ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

わたしにとって最も興味深い存在のわたしの今

一体わたしという人間は、何をやっても大して上手くならないし、すぐ忘れるし、修了もできないし、いつまでたっても詳しくならないし、多くの人から「すごい!」と認められることもないし、「〇〇ならせいこさん!」みたいなものが全然ない。

それが小さい頃から今に至るまでずっとコンプレックスだった。いろいろ手を出すわりに、なんでもそつなくこなせて器用、というのでもないから。

 

 

今も事業の話をするときに、「うーん、いろいろやっててなんだかおもしろそうな人だなという印象だけある。〇〇屋さんっていうわかりやすい看板を掲げないと、仕事を頼まれないですよ」とアドバイスされることが度々ある。


でも「わたしって何屋さんなんだろう?」と考え出すと全然わからないし、追い詰められる気持ちになるので、一旦保留にしている。今はとりあえず自分の心が動くものや、お声がかかるものに携わったり、営んでいる。結局ひとつのことしかできてないと思ってるから、そのうちわかるんじゃないかしら。

 

 

 
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わたしは叙情的、情緒的なことですぐ胸も頭もいっぱいになってしまって、一部を知るだけでだいたい「へぇーー!」と、満足できてしまう。

お酒に弱くて、ちょっとの量ですぐ酔っ払うのだけど、それとすごく似ている。

 

わたしが今見ているのはほんの一部なのだろうな、ということを何につけても感じる。ある程度把握した!と思えるようなことがひとつもない。

 

世界は膨大で深遠すぎるし、人のことはよくわからないし、自分はいつまでも不完全な存在だ。

 

 

たぶん理論や仕組みについてあまり興味がないのだと思う。

多角的、多面的に知りたい気持ちもあって、別のところで予期せず出てくると、「おお!つながった!」「こういう文脈で見るとまた違う感じがするなぁ」という喜びがある。

 

でも、「最初から全部を見据えてある程度の高いレベルで知りたい」、「俯瞰したい」、「関係することは一気に網羅したい」、みたいな達成欲求(?)があんまりない。

 

ちょっとずつ自分のペースで、自分の内発的動機にしたがって、知っていきたい。

偶然を楽しむ。

だから時間がかかる。

一回でぜんぶが整理できない。

「消化酵素」が少ない。

 

 

でも、伝えてくれる人に友愛や親しみや敬意を感じていたら、体系を嵐のように一気に聞いて、自分を最大限発揮して、整理しまくっていくのはすごく楽しい。

 

 
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きょう、今、これを綴っているひととき。

自分から見えているのは、そういう自分。 

 

 

最近は自分のその中途半端さがおもしろいなぁと思ってきた。

 

中途半端さの他にも、自分が直面すること、自分が対応したこと、自分の歴史...つまり当事者研究を楽しんでいる節がある。

わたしを通して、人間を理解しようとしてもいる。

 

 

 
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ここのところ、週末にひらく2つの場に向けて準備をしているのだけど、「そういう自分として、みんなの前にいてもいいんじゃない?」という思いが、度々わいている。

 

 

人の前に立って自分を表現したり、自分を通して何かの価値を伝えることを、「目立ちたいんだね。サインの練習しといたら?」と言われたり、表現したい自分を抑えて「まるで自分大好きみたいじゃん」と自分を叱責している人を見ると、うーん、そうではなくて...と言いたい気持ちがわいてくる。

 

わたしの感覚としては、「自分が好き」というよりも、「自分のことを最も興味深い存在だと思っている」んだよね。

 

それを恥じずに、後ろめたく思わずに、怖れずに出していっていいんじゃないかしら、と思いはじめたところ。

 

特に誰のお墨付きもないけど。

誰かのためとかでもないけど。

 

自分が踊りたくてたまらないのなら、ただ踊ればよい。

 

 

 

6月に亡くなった友人と、以前、「どこまでが自分か、自分と自分でないものの境目はどこか」という話をしたことがあった。「結局、一番不可思議で興味が尽きないのは自分だよね」とそのやり取りは終わった。

今またちょっと違う話をしたいんだけどな。

ああ、彼と話したいなと痛切に思う。

 

 

 
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きょうふと、ARTという言葉をOxford Dictionaryで引いてみたら、最初にこれが出てきた。

The expression or application of human creative skill and imagination, typically in a visual form such as painting or sculpture, producing works to be appreciated primarily for their beauty or emotional power.

 

ここから"typically in a visual form such as painting or sculpture" を除いて、"works"を「作品」だけじゃなくてもっと広い意味でとらえたら、それはすごくわたしのお仕事だ!という感じがして、わくわくした。

 

 

なんでやるのかわからない。でも楽しくてうれしい。

そっちのほうが光っていて、そっちのほうが愛がある感じがする。

まずはそちらに歩みを進めてみよう、という今。

 

この三連休が明けたら、どんな世界が見えているんだろう。

 

 

 

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