ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

12月の読み聞かせ

久しぶりのブログ更新です。

 

今年の4月から息子の通う学校で読み聞かせのボランティアをしている。きょうは3回目の当番の日だった。毎回、こどもたちとの本を通じた貴重な20分の出会いをいただいている。

学校は、さまざまな背景や事情をもったこどもたちが集まる場でもあるので、普段よりもさらに心を澄まして本を選ぶ必要があると思っている。

12月なので、クリスマスやサンタクロースの絵本なども考えたけど、宗教上、経済的な理由、あるいは家庭の方針などで、クリスマスを祝わない家庭やサンタクロースが来ない家庭もあると想像する。それに、我が家はクリスマスの飾り付けっぽいことをしたり、サンタさんが来たりするが、学校での読み聞かせでは、「12月といえばクリスマス!サンタさんのプレゼント!」という価値観一色にこどもたちを染めるのは嫌だなという気持ちもあって、その題材は避け、結局この2冊に決めた。

 

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「ゆきのひ」は、友人がおすすめしていたもので、一人の子どもが、自分と自分を取り巻く世界のかかわりを、雪という自然の現象を通して様々に見出していくのが印象的だ。余韻を残す終わり方。とても美しい本。終わってすぐ「ああ、東京でもこんなにたくさん雪が積もったらいいのになぁ!」と声をあげた子がいた。
そうだねぇ。あこがれちゃうよね。

 

「フレデリック」は、ちょうど「スイミー」を読んだところでレオ=レオニはみんなのおなじみ、翻訳の谷川俊太郎もみんな詩をたくさん知っている、ということで選んだ。長い冬に備えて食料をせっせと集めはたらくねずみたちの中で、フレデリックだけが同じようにはたらかない。でもフレデリックは彼にしかできないやり方で冬を過ごす備えをしていた、さてそれは...?。説教くさいかもしれない。けれど、こういう価値観もあるよという、「アリとキリギリス」に対抗する気持ちも込めて。

 


今年4月に読み聞かせボランティアをはじめたときに、運営スタッフの方がしてくださった研修がとてもよかったので、わたしはなるべくその伝統を守っていきたいなと思っている。


例えば、読み聞かせでは地味な服を着ると教わった。黒、紺、茶、灰、白などで柄のないもの、アクセサリーやメイクは最小限にする。それはこどもたちが絵本・本に視線を集中し、お話の世界に入り込めるようにするため。読んでいる人はこどもとお話の世界の橋渡し役であって、読み聞かせはその人のショウではない。もちろんそこまでストイックにならなくても場自体は成り立つ。けれど、「何のための読み聞かせか?」を読み聞かせをする人がもつことは大切だと思う。


わたしは読み聞かせを通じて、この世は生きるに価するところだと感じとってもらえたらうれしいし、本の世界で育んだものが生きる力の源になり、長年にわたりこどもたちの芯を温めてくれることをいつも願っている。


ショウをしたい気持ちも否定しないけど、それはそれで別に場を自力でこしらえるほうがいいんじゃないかと思う。学校の読み聞かせの枠を使ってしまうと、こどもたちは選べない。必ずそこに座って聞かなければいけない。そこが一番の問題。


それから、わたしは読み聞かせでは「ウケる」のを目指さない。こどもたちの心に過度に衝撃を与える本は、興奮であれ恐怖であれ、避けたい。あくまでも本の世界の中で完結でき、日常にひきずり持ち帰らなくていいものを。絵本の世界から希望をもって日常に帰ってこられるような読み聞かせをしたい。その子のやわらかい心を傷つけない物語を。


特に「生きていくのに役に立つから」「知っておくべきことだから」という「道徳的」観点からのよかれと思う気持ちからの選書は、けっこう危険だと思う(発達・成長段階によってもその受け取り方も違うし)。そういう呪いに、いかにわたしたち自身が苦しめられ続けてきたか、そしてこれからの道徳の教科化によって、いかにそこが強化されようとしているか。(もちろん「フレデリック」だって、ひとつの価値観の押し付けかもしれないけれども。)先日知った「にんげんごみばこ」という絵本は、そうした発想が元になっていて、本当に恐ろしいと思った。こういう絵本をなんのために描き、出版したのか、そして支持しているのか、ほんとうにわからなくてしばらく辛かった。

 

そんな折、3年ほど前にインタビューをさせていただいたことのある、子どもの本の翻訳家で、高円寺で家庭文庫を主宰されている小宮由さんの講演会に行った。その中で小宮さんは、「絵本を通じてこどもたちに幸せを伝えたい。しっかりとした幸せの理想像を絵本で見せていきたい」とおっしゃっていた。そして「不幸を伝えることで幸せをわからせる反面教師的なものである必要はない」とも。それを聞いて、少し生傷がかさぶたになるぐらいまでは癒えたし、わたしも含め、こどもと接する人(大人全員だけど)は、もっと心をつかって生きていこうよ、と思った。


小宮さん夫妻が運営する「このあの文庫」は、こどもへの敬意と愛情に満ち溢れていた。わたしが今でも印象に残っているのが、文庫の本棚や、本の並べ方や、本自体が美しいということ。破れも汚れもなく、埃ひとつついていない本が整然と並んでいた。こどもがたくさん来るから、ぐちゃぐちゃでも、本がぼろぼろでも仕方ないよね、という妥協は一切ない。こどもに手渡す本は、物としても美しく、丁寧に扱われている必要があるのだと感じた。自然な流れで今の自分にぴったりの本を、こども自身の力で見つけていくことができるような書棚の構成にもなっている。小宮さんはこどもに媚を売ることもないが、指導的でもない。でも確かにこどもたちを支え導いている。

書いていたら、このあの文庫にまた遊びに行きたくなった。