデザキ監督はリサーチを進めていく。実は私もその疑問は持ったし、自力では踏み込んでいけない領域だったので、ありがたく思ったところがある。

シンガポール出身のホー・ツーニェン氏が《ヴォイス・オブ・ヴォイド》《百鬼夜行》で、正史に載らない太平洋戦争下の秘密をアートの手法を使っていくつも暴いたように、日系アメリカ人のアイデンティティを持つミキ・デザキ氏もまた、「外」からタブーに迫っている。当たり前になっているが実はよくわからないもの、得体が知れないから直接触れないできたものは、外の人のほうが扱えるのかもしれない。『主戦場』は、「含まれている」、輪の中にいる者からは思いつかないようなアプローチや手法だと感じた。

・自分と国家とを同一のものと考えたり、国家のために国民があると考える部分は突飛な考えではなく、うっすらと埋め込まれているような危険性も自覚する。自分のルーツに誇りを持つことで生きる手応えを得ることと、自国主義に陥ることの違いは何かは自分の中でも明確に論じられるだろうか。

・結局のところ、何か結論めいたものが出ているわけではない。終盤にデザキ監督なりの見出した、この時点での意見は示されるが、それはデザキ氏のものであって、従わなければならないものや、正解というわけでもない。

・元「慰安婦」の人たちへの敬意や尊重は、映画中で描かれているが、彼女たちが求めているのは何かは、『主戦場』では真ん中には置かれない。これまでの『ナヌムの家』のような彼女らにピントを当てている映画ではない。それは、当事者を不在にしたまま紛糾し、複雑に拗れ、歪み続ける問題の有り様を描いている映画だからだと思う。そして、問いを持った人が調べなくてはならない仕組みになっている。他にもこの「領域」では、まだぢ多くの立場、多くの視点が見過ごされているように感じる。

・自分で調べ、考え、時に人と対話し、議論しながら学び、探究していくしかない。

・それは何のためにするかと言えば、次の言葉に尽きると思う。『「慰安婦」問題を子どもにどう教えるか』平井美津子著(高文研, 2017)

戦争にはこの満蒙開拓団の女性たちや「慰安婦」のような性暴力がつきまとう。戦争のエピソードではなく、戦争の本質なのだ。(p.6)

今戦争を学ぶのは、戦争への過程、加害、被害、抵抗や反戦、加担といった戦争のあらゆる面を見ていくことで、戦争の実相を知り、そのことが再び戦争が起きることを防ぐ力になると思うからだ。「戦争はいやだ」と言うだけでなく、戦争が起きたらどんなことになるのかということを歴史の真実から理解しておくことが今こそ求められている。(p.5)

だから、「右派」や「歴史修正主義者」を糾弾するためではなく、「私」「私たち」観客であり傍観者であり当事者に向けて問うている映画なのだと思った。

・「従軍慰安婦」という言葉を初めて聞いたとき、私は10代だった。ニュースで何度も取り上げられていたので音声として耳に残っている。新聞にもよく載っていた。当時はあまりよくわかっていなかった。私もその時代を目撃してきた傍観者であり、大人から史実を教えられなかった当事者だ。そういう立場から、この問題と関係がある。

・「慰安婦」の訴えはどうしてそこまで問題になるのか。先出の書籍の中で、著者の平井さんもこう綴られている。

私が子どもたちに教えていることはそんなに問題があることなんだろうか。(p.86)

これを人権の問題として、国益とは別に考えるべきではないのか。

・性暴力の訴えに対して声をあげた人に対するバッシングの傾向は強い。性的同意年齢の13歳から引き上げ、選択的夫婦別姓同性婚の法制化は進まない。保健体育の教科書で卵子の老化、困窮者支援に売買春法しか適用できる法制度がない、医科大学女性合格率の操作、都立高校女性合格率の操作……。挙げればキリがない。これが何を示すのかということだ……。操作や加害を認めると本当に都合が悪いのは誰か。そして、なぜ都合が悪いのか。

・「嘘をつくほうが悪いのではなく、騙されるのが悪い」と答えていた人のメンタリティ。どうしてこれほど自己責任論が強く、減点方式で、懲罰的指向なのだろうか。

・鑑賞後しばらくボーッとしながら「主戦場」というタイトルを見返して、「いったい誰が何と戦ってるんだろう」という気分になった。今後どうなっていくのだろうか。そして自分はどのような立場でいればよいのだろうか。

 

私はこのような感想を持ったが、他の人はどうだったのだろうか。

まったく何の前知識もなく、「"慰安婦"のことを今回初めて知る」というやわらかい状態の人が観たらどう思うのか、どう考えるのだろうか。


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youtu.be

 

会員限定。じっくりお話が聞けたのでよかった。映画を観ながら出てきた制作意図やプロセスなどの疑問に対する答えにもなっていた。スラップ(Slapp)訴訟という言葉を知った。アーティストやアクティビストを黙らせるために訴訟を起こす、一種の言論弾圧。Controversial(物議をかもす)という言葉も何度も出てくる。

youtu.be

 

