ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

森のイスキアの扉がひらく

satohatsume-inochiomusubu.hatenablog.com

 

昨秋より閉じられていた森のイスキアが、弘前市内で開催される写真展にあわせて一般公開されるそう。北国の秋、この頃にはもう寒いほどなのだろうか。

 

会期:

2016年9月30日(金)~10月1日(土)

10月3日(月)〜10月9日(日)※10月2日(日)を除く

 


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書籍やテレビ番組を通してふれた佐藤初女さんの生きざまや言葉は、短く簡潔でありながら、簡単にわかることのできないものが多く、ゆえに自然と内省をうながされた。森のイスキアのことは「何も考えてない。必要であれば続いていくだろうし」とおっしゃっていたけれど、場というものは、ほんとうにそうなんだろうなと今は思う。個人につく型や技は努力で遺していくことができるだろうけど。


今年の2月1日に初女さんが亡くなったときに、「人々を癒してきた」「癒しの場」という言葉が飛び交ってずいぶんと気持ちがわるかった。初女さんも「わたしは人を癒しているんじゃない」とやや怒りを含んでおっしゃっていた。


わたしは森のイスキアに行ったことも、初女さんにお会いしたこともないけど、癒す―癒される、という関係ではなく、おとずれる―もてなす、はなす―きく、いる―ある、の「あいだ」のようなことが起こっていたのではないかと想像する。これを中動態というのか。ない言葉は表現が難しい。


わたしは「癒された」「癒す」という言葉を気軽に使わない。
唯一「癒える」をごくたまに。
「癒された」は別の言葉のほうがふさわしいことが多く、
「癒す」は自らそんな意図をもったことがなく、
「癒える」はほんとうに滅多に起こらないから。

初女さんとばななさんに学び、自らも大切につかいたい言葉。