ネタバレなしです(たぶん)。写真は漫画のほうですが、内容は映画が主です。
映画の「この世界の片隅に」の違和感についてはこちらでひと通り書いたけれど、違和感ではないところの書き足りない部分を、もう少しだらだらと書きます。
観たのはまだ半月前なのに、詳細な部分は記憶からこぼれて抜け落ち、今思い出すのは、色がとても美しかったこと。どんなものを描いていても、戦闘機が飛んでいるシーンでさえも、風景の描写は美しかったこと。線画の繊細さ、水彩絵の具の淡さ、やわらかさ、瑞々しさ。時間による光の違い。動きのなめらかさ。
空の印象。
高台から見た海の風景。
母が広島出身なので、のんの広島弁も心地よかった。子どもの頃に親戚の人たちにかけてもらった音とまったく一緒で、懐かしさでいっぱいになった。呉に連れて行ってもらったこともあって、のんびりとした暖かい日のことを思い出す。母もかつてこのような音に囲まれて生きていた時代もあったのかと思いながら観た。
音。効果音も、音楽も、歌も加わって、ひとつの確固とした世界観が貫かれていたと感じた。この映画によって、日本のアニメーション映画の現場ではたらく人たちの技術の高さが示されたと思う。日本的なアニメーションの表現はまだまだ極まっていくし、広がってもいくのだろう。つくり手への敬意を込めて、それに対する報酬(金銭的に受け取るものや地位や名誉など)がリーズナブルなものであってほしいと願う。
そういうものとは別に、作り手の意図とか人物の描き方ということの前に、そもそも、と強く思ったのが、「わたしは戦争はほんとうに嫌だ」ということだった。
こんな状況は、こんな世界は、嫌だ。
戦闘機が当たり前のように飛ぶ。防空壕を掘る。
防空警報が鳴ったら、手順通りに逃げる。身を潜める。
無力なまま一方的に狙われる。
「戦力」と言葉が、戦争ができる力、人を殺すに十分な力という意味を持ち、人が選別されていく。逼迫してくると低年齢化していく。
だれでも寿命をまっとうする前に、命が他者によって奪われる可能性がある。
直接的に。間接的に。
生き延びるために、一般市民が兵器や救命について学ぶ。
食糧が自由に買えなくなっていく、少しずつ配給に切り替わっていく、配給されなくなっていく、そのへんにあるものでしのいでいく、工夫の限界を超えたらもうあとはあるもので我慢していくか想像して楽しむ。
毎日少しずつ(あるいは突然に)少ない方へと、選択が狭まるほうへと変わっていく暮らし。あるだけまし。
小さい頃から住んでいた家が一瞬で破壊される。
怪我と病気に怯える。不衛生な環境。
起こってしまったらそうせざるを得ないんだろうな、ということすらも思いたくない。
この映画を観て、そんな覚悟をするのなんか絶対に嫌だ。
わたしが映画の中で涙が出たのは、あんなに美しいと感じた呉の街に、バラバラと落とされていく焼夷弾を上空からの視点で見せるシーン。
大切にしているものが一瞬で喪われたり、破壊されるのは辛い。
たとえ後から立ち上がることがわかっていても。
わたしは戦争や戦闘や破壊モノを一切観ません!というのでもない。
スター・ウォーズが好きだ。
でもこれは日本に本当にあった戦争を描いているから、何をか思わずにはいられない。
戦争は嫌だ。