
かるたCafe~百人一首を楽しむ大人の部活
という会を主宰している。
先月から、イベント終了後に希望者を募り、「かるたCafeの"つくり"を聞く話す」という場をひらき、活動や仕事における場づくりについてのディスカッションを行っている。
(つくりは、へんとつくりのつくり。へんは形、つくりは本質を表しているというところから)
その中で、これ他のことでも案外多いんじゃないかなと思ったことがあった。
ある参加者が
「周りに百人一首を好きな人がいない」
と言っていた。
そうなんですか~と相づちを打ちつつ、ふと、
「あなたが百人一首を好きなこと、誰かに言いましたか?」
と聞いた。
そうしたら、「えっ…、それはうーん、言ってないですね、そういえば」と。
そうか~それはわかりようがないわ~
友人との雑談の中で、相手から「百人一首が好きなんだ~」なんて話題は、まぁ普通出ない。
あなたがそれを好きということは、自分から発信しないとわからない。
自分の「ここ」の部分で人とつながりたい、と思うことがある。
しかし「ここ」がなんなのかは、表現しないことには、絶対に人にはわからない。
既にある人間関係の中につながりを求めるなら、「そういう話をしない」関係性を「そういう話ができる」関係性に変えていくしかない。
表す、現す。
なんらかの手段で。
対面でもいいし、ソーシャルメディアでもいいし。一対一じゃなくてもいいと思う。
自信がなければ、似たような、関係がありそうなことをしている人の前で話してみる。(かるたCafeのこの場も含め)
人によってはもしかしたらわからないと言うかもしれないし、考えが未熟だと笑うかもしれないし、逆にやたらとアドバイスしたり、薀蓄たれてくる可能性もある。
でも親身になって聞いてくれるかもしれない。それでアイディアが膨らんだり、考えが進むことがあるかもしれない。
inside out
場をひらくって、自分も展開していかないとできてこない面がある。
でもそれは世界との新しいかかわり方の可能性を示している。
少し怖いけれども自分の中にある考えを発してみる。
その件について少しやり取りがうまれる。
それだけで、すごく進んでいるのではないか。
あとは、「やってみたい気持ちはあるけど、次会ったときに何も進んでなかったらすみません」とも言われた。
いやいや、わたしはあなたの何かを管理してるわけじゃないし、「○人の実践者を出しました」とか成果を追求することでもない。
自分のペースでやったらいいし、やっぱりやりたくないなと思ったらやめればいいし。
思いついてから実現するまでに何年もかかるものなんてザラだ。
いや、でもわかる。
やりたい気持ちはある。でも今すぐできるかわからない。口にしたらやらなきゃいけないし、やってなかったら罪悪感というか、自分はダメだーとか思いそうだよね。
そういう目標設定してがんばるプログラムがあるからできるってこともあると思う。
でもわたしは(このブログ同じことばっかり言ってるけど)今のところそこの「育み」についてはあまり関心がないもよう。
でも次回もやります。
毎回違う話題になっておもしろい。