ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

こころをつかい、葛藤せよ!(こころをつかうことについての二冊)


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一冊目。

わたしは、「こころをつかう」という言葉をときどきつかうが、これはわたし自身の言葉ではなくて、河合隼雄さんの「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」という本から来ている。

 
もともと河合隼雄さんが好きで、学生のときに京都の同志社大学に講演を聞きに行って、ますますファンになった。

その河合さんの言葉bottwitterでフォローしていて、出産後の、子どもがまだ乳児だったときにふと流れてきたツイートを見て、引用元のこの本を買ってみた。(妊娠・出産以前は、子育てというタイトルなので、自分には関係がないと思っていたので、手に取らなかった)
 
この本は、Q&Aの形式をとっていて、けれども、正解を河合さんが教えてくれるのではなく、そのテーマについての河合さんの考えというか、エッセイのような内容になっていて、Aはそのエッセイのための見出しという感じ。そもそも「子育てはハウツー式に示せるものじゃないから」とは納得。
 
「こころをつかう」については、一番はじめのQ1に出てくる。この本のタイトルにもなっているし、まずここからはじめんとな、という河合さんの心意気が伝わってくる。
 
Q1 豊かな時代なのに、なぜいろいろ問題が起きるのですか。
A   みんながこころを使うことを忘れているからです。
 
そのあとに続く文章は、全部を引用したいぐらいだが、我慢して特に気になったところを。
 
<以下引用>-----
 
「"昔はよかった。節約してわれわれはつつましく生きておった"、そんなことを言っても何にもならない。それよりこれだけ物が豊かになったときに、子どもをどう育てるか、こころ豊かに生きるにはどうしたらいいかと、そっちの方を考えることが大事です。」
 
「いまは子どもに"買って"と言われればだいたい買ってやれる時代です。そのときに親がこころを使って、"この本を買うのは、はたしてこの子のためにいいことだろうか"と考えて見る。全巻10巻をいっぺんに買った方がいいのか、今日は一冊だけ買うのがいいのか......。"誕生日まで待ってね"と待たせた方がいいのか、"よしっ!"とすぐに買った方がいいのか、"うちはそんなもん買わんっ!"と言った方がいいのか......。選択肢はいっぱいあるわけです。」
 
「パッパッと"一番高いの買うてこい"式にやってると、子どもはこころが躍らないんですよ。そうなれば、やっぱりシンナーを吸う方が、よっぽどこころが躍る。」
 
「"いやいや、うちの家はごはんも一緒に食べてますし、お父さんもちゃんと帰ってます”と言っても、親がこころを使ってなかったら、子どものこころが躍らない。一体感も経験できていない。そういう家族は、うわっつらはうまくいっていても、言わばプラスチックできれいに作ってあるようなものです。そうすると思春期になって子どもが援助交際とかなんとか、途方もないことをして、そのプラスチックを叩き割ろうとするんです。」
 
<引用ここまで>----
 
これは、自分の子ども時代から思春期を思い出してみても納得するというか、自分でもわけのわからなかったあの行動、言動は、思春期特有のギリギリ感もあったけれども、親に対する何らかのメッセージだったのだなと気づいたのでした。
 
「こころをつかう」という言葉は、そのときに深く鋭くわたしの中に入ってきて、これは大切なことと受け止めなければならないという覚悟の第一歩ができたように思った。
 
今ぱらぱらと読み返してみても、親に対する説教のつもりが全くないのが、わたしが河合さんを好きな所以。
 
 


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二冊目。 
実はその前にもこころに響いていた本があった。
絶版になっているようで、中古でしか手に入らないもよう。
やまだ紫さんについてはこちらに公式HPがある。
これは妊娠中に読んだのだったが、別に出産に備えようと思って手にとったわけではなく、もともと作者のやまだ紫さんが、学生の頃から好きだったから。あの頃はガロとかぱふとかばっかり読んでいた。「しんきらり」を読んで、産後の女性の心理ってこういうことがあるのか...という衝撃を受けた。
 
今手元にないので、どんなことが書いてあったか具体的には示せないのだけれど、他人にも自分にも、厳しい言葉がいろいろと並んでいた。けれどもそこに深い愛情があったし、誠意や矜持や真性さを汲み取った。わたしはこれを読んで、人を育てるということの重みにしばらく震えていた。
 
あの頃とは大きく変化した自分が、「東京ノスタルジア」をどう読むのか、ちょっと興味があるし、やまだ紫さんの描いていた女性たちの心境も今ならリアルにとらえられる。その他の作品も入手しにくいものが多いが、少しまとめて読んでみたいと思っている。
 
 

これら二冊の本が教えてくれるのは、
「こころをつかい、葛藤せよ」ということではないかと思っている。
 
頭で考えているのは、どうボールを打ち返すかという戦略を立てる、策略を巡らすようなことで、こころをつかうこととは遠いというか、こころとのつながりがちぎれている感じがある。
 
こころをつかうのは面倒くさい。
お金やモノで解決してしまえたら楽だし、それを選択するときもある。
でも結局、生きている実感を覚えるのは、こころをつかったときだと思う。
こどもも、大人も。
 
生きている感触がほしくて、他者やモノに求めていくことは、一時的なまやかしとしては効果的だが、長続きはしない。
 
結局のところ人間は、自分の中から生まれ出でるものによってのみ、生かされていく生き物ではないだろうか。