ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

癒しというよりも


f:id:hitotobi:20160705063058j:image

 
「癒し」という言葉が1980年代から起こってきて、もう30年以上経つ。
 
しかし、わたしはまだこの言葉に慣れない。
それはひとつに吉本ばななの言葉が影響していると思う。
たしか1990年代に何かの雑誌で見かけたエッセイに、「癒しという言葉が軽々しく使われている」というようなことが書いてあった。
詳しくは覚えていないけど、「わたしは絶対に軽々しく使わないぞ」と、そのとき決めた。
内容に同意見だったのもあるけど、たぶんばななさんに嫌われたくなかったのが大きい。もちろん、知り合いではないけど。
 
ばななさんに嫌われるかも、という部分はちょっとおいておいて、今、ちょっと冷静に考えてみる。
 
うーん、それでもやっぱり慣れないなと思う。
 
 
理由はふたつ
 
*癒しという言葉を必要とするほどの心の有り様は、重く深い(癒える=グリーフからの立ち上がりの中での、ある瞬間)
 
 
*他の言葉で表現できるのに探索の手間を省いている(かわいい、きれい、和む、ホッとする、落ち着く、安心する、楽しい、撫でたくなる、好き、懐かしい…etc)
 
 
 
美しい日本語を!とかそんなんじゃない。
 
自分の実感から遠い、浅瀬で拾った言葉だけで会話が軽くなるのが、わたしはあまり好きじゃないだけ。
 
というわけで、これからも、重く深く暗い、「あの感じ」のとき以外はつかわないと思う。
 
*追記2020.6.6*
「癒し」という名詞について書いていたが、内容的には「癒された」という受け身についての疑問から書きたかった。「癒える」という自動詞ならあるので使う。