ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

望むのは死刑ですか?〜考え悩む“世論” @ EUROPA HOUSE

f:id:hitotobi:20161213155413j:plain

11/17  駐日欧州連合代表部(通称:EUROPA HOUSE)にて行われたシンポジウムに参加した。書きたいことはたくさんあるのだけど、できるだけ落ち着いて一つずつ書いていこうと思う。

 

この日のプログラムは、死刑存置派(現行制度の維持)の弁護士と廃止派の弁護士のそれぞれのプレゼンテーションがあり、ドキュメンタリー映画「望むのは死刑ですか?〜考え悩む“世論”」を鑑賞し、弁護士への質疑応答という流れ。

 

EUの日本における出先機関でこのシンポジウムを開催するのは、EUが加盟国はもちろん、世界に対して死刑制度の撤廃を求める運動を行なっていることが背景にある。(だから存置派の弁護士に対し、「この場はものすごいアウェイなのによく来てくださいましたね」と冒頭に感謝が述べられていた)

www.euinjapan.jp

 

弁護士2名のプレゼンテーションと、上映、質疑応答を見て聴いていて、議論の機会なく物事が決まっていく現状を、やはりどうにかしたいと思った。存置にしても廃止にしても、国民が等しく情報を得られ、どんな意見であっても他者と議論し、一人ひとりが考え尽くした末に決定していきたいと。なぜなら死刑囚に限らず、被害者も含めたその手続きの全てが人の命に関わることだから。もしこのドキュメンタリー映画のような「審議型意識調査」という場があり、有権者全員が参加した上で国民投票などしたら、結果はどうなるのだろうか?

 

映画の中では、審議前、審議中、審議後とアンケートを採っている。興味深いのは、「ぜったい存置/どちらかといえば存置/ぜったい廃止/どちらかといえば廃止/わからない」の割合自体は、審議の前後でほとんど変わらないが、半数近い人が意見を変えている点と、その選択をした理由の記述式回答欄には明確な質的変化が見られる点。「漠然と」選ばれた回答ではない、これは非常に重要なことだと思った。そう、丁寧にデザインされた場で尊重をもって接してもらえたら、人間は考えるのだ。考えた上で意思決定をするのだ。そうわたしは信じたい。

 

質疑応答の時間に、一人の女性が「看護師はその人が何者であれケアをします。職務として使命として人の命を助けることを日々行っている自分がいる一方で、国家は人を殺める。その行いは如何でしょうか?」というようなことを投げかけられた。弁護士への質問というよりも、会場に対して問うていると感じた。同時に、会場にいた私を含めて残り99人の人にもそれぞれに「話」があったはずなのだ。それを聴きあえたらよかったのにと思った。この日のテーマは「死刑について議論しよう」だったので、その時間が持たれなかったのは非常に残念だった。

 

残念つながりで言えば、弁護士さんたちは「この中には犯罪被害者はいないと思うが」とおっしゃったが、なぜわかるのか?見た目ではわからない。被害者もいれば加害者もいるかもしれない。「いるかもしれない」という前提で話をしてほしかったというのは両氏に対して思う。また、自分が被害者および身近な人が被害者になるかもしれないことは言われても、「自分が人を殺すかもしれない」の方は誰も口にしなくて、そこは暗黙の前提になっている気がするのもわたしには不思議だった。

 

なぜ自分にとって死刑がこんなに気になるのか。

考えはじめるきっかけになったのは、1987年に新聞で見た帝銀事件の平沢貞通さんの獄中死。そのときにはじめて冤罪という言葉を知った。父に意味を尋ねると、岩波新書の「冤罪」という本を買ってくれたので、それを貪るように読んだ。正義感の強い子どもだったので、「なぜこんなことが起こるのだろう」と怒りに震えた。しかも平沢さんの死後も、遺族と支援者が名誉回復のために再審請求をするも却下され続けていて、その数はなんと20回以上。わたしに考えるきっかけを与えた平沢さんの事件は、わたしが大人になってもまだ続いていて、全く終わっていない。多くの人の人生を巻き込んでいくこの「裁き」の結果。このシンポジウムの少し前に、ドキュメンタリー映画「袴田巌 夢の間の世の中」も観ていたので、今もまだ暗澹たる思いを抱え続けている。

 

さらに、このシンポジウムの直前の11/11に一人の死刑執行があったことを知らなかったこともショックだった。つまり関心があっても普通に暮らしていて目にしないぐらい、死刑というものがわたしたちの社会の中で実にひっそりと執行されているということなのだろうと思う。これで現在の確定死刑囚は129人、裁判員裁判で2人目の死刑執行となった。裁判員裁判、という点にも非常に心が揺らぐ。

 

存置か廃止か。立場によって様々な意見がある。簡単には白黒つけられないのはわかっている。でも今のところわたしは、「殺してもいい人がいる」とされている国に暮らしている。わたしは自分が絞首刑台の板を外すスイッチを押すことはできないのに、誰かにわたしの代理で押させているということをいつも考える。

 

 

▼全国各地で様々な形での上映会が開催されている。

nozomu-shikei.wixsite.com

 

▼ドキュメンタリーでは簡単にしか触れていなかった「審議型意識調査」の結果レポートもこのサイトに全文掲載されている。

「世論という神話〜日本はなぜ、死刑を存置するのか (pdf)」