ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

天籟能の会「小鍛冶」を観た話

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安田登さん主宰の天籟能の会に行ってきた。

inanna.blog.jp

 

 

安定の国立能楽堂、安定の脇正面。

 

初めてお能を見たときにたまたま取った席が脇正面で、そのときの体験があまりにも素晴らしかったので、以来、よほどのことがなければ脇正面を選ぶことが多い。正面、中正面もそれぞれに良さがあって、値段と体験の深さが比例しないのも能のおもしろいところ。

特に今回の能は橋の上でのやり取りが効いてたので、脇正面にしてとてもよかった。

 

仕舞「遊行柳」

狂言「磁石」

能「小鍛冶」(白頭)

 

どれも初めての曲ばかり。

 

仕舞の梅若万三郎さんの威力がすごかった。

人間はあそこまで容れ物になれるのか!と思った。しかも容れ物になりながらも自分の意識は冴え冴えとしていて、身体能力を最大級に発揮している...それが目の前で起こっているということは何か信じられないような思いでいた。

 

狂言はおもしろかったのだけれど、うっかりところどころで寝てしまった。あんなに大きな声で話しているのに心地よくて。でも寝ているのに、間が途切れていないというか、夢の中でも観ているような不思議な感じだった。普段これは能を観ているときに起こるんだけど、狂言でもあるのかーと寝ながら思っていた。

 

そして能「小鍛冶」。

 

神様にお願いして、神様と人間が共同でひとふりの刀に相槌を入れる。

 

こういうことって自分にもあるよなぁと思ったのは、何か大切な「本番」があるときに、「神様、どうか力を貸してください!」と祈る。こちらの祈りは一方的で、神様の声は「いいよ」も「だめだよ」も聞こえない。

 

舞台の上でも、神様は聞いてんだか聞いてないんだかわからない、一見スルーしてるように見える。でも神様だから言葉は通じないか、神様の考えは計り知れないのかな、という感じもする。神様は前シテでは老人の姿をしている。後シテで白い髪を振り乱して(赤い髪で演るときもあるらしい)、金色の面をつけてこの世のものならぬ、しかし人形(ひとがた)に近い姿で現れて、鍛冶をする。

 

神様と人間とが相槌を打っている。

 

神様はこちらの願いはちゃあんと聞いてて「これは自分が力を貸したほうがいいことだ!」と思ったら来てくれる。刀鍛治の相槌だったり、本番の「それ」が仕上がったら、「よかったネ」という感じでアッサリ帰っていく。

 

去り際に、神様が振り向いてなんだかうれしそうにニッコリしてたように見えたのが印象的だった。「また呼んでなー」と手を振って帰っていく感じ。神様も人間に力を貸して、一緒に何かをつくるのは実は楽しかったりうれしかったりするのではないだろうか。

 

ものをつくるとき(goodsに限らず)、神様と自分との相槌の作業をしている。それが目に見えるようになったのが、きょうの「小鍛冶」のような景色なのだとすると、ますます自分がつくるもの、つくることに畏敬と感謝と愛を込めたいって思う。真剣につくることは神事と言っちゃってもいいかもしれない。そんなことを考えた。

 

 

 

前シテは老人だったり童子だったりするらしいが、一緒に行った友だちが「なんで大人の男の姿じゃないのか不思議だったけど、ヘタな大人より、老人やこどものほうがサッと手を貸してくれるからかも」と言っていて、なんだか納得した。

この友だちとは、産後に、とある会で一緒になり、1ヶ月ほど一緒に過ごしたが、そのあとは全く会っていなかった。わたしは当時お能をやっていたという話を彼女としたのをすごく覚えていて、能を観に行くたびになんとなく彼女のことを思い出していた。それが9年経った今年になって、急に彼女がわたしをFacebookで見つけて連絡をくれ、読書会に来てくれたりして、またちょこちょことやり取りするようになった。

 

この再会や出会いなおしをしている中でのお能というのも何か、感慨深いものがある。時間や空間のずれ、時間差、ある程度の時間が経たないとわからないこととか、人と人との間に起こることは不思議だなぁと思う。

 

 

今回の会の建付けもとてもよかった。ディープに楽しみたい人は公演までの7回のワークショップに出ることもできる。当日だけ来ても始まる前に解説があり、仕舞、狂言、能におはなしの時間があってじゅうぶん楽しい。

 

最後に「おはなし」と題して、安田登氏、内田樹氏、川崎昌平氏(刀匠)、いとうせいこう氏の4人が座談会形式で解説というか感想というかを話す。

「ゲストにわたしの好きな人ばっかり呼びました!」という感じがよかった。仲間内の実験の楽しさに、フレンドリーに招いてもらった感じがある。

 

きょうの公演の外周で4人があーだこーだと話すのをわたしたちは鑑賞して、帰り道に友だちと公演とその外周のおはなしも含めた会全体をあーだこーだとおしゃべりする構造がおもしろかった。14:00-17:30の時間設定もほどよい。

 

座談会で印象的だった話。

コンテンツがどんなにおもしろくても、それが自分に相対されていない場合、つまり相槌、コミュニケーションのある関係がなければ、それは自分にはぜんぜん関係ないものとして耳蓋がれるという、いとうさんの話が胸にぎしぎしきた。逆に相槌のある関係ならその上に何か乗っても展開するのだ。

 

川崎さんは、作業場では五感をフルでつかうので、しゃべってる余裕がないんだとおっしゃっていた。なにかお知らせが必要なときは、師匠の槌を打つ音を合図になると。つまりその場で取り組んでいるときの作業そのものが、全部言語ということなんだろうな。

 

実際の鍛冶は3人でするものらしい。師匠と新人と師匠補佐でトンテンカン。(新人が間違えるとトンチンカン)でも「小鍛冶」では神様だから一人で何人分もできるのでしょうね、とのこと。

 


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「おはなし」で登壇された4名

 

 

 

 

 

 

 


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次回も行きたいなぁと思ったら、第7回は2020年1月25日(土)ですって。

来年じゃなくて、再来年。

新作能だからか。

楽しみです。鬼が笑いそうだわ。

 

 


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「おはなし」の覚書を書いてくださっている方が!ありがとうございます!!