関連記事

imidas.jp

www.tokyo-np.co.jp

 

www.tokyo-np.co.jp

 

dot.asahi.com

 

2022/1/15〜2022/11/30 WAMでの展示。

wam-peace.org

 

「平和の少女像」とは。

韓国の彫刻家、キム・ウンソン氏とキム・ソギョン氏による作品。2011年、ソウルの在韓日本大使館前に設置されて以来、20体を制作。多くは韓国にあり、2体はアメリカにある。現在はドイツにも。アートを通じて戦時性暴力を批判する民主化運動を行っている。他の作品として、ベトナム戦争での旧韓国軍の性暴力を批判する作品 "Vietnam Pieta"がある。

bijutsutecho.com

あいちトリエンナーレ、KBSの報道

https://youtu.be/zgKAL08359M

globe.asahi.com

 

続いている話……。

岸田首相、ドイツ首相に直接「ベルリン少女像を撤去してほしい」(2022.5.11)

news.yahoo.co.jp

 

慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策|外務省(平成26年10月14日)

www.mofa.go.jp

 

読んだ本(一部)

   


こちらは未読。まだまだ勉強が必要。

   

 

 

教科書検定の問題に関連して、これも気になる映画。

www.mbs.jp

 

通底するものを感じる……。

www.nhk.or.jp

 

この映画も思い出した。"Denial"。学問、学術的研究が、できるだけ裾野広くあることが、修正に対抗する手段の一つと言えるだろうか?

hitotobi.hatenadiary.jp

 

wam訪問記録。

hitotobi.hatenadiary.jp

 

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 共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年

映画『1938年 我々がイタリア人ではなくなった時』@イタリア文化会館 鑑賞記録

2022年1月27日「記憶の日(Giorno della Memoria)」に、イタリア文化会館で『1938年我々がイタリア人ではなくなった時(Quando scoprimmo di non essere più italiani)』を観た記録。

iictokyo.esteri.it


記憶の日とは。

2000年7月20日、イタリア議会は1945年にソ連軍によってアウシュヴィッツ強制収容所が解放された1月27日を「記憶の日」(Giorno della Memoria)と名付け、公式な記念日としました。
これは、ショア―や人種法の犠牲者、移送や監禁、政治的理由により死にいたった人々と、虐殺計画に反対し、迫害された人々を守り、命を救ったすべての人々を記憶する日として定められました。
そしてこの時期、ナチスの収容所でユダヤ人など被収容者の身に起こったことを記憶し、二度とこのような惨事が繰り返されないために、さまざまな熟考の場や機会が提案されています。(ウェブサイトより)

 

イタリア文化会館でのこのテーマのイベントに参加するのはプリーモ・レーヴィの詩集刊行記念講演以来だ。(こちら

 

映画はとにかく情報が多い、流行りの作りのドキュメンタリーだった。次から次へとトピック降ってきて情報整理が追いつかず、頭が疲れた。もうこれ以上は入らない、ついていけない!と限界を感じたところでようやく終わってホッとした。

それでも上映前の牧野素子さんによる解説があったのが大きなサポートになった。終映後にも質疑応答があったのがありがたかった。

内容的に気持ちが疲れたけど、また一つイタリアについて、ホロコーストについて、人間について知ることができて、観られてよかった。

 

鑑賞メモ

エルサレムを追放されたユダヤ人、イタリアにも居住。392年にローマ帝国のテオドシウス帝がアタナシウス派キリスト教を国教とし、それ以外の宗教、宗派を禁止。

・イタリアにおけるユダヤ人迫害の記録:13世紀にヴェネツィアにゲットー(※Ghetto:ユダヤ人の強制居住区域)建設。

・1555年、反ユダヤ主義者のパウルス4世ローマにゲットーを建設。以後、教皇庁のあるところにはゲットーを建設。ローマは1875年まで継続。

・『シオン賢者の議定書』1900年代初め。陰謀論的な内容。反ユダヤ主義強まる。

ファシスト党、当初は反ユダヤ主義ではなかった。(※ナチスドイツにおけるファシズムとまた違う文脈や経緯)イタリアへの祖国愛を持ったユダヤ人も入党していた。トリノで銀行業を営んだ名門Ovvazza家も。第1次世界大戦でイタリアのために戦った人も。

・1938年7月ムッソリーニ政権が「人種法 (Manifesto della razza)」を制定。1935年9月のナチス・ドイツニュルンベルク法を参考に。エチオピア戦争でドイツの支援を受けたことから接近していた。当時のユダヤ人の全イタリアの人口に占める割合は少ないにも関わらず?(※ここ要確認)

・人種法前の1936年ごろから(※ここは不確か)学校から追放。ユダヤ人コミュニティが受け皿に。子どもたちのための学校を作った。当時の校舎を訪ねて思い出話を語る元生徒たちの映像。次第に悪化していく状況。

