ひととび 〜人と美の表現活動研究室

観ることの記録。作品が社会に与える影響、観ることが個人の人生に与える影響について考えています。

アレッシィのキッチンペーパーホルダーの話

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アレッシィのキッチンペーパーホルダーをもう20年近く愛用している。

買ったのはなぜかドイツ。セールをしていて目に留まり、一目惚れしてして日本に持って帰った。

しかしいざ家にあったペーパーをセットしようとすると芯の径が合わない。いろんなスーパーで見かける度に径を確認して買うのだが、なかなか合わない。仕方がないので途中まで挿してどうにか使うなど、見た目にいまいちながら、10年以上だましだましやっていた。

 

ある日、友だちがコストコにドライブがてら買い物に行かないかと誘ってくれた。行ってみたら、もうこれしかない!というぐらいぴったりのペーパーが見つかった。コストコ行くならこれ買うといいよ、と友だちもおすすめしていた商品。大量に買って分けた。

 

そうだよ、海外製のを探せばよかったんじゃないか!とそのときにようやく気づいた。今思うと、ちょっと考えれば探しようもあったのに、全然思い至らなかった。

 

コストコで買ったストックがなくなってからは、Amazonでメーカーで検索すると普通にヒットした。今日日、かさばるものをわざわざ買いに行かなくても家まで届けてくれる。ありがたい。なんだったんだろう、あの日々は...あたしあほか...とも思うけれども、快適である今に目を向けると、それがないと困窮するほどではないけれども、なにか具合がわるかったところがぴったりする喜びって、暮らしや家の事の醍醐味だなとしみじみと思うのだった。

 

またある日は、ふと思いついてつくった鶏団子スープがとてもおいしかったときに、冷蔵庫やストッカーにある食材を余すところなく使って、使える期限内のいいタイミングで食べられて、ひらめいておいしいものがつくれたときに、ああ、うれしいなぁと思った。そういう日の晩ごはんは、何かが伝わるのか、息子ももりもり食べてくれてさらにうれしい。

 

基本面倒くさがりだし、相変わらず片付けてもすぐものが増えるし、料理もたいしてうまくならないけれど、今年一年さまざまに取り組んできて、観察や調律の習慣はついてきたように思う。

 

うまくいかないのは、見なかったことにするからで、怖れや恥をかかえつつも、目を開いて(ほんとうに大きく開ける)見てみたら、日々の痕跡はいろんなことを教えてくれている。

 

その日気になっていることをひとつでもやれると流れがよくなる気がする。

たとえば、

おとといは自転車のタイヤに空気を入れた。

きのうは靴下の穴を繕った。

きょうは朝顔の種をとる。

 

 

 

暮らしの営み方や生き方は人それぞれだと思うけれど、わたしは家の事を他人にまるっきり明け渡したくないし、自分で手入れできる範囲にしておく鍛錬を日々積み重ねたいし、最期まで棲家(すみか)の手入れをしながら生きたいと思う。

 

日常の手触りを感じながら生きる。

 

その中には買うこともあるし、人に頼むこともある、捨てることもある。それをイライラしたままにせず、ちょっと立ち止まって自分で考えて決める。

 

 

 

好きとか、かわいいとか、きれいとか、おいしいとかが、家の中にいられる「スペース」をわたしは大切に優先したい。それを無視しては、やはり希望をもって生きられないから。

 

そのように手入れされた厚みのある土台から、よいものをつくりたい。

 

という宣言をあらためてここに。