じっくり観てたら3時間もかかってしまった!出る頃にはとっぷりと日も暮れて、さっきまで観ていた作品のように。
絵っていくらでも観ていられるので、つい時間を忘れてしまいますが、特に今回は予習して行ったので「これがあそこにのっていた作品の実物だ!」といちいち喜びながらだったので、より見応えがあって、時間をかけてみていました。スタイリングの会をやってから、色をより丁寧に観るようになったのもあります。いい影響!
今回は、批判的に多様な視点を持って、とても自由にのびのびと観られた!という感触をこれまでになく強く持ったことが、わたしにとって新鮮でした。
事前情報がないほうが自由でしょ、と思っていたのです。でも、ある程度の鑑賞筋(肉)がついていて学習欲もある人は、このぐらいしたほうがいい体験ができるんだ、いやむしろ、このぐらいしないとお金を払って時間を使っているんだから勿体ないんだということがわかりました。より自由になれる。
わたしの場合は、ですけど。
特に個展では、自分にとってのその画家のイメージを覆す、壊す、というのが一番楽しいのだから、気分、共感、同調、自分との関係だけで観ているのも楽しかったけど、もうそこはとうに過ぎたらしい。わたしの鑑賞史もようやくここまで来られました。ふー。
「観ておいたほうがいい」という衝動を手放し、「観たい」という強い感覚のあるものを丁寧に観る、ということを今年は心がけてきたのですが、こんなふうに一つを深掘りし、心ゆくまで味わうと、全部を観なくても不思議と他もよりよく理解できるようです。展覧会以外のことでもこんなふうなんだろうな、きっと。ジャンル全部を網羅的に知っていることはそれはそれで大きな価値ですが、わたしはあまりそこへの意欲がないみたい。
正直すぎたり、チャーミングだったり、大人になりきれなかったり、しぶとかったり、あざとかったりとおもろい人でした。ムンクのいろいろな面が見えた。
「狂気が芸術をつくる」という芸術家のイメージづくりを生涯をかけてやってみせたのかもしれないとも感じました。
どんどん試してみる。
自分の感情の動きを徹底的に見つめてみる。
それを人に見せる。
表現技法への飽くなき追求。
膨大な日記やメモや習作や油彩・水彩の作品群がオスロ美術館にあるそうですが、最終的にできた作品だけではなく、過程であったり、自分の生き様すべてを芸術にする意欲が、好ましく感じられるような展覧会でした。それは先日のデュシャン展でも感じた類の共感。学芸員さんが書かれたキャプションにも、随所に「ムンクへの好感」が滲み出ていてよかった。
「ああー、もう絶望だ」「怖い...迫り来る何かに、どうしていいかわからない」というときに、「そうだ、わたしの心境は今ちょうどこんなふうだよ」を表してくれる「叫び」の存在に、だれでももしかしたらそっと日常の中で救われていることがあるのかもしれない。
世紀末の不安と憧憬がないまぜになった心象風景のようなものは、ホドラーを彷彿とさせます。活動時期も合っているので、影響し合うこともあったのでは(仮説)。要調査。
やや混んでたので、いつもの模写をしていたら、いろんな人が覗いていったり、物販のレジのお姉さんに「上手ですね〜」と言われたりしてどきどきしました。それもまた楽しかった!