・人種法後、ユダヤ人を笑いものにする発信をするメディア。「多くのイタリア人は気にしていなかった。ユダヤ人に一度も会ったことがない人もいた(※そのぐらい人口比としては少なかった)」。「ユダヤ人は半獣、尻尾がある」を信じこむ人まで。(※絶句。。)イタリア人としての権利を完全に剥奪された。

・1943年7月アメリカ軍などがシリチア島に上陸し、9月イタリア政府は連合国に降伏。しかしイタリア北部はドイツが占領。国内も連合国派と新ドイツ派に分断された。

・1943年10月からユダヤ人の強制収容所への移送がはじまり、命が脅かされるようになった。イタリアの経由地(Botzano, Fossoli di Carpi)を経てアウシュヴィッツ強制収容所に送られるように。国外脱出できなかった人たちの中には、カトリックに改宗したユダヤ人に匿われ、助けられて生き延びた人も。日本の外交官が捨てた家に移って潜伏していた人も。

・おじが密告者だったという人。「金や野心のために密告していた」「教えてくれたら女性3,000リラ、男性5,000リラ」逃げるはずだったが売られた人も。

・生き延びた罪悪感。「どうして助かったの?卑劣な手を使ったの?と聞かれた。どんな手を使って逃げたとしても、それを責める気にはなれない」「70年経っても不安が消えない」

・「当時イタリアにいた2万人(※本編中の数字)のユダヤ人のうち、7,000〜8,000人がイタリア人の密告によって逮捕され、収容所に送られた」「楽に稼ぐための手段になっていた」「当時はまだアウシュヴィッツが何かわかっていなかった」

・「今の若者に何を伝える?ーーナチスを喩えたり真似をするときに、強く怒らないといけない。かれらは真実を知らない。伝えなければ」極右政党を支持する若者への懸念。「経済危機の責任はユダヤ人にある」とはっきりと答える若者。ムッソリーニの墓を訪ねるブーム。「誰もが自由に歴史を解釈している(それでいいんだ)」と笑顔の若者……。

・人種宣言に署名した科学者の孫。複雑な葛藤を抱えている。「反対を叫ぶべきだったがキャリアの妨げになることを恐れただけ」「親の罪を子や孫が背負うべきではない」「同じように署名した10人の名前が通りや広場につけられていたが外された」

 

情報が大量だったが、今あらためてメモを整理してみると、明確な「迫害者」だけではなく、当時の状況を歓迎し、利用しようとした人もいたし、積極的に賛同はしなかったが明確に反対もしなかった人たちもいて、人はどんな立場にもなり得ると感じた。

 


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事前トークの中でも紹介されていて、ロビーでも販売されていた書籍アウシュヴィッツ生還者からあなたへ: 14歳,私は生きる道を選んだ』岩波ブックレット NO. 1054)を後日読んだ。

www.iwanami.co.jp

ユダヤ系イタリア人として迫害を受け、1944年1月、13歳のときにアウシュヴィッツ強制収容所に送られた経験を持つリリアナ・セグレさん最後の講演。戦後、長い沈黙を経て、60歳のときに自らの経験を語り始め、30年に渡って活動をおこなかった。2020年10月9日、90歳を節目に行った。

1月27日にアウシュヴィッツが解放されても、戦争はまだ続いていた。解放直前にナチス・ドイツが犯罪行為を隠蔽するためにポーランドアウシュヴィッツからドイツ国内の収容所に移すために「死の行進」を強制される。

リリアナさんは想像を絶する状況の中で生き抜き、5月7日のドイツ無条件降伏でようやく自由の身になった。

特に心に残るのは、若い人へのメッセージ、死の行進の最中に経験したこと、「自由な人間として生きはじめた瞬間のこと。

映画『1938年』の内容を補完する生の声がここにある。

 

イタリア語動画。探せば英語などもあるかも。

リリアナ・セグレさんのスピーチは、53:25から。

youtu.be

 

リリアナさんを擁護するデモ。2019年12月11日。

"L'ODIO NON HA FUTURO.(憎悪に未来はない)"

www.repubblica.it

 

最後の証言が語られた「平和の砦」(Cittadella della Pace)トスカーナ州ロンディネ村にある施設。

紛争を起こした国の若者同士、あるいは国内で対立関係にある若者同士が寝食を共にしながら対話を重ね、未来の平和を築く場所として1997年に創設された。(書籍より)

https://rondine.org/en/

 

1月27日 記憶の日(Giorno della Memoria)のもう一つのイベント、コンサートはイタリア文化会館Youtubeで配信中。映画『COLD WAR』を彷彿とさせる。

youtu.be

 

ミラノ中央駅21番ホームとイタリア系ユダヤ人の迫害(2021/01/27, World Voice)

https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/vismoglie/2021/01/21.php

 

2021年の記憶の日(イタリア文化会館での催し)

iictokyo.esteri.it

 

本編でも触れられていて、質疑応答の時間にも出ていたテーマ、ヴァチカンの秘密文書公開。

www.kirishin.com

 

www.bbc.com

 

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共著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』(三恵社, 2020年