秋分のコラージュの会の前に、6月21日の夏至の日につくったコラージュをじっくりと見返してみました。(レポートはこちら。)
このときどんな状態で、どんな気持ちでつくったのだったか。
たしか、友だちの市民オケを聴きに行ったぐらいのときで、それでハーモニーとか、楽器とかが真ん中にきている。
プーシキン展のチラシは前々回の、節分のコラージュでも使っていたけど、全然切り取り方がちがっていて、この男女を友人同士に見立てて使った。
自分の顔をどこかに入れたかったのだけど、写真をそのまま貼るのではないなにかをと探していて、なんとなくぴったりくる女の人の振り向いた感じのイラストに★のシールをつけて。
全体的に黄色に惹かれていたこの頃。
「体が動けなくなっても歌い踊り続けよう。」
「ラジオ」
「それぞれの「気持ちいい」のかたち」
「HAPPINESS!」
「L'incontro(出会い)」
「釜茹上等!盗んでGO!」
「ーーもっと遠くへ。」
など、いつも決意を込めることが多いけれど、一つひとつワードも胸に沁みる。
多くのものが、「わたしは、その通りだ。わたしはそのものになっている」と今思える。
ちょうちょを3匹飛ばしたのは(羽がパタパタするように貼ってある)、変化の象徴として、そして画面に軽やかさを出したくて。
大きなざるそばや明太子のお茶漬け、自家製の何かを詰めた瓶や台所には、「食」への関心が見て取れる。お店ではたらくことも決まっていたので、量のボリュームのことを考えていたし、それから影響を受けて、自分でこつこつ作ったり、生活を整える楽しみもたくさんあった。
少し暗い右下の画面やモノクロの木の枝は、自分の中の夜の部分。大事にしている。
オリオン座を貼って、さらに先の秋や冬の季節も見据えている。
でもこのときからまた状況や状態は変わっていて、またぴったりのコラージュがつくれると思う。
今までお守りでいてくれてありがとう。
6月21日から一歩一歩あるいてきた道のりや瞬間を思い出して、あたたかい気持ちになるのは、この日、みんなの前で話して聴いてもらえたからだなぁ。
この日の場の光っていた、まさに「光景」、光さす部屋を思い出す。
「亡くなったあとも、思い出すのは笑顔ばかりでした」という感じに似ている。
↑ 2015年ごろにZINEのためにつくったもの
願ってもよい。
ということをいろんなことが起こると忘れてしまう。
その願いに手を伸ばすことを阻むものを、そっと持ち上げて脇に置いてみたら、その下で本当に小さく優しく震えている願いはなんでしょう。
自分で自分をうれしくする、幸せにできる。ということを、わたし自身も確認したくて、光を他の人たちとも分かち合いたくて、この場をひらいています。
この会、節目を迎えている方にとっては特に、印象的な時間になるようです。
三時間半、じっくり話したり、書いたり、自分と対話しながら、時間をかけてつくっていく集約型のコラージュです。
未来が漠然としている方には、最初の一歩の光に。
道が見えている方には、自分自身とのつながりをより強く感じる土に。
今回は秋分の日につくります。
二十四節気のひとつ。昼夜の長さがほぼ等しい。お彼岸。天秤座のはじまり。
タイミング、お気持ち合う方のご参加をお待ちしております。
心を込めてガイドいたします。
↑ 2016年の年末のコラージュの会でつくったもの