「シーモアさんと、大人のための人生入門(原題:seymour: an introduction)」を観る前にと思って観た。
いまひとたびの…「ガタカ」!
どなたかのレビュー。
1997年かぁ。
まったく時代を感じない、古びない映画というのは、この世界に数多く存在するけれども、間違いなくそのうちの一本。
やー、やっぱ20年経ってもこの世界は美しいなー。映画を撮るってチームワークなんだって意味をその2年後にもっとよく知っていくわけなんだが、今観ても様々な技能、才能のコラボという感じもたまらない。美意識、美学の共有。
テーマもあの頃よりももっと現実味を帯びている。まさにこれ今読んでいる「いのちをつくってもいいですか?」だ。ガタカでは遺伝子操作した結果、生まれ落ちてすぐにすべてのリスクが瞬時に測定され、人間の価値も同時に決まる。遺伝子レベルの差別、想像もつかないこともフィクションの中では可能だ。(逆に、科学者というものは、かつて憧れた映画や小説へのロマンから研究を推し進めているようにさえ見える。実際のところどうなのだろう?)
いくら完全に統制し、全員が屈服したように見えても、危険分子は異質とされた者の中から必ず現れる。ガタカでのジェロームは、秩序を乱す反逆者だが、現時点のわたしたちから見れば人間の希望でもあるようにみえる。人間の精神の力こそがこの作品のテーマか。
「僕に何ができて、何ができないか、決めつけるな!」
俳優も美しい。日本的には、イーサン・ホークは「いまを生きる」「リアリティ・バイツ」「恋人までの距離(ディスタンス)←この邦題…」ときての、ユマ・サーマンは「パルプ・フィクション」「バットマン&ロビン」ときての「ガタカ」。ジュード・ロウはこれが映画出世作だからビジュアルにもまだ登場しない。懐かしいな!!!
自分が学生のとき、40とか50の人って昔の映画の話ばっかするなーと思ってたけど、自分がその年齢になってみると、全然「昔」じゃないんだね。
わたしは20年前まだ生まれてなかったけど、あの人たちは学生だったんだ。
だから、まるできのうのことのようにありありと思い出せるし、映画を観てわたしの中に生まれた世界観は、わたしの組織の一部となって生き続けるようだ。
▼映画のロケ地となった、カリフォルニア州マリン郡庁舎
*追記*
のちに、『いのちを"つくって"もいいですか』の読書会をひらきました。
シーモアさんを観てこれを書きました。