造形+自然の教室にじいろたまごさんによる秋のスケッチ遠足に行ってきました。ここには、春のスケッチ遠足、晩夏の虫取りと来ていて、きょうが三回目。初冬の川縁。色も光も音も来るたびに違っていて、こどもが見つけるものも違っていて、自然遊びやはり楽しい。お天気にも恵まれて、ありがたかったです。
わたしは水面に映る秋色の葉っぱを生らした木にグッときた感じを描きたかったのに、どう捉えていいかわからず、色も見えなくてイライラして、途中ですっごくやめて帰りたくなった。
なぜか息子にも伝染して、二人で描けない描けない悲観的になっているのに対して、先生があれやこれや親身にアドバイスくれてるんだけど、全然入ってこなくて、でも堪えてなんとかやりきろうと苦しみながら描いて、終わって最後にちゃんと見てみたら描きたかったものが描けてて、うわーなんだこれ!と思った。
先生が終わってからのふりかえりで「お風呂に入って後悔することがないのと同じで、やったら絶対いい結果が待ってるってわかっているのが絵を描くこと。わたしはそれを伝えてるのかも」と言っていたことも印象深かった。
帰り道につらつら考えていたのは、あの途中で嫌になってやめて帰りたくなる感じは、競技かるたをやりはじめて一年ぐらいまで思ってたのと似てるということ。でも一年過ぎたあたり、確かかるたCafeを終うって決めたあたりから急に、途中で嫌にならなくなった。
いや、正確に言うと嫌になる気分と折り合いがつけられるようになった、かな。たぶん、嫌な気分になっても、終わったら何かを引っ付かんでいることが、やる前からわかっていたり、何が見えるか知りたくてきょうもやろうと決めているのかなと思う。つまり「ある程度の量辛抱強くやることが必要」ってことかもしれず、これ、わたしにとってけっこう大事な話かもしれない。
それから、やはりおもしろく不思議なのは、同じ場所にいるのに、全然違うものが表れてくるという人の違い。切り取る景色にしても、色にしても筆にしても、たくさーんある構成要素の中でそれを選んだのかぁっていうところ。
この日の朝たまたまこの講座を見つけて、近所だ!と思って参加したという女性は、中学生まで部活で絵を描いていて、スケッチも何十年ぶりかとおっしゃっていた。一人ではなかなか描きに来られないんだけど、こんなふうにみんなと一緒ならって。
それもこれも全部、場を守っている人がいるから安心して自由になれるの、ありがたいし、ひらく人の喜びからつくられてる場ってやっぱ居心地がいい。なにより途中で嫌になることがあるのも織り込み済みっていうところが、さすが先生だなぁと思った。
最後に講評の時間があって、楽しかったところ、苦労したところを描いた人が話して、先生や他の参加者さんからもフィードバックがもらえるのがやっぱりありがたくて、労われるとか報われるとか伝わった感じがしてうれしい。
写真も撮ってみたのだけど、目で見たのとも絵で描いたのとも違ったものになっていて、そういうのもおもしろかった。
今週末は人体クロッキー!こちらも楽しみ